No.91
2005.07.25

       

『宇宙たんけんたい全6巻』(フランクリン・M・ブランリー:文 エドワード・ミラー他:絵 神鳥統夫:訳 小峰書店 1800円 2005.01)
 調べ物学習的な絵本には、結構リアル画で攻めてくる物が多い中、こいつはコミックのノリ(絵描きはそれぞれ違うのでタッチは別々だが、ノリは同じね)なのがいい。
 子どもは、「ほんとう」の情報を知りたいわけで、もちろんそれは子どもがわかる形で欲しいわけで、なんで知りたいかというと子どもは大人ほど、この世界を知らないことを知っているからで(実は大人もそれほど知っているわけではないが、知っているフリをしないとやってけないから、知っているフリをするしかない)、だから彼らに伝えやすい方法が必要で、その意味このシリーズはいいのだ。(hico)

『楽園』(関屋敏隆:作 くもん出版 1600円 2005.06)
 関屋の北へのまなざしはますます強くなっているようで、この絵本は知床を舞台としています。というか、知床そのものがテーマです。
 シルクスクリーンに色をのせた画は、自然の荒々しさよりも、関屋の自然への愛おしさをよく伝えています。舞台を50年後に設定したのも、半世紀後の知床も今のように活き続けていることへの「祈り」です。
 話の中に、50年前の絵描きのエピソードが出てきますが、それは関屋自身と言ってもいいでしょう。
 ただ、50年後という設定が、物語の中で見えるように描かれているかは、やや疑問。「祈り」が前に出すぎたのでは? と思わせます。ちょっと力が入りすぎたかな。(hico)

『あっ おちてくる ふってくる』(ジーン・ジオン:ぶん マーガレット・ブロイ・グレアム:え まさきるりこ:やく あすなろ書房 1300円 1951/2005.01)
 半世紀前の絵本ですが、そのシンプルな物語構成は、今でも楽しいものです。
 はなびらがおちてきて、ふんすいからみずがおちてきて・・・・・・。
 おちてくるものとふってくるものが次々と画面中で季節を通って行きます。
 最後は、子どもがおちてくる! 父親の腕の中へ。
 何度読んでももらっても楽しくなる一品でしょう。画がいささか古いのは仕方なしか。(hico)

『絵かきさんになりたいな』(トミー・デ・パオラ:作 福本友美子:訳 光村教育図書 1400円 1989/2005.06)
 自伝的作品。
 とにかく絵を描くことが大好きなトミーの、小学校に入ったときまでの物語なのですが、心の動きが実にリアルです。
 トミーの絵をまるごと認めてくれている家族。彼の絵を部屋に、お店に飾ってくれます。一方学校は?
 トミーのとまどいと子どもながらの自負が、とっても気持ちいいです。
 トミー・デ・パオラは、いいのだ。(hico)

『みつあみみつあみ』(水野翠 小峰書店 1300円 2005.05)
 いかにも御あの子らしい女の子が、女の子らしい空想にふけるという話ですから「ジェンダー」を考えてしまいますが、「みつあみ」だけに絞れば、これはなかなかおもしろいです。
 女の子、いろんなみつあみを考えるわけ。
 3匹のキリンの首のみつあみでしょ、ぞうさんの鼻でしょ、カメレオンの舌でしょ、なんでもみつあみにしてしまう、ある意味でダークな空想をしている女の子が楽しいわけ。(hico)

『ずらーりキンギョ』(松橋利光:写真 高岡昌江:文 アリス館 1500円 2005.06)
 『ずらーり』シリーズ第3弾。
 この「ずらーり」ってコンセプトだけで、もう勝ちですね、このシリーズ。だって、そこがしっかりしているから、テーマはなんでもありなんですから。最初がカエルで、次がウンチ(うんこと言おう)で、今度がキンギョ。
 むちゃくちゃなラインナップ。
 でも、それがアリ。OK。
 それって、とっても楽しいでしょ。
 今作も、ただただずらーりで、アホくさいと言えばそうなのですが、制作側の真剣さが伝わってきて、より、おかしい(失礼)。
 とにかくキンギョだらけですので、キンギョをそんなに好きではないわたしはもう、うんざりとして、それがおもしろいのですよ。(hico)

『ウイリアムのこねこ』(マージョロー・フラック:ぶん・え まさきるりこ:やく 新風舎 1300円 1938/2005.03)
 70年前の絵本ですから、画はさすがに古い。その古さ故、子どもたちにとっては新鮮かもしれません。
 物語はなかなかよいです。
 ウイリアムがこねこをひろう。3人の飼い主が現れ、さあ大変。ウイリアムだって飼いたいのだし・・・。
 幸せな結末が、無理なく訪れて心地よいです。(hico)

『ぼくとくまさん』(ユリ・シュルヴィッツ さくまゆみこ:訳 1200円 1963/2005.05 あすなろ書房)
 シュルヴィッツというだけでもう、ワオワオ!なのですが、
「この へやには なんでも あります」といきなり言われて、やられたなって感じ。こどもの完結した世界が示されます。
 画面を贅沢に使った構成で見せていく、ぼくの一日。くまさんがいない! くまをさがす一場面一場面が、ちょいとだけせつなくてよいです。もちろん最後はめでたしめでたし。(hico)

『ビシューとフルール』(亀岡亜希子 教育画劇 1600円 2005.06)
 繁殖のためアフリカから自分のふるさとの帰るツバメのビシュー。タチョウにもらったプレゼントはダイヤモンド。南の国からフルールがもってきたのは花の種。二羽は子育てを始めます。
 所々のページが折り込み式にになっていて、拡げるときのドキドキ感が楽しい。
 「幸せ」にあふれた絵本です。(hico)

『しあわせのちいさなたまご』(ルース・クラウス:ぶん クロケット・ジョンソン:え かくわかこ:やく あすなろ書房 950円 2005.07)
 「しあわえのちいさな小鳥」とかではなく、「たまご」ですから、いきなり奇妙。で、その奇妙さは、ずーっと続きます。親鳥かどうかはわかりませんが、鳥がやってきてたまごをあたためるシーンが何ページかあり、孵化して、飛んでゆく。
 ここには、「親鳥の愛情」だとか「小鳥がだんだん大きくなって、巣立っていく」だとかの「感動」のプロセスが排除されています。何故排除されているのかもわかりません。
 そうした寸止めが、効果的でおもしろい一品。読み聞かせると、子どもはツッコミを入れまくるでしょうね。(hico)

『おでっちょさん』(まつしたきのこ:文 伊藤秀男:絵 学研 1200円 2005.07)
 月も山も持ち上げる、豪快な女の子のお話。
 道をふさぐ、大きなヘビをおでっちょさんはほおりなげる。とにかく彼女の前をふさぐものならなんでもね。
 それだけなら、力自慢話なのですが、そのあとがいい。みんなおでっちょさんと遊びたかったんだ、となって、大騒ぎ。
 伊藤秀男の画が活きています。(hico)

『ふつうの学校にいくふつうの日』(コリン・マクノートン:文 きたむらさとし:絵 柴田元幸:訳 小峰書店 1300円 2004/2005.05)
 ふつうに学校にいくふつうの日に、ふつうでないことが「淡々」と起こる物語。
 きたむらの絵は、テキストにピッタリとついて離れず、その力量を見せてくれていて、気持ちがいい。
 でも、ふつうの日にふつうでないことが起こる物語って、とってもふつうです。しかもそれが学校で、ヘンな先生がやってきて起こるとなると、結構「?」。
 だって、学校って本当は全然ふつうじゃないのに、学校にふつうじゃない先生が来てふつうじゃないことが起こるという設定によって、学校はふつうだと宣言してしまっているのですから。(hico)

『とくべつないちにち』(イヴォンヌ・ヤハテンベルフ:作 野坂悦子:訳 講談社 1600円 2001/2005.03)
 この作品では、学校に初めていく日が、「とくべつ」なのです。主人公は家に帰りたいほどドキドキ。
 そんな彼のなが〜い時間が描かれていきます。
 この作家、色の置き方が本当に上手いです。ぜひ手にとって見てくださいね。
 それはともかく、そんな男の子のドキドキが喜びに変わっていくまでが描かれていきます。
 この物語もふつうといえばふつうの物語。ただ、学校は、不安な場所であることを押さえている辺りが買いです。(hico)

『日本の風景 松』(ゆきのようこ:文 阿部伸二:絵 理論社 1400円 2005.06)
 イマドキなかなか振り返ることもない木。今回は松です。海岸では何故クロマツをよく見かけるのか という基本から始まって、ありとあらゆる松情報が描かれていきます。
 こうして読み終わると、これからは歩いていても松に目をとめるようになるでしょう。
 ようするに、気持ちの幅ができるのですね。こういうのを読むと。(hico)

『あめあがりのカピバラくん』(たなかしんすけ 理論社 1000円 2005.06)
 『カピバラくん』の続編であります。
 今回はおじいちゃんと泥遊び満開です。画がリズムを刻み、気持ちのいい雨上がりまで一直線。(hico)

『リュック、コンクールへいく』(いちかわなつこ:作・絵 ポプラ社 1200円 2005.02)
 パン屋の犬リュックのシリーズ3作目。
 この絵本世界に、読者も作者も慣れて、ゆっくり浸れます。
 リュックの飼い主ジーナがパンのコンクールに参加。審査員はジーナのあこがれの職人ブーカさん。
 これは頑張らねば!
 作るのは帽子型の甘いクグロフ。果たして上手く焼けるのか?
 コンクール、美味そうなパンがあるな〜。読後感抜きで食べたいぞ。
 ジーナが優勝! なんてオチは用意されていません。ただただ、あリのままに。そこがいいのですよ。(hico)

【創作】
『ぎぶそん』(伊藤たかみ ポプラ社 2005.05 1300円)
 「昭和」が終わろうとする年の中学生的青春物語。マロ、リリイとバンドを組んでいるガクは、ピッキング・ハーモニクスが出来るという噂のかけるをメンバーに入れようと、彼の家にやってくるところから物語は始まる。ガクがプレイしたいのはガンズ・アンド・ローゼスの曲。そのためには、ピッキング・ハーモニクスが出来るリードギターが必要なのだ。そしてかけるが持っているギターはギブソンのフライングV。逆V型のボディを持つあれだ。
 大阪を舞台としたこの物語は、バンド物青春物語として正当な展開を見せる。メンバーのトラブル、恋、チャレンジする楽曲へのメンバーのハーモニー問題、そして学校生活。ピークが学園祭での演奏というのも、正当性の証である。
 こういう爽やか物にバンド話がピッタリくるのは、運動クラブと違ってメンバー数が少ないことがあるのだ。伝統もないしね。
 これも大阪が舞台なのだが、バンド青春物って何故か地方が多いんだよね。(hico)
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『レイチェルと滅びの呪文』(クリフ・マクニッシュ 金原瑞人訳 理論社)
 これは、子どもは誰でも魔法の力を持っているとする物語。と書けば、大人が失ってしまった、純粋な子どもの心を描いたロマン主義的な作品のように思えますが、違います。
 地球を支配しようとたくらんでいる魔女ドラグウェナは、強力な魔力を秘めた子どもを捜していて、その可能性が高いレイチェルと弟エリックを見つけます。二人は、自宅の地下室で、壁から出てきた腕によって捕獲されてしまう。父親が助けようとするのですが、失敗してしまいます。
「パパは、レイチェルを放した手をのろうように見つめ、足で斧をけとばした。目から涙がこぼれた」。
 己の無力さに涙するしかない父親が描かれています。
 ドラグウェナが支配する星イスレイアに弟と共に連れていかれたレイチェルは、訓練され、知らなかった己の力、魔法を操れるようになります。指南役のモルペスはこう述べます。魔法の力は「みんな使われるときを待っている。待ちきれないでいるんです!」。
 子どもたちは魔力を持っているにもかかわらず、どうやらそれが封印されているらしいのです。
 魔法に目覚めたレイチェルですが、その力は諸刃の剣です。レイチェルと同じようにかつて子どもの頃に地球から連れてこられ、今は抵抗運動をしている大人たちは、彼女を「希望の子」と呼びますが、レイチェルが失敗すれば、「すべての希望をほろぼす子」にもなりうるのです。つまり力は制御しなければならず、その責任は子どもであるレイチェル自身が負わなければなりません。
 レイチェルたちがドラグウェナを打ち負かすと、一緒に戦った人々はその後、地球から連れてこられた時の姿、「子ども」に戻ってしまいます。冒険をして成長し、大人になるのがこれまでの常道とするなら、この物語はその逆を描いているわけです。
 レイチェルほど強力な力ではなくても、魔法に目覚める子どもたち。「なんのために?」ととまどう彼らに、レイチェルは言います。
「したいことをするためよ!」
 大人社会の抑制から逃れて、自由に魔法を使える子どもたち。そして魔法が使えない大人たち。
 子どもたちにとっては楽しいそんな社会も、大人にとって悪夢かもしれません。しかし、それをファンタジーが描いてくれることで、大人はもう一度子どもとの関係を見直せるのです。
 レイチェルが無事に帰ってきたとき、「パパはレイチェルと目を合わすと、ほっとして泣き出した」。
 最初も最後も泣いているパパ。
 そして、「どこかちがう」、「おまえは変わった」。
 レイチェルの返事は、
「なんだって変わるものでしょ」。
 憎たらしいったら!(「子どもの本だより」徳間書店 2005.05)(hico)
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 受け身ではなく、子どもたちが主体的に課題解決を図ろうとする学習として「調べ学習」の重要性が言われているのですが、それを受けてでしょうか、児童書の中にも、ここ数年「調べ学習」の教材となるような図鑑や百科本が増えてきています。
 その中で『「知」のビジュアル百科』(あすなろ書房、各2000円)は、豊富な写真と簡潔な文章で、見やすくて、わかりやすいシリーズです。
 一般的に百科事典は、あらかじめ全何巻と決められていて、その中に世界の、そして歴史上の様々な情報がバランスよく詰め込まれています。ところがこのシリーズは現在17巻まで出ていますが、全何巻と決められているわけではないようです。
 百科と謳(うた)っているように、1巻ごとに扱うテーマは「宝石」、「ミイラ」、「神話」など様々で統一感はありません。それがとてもいい感じ。だって、「世界」は百科事典全何巻に収まるわけはないですから。何巻出してもまだまだ終わらないよ! ってことです。
 16〜17巻は『写真が語る第一次世界大戦』(S・アダムズ著、猪口邦子監修)と『同第二次世界大戦』(同)。以下、古代や中世の巻が続きます。歴史は現代から遡(さかの)って教えて欲しいと思っている私としては、このテーマはうれしい。
 戦争の無駄さがとてもよくわかりますよ。(ひこ・田中)読売新聞2005.06.28
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 近頃、気の抜けた癒しタイプの作品が多い中、元気よく泣けてしまう恋物語が『風神秘抄』(荻原規子 徳間書店 二千五百円)。病気や事故で簡単に恋人が亡くなったりはしませんよ。
 平安末期、平治の乱から物語は始まります。主人公の草十郎は山中で独り笛を吹いているのが好きな青年。そんな彼も、板東武者の家に生まれたが故、義平を將に抱く戦に加わるのですが敗退。生きる目的をなくしかけた彼の前に現れたのは、舞の力で魂を鎮める力を持つ糸世。独りが好きだったはずの草十郎ですが、彼の笛の音は見事に糸世の舞と共鳴します。自然と惹かれあう二人。が、舞と笛の共鳴は、人の運命を変える力を持っていました。それを知った上皇後白河は、自らの延命のため、彼らにその力を使わせます。その結果、糸世は異界へと消えてしまう。
 愛する者を取り戻すため、草十郎の彷徨が始まります。様々な出来事に遭遇し、草十郎やがて、その笛の音で世界を支配できる程の力を得ますが、彼の願いはただ一つ。糸世ともう一度出会うこと。だって、「糸世が必要なんだ、糸世に出会えたから、糸世がこの世にいたから、おれは今のおれになることができた」。相手を認めることで初めて、自分自身を抱きしめることができる。なんて一途! だから、悲しみに溺れて自分の傷をなめている暇なんかないのだ。(ひこ・田中)読売新聞2005.07.12
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『小さな小さな海』(岩瀬成子:作 長谷川集平:絵 理論社 1000円 2005.07)
 学校で苦手な授業があると、なんか憂鬱。という体験は誰にでもあるでしょう。
 この物語は、そうしたささやかでけど、本人には結構重い問題を素材に、それを乗り越えることと、コミュニケーションの温かさを描いています。
 よしろうは水泳が苦手。その時間が近づくとおなかが痛くなってしまう。
 ある日、保健室で落ち込んでいると、頭が痛くなったというこうじがやってくる。一年年上のこうじは、なわとびが苦手。でも、よしろうはなわとびが得意だから・・・・。
 いつも子どもの中に分け入っていく岩瀬が、今作では少し距離を置いて、「苦手」について描いています。
 長谷川の画との相性は、もう抜群。(hico)

『駱駝はまだ眠っている』(砂岸あろ:作 かもがわ出版 1600円 2005.06)
 70年代の京都に生きる女の子の物語。
「わたし、森下ろまん。一四歳。
 この名前をつけたのは、たぶん都さんで、都さんはわたしの母親である」とはプロローグ。
 物語は、ろまんと母親を中心にそれを取り巻く様々な人々をろまんの目で追っていく。
 70年大学紛争後のけだるい雰囲気の中にあっても、中学生のろまんは新鮮なまなざしで時代を生きていきます。
 この作品の舞台となる駱駝館という喫茶店は当時実在しており、実は私はそこの店員であったので、登場人物たちのモデルとなった人達の顔が次々と浮かんできます。それ故か、本物のリアルさに比べ、この登場人物たちのキャラがイマイチ立っていないように思えてしまいます。その辺りは私には判断不能なのでしょう。
 『小さな小さな海』の岩瀬成子さんも当時この世界と近い位置にいたので、チラリと描写されとります。(hico)