2003.07.25日号
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【絵本】 ○ぞくぞく翻訳、韓国の絵本 「スニちゃん、どこゆくの?」「つまんなくってさ」(ユン・クビョン文 イ・テス絵 小倉紀臧・黛まどか訳 平凡社 2003.6) 「トッケビのこんぼう」(チョン・チャジュン文 ハン・ビョンホ絵 藤本朝巳訳 平凡社 1996/2003.7) 韓国の子どもの本の出版が元気が良いと言う話をここ2、3年聞いていました。日本の絵本の翻訳出版がたくさん進められていますし、刊行点数も増えているそうです。日本ではというと今まであまり韓国の絵本の紹介に熱心ではなかったように思います。民話絵本でいくつか有名なお話が紹介されていただけだったような。けれどもセーラー出版からイ・オクベの「マンヒのいえ」「ソリちゃんのチュソク」が翻訳出版され、現代の暮しの様子が紹介された絵本として注目をあびました。そのあとチョン・スンガクの「こいぬのうんち」「あなぐまさんちのはなばたけ」が平凡社から翻訳され、大きな反響を呼び、韓国の絵本に多くの人の目が向くようになってきたようです。 これまで紹介されてきたものを見ると、グラッフィック的にも内容的にも穏やかでノスタルジックな絵本というイメージに括られるような気がします。今回紹介する3冊もそのイメージにのっとった絵本と言って良いでしょう。イ・テスが色鉛筆のやわらかなタッチを生かした細かなイラストで農村の様子を描いた「スニちゃん、どこいくの?」「つまんなくってさ」の2冊は韓国でもこのような農村を見るのは難しいと言われたくらい現代の子どもにとってなじみのないくらしを絵本化しているそうです。菊地日出夫の「のらっこの絵本」シリーズのような感じでしょうか。土地とくらしが有機的に結びついた情景を子どもの小さなうちに目に触れさせたい、体験させたいと思う気持ちが作り手の意志として強く感じられます。この2冊をみた50、60代の人が「懐かしい」と手にとる姿に本づくりの揺るぎなさを感じるとともに、この絵本を子どもと共有することで離れた世代をつなげていこうという姿勢もみられます。日本でどのように読まれるのかとても興味があります。 「トッケビのこんぼう」は良く知られた昔話の絵本化。日本の「こぶとりじいさん」のように正直者でうまくいったお話と強欲者でうまくいかなかったお話の2パートでできています。この絵本は表1から始まる正直者の話と表4から始まる強欲者の話がまん中のイラストでうまく処理されているところが特徴です。筆の勢いや絵の具の滲みをうまく使ったイラスト、トッケビの造型を日本でもなじみ深い鬼に似たものにしているところが目につきます。それが吉と出るかどうかは微妙なところ。トッケビは韓国の民話にでてくるトリックスターですが、鬼と思われてしまうとずいぶん印象が違ってしまうし、難しいなあと思います。 けれども、ここ1、2年続々と韓国の絵本が翻訳され、欧米中心の翻訳絵本の世界に違う風を吹き込んでくれることはとても意義あることと思います。このごろの各国の翻訳状況を見るとフランス、ドイツなどでもアメリカの翻訳絵本が増えていて、文化の一極化が絵本の世界でも進んでいるのかと暗澹とすることが多かったので。(細江) ○その他の気になる絵本 「すてきなあまやどり」(バレリー・ゴルバチョフ作・絵/なかがわちひろ訳 徳間書店 2002/2003.5) こぶたくんとやぎさんのセリフだけでどんどん展開するのが楽しい絵本。ページの左下に2人の会話の様子が描かかれ、ずぶぬれのこぶたくんがすっかり乾いて、お茶を飲んでのんびりするまでを目にすることができます。ページの右上では雨宿りにやってくるどうぶつたちがどんどんどんどん増えていく、一種のカウンティングブックの形態で展開し、ラストに観音開きの大きな絵。声を出してリズミカルなせりふを楽しみ、ページをめくって絵を読む楽しみが素直に満喫できるのがうれしい。小さな子どもがうれしくなってしまうかわいらしさと安心感にあふれた絵本。(細江) 「おひさまがおかのこどもたち」(エルサ・ベスコフ作・絵/石井登志子訳 徳間書店1898/2003.6) ベスコフ初期の絵本。この頃のベスコフはまだイラストにちょこっと説明的なテキストをつけるだけの絵本を作っていたようです。ストーリーテラーとしての自分にまだ気付いていなかった頃の作品といってよいでしょう。様式化された一枚絵で描かれる子どもたちの様子はさすがにいきいきとしていて素敵です。短い夏を体いっぱい使って楽しむさま、身近な自然や生き物たちの中に浸りきってすごす毎日のなんと豊かなこと。(細江) 「いたずら王子バートラム」(アーノルド・ローベル作/ゆもとかずみ訳 偕成社 1963/2003.6) ローベルにまだまだ翻訳されていない絵本があったとは。これはローベル初期のペンタッチの特色3色刷りの絵本です。人間くさいがまくんやかえるくんやふくろうくんとは違って、この絵本にでてくる人たちは人形劇の人形みたい。魔法使いも魔法で竜にされてしまったバートラムも不気味というよりかわいい感じ。それが他愛ないおとぎ話スタイルのストーリーによく合っています。小さな子が人形劇に好むのはどういうことなのかなあと、いつもその集中ぶりをみて思うのですが、この絵本でもよみきかせをしてみてそれを感じました。 いたずらでこまったちゃんだけれど、本の世界の(そっち側の)中の子どもだからこそ、ちょっと離れて笑ってみていられるのかな。(細江) 「どろんこどろちゃん」(いとうひろし作 ポプラ社 2001/2003.7) どろんこあそびや泥だんご遊びを題材に作られた絵本はたくさんあるけれど、どろんこそのものを主人公にしてしまったのはないのではないかしら。手や指を使って描かれた絵はどろんこあそびのべちゃべちゃしたりぬるぬるしたりする感触を目で味わわせてくれます。擬人化はとても単純な手法だけれど、幼児の心にダイレクトに伝わるし、絵本と実際の体験の橋渡しをしてくれるのがたのもしい。この絵本を読んでもらった子がぬかるんだ道を歩きながら「どろちゃんがよっこらしょってでてくるよ」とうれしそうにともだちに話していたのが印象に残っています。(細江) 「とこちゃんとおばけちゃん」(かわかみたかこ作 フレーベル館 2003.7) とこちゃんはとこやさん。お客がいなくてしょんぼりしていたところにやってきたのはおばけでした……。かわかみたかこの絵本はいつも幸せそうな感じがして楽しいのだが、絵本のイラストレーションとしてみるといっぱいいっぱいでどのページもテンションが高いなあというのが気になっていた。この絵本はそことのところがうまく整理され、ストーリーのひねりもきいて丁寧に作られた絵本だなと好感が持てる。見返しもお話のその後をきちんと追って、良かったねという気持ちで本を閉じられるのがうれしい。(細江) 「キリクと魔女」(ミッシェル・オスロ作 高畑勲訳 徳間書店 2000/2003.6) 1998年にフランスで公開された長篇アニメーションの絵本化。アフリカの民話に材をとったオリジナルストーリーのようだが、描かれているイラストはアフリカ民話の絵本化を多く手掛けるディロン夫妻のものにイメージが似ていて私にはなじみ深かった。アニメーションの絵本化にしてはイラストのトリミング、テキストの配置など本として丁寧に作られているのが気に入った。ストーリーは小さ子話という括りに入るのだろうが、日本で言う「いっすんぼうし」のように小さいけれど知恵も勇気も持ち合わせた子が難題を解決し、大人になるという骨格を持つ。印象的なのは魔女から魔(棘)を取り去ったキリクがその女と結ばれることで大人になるという設定だ。正邪合わせ持つものとして英雄譚。装飾的でありながらアフリカの自然にきちんと対峙しているイラスト、くっきりとした人物造型。見どころが多い。(細江) 『わたしの おべんとう』(スギヤマ・カナヨ アリス館 2003) こんなにシンプルに絵本の効果を巧みにつかって、読ませてしまう絵本も珍しい。 表紙が、ハンカチで包まれたおべんとうで、ページを繰るとサンドイッチや果物で一杯の中身。で、それを一つずつコメントしながら食べていく。これがなんだかとってもいいのだ。おべんとう一つにも物語があるのですよ。(hico) 『ぼくだけのこと』(森絵都:作 スギヤマカヨコ:絵 理論社 2003 1200円) 家族の中で、ぼくだけがえくぼが出来る。ぼくだけが何故か蚊にに刺される、という風にして、ページを繰るごとに、家から、世界へ拡がっていき、その中での「ぼくだけのこと」が語られる。 それは、自分で発見するものなんですね。 スギヤマカヨコの画とはピタリ。(hico) 『クェンティン・ハーター三世』(エイミー・マクドナルド:文 ジゼル・ポター:絵 ふくもとゆきこ:訳 BL出版 2002/200306.10 1300円) 大人から見て、非常にいい子のクェンティン・ハーター三世。小さな紳士です。 で、その影のクェンティン・ハーター三号は、最悪。 どっちもがどっちにもあこがれています。 だから入れ交わり・・・・。 そんな二人がへたに統合されないのがいいです。 画の奔放さは、物語のそれとマッチしています。(hico) 『しちどぎつね』(岩崎京子:文 二俣英二郎:画 教育画劇 2003 1200円) シリーズ最新作。 古典落語から採集した絵本。 読者を楽しまそうという努力の多くはすでに落語に含まれていますから、語りとは別の、書き言葉(読み言葉)への転換が重要。 描写のほとんどは二俣の画にまかせて、岩崎は会話の妙に力を注いでいます。とくに関西系の言葉は、書き言葉になると読みにくいものですが、会話にバランスを置くことで、リズムが生まれ、いい仕上がり。(hico) 『オオカミのひみつ』(きむらゆういち:ぶん 田島征三:え 偕成社 2003 1400円) 何者も怖くないオオカミくんだけど、尺取り虫だけが怖い・・・・のは秘密。 ある日ライバルのハイイロオオカミが現れ、ガチンコになるのですが・・・。 田島の力強い画と、ストーリーの軽妙さのアンバランスが、なんともおかしい絵本。 もう、その尺取り虫の多さと言ったら!(hico) 『キャプテン うみにいく』(マーガレット・ワイズ・ブラウン:文 ガース・ウィリアムズ:絵 ひがしはるみ:訳 徳間書店 1953/2003.05.31 1400円) 昔の絵本を出版するブームが起こってますが、これもその一冊。 船乗りになりたいキャプテン。車も地下鉄も飛行機も拒否して、ようやく帆船の船乗り募集、それも船長さん! に巡り会い、さ、海へ。 キャプテンは犬なんですが、ガース・ウィリアムズの画はその表情を巧く描いています。 海での冒険への憧れが、いっぱいつまってます。(hico) 『さあ 羽をあげるよ』(ジャック・タラヴァン:文 ピーター・シス:絵 いしず ちひろ:訳 1997/2003.05.15 1300円) 『マドレンカ』のピーター・シスが絵を担当し、不思議な物語が展開していきます。 神様がこの世を作ったばかりに頃、背中の過誤に羽を一杯入れた男の子があらわれ、鳥から昆虫まで、それまで持っていなかった羽をつけていきます。 でも嵐でかごがなくなってしまい、困った男の子ですが・・・・。 当然最初は羽のない鳥なんかが描かれ、羽をもらうことで私たちの知っている鳥になる。その感覚がなんとも不思議。 シスの画がいい。(hico) 『すてきな あまやどり』(バレリー・ゴルバチョフ:作・絵 なかがわちひろ:訳 徳間書店 2003/2003.05.31 1600円) ヤギさんの前にびしょぬれになって現れたブタくん。雨宿り出来なかった? 出来たけど・・・。 ここから、いろんな動物がページを繰るごとに大きくなる頭数も増えて、ブタくんの雨宿り場所にやってきます。どんどんどんどんきゅうくつになって。 この辺りの定番ストーリーはわかってるけど、やっぱり、おもしろい。 オチもいいしね。(hico) 『どうぶつえん』(アンソニー・ブラウン:作 藤本朝巳:訳 平凡社 1993/2003 1500円) そこいら中、アンソニー・ブラウンだらけの絵本。すごいわ。 パパとママと弟の三人で、動物園へ行くだけの話なんですが、画のそこここの遊び、皮肉、そして生き物への愛情。 そうしたものが隅々まで行き渡っている。 画のインパクトが大きいので、はまる子どもと引くこどもははっきり別れるでしょうけど、忘れられなくなるのは間違いなしです。(hico) 『エミリー ザ・ストレンジ』(コズミック・デブリ:作 宇多田ヒカル:訳 メディアファクトリー 2000/2003 1000円) 宇多田訳ってことが先行してしまいますが、でも宇多田が忙しい中訳したいと思った意味はよくわかる、なかなかいい絵本です。作者は一人ではなく芸術集団です。 画は前衛度が高い、つまりはちょいと懐かしい荒々しさが良いですが、好き嫌いははっきりわかれるでしょう。 「エミリーは、誰かとおなじものなんて欲しがらない・・・」「・・・欲しいのが喪失感」って言葉から始まりますが、お、一筋縄ではいかない、結構ヤな奴かもしれない。 こうして始まり、「エミリー」が次々と明らかになっていきます。 ありそでなかったアイディンティティ絵本。 『ぼくだけのこと』と比べて読むと、なおいっそうよろしいかと。(hico) 『うさぎのくにへ』(ジビュレ・フォン・オルファース:作 秦理絵子:訳 平凡社 1906/2003.04.20 1500円) これも最近の、「昔の絵本を出版」ブームの一冊。 森でおとうさんがきのこ採りにでかけている間に、捨て子と勘違いした母ウサギが連れて帰った双子のあかちゃん。体つきが違うからうさぎの着ぐるみをつくってもらって、カワイイの。 大変な出来事なのに、それが、一時の赤ちゃんの冒険として成立している。 もちろん最後は幸せな結末。 巧いな〜。 画も想定も古いけど、古くありません。(hico) 『ぱくぱく』(もも:さく・絵 岩崎書店 2003 800円) 「ちっちゃな命」シリーズ一巻目。小型絵本です。 小さな虫が一杯たべて、ねむって、やがてカブトムシになるまでを、シンプルに描いています。 タイトルもそうであるように、ページごとに、むしゃむしゃ がぶがぶなどの音が効果的、というか、印象的に付けてあり、親しみやすいでしょう。(hico) 『だいすきのたね』(磯みゆき ポプラ社 2003) しろくまの王子さまが見つけた種を植えたら、どんどんどんどん大きくなっていく。 王子さまも追い抜いて。 その育ち振りの早さ。 それを喜んでいる王子のカワイさ。 花も咲かない、実もつけない木だけど、王子はだいすき。 最後は「幸せな結末」です。 さしたることもない絵本ですが、王子の「だいすき」が伝われば、OK。(hico) 『とうとう とべた』(サラ・ファネリ:さく・え ほむら ひろし:やく フィレーベル館 2002/2003 1200円) さなぎから抜けだして成虫になったはいいものの、なかなか飛べないちょうちょ。彼女がいろんな人のアイデアで飛ぼうとするけれど、やっぱりなかなか飛べない。 その様子、彼女が必死なぶんだけ、どこかユーモラス。ふつうに飛べばいいのにね〜。 どのページもくすぐりが入ったコラージュ絵本。 スタイリッシュで大人にも楽しめます。(hico) 『ポスおばあちゃんのまほう』(メム・フォクス:文 ジュリー・ヴィヴァイス:絵 加島葵:訳 朔北社 1983/2003.05.10 1500円) オーストラリアの作品。 ポッサムやウォンバットなどオーストラリアの野生生物を主人公に、物語は進みます。 昔々、ポッサムのポスおばあちゃんと小さなハッシュがいました。おばあちゃんはハッシュが蛇にねらわれないようにと、透明になる魔法をかけたのですが、自分の姿を見たいハッシュ。で、見えるようにしようとしたら、そんな魔法は見つからない。こうして二人はオーストラリア中を巡り、様々な食べ物を食べ、魔法が徐々に(最初はシッポからね)解けていく。 色遣いといい、タッチといい、その爽やかさはかなりのもの。画を眺めているだけでも楽しい。 もちろん、徐々にからだが見えてくるって設定が画と合って、その喜びが巧く伝わってきます。(hico) 『駅のおかあちゃん』(まえだまさえ:作 鈴木博子:絵 講談社 2003.04 1600円) 駅のおかあちゃんとは、駅のホームでお掃除しているおばちゃん。タバコをポイ捨てしたりするマナーの悪い人は、大人子ども問わず、叱ります。だからかあちゃんみたいで、この駅をしようする人たちに愛されています。 ところがある日、彼女の事を知らない、コワーイお兄さんが空き缶を捨てたのを注意したら、怒ってきて・・・。 なんとも素朴な、でも動きのある画に、心温まるおかあちゃん像。 きっと20年後位いに、「タイトルはわすれたんですけど、駅におばさんがいて・・・」といった本探しがあるであろう、印象に残ってしまう絵本。(hico) 『ハーキン・谷へおりた きつね』(ジョン・バーニンガム:さく あきのしょういちろう:やく 童話館出版 1967/2003.05.10 1400円) 谷にありたら危険だと両親から注意されてたのに、好奇心旺盛なハーキンは、ないしょで何度も谷へ。 で、ついに人間に見つかってしまう。キツネがいるぞ、キツネ狩りだ! 家族に危険がおよんでしまったハーキン、さあ、どうする。 バーニンガムの画をたっぷり味わって、ストーリー展開の巧みさも楽しんで、ごちそうさま。(hico) 『ちいさな花火のひみつ』(ジミー・大西:画・作 長崎幸夫:文 角川書店 2002.12 1500円) ジミーの何や、わかったようで、よーわからん画に引きずられて、ズルズルページを繰ってしまう。 で、結局、「わからん」。 それでいいんだけどね。(hico) 『みんなの すきな 学校』(シャロン・クリーチ:文 ハリー・ブリス:絵 長田弘:訳 講談社 2001/2003 1600円) 『めぐりめぐる月』のシャロン・クリーチが文章を書いています。 みんな学校が大好き。校長先生のキーンさんも学校や学生が大好き。 な〜んも問題がない。 かと思うと、そうじゃない。 キーンさん、生徒や教師ができるだけ多くの時間を学校で過ごすのが幸せだと思ってしまって、土曜日を登校日にし、日曜日を〜。みんなは、キーン校長を好きですから、反対もできず、どうしたもんか。 みんなの表情がいいですね〜。(hico) 『だいすきとうさん』(さとうわきこ フレーベル 2003 1200円) トランペットも太鼓も巧いとうさん。演奏家でしょうか? 旅に出てしまい、ぼくはなんだかつまりません。 ともだちと遊んでいてもね。 で、ヘンな仮面をかぶった大人の男が近づいてくるけど、もちろんぼくにはそれがとうさんだとわかる。とうさんはいろんなお面を作って、ぼくのともだちと遊んでくれるのだ。 子どもより、おとうさんが読んで涙しそうな一品。こんなおとうさんになりたいいな〜、みんな。ムリか。(hico) 『なかよしおばけと いたずらネッシー』『なかよしおばけと ちびちびおばけ』(ジャック・デュケノワ:さく おおさわあきら:やく ほるぷ出版 2003.05 950円) おばけシリーズ最新訳。 おばけだから、黒い背景に白い彼らの活躍を描く、のではなく、彼らにいたずらしにくるものたちの動きがおもしろいです。 ネッシーなんかは最高。 ちっちゃな子は喜ぶよ、これ。(hico) 『ぼくみたんだ』(くろだせいたろう:え・ぶん アートン 2003.05.31 920円) 太陽、空、水たまり、ビル群・・・・・様々なところに見える、恐竜たち。 黒田の画が、まるで、ほんとうに見えるかのように、いや、見たい気持ちをかき立ててくれる。 最後の一枚がいいんだな〜。(hico) 『フィリップ村の とてもしつこい ガッパーども』(ジョージ。ソウンダース:文 レイン・スミス:絵 青山南:訳 いそっぷ社 2000/2003 1600円) たった三軒しかない、海辺の小さな村。どこもヤギを飼って生活をしているのですが、悩みの種はガッパ。イガイガのあるボール大のこいつは、ヤギが好きで体中にイガイガでひっつく。とヤギは気持ち悪く、ミルクをださなくなってしまう。ガッパをヤギから取って、海に捨てに行くのは、昔から子どもの仕事。袋に入れて海に捨てに行くけど、次の日には戻っている。それが延々続いているのね。 で、ガッパの中でも頭のいいのが考えた。海から一番近い、デキルちゃんチのヤギにくっついた方が、楽ではないか。 で次の日、ガッパたちはテキルのヤギにくっついていて、他の家のには全く着いていない。 さて、デキルはどうするのか? 寓話風の物語は、レイン・スミスの画とピタリと合ってます。 子どもではなく大人向けですね。(hico) 『おくすりちゃんとのめるかな? げんきがいちばん6』(木下博子:監修 牧田栄子:文 夏目洋一郎:絵 岩崎書店 2003 1300円) 薬の意味と、優しい飲み方、そして病気の治るプロセスを解説した絵本。 私も知らないことがあって、勉強になりました。薬とばい菌のバトルシーンもあり、楽しく読めるでしょう。 ただ、絵だけでなく、写真も欲しかったな。(hico) 【創作】 「ルチアさん」(高楼方子作 出久根育絵 フレーベル館 2003.4) 高楼方子の本は存在の不思議さを不思議のままに描き出す。このルチアさんという太った家政婦が2人の女の子にとってどんなに不思議な存在であったかを、そのからだがぼおっと水色に輝いているという一文で見せてしまう。その光の不思議をめぐってルチアさんの娘が母を見つめなおし、それを何年も経ってから手紙で2人に知らせるという構成になっている。どこかに思いをこらし、それを求め続けなくて入られない人、どこか遠くのキラキラしたものをここに居て心いっぱいに満たすことのできる人、どこかの事など思いもせず今ここのことで精一杯の人……。どの人もそれぞれにこの物語の中で居場所が与えられ、何かを思いめぐらす心の動きの不思議と強さを感じさせてくれる。しんと心を打つこの物語に琴線を震わせる子どもも確かにいるはずだと思われる。(細江) 「コララインとボタンの魔女」(ニール・ゲイマン作 金原瑞人・中村浩美訳 角川書店 2002/2003.6) 大きな古いお屋敷ほど何かが潜んでいるような、心震える感じのする舞台はない。コララインは引っ越しをして大きなお屋敷の1階にパパとママの3人ですむことになる。2階には元舞台女優の老婆2人とハツカネズミとすむ老人1人。パパもママもコンピューターを使った在宅勤務者。在宅勤務者の親をもつ子どもは親がうちにいるけれども、いつも仕事に心奪われてきちんと向かい合ってくれないという不満を持つらしい。そこからコララインはもう一つの世界にいくトビラをあけてしまい、ボタンの目を持つ魔女からママとパパを取り戻すことになるのだが。洋服ダンスに隠れてゴーストに出会うところはちょっとナルニア風、本当の両親を取り戻すのは雪の女王風、パラレルワールドの悪夢……などなどうまい具合にブレンドされているからすいすい安心して読めるのかな。どうしても気になるのが取り戻されたママとパパの様子。あまり以前と変わりないような。危険をおかしてまで取り戻さなくてはならない親だったのかしら。それとも形式的にでも親は居て、心の支えになってくれる他者がいればいいということなのかしら。コララインの周囲はこれで一件落着といった風でもないような、何かの不満や不安がまた違った形でやってくるような感じが今風でこわい。(細江) 『500年のトンネル』上・下 (スーザン・プライス著、金原瑞人・中村宏美訳、創元推理文庫。2003年6月/1998年) ときは21世紀、イギリスのハイテク企業が保有する「トンネル」は、16世紀のイングランドとスコットランドの国境地帯に通じている。ロマンチックな自然環境での観光や無尽蔵の地下資源などをねらった極秘の開発プロジェクトなのである。若い人類学者アンドリアは、連絡要員として16世紀世界に滞在して、粗暴で純情な辺境の住人との仲立ちをつとめている。と、ここまでの設定で「うわ、ハードSF?」と思ったら大間違い。設定は深追いしなくてもファンタジー世界にひきこまれる。 なにせ作者は『ゴースト・ドラム』などで荒々しい神話世界を描いてきたスーザン・プライス。未来人を「エルフ」と呼ぶ中世の辺境部族たちとの、予測を越えた対立と戦闘が繰り広げられる独特の世界は、牧歌的でありながらも血なまぐさいリアリティが息づく。戦闘シーンの迫力もかなりのもの。さらに、21世紀では「太めの大女」であるヒロインが、16世紀では「堂々たる美貌のエルフの乙女」として部族の王子ともいえる美少年と恋仲になっているというあたり、ロマンス好みの読者もひきつける要素が大。文明批評をふくむ骨太ファンタジー。ガーディアン賞受賞ということは、れっきとした児童文学。うーん、日本とは「児童文学」の社会的地位が違うなあ、とおもわされてしまうのだった。(seri) 『ソルジャー・マム』(アリス・ミード:作 若林千鶴:訳 さ・え・ら書房 1999/2003.04 1600円) 職業軍人であるママが湾岸戦争に召集される。大好きなバスケで奨学金をもらって大学進学が夢であるジャスミンは、母親のカレと1歳の弟と暮らすことに。家事も育児もできないジェイクのために、せっかくつかんだバスケのリーダーの位置も危うくなる。 ママはいつ帰ってくるかわからないまま、ジャスミンは少しずつジェイクを入れた「家族」を作っていくのかが読みどころ。 湾岸戦争にジャスミンは怒っているのだが、それは母親を奪われたのと、TVで見たアメリカ人の少年の人質のこと。視線はそれ以上には届いてはいません。 これはもう、アメリカ作品だし、しょーがない所。 当然のごとく『弟の戦争』を思い浮かべます。が、この場合も弟と戦場の少年の心がリンクしてしまうという、ホラーじみた設定が施されています。 ファンタジーしか無理なのかな? そういえばファンタジーって結構、戦好きだし。(hico) 『地獄堂 霊界通信2 VOL.4闇からの挑戦状』(香月日輪:作 前嶋昭人:絵 ポプラ社 2003.01 1000円) 「史上最強」の子ども3人組てつし、椎名、リョーチンが今回挑むのは? あちこちの工事現場でネズミが大発生し、仕事が進まない。やがて妖怪鉄鼠があらわれる。 今回はバリバリの環境問題です。めちゃくちゃ熱いメッセージが読者の子どもに向けて書かれています。大人への怒りに溢れています。熱すぎる気がしないでもないですが(といったら、そーゆー大人が悪いと怒られそう)、案外この方が子どもの中に、その問題が入ってくるのかもしれません。( hico) 『かめきちのおまかせ自由研究』(村上しいこ:作 長谷川義史:絵 岩崎書店 2003.06 1200円) 大阪弁で描かれる、とてもアホ臭い、夏休みの日々であります。長谷川義史の画が、もうはまっていて、言うことなし。 しょーもないことが連続で、ま、無事に自由研究は終えるのですがね。 かめきちの真剣さも含めて笑ってやってくださいませ。家族がまたな〜。 このタイプの物語、もっと欲しいね。(hico) 『川の少年』(ティム・ボウラー:作 入江真佐子:訳 早川書房 1997/2003 1500円) 1997年のカーネギー賞。 孫がおじいちゃんから、生を受け継いで行く物語です。 泳ぐのが大好きなジェス。彼女は家族一緒におじいちゃんの故郷でのバカンスが楽しみ。 でもおじいちゃんが倒れてしまった。まだ入院していなければならないのに、彼は三日で無理矢理退院し、予定道理、故郷へ。なんと車に棺まで積み込んで、死を覚悟のバカンスです。 画家でもある彼はどうしても仕上げたい絵があります。しかもそれは故郷でしか完成させられない。タイトルは決まっていて「川の少年」。でもあらかた仕上がっているその絵には少年の姿はありません。 川沿いのコテージに落ち着き、おじいちゃんは絵の続きを描こうとしますが、なかなかできません。一方河で泳いでいたジェスは誰かの気配を感じます。振り返るとそこには少年が・・・・。でもかき消えてしまう。 この少年がおじいちゃんの子ども時代の幻影であることは容易に察しは付きますが、おじいちゃん、両親、おじいちゃんの子どもの頃の友達、そしておじいちゃん自身が活き活きと描かれているので、謎を解くというよりむしろ、生と死がとても親和性をもって伝わってきます。(hico) 『ミニミニおばけのまじょっぴ』(藤真知子:さく 国井節:え ポプラ社 2003 900円) 藤のまじょ物最新作。 ちいさいけれど、りっぱなおばけ5人組のお話。 かれらがすむ家に人が越してくることに。おどかして追い出そうとするんですが・・・。 やってきたのは開業医でここを医院として使うつもり。 さっそくようすを見に来たのですが、ドラキュラくんは、検査用の血があるので大喜びだしミイラは新しい包帯や乾燥剤にご満悦。ホネホネはもちろんカルシウムに魅了されます。 この辺りのベタな発想は、小さな子どもにもよくわかり、とても巧い。やがてかれらはお医者さんの役に立つことになっていくんですが、一人まじょっぴだけが浮いている。彼女がこの病院でやりたいことやれることが見つかるまでゆっくりしておこうよとのメーセージもいいですね。 低学年にはなかなかいい物語ないのですが、さすがに藤はツボを心得ています。(hico) 『おすのつぼにすんでいたおばあさん』(ルーマ・ゴッテン:作 なかがわちひろ:訳 徳間書店 1972/2003 1200円) ゴッテンの家で語り継がれてきた昔話とのこと。 おおきなおすの壺の一回に台所、2階は寝室にしてネコのモルトとつましい生活をしている、おばあさん。 拾ったお金で買った小魚を、かわいそうに思って湖へもどす。と、そいつは魚の王様らしく、おばあさんに次々贈り物を。段々調子に乗っておばあさんの要求度は高くなり・・・。 似たような昔話はありますが、家庭で口承で伝えられてきたものが、どんな風なお話になるかが、面白い。 もっともこうしてゴッテンが書物として物語化した時点で、それは途絶えるのですが。(hico) 『おばけとなかよくなる方法』(むらいかよ:作 ポプラ社 2003.03 900円) 「おばけマンションシリーズ」二作目です。 おばけの国ポヨヨンの牢獄ナシカトラズを脱獄したリップXが、復讐のために大王の娘モモちゃんを捕まえにやってきます。 大ピンチ! マンションの住人それぞれのキャラもシンプルに立てていて、わかりやすいでしょう。大人には煩雑に思えるページのそこここでの解説やサービス。実はこーゆーところの作り込み度が大事なんですね。 そして今回赤ちゃんおばけのプチ・ポチが大活躍。どんなに小さくても、自分を活かせばいい。そんなメッセージです。(hico) 『いじわるロージー』(キャサリン・パターソン:文 ジェーン・クラーク・ブラウン:絵 片岡しのぶ:訳 あすなろ社 1991/2000.10.15 650円) 牛のロージーは、どうしようもなくいじわるで、暴れん坊で困っている。でも、何故かマービン君とは友達。 とうとう牧場は引き払われロージーも売られていく。 当然落ち込むマービン君。 パパやママが何を言ってもだめ。 物語はここで、マービンの心が回復していく様を、子どもの空想を借りて描いていきます。いいのは、その空想に両親がちゃんとついて行ってること。 そうして、マービンの架空のロージーは、カレにとって本物となるのね。 暖かいよ。(hico) 『フランチスカと くまのアントン』(ヴェルヘルム・トプシュ:作 ダニエーレ・ヴァンターハーガー:挿絵 齋藤尚子:訳 徳間書店 1999/2003.03.06 1400円) フランチスカと友達になった、くまのアントンは一緒に暮らし始めます。互いの習慣の違いや誤解で、ユーモラスな共同生活が描かれます。しかし、後半村を救うためにくまの毛皮を山賊に差し出すこととなり・・・。 フランチスカとアントンの仲良しっぶりを示すエピソード満載で、それが心をホクホクさせてくれます。後半の事件の解決は、ナルホドだし。 130ページほどの小さな物語。長いファンタジーもいいけれど、たまにはこんなのもいかが? 案外、新鮮ですよ。(hico) 『2年2組はいく先生 松井ばしょうくん』(那須正幹:作 はたこうしろう:絵 ポプラ社 2003 900円) 2年生シリーズ第2作。 これを読むことで、何かに詳しくなれる、実用子どもの本です。 今回は俳句。 運動神経0のおとうさんだけど、俳句が巧い。ので、ぼくは俳句を習う。 学校や外遊び、様々な場面で様々な出来事が起こり、ぼくは俳句を作っていく。 物語運びが巧みなので、俳句が作りたくなってくる。きっち、そんな子ども読者がでてくるでしょうね。 敷居の低さもさすが。(hico) 『白鳥とくらした子』(シシリー・メアリ・パーカー:作・絵 八木田宣子:訳 徳間書店 1938/2002.11.30 1900円) これはもう、「幸せな結末」が本当に「幸せな結末」としてまっすぐ描ける時代の、正当な児童書です。 絵本に関しては、何度も書いていると思いますが、物語にも、今では絶対に描けないし描いたらウソになるものがあり、これもその一つ。 ですから、1938年のをそのまま差し出してくれるのは、本当に嬉しい。 スーザンはおとうさんが航海にでたために、世話をするおばさんが雇われるのですが、これがとんでもない人で、スーーザンをこき使い、果ては、もらったお金をネコババ(死語か?)しようと、村を出て、見知らぬ街に引越ます。もちろんスーザんは屋根裏部屋に閉じこめられたまま。 彼女を救うのが、村で可愛がっていた白鳥たち。 少女の置かれる設定は『小公女』です。 しかし、昔話も含めて、どうしてこう、世の男は、女を見る目がないのでしょう。 画も作者が描いていて、文句なしにいいです。 読んであげてくださいな。(hico) 『どんまい』(青山季市:作 山口みねやす:絵 学習研究社 2003.03 1200円) 第11回小川未明賞作品。 みつおから鉄ちゃんと呼ばれているぼく。僕が鉄道大好きだからだ。で、ぼくは言葉が話せない。というか、家族の中なら大丈夫だけど、外ではしゃべれない。もちろん学校でも。そんなぼくをみつおは友達にしてくれていて、嬉しい。 という立場にいる少年と、ボケが入った元鉄道員のおじいさんの物語。 C11という蒸気機関車が置かれた公園がある。大好きなぼくは、いつもカウンセリングの帰りなんかにここに来る。今日はみつおも一緒で、頼みがあるという。 みつおの家はラーメン屋なのだが、あるボケ老人がラーメンを食べに来てもお金をはらわない。両親は、知り合いなので気にもしていないのだが、みつおは許せない。で、ゲーセンで流行っている機関車のシミュレーションゲームをこの老人はしているらしい。もちろんばくもそのゲームが好きでやっているわけ。だから、この老人にゲームで勝ってくれというのだ。 みつおが帰ったあと、公園にやってくる老人。柵を越えて、展示してあるC11に乗り込み運転を始める。ああ、この人がみつおが行っていた老人だ。ぼくは闘うより、この元プロの機関士にあこがれを抱く。ぼくをいつのまにか助士だと思いこんでしまった老人。 かんもくの子どもの物語に、老人の物語が絡んできて、なかなかうまい展開です。 ラストができすぎ。それと「ど・ん・ま・い」というタイトルは疑問ですが。(hico) 『しゅくだい なくします!』(ごとうりゅうじ:さく さとうまきこ:え ポプラ社 2003 800円) 1ねん2くみ「ごんちゃん」シリーズ最新作。 ベタではありますが、タイトルでつかみはOKです。 時代背景などあんましわからないのですが、ごんちゃんのキャラが立っているので、どんどん読めるでしょう。けっこう先生ともガチンコするんだよね、この子。 とにかく動きがあって、学校のある一日のある部分だけを描いていて、楽しさは伝わるでしょう。(hico) 『まあくん すきだよ』(鹿島和夫:文・絵 ポプラ社 2003.06 1000円) 鹿島自身による、教室の一人の子どもに焦点をあてた写真絵本シリーズ。 今回のまあくんは、男の子になじめません。運動が苦手だったりね。プロレスごっこで痛めつけられたり。 そんな中から、彼がどう教室の一員となっていくか、いや、彼は他のみんなにどう発見されていくかが、写真に切り取られていきます。小説じゃ、ちょっと書けない世界です。(hico) 『エディンバラの光と影』(ジョーン・リンカード:作 定松正:訳 さ・え・ら書房 1600円) 十五歳のエミリーには親友がいて、裕福で、何の問題もない日々を送っている。が、ある時見知らぬ女の子が自分を尾行していて、ついにその子と出会う。イヴと名乗った彼女は、誰かに似ているような・・・。エミリー自身に。で始まるのが、『エディンバラの光と影』(ジョーン・リンカード:作 定松正:訳 さ・え・ら書房 1600円)。イヴはエミリーの母親が違う姉だという。ロンドンでエミリーの父親はイヴの母親と愛し合うようになった。イヴはエミリーより三ヶ月年上の姉。母親は亡くなっていて、今は怪しげな男とホームレス暮らし。父親と妹に会いたくて、ロンドンからエジンバラにやってきたという。 にわかに信じがたいエミリーですが、父親の様子がヘンなこと、彼がイヴと会っていることを知り、事実だと確信します。でも母親には話せない。知っていることを父親にも告げられないエミリー。そんな彼女にイヴは近づき、親しくなろうとする。 親の秘密を抱え込むエミリー。両親を別の目で見始めるエミリー。 もはや、幸せな子どものままではいられないわけ。子どもが大人になるとき、親や大人や社会にサポートしてもらう。ではなく、大人の弱さを受け入れることから始まる。そんな設定は、今の時代を反映してると思う。 物語運びは巧く、一気です。(ひこ・田中) 『ヘヴンアイズ』(デイヴィット・アーモンド:作 金原瑞人:訳 2000/2003 1500円) 『肩胛骨〜』で、世界の新しい描き方を示してくれたアーモンドの新訳。 今回も、マジックリアリズムが全開です。 この作家の技は、なんでもない設定からすこしズラした設定を、なんでもないように語り始め、徐々に読み手を、アーモンド・ワールドなんてなんでもない当たり前の世界のように思わせてしまうこと。 今作の場合、まず孤児院。もちろんなんでもないけれど、多くの読者には特殊な場所。語り手はエリン・ロー。男友達が二人。ジャニュアリー・カーとマウス・ガレイン。このネーミングは名前のわからない孤児に仮につけられた名。ここですでに、アーモンドは読み手を誘う。例えば『ゲド戦記』のように通名と別の真名があるとすれば、ここでは、真名が棚上げされたまま、通名が出来事を進めて行く。 エリンたちは、この孤児院が気にくわない。責任者のモーリンは大嫌い。だからたびたび脱走するも、帰還。 今回、ジャニュアリー・カーが作った筏で、脱走することに。 これなら、流れに任せて、「自由」を手に入れられる! 当然ながら読み手はここで、『ハックル・ベリー』を想起するに違いない。そしてその物語がそうであったように、今回もまた帰還してしまうであろうことも。 私は、この物語は先行する多くの物語を参照して、それをアーモンド風にアレンジしたものだと思う。田口なにがしの剽窃とは違い、これはまことに真っ当な物語の生成方法。 アーモンドの優れている所は、参照しつつ、そこに、独自の(といってもとてつもなく、ではなく)キャラクターを登場させ、世界の描き方を変えてしまうこと。 水かきのある女の子と、彼女を拾いそして頑なに守ろうとする老人(『少女ハイジ』だよ)が、泥の中から探そうとする聖人(映画『タイタニック』の彼ね)。 物語は予想道理に、帰還する。ただし一人、水かきのある女の子が増えている。 が、その事態になんの説明も物語も語り手も加えない。 そうであったからだけなのだと。(hico) 『ハングマンゲーム』(ジュリア・ジャーマン:作 橋本知香:訳 偕成社 1999/2003.07 1400円) おー、久しぶりにリアリズムである。 トービィーはうんざりしている。というのは、幼なじみだけど、どこか人付き合いがヘタで、自分の世界を生きているため、学校で必ずハジかれてしまうダニーが、やっと違う私立に行ったと思ったらそこでも巧く行かなかったらしく、トービィーの中学に転校してくるのだ。 クラスには優等生であり裏の顔はいじめっ子のリーダーニックとそのグループがいる。もし、ダニーと親しくすれば、トービィーが標的にされてしまう可能性がある・・・。 結局トービィーは後ろめたく思いつつも、ニックに付く。さっそくニックの巧妙なダニー攻撃が始まる。なのに、トービィーは助けてくれない。 ダニーの母親と自分の母親が親友なので、トービィーは親の前ではダニーの友達の振りをする。そんな自分も嫌。 どんどん追いつめられていくダニーにはらはらしつつ、煮え切らないトービィーに腹立たしくも、彼の気持ちもわからないことはない。という微妙な立場に読者は置かれます。 後半の学習旅行で、ニックのグループとそこに入ってしまっているトービィーとダニーの5人が同部屋になってから、ニックの行為はエスカレート。 トービィーは最後までかっこ悪いし、ニックが反省したかもわからない。ダニーはまた転校。 後味が悪そうな終わり方なのですが、そこがリアルで買い。 最初に登場人物表があるのは賛成。読書力落ちてるから、こういうのをつけとかないと、分けわからないようになる読者がいたら、もったいないので。(hico) 【評論】 『私とファンタジー8 メアリー・ポピンズ』(堀切リエ) http://www5d.biglobe.ne.jp/~d-momo/fan09.htm 『お姫様とジェンダー』(若桑みどり著、ちくま新書。2003年6月) 女子大でジェンダー学を講じる著者が、素材とするのは「白雪姫」や「シンデレラ」などのディズニー・アニメである。なるほど、上目遣いで身をくねらす女が登場するあれね。そんな皮肉をいう人は脇に置いて、主体は女子大生である。彼女らがなぜ授業中におしゃべりするのか、それは「公人」として扱われたことがないからである、という考察に、まずは納得。つまりジェンダー学の本にして「現代女子大生論」でもあるのだ。昔話で「お姫様」への憧れを育んできた女子大生たちは、プリンセスになって王子様と結ばれることに憧れつづけている。その事実から出発するのだ、と言い切る著者のいさぎよさが、うつくしい。 小人が白雪姫を置いてくれるのは家事をしてくれるから、王子が好きなのはシンデレラ個人というより小さい足、など、授業のなかでは学生から驚愕の指摘が出てきて、それに率直なとまどいを示す学生もいる。引用された学生たちの感想の数々が興味深い。(seri) 『若者はなぜ怒らなくなったのか』(荷宮和子著、中公新書ラクレ。2003年7月) 団塊ジュニア世代の言動を、ランキング文化やネット掲示板などの具体例を豊富にあげて考察した「いまどきの若者」論。若者の特徴を、受身で無気力な「決まっちゃったものはしょうがない」症候群と喝破。その源流を、親である団塊世代の権威主義的多数派志向にみる。なんでハリポタやキムタクが一人勝ちなのか、世論に不信感をおぼえる向きには共感をさそうだろう。「殺す」側にむやみと加担したがる心性の蔓延など、しらないうちに増えている危ない現象への指摘もするどい。著者は、少数派を自認する「女子供文化評論家」で、その芸風は故ナンシー関に近く、すこし痛々しい。(seri) 『魔法のファンタジー』(ファンタジー研究会編、てらいんく。2003年7月) 1981年以来毎月一回、内外のファンタジー作品の読書会を続けてきた会によるレポート集。「魔法」を扱う作品の紹介や再読をつうじて、ハリー・ポッターに代表される現在のファンタジー出版ブームに一石を投じる。 総論のひとつ「魔法のファンタジーと現在」(きどのりこ)は、作品と子どもの関係を軸に古典以降の歴史をふりかえりながら、ゲーム感覚の「自己投入・異世界冒険型」ばかりではない多様な幻想世界の必要をとく。ここにみられる「ファンタジーにしかなしえないこと」への愛は、いまだからこそ強調されていいかもしれない。 「絵本『ナイトシミー』に描かれた大魔法」(灰島かり)は、絵本の表現論のかたちをとりながら、「子どもにとっての魔法の効用」とでもいうべきものについて、とても魅力的な指摘をしている。マントや変装マスクといったアイテムがひきおこす「小魔法」と、子どもの文学にとって核心的な課題でもある「大魔法」について、表現にそくした論のすすめ方には、じつにほれぼれした。 特権的な能力としての魔法を使って他者にたいする優位をかちえることへの満足とつながりがちな読後感を手がかりに、ファンタジー読者の「闇」へせまった「魔法を使う主人公たち」(内川朗子)にも誠実さを感じた。 欧米中心になりがちなテーマだが、珍しいところで「中国の魔法あれこれ」(河野孝之)なども。小川英子、佐々木江利子のコラムは、古典のモトネタや珍種などにも言及して、ファンタジーの多様性におもいをめぐらすのに好適なバラエティぶりである。(seri) |
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