【絵本】
○まっすぐな目
「ひな」「ひなとてんぐ」(瀬川康男 童心社 2004,10)
 久しぶりに見た瀬川康男の絵本はうすぼんやりして見えた。「絵巻平家物語」や「ぼうし」などにくらべて、あっさりとした色調で、線の勢いもやわらかく、にじんで見えた。小さな、幼い子への本だからなのかな、と子どもといっしょに読んでみた。子犬のひなは知りたがりやで、出会うと、見つめ、においを嗅ぎ、かんでみて、のっかってみて、なめてみる。最初のカエルはにげていった。そして、女の子に出会う。同じように、かんで、のっかって、なめて、なめて、なめて……。いっしょに読んでいた子が笑う。「なめても、なめても、なめきれない!」とうれしそうに笑う。好きで好きでしょうがない気持ちを「なめる」という行動にして見せられたのがとっても気に入ったのか、好きの気持ちを表現する時「なめても、なめても、なめきれない」といってはにっこりとする。こういう秘密の暗号みたいなのが、絵本をいっしょに読んだ時のお楽しみ。そういうお楽しみを提供してくれる絵本は、そうそうあるものではない。ああ、この子の心には「ひな」がすとんとおさまったのだな。最初、こういう装飾的な絵は小さな子にはわかりにくいのではないか、大人っぽいのではないかしら、と心配した私は恥じた。絵本の中の女の子はいろっぽく、幼女であっても、大人の女のような目つきをしてみせる。そこに心通わせる時の気安さと誘いがある。好きだと表現しても、しきれないほどの思いをもつひな。それはまっすぐに母親に向かってくる幼子の姿に重なって見えた。そんなひなの肩を抱いて、「わたしのひな」とよりそう女の子に母を見るのも、そんなには的はずれではないのかも。
 それなら「ひなとてんぐ」のてんぐは思いっきりあそびにつきあう父かしら。一つ一つ着物や持ち物をとられ、ひなにばりばりと壊されてしまう様子にけらけら笑う子ども。繰り返されるセリフと行動、そして転換のてんぐらしさ。起承転結も見事にきまった絵本らしい展開だ。声に出して読んでいてもめりはりがある。どちらの本でもひなはまっすぐに相手を見て、自分の要求をつきつける。それは幼い子が親に向かって示す行動と同じ。まだ、言葉をもたない赤ん坊が、まわりを見つめるまっすぐなまなざしに、親になりたての時分、どんなにたじろいだことだろう。そんなことが思い出された絵本だった。

○そのほかの絵本、読み物
「うさぎのぴょんのクリスマス」(ロルド・ジョーンズ作、絵 早川敦子訳 徳間書店 1983/2004.10)
詩や他の作家のテキストの挿画ではよく見るジョーンズのオリジナルの絵本は初めて見た。ペンのタッチがやさしく、淡く色づけされた水彩が上品。うさぎのぴょんがクリスマスの前の晩にみたものは、クリスマスの妖精とサンタクロース。君のお願いをきいてあげるよと言われたぴょんは、森の動物たちにもツリーやプレゼントを見せてあげたいと伝えます。そして、いっしょに盛大なパーティーが……。そうしてお家に戻ってみると大好きな子どもたちから手作りのプレゼントがありました。与え、与えられる、思い、思われる喜びとうれしさを丁寧に小さな子どもにも伝わるように、また子どものファンタジーを壊さぬように描かれています。

「こわがりうさぎのホッピーくん」(エリザベス・ショー作、絵 新井さやか訳 徳間書店 1987/2004.10)
心配性のおばあちゃんから、だめだめばかりいわれていたホッピーくん。こわがりだなあ、と友だちにばかにされていたのですが、弟をねらっているキツネをやっつけたところ、勇敢なこうさぎだと表彰されました……。よくあるパターンの展開だが、シンプルなテキストと表情豊かなイラストで小さな子どものどきどきをそっとつつんで、安心のラストへ。ショーの絵童話は、子どもの心の小さな揺れを身近なストーリーに置き換えて、きちんと伝えてくれる。斬新さはないかもしれないが、他の本ももっと紹介されていいと思う。子ブタのお話など読んでみたい。

「メイシーちゃんのおうちはここですか?」「メイシーちゃん なににのっていくの?」(ルーシー・カズンズ作 なぎともこ訳 偕成社 2004/2004)
メイシーちゃんのしかけ絵本最新作。とんとん、とドアをたたいて「メイシーちゃんのおうちはここですか?」と尋ねて、フラップをめくると、おうちの中が一望できるしかけ。隣のページに描かれたものをおうちに中から探す探し絵的な遊び方もできます。同じ手法で乗り物を描いているのが「なににのっていくの?」。
ただフラップをめくるだけの簡単なしかけなのだけれど、かわいいメイシーちゃんと仲間たちの様子が楽しい。そして、答える時に「NO 」っていうのが、また楽しんだよね。安心して絵本を楽しんでいるからこそ、NOって言えるんだと思う。ちがうよ、じつはね、という展開がこの絵本のおもしろさだし、NOと言う時の子どものうれしそうなことといったら。

「サー・オルフェオ」(アンシア・デイビス再話 エロール・ル・カイン絵 灰島かり訳 ほるぷ出版1970/2004.10)
ギリシャ神話でよく知られるオルフェウスのお話がケルトの伝承の中に生きていたという。それをイラスト化したル・カインの絵本。中世の吟遊詩人の語りを思わせる訳文と中世宗教画に見られるような文様や様式化された人物像で描かれ、雰囲気のある絵本となっている。丁寧な訳者あとがきを読めばお話の成り立ちもよくわかる。

「銅版画家の仕事場」(アーサー・ガイサート作 久美沙織訳 BL出版 1997/2004.10)
ガイサートの制作の様子がわかるかのような絵本。早く翻訳が出ないものかと待っていてよかった。銅版画家であるおじいさんとそれを手伝う孫を主人公に、制作の手順や絵の中に入り込んでしまう楽しみをきちんと伝えてくれる。ラストの「銅版画のできるまで」というページを見ると一枚の絵が完成するまでに19以上もの工程をへていることがわかり、ただただびっくりする。おじいさんとぼくの言葉少ない深い情愛や物づくりへの真摯な態度が、この絵本を絵本たらしめている。

「シロクマくんのひみつ」(ヒド・ファン・ヘネヒテン作 菱木晃子訳 フレーベル館 2004/2004,11)
「あなたのことが だーいすき」に続くシロクマくんの絵本第2弾。少し大きくなってお母さんから離れて出かけても大丈夫になったシロクマくん。お母さんに秘密にしたいことがでてきました。 小さな子にとっては秘密を持ち続けることがとっても大変。それがうれしいことであるならなおさら。ひとりでにふふふっとわらってしまって、「どうしたの?」って聞かれたり、気になってそわそわしたり。この絵本のシロクマくんもそうでした。大らかでやさしいタッチのイラストとあたたかいテキスト。

「わたしの足は車いす」(フランツ=ヨーゼフ・ファイニク作 フェレーナ・バルハウス絵 ささきたづこ訳 あかね書房 2003/2004.10)
車椅子に乗って初めてひとりでスーパーマーケットにおつかいに行った女の子。じろじろみられたり、小さな段差が昇れなくて困ったり……。でも、ひとりの男の子と出会って、嫌になった気持ちも変わっていきました。自分のことはゆっくりでもひとりでやれるもん、という気持ち。足が麻痺して歩けないだけで、車椅子に乗っていれば、他の子と同じだもん、と女の子は言い張りますが、「ちがってるよ、ちがっていていいんだよ」と言う男の子。自身が障がいを持つ作者だからこそ、女の子の微妙な心の動きをきちんと描き出しています。デザイン処理されたすっきりとしたイラストでドライに読ませるところが現代の絵本らしい。こういう絵本を子どもたちにきちんと出会わせたいもの。

「アメリカのマドレーヌ」(ルドウィッヒ・ベーメルマンス&ジョン・ベーメルマンス・マルシアーノ作 江國香織訳 BL出版 1999/2004.10)
ベーメルマンスの孫が編纂し手をいれた「アメリカのマドレーヌ」(1955)「サンシャイン」(1950)という2冊の絵本とコマ割りマンガだった「はくしゃくとくつしょくにん」(1935)、娘が綴ったエッセイ「ベーメルマンス家のクリスマスの思い出」(1999)が1冊になった大型絵本。孫が手をくわえたのは背景と着色ということらしいのだが、まずは今まで古書でもなかなかおめにかかれなかった作品を読めることを喜びたい。「アメリカのマドレーヌ」ではまさにアメリカ、テキサスを楽しみ、「サンシャイン」では自在な筆のタッチを楽しんだ。「はくしゃくとくつしょくにん」はなんとも大らかなで律儀な人たちの愛すべき小話。どれも朗らかで気のきいた展開、幸せなラストが待っていて、のびのびと読んだり、見たりできる。

「いまはあき」「ふゆがすき」(ロイス・レンスキ−作 さくまゆみこ訳 あすなろ書房 1948,1950/2004,11)
スモールさんシリーズがカラーで復刻されたレンスキーの季節の絵本。これもアメリカで復刻されたものの翻訳。「春はここに」「ある夏の日」がまだ復刻されておらず、刊行が待たれる。レンスキーの復刻はここ2、3年続いており、スモールさん以外の絵本が読めるようになったのはうれしいこと。この小さな季節の絵本は季節の過ごし方をハロウィーンや感謝祭、クリスマス、バレンタインディなどの行事にからめて、シンプルなイラストと言葉で描き出している。変化にとんだ季節の中で元気いっぱい遊ぶ子どもの姿はなつかしくもかわいらしい。

「なーんだ なんだ」(カズコ・G・ストーンさく 童心社 2004.10)
ページをめくるごとに大きなお顔の部分がだんだん現れてくる。「なーんだ なんだ」というテキストがリズミカルに、耳、目、鼻、口……と紹介していく。パンダの顔のあと、上に抱かれる子どもパンダにごあいさつさせ、ラストはだっこでおっぱい。部分から全体へ、赤ちゃんの視点や認識のリズムをうまくページ展開に落とし込んだオーソドックスなつくりの赤ちゃん絵本。シンプルなテキストを目の前の赤ちゃんの様子に合わせて、わらべうたのようにリズムをつけ、自由に読んでみると楽しいと思う。

「とこてく」(谷川俊太郎文 奥山民枝絵 クレヨンハウス 2004.11)
「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ」(おかざきけんじろう絵 谷川俊太郎文 クレヨンハウス 2004.11)
「赤ちゃんから絵本」シリーズの2冊。「ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ」は大竹伸朗の「んぐまーま」と同様に、先に絵があり、それに文(音?)をつけたという。「とこてく」は先にテキストがあったのだろう。どちらもファインアートを活躍の場に選んでいる画家が絵を描いている。それは絵本を職業にしている画家と組むよりも違った体験をしたいという作家の思いから出てきた企画なのだろうか。音としての声、言葉になる前の声を楽しむ。それをわたしは赤ちゃんに教えてもらった。そこに目を向けて、そういう存在のもともとのところから絵本を考えてみよう、というコンセプトはすごくよくわかる。でも、そういう楽しみは絵本を使わなくても、大きく広げることはできるなとも思う。絵があり、それに言葉がついていて束ねられ、ページが展開していけば絵本。これを自由におもちゃのように楽しんでほしい、見て、声にだし、見つめあい、読みあい、想像しあう、そのためにこの絵本をつかってほしいと作家は言う。そういう読み方はどんな絵本であっても読者の姿勢次第で可能なはずなんだ、本来なら。そういう自在な姿勢を忘れている読者を揺さぶる仕掛けとしては良い企画だと思う。

「おべんともって」(森山 京文 片山 健絵 偕成社 2004.9)
表紙のくまの子の愛らしさといったら。たくさんの人に充分愛されている子どもの姿だ。くまの子が森でお仕事をしているお父さんにお弁当を届けて、いっしょに食べて、帰ってくる一日を追っていくストーリー。お友だちに出会ったり、おじさんに助けられたりというエピソードも描かれて、落ち葉のおふとんの中で夢を見るシーンが入っているのがいい。きちんとした大人と秋の楽しみが描かれた幸せな絵本。

「トゲトゲぼうや」(今村葦子作 西村繁男絵 金の星社 2004.10)
とげとげだけど、ぼくはともだちがほしいんだ、ぼくのうちがわの、ここのところで、ともだちが欲しいよって声がするんだ、と言いおいて、たびにでたトゲトゲぼうや。そういう強い気持ちを小さな子は持っています。でも、子ねずみやカケス、うさぎに出会いながらも、仲間にいれてもらえず、同じようなトゲトゲだらけのくりのイガであそぶうちにねむってしまい……。こっくりとした色合いのやさしい動物たちの繰り広げる物語は主人公であるトゲトゲぼうやを語る両親や他の動物たちの方が多く描かれ、不在のトゲトゲぼうやを探すことで物語は展開し、見つけ、見守ることでゆったりと収束します。ぼうやが他の動物たちと仲良く言葉をかわすのはラストのイラストで表現されるだけ。それがなんとも良い感じ。愛らしい動物たちの姿が自分の友だちと重なって、小さな子はよかったね、とにっこりするのです。

「電信柱と妙な男」(小川未明作 石井聖岳絵 架空社 2004.7)
妙なお話である。「赤い蝋燭と人魚」などで知られる作家の別の一面をこの絵本で知った。古風な文体に引きずられることなく、絵は現代の家並みに、この奇妙なお話世界を作り上げた。夜になると外に出歩きたくなってしまう妙な男は、箱を頭にかぶっている。夜中の1時から3時くらい、ぶらぶら町中を歩いていると、散歩する電信柱にであってしまう。ここのところ、宮沢賢治の「月夜の電信柱」を思い出させるが、男と電信柱の変に意固地で笑ってしまうようなやり取りが未明のシニカルな面を強調し、絵はそれをユーモラスにあたたかく包む。ラストの閉じこもる男に、現代の病の姿を重ねてしまうのは深読みに過ぎるか。なんとも不思議な味わいの絵本。

「チリとチリリ うみのおはなし」(どいかや作 アリス館 2004.11)
「チリとチリリ」で森のなかをサイクリングしたふたりが、こんどはうみにサイクリング。えっ、うみに?なんてびっくりしてしまいますが、だいじょうぶ。どうくつをぬけると、そのままうみへ。導入をあっさり決めてしまえば、あとは楽しく海の仲間に出会って、いろいろなお楽しみを分けてもらって、たのしいきぶんで進んでいきます。うみの底のあったらいいな、がたくさん集まってできた絵本。

「ねずみちゃんとりすちゃん〜おしゃべりの巻」(どいかや作 学研 2004,10)
おしゃべり大好き女の子の、こんなことってあるね、というのをおもしろかわいく描いている。おしゃべりに夢中になって、さかなつりも、温泉のあとのパフェも、お買い物もできなくなってしまうのは、困りもの。
だから、お菓子づくりに集まった今日こそは……。くりかえしと最後の展開がオーソドックスにきまって、よかったね、のラストです。クッキーづくりのあとのおしゃべりは、いつものぺちゃくちゃとちょっと違っているかもね。それを少し、言葉で補ってみせても良かったかしら。

「ランスロットのきのこがり」(たむらしげる作 偕成社 2004,10)
ロボットのランスロットの絵本第2弾。きのこ狩りに出かけたランスロットと猫のモンジャ。ランスロットが見つけたのは毒きのこばかり。モンジャが「これがおいしいのじゃ」というきのこはチョロチョロ走って逃げ出すチョロきのこ。ふくろにいれて帰ろうとすると、大きなきのこがやってきて……。他愛のないお話だけれど、意外な展開でちょっとびっくり。かわいいキャラクターたちとやさしい語り口でほんわかとした読み心地。あったかいシチューのおいしそうなにおいにも惹かれてしまう。

「もみちゃんともみの木」(たかどのほうこ作 いちかわなつこ絵 あかね書房 2004,10)
もみちゃんはしょっちゅう落とし物をしちゃう女の子。それともみの木が大いに関係あり。なんとも人を食ったようなストーリー展開で、ちゃっかりクリスマスのお話にしてしまうところがおもしろい。学校でのもみちゃんのお話と学校わきに立つ10本のもみの木たちのお話がうまい具合にクロスして、なるほどのラストシーンになるのです。ああ、そういえばこんなことあるなあ、という出来事をこんなにキュートな絵本にしてしまうなんて。絵も愛らしく、のびのびしていて楽しい。

「にせニセことわざずかん」(荒井良二作 のら書店 2004,10)
「おおきなポケット」で連載されていたへんてこことわざのページが1冊にまとまりました。右ページに「猫に小判、豚に真珠」ということわざがきちんと説明されているところに、左ページで「猫にごはん、豚にしんぶん」となって、白いごはんが用意された朝の食卓で、猫がキャットフードを食べ、豚が新聞をやぶって顔を出しているイラストが描かれる。意味は同じでもシチュエーションを変えてしまって、奇妙にずれたシーンを作ってしまう。それがなんともおかしいの。小学校の中学年以上になると爆笑ものでしょう。「馬の耳に念仏」が「馬の耳に大仏、馬の耳に不燃物」となって、ジャイアント馬場ならぬジャイアント馬がリングにあがっている絵にいたっては、あほらしいやら、その不条理さにへなへなとなってしまう。全編、こんな調子でうわっ、こりゃなんじゃ、というページもあれば、こんなこと、あるある、というページもあって、字を読んだり、絵を読んだり、大いそがし!

「わたしのおじさん」(湯本香樹実作 植田 真画 偕成社 2004,10)
瀟洒な手触りの小ぶりの本。少しの文章と大きく描かれる風景に中の小さな子ども、ふたり。場所も人物も主人公自身も読み進むことで少しづつ解きあかされ、そうだったのか、という安堵に包まれる。在ることと亡いことのあわいに位置する微妙な世界を繊細に配置された言葉をたどっていくうちに、この物語に流れる許しと願いの思い、怖れと喜びのふるえを感じ取れるようになる。あてどのない白昼夢のような世界に見えるけれども、たしかにそれがあり、それが在ることでつながっていけるのだということ。思いがつながり、紡がれ、ある日、ふいに「ああ、知ってる」という声をもらしてしまうことの意味を知る。しんとした読み心地。痛くなるような思い。でも、それがいやじゃない。在りたい、在ってほしい、という願いは生きていくことにつながっていくから。

「2ひきのいけないアリ」(クリス・ヴァン・オールズバーグ作 村上春樹訳 あすなろ書房 1988/2004,9)
以前ほるぷ出版で刊行されていた絵本を新訳で出版社を変えての刊行。BAD ANTSを「いけないアリ」とするところが村上春樹訳らしい。ストーリーは人間の家に入り込んだアリが飲み込まれそうになったり、焼かれそうになったり、感電したり、と散々な目にあうのを淡々と描いているのだが、どれもアリの目線での画面になって表現されるのでシュールなおかしさがただよう。

「絵本 ジャンヌ・ダルク伝」(ジョセフィーン・プール文 アンジェラ・バレット絵 片岡しのぶ訳 あすなろ書房 1998/2004,10)
「しらゆきひめ」(BL出版)などでファンも多いアンジェラ・バレットは近年、昔話絵本から伝説やノンフィクションへと描く対象を広げている。その中の1冊が本書である。史実や歴史をまとった物語を視覚化するためには、たくさんの資料に目を通し、自分の中で消化して、絵本へ向かわなければならない。大変な方向へと進んでいるような感じがするが、画家の中ではよりグレードの高い、取り組み甲斐のある作品との出会いにわくわくしているという感じも見受けられる。このダルク伝では、亡くなった多くの人のために戦いのあと、何度の涙を流す姿がテキストで繰り返され、聖者は星に似ています、と語られるのだが、その意味を問い続けていくのが、今この絵本が作られた理由だと思う。

「はだかの王さま」(アンデルセン作 バージニア・リー・バートン絵 乾 侑美子訳 岩波書店 1949/2004.9)
やっと翻訳が出ましたか。どうしてでないんだろうなあ、「ロビンフッドのうた」みたいに訳すのが大変だったり(唄だから)、日本語にしてデザインを壊してしまうなんてこともないのが、この絵本なのに、と思っていました。バートンの描く王さまは、若くてスタイルもよく、そんなにいばりくさってもいません。ちょっとええかっこしいの若者のように見えます。2代目のボンボンみたいな、ちょっと道楽が過ぎるけど、素直な気の良い子なんですわ、と国の人たちに言われてそうな感じ。根っからの悪人を描かないところがバートンらしいような気がします。

「すきすき ちゅー!」(イアン・ホワイブロウ文 ロージー・リーヴ絵 おびかゆうこ訳 徳間書店 2004/2004,9)
柔らかい色鉛筆のタッチと淡くほわほわとして色彩で親しみやすいイラスト。表紙の幸せそうなだっこの絵を見ただけで、目にした子どもが「すきすきちゅー、して」と寄ってきました。これはすごいよね。絵本を読む前に「すきすきちゅー」して、もちろん読んだあとも「すきすきちゅー」しましたよ。おはなしは忘れ物を届けようと家を出ていったお父ちゃんを追い掛ける小ねずみちゃん。ところどころで大声で叫ぶのですが、おとうちゃんは「はて」と立ち止まるだけで、振り向いてくれません。読んでもらっている子は、「もう、気付いてよ」とどきどき。ラストは安心にっこりで、やっぱり「すきすきちゅー」でした。

「魔女ひとり」(ローラ・ルーク作 S.D.シンドラー絵 金原瑞人訳 小峰書店 2003/2004.10)
いわゆるカウンティングブックですね。魔女やのらねこ、かかし、ゆうれい、ゴブリンなど異界のものたちが2匹、三人、と順番に出てきて、なにかしらを魔女に手渡します。魔女はシチューを作って、皆に招待状を配ってシチューパーティーのはじまり、はじまり。2度のカウントでこれで数もばっちりでしょう。

「ゼルダのママはすごい魔女」「あたしもすっごいまじょになるんだ!」(ミッシェル・ヴァン・ゼブラン作 金原瑞人訳 (小峰書店 2002,2003/2004.10)
軽いタッチのイラストで、ゆったり組んだコマまんがみたいな構成。魔女のママといたずら好きのゼルダの二人ぐらし。1作目ではまだ、ゼルダは字が読めなくて、いたずらだってたかがしれているのだけれど、字を読めるようになって魔法で悪戯されてはかなわないとママが魔法の文字練習帳をかくしてしまう。でも、それを見つけて、字を覚え……というおはなし。2作目では魔法が使いたくて使いたくてしょうがないゼルダ。うるさいママをカエルにしてしまって、やっぱり大変!どうしましょう……という展開。特別、魔女物語に新味があるわけではないのだけれど、イラスト同様、すらすらっとかわいく読めて、ママのすがたに、えらいなあと共感したのが楽しかったかな。

「わたしのくまさんに」(デニス・ハシュレイ文 ジム・ラマルシェ絵 今江祥智訳 BL出版 2002/2004,9)
なんと魅力的なテキストだろう。やさしくて、すこしさびしくなるのだけれど、でもやっぱり良かったと思わずにはいられない。森に住む一匹のくまが一枚の手紙を手に入れるところから始まる。くまにとっては文字はただのしるしにしか見えない。けれどもほらあなに持ち帰り、何年もその紙をみかえしているくま。そうした時間のあと、森の空き地で本を読む女の人とくまが出会うのだ。そのしるし(文字)のたくさんつまったもの(本)を介して二つの魂がつながる。最初はおずおずと、やがてしっかりとゆたかに。言葉の通じないもの同士がなぜ、本でつながることができるのか。この絵本をまだ見ぬ人はそういぶかしく思うだろう。本を読む声、ページをめくる仕種、本そのものの手触りやにおい……。物語はそういうものすべてでくまの心を突き動かす。ああ、赤ちゃんに絵本を読んでた時みたい。わたしはあの全身でなにもかも受けとめようとしていた存在の小さくて重い感触を思い出した。森に来た女の人はなぜ、ひとりで本ばかり読んでいたのかしら? なぜくまさんは小さなしるしにそんなにも惹き付けられてしまったのかしら? ただただ本を読むという行為が二つの空虚に示した力に目を見張ってしまう。深い森の秋色に響く声と寄り添う影に、幸せな魂の在り方を示してくれたイラストの力にも注目。いつまでも手元においておきたくなる絵本。

「おばあちゃんのアップルパイ」(ローラ・ラングストン文 リンジイ・ガーディナ−絵 白石かずこ訳 ソニー・マガジンズ 2004/2004.8)
年をとって記憶が混乱したり、忘れてしまったりしてしまうおばあちゃん。リンゴを梨とまちがえたり、バッハをピアノでひいたのに「すてきなショパンね」とほめたり、アップルパイにはリンゴの芯を入れるのよ、と言い張るおばあちゃん。ちょっと変だなあと思っても笑ってすませる孫むすめ。でも、自分の名前を忘れてしまったおばあちゃんのことはちょっと許せなくなってしまって……。おばあちゃん自身の混乱も家族の混乱も明るく元気なイラストとさっぱりした訳文で語って、これで良かったなと思わせる手腕はなかなかたのもしい。

「ジュールとセザール」(エリック・バデュ作 木坂 涼訳 フレーベル館 2003/2004,9)
バデュの絵本はちょっと理屈っぽいところがある。それがシニカルに出たり、コンセプトが見え過ぎてあざとくなったりしてしまうのだが、今回はちょっとユーモラスでかなしくて、かわいい。大きな空と地面のなかで白く小さく描かれるジュール。自分も犬なのに、新聞の「飼い主求む、すていぬ」という広告に反応してしまうのがおかしい。2匹の犬のなんとも不条理な関係は、セザールの家出で急展開。絵本では語られ過ぎて新鮮味のないテーマをちょっとした視点の転換で、しみじみとかわいいストーリーにしてしまった。なるほどね。

「ケイティー」(ポリー・ダンバー作 もとしたいづみ訳 フレーベル館 2004/2004,8)
この表紙のインパクトのある女の子の顔。お母さんの口紅をいたずらしているにちがいないわ、とちょこっと、ねじめ正一の「おかあさんになったあーちゃん」を思い出しながら手に取ると、すごくすてき!うちの少しエキセントリックな女の子にぴったりな絵本でした。さえない気分をかえるためにケイティーがしたことは、緑の帽子、青い靴、黄色いタイツ、ピンクのワンピース……そのうえに靴に合わせて顔を青くぬってしまったり、赤い口紅を大きくつけたり、うでをオレンジのしましまに塗り上げて……。いろんな色を身にまとい、すてきな色をまきちらし、色とりどりの鳥の絵のなかにはいってしまいます。気分と色と自分への処し方を、なんとも見事にストーリーに落とし込み、小さな子どもにも伝わりやすい実感や皮膚感覚でまとめたところ、この新進絵本作家、次々と作品を見たくなりました。

「ピーナッくんのたんじょうび」(つつみあれい小峰書店 2004,8)
ピーナッくんの絵本もこれで三作目。お友だちのピーナッちゃんもお騒がせなモンブラリンも登場です。あいかわらずののうてんきさにくらくらしてしまうわ、ピーナッくん。したったらずな口調の文章にそうなってしまいますか、の展開で、独自のゆるゆるとした世界もきちんと構成してあるので、楽しめます。イラストも微妙な表情に味があって、いい。

「ニビーとちいさなくま」(大鹿知子作、絵 ポプラ社 2004.8)
三匹のくまのお話に「もりのくまさん」の唄がくっついたような絵本。広告のお仕事の多いイラストレーターの絵本。民話と唄を元にしているので、お話はしっかりしているし、読み聞かせにもよいようにと、工夫をした文章(音引きの多用は文字面としては読みにくいですが)に生きのいいイラスト。森のくまのお家でくつろいだニビーは見つかってしまい、慌てて靴をおいて逃げてしまうのですが、それをもったちいさなくまが追い掛けます。見なれない風景やものに心動かす小さなくまの存在がいい。皆の良く知るお話の後日譚として楽しめる。

「ぼくにピアノがひけたら」(栗山邦正作 講談社 2004,8)
この作家は音というものに興味があるのだろうな。「はこ」(徳間書店)でも、音楽がモチーフになっていたような。明るくいかにも絵本的な、大掴みで良いかげんにラフで、親しみやすい絵柄で手に取りたくなってしまうのだが、読みながら、この文章の「ぼく」ってだれなんだろう、と思ってしまった。すききらいのおおいやせぶたさんがいたら、ぼくがピアノをひけたなら、わくわくしてぷっくり太って元気になるような味のある曲をひきたいな……、むかでさんにはズんチャかうきうき体が踊り出しちゃうような愉快な曲を、と2見開きづつで展開していく。身近な、なんてことないイメージで展開して「ほら、絵本ってこういうものでしょ。子どもに親しみやすいイメージの展開ってこうでしょ」といっているみたい。こういうの困る。この人はほんとにほんとはどんな曲が弾きたいんだろう?

「こぐまと二ひきのまもの」(西川おさむ作 童心社 2004,9)
昔話みたいな体裁でかたられる2ひきの魔物の物語。でも、やさしいタッチのイラストで、ひょうきんで愛嬌のある魔物を描いていますので、こわくはありません。魔物ですから悪行を働かなくては強く大きくはなりません。ベロンとゴッシは悪行を重ねるために旅にでかけることになりました……。魔物以外のものに情けをかければ、体は衰え、滅びてしまうといわれているのに、小さな弱いものを無条件に守ってしまう2匹の魔物。淡々と語られる文章とすっきりと愛らしいイラストなのに、悲しい優しさが痛いです。

「はるかな島のものがたり」(山下明生文 宇野亜喜良絵 童心社 2004,9)
玄界灘沖合いの小さな島、沖ノ島に伝わる祭りと伝説を絵本に仕立てた。単に事実を述べ、伝説をそのまま絵本化することの難しさをよく知る作家は、神の島を目指すというオオミズナギドリと赤ウミガメを案内人として登場させた。そのことで、この絵本では、現代の人、物語を進める案内人、伝説、と三層の視点でそれぞれがかたられ、祭りへと収斂していく様を、活字やイラストの扱いを変えてわかりやすく表現しようと工夫している。海への怖れと海での喜び。どちらも人々のむかしから大切に扱われてきた気持ちであることをこの絵本は教えてくれる。

「まじょのおいもパーティー」(なとりちづ おおともやすおさく 童心社 2004,7)
ちょうどいま、保育園の子どもたちが育てたお芋を収穫する時期です。とったお芋はおやつになったり、お土産になったり……。そんな暮しの情景から生まれた絵童話。ページ数は126ページと長いけれど、展開の仕方は絵本のようで、たくさんのイラストとフキだし、必要最小限の文章で描かれた本です。こぐま園の子どもたちがととったお芋を横取りしようとする魔女。半分くれないと担任の先生を食べちゃうぞ、とポスターに描いてありました。それぞれの子どもたちの姿を中心に、まわりを取り囲む親や大人たちの姿もしっかりと描き込み、お話の展開はふむふむやっぱりね、という方も、え、そうなの、とびっくりする子も、さいごはお芋を食べてにっこり。

「ネコのラジオ局」(南部和也さく とりごえまり絵 教育画劇 2004,9)
ネコの町のネコのラジオ局。電波はラジオ局の局員ネコたちがビルの屋上で手をつないで輪になって、皆のひげから電波を飛ばし、町のネコたちはひげで電波をとらえて、ラジオを聞くのだそうです。あらまあ、それで、とついお話に引き込まれてしまいました。ネコが集まってひげから電波を飛ばしても、力が弱くて、遠くの場所では聞こえない。それで、もっと強力なひげを探そうという展開になるのが、なんともおかしい。主人公のネコたちのキャラクターがはっきりしていて、お話におばかな楽しさもあって、絵がかわいくて、おもしろい。

「いろはにほへと」(今江祥智文 長谷川義史絵 BL出版  2004,9)
このお話は長谷川義史の絵に出会えて良かったなあと思う。のびのびとした暖かみのあるイラストのおかげで、次々に出てくる人物の佇まいや表情や動きが楽しくなった。いろはにほへと、を初めてならって読んで書けるようになったかっちゃんのうれしさ。それがぶつかったお侍さんにうつったかのように、順々に大人たちの気持ちがほぐれていく楽しさ。それが大きな戦まで引き起こしかねない用件をまあるくおさめる力になる。なんてことないお話のきっかけが今への作家の強い思いに導かれ、そしてまた、最初の子どもの喜びを貴く思う大人の姿で終わる展開の見事さ。

「いっしょにあそぼ!」(どいかや作 主婦の友社 2004,11)
フェルトで描いた赤ちゃん絵本第三弾。「いいおかお」「なにかな なにかな」に続いて、今回は小人君たちがいろんなパーツを組み合わせて遊ぶ様子を楽しく見せています。いろんな形のパーツに隠れて、まずはかくれんぼ、そのあと、シーソー。お次は、車をつくったり、汽車を作って乗ってみたり……。遊びがどんどん展開して、さいごにバイバイで絵本を閉じる。積み木遊びの楽しさを平面に閉じ込めたみたいな、微妙な立体感が楽しい。

「かたかた ぴょんぴょん」(とよた かずひこ作 主婦の友社 2004,11)
乳母車でお散歩の赤ちゃんとお母さん。そこにやってきたのがカンガルーの赤ちゃんとお母さん。かたかたかた、ぴょんぴょんぴょ〜んの繰り返しも楽しい赤ちゃん絵本。こんにちはをしたら、おたがいにあいてののりもの(?)が良くなってしまって、とりかえっこ。単純で素直な展開がやさしい。

「えんぴつのおすもう」(かとうまふみ 偕成社 2004,11)
「ぎょうざのひ」でデビューした作家の第2作目。今度は机の上で繰り広げられる鉛筆たちのお相撲。机の上の運動会なら、佐藤さとるの童話でおなじみだけれど、机の上は子どもにとって、身近で想像しやすい舞台ではある。イラストもお話に合わせて、すこしレトロな雰囲気に。展開は邪魔が入ったり、小さい力士(?)野ちびた山が優勝したり、とオーソドックス。お邪魔虫のはさみのチョキチョキ兄弟の身の振り方もよかったね、というおさまり方。

「なんにもしない いちにち〜ハリネズミとちいさなおとなりさん 1」(仁科幸子作 フレーベル館 2004.10)
小さなお話が6つ入った絵童話集。森の中でゆっくりすごすハリネズミとちいさなおとなりさんであるヤマネの毎日からぽろりとこぼれ落ちたようなお話。お日さまの出ているうちにはなんにもしないでいる「なんにもしない いちにち」や家に散らかったものを片付けるたびに思い出してお腹が減ってしまう「おなかがすくそうじ」など、読んでいるとふふっと笑ってしまうようなものばかり。ヤマネやハリネズミの考えたり思ったりすることは、小さな子どもも思い付きそうな身近な感じ。のんびりとほんわかと暮らす2匹のお話にもう一さじ新たな感じ方のエッセンスが入っていれば。

「ちゃんがら町」(山本孝作 岩崎書店 2004,10)
駄菓子やのよもだやに寄って、おばさんにチャンガラ〜チャンガラ〜と鈴を振ってもらうと、いつもの町が違ったふうに。おいなりさんやかっぱがうようよ。頭の上に小さな耳がくっついた、ちゃんがらッ子と待ち合わせをして探検だ。あやしい妖怪の姿は作家の得意な世界。オリジナル第1作絵本として、自分の得意技で読者を引き込むのはなかなかのもの。ページごとにわくわくと展開するお楽しみのテンコモリは物語を追う楽しさよりも書き込まれた細部を見続けるおもしろさを継続させるため。行って帰りし物語。ファンタジーは現実の裏に。そのことで現実はどう揺らぐのか。そこまでは描いていない。

「おでんおんせんにいく」(中川ひろたか作 長谷川義史絵 佼成出版社 2004,9)
おでんの家族が温泉に行くという、なんとも人を食ったようなお話。でも、こんなタイトな設定だからこその力技で、楽しさが倍になる。まず、さつま揚げさんと卵さん夫婦の子どもがばくだんくん。もうこれだけで、やられた、と思うのに、巻き物三兄弟やら、おでんしゃに乗っていく、温泉ランドの湯が、お汁粉の湯やらクリームシチューの湯、ラーメンの湯やらもちろん、おでんの湯……。最後のオチもきれいに決まって、これは絶対声に出して読みたい絵童話。テンポ良く、ラストまでずずーっと読むと、ぷわっとうれしい。

「へそのお」(中川ひろたか作 石井聖岳絵 PHP研究所2004,10)
桐の箱の中に鎮座している、貝の干したのみたいなのが「へそのお」。これがお母さんのからだとつながっていた命綱、というお母さんの話から、へそのごまのはなし、それからそれから、と、へそまつりまで話が広がって、英語ではネーブルってみかんみたいなくだものと同じ名前。へそにこだわるだけで、どんどんつながっていくのが楽しい。へえ、そう、とびっくりしているうちに、ぼくは、お母さんとつながった宇宙飛行士みたいだな、と大きく大きく想像するのがすてきだ。表紙から表4まで、きちんと視点がつながっていて、どうしてお母さんがぼくにへその緒のお話をしてくれたのか、ということまでわかってしまう。あったかくておもしろくって、良いなと思う。(以上 ほそえ)

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『サー・オルフェオ』(アンシア・デイビス再話 エロール・ル・カイン絵 灰島かり訳 ほるぷ出版 970/2004.10 1300円)
 中世ロマンスがとてもシンプルに再話されています。
 竪琴の名手でもあるサー・オルフェオ王は、妃ヒュロディスをこよなく愛しています。が、彼女は何者かにさらわれてしまう。王は妃を探すためにたった一人で旅に出る。
 やっぱり、エロール・ル・カインの絵ですよね。これは初期に属するものですが、すでにその優雅で重厚で奥深い世界が広がっています。(hico)

『ポップコーンをつくろうよ』(トミー・デ・パオラ作 福本友美子訳 光村教育図書 1978/2004.11 1400円)
 ポップコーンの歴史が、とても楽しく描かれています。
 五千六百年前からあったのか!
 アクセサリーにしていたのか!
 直接火に投げ入れて、はじけさせていたのか!
 必要がなさそうな知識に見えますが、そんなことはありません。身近なポップコーンの歴史を読むことで、「歴史」の楽しさを知るのです。(hico)

『2ひきのいけないアリ』(C.V.オルズバーグ 村上春樹訳 あすなろ書房 1988/2004.09 1400円)
 村上による新訳で再刊です。
 アリが見つけたクリスタル(砂糖)の山。女王のために、集めに行くアリたち。ところがその中の二匹は、クリスタルから離れられず、巣に帰らない。彼らを待ち受けている出来事は?
 ここから始まる大冒険!
 人間にとっては何気ない日常の一コマも、アリから見れば、とてつもない。
 私たちは作者に連れられてアリの冒険を楽しめます。
 画はとてもスタイリッシュ。よいです。(hico)

『ミミズのふしぎ』(皆越ようせい写真・文 ポプラ社 2004.06 1200円)
 皆越さんが、またすばらしい写真絵本を作ってくれました。
 幸せだあ〜。
 タイトル通り、知っていること知らなかったこと、ミミズの生態が、美しい写真とともに伝えられていきます。
 ミミズの生殖は、初めて見ました。
 あ、こーゆー生き物が苦手な人にはオススメはしません。苦手なミミズが、普段見るよりいっそう細かく観察できてしまうのですから。
 いいぞ。(hico)

『おへやのなかの おとの ほん』(マーガレット・ワイズ・ブラウン文 レナード・ワイズガード絵 江國香織訳 ほるぷ出版 1942/2004.09 1300円)
 子犬のマフィンは風邪をひいて寝ています。
 その耳に届いてくる、様々な音たち。
 そう設定することで、この絵本は、私たちに家の内と外の息遣いをいきいきと伝えてくれます。想像の音もね。(hico)

『わたしの足は車いす』(フランツ・ユーゼフ・ファイニク作 フェレーネ・バルハウス絵 ささき たづこ訳 あかね書房 2003/2004.10 1400円)
 車いす生活の女の子が、スーパーへと買い物に行く途次に起こる様々な出来事が描かれています。
 同情する人、知らない顔をすることが礼儀だと思っている人。
 でもそんなの違う、と女の子は思う。私はみんなと同じだ、と。
 一人の男の子が登場。太っていていじめられています。そんな彼は、同じではないと言います。同じではなく、違うことを認め合うのが大事だと。
 この展開は決して新しくはないですが、それが絵本として伝えやすく作られている所がいいです。
 巧いです。(hico)

『さかなのかお・絵本すいぞくかん1』(ともながたる・え なかのひろみ&まつざわせいじ・ぶん アリス館 2004.11 1400円)
 またまた、期待のシリーズが始まりました。今のところ5巻目までのタイトルが公開されているのですが、さかなづくしです。いいな〜。
 「情報絵本」としても、しっかり作り込まれていて、飽きません。遊び心もあちこちにあるし。
 なにより、編集者も含めて、作り手が楽しんでいる雰囲気が伝わってきて、そこがうれしい。(hico)

『ボビンとプッチのアンティークやさん』(スズキ タカオ作・絵 ポプラ社 2004.08 1100円)
 猫のボビンとねずみのプッチが開くアンティーク屋のお話。
 開店準備のため品物があふれています。その一つ一つが思い出であったり、こだわりであったりするところが、まず楽しい。
 この絵本には「アップルしんぶん」が挟み込んであって、アンティーク屋さんがある街の記事が載っていて、こいつも楽しい。
 シリーズになるだろうから、しだいしだいに街のこともわかって行くでしょう。(hico)

『恐竜博物館』(ヒサクニヒコ絵・文 ハッピーオウル社 2004.11 1580円)
 ヒサクニヒコによる、恐竜入門本。
 コミック形式で進んでいきます。
 丁寧で、ツボを押さえていて、わかりやすい。画ももちろんしっかりしています。
 著者自身の恐竜好きが、本当にまっすぐ伝わってきます。
 これでまた、恐竜好きの子どもが増えるのだ!!(hico)

『ゆきだるまのかぞえうた』(ひろかわさえこ作 あかね書房 2004.11 1200円)
 「もりのうさぎのうたえほん」シリーズも3巻目となりました。
 今回は、数え歌。
 物語の中に歌詞が出てきて、最後に楽譜が掲載される段取りも形になってきました。(hico)

『チリとチリリ うみのおはなし』(どい かや アリス館 2004.11 1200円)
 チリとチリリのシリーズ第二作。
 今回はうみの中を自転車で探検、探検。
 どいのイメージがあふれます。画と言葉が不思議な世界に連れて行ってくれます。(hico)

『ねえ どっち?』(二宮由紀子作 あべ弘士絵 PHP 2004.11 1200円)
 二宮の「?」物語です。
「ねえ きみって しろい しまもようの ある くろい うま? それとも くろい しまもようの ある しろい うま?」
 と人間の子どもに訊かれて、しまうまのしまこさんは、大混乱。
 ど、どっちだろ?
 それを知るためにしまこさんは色んな動物に尋ねて回るのですが?
 う〜、アイデンティティ・クライシスか?
 わらえます。(hico)

『もみちゃんともみの木』(たかどの ほうこ作 いちかわ なつこ絵 あかね書房 2004.10 1300円)
 よくおとしものをする、もみちゃん。
 一方、枝を伸ばして、側を通る人からマフラーなどをちょうだいするのが大好きなもみの木たち。
 この両者から物語は語られ、最後に楽しい出来事を用意しています。
 よくバランスのとれた、幸せの物語です。(hico)

『ちゃんがら町』(山本孝 岩崎書店 2004.10 1300円)
 学校が終わると駄菓子屋「よもだや」へ。よもだおばあちゃんが鈴をチャンガラと鳴らしてくれると、ぼくたちのちゃんがら町への通路が開く。そこは、どんな不思議も不思議じゃない。
 ちょっと懐かしい風景に、子どもの想像力によるごっこ遊び世界が広がります。この「懐かしい風景」というのが、いいとは思いませんが、画が動いているので、そのリズムに乗れば吉。(hico)

『ままたろう?』(あまんきみこ作 つちだよしはる絵 あかね書房 2004.10 1000円)
 こうさぎのぴょんこが、ともだちのこぐまくうにえほんをよみきかせます。題名は「ままたろう」。? なんだそれ?
 実は「ま」と「も」を読み間違ったの。
 こうして奇妙なよみきかせが始まります。
 間違ってもいいよ。だんだんわかってくれば。
 そんなメッセージが無理なく自然に伝わってきて、心地いい仕上がりです。
 ただし(この絵本に限らないのですが)いかにもの「カワイイ」(大人が感じる「カワイイ」)で満ちているのが、おしい。
 読み聞かせ絵本はもっとすっきりしていてもいいと思う。(hico)

【創作】
「ふしぎの森のヤーヤー」(内田麟太郎作 高畠 純絵 金の星社 2004,9)
シラネエさんやコリゴリさんやヒトリゴトさんなんているへんてこな仲間が住んでいるふしぎの森。ヤーヤーも体はブタみたいで耳はウサギみたいに長い。ヤーヤーとへんてこな仲間たちは、出会っては不思議な会話をするだけ。噛み合っていないような、なんとなく合っているような……。でも、言葉をかわすことでヤーヤーも他の仲間たちもそれぞれの方法で変わっていく。だじゃれが多用され、おかしな文章で笑いをとりながらも、そのもとになっている思いは深く、子どもがうっすらとでも感じ取ってくれればいいな、と思う。(ほそえ)

「魚だって恋をする」(今江祥智作 長新太絵 BL出版 2004.10)
ボーイ・ミーツ・ガールの物語である。時代は江戸。剣の道と料理の道を歩く少年と少女がひょいとであってしまった様子を取り巻く大人たちの姿とともに、はんなりとした京言葉で、描き出す。おいしそうなお料理がたくさんでてきて、それをひとつひとつ、作った人を思いながら食すことのうれしさと愛おしさが、そのまま相手への慕わしさになっていく。(ほそえ)

「ジュディ・モードはごきげんななめ」メーガン・マクドナルド作 ピーター・レイノルズ絵 宮坂宏美訳
(小峰書店 2000/2004,10)
ファンタジーばかりが幅をきかせる翻訳もののなかで、久しぶりに生活童話(古い用語ですね)風の読み物が出た。アメリカで人気のシリーズの第1作目。こういう生活に密着した読み物で外国のものはなかなか子どもにアピールしにくい、と言われたこともあった。描かれる生活のリアリティがずれていると読者が乗れないからだ。この本の場合、ストーリーの展開についてはオーソドックスで、気持ちの変化もわかりやすい。そういうことってあるね、と思わせてくれる。お話を彩る小物たちはファンキーで、そうか、今、こんな感じの子っているな、というのを少々濃い味付けにして見せてくれているように思えた。小学校3年生の女の子が元気でゲテモノ(?)好きで、コレクションの趣味があるというのがアメリカのお話っぽい。学校の様子もフランクで楽しげ。この設定で描くには、ギリギリの年齢をうまく選んでいると思う。愉快に読み進めながら、友だちになったことにびっくりしたり、こまったことがあってもへこたれないジュディを見て、読者も元気になってくれるといいな。(ほそえ)

「二回目のキス」(ウルフ・スタルク作 はたこうしろう絵 菱木晃子訳 小峰書店 2004.10)
北欧の児童文学の雄、スタルクのショートストーリー3編。9歳のぼくは相変わらずへんてこでおかしなやつだとお父さんに思われていて、初めて女の子をすきになったり、宇宙人を探しにいったり、シャガールのような絵を描いてみたりしている。どの話も落としどころがきまっていて、はは〜ん、とうなずいたり、うふっとわらったりしながら、スタルクの世界に浸っていられる。一人称で描きながら、スタルクのお話にはじっとりとしたところがない。どこかで自分自身をもつきはなしてながめているようなタッチで、さっぱりとくっきりと大人の都合に良いように扱われない子どもの姿を描いている。(ほそえ)

『ドラゴン・スレイヤー・アカデミー 全10巻』(ケイト・マクミシュラン 神戸万知訳 岩崎書店 2003/2004.11 各800円)
 低学年向けファンタジーのシリーズ。1と2がでました。
 とてもシンプル。家族の中ではよけい者で、力もない男の子ウィリー。でも勇者にあこがれています。
 と、ドラゴン・スレイヤー・アカデミーからのお知らせが。ここに入学すれば、ドラゴンを倒す術を教えてくれるそうな。で、ドラゴンを退治すればたんまりと宝が手に入る。宝が欲しい両親と、勇者になりたいウィリーの思惑も一致し、入学。
 が、入った学校といったら、大いに看板に偽りありなのだった・・・。
 軽いお話です。お笑いでもあります。
 と同時に物語の骨はしっかりとしていますので、子ども読者を満足させるでしょう。
 表紙にはアニメカードが貼り付けてあって、お得です。でも、貼ってあるので、表紙が堅くて、ちょっと読みにくいです。でも、アニメカードはうれしいです。(hico)

『ねずみの騎士 デスペローの物語』(ケイト・ディカミロ作 ティモシー・バジル・エリング絵 子安亜弥訳 ポプラ社 2003/2004.10 1400円)
 装丁、挿絵、いいです。これぞ、書物です。
 物語もまた、これそ物語。
 ハツカネズミ夫婦の最後の子どものデスペロー。こんなに小さいハツカネズミは初めてだと、みんなに言われるほど、彼は特異な存在です。ハツカネズミにとって、本はかじるものなのですが、デスペローは物語を読むものだと思います。そうしたある日、デスペローはハツカネズミの掟を破ってしまいます。人に見らるのです。それはお城のお姫様。なおかつ悪いことに、デスペローはお姫様と言葉を交わす。そしてそして、一目で恋に落ちてしまう。彼は姫の騎士になる決心をする。
 『ハリー・ポッター』のように、物語構成の密度がゆるんでしまった(私は、それでもいいと思っていますが)時代に、この正当派物語は新鮮でしょう。
 おもしろいのは、正当であるがためか、児童書では懐かしい手法、語り手から読者への語りかけが頻発します。それは少々うるさい。というのは、そうした語りかけの真の意味が、作者はこの物語の主導権を自分が握って、読者には渡さないということなのですから。
 だだし、それでもそこは現代の物語です。語りかける中身が昔と違います。
「みなさんもおそらく知っているとおり、この世界は、美しくかがやくものばかりでできているわけではないのですから(そうですよね?)。」
 といった具合です。(hico)

『ドルフィン・エキスプレス 流れ星レース』(竹下文子作 鈴木まもる絵 岩崎書店 2004.07 1200円)
 待望の三作目。
 相変わらずテールはかっこいいぞ。
 クールではなく、どっちかといえば熱い。でも、それは筋を通すからそうなるんであって、決してキレたりはしないし、理想を語りもしない。あるのは、どう生きるか、だけ。
 今回はライバルのカモメ・ネットワーク社(あ、テールの仕事は海の宅急便屋です)が出てきて、熾烈なシェア争い。なにやらどす黒い陰謀も・・・。(hico)

『ガンプ』(エヴァ・イボットソン作 三辺律子訳 偕成社 1994/2004.11 1400円)
 ガンプの扉は九年に一度九日間だけ開きます。それは、魔法の島と私たちの世界の通路です。
 九年前、赤ん坊の王子様を連れてこちらの世界に来た乳母たち。目を離した間に王子様は、誘拐されてしまいます。
 再びガンプの扉が開く日がやってくる。王子を連れ戻すために与えられたのは九日。
 ようやく見つけた元王子は、わがままいっぱいに育てられたどうしようもない子ども。
 さてどうなりますか。
 通路はキングスクロス駅のホーム。我が子を甘やかしている家族と、そこの物置に住み、迫害されている孤児。
 あら、どこかで読んだなこれは? でもこっちの方が先に書かれていますと、訳者は指摘しています。
 発想は似てしまうということかな。でも、この物語と『ハリー・ポッター』の違いを引き出せば、『ハリー』の人気の秘密が少し見えてきますね。

『マールとシーちゃん』(二宮由紀子作 渡辺洋一絵 ポプラ社 2004.10 900円)
 冬が近づくと、やってまいりました、雪だるまのマールくん。
 今回は年下のいとこのシーちゃんが登場。
 なにせ、ほら、家族の中で一番大きいマールですから、自分より大きい年下のシーちゃんがやってきて、もう大張り切り。
 世話しなきゃ! だってまだ、こんなに大きいんだから。
 すばらしい!!(hico)

『ポメロはタンポポのしたがすき』(ラマウナ・バデスキュー文 ベンジャマン・ショ絵 野坂悦子&いぶきけい訳 ソニーマガジンズ 2004/2004.06 1300円)
 体はキャベツより小さいのに、鼻がながーいピンクのゾウ、ポメロ。
 これ一冊で小さな三つの話が納めてあります。ホノボノ系。
 ポメロの表情がいいのね。マジなのが、結構とぼけて見えておかしい。(hico)

『ドキドキ!おともだちビデオ』(赤羽じゅんこ作 宮本忠夫絵 文研出版 2004.11 1200円)
 親友の大樹とけんかした「ぼく」。腹が立っているけど、やっぱりさみしい。
 家に帰ると、「とくべつなビデオ」がある。それは「おともだちビデオ」といって、その中から好きなキャラのともだちを選んで呼び出せ、一時間遊べるのだ。
 「ぼく」は一人一人呼び出してみるのだが・・・。
 やっぱり大樹くんがいいという、予想される結末ですが、ともだちをキャラで選んでしまう設定は、今をかいま見せてくれます。
 ビデオより、DVDで、ともだちのリストはチャプターの中から選べる方が良かった。そうすれば、同じ「おともだち」を何度か呼び出してみて悩むといった展開もできたのですが。(hico)

『サンネンイチゴ』(笹生陽子 理論社 2004.10 1200円)
 フツーの中学2年生の森下ナオミは、クラスでおそれられている柴咲アサミと仲が良くなる。アサミの連れの手塚くんとも。
 ナオミが属している文芸部の部長の野々村さんは、ナオミが無理矢理つきあわされているのじゃないかと心配している。そんなことはなくて、ナオミはこの新しい友達たちと、ちょっと危険で楽しい時間を過ごしている。
 物語は、携帯に付けたマスコットなどが奪われる奇妙な事件を巡って進んでいくと同時に、それぞれの心のつながりをいいリズムで刻んでいく。
 ナオミの語りで形成されているが、彼女のノリは、こんな感じ。
「いかん。思考回路がますますマイナスモードになってきた。自身喪失。自己嫌悪。こんなあたしでごめんね、あたし。」。
 読ませます。(hico)
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【評論】
『みんなのなやみ』(重松清 理論社 2004.10 1200円)
「学校でも言えでも学べない リアルな知恵満載!」がキャッチの新シリーズです。
 楽しみ、楽しみ。
 著者のラインナップを見ると、かなりバラバラで、外しているなって人もあるのですが、それがまた期待を抱かせます。るつぼの方がいいのですから。
 一巻目は、安全パイです。理論社のサイトに連載されていた重松の悩み相談をベースにしています。
 重松の返事は、いかにも重松らしく、直球です。中島らもや橋本治を期待してはいけません。
 感心するのは、重松の返事の長さ。「肝心なのは長さではなく中身だろ」という方もいるとは思いますが、長さも大事なんです。これだけの長さ(=時間、ではないのですが)を、質問への返事としてかけてくれた重松。それがいいのです。
 重松は、質のいいプロだと思う。(hico)

『大人になれないまま成熟するために 前略。「ぼく」としか言えないオジさんたちへ』(金原瑞人 洋泉社 2004.10 740円+税)
 三無世代とラベリングされた「若者時代」を過ごした金原による、団塊の世代批判も含めた書物です。
 私は団塊でも三無でもなく、世代論的に言えば、その間に属するので、これを読みながら、どっちもわかるという、いやらしいコウモリ状態でした。
 団塊の世代の数によるごり押し(とは彼らは気づいていなかったと思いますが)にウンザリしていた若者金原に同調しつつ、それでも、上の世代である彼らが切り開いてくれた、風通しのいい場所で、気持ちがよかった記憶もあるのです。
 それでも、団塊の世代の多くが、「若者」であった時代に「ええかっこ」で言ってたことや行動していたことを、忘れている(全部の人ではないですが)との金原の感想には同感です。(hico)