No.76  2004..04.25日号

       

【絵本】
○虫、虫、虫!
「栗林さんの虫めがね 発見」「変身」「瞬間」「色形」栗林 慧 (フレーベル館 2004.3)
「ちょうちょのくに」ジビュレ・フォン・オルファース作 秦 理絵子訳 (平凡社 1916/2004.4)
 春になって小さな生き物がわらわらと活動しはじめると、やっぱり小さな子どもたちは虫を見つけては大喜びする。あり、みみず(虫じゃないけれど)、ひしばった、みつばち、そしてちょうちょ。低い目線で狭い視界で素早く、動くものをキャッチする。けれど、野原で虫を捕まえてすごすことが子どもの日常ではなくなったらしく、子ども向けの虫の本は増えるばかり。子どもが興味津々で見ているものをきもちわるいといって手を出さない大人が側にいるのだから、大人教育をするのが先決なのだけれど……。
 テレビの自然科学番組でおなじみのカメラマンの昆虫写真絵本シリーズが刊行された。以前、その膨大な写真の全貌とそのために開発したレンズやしかけをまとめた大人向けの写真集に「栗林 慧の仕事」(学研)がある。今回はそれを子どもが自分で読めるように再構成し、決定的な瞬間を撮るために作ったレンズやしかけの説明もなされている。この写真絵本がユニークなのはその構成の仕方だ。たいていの写真絵本はテーマ(種類、時間、分布など)に沿ったかたちで構成されるのだが、本作はカタログ的。「瞬間」はまさに飛んでいる瞬間やうんちをする瞬間、えさを捕まえた瞬間、けんか、交尾……。さまざまな昆虫の姿がページをめくるごとに目に入る。わっ、すごい!ゴマダラカミキリってこんなかたちで飛んでるんだ。カブトムシはおしっこするとき、犬みたいに後ろ足をあげてるよ。ヤゴの口ってのびるんだ。見知った虫の見たことのない姿がきっと興味をひくだろう。新たな目と驚きが新鮮な感覚で虫に向けられるようになればいいな。
 けれど、それでも虫は苦手。なんだかダメ、という人もいるだろう。そういう人には「ちょうちょのくに」を勧めたい。ドイツの100年程前に活躍した絵本作家オルファースの遺作である。オルファースは自然の中で生き生きと過ごす子どもの姿をよく描いているが、虫愛づる姫ぎみでもあったらしい。春の訪れとともに空に飛び出すちょうちょの世界を愛らしく、物語で包んで見せてくれる。あかちゃんのいもむしさんが葉っぱのジュースを飲んでいたり、さなぎの子どもがダンスのお稽古をしていたりして、これはかわいいけどリアルなお話ではないわねと思ったら大間違い。さなぎの子ども(前桶)はきちんと糸で支えられるまですごい勢いで身体を振り、まるでダンスを踊っているみたいだし、まず、もんしろちょうなどが先に飛び立ち、アゲハやタテハが少し遅れて羽化するところも自然界の姿のままなのだ。そういうことを何食わぬ顔をして物語の中に溶かし込んでいるところにオルファースの目のすごさを感じる。
人間の視覚以上のもの求める栗林さんの仕事もオルファースの物語の中で語られる自然の真実もどちらも同じように手に取ってもらえたら。(ほそえ)

○絵本他
「だめだめ、デイジー」ケス・グレイ文 ニック・シャラット絵 吉上恭太訳 (小峰書店 2003/2004.3)
「ちゃんとたべなさい」のコンビの最新作。今回のデイジーは鼻をほじったり、音を立ててスープを飲んだり、洋服を床に散らかしたり、ソファでごろごろしたり、好きなのだけ取って食べたりするたびに、ママにダメよっていわれます。そのたびにデイジーは「だってママだって」といいかえして、お行儀の悪かったママの姿を思い出させます。あるある、そんなことっていうことばかり。できの悪い私なんか、つまんないことばっかり覚えてるんじゃありません!とどなってしまいそうですが、このママは笑いながら「おしおきよ!」といってデイジーをくすぐります。そこがほっとさせるところ。(ほそえ)

「きょうもいいこねポー!」チンルン・リー作、絵 きたやまようこ訳 (フレーベル館 2004/2004.3)
「100ぴきのいぬ 100のなまえ」で淡い色使いのたくさんの犬を描いたあたたかな絵本を作ったリーが、また犬と人のここち良い関係を絵本で見せてくれました。本作では獣医のエイプリルと飼い犬ポーが主人公。ポーは歌うのが上手。苦しがったり、不安そうな動物たちにうたを歌ってなぐさめます。もちろん大好きなエイプリルにも毎日歌ってあげる。ペットと人間の良い関係を手書きの文字を多用したやさしい感じとすっきりとデザイン処理したイラストでうまく表現しているように思う。構成も巧み。(ほそえ)

「なんだってしてあげるよ」ジョン・ウォレス文 ハリー・ホース絵 さくまゆみこ訳 (あすなろ書房 2003/2004.3)
大きいものと小さいものとが一緒に過ごす様子を描いて人気作になった「どれだけきみのことをすきだかあててごらん」(評論社)を思わせる作品。人気のハリー・ホースの絵がかわいい。ちびくまのチャ−リーはおおきなくまのジンジャーの役にたちたくてしょうがありません。庭の手入れを手伝ったり、お掃除をしたり……、でも失敗ばかりで反対に仕事を増やしてしまうしまつ。大好きな人には何だってしてあげたい、そんな気持ちをうまくかたちすくいあげ、よしよしとおやすみのシーンにつなげているのが今までの絵本とはちょっと違う展開。以前だったら、きっと何も考えずに親子のくまの設定にしてしまうのだろうけれど、最近このような内容の絵本はあまり親子を意識させないようなつくりになっている。親子という枷が重いのかな?(ほそえ)

「かぜひいちゃった日」キム・ドンス作・絵 ピョン・キジャ訳 (岩崎書店 2002/2004.2)
今、注目の韓国絵本。今まで日本に紹介されてきた絵本たちとはちょっとイラストやお話の雰囲気も違うニュー・ウェーブ。女の子の夢のお話をもとに一人称で語られていて、ノートのはしっこにこちょこちょした落書きしたようなテイストやラフな色鉛筆のイラスト、それでいて画面構成はデザイン感覚にあふれた若い作家のデビュー作。かわいいだけじゃなくてお話の構成もしっかりしている。なんてことない1シーンが心の中でふくらんで絵本になっていった様子がよく見える。(ほそえ)

「うしとトッケビ」イ・サン文 ハン・ビョンホ絵 おおたけきよみ訳 (アートン 1999/2004.3)
近代韓国の代表的な作家と現在、韓国一の仕事量と人気を誇る絵本作家とのコンビによる絵本。けがをしたトッケビが牛のお腹の中に入って、ゆっくり養生する代わりに、牛を強く逞しくしてあげるという導入から、のんびりとすごしすぎて腹から出られなくなって大弱りしてしまうところまでテンポ良く展開されている。ラストのオチもおもしろく、安心して読める。このお話、イ・サンの創作ではなく、豊島与志雄の「天下一の馬」の翻案という研究もあるらしい。トッケビという韓国昔話のキャラクターがなんとも愛らしくて憎めないいたずらっこのように描かれているのが楽しい。(ほそえ)

「はじめてのおさんぽ」「はらっぱはいはい」「ひとりでうんしょどっこいしょ」あかぎかんこ作 あいのやゆき絵 (おとうさんとおさんぽシリーズ 主婦の友社 2004.4)
ひらくとじゃらら〜んとのびるじゃばら絵本。赤ちゃんの月齢によって、だっこ、はいはい、あんよでのおさんぽにお父さんとのふれあいの様子を添えた3冊セットになっている。じゃばらにすると風景がつながって流れていくように見えるため、時間の経過や場所の移動などがよくわかる。それだけにダイナミックな展開はできないけれど、あかちゃんものにはそれがいいかもしれない。今までじゃばらだとミッフィのカタログ絵本てきなものしかなく、このようなストーリーになっているのは日本のものでははじめてみた。赤ちゃんとの過ごし方や声のかけ方などがわからない、ちょっとこわい(赤ちゃんをこわしてしまいそうで)ような気がするお父さんにもまず絵本でちょっと慣れたら、ふたりでお外へいってみようよというのがシンプルに伝われば良いなと思う。お父さんは赤ちゃんの目で世界を見るとなんだかおもしろそうと思うところから始めて、ふたりのにっこりを積み重ねていくことしかないと思う。(ほそえ)

「にじをみつけたあひるのダック」フランセス・バリー作 おびかゆうこ訳 (主婦の友社 2004/2004.4)
大きく角を丸くとった扇形のかたちが珍しい絵本。奇を衒ってそうなっているのではなく、このかたちにはきちんと意味があるのです。それはラストのページを開くとわかります。白い小さなアヒルのダックがお家に急いで帰る時に目にする色が7つ重なって(ページの大きさにもしかけあり)にじを作るのです。ラストのページを開いた時のわっと思う気持ちがあひるのダックの気持ちに重なって、気持ちの良い絵本になりました。(ほそえ)

「なにかな なにかな」どいかや (主婦の友社 2004.4)
フエルトを使って描いた赤ちゃん絵本。前作に「いいおかお」がある。今回は小さな丸が集まって、いもむしちゃんになったり、さんかく4つでなかよしちょうちょ、とかたちを組み合わせてできる変化をリズミカルなテキストで表わしている。パンチングアップリケ(特殊な針でフエルトの繊維を絡ませて互いにくっつける)の手法で作られた絵は風合いも柔らかく、あたたかい。最後のページは皆が集まって遊んでいる様子。それぞれに指差して、いたねぇと会話したり、先のページにまた戻ってさがしたり。(ほそえ)

「月夜の誕生日」岩瀬成子作 味戸ケイコ絵 (金の星社 2004.3)
一夜のファンタジーを甘くならず、幻想的に描いた絵本。お誕生日のプレゼントに星形のブローチと赤い服をもらった万里。うれしくてベッドに入る時もその洋服のままでした。すると、夜中につるりとした顔(なんだかかわいい)のカワウソがやってきて背に乗せて万里を連れていくのです。それはふしぎな誕生会。誕生日なんだとカワウソや蟹、しらさぎ、子へびが次々に万里の大切なものをもらっていくのです。でも、それがなんだか軽やかでうれしいような心地になるところが岩瀬マジックと言えるのではないかしら。不思議なでも納得できる感情。それをするりと見せてくれるのが岩瀬成子のお話には多いように思う。だからこのファンタジーも甘くならないのだと思う。絵も夜の空気の冷ややかで、でも安心に包まれるような感じが良く出ていて、物語をしっかりと支えている。(ほそえ)

「風の星」新宮 晋作 (福音館書店 2004.3)
地球を風の星と呼んだのは新宮がはじめてではないかしら。ウィンドキャラバンといアートプロジェクトで出会った土地や人々の姿、そこでの暮しや思いを組み立て、風の目で描いたのが本作である。ウィンドキャラバンで地球上の6ケ所をめぐっているが、熱帯、島、、森、砂漠、草原、雪国などそれぞれで風の見た風景、感じた空気を鮮やかな色彩で描いている。風は見えない。見えない風を見せるために新宮の造型はあるのだが、見えない風が見る風景とは私達の目の前に広がる風景でもある。ただ、見ようとしていない、見てもなんとも思わない風景なのだ。それを切り取り、構成し、提示して、大いなる流れや視点をしめすのがアーティストの仕事なのだろう。それをきちんと受け取りたい。(ほそえ)

「がっこうのうた」ねじめ正一詩 いとうひろし絵(偕成社 2004.3)
「あいうえおにぎり」の第2弾。詩を大きな声を出して読んでみようというシリーズ。子どもに向けた詩というと言葉遊びを多用した詩やほんわかと事象を分析した詩やなんともやさしいイメージしかないのだが、詩というものはそういう面だけではないのは皆知っているはず。破壊的で乱暴でめちゃくちゃなイメージだって言葉で作ることはできるのだ。言葉を連呼すれば詩になるといったのは誰だったかしら? 詩にはそういう呪術めいた力だってあることを、この本では子どもに知らしめることができる。それがねじめ正一が子どもに向けた詩を書くということの意味だと私は個人的に思っている。うんちやらおならやら、過剰に連発され、息をつぐ間もないフレーズのつながりが意味を無化して、不条理な空気を立ち上らせる。それが前作より強く感じられる。そこがおもしろい。言葉が過剰になればなる程、それを受ける絵は単純に事柄を追い掛ける。シンプルな線をふちどる黄色い色鉛筆のラインがあわあわとして、はからずもその空気を共有し、受け身のイラストに終わっていないところがこのコンビの確かなところ。けれど、これを手にとり、わいわいと大声で読んで笑える学校であればどんなに息がしやすいことだろう。意味なんかを問われず、ただ大声で読みあうだけの詩の時間ってあるのだろうか。(ほそえ)

----------------------------------------------------------
『ぼくの見た戦争・2003年イラク』(高橋邦典:写真・文 ポプラ社 2003.12 1300円)
 新聞社派遣の従軍カメラマンとしてイラクへ乗り込んだ著者が切り取った、戦争の風景。後半はアメリカ軍を離れ、フリーで撮影されていますが、アメリカの兵士を撮った写真もすごくいいです。アメリカ軍ではなく、兵士という仕事で、今回の戦争に加わった彼らの素顔。著者によれば、彼が尋ねた兵士の誰一人も戦いたくてやってきたのではないこと。早く家に帰りたいこと。それも「戦争」を伝える大切な情報です。
 たくさんの「死」が撮られていて、痛いですが、著者のカメラマンとしての姿勢がよく見えます。
 この写真絵本をたくさんの日本の子どもたちが見てくれますように。(hico)

『へんしんでんしゃ デンデコデーン』(みやもとただお:作 あかね書房 2004.04 1300円)
 今夜から一人で寝ることになったゆうちゃん。さびしい、こわい、けど、寝るぞ!
 そこから、ゆうちゃんは夢の中で電車に変身して、自由に走り回ります。家族もその夢には出てきて、その出し方がゆうちゃんの気持ちを表しています。
 本当に自由奔放に、ゆうちゃんの夢を膨らませていき、みやもとの画の勢いが、リズムを生んで、一夜の夢に私たちも参加できるのです。(hico)

『テントウムシ』(今森光彦:文・写真 アリス館 2004.03 1400円)
 写真絵本。
 作者の子どもがテントウムシの蛹が付着した葉っぱを見つけてきたところから、テントウムシへの興味が広がっていきます。
 テントウムシに関して知らなかったことが、写真で鮮明に切り取られていて、しかもあくまで作者の興味という視点を外さないので、判りやすく仕上がっています。(hico)

『じゃんけん』(むらいきくこ:作 岩崎書店 2004.03 1200円)
 兄弟の中でじゃんけんがヒジョーニ弱い主人公。
 イチゴケーキを誰が食べる権利を得るか?
 目をつぶってひらめいた手に賭ける、主人公。
 結果はいかに?
 シンプルで、判りやすくて、こちらまで力が入ってしまう、いい感じの作品。
 画もいいのですよ。(hico)

『こんなにすごい! ぼく・わたし(じぶんたんけんたい1)』(太宰久夫:文 早乙女民:絵 ポプラ社 2003.12 1300円)
 ヘナオ、タジリン、ミッケ、バリオ、ヤッタ、五人の子どもが色々な遊びを教えてもらうシリーズです。現在六巻まで出ています。
 これが素晴らしいのは、昔の子ども遊びを伝えようの、子どもは外遊びがいいだとか、ごたごた言わずに、体感、知識、運動量など様々な機能を使って遊びそのものを提出しているところ。だから、それぞれ得意な遊びもありますし苦手なそれもあります。それが「じぶん」であり、それを「たんけん」していく。
 美麗・華麗な絵本ではありません。あふれる情報を読み、遊んでくれたら、売れしいな。(hico)

『ともだちがほしいの』(柴田愛子:文 長野ヒデ子:絵 ポプラ社 2004.03 1200円)
 「あそび島シリーズ」最新作。
 引越で新しく「あそび島」へ通うようになったふうこちゃん。でもなかなか友達ができない。できないというより、なるための一歩が怖い。そこから彼女がどう変化するかを、ドラマチックにせず、自分の心に優しくすることから画いているのがいいです。
 これなら読者の子どももすんなり入っていけます。
 長野ヒデ子の画が、柴田愛子の文と本当にしっくりいっています。
 編集の力でしょうね。(hico)

『おはようサム』『おやすみサム』(メアリ=ルイーズ・ゲイ:作 江國香織:訳 光村教育図書 2003/2004.04 1200円)
 このシリーズは、姉のステラと弟のサムのほんのささいな日常の出来事を描くのですが、そのささいなところに大事な心がちゃんとあります。というか、あることを伝えています。
 今回は朝起きるのと夜寝るのとが、苦手はサムをステラがサポートしているお話。
 しょーがない弟なんですよ。
 最後のオチはなごみます。(hico)

『東京五十景』(山本容子 講談社 2004)
 関西出身の作者が長年の東京住まいの中から選りすぐった東京の風景たち。
 そこには現代の東京が描かれているのですが、その背景として江戸からの東京文化が自由に付加されています。
 何よりいいのは、描かれる人間たち。そのどれもが今ここにいるように感じられます。(hico)

『おはなし しょ!』(村上康成 小学館 2004.04.01 1500円)
 タイトルだけで説明なしの短い(4ページ)シーンが描かれます。そこからお話を子どもたちが自由に作るという趣向。
 1エピソードの画は流れとして繋がっていますので、そんなに難しくはありません。
「おさんぽの まき」だと、見開きの右画面で女の子が走っています。後ろを子犬が。左画面では赤い花と花がない茎だての植物。空には白い雲とスズメ。ページを繰ると、右画面で女の子は走るのを止めて、花のない茎を気にしています。左、最後のページは、赤と白の花が咲いていて、空には白い雲が、笑っているようにも見えます。
 といった調子で、進みます。
 シンプルな想像力絵本。(hico)

『ラベンダー せかいいちゆうかんなうさぎ』(ポージー・シモンズ:作 さくまゆみこ:やく あすなろ書房 2003/2004.02 1300円)
 ラベンダーは慎重なうさぎさん。
 ある日、町からキツネたちがやってきて、うさぎたちにおいしい料理を振るまいます。みんな大喜び。でもラベンダーは隠れています。だって、キツネですからね。
 みんなはすっかり心を許して、キツネのパーティにまで出かけます。心配であとを追うラベンダー。さてその先は?
 マンガのように一つのページにいくつもの画が置かれているのですが、そこに描かれる動物たちのキャラが立っていて、情報が多くてもついて行きけます。
 子どもはおもしろがるでしょうね。

『かぜ ひいちゃった日』(キム・ドンス:作・絵 ピョン・キジャ:訳 岩崎書店 2002/2004.02 1300円)
 画は素朴で、決して巧いとは言い難いが、子どもの落書きのようで、和みます。というか、子どもの視線で物語を紡ぐ才があるから、画も自然とこうなるのかもしれません。
 おかあさんが買ってくれたダウンから羽が一枚飛び出していて、そこから子どもの想像が広がります。これが無理がなくていいです。なにしろ羽のないアヒルたちがやって来るのですから。あとはご想像通り。(hico)

『なんだってしてあげるよ』(ジョン・ウォレス:文 ハーリー・ホース:絵 さくまゆみこ:訳 あすなろ書房 2003/204.03 1300円)
 心ホカホカ系絵本です。
 ちびくまチャーリーは大きなくまジンジャーが大好き。だから、色々お手伝いをするのですが、なかなかうまくいかなくて、  nかえって大変。体も汚れてしまいました。チャーリーはいいます。「なんだってしてあげるよ」。お風呂で綺麗に体を洗ってもらって、もちろんジンジャーがチャーリーに今一番して欲しいことは、眠ること。チャーリーを傷つけることなく幸せな寝顔まで、とても自然に描かれています。(hico)

『ないしょ ないしょ』(かさい まり:作 アリス館 2004.04 1000円)
 ページを繰るごと、色んな動物が次々と、森のフクロウさんだけには、ないしょの話を教えて行きます。
 連鎖系絵本です。
 もちろん、オチはそのないしょが明らかになる時で、それはいつものように「幸せな結末」なのですが、そこに至るまでの動物から動物へのないしょ話の姿がいいです。見開きの構成など気にせず、動物の大きさによって、画面一杯だったり、隅っこだったっり。
 絵本のリズムを作っています。
 ただし、それぞれの動物の表情がみんな「いい人(?)」なのがもったいない。そんなないしょ話聞きたくない、なんて表情の動物もいたっていいと思います。
 その辺り、安全策より冒険を!(hico)

『きこえてくるよ』(なかえよしお:作 上野紀子:絵 ポプラ社 2003.11 1200円)
 画の色合いは、昔の絵本のよう。それはこの物語が、イマドキ風なものではないことを暗示しています。バイオリンのお稽古。ちっとも巧くならないしイライラ。動物たちもちょっと困るギーコギーコ。そこでTVの音を聞くとうるさい。ロックコンサートもうるさい、ほんとうにいい音楽はクラッシック。でもやっぱり巧くならないヴイオリン。
 動物さんたちが音楽を聴かせると言います。さて、その音楽とは?
 物語は、とても安定しています。収まるところに収まります。(hico)

『しょうたとなっとう』(星川ひろ子・星川治雄:写真・文 小泉武夫:原案・監修)
 3歳の時初めて食べた納豆が顔につき、みんなに笑われたしょうたは、それから大嫌い。
 で、5歳。しょうたはおじいちゃんの畑で大豆が出来るまでと、それが納豆になるまでを体験します。
 できた納豆を食べるしょうたの反応は?
 いくら体によくても、嫌いな人は食べなくてもいいと思いますが、納豆が、だだ納豆なのではなく、納豆になる歴史を知っていくしょうたの表情がやはり良いです。(hico)

『アレクセイと泉のはなし』(木橋成一 アリス館 2004.04 1300円)
 ドキュメント映画『アレクセイと泉』から生まれた写真絵本。
 ベラルーシの小さな村。1986年、チェルノブイリ原子力発電所事故によって、180キロ離れたこの村にも立ち退き命令。でも55人の老人とアレクセイ青年は残る。泉の水があれば大丈夫だからと。
 残ることを選んだ彼らの日々を紹介しています。
 残るのは覚悟がいることで、でも残るには残るなりの魅力があります。この写真絵本はそんな村の生活を切り取っています。
 村というスペースで余計なものもなく暮らしが成立している世界です。
 表紙は全面写真でよかったのでは?(hico)

『シマリスのしまおくん』(あきやまただし 教育画劇 2004.04 1000円)
 しまおくんは何故かドングリが好きで、ついつい拾ってしまいます。
 というのは、しまおくんは実はシマリスだったからです。もうそろそろシマリスに戻ってもいいだろうと父親がやって来ますが、納得しません。だって、人間のしまおくんには人間の両親がいるのですから。でもその両親もしまおくんが人間であるためにイタチさんとウサギさんに変身してもらっているのだと父親を名乗るシマリス。
 ここからはもう、しっちゃかめっちゃか、楽しいドタバタが展開されます。
 この絵本は読み継がれるたぐいの物ではなく、読み終わって、おもしろかった! で終わるタイプ。
 何度も書いていますが、そんな作品が常に供給され、たくさんあることが大事なのです。(hico)

【創作】
『パンツマンVSくいこみウーマン』(ディブ・ピルキー:作・絵 木坂涼:訳 徳間書店 2001/2004.2004.04 952+税)
 最も下品でアホ臭いシリーズ第5弾。
 今回もタイトルからして、もうイヤでしょ。「くいこみウーマン」だから。
 自分に従うことが一番正しいことだと生徒を縛り付けているリブル先生。いつものようにジョージとハロルドは様々なイタズラを仕掛けます。でもリブル先生に成績を下げられてしまい、例の催眠術の指輪を先生に使って、成績を元に戻そうとするのですが・・・。
 学校や先生への批判も入っていて、それも好感度が高いのでしょう。
 しかしよくもこれほど次から次へと、しょーもないネタを思いつくものです。感心。(hico)

『デルトラ・クエスト2』(全3巻 エミリー・ロッダ:作 岡田好恵:訳 岩崎書店 2002/2003 各900円)
 度派手な表紙で度肝を抜いた人も多かった『テルクエ』の2であります。今回は3巻と短いですが、キレの良さは相変わらずです。構成も、1巻1目的達成です。
 王のベルトの宝石を集め、影の王国から、デルトラの国を奪還したリーフですが、まだ課題が残っています。デルトラから連れ去られ、影の王国で奴隷になっている人々を助け出すこと。が、リーフにはなにやら秘密があり、ある国へと出かけてしまいます。相棒の一人ジャスミンにさえ打ち明けません。できるだけ早く奴隷となっている国民を奪い返さないといけないっていうのに! 噂がジャスミンの耳に入ってきます。リーフは王妃として迎える姫に遇いにいったのだと。
 なら、それくらい隠さなくてもいいのにと腹が立つし、リーフが結婚するのもなんだか、胸がいたいし・・・・。そんなとき、ある情報が届きます。ジャスミンには知らなかったけれど、妹がいて、彼女もまた奴隷となっている。彼女は姉の救いを求めている。
 ジャスミンはリーフを無視して、妹を助けに。それを知ったリーフはジャスミンに加勢すべく、後を追う。
 やっと見つかったデルトラの歴史書には、ピラの笛の話があって、その笛は影の王が最も恐れているものだとあるます。が、それを管理していたピラの民が笛長を選ぶのにもめて、ついに笛を3つにわけ、別々の島に住んでいる。が、ためにピラの笛の音は聞こえなくなり、その魔力も薄れてしまっています。影の王が力を得ているのもそのためです。
 さ、これで3巻の意味がわかりましたね。そうリーフたちは一巻ごとに笛の欠片を手に入れていき、最後の巻で元にもどったピラの笛はいよいよその役目を果たすときが来る。
 リーフの結婚の件、ジャスミンの妹の件、リーフが決して誰にも打ち明けようとしない秘密。それらの謎が、物語を引きずっていきます。もちろん、それらは3巻目で見事に解明! すごいや。(hico)

『1と7』(二宮由紀子:作 高畠純:絵 ひかりのくに 2004.04 1200円)
 怒濤の二宮最新作。
 1と7が喧嘩する話です。似たような読み方だとか、1は「いち」しかないが7は「しち」と「なな」があると7、でも1は「なな」な「ななつ」略で、自分だって「ひとつ」があるといえば、7は「でも、ひとつよはいっても、ひととは略さない」と反撃し・・・・・。
 そこに喧嘩を止めようと参入する数字たちまで巻き込まれて大騒ぎ。
 何故か5だけは無言である。(hico)

『くまくん』(二宮由紀子:作 あべ弘士:絵 ひかりのくに 2004.04 1200円)
 怒濤の〜、はもういいか。
 くまくんが逆立ちして、まくくんいなっていたら、やって来た他の動物たちも逆立ちして、同じように名前を変えるのだが、りすくんとか、かばくんとか・・・・みんな困ってしまって、
 力業の一品。オチはやはり巧い。(hico)

『アスカ』(司修:さく ポプラ社 2004.01 1200円)
 阪神・淡路大震災の実話に刺激された作者が描いた作品です。
 震災で両親を亡くしたアスカは3歳の時東京のおばあちゃんのところへ行きます。
 おばあちゃんは、色んな橋を通るたび、「ありがとさん」と言います。何故。
 それはどうして?
 風化しつつある、震災の記憶を呼び戻してくれる作品です。
 タイトルとそのロゴが浮いているところだけが残念。(hico)

『わすれないでよ』(あきやまただし:作 教育画劇 2004.04 1000円)
 おかあさんはいつもぼくを忘れん坊だという。
 でも、忘れないことも一杯あるよ。
 大切な思い出が。
 母親の言っている「忘れる」とぼくの言っている「忘れない」は違うのですが、そのすれ違いの中で二人の、家族の暖かさが伝わります。
 画と文の構成は、もう少し工夫出来るのでは?(hico)

『チョコブラウニーで すなおに笑顔』(令丈ヒロ子:作 オームラトモコ:絵 あかね書房 2004.01 1000円)
 「おなやみかいけつクッキング」シリーズ2作目。
 令丈にはシリーズ物が多い。このシリーズもそうですが、設定を一つだけ作っておいて窓口を広くし、毎回違った素材を描くのが本当に巧い。
 今回のお悩みは、両親は妹のレミばっかり可愛がって、私は損だと、笑顔になれなくなったルミちゃん。
 この素材だって、別に新しいわけではない。けれど子どもにとっては身近で結構深刻な悩み。それを令丈スパイスでどう料理するかだ。
 間で本当のレシピが書かれているのが強み。読んだ後、チョコブラウニーを作りましょう、である。
 「笑顔がそろけるパウダー」を振りかけたので、もう大丈夫。
 「ル・アイ」のチョコブラウニー買いにいこうかな〜。(hico)

『いつまでもベストフレンド』(サラ・デッセン:作 おびかゆうこ:訳 徳間書店 1998/2003.12 1700円)
 気弱なハレーと元気なスカーレット、二人は幼なじみ。ハレーのママはカウンセラーだから、ハレーにもどうしてもそういう姿勢になってしまいます。それがちょっとヤなハレー。ママが勝手に選んで送り込んだサマーキャンプにうんざりしたハレーはママに電話して、キャンプの途中で家に帰ります。初めての反抗。
 帰ったハレーを待ち受けていたのは、スカーレットのBFマイケルの死でした。ハレーはスカーレットの心を支えます。ハレーにもBFが出来ます。ちょっと危なそうなでもカッコイイ、メイコン。ドキドキ・ウキウキな日々。そんな時、スカーレットがマイケルの子どもを妊娠していることがわかります。死の前日、たった一回のSEXで。
 中絶を望むスカーレットの母親。でも病院に出かけたスカーレットは逃げだし、生む決心をする。そんなスカーレットを受け入れ、友人として彼女の側に立つハレー。
 そのことだけでも大変なのにメイコンとの付き合いが深くなり、SEXを迫られる事態に、どうすればいいのか? そこをスカーレットがサポート。
 そして、ママとの関係は悪化するばかり。メイコンとの付き合いを反対し始めてからはもう、断絶状態。
 果たして、ハレーは、スカーレットはどうしていくのか?
 という、真っ当なYAです。中流階層の青春物語。性的な話題が入ってきますが、それ以外は70年代位から、変わっていないのがおもしろいです。プロムなんかも大切な行事であったりね。
 そう。サブカル的要素も匂いもないといえばいいかな。それが今でも通用するのがアメリカって国の大きさでしょうか。(hico)

----------------------------------------------------------
 思春期に抱え込む深刻な問題への理解を促すのが『十代のメンタルヘルス』(ボニー・グレイブス:文 上田勢子:訳 全五巻 大月書店 各千八百円)。「過食症」や「拒食症」だけではなく、「うつ病」、「パニック障害」、「怒りのコントロール」に一巻ずつ割かれているのがうれしい。 子どもが「うつ病」なんてあるの? ありますよ。ストレス(それだけがこの病の原因ではありませんが)も多いですしね。パニック障害の子どもたちは、どんな病かを理解してもらえないために苦しんでいます。そして今のこの国だと「怒りのコントロール」が、一番気になる巻でしょうか。この本は怒りを否定していません。必要な怒りもあるからです。だから「コントロール」(原題ではmanagement)。
 構成は各章ごと、読む前の知識とヒントが書かれ、その後、具体例が紹介され、それへの解説がなされ、最後に読者対象である十代に問いかけ、問題点を整理してもらうというオーソドックスな構成です。翻訳物ですから、出てくる子ども達の名前はアメリカのもの。だから、読者との距離がほどよくて、自分と関係ないけど気になるから読んでみると関係ある話だったって、敷居の低さがいいです。それらの病を理解するために、子どもだけではなく大人も、ぜひ読んでください。読売新聞2004.04.05

【評論】
『今からでは遅すぎる』(A・A・ミルン 石井桃子:訳 岩波書店 2004 3780円)
ここ数年、ミルン(1882−1956)関係の出版物がブームになっているようだ。私の手元にもアン・スウェイトの『クマのプーさん スクラップ・ブック』、谷本誠剛・笹田裕子『A・A・ミルン』、安達まみ『くまのプーさん 英国文学の想像力』『ユリイカ2004年1月号:特集「クマのプーさん」』がある。さらに自伝の翻訳が出版されると聞き、少々うんざりした。ミルンに罪はないが、児童文学の領域で「プー」にばかり衆目が集まるのは不公平だと、ひがみたくもなった。
しかしながら本書はブームに乗じて出版したものではなかった。文章は読みやすく、注釈は懇切丁寧で、翻訳の手本となる労作である。そのうえ1939年出版の原書は、ヴィクトリア時代に生まれ、時代につれ価値観が変わる様子を経験し、『パンチ』誌や演劇界で成功した、ユーモリストであるミルンによるものだから、面白さは最初から保証されている。
本書は幼少年、中学・高校、大学、フリーランス、編集助手、アマチュア軍人、作家の各時代から構成されているが、幼少年と中学・高校時代が半分を占め、逆に軍隊時代がかなり省略されている。同じ戦争体験をもつ詩人ロバート・グレーブズ(1895-1985)が、自伝『さらば古きものよ』を幼少期の記憶から始めておきながら、結局、軍隊経験を中心にしたことを思えば、ミルンは戦争体験を遠ざけようとしたものと思われる。代わりに彼が力を入れたのが、子ども時代、折りに触れて味わった種々の「幸福感」を伝えることだった。前述の『ユリイカ』の高山宏の言葉を借りると、プーの森を「ここまで理想化して書かねばならない切迫したミルン世代の外傷」が、感じとれる部分である。
書名の「今からでは遅すぎる」は、人間の性格は子ども期ないしそれ以前に形成されるものだというミルンの考えを反映している。子ども時代を振り返る彼の文章はユーモラスであり、皮肉も感じられる。筆者が思わず笑ってしまった個所をいくつかあげよう。19世紀後半に中流階級の家庭に生まれたミルンは、母親の趣味で小公子スタイルという「とんでもない誤った格好」をさせられ、カールした金髪を重荷に思っていた。安息日である日曜日ともなれば、礼拝の帰り道に「散歩している信心深い毛虫に」出くわすことを期待したという。また1890年、兄のケンとふたりで3日間の徒歩旅行を試みたときのことを、ミルンは「すばらしいハム・アンド・エッグズの昼食の前には、すばらしいハム・アンド・エッグズの朝食が先行し、あとにも、同じものが続いた・・・が、ケンの心中には、私がハム・アンド・エッグズに対して持つ好感情が欠けていた」と、真面目くさって語るのだ。
プーの愛読者には、後半に描かれている編集者から作家への転身のくだりが興味深いだろう。自伝から創作の秘密を読みとることもできる。たとえば幼いころ、クリスマスに教会で長い時間すごしたミルンは、賛美歌を敬虔にうたいながら、あいまに世俗的な考え(贈り物の使い道)を考えていたという。こうした光景は有名な「おやすみの祈り」に通じ、彼の詩の原点に出会う思いがする。またミルンが子どもの心を理解できたのは、日常的な「観察」と彼自身の幼少時代の「記憶」、そして観察と記憶の上に積み重ねた「想像力」が基点だったと、みずから語る個所もある。
本書はミルンを再評価する上でも、また19世紀末から20世紀にかけての英国の雰囲気を知る上でも貴重な一冊で、石井桃子氏が翻訳されたことを心から寿ぎたいと思う。
(西村醇子)2004年2月27日付週刊読書人掲載