No.77  2004..05.25日号

       
【絵本】
○いろいろな国で翻訳された絵本
『ペドロの作文』アントニオ・スカルメタ文 アルフォンソ・ルアーノ絵 宇野和美訳(1998/2004.3 アリス館)
 日本ほど、いろんな国の絵本を翻訳本で読める国はないのではないかしら。アメリカ、イギリス、フランスのものなら人気作家の絵本は、ほとんど同時、もしくは1年以内には翻訳絵本で手に入る。最近は北欧の絵本も人気が高い。まだまだ新しい作家のものは時間がかかるが、ベスコフやリンドグレーンなどの大家の本は、ほとんど翻訳されているだろう。本国で復刊された絵本なら、日本でお目にかかるのも時間の問題。
 翻訳のスピードは情報のスピードだ。ヨーロッパでもアメリカ絵本がすさまじい勢いで翻訳され、刊行されている。まるで絵本市場がアメリカ文化のお先棒をかついているみたいな。どうにも言いがたい、薄ら寒いような<価値観の一元化>を感じてしまう。アメリカ絵本界の広い裾野や蓄積された絵本作りのノウハウのグレードの高さは、やはりすごいと言わざるをえないのだが……。
 つらつらとこむずかしいことを考えてしまったのは、このスペイン語で書かれた絵本の翻訳を読んだからだ。この文章が書かれたのは1970年代。絵が描かれ絵本のかたちになったのが2000年、それから英語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、デンマーク語に翻訳され、日本語になったのは2004年。ゆっくりとだが、確かな歩みで世界に広がっている。だいたい、日本でスペイン語で描かれた絵本を手にすることはほとんどない。アメリカでは英語とスパニッシュの2か国語で、同じ内容の絵本を刊行することが最近は多いけれど、スペイン語文化圏の絵本を英語に翻訳しているのはほとんどないのではないかしら。
 この絵本の歩みには、伝えなくてはならないと考えた人たちの深い祈りの気持ちが込められているように思う。それは、著名な作家であるスカルメタ(映画「イルポスティーノ」の原作者でもある)が、子どもを主人公にしてしか伝えられなかった物語であること。それは、まず、新聞に発表され、そのあと、やはり主人公と同じ、子どもたちに手に取りやすいかたち・絵本として刊行されたこと。じっさいこのテキストは、絵本の形には収まりにくい分量であり、視覚化にしくい要素を持っているように思える。今時の絵本を見慣れた人は、あか抜けない印象を持つだろう。けれども、これはどうしても絵本という形にしないと、手に取ろうとできない人たちにこそ伝えたい<あった事>であり、これからも<ありえる事>なのだ。それだからこそ、5カ国で翻訳出版されたのだろう。日本語でも手に取れるようになった喜びをかみしめたい。
 こういう現実は、すぐに翻訳出版されるアメリカ絵本のようなタイプのものからは伝えられないだろうな。絵本は絵と文章で構成されたものにすぎないけれど、それを造り出す文化を否応をなく背負っていることを自覚しながら、本を選び、読んでいきたいと改めて思った。


○その他の絵本/読み物
『おとぎばなしをしましょう』『こえにだしてよみましょう』フランチシェク・フルビーン文 イジー・トゥルンカ絵 きむらゆうこ訳 (1953/2004.2,2004.4 プチグラパブリッシング)
チェコの国民的作家フルビーンと人形アニメの巨匠トゥルンカのコンビの絵本。今まで二人のコンビの絵本として『花むすめのうた』(ほるぷ出版)があるが、長く絶版となっており、久しぶりの翻訳となる。
『おとぎばなし』のほうは良く知られたおとぎ話のパロディが多い。あかずきんちゃんはおおかみにくさでもめしあがれ、というのだし、蕪が大きくなったみたいと、おじいさんが皆を呼んでも、それはモグラが出てきただけだった……。こういう小話が11話。なかには何でも食べてしまうオテサーネクという男の子の話やキツネの話などのチェコの昔話も入っているのがおもしろい。全体的にコンパクトにまとめられているためか、初めておとぎ話を読んでもらう小さな子にはわかりにくいところがあるようだ。(パロディがわからないのだろう)
『こえにだして』のほうがチェコの日常的な生活の様子をうたにしていて、詩画集として素直に楽しめる。
どちらも、トゥルンカのにじんだような絵が独特で、好きな人にはたまらないと思う。

『ドラゴンマシーン』ヘレン・ウォード作 ウエイン・アンダースン絵 岡田 淳訳(BL出版 2003/2004.3)
人には見えないものを見てしまう子どもっています。それはその子の心が引き寄せるのかもしれません。そういう子どもの心の軌跡をきちんとファンタジーでくるんだしっかりとしたお話にして見せるのは、大変な力量がいります。それを難無くしてみせているのがこの絵本。幻想的なイラストの力でもって、不思議を納得に変えて、安心のラストまできちんと送り届けてくれます。よかったね。

『ふしぎな かけじく』イ・ヨンギョン絵と文 おおたけきよみ訳 (アートン 2002/2004.4)
貧しい男を助けようと、仙人が毎日1両づつ出してくれる、ふしぎなかけじくを持ってきました。初めはそれに満足していたのに、だんだん1両ではつまらなくなって、一度に100両出してくれと言い出したところ……。『あかてぬぐいのおくさんと7にんのなかま』(福音館書店)で知られる韓国の絵本作家の絵本。勢いのある筆の線画、表情豊かな人物の造形で古典小説を子どもに向けてアピールします。この軽みは、今まで紹介された韓国絵本にはあまりみられなかったもの。作家の新たな一面をみせてくれています。

『ママが いっちゃった……』ルネ・ギシュ文 オリヴィエ・タレック絵 石津ちひろ訳 (あすなろ書房 2003/2004.4)
真っ黒な部屋の壁に小さな白抜きのタイトル。外の世界はあんなにも明るいのに……。インパクトのある表紙です。ママは〜してるんじゃない、という否定を重ねた後、知らされるのはママが天国にいってしまったという事。その喪失の重さに押しつぶされてしまったパパとわたし。それを動かしたのはたつまき。家をこわし、家の中の大切なものをばらばらにして、パパとわたしを外へと吹き飛ばしてしまった。明るい外でひっくりかえって、川のせせらぎを聞き、緑を目にしたことでパパもわたしも、ママをもう一度感じる事が出来た。大きな筆のタッチでグイグイと描かれる風景と頼りない表情のくまの親子。絵の中の空間が二人のからっぽな心を写しているようで、かなしい。ラストの森の表情の優しさに救われる。

『くるりんのはじめてのおつかい』とりごえまり文・絵(文溪堂 2004.4)
びっくりしてどきどきするとくるりんとまるまってしまうはりねずみのくるりん。本作ではひとりでおばあちゃんのお家にサクランボを届けに行く事になりました。だいじょうぶかなあ。1作目で仲良しになった森の動物たちに助けてもらって、サクランボを買うところまではスムーズに出来ました。おばあちゃんのお家まで行こうと森を進んでいくと……。嫌みのない展開で安心のストーリー。新しいお友達も出来て、次のお話も楽しみ。

『こんたのおつかい』田中友佳子作・絵(徳間書店 2004.4)
新人作家のデビュー作。おつかいをたのまれたこんたが油揚げを買いに出かけ、いつもは通っちゃダメと
いわれる森の道に入っていくと、てんぐやら、鬼やら、おばけやらが出てきて……。子どもの大好きな妖怪ものをてんこもり。おつかいという日常に非日常を組み合わせ、どきどきわくわくした心持ちをうまく表現しています。パターンとしてはよくあるお話の形をてらいなく描き切り、オーソドックスで安心な絵本。こんたの後を追い掛けるモグラくんの声なき姿が楽しい。生き生きとした妖怪たちの姿に比べ、こんたの表情がちょっと記号的なのが惜しいなあと思いました。

『おさんぽだいすき』今村葦子作 垂石眞子絵 (ほるぷ出版 2004.4)
ひとりで歩けるようになったのがうれしいころのちょっと赤ちゃんを卒業した子が主人公か。パタパタとママの大きな靴をはき、まためがねでお空を眺め、しりもちついて地面を眺め、何をしても楽しいお散歩。帰りはママといっしょ。リズミカルでやさしい言葉にあふれたテキスト、真ん丸ほっぺの愛らしい子どもの姿。『だっこだいすき』『おふろだいすき』に続く、だいすき絵本第3作目。思わず毎日の中で子どもにかけてあげたい言葉にあふれた絵本。

『池のほとりのなかまたち』ラッセル・ホーバン作 松波佐知子訳 たかおゆうこ絵(徳間書店1983/2004.4)
フランシス・シリーズでおなじみのホーバンの幼年童話。ぬまにくらすヒキガエルやら上月が目やらモグラ、コウモリ、カラスなどを主人公にしたお話が8つ。どれもビタースィートな語り口でなかなか大人っぽいところが、おもしろい。それぞれの主人公達は固有の習性をきちんと表現しつつ、それが性格にまで昇華され、ホーバンのちょっとシニカルな感じも残っていて、不思議な感じ。それが沼に住む動物たちにあっているような。

『うさぎのおけいこ』垣内磯子作 綾 幸子絵(フレーベル館 2004.4)
おおきくなったらうさぎになるってきめているなつか。うさぎの気持ちで毎日を過ごしたら、ごはんをたべるのだって、外で遊ぶのだって、こんなに楽しい。詩的で自在な心を子どものすがたに託して描かれた童話。この本を自分で読める年頃の子には、なつかの姿はちょっと幼くて、おっかしいと思われてしまうかもしれないけれど、そういう時期があったなあとぼんやり思い出す事もあるかも。大人の目には懐かしい、愛らしい姿として心に焼き付いている子どもの姿ではあるのですが。そのギャップがこういう童話のちょっと難しいところだなあと思います。

『魔女のこねこ ゴブリーノ』アーシュラ・ウィリアムズ作 中川千尋訳 平出 衛絵(福音館書店 1942/2004.4)
自分の居場所をさがす子猫の物語。魔女ネコとして生まれたはずなのに、お姉ちゃんのようにはなれないゴブリーノ。あたたかな暖炉の前でうつらうつらする台所ネコとして暮らしたいなあと思うのですが、魔女ネコ之ような力が出てしまったり、周囲にうとまれたりして、うまく行かなくて、放浪します。1話完結で、様々な家のネコになってみるのですが、さいごには……。安定した物語の強さを感じさせるウィリアムズの語り口。半世紀も前に描かれた物語なのに、あまり違和感を感じさせません。ラストは安心の着地でにっこり。

『子うさぎのチノ』今村葦子作 小泉るみ子絵 (ポプラ社 2004.5)
何のためにここにいるのか、どうしてこうしていたのかと思っていた雪だるまと小さな子うさぎの幸せな出会いの物語。大きな人が小さな人にできる事は、語りかけ、そこから何がしかのきっかけを小さな人がつかめるように、知らず知らずに導き、見守る事。作家の思いを代弁するかのような、自らは動けない雪だるまの姿に大人のわたしは自分を重ねてしまったが、小さな読者は妹のいのちを救いたいとがんばるチノに、心寄せて、不安につぶされないようにと、しっかりと応援するだろう。ラストシーンの雪の平原をひた走るチノの姿に、語られなかった安心の予感をのせて、小さなものたちのこれからを想像する時間を楽しみたい。(以上ほそえ)
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『ママが いっちゃった』(ルネ・ギシュー:文 オリヴィエ・タレック:絵 石津ちひろ:訳 あすなろ書房 2003/2004.04 1500円)
 クマを主人公にして、死を描いています。
 ママが行ったのは餌を採りにではなく、ハチミツ探しでもありません。
 言葉は静かに流れ、主人公より落ち込んでいる父親クマと二人っきりになった様子を描いていきます。
 死をどう受け入れるかが、奥深い画とともに示されていきます。(hico)

『いやだ あさまで あそぶんだい』(ヘレン・クーパー:作 ふじたしげる:訳 アスラン書房 1996/2004.05 1600円)
 『かぼちゃのスープ』のヘレン・クーパー、最新訳絵本。
 あいかわらず濃い画ですが、それが幻想的な物語を描くとき、その世界に取り込まれてしまいそうです。
 夜になっても眠りたくない小さな子ども。小さな愛車で、誰か遊んでくれないかと走り出します。でも、ライオンも機関車もみんな、眠たいので、相手をしてくれません。
 子どもの遊びたい欲望に寄り添った物語運びはさすが。ひねりの効いたラストも、暖かいです。(hico)

『うみをわたったこぶた』(木崎さと子:文 黒井健:絵 岩崎書店 2004.04 1300円)
 両親を失ったこぶたと、彼を海へと導いて行くちょうちょ。抽象度の高い反戦平和絵本。
 子どもの頃に中国から引き揚げ体験のある著者ですから、こんお願いはよくわかります。が、第二次世界大戦や、アジア侵略などの歴史的事実を学んでいない子どもたちに、どう伝えるかでは、もう少し情報が欲しい。タイトルがすごいので、その驚きと、絵本が伝えたい事が巧く結び付くかが、別れどころ。(hico)

『おはつ』(工藤直子:作 ネイチャー・プロダクション:写真 小学館 2004.05 1200円)
 「フォトポエム絵本」とのキャッチの写真絵本です。
 全ての生き物は、必ず「おはつ」(生まれるでもいいや)があって、そこに焦点を当てて、世界を見直してみたい。
 といった工藤の想いが一杯詰まっています。
 癒しではなく、事実に腰を据えています。
 写真の方は、チト出来すぎかな。(hico)

『千の風になって』(新井満:文 佐竹美保:絵 理論社 2004.03 1300円)
 欧米では有名な、仮に新井が『千の風になって』(I am a thousand winds)と名付けた詩。
 様々な哀しみの場で読まれ、書かれたこの詩は作者不詳です。
 この絵本は、新井が詩から想像して書いたナバホの物語に、佐竹が絵をつけたものです。
 癒し系です。
 「愛の永遠を高らかにうたいあげる”究極のラブ・ストーリー”誕生」とは、帯のキャッチコピー。この方向付けは、売れ筋狙いとしてはわかりますが、今、そんなこと言ってていいのでしょうか? とは思います。(hico)
 

『ペドロの作文』(アントニオ・スカルメタ:文 アルフォンソ・ルアーノ:絵 宇野和美:訳 アリス館 1998/2004.03 1300円)
 軍事政権下のチリを描いています。
 ペドロの友人の父親が連れ去られたり、自由を封じられた日々。夜、両親はラジオで外国の情報をこっそり聞いています。知られれば、両親もまた連行されるでしょう。
 ある日学校に軍人がやって来て、作文を書けという。おだやかに、何の意図もないかのように、「下校後家族でどんなことをしているか」。
 本当のことを書くわけにはいきません。そのことをペドロは分かっているのでしょうか?
 描かれ方は、決してスタイリッシュでも、力強くでもありません。イマドキでもありません。が、静かに語られるその物語の重さには、感銘を受けます。この場合、スタイリッシュにしてはダメで、やっぱりこの形がいい。(hico)

『ずらーり ウンチ』(小宮輝之:かんしゅう 西川寛:こうせい・ぶん 友永たろ:絵 アリス館 2004.03 1500円)
 色んな生き物のウンコを巡る、写真絵本。
 知らなかったこともいっぱいあって、助かりました。
 なんのけれんもなく、ただただ様々な動物のウンコに関しての情報があります。
 そこがいいのです。
 ただ、ウンチより、ウンコの方が良かったのですが。(hico)

『戦争なんて、もうやめて』(佐藤真紀・日本国際バランティアセンター:編 大月書店 2004.04 1400円)
 イラク・イスラエル・パレスチナ・北朝鮮・日本の子どもたちが戦争と平和への想いを描いた絵と、絵を通して交流した子どもたちの姿をまとめた絵本。絵本といっても子どもたちの絵が載っているからそう言っているだけで、正確には子どもたちの絵による平和へのメッセージ集。
 これが無茶苦茶良いです。
 戦争と関わりがないはずの子どもたちが、関わってしまったり、考えたりする様子が絵から、ビシバシ伝わります。
 絵の力ってすごい。(hico)

『サナのゆきのでんしゃ』(なりた まさこ:作・絵 ポプラ社 2003.11 1200円)
 雪の積もった夜。二つの太い線が、ずーっと向こうまで走っている。
 なら、それを辿って行きたくなっても仕方ありません。
 サナとルルはゆきのでんしゃを作って出発。ウサギもキツネも雪だるまも途中で乗ってきて、もう大騒ぎ。
 雪の夜の高揚感がとてもよくでた作品です。
 誰もが嘘だと分かっているけれど、この世界に浸るのは楽しいってタイプ。(hico)

『てんぐちゃんと ふたごのおに』(もりやま みやこ:作 かわかみ たかこ:絵 理論社 2004.03 1000円)
 てんぐちゃんシリーズ第2作。
 てんぐ修行の真っ最中のてんぐちゃんですが、ちかごろちょっとダレ気味。修行を忘れて、ふたごの鬼の見習いと遊びます。
 いけない、いけないと修行を再開。でもふたごの鬼のことも気になるので、戻ってみると、なんと二人の金棒が消えたとのこと。ないと鬼の国には戻れません。さて、真相は?
 かわかみの絵ともりやまの物語の息が合った出来です。
 もちろん、幸せな結末です。
 この作品も、読み返すより、読んだとき、「ああ、おもしろかった!」で、OKです。絵本を読む面白さを体験できれば、それ以上は必要ありません。(hico)

『くるま だいすき』(岡村好文:作・絵 岩崎書店 2004.02 800円)
 ぶぶさんシリーズ2作目。
 色んな動物の要求に応えて、彼らにあった車を作る。ってだけの物語です。
 だから、ここにあるのは、自分だけの乗り物への愛着と快感。
 何故乗り物は面白いのかは、言葉で説明されていません。が、岡村の画からそのメッセージが届きます。(hico)

『M78ウルトラマンのカタカナ アイウエオ』(なかたわこう:作・絵 岩崎書店 2004.02 780円)
 ウルトラマンで、覚えようシリーズです。今回はカタカナ。
 もう、強引にウルトラマンとカタカナをつなげてますから、結構楽しめます。「ン」が「バルタン」の「ン」とはチト苦しい。
 でもいいのです。笑えますから。(hico)


【創作】
『ウィッシュリスト』(オーエン・コルファー:作 種田紫:訳 理論社 2002/2004.04 1380円)
 『アルテミス・ファイル』を書いたオーエンの最新訳。
 14才のメグは、どう猛な犬ラプターを連れた16才でワルのベルチと夜中、ある老人宅に侵入する。年寄りの家を襲うなんて気乗りのしないメグですが、断れない理由があります。
 簡単に泥棒できると思ったら、老人ラウリーに見付かってしまい、ラプターに襲わせてから、逃げる。チクられるのを恐れたベルチは老人から奪った銃でメグを威嚇します。脅かすつもりで撃った散弾銃。が、メグの背後にあったガスタンクに引火させてしまい、二人は即死。
 って、とんでもない所からスタートする物語は、思わぬ展開を見せます。ベルチは真っ直ぐ地獄へとばされたのですがメグの善行と侵した罪のポイントは同じ。どちらへも行けないメグは、幽霊としてこの世に戻され、その後の行いで天国か地獄かを決められることに。メグは、ラウリーの所へ。彼が、後悔している実現しなかった四つの願いを叶えることが与えられた課題。一方地獄にベルチは、メグを地獄に落とす使命を闇の王から与えられ、地上に降り立つ。
 ここから、四つの願いをどう叶えさせるか、何故メグがベルチに従ってラウリー宅を襲うはめになったか等が速いテンポで描かれていきます。切ない願いあり、笑える願いあり、なんですが、どれもラウリーにとっては大切な願いなのがいいです。
 癒し系といえばそうなのですが、願いが叶っても、メグとラウリーの行き先は現世ではなく、天国なんですね。(hico)

『天才ネコ モーリスとその仲間たち』(テリー・プラチェット:作 冨永星:訳 あすなろ書房 2001/2004.04 1700円)
 突然人間の言葉が話せ、人間並の知能を持った猫のモーリスと、同じく知能を持ったネズミたち、そして笛吹の少年が主人公の物語。モーリスの誓いは、話せるネズミは食べないこと。
 さて彼らがなにをしているかというと、ある町にネズミが大発生。笛吹の少年がやって来て、ネズミたちを町から出て行かせるの。もちろん、ネズミと少年のやらせ。この商売、モーリスのアイデアです。
 同じことをやろうと、ある町にたどり着く所から物語は始まります。
 どうやら町はすでにネズミが大発生しているらしく、食料は次々ともちさられ、ネズミ退治請負人二人が活躍しています。退治した証拠に彼らが集めているのはネズミのしっぽ。が、その中にはネズミのしっぽの長さに切られた靴ひもがあるのにモーリスは気付く。何か怪しい?
 さっそく地下へともぐるネズミたち。と、普通のネズミはどこにもいません。あるのは、彼らがこれまでみたことのないような数の毒とネズミ取り。
 ここには何か謎がある。商売を始める前にそいつを調べねば。
 隠された陰謀とは?
 ネズミたちのキャラも良く立っていて、ストーリーはスリリング。そして陰謀の奥に秘められたもっと恐ろしい何かが。
 サービスてんこ盛りで、読ませます。(hico)

『ワニてんやわんや』(ロレンス・イェップ:作 ないとうふみこ:訳 ワタナベユーコ:訳 徳間書店 1995/2004.01 1400円)
 イェップ最新訳。弟のボビーばっかが、可愛がられているとブツブツ思っている、おにいちゃんのお話。
 弟のお誕生日に、いつもの靴下ではなく、ミドリガメを買ってあげなさいと云われたぼくは、いたずらのつもりでワニの子どもを買ってくる。これでビビらせてやろうというわけ。が、ワニを気に入ったボビー。にらむお母さん。親戚もやってきて。お誕生会が始まるのですが・・・・。
 「ぼく」の気持ちの流れがとても自然で、巧いです。「ぼく」の語りの中からボビーの優しさなんかも伝わってきて、いたずらのつもりが、そうならなくて、そうならないと、「ぼく」はなんだか後ろめたくって。(hico)

『1946年 海のかなたへの旅・クリストファー・コロンブスの大航海』(パム・コンラッド:作 ピーター・ケッペン:絵 谷口岳男:訳 くもん出版 1991/2004.05 1200円)
 コロンブスの最初の航海に乗り合わせた少年の日誌という形で、この歴史的出来事を描いています。
 日誌の形なので、創作性がそれほど表に出ず、臨場感で読ませます。
 少年の目から見たコロンブスたち大人の欺瞞性などが、浮かび上がる仕組み。
 軽く読み流して、歴史への興味を持てる作品です。(hico)

『あゆみ』(しんやひろゆき:作 松尾たいこ:画 講談社 2004.03 1300円)
 転校してきた男の子の姉(大学生)であるあゆみへのあこがれや、幼なじみのあゆみのことや、友達との出来事や、性への関心やを、小学六年生の主人公が、大阪弁で語りまくります。そのリズムにのれるかどうかで、物語の印象は変わるでしょう。のれれば、男の子たちの日常風景が目に入って来ます。この日常風景も結構、大阪文化系なので、その地域ではこーなんだといったことが判ります。コテコテです。
 物語は直球で、気持ちがいいです。
 物語展開はフラッシュバックが多いのですが、もう少し減らした方が判りやすかったでしょう。(hico)

『夏のラブソング』(いずみだ まきこ:作 よしの けい:絵 2004.04 1000円)
 もう9年が過ぎた、阪神・淡路大震を素材にした作品。
 公園でテント暮らしの日々が、子どもの目を通して、ユーモラスに描かれていきます。
 といってももちろん公園暮らしが楽しいわけでもなく、理解しないクラスメイトに苛立ったりもします。
 今、あの震災を再び記憶に留めておくための一冊(hico)

『かがやけ! おれたちの海』(小宮山佳:作 末崎茂樹:絵 文研出版 2004.05 1300円)
 タイトルからして、真っ直ぐですが、物語も画もそうです。分校廃止問題で揺れる漁村に新任の男の先生がやってきて、たちまち生徒たちの人気者に。
 分校廃止には、本校のある町までの道路を通すという見返りがあり、そうなれば、観光で潤うと思う人、子どもはやっぱり本校に通わせたいと思う親、この自然を守りたい人、賛成派と反対派。大人同士の諍いが、子どもたちにまで影を落とします。なにやら利権も絡んでいるようで・・・。廃止反対側に立った先生。どうなるか?
 この物語は一つのパターンの中で書かれていて、そこが安全でありつつ不満の残るところ。最後に小さなどんでん返しはあり、その部分を読むと、やはり『兎の眼』の時代の作品ではなく、今の作品なのですが、このエピソードのための伏線が殆どありません。まず、ここを中心にして、物語を組み立て直してもよかったのでは?(hico)

『ねこまた妖怪伝』(藤野恵美:作 筒井海砂:絵 堀内日出登巳:編集 岩崎書店 2004.04 1200円)
 岩崎書店の第二回ジュニア冒険小説大賞、受賞作です。
 画は、ごめんなさい、ちょっと引いてしまいますが、物語はなかなかのもの。
 自分が妖怪の猫又とは知らず、おばあちゃんと、言葉を交わしながら育ってきたミィ。が、おばあちゃんが死んでしまい、自分が人間の言葉も話せる妖怪だとは知らずにいるミィ。
 自分のアイデンティティを知らないミィが、それを知り、どう生きていくのか。
 ってところからスタートする物語は、妖怪と人間のデスコミュニケーションにも触れながら、「好き」と「友達」ってカードを駆使して、幸せな結末に持って行きます。
 これだけの短い物語で、これだけの問題をよく処理していることに、感心しました。
 もちろん、ストーリー展開の強引さもあるのですけど、そこはこれから巧くなるだけの才を感じます。(hico)
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 ある日、小夜は傷ついた子狐を救います。野火という名のこの狐、人に姿を変えて敵国に忍び込んで情報を得たり、時には暗殺をする、使い魔でした。彼は主に支配されていて、逆らえば死が待っています。野火は小夜の住む春名ノ国と敵対する隣国湯来ノ国の使い魔。けれど、救われてからずっと野火は、小夜を見守り、命を救ったこともあります。『狐笛のかなた』(上橋菜穂子 理論社 千五百円)は、小夜と野火、ただでさえ結ばれるはずもない二人の惹かれ合う心が描かれています。
 春名ノ国では跡取りが事故死。が、こんなときに備えて、もう一人の息子小春丸を人里離れた場所に閉じこめ、隠していました。子どもの頃小夜は、身分も知らずに小春丸と遊んだことがあります。湯来ノ国の領主は、小春丸に跡目を継がさないために野火の主に命じ、呪いをかけます。陰謀を知った小夜は小春丸を助けたい。小夜のために野火は、主の命令に逆らいます。小夜は野火が、長い間自分を見守っていてくれたのを知り、愛おしく思う。でも、現実の世界では二人の惹かれ合う心は結びつくことは出来ません。そこで、物語は現実世界でも彼岸でもないその間の世界「あわい」という世界を設定します。二人の心は仲良くそこで生き続けます。哀しいけど、自分の意志を貫く小夜と野火の姿は、美しく、勇気を与えてくれますよ。(hico)読売新聞2004.04.26

【評論】
『ムーミンを読む』(冨原真弓 講談社 2004.04 1500円)
 「ムーミン」シリーズを初期の物から順一冊ずつ紹介した、ムーミン入門書。時系列なので、全体像が見渡しやすい構成になっています。また、すでに読んでいる作品も、それぞれの紹介章を読み終えてから、原作を読み直すと新しい発見もあるでしょう。あくまで「入門書」ですから、このサーガを深く分析しているわけではありませんが、「入門書」より、半歩位は踏み込んでいるので、ムーミンを未読の方は、この著で原作に興味を持てると思いますよ。(hico)