2003.02.25

      
☆先号の『クリスマスの天使』(アヴィ:作 金原瑞人:訳 講談社 2000/2002.11)
「ママは買い物で留守だから」は、「ママは仕事で留守だから」でした。訂正いたします。(hico)
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【絵本】
○ベテラン作家の新刊とその他の気になる絵本
 
 リンドグレーン、バーバラ・クーニー、ジョン・バーニンガムの新刊が並んでいるのはなかなかうれしいことです。そのうち、ふたりが故人だとしてもまだまだ紹介されるべき作品が残っているし、やはり子供心への寄り添い方やイラストのまとめ方など安心して読んでいられます。
 『雪の森のリザベット』(リンドグレーン作 イロン・ヴィークランド絵 石井登志子訳 徳間書店1983/2003.1)ではお手伝いのねえやと町へクリスマスのプレゼントを買いにいったはずのリザベットが、雪の森でまいごになってしまいます。おもちゃ屋さんの店先で待っていてねといわれたのに、おもしろがってそりの後ろにのってしまったから。おねえちゃんのマディケンは熱がでたので家で御留守番。ひとりぼっちの心細さと降り止まない雪のこわさが5歳の子どもにおそいかかります。リンドグレーンのお話らしく、いくつかの生活の知恵もちりばめて、最後は家にもどって一安心。1986年に刊行された絵本版『マディケンとリザベット』より、今回復刊された版型の方が読みやすい。広大な雪の森でひとりぼっちでいるイラストなど大判の絵本で見る方が迫力があるし、小さな子に読み聞かせるには絵本の画面の大きさがそのままリザベットの心情に重なるから絵本版も捨てがたいのだが、余りにもテキストのレイアウトがひどいので、今回のような版型の変更があったのだろうと思われます。
 クーニーの絵本も雪の森の表紙。『北の魔女ロウヒ』(トニ・デ・ゲレツ原文 バーバラ・クーニー絵 さくまゆみこ編訳 あすなろ書房 1986/2003.1)はフィンランドの民族叙事詩「カレワラ」を下敷きにした物語。魔女のロウヒはいたずらもの。ワシに姿をかえ、月と太陽をつかんで山に閉じ込めてしまいます。それを知恵と音楽の賢者ワイナモンネンと鍛冶屋がとりかえそうとするのです。日のささない暗闇の世界と光降り注ぐあたたかな世界。さすが世界3大叙事詩に入るカレワラの雄大さを感じさせるストーリーです。クーニーは邪な魔女といわれるロウヒを生活を楽しむお茶目な魔女に描いています。ベッドのわきの毛糸玉、一緒に暮らす犬やにわとり。雪の日にはクロスカントリー用のスキーで空まですべってしまいます。ラストのページでは湖のそばの小屋でサウナにでも入るのでしょう。香の良い小枝を持っていそいそと歩いていく姿で終わっています。古き良きアメリカを描く絵本作家として知られているクーニーですが、旅行好きで本作のような各国の神話、伝説をもとにした絵本もたくさん描いています。ギリシャ神話の絵本も、フランス中世の伝説の絵本もネイティブアメリカンの絵本も……。これらの作品が翻訳されるようになれば、クーニーのイメージももっと広がっていくことでしょう。
 『旅するベッド』(長田 弘訳 ほるぷ出版 2003/2003.1)は一見バーニンガムらしい絵本。古道具屋で買ったベッドにはふしぎな力があっていろんなところにつれていってくれる。空の旅をしたり、まいごのトラを助けたり、宝物を海賊達と取り合ったり……。古道具屋でふしぎなベッドに出会うところはちょっと『コートニー』を思わせます。『コートニー』のラストは犬のコートニーがどこかにいってしまうのですが、今回はベッドと一緒にジョージーもどこかへいってしまったようです。もう、うちにはもどらないのかしら。今までのバーニンガムだったら、どんなに楽しくても、かならず現実の家族のもとに子どもはもどってきたはずなのに。前作の『ねんころりん』がいくつものストーリーを「ねんころりん」ということばに導かれるように収束させたのにくらべると、本作のストーリー展開は『いっしょにきしゃにのせてって』とほぼ同じで、パターンに逃げたかなと思ってしまった。それもラストシーンを際立たせるためなのかしら。ベッドで見る夢の方を子どもが選ぶのだとしたら、これからのバーニンガムは現実との折り合いの付け方に興味を示さないことになるのかしら。

 『のうさぎのおはなしえほん いえ』『ともだち』(ともに片山令子文 片山健絵 ビリケン出版 2002.12)は小さな絵本。けれどもハッとすることばに出会える。のうさぎさんが薄暗くてほこりっぽい家の窓を磨いて、「ほら、いえがめをさましたよ」というとき。ふくろうくんが「やっぱりぼくのこときらいなんだね」というとき。ひとつひとつのできごとにまっすぐに向かっていこうとする心をのうさぎさんが持っているから、こういうことばがでてくるのでしょう。以前、「クーヨン」で連載されていた時、きっと短編集になるのだろうな、早くまとまらないかなと楽しみにしていたおはなしが1話完結の絵本になって登場したのはうれしい。片山健の小さなものたちの表情豊かな絵もコレクションしたくなる。

 『やねうらべやのおにんぎょうさん』(柳生まち子作 福音館書店 2003.1)は手縫いのおにんぎょうさんのおはなし。屋根裏部屋でのねずみや小鳥に出会うまで、自分で暮らすことを忘れてしまっていたお人形さん。ふたりの友達のおかげでお洋服を着たり、すみかをととのえたり、きれいなものを集めたりする毎日は素敵だけれど、なにかが足りない気がする。名前も思い出さないし……。小さな子どもの友達であるおにんぎょうさんに、こんな暮しや心があるなんて、とドキドキします。途中から登場する子どもを作者は決して正面から描かず、後ろ姿や斜め後ろで表情が見えないようにしています。それが、このおにんぎょうさんの世界を確かに守っていて、この子がぼくだったら、わたしだったらと思わせてくれるのです。おにんぎょうさんのくらしもこの子の家族の暮しもあたたかく描き込まれた水彩画からきちんと伝わってきて芯を感じさせます。
(ほそえさちよ)

『ちびろばくんと なかよしのヤッキー』(リンデント・クロムハウト:さく アンネマリー・ファン・ハーリンゲン:え 野坂悦子:訳 PHP 2001-2002)
『おおきくなりたい ちびろばくん』の続編です。
 友達のヤッキーへの誕生日プレゼントに凧を買うのですが、ちびろばくん、自分が欲しくなり・・・・。
 でも、もちろんそんなことはだめとかあさんに言われ、しょうんぼりしながらヤッキーのお誕生会に向かうちびろばくん。
 ちびろばくんのの心の動きがとてもよく伝わってきます。
 子ども共感するだろうな。(hico)

『ねこのかあさんのあさごはん』(どい かや:作 小学館 2003.01)
 レシピも添えられて、毎日のおいしそうなあさごはんが描かれていきます。
 どれは楽しいのですが、やはりジェンダー・バイアスが気になります。どようびはおとうさんが、となっていますが、それもなにやらいいわけめいて、落ち着きません。(hico)

『おでんくん-あなたの夢はなんですかの巻』(リリー・フランキー 小学館 2002.01.)
 擬人化されたおでんくんたちの物語であります。
「なんでも知っているつもりでも ほんとうは知らないことが、たくさんあるんだよ。
世界のふしぎや、いろんなきせき
もしかしたら、それはみんな
おでんたちのしわざかもしれないのです」
 と、とてつもない発想からスタートするので、拒否してしまうともうだめ。でも、おもしろい! とこの時点で思えたら、それ以降展開される物語はOK。
「『いってきまーす』
おつゆの天井から、おはしがのびてきて
たまごちゃんはたべられにゆきます」
 OK?(hico)

『がちょうのエレノア』(ピエール・コラン:文 マリー・ジョゼ・サクレ:絵 木本栄:訳 ひくまの出版 2001/2002.12)
 ま、とにかく、グワ、グワとうるさいがちょうのエレノア。
 ホント、うるさいの。
 でもあるとき、それによって、にわとりたちみんなを救うことに。
 絵も文も全体になんだか妙な雰囲気漂ってます。これがベルギーの絵本なんだ〜。と思ってしまった。(hico)

『みえないって どんなこと?』(星川ひろ子:写真・文 岩崎書店 2002)
 『ゆいちゃんのエアメール』(小学館)を生み出した星川の最新写真絵本。
 視覚障害のめぐみさんと子どもたちの交流を描き出しています。
 星川の写真絵本は、こうした「ええ話」になってしまいそうな素材を、ただそこを撮った写真としてしか提示しない力強さがある。これは写真家に対して失礼な言い方になるかもしれないが、ベストショットではなく、リアルショットを星川は選択しているように、私には見える。視覚障害者を写真の中でどう活かすのか? そのために星川は、写真家である自分のキャリアや巧みさを横に置いて、撮られてしまった写真の中で、リアルなものだけをすくいだしていると思う。例えばラストショットのめぐみさんと一人の女の子の握手のアップ。テーマをあからさまにしてしまうようなそんなショットなのに、ベストではないから、暖かい。(hico)

ひつじのリンジー』(1940)『おまつりの日に』(1946)(テーシャ・テューダー:作 ないとうりえこ:訳 メディア・ファクトリー 2002)
 このところ次々出版されているクラッシク絵本です。
 以前にも書きましたが、今では描けない絵本でも、今でも必要な作品はありますので、どんどん出版してください。
 この2作品は、動物をモチーフにして、それにまつわる形で家族を描いています。もちろん、なーんも問題がない家族です。
 ですから、もう描けないのですが、こういう家族も成立していたんだってことを確認するのにはいいでしょう。
 なつかしんだった仕方ないけどね。(hico)

『かお』(おぐま こうじ くもん出版 2003)
 顔は様々な気持や気分を表情として見せるものですが、この絵本、それを落書きのようにして一つ一つ、採り上げていきます。
 こうして、いろんな表情を次々みせられると、改めて表情の持つ意味、豊かさが実感できます。
 そこに絞りきったのが、大成功! です。(hico)

『北の魔女ロウヒ』(バーバラ・クーニー:絵 トニ・デ・ゲレツ:原文 さくまゆみこ:編訳 あすなろ書房 1986/2003)
 ああ、クーニーの画だ〜。
 とそれだけで嬉しがってしまうのですが、「カレワラ」をベースにした原文に、さくまが原典を元に再話したものです。
 ページを繰るごとに、変化していく色使いの豊かさ、確かさ。その説得力。
 お話も、ユーモアと叙事詩の雄大さを巧く構築しています。(hico)

『デルトラ・クエスト モンスターブック』(マーク・マクブライド:絵 エミリー・ロッダ:作 神戸万知:訳 岩席書店 2001/2003)
 当然のごとく、でましたね〜、『デル・クエ』のモンスター図鑑。
 もうコテコテで、モンスターごとの詳しいキャプションも、ワクワクさせます。TVゲーム系のRPGを、小説化したような『デル・クエ』にはあって当然。
 朝青龍横綱審議の注文的に言えば「品位」も「品格」も「品性」もここにはござーませんですよ。「おもろかったら、ええやんか」です。訳者が『ホケ・モン』フリークである神戸さんだから、よけい力はいっとります。
 あ、私も入ってますね。 
 だって、好きなんですもの。こーゆーの。(hico)

【創作】

『神の守り人』(来訪編・帰還編 上橋菜穂子 偕成社 2002)
 「守り人」シリーズ第4作。なんたって、主人公である、用心棒バルサがいいぞ。無茶苦茶強いし、クールだ、なんてことではありません。確かに強いけど、それは、才能とか天才とかじゃなくて、バルサが生き抜くために身につけたもの。つまり、バルサは特権的な主人公ではないの。あくまでも等身大。だから、クールには見える。だって、命と引き替えに仕事を貰っている用心棒なんだから、いちいち自分の感情を表にだしてなんかいられない。でも、それはクールとは違う。そうすることで生き抜いてきただけだから。
 よって、バルサは基本的に個人的にしか行動を起こさない。これはお仕事とは別ね。
 このシリーズのおもしろさは、そんなバルサが個人的に動くときそれが政治や政変に関係してしまうこと。今作だと、バルサは奴隷として売られようとしていたタル民族の兄妹を救う。両親を失った彼らに自分の過去が重なったから。タルはロタ王国で虐げられている民。ロタ人に伝わっている神話ではタルの悪しき神をロタが滅ぼし今がある。が、タルの神話では、その神はタルの守護神だった。ロタによって滅ばされた神が宿った少女、それこそが、バルサが救ったアスラ。彼女がキレたとき、神は怒り周りのあらゆる者を殺してしまう。ロタ王国のためにアスラは殺されるべきか? しかしバルサはアスラを守りたい。これ以上はネタバレなので割愛しますするけど、会社員が出世の糧に徳川家康だの豊臣秀吉だのの伝記や解説書を読む暇があったら、このシリーズの方がオススメ。(hico)

『サブリエル・冥界の扉/古代国記1』(ガース・ニクス:作 原田勝:訳 主婦の友社 1995/2002)
 『レィチェル』、『アバラット』、『ライラ』となんだかファンタジー系に女の子主人公のが増えてきましたが、これもその一つ。主人公サブリエルは18才ですから女の子と言ったら怒られそうですが。
 母親の死と共に生を受けたサブリエル。彼女もまた死線を彷徨った状態で生まれたのですが、父親アブホーセンの魔力で正の側に戻ってきます。彼女は魔法も教える女学院の寮生として詩だって行く。父親のアブホーセンは成仏(って言い方もヘンですね)出来ず冥界からこちらに彷徨いでようとする死者を、冥界に送り届ける仕事に忙しいのです。
 が、その父親が冥界の奥深くで行方不明となり、彼が使っていた険と鈴がサブリエルに届けられる。
 父親は死んだのか、それとも冥界にいるのか?
 学院を出て彼女は父親を追い、冥界へと向かう。
 というのが設定ね。
 憎しみと妄執。ダークなイメージで物語は進んでいきます。魔法学校じゃなく「冥界」ですもんね。
 1ですから、今回はサブリエルが悪をひとまず遠ざけた後、彼女が父親に代わってアブホーセンをなるところで、幕は閉じられます。
 独自の世界観があって、読み応えあり。
 しかし、こんな物語を主婦の友社がだすのですから、ファンタジーブームはおそろしい。(hico)

『アバラット』(クライヴ・バーカー:作 池ひろあき:訳 ソニー・マガジンズ 2002/2002)
 クライヴ・バーカーですから、濃いです。挿絵も本人が描いた油絵ですからコテコテです。というか、描くことでこの作品の構想が練られたようです。
 全4巻の一冊目。
 チキンタウンなる田舎町。名のように、ここは鶏繁殖で成り立ってます。主人公キャンディの父親は飲んだくれ。たいくつな町にもうんざりの日々。町に関するレポートの宿題に、叔母から、働いているホテルにまつわる過去のエピソードを聞き出すも、担当教師から、さんざんしかられます。頭に来た彼女は学校を飛び出す。築けば草原にいて、そこには何故か灯台が。ここには海なんかどこにもないのに。そこで、頭に生えた枝に7つの顔があるミスチーフと出会い、異世界アバラットはと入っていく。
 『オズ』のバーカー版です。
 ミスチーフに託されたキーを奪わんと、次から次へと繰り出されるキャラたち。
 世界設定は、25の島からなり、その内の24は、時をあらわしています。つまり、午後4時島は、ずーっと午後4時の島。そして、25時の島が中心にある。
 イメージのぶちまけ振りはものすごくて、こてに乗ってしまうとおもしろいですが、ついていけないと、頭ぐちゃぐちゃでしょう。
 しかし、ストーリーそのものはシンプル。危機また危機のキャンディ、はぐれてしまったミスキャットの動向などがリズムよく描かれ、娯楽してます。(hico)

『サークル・オブ・マジック 魔法の学校』(デボラ・ドイル&ジェイムズ・D・マクドナルド:作 武者圭子:訳 小学館 1990/2002)
 『ダレン・シャン』をヒットさせた小学館が放つ第2弾。読者モニターに先に読んで貰って、その感想を帯に載せる方法とってます。
 サイト(http://www.shogakukan.co.jp/magic/)もあり、続編の情報が少しずつ更新されます。
 表紙、装丁も凝りに凝って、スマートです。
 「魔法の学校」なんて『ハリ・ポタ』みたいですが、そうでもありません。『ハリ・ポタ』以前に書かれたものだと、サイトで強調もされています。
 ランドルは騎士になるべき家に生まれたのですが、旅の宿を求めてきた魔法使いマードクの技と見て、なんとしても魔法使いになりたいと思います。マードックが去ったと知ったとき、ランドルは騎士への道を捨てて、彼を追っていきます。マードックを説得し、魔法の学校に通えることに。最初は超劣等生。でも資質は認められて、仮進級。
 ここから、事件が描かれていきます。ある事情で学校は繰り上げ卒業となり、修行の旅へ。
 吟遊詩人リョース。幼なじみで騎士修行中のウォルター。三人連れの冒険物語。『ハリ・ポタ』と比べ、魅力的なアイテムもゲームも出てこない、真っ当なファンタジーです。(hico)

『デルトラ・クエスト5恐怖の山』『デルトラ・クエスト6魔物の洞窟』(エミリー・ロッダ:作 岡田好恵:訳 岩席書店 2000/2002.12)
 カードゲームのカードのようなテカテカ表紙も良い、シリーズ。
 本当にシンプル。7つの宝石がはめ込まれていたベルト。一巻ごとに宝石が手に入ります。地図をたどって、宝石のある場所へたどりつくわけですが、その場所がサブタイトル。わかりやすいな〜。こういうのって結構ドキドキします。もちろん、必ず手に入れるのですが、残り30ページほどになって「おいおい、この状況で、あと30ページ、どう宝石を回収できるんだ? と心配になってくるのですが、それがちゃんと手に入る、ストーリー展開のうまさ。(hico)

『リューンノールの庭』(松本祐子:作 佐竹美保:絵 小峰書店 2002.12)
 日本児童文学協会、第一回長編文学新人賞作です。
 未散(みちる)は、童話作家水無月サナの代ファン。学校図書館で新作を借りようと思ったのに、すでに貸し出されていてがっかり。
 が、この水無月サナとは、未散の父親の妹だった。
 この辺りの強引さは、あっけらかんとなされているので、気にかけないほうが吉。
 サナから招待を受けて、未散が夏休みをサナの家で過ごすことに。
 大満足だったけど、行ってみると、サナは厳しい人物で、未散は使いたおされる。でも、サナには魔法力があるようで、それを学びたい未散は叔母の元で修行にはげむ。
 サナのキャラ立てが巧いです。新しくはないのですが、彼女の内面が時々覗けるような描きっぷりは、書き慣れている人だなと思わせる。展開されるエピソードたちも手慣れた感じで、それを気にしなければ最後まで楽しく読めるでしょう。
 好きな子は好きだろうな、かな。(hico)

『妖精の森へ・魔法少女マリリン』(村山早紀:作 教育画劇 2002)
 マリリンシリーズももう4作目。世界観が巻を追うごとに出来ていっています。
 今回は、いよいよマリリンがおじいさんにあたる妖精王のところに出かけます。たどり着くまでの事件の数々のテンポの良さ。語り口の生真面目さ。マリリンというより、作者の人柄が反映されていくのかな?(hico)

『楽園のつくりかた』(笹生陽子 講談社 2002.07)
 ふ〜、やっとファンタジーじゃない作品だ、ろうな?
 ある日ぼくは、母さんから突然告げられる。父方の田舎に引っ越すことにしたと。んなこと言われても困る。だって、ぼくは受験をくぐり抜け中高一貫教育の進学校の中二。それを、田舎の中学に転校なんて。
 だから最初から「ぼく」は四人しかいない田舎の学校をバカにしきっています。新入生である「ぼく」を何かと気遣ってくれても、うざい。山村留学の子、地元の子、どっちにしたって、ぶくは、一人情報不足の中で、がんばらなければならない。模試を受けたら、とんでもなく実力が落ちている。前の中学の友人たちに情報を流してと頼んでも、誰からも連絡はない。
 やぱり、なんで「ぼく」はここにいなければならないんだ。
 「ぼく」の心の動きを真っ正面から描いていて、結構やな奴である「ぼく」も親近感もてます。巧い。
 物語展開もスムーズで、落としどころも納得。(hico)

『テディベアの夜に』(ヴィヴィアン・アルコック:作 久米譲:訳 金の星社 1985/2000.12)
 ケイト一五才。何の問題もない家族。でも、彼女にはエマという名の姉がいた。亡くなったのではない。赤ん坊の頃に、誰かに連れ去られたのだ。
 そうした事実をやっと知ったケイト。
 そんな折り、母親の手紙を携えて、ロージーという女の子がやってくる。手紙には赤ん坊を誘拐した詫びと、ロージーの面倒を見てやってほしいと書かれていた。
 ロージーは果たして本当にエマなのか。もしそうだとしても、あまりにも家庭環境の違う所で育ったロージーはここでやっていけるのか?
 異様な設定を採用することで、物語は家族になる意味を語り直しています。
 何が真実か判らない中で日々を過ごすシンドさ、心と心が通じ合うことの難しさと、通じ合ったときの喜び。
 ロージーが現れたこと以外は派手なエピソードも事件もありませんが、自分とはなにか?を考え直すことなんかできると思う。YAの棚に相応しい一品です。(hico)