2004.01.25

       
【絵本】
『オチツケ オチツケ こうたオチツケ』(さとうとしなお:作 みやもとただお:絵 岩崎書店 2003.12 1300円)
 「注意欠陥多動性障害」のこうたくんのお話。
 教室でのこうたは落ち着きがなく、結果クラスメイトをいじめてしまったり、授業がストップしたり。
 困り果てた両親が、病院に連れて行くと、「注意欠陥多動性障害」と判明。
 こうたの行動を、障害として受け止め、こうたもまた自分の障害を知ることで、しだいに制御できるようになってきます。教師やクラスメイトもこうたの行動を理解して、それを受け止め、対処していく。
 知ること、受け入れること。
 それで、関係は大きく変わっていくのです。(hico)

『おとうと』(いちかわ けいこ:作 つるた ようこ:画 佼成社 2003.11 1300円)
 おとうとができ、おにいちゃんになった男の子のとまどいが描かれています。
 かいじゅうみたいなおとうとにおもちゃを壊されてしまうぼく。おしいれにとじこめようか、と母親が言う。とぼくは、おしいれなんかとびだしちゃうよ、と反対。
 親がつぎつぎと出してくる提案に反対するぼく。
 じゃ、どうしよう?
 あとは、ご想像の通り。
 ぼくの、おとうとがらんぼうで嫌いだけど好きってのがよく描かれています。
 でも、ありきたりなところに落ち着いてしまう。残念。(hico)

『なに たべてるの?』(いちかわ けいこ・文 たかはし かずえ・絵 アリス館 2004.01 1000円)
 猫が他の動物に「なに たべてるの?」と尋ね、それぞれの好物が猫の好きな物と違う、という、連鎖系のお話。
 これはリズムに乗れないと単調さに負けてしまいます。一方、リズムに乗れれば、心地よく最後まで読めます。
 ページごとの猫の表情の豊かさがおいしいですね。(hico)

『とんとん! とを たたくのは だあれ?』(サリー・グリンドレー:文 アンソニー・ブラウン:え 灰島かり:やく 評論社 1985/2003.11 1300円)
 アンソニーの画は、ちゃんと立っていて、気持ち良し。
 ベッドに入った子どもの部屋に次々と怖い者がやってくる。子どもは入ってくるのを拒むけれど、スリッパはいつものやつだから、本当は怖がっているわけではありません。
 子どもと親の繋がりを、ユーモラスに描ききっています。(hico)

『いちばんつよいのは オレだ』(マリオ・ラモ:作 原光枝:訳 平凡社 2001/2003.11 1500円)
 いろんな、おなじみの昔話に出てくるオオカミが赤ずきんや三匹のこぶたにきくと、あっさりみんな、オオカミさんが一番強いと言ってくれます。その辺りの逃げ腰が、オオカミを増長させていく様。「何で? 何でオオカミの独り勝ちなのよ」と読み進むと、オチがついてくる。
 これも1アイデアで読ませてしまうタイプですが、「何で?」が続いたあとのそのオチが、気持ちを発散させてくれるでしょうね。(hico)

『だいじないす』(松岡節:作 いもとようこ:絵 ひかりのくに 2003.10 1200円)
 くまの子が、すてきなベンチをつくったので、自分は素晴らしいイスをつくろうと思う子どものキツネ。いろんな動物に座ってもらいますが、そのたびにダメだと言われの繰り返し。そしてとうとう・・・。
 アイディンティティ物。
 イスを小道具に使ったところが、いい。とても分かりやすくしています。(hico)

『あいしているから』(マージョリー・ニューマン:作 パトリック・ベンソン:え 久山太一:やく 2002/2003.10 評論社 1300円)
 もぐらの子どもモールが、巣から落ちたヒナ鳥を育てます。一生懸命。
 野生の鳥は、成鳥になったら、自然に帰さないと。
 でも、かわいがっていたモールは手放したくありません。小さな鳥かごを作って、そこに入れます。
 手放したくない、独占したい気持ちというのは、当然あるわけで、そう感じながらも、手放さないといけない悲しさと、解き放った喜びが、静かに描かれています。(hico)

『うみのむにゃむにゃ』(内田麟太郎:作 伊藤秀男:絵 佼正出版社 2003.10 1300円)
 名コンビによる、わけがわからんシリーズ2。
 釣りをしているじいさん。それを観ているタヌキ。
 でも、じいさん、なにが釣れても、海にいて当たり前の物だ、つまらんとリリース。最後に、きっったねえ手ぬぐいを餌にして、釣れた物は? もう、とにかくご陽気に、お楽しみあれ。
 そして最後は、「絵本の読み聞かせなど、当たり前で、つまらん!」と、この絵本を放り投げ、子どもといっしょに踊れば、万々歳! なのだ。(hico)

『ぼくのおしっこ』(五十嵐隆・監修 牧田栄子・文 夏目洋一郎・絵 岩崎書店 2003.12 1300円)
 「げんきがいちばん」シリーズ八巻目。
 調べ物学習に使われるのでしょうが、こうして、自分の体に関心を持つことは、とてもいいです。
 自分の体の仕組みを知ることって、自分を形作っていくための基礎ですから。
 画は、ちょっとベタかな。もう少し目に付くタッチが欲しいです。(hico)

【創作】
『チボー家のジャック』マルタン・デュ・ガール 山内義雄訳 白水社(1946/1953・新装版2003)

 解説によると、『チボー家の人々』全11巻(翻訳の白水社Uブックスでは全13巻)の中から、特に次男のジャックを中心とした部分を作者自身が選び出し、つなぎ部分を書き加えて、より年少の読者におくった本である。かといって簡約や抜粋ではなく、チボー家の次男ジャックにより近接して、彼の視点からの再構築という位置づけ。
 実は『チボー家の人々』は未読である。一昨年、高野文子の漫画『黄色い本:ジャック・チボーという名の友人』で、私はジャックの姿を初めて見た。 『黄色い本』は、メリヤス工場に就職が決まっている女子高生実地子が、残り少ない高校生活の中で、学校図書館からハードカバーの5冊の『チボー家の人々』借り出して読んでいく作品である。自分の血肉となる読書といおうか、手先が器用で穏やかな実也子だが、読書している間は、ジャックと熱い議論を共有し、革命の心を感じている。静かな外側と熱い内面という本読み行為の深さ、見ていないようでちゃんと見守っている父親など、しみじみとおもしろい漫画である。
 今回読んだ『チボー家のジャック』は、その高野文子が装丁し、「ジャック・チボーとは学校の図書室で出会った。その日から、彼は私の大切な友達になった。」という帯がついている。
 『チボー家のジャック』は、やりどころのない不満を抱えたジャックの少年時代と友人を巻き込んでの家出から始まる。ブルジョワの家に生まれながら、内的不満を抱え、詩や文学に親しみつつ、やがて労働者の人間としての尊厳を求める運動や革命に傾倒していくジャック。情熱はあっても、正しく理解されなかったジャックの、壁にぶつかることだらけの少年時代の感性は、現代の私にも強く共感できる。
 様々な道をゆきつ戻りつした後の1914年、反戦運動にすべてをかけようという計画が彼の気持ちを明るくする。「今や彼には、抵抗したり、選択したりする必要はなかった。なにをしようと考えてみる必要もなくなっていた。解放! 風をきっての飛行、空の高みにあっての空気、断然成功するにちがいないという確信、それらは、彼の血をさらにすみやかに、さらに強く脈打たせた。彼は、胸の奥に、心臓のはげしい、きわめて響きのいい鼓動を聞いていた。それは、彼の身のまわりのあらゆる空間をふるえおののかせているこのすばらしい凱歌にとって、まさに一種の人間的な伴奏、あるいは彼が身を挙げての共感といったように思われた……」(p.336)には、痛々しいほどの解放が感じられるのだが……。
 また、社会的地位も名誉もお金もあるチボー氏の、父親としてのありかたは、最初は反発するけれども、その奥に様々な苦悩があることがしだいに分かってくる。私が個人的に感情移入したのはむしろアントワーヌである。道を踏み外さなかった、しかし、要所要所で自己凝視し、父親や弟に複雑な感情を抱く彼に近しいものを感じた。
 (鈴木宏枝 http://homepage2.nifty.com/home_sweet_home/)

『博士の愛した数式』 小川洋子 新潮社 2003.8
 ベテラン家政婦の「わたし」(28歳)が通いで派遣されたのは、家政婦が今までに何人もくびになった「博士」の家。依頼人は「博士」の義姉である。数学の大権威だが、不幸な事故により1975年で記憶がとまり、現在の記憶も80分しかもたない「博士」。だが、数学と戯れているときの幸せな現在と、ふとのぞく厳粛な過去に、「わたし」にとって豊かな時間が広がっていく。博士が真理や数学を畏敬するのと同じ気持ちで、「わたし」とその息子「ルート」は博士を敬愛し、尊重する。
 作品のおもしろさは、数字の奥深さと美しさを、真理にひざまずく気持ちで語る博士の言葉にある。博士の時計に刻まれた<228>と、「わたし」の誕生日<220>は、どんな運命的な結びつきがあるのか? 素数はどう美しいのか? 「わたし」の驚きは、そのまま読者の驚きに重なる。
 それを踏まえて、数学以外のことには無力な博士が、心の底からいとおしんだ「わたし」の息子「ルート」がいい。頭のてっぺんが平らな10歳の彼に、初対面の博士は「君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号、ルートだ」(p.38)と言い、頭をなでる。「ルート」が、どんな恩寵を「博士」から受け、愛し愛されたか。本当に大切なもの/美しいことを知りえたこの幸福な子ども時代もまた、美しいと思う。 
(鈴木宏枝 http://homepage2.nifty.com/home_sweet_home/)


『バーティミアス サマルカンドの秘宝』(ジョナサン・ストラウド:作 金原瑞人&松山美保:訳 理論社 2003/2003.12 1900円)
 600ページのファンタジー。これもシリーズになるようです。
 主人公はナサニエル少年。まだ魔法使いの卵。舞台はロンドン、といっても魔法が支配するロンドンです。
 ナサニエル少年は、独学で召還魔法を習得し、師匠の知らない間に、かなり地位の高いジン、バーティミアスを呼び出します。
 何故?
 それは自分を辱めた大先輩の魔法使いを困らせるため。彼は、相手が一番大切にしているアミュレットを盗んでくることをバーティミアスに命じます。と、これが、盗品であり、また、ロンドンの政界を転覆するに足る力を持っている。そんなことをナサニエルは知らなかった。
 こうして、大きな事件へと発展していくのですが、ナサニエルを筆頭に、バーティミアスたちもキャラがすごく立っている。
 バーティミアスにしたって、こんなガキに召還されるいわれはないが、召還された限り、少年に言うままに動くしかない。だから、いつも自由になれるスキを狙っています。ナサニエルは頭はいいけど、復讐心などちゃんと持っていて、優等生ではない。
 それぞれがそれぞれの思惑によって動いていて、それが絡まり合うことで出来事が起こっていく。それは基本のキなのですが、この作者そこが巧い。
 小道具遣いの巧いローリングスとは別の味わい。
 構成はナサニエルの行動を追う三人称と、バーティミアスの一人称が交互になり、後者は、本人が語りながら、それに注釈をつける趣向。これがなかなかくせ者で、いちいち注釈を読むと、語りが止まってしまうし、かといって読まないと背景がわからなかったり、彼のぼやきが聞こえてこなかったりする。読者はそこで振り回される。
 「読んだ!」との快感はあり。(hico)

『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一 小学館 2001.04 1400円)
 古い物語ですが、ロング&ベストセラーなので。今、片山ブームなのね。
 一読、「何じゃ、これは?」、でした。
 こんな使い古された物語を、こっぱずかしい題名までつけて出すのは、ある意味すごいし、びびりますが、物語の中で人殺すなら、それだけの覚悟は必要でしょう。主人公の青春を美しく、ノスタルジックに染め上げるために、少女を殺すのは、やめましょう。
 『Deep Love』(yosi スターツ出版)のヒットといい、なんか物語咀嚼力、落ちすぎな、気がする。(hico)

『モンスター学園』(船崎克彦:作・絵 ポプラ社 2003.12 950円)
 使われていない教会の中に住んでいるお化け、妖怪たち。住んでいるのが人間に見つけられて、これは、お化け屋敷なんだと、乗り切ろう智します。
 「人間に愛されるモンスターになるため」の授業など、泣かせます。
 ほどよいユーモアで、包まれています。読み流しでいいタイプです。それは悪いことではありません。読書の楽しみの基本はそこですから。(hico)

『パンツマンVS恐怖のオバちゃんエイリアン』(デイブ・ビルキー:作・絵 木坂涼:訳 徳間書店 1999/2003 2003.12)
 パンツマンシリーズ、第3弾。
 堂々たる、アホ臭さが、たいした物です。
 サービス満点なのはもちろん、自分でボケとツッコミしているのも好感度大。
 このシリーズ、常に読者に声をかけて、誘い込むのね。それが嫌みでないのが、いいところ。「ちびパンツマン」人形が抽選で当たるみたいです。(hico)

『鏡のなかの迷宮・水の女王&光る石』(ナイ・マイヤー:作 遠山明子:訳 小学館 2001/2003.07 1700円)
 パラレル・ワールド、異世界のベニスを舞台とした物語。ミイラ戦士を使って世界制覇をもくろむエジプトのファラオ。ベニスは水の女王の力によって、かろうじて侵略を阻止していた。が、先の見通しもないベニスは荒廃し、かつてはうまく共存できていた人魚たちを奴隷のように扱い、日々をやり過ごしている。
 そんな都市で魔法の鏡を作るとの噂で、恐れられているアーチボルト親方の鏡工房に二人の孤児メルレとジュニバが、弟子としてやってくる。メルレは鏡面が水で出来た不思議な鏡を持つ。ジュニバは目が見えない。
 親方は、ジュニバの空洞の目に魔法の鏡をつける。実験台のような扱いに、メルレは怒る。が、ジュニバの目はみるみる回復し、ただ物が見えるだけではなく、その過去や未来など、見える能力が増してくる。
 工房の雑務をしているウンケは実は人魚で、かつて人間に恋をし海の魔女から両足をもらったこともメルレは知る。
 やがて、ファラオの策略により、ベニスの水は毒素によって、水の女王が住めなくなる。
 何者かにジュニバがさらわれ、メルレは体に水の女王が待避のために入り込んできてしてしまい。彼女と共に、ベニスを救うべく、ファラオに対峙できるであろう「光の王」に助けをこうために空を飛ぶライオンに乗って地獄へと向かう。
 あと一巻がまだ出ていないので、謎は多いです。敵か味方かも定かでない者たち。ファラオですら、誰かに操られているらしいし、光の王はメルレと何か関係がありそうだし、ジュニバは光の王に呪縛され、メレルを裏切ろうとするし、ベニスを守るため一緒に戦っているゼラフィンはメルレが地獄に向かっている間に、ファラオ暗殺計画に加わるのですが、それを指揮するスフインクスがまた怪しい・・・。
 読者は翻弄されるのですが、一体どこに落ち着いていくのか? と待ち遠しい物語ではあります。(hico)

『その猫がきた日から』(アラン・アルバーク:作 こだまともこ:訳 講談社 2002/2003.11 1400円)
 カワイイ子猫がデイビットの家に迷い込んでくる。みんなはもう夢中で、飼うことに。しかし何故か愛犬のビリーが子猫に威嚇的。当然のごとくビリーは叱られ、家から外に居場所を移動させられるのだが、そうして家に入り込んだ猫は異様なスピードで大きくなり、ヘンだとデイビットは両親と妹に指摘するが、何故か彼らはその猫以外のことは考えられなくなっていく・・・。
 軽いホラー小説です。こういうとき、怖いのはやっぱ猫やな〜と、猫派の私も思います。
 長さも120ページほどで、すっと読めますから読む楽しみと読む怖さ両方が手軽に味わえます。この手のタイプは読み手が怖がりモードになって読む方が、おいしいです。(hico)

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 主人公のキャラが、近頃珍しく真っ直ぐに立っている「青春小説」が、『駆けぬけて、テッサ』(K・M・ペイトン:作 山内智恵子:訳 徳間書店 二千円)。父親はサラブレッドの繁殖家。たった一匹しかいない繁殖馬が産んだのは眼球のないアカリ。テッサはアカリに夢中になる。
 が、母親が離婚したので、テッサはアカリとの絆を切られる。そして以前あんなに溌剌としていた母親は、義父によるドメスティック・バイオレンスに絡め取られてしまう。
 テッサに出来ることは、たった一つ。義父に反抗すること。彼女は、何校も退学させられ、その罰として働きに出ることとなり、送り込まれたのが、サラブレッドの飼育所。そこには、アカリの子どもピエロがいた! ピエロは競走馬として全く期待されていない。が、テッサはピエロを育てて、義父が所有する馬に挑む! そして自らも女性騎手への道を歩み始める。
 テッサのピエロへの愛、そして、ピエロによって少しずつ優しくなっていくテッサの心。一歩ずつ大人になっていく姿。
 作者は急ぐことなく、丁寧にそれらを描いている。それでいて展開は速く、心配な出来事が次々起こるので、読み出すと止まらない。
 そろそろファンタジーを読むのに疲れてきた人には、違った世界を堪能するために、オススメの一冊。(読売新聞2004.01.12 ひこ)