2003.12.25

       
【絵本】

へんてこぶりがすき。たかどのほうこの本。
「へろりのだいふく」(たかどのほうこ作 たかべせいいち絵 佼成出版社 2003.11)
「がんばりこぶたのブン」(たかどのほうこ作 あかね書房 2003.11)
「へんてこもりのきまぐれろ」(たかどのほうこ作、絵 偕成社 2003.12)
 へんてこなのはかわいいと思う。偏屈でも愛嬌があって、まわりの人がくふふふと笑ってしまうそういう人がいると、子どもは生きるのが楽になると思う。大人だってそうだ。そういう存在は絵本や子どもの本の中にはたくさんいる。「おじさんのかさ」や「ルラルさんのにわ」のなかのおじさんたち。メアリー・ポピンズやイーヨー、がまくんやかえるくん……。たかどのほうこはそういうお茶目で偏屈で愛嬌のあるものを描くのがとてもうまい。意識して描いているように思う時がある。そういう存在が必要だと確信して、あの手この手でこの世界に存在させようとして。おちゃらけて、きまぐれで、その中にはあたたかなまなざしでじっと相手の事を見つめている目がかくれている。それは真に大人の態度だと思う。そういう態度を持って、子どもの本を描くことのできる作家が3、4人しかいない現在だからこそ、このように本が刊行されるのだと思う。
「へろりのだいふく」は紙を食べるのが好きなヤギの習字の先生がでてくる。堅物で動物たちの尊敬を受けているヤギさんなのだが、おいしい紙を食べすぎて奇病にかかってしまうのだ。そのてん末がなんともゆかい、ゆかい。イラストは雰囲気はでているのだが、白地の紙に線画でかかれていると、そのおもしろさがうまく伝わらないきらいがある。もう一工夫ほしかった。
「がんばりこぶたのブン」は子どものいじらしさが良く伝わってくる。こういう子いる、いる。ラストのオチもかわいく決まって、まわりのお友達の様子まできちんと読み込めて小さいけれどしっかりした物語になっている。
「へんてこもり」は人気シリーズの4作目。本の主人公がにげちゃった、さがしにいこうとまるぼと子どもたちが出かけます。かわいいキャラクターが次々とでてきて、たのしい。巻末にはみんながうたっているうたの楽譜までついていて、お得な感じがします。(ほそえ)

○絵本
「あるいて あるいて」(湯浅とんぼ作 いとうみき絵 アリス館 2003.11)
遊びうたをたくさん作っているとんぼさんの絵本。テキストがうたになっていて、イラストの下に楽譜がついています。巻末に楽譜がついている絵本はたくさんでていますが、こういうのははじめてみました。「あるいて、あるいて○○になれ」というと次のページでは「ランラン、ララララ、ランランラン……」とアリになったり、うさぎになったり、かいじゅうになったり。お散歩する先生と子どもたちが変身します。
ページをめくる楽しさも工夫して、絵本としても楽しめるようにきちんと作られています。でも、これはうたをぜひ覚えて、外であそんでほしいな。そうすることで完成する絵本だと思います。同時刊行で「ふうせん」(森川百合香絵)もあります。(ほそえ)

「すべての子どもたちのために 子どもの権利条約」(キャロライン・キャッスル文 池田香代子訳 ほるぷ出版 2000/2003.11)
子どもの権利条約の中から14を選んでそれぞれ子どもの本に関わる画家がイラストをつけている。その解釈がイラストになって現れているのがおもしろい。説明的でなく感覚に訴える様が今までの子どもの権利条約に関する本と違ってユニークだ。売り上げの一部がユニセフに寄付される。(ほそえ)

「ダサいぬ」(ダン・ヤッカリーノ作 もとしたいづみ訳 講談社 2001/2003.11)
あおいたこのオズワルドのアニメで認知されたヤッカリーノの絵本。格好がださいよ、といろんな犬やねこやきんぎょにまでばかにされているぼく。隣にひっこしてきた犬に「レトリーバーだ」とうそをついてしまって……。でも、ラストでは隣の犬もぼくと同じダサ犬っていわれるパグだった!うれしい、よかった。というオチ。でも、これって今刊行するオチじゃないよなあ。同じ種(人種?犬種?)じゃないとなかよくなれないっていうのはちょっと問題アリでは?絵が良くてもなあ。たかが絵本だけど、こういうの気にならないのかしら。(ほそえ)

「きつねのかみさま」(あまんきみこ作 酒井駒子絵 ポプラ社 2003.12)
きつねと幼い姉弟が出会って別れるお話。不思議の中に入っていく様子がさりげなく、でもきちんと描かれている。酒井駒子の描くきつねはきちんとしたきつねでちっともキャラクター化されていない。それがお話を成り立たせている。姉弟の表情はあどけなく、不思議を不思議と思わない時期の子どもの様子がでている。こういうなにげないお話を成立させるには細かな言葉の選び方、イラストの添わせ方など細心の注意を払って作られなくてはならないのだ。だからこそ、読者は大人も小さな子どももするりと不思議に身をゆだねられる。(ほそえ)

「ゆきのおしろへ」(ジビュレ・フォン・オルファース作 秦 理絵子訳 平凡社 1905/2003.12)
オルファースの処女作が翻訳された。お母さんの帰りを待つ御留守番の女の子が雪の子に誘われて雪の女王のお城へ遊びに行ってしまう。楽しいパーティ、仲良しになったおお姫さま。端正な絵で描かれる。ゆきて帰りし子どもの姿をこんなにしっかりと描けるなんて。ラストの子どもを迎えるお母さんのうれしそうなこと。(ほそえ)

「しろしろのさんぽ」(中新井純子さく、え BL出版 2003.12)
ニッサン童話と絵本のグランプリ絵本大賞受賞作。しろしろはしろいへび。お絵書きが好きでチョークをくわえて、いろんなところに落書きします。夕立ちがやってきてしろしろのおえかき散歩はおしまいだけど、お父さんが今度はいっしょにいこうよと誘います。お話の作りはシンプルで親しみやすい。絵はマチエールに工夫され、キャラクターの造型は単純に幼い子でもわかりやすいように様式化されています。そのバランスがうまくいっているかな。2作目はこの抜けた感じのキャラクター造型でどれだけきちんとしたお話を構成できるかが続けていけるかどうかのカギになると思います。(ほそえ)

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『ハンフリー おやすみのじかんよ』(サリー・ハンター:作 山口知代子:訳 ぶんけい 2000/2003.09 1500円)
 子象のハンフリーにはおねえさんのロティと弟のジャックがいます。
 今作では、ロティがおねえさんぶって、彼らを「おやすみ」させようとするお話。
 でももちろん、なかなかいうことを聞いてくれません。ロティとしてはおねえさんぶりたいから、自分はまだ「おやすみ」の時間じゃないけど、ハンフリーたちはそうだと、言います。
 でもこれがなかなかうまくいかない。
 怒り出すロティ。姉弟間の紛争です。
 ありがちなエピソードをありがちなラストまで描いているのですが、こうした絵本はいつもある方がいいので、ロングセラー物だけではなく、新しいのもあるのが吉。(hico)

『風さん』(ジュビレ・フォン・オルファース:作 秦絵子:訳 平凡社 1910/2003.09 1500円)
 古典絵本です。
 画も、色遣いも目をひくわけではありません。オルファースらしい穏やかさです。
 ハンス少年が風さんと遊ぶ時間。それは「自然」と戯れる子どもの姿なのですが、都市型社会(これは都市だけではなく、田舎にまで浸透しています。車でコンビニに、なんてね)では存在しがたいものです。けれど、こうして古典をよみがえらせると、「自然と戯れる子ども」の姿を知ることができるのです。このままの世界に立ち戻るのは不可能ですし、無謀ですが、都市型の中に取り込めるかもしれない、という発想を得ることができます。(hico)

『動物たち』(三沢厚彦 理論社 2003.12 1300円)
 様々な動物が、ページごとに描かれています。
 その画のおいしさを味わってください。一匹一匹が、例えばキリンだと、それはキリンであるだけではなく、どこかにいる固有のキリンだと感じられます。
 パラパラと何も考えず、感じて、眺めるのが吉。(hico)

『世界をみにいこう』(マイケル・フォアマン:作・絵 長田弘:訳 フレーベル館 2003.10 1300円)
「あさがきたよ。さあ、でかけよう。いっしょに、世界をみにいこう」
 朝、大人のクマに起こされた少年。手を取り出かけます。ネコがアヒルが犬が、と仲間がどんどん増えてきて、「世界をみにいこう」とは? という疑問に向けて歩いていきます。
 その姿は希望に満ちています。
 夜が来て、みんなが知ったことは?
 上り坂を生き物たちが並んで歩く様が、物語にリズムを与え、流れを作ります。それが、読む者の興味を引きつけていく手腕はさずが。
 こんな風な世界のとらえ方もあるのだというのが、子どもに伝わればそれでOK(hico)

『どんぐりざかの あそびうた』(ひろかわさえこ ポプラ社 2003.11 1200円)
 最後に主題歌がついている「もりのうさぎのうたえほん」シリーズ第2弾。
 ウサギの夫婦と5人の子ウサギ、今度はドングリを拾いに出かけます。
 なんのこともないただそれだけの作品なのですが、安定度があります。へたに主題を探すより、楽しく読み終えれば、それでいいのです。(hico)

『ミランダの大ぼうけん』(ジェームズ・メイヒュー:作 佐藤見果夢:訳 平凡社 2002/2003.10 1300円)
 絵画コンクールで優勝したミランダ。ごほうびは気球に乗ること。が、乗り込んだとたん、ロープが切れて、ミランダは世界中を巡ります。
 次から次へと、様々な国に降りるミランダ。日本が、パソコンしている女の子なのは、そーか〜、ですが、だんだん気球の操縦も巧くなっていくミランダが、この不慮の事故による冒険を楽しんでいる様は、気持ちいいでしょう。(hico)

『そばやのまねきねこ』(村田エミコ:作・絵 岩崎書店 2003.10 1200円)
 活きのいい木版画の絵本。
 いつもまねきねこばっかさせられている「まねきねこ」たちは退屈な日々。
 だから、各店のまねきねこたちが夜中、店から出て、公園で遊んでいたのですが・・・・。
 それぞれの店のまねきねこの表情が結構リアルでユーモアに溢れ、作者の腕の確かさが伝わります。
 木版の暖かさもいいですね。(hico)

『ホッペル、ポッペル、それともストッペル?』(マックス・ボリガー:ぶん ユゼフ・ヴィルコン:え さかくら ちづる:やく 評論社 200/2003.09 1300円)
 アイデンティティ物。
 三匹の子うさぎ、ホッペル、ポッペル、ストッペル。
 それぞれが、りす、はりねずみ、子ぎつねの出会い、友達になろうと、自分の名前を告げますが、本当にその子うさぎか判断出来ないと、断られてしまいます。
 しょんぼりの三匹。心配した母うさぎは、三匹を旅に出します。
 さて、彼らは?
 自分がしたいことが、朝日を見ること、天高くある太陽を見ること、夕日を見ることと、同じ太陽の違う姿を見ること、ってのが、巧いですね。
 大変な冒険をして、アイデンティティ得るのじゃないことも。(hico)

『ひでちゃんと よばないで』(おぼ まこと 小峰書店 2003.11 1400円)
 一見なんでもないようなタイトルですが、そこには大きな問題が横たわっています。
 舞台は戦中下の台湾。
 すすむはひでちゃんって女の子と大の仲良し。
 二人の楽しい日々が描かれていきます。
 しかし、日本の敗戦。
 「ひで」ちゃんは、本当の名前はホアン・ショウラン。彼女は台湾人として生きていくのです。
 日本へ帰るすすむ、のこるホアン・ショウラン。あんなに楽しかった日々があったのに・・・・。
 この絵本、大事な歴史の1ページを、分かりやすくギュとつめてます(hico)

『おしゃれ だいすき エリエットひめ』(クリスチーヌ・ノーマン・ビールマン:作 マリエンヌ・バルシロン:え やました はるお:やく 佼成出版 2002/2003.11 1300円)
 エリエットひめは、ひめといっているようにお姫様系ドレスが大好きな女の子。
 でもママは外は寒いからと、おしゃれと関係のない防寒服しか着せてくれません。
 しょーがなく、友達と雪遊びするエリエットは、マフラーを、セーターを利用する。
 もうその元気なこと。
 お姫様ドレスでは叶わなかった遊び。
 でもやっぱりお姫様系が好きなのがいいです。(hico)

『おしゃぶり だいすき ニーナちゃん』(クリスチーヌ・ノーマン・ビールマン:作 マリエンヌ・バルシロン:え やました はるお:やく 佼成出版 2002/2003.11 1300円)
 上と同じコンビの絵本。
 今度は「おしゃぶり」を絶対に離さないニーナのお話。何しろ大きくなって結婚式でも、おしゃぶりは外さないと断言するニーナ。その愛着ぶりといったら!
 さて、もちろん物語はいかにしてネーナがおしゃぶりを手放すようになったかに向かって進んでいきます。
 ニーナの表情、仕草など、活き活きしています。(hico)

『おちばがおどる』(いとうひろし ポプラ社 2003 950円)
 落ち葉たちが組み合わさって、様々な生き物のようになり、森で踊ります。
 その楽しさは、見ないとわかりませんね。
 白抜きの背景に、落ち葉たちが楽しそうです。(hico)

『フランチェスカ』(ステファニー・ブレイク:作・絵 ふしみまさを:訳 教育画劇 2001/2003.10 1300円)
 とても癖のある画なので、それだけでもう、パス!
 にもなる絵本です。
 しかし、それはまあ、フランス発の絵本はそんなのが多いのですから、気にしない、気にしない(嫌いな方は、見なくてもOK)。
 どちらも調理大好きの母と娘。であるが故、大げんかして、家を飛び出したフランチェスカは、いかにも自由に見えるネコになりたいと願うと、ネコになってしまう。
 ここら辺りの展開のとてつもなさは、気にしない気にしない。
 家族は娘がいなくなってパニック。両親と妹は探し回り、でも見つけたのは野良猫(彼女ね)。飼われることとなりますが、そこからどうなることやら・・・。
 日本語版用に追加された画と言葉は、いらなかったと思います。作品のバランスが壊れますから。それと気になったのは日本語のフォント。これでいいかな〜。絵本ではとても読みにくいのです。
 あ、でも、「家族」絵本として読んでおいて欲しい作品です。(hico)
 
 
【創作】
『アナベル・ドールの冒険』(アン・M・マーティン/ローラ・ゴドウィン作、三原泉訳、偕成社、2000/2003)

 100年前の古いドールハウスで暮らす人形のパーマー家。パパ・ドール、ママ・ドール、ドールおじさん、アナベルと弟のドビー。持ち主は、今はおばあちゃんになったキャサリンから孫のケイトに受け継がれている。もうひとつ、ケイトの妹ノラの誕生日の贈りものは、現代的なプラスチック製の人形の家とファンクラフト一家(パーマーもファンクラフトもメーカー名である)だった。ファンクラフト父さん、母さん、ティファニーと弟のベイリーと赤ちゃんのブリトニー。パーマー家に、100年目にして「お隣さん」がやってきた。
 物語は、アナベル・ドールが、数十年間行方不明のサラおばさんを探す冒険を軸に進んでいく。ミニチュアの視点、そこに投影される人間性(この場合はアナベルの冒険心や友情への憧れ)、人形の生と人間の暮らしのギャップといった伝統的な部分もさることながら、素材も暮らし方も何もかも違うパーマー家とファンクラフト家の近所づきあいの芽生えが楽しい。セルズニックの挿絵に味があって、たとえばファンクラフト一家が両手を広げて親しみをあらわしている場面や、大きさも素材も全く違うアナベルとティファニーが並んだところなど、ついつい笑ってしまう。
(鈴木宏枝[http://homepage2.nifty.com/home_sweet_home/])


『二つの旅の終わりに』(エイダン・チェンバーズ作、原田勝訳、徳間書店、1999/2003)

 尊厳死を選ぼうとしているオランダ人のおばあさんヘールトラウが、第二次世界大戦中に経験した民間人としての戦争体験と許されざる恋愛――過去の物語。
 オランダで客死した祖父ジェイコブの戦没者慰霊式典に参加するため、体を悪くした祖母セアラの代理でオランダに来たイギリス人少年ジェイコブ・トッド。彼がアムステルダム滞在中に経験する出会い――現在の物語。
 二つの一人称が並列して語られていく重層的な長い物語の中に、様々な問題が想起される。重要なのは尊厳死や戦争や妊娠や同性愛など「問題」のパーツではなく、それらを含みこむ網の目の人間関係(あるいは場との関係)である――ちょうど、運河の町アムステルダムが、夜と昼、運河と道路、家とカフェ、様々な顔を持つように。
 アムステルダムは、どことなく『ヤンネ、ぼくの友だち』を思わせ、私は実際に行ったことはないけれど、本の中に感じるヨーロッパの町らしさを感じた。英語を話すジェイムズは、オランダでは外国人であり、このアウトサイダー的な感覚がイギリス児童文学で新鮮である。
 旅人として訪れたオランダで、対話の楽しさや「見かけどおりではない」町の魅力を感じたジェイムズは、ヘールトラウの物語を、これからどのように深く考えていくのだろう。
 トンという少年が魅力的である。彼が作品のバランスをとっている。JBBYの「スペシャルトーク:書くこと・読むことの意味」(12/2)で来日されたチェンバーズさんも、「みんな、トンが好きと言うねえ」と笑っていらした。
(鈴木宏枝[http://homepage2.nifty.com/home_sweet_home/])


『薔薇と野獣』(フランチェスカ・リア・ブロック作、金原瑞人・小川美紀訳、東京創元社、2000/2003)

 「白雪姫」「青ひげ」「雪の女王」など、作者も国も異なるフェアリー・テイルを、リア・ブロックが語り直した9編。スノウが最終的に選ぶ7人の兄弟や、野獣だったときの野獣に美女が感じていた、本能的に親密な気持ちなど、<フリーク>におぼえる安堵感が印象的である。
(鈴木宏枝[http://homepage2.nifty.com/home_sweet_home/])

『フラワー・ベイビー』(アン・ファイン作、墨川博子訳、評論社、1992/2003)
 サイエンス・フェアのために、「児童発達」=「赤んぼうの世話など」=フラワー・ベイビー(flour baby/赤ちゃんに模した小麦粉ぶくろ)を3週間ケアする、という課題に取り組むことになった落ちこぼれ組4−Cの男の子たち。フラワー・ベイビーを、実際の赤んぼうと同様、どこにでも連れていき、汚くならないように重さが変わらないように安全に大事に世話して、毎日3センテンス以上の日記を書くことが義務。
 3週間のあいだにも、クラスはブーイングの嵐だ。その中で、ひょんな勘違いから、フラワー・ベイビーに夢中になったのは、サッカーが得意で腕っぷしも強いガキ大将のサイモン・マーティン(サイム)だった。サイムは、街中の赤ちゃんにまで関心がいくようになり、それと同時に、自分が生後6週間のときに家を出た父さんの経験を追想し、その像と自分の気持ちをじっくりとたどりはじめる。
 といっても、できすぎた話ではない。人間くさい教師たちがおもしろく、脇役の秀才マーティン・サイモンはいい味を出している。フラワー・ベイビーに対する少年たちの心理に、大げさすぎない実感がある。
 翻訳の文体が、アン・ファインの理知的なユーモアにあふれた筆致によく合っている。本当に<自由>になること。朗々と歌いながら歩く、最後の場面のサイムに、わたしも思わず敬意を払ってしまった。
(鈴木宏枝[http://homepage2.nifty.com/home_sweet_home/])
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 三十年ほど前のアメリカの小さな町のお話『ザッカリー・ビーヴァーが町に来た日』(キンバリー・ウィリス・ホルト:作 河野万里子:訳 白水社 千七百円)は、ノスタルジックでありつつ、時間を超えて存在する「子ども時代」を読ませてくれる。トビーには親友のキャルがいて、あこがれの女の子スカーレットもいる。だから全然問題なしの日々。だけど、言い換えればそれは、何も起こらない退屈な日々。そこへ世界一太った少年ザッカリー・ビーヴァーを見せ物にするトレーラーがやってくる。が、翌日興行師は少年を残して行ってしまう。心配半分、好奇心半分でトビーとキャルはビーヴァーと親しくなっていく。生意気だけど本当は気弱なビーヴァー。彼が洗礼を済ませていなくて、受けたがっているのを知ったトビーたちは、その実現に向けて動き出す。
 物語はそれを軸にトビーの日々を、ドラマチックにではなく、淡々と丁寧に描き、実はそれが退屈な「子ども時代」でもないことを明らかにしていく。カントリー歌手を夢見て出かけた母親が、もう父と暮らすつもりはないこと。スカーレットに失恋するトビー。キャルの兄が戦死したとき、ショックで親友の側にいてやれなかったトビー。
 彼が社会や世間や自己を発見していく過程は、ゆっくりと私たちの心に入ってくる。
読売新聞11.21(hico)

【研究書】
『英語圏の新しい児童文学 <クローディア>から<ハリー・ポッター>まで』(英語圏児童文学研究会編、彩流社、2003年2月)

 1998年に発足した「英語圏児童文学研究会」の読書会の成果。
 E・L・カニグズバーグ、パトリシア・マクラクラン、キット・ピアスン、マーガレット・マーヒー、シルヴィア・ウァフ、フィリップ・プルマン、J・K・ローリングと、英語圏児童文学の(主にメインストリームの)作家を個別に解説している。教科書的ではなく、コラムも含めむしろ読み物的で入りやすい。一方、「観賞のヒント」の詳説では、「ファンタジーの機能」「ユーモア」「書き換え」など文学的研究に裏打ちされた見方が提示されている。 
 カニグズバーグ(全体のおよそ四分の一を占め、かなり力が入れられている)やウァフのインタビュー、ピアスン来日時の写真、ライラのオックスフォード紹介など、作家・作品をより近く感じられる工夫もたくさん込められている。
(鈴木宏枝[http://homepage2.nifty.com/home_sweet_home/])