No.97                2006.01.25日号

       
【絵本】
以下、ほそえさちよです。

2006.1 児童文学書評
○てぶくろとぼうし
「てぶくろ」アルビン・トレッセルト再話 ヤロスラーバ絵 三木 卓訳 (1964/2005.11 のら書店)
「ぼうし」ジャン・ブレット作 松井るり子訳 (1997/2005.12 ほるぷ出版)
 
 この季節、手袋と帽子を忘れるとすーすーして落ち着かない。寒い日に暖かい部屋で読むとうれしい絵本二冊。
「てぶくろは」おじいさんが森で落としてしまった手袋に、動物たちが順々に入って行くというおなじみのウクライナ童話。ラチョフの民芸色豊かな絵本が有名だけれど、このトレッセルトの再話した絵本もなかなかにチャーミングだ。ヤロスラーバは日本で翻訳されるのははじめてだが、細い線ですっきりと描かれたイラストに、特徴的な水色とオレンジ、薄い芥子色の三色をのせて、白を効果的に使ったデザイン感覚あふれる絵本に仕立てた。四色+二色という50、60年代に多く見られる印刷形態だけれど、不思議とフルカラーの絵本と比べて、寂しい感じがしない。この他にもイースターにちなんだ絵本やバレンタインにプレンゼントするようなイラスト付き詩集絵本などいくつも手がけている。印刷で選ばれている特色がどれも独特でヤロスラーバの絵本は今見てもあか抜けて見える。トレッセルトの再話は手袋の落とし主を男の子とし、物語をそっと子どもの方へと引き寄せているのが、いい。それをおじいちゃんから聞いたんだという入れ子にしているところも彼のアイデアだろう。最初に手袋に入るネズミくんがウールの帽子みたいなものをかぶってうろちょろしていたみたい、というくだりも。やり過ぎると説明的になってしまうのだが、程よいところでおさめているあたり、ラチョフの骨太さとはまたちがったアプローチで、作家の特徴が良く出ていると思う。日本語もすっきりとシンプルで、ちょっと目のきついこの男の子の口調が出ていて、たのしかった。
 「ぼうし」のジャン・ブレットもまた、このウクライナ民話に魅了された絵本作家で、ミトンのはいったギフト的な絵本セットを刊行している。緻密に動物の毛並みまで再現した、アメリカに連綿と続くオーソドックスでリアルタイプのイラスト。でも、この「ぼうし」は彼女のオリジナルテキスト。古い農家やノルデックテイストの衣装や調度。細部が細かに描かれ、それがお話の舞台装置として有効に機能しているのがおもしろい。中央に描かれる大きな場面と左右に描かれる鏡のような場面、ページ上部にまたがる細長い場面、この4つが時間の経過をきちんと描き、ストーリーの転がるなかで、今どういう状況になっているのかを視覚的に伝えている。上部では洗濯物を干している綱と洗濯物の状況を、左の鏡では女の子が過ごしている様子を、右の鏡ではお話を引っ張って行く動物たちや行動を起こす女の子を描いている。絵本を読んでもらいながら、それを自分で見つけた時の子どもの様子ったらなかった。説明するのももどかしく、得意そうに鼻の穴をふくらませならが、ページを次々に繰っていき、指差しながら、「ほら、絵が一緒なんだけど変わっていくでしょ。それが最後にこうなるの」彼女のいう通りで、小さな場面と大きな場面はラストできちんと統合され、別々の場所でそれぞれに動いていたお話はまん中で語られるはりねずみのハリーのお話につながっていくのだ。これこそ絵を読むということなのだろう。だからこそ、この絵本はじっくりとひざの上において読みたい。ページをひらいたまま、細やかなイラストから聞こえてくる話し声にじっと耳をすませたい。

○その他の絵本
「まいごのぴーちゃん〜きゅーはくの絵本1花鳥文様」「じろじろぞろぞろ〜きゅーはくの絵本2南蛮屏風」(2005.10 フレーベル館)
日本古来の屏風絵や工芸品を紹介するためにお話仕立てにして、その描かれた世界や文様の様々な様を展開する絵本。「まいごのぴーちゃん」では花鳥文様で飾られた絵皿、更紗、刺繍、螺鈿、蒔絵をアップに映し、そこに住まう鳥や動物たちを訪ねるという趣向。それも、絵皿に描かれた小鳥の姿を見ているうちに自然と有漢できたストーリーにのっとって進んでいく。「じろじろぞろぞろ」では大きな屏風絵を部分部分に区切って、細かく見ていくうちに、描かれた人たちの様子からおのずと聞こえてくる言葉や音を想像して、お話にとかしこんで作っている。どちらも取っつきにくそうな絵やものを細かく見ていくことで、具体的なものや人に目をこらし、そこに寄り添っていくことで美術品に親しみをもつようにしむけている。今までも西洋絵画で子どもにむけた解説の絵本は何冊も出ているが、日本美術で作ったのがめずらしい。また、アジア美術を大きな柱とする4つめの国立博物館が自ら企画したというのも、たのもしい。


「くっくちゃん」ジョイス・ダンバー作 ポリー・ダンバー絵 もとしたいづみ訳 (2005.11 フレーベル館)
「ケイティー」「あお」(ともにフレーベル館)で強く印象づけたポリー・ダンバーの新作。テキストは同じ子どもの本の作家として活躍する母親がかいている。小さな赤ちゃん、くっくちゃんは大きな靴の中に隠れては、いろんなところに出かけます。くつのお船にくつの自動車、くつの飛行機……。見慣れているはずのくつが、すこうし変わって活躍するのがおもしろい。繰り返しのリズムが楽しいテキストに乗って、どんどん冒険が続くのですが、急に大男や大女が出てきて、びっくり。でも、それが安心のラストシーンへ続くのです。明るくファンタスティクなイラストと、すっとんきょうなお話が楽しい。

「かあさん まだかな」イ・テジュン文 キム・ドンソン絵 チョン・ミヘ訳 (1938,2004/2005.10 フレーベル館)
テキストは1938年に発表されたもの。そのため、描かれる人や場所も、一昔前のなつかしさにあふれる韓国の情景。着ているものも暮しの様子も。かあさんを待っている間の描き方や場面の展開の仕方は、映画を思わせるようなカット割りで、絵を描いた人は現代の映像文化に親しんでいる人だとわかる。言葉少なで静かな、でもあたたかな絵本。

「どんぐりしいちゃん」かとうまふみ作・絵 (2005.9 教育画劇)
鉛筆の柔らかい線で描かれた小さなどんぐりたちの世界。楽しく踊って暮すどんぐりのしいちゃんでしたが、からすのカースケさんが集めているという素敵な帽子のことを聞くと、それが気になって気になって……。とうとう、カースケさんのコレクションのひとつと自分の帽子をとりかえっこすることに。でも、いろいろかぶってみても、ぴったりするものがありません。やっぱり自分のが一番というラストには、アハハハと笑ってしまうかもしれない。でも、そのあとで、そうだなあとしみじみ納得。そういえば、ひろってきたどんぐりの帽子と実の組み合わせ遊びでも、ぴったりのものを探すのがむずかしい。実と帽子は一対のものでしたね。

「ぽんこちゃんのどろろんぱ」たかどのほうこ作(2005.12 あかね書房)
「かんばりこぶたのブン」に続く、小さな子のちょっとがんばったり、おちゃらけたりする姿を楽しく、親しみ深く描いた絵本。いたずらっこのたぬきのぽんこちゃんは、どろろんぱっ! と化けては、お友だちを驚かせます。ピクニックに出かけても、ちょっと先に駈けて行っては、クルミや帽子に化けるのですが、すぐに見破られてしまいます。ところが……。お話の展開が程よくて、お話中の動物たちと一緒にあれっ?と思ったり、うくくくっ、と笑ったり。安心して楽しめ、「次は誰のお話?」とまちきれないみたい。

「マーシャと白い鳥」ミハイル・ブラートフ再話 出久根育 文・絵 (2005.10 偕成社)
ババヤガーの出てくるロシアの民話にはいろいろがある。本書ではさらわれた弟を取り戻すために、ババヤガーのもとへ出かけるマーシャが主人公。途中、出会うペチカやリンゴの木、ミルクの小川に弟をさらった白い鳥たちの向かった方向を尋ねます。それぞれのお手伝いをすることでマーシャは白い鳥のいった方向を教えてもらえ、ババヤガーの家へとたどり着く。画家の筆はババヤガーの家や造形よりも、ものいう木やペチカ、川の在り方に力を注ぐ。こってりとしたチーズの岸やペチカの不思議な形、マーシャを取り巻く不穏な空気の様子を薄い色を何層も塗り重ねたような独特なタッチで描いていく。それがマーシャの心持ちを表現する。自分の心境と重なるような物語に出会った画家の力作。

「忍者にんにく丸」川端誠作(2005.9 BL出版)
野菜忍者列伝其の一、とあるので、これからシリーズ化されるのでしょう。忍者もの絵本はいろいろあるけれど、野菜や麺など、素材の持つ力をそのまま忍術の技として展開させているところがうまい。にんにく丸はひとり分身の術で敵をまいたり、忍法おろし生にんにくで窒息ぜめにしたり……。パンパンと張り扇の音でも響かせたいようなテキストが声に出して読んで楽しい。ラストは餃子パーティー。オチもきれいにまとまって、自分でも作ってみたくなる。

「きょうというひ」荒井良二(BL出版 2005,12)
シンプルで美しい絵本。きょうという日、一日、一日を大切に、ささやかだけど丁寧に暮す。そして、雪で小さなかまくら(ランタン)を作って、そこにろうそくをともします。ろうそくをともす行為は祈りに通じます。夏の鐘楼流し、冬のランタン。作家自身の絵本の中でも、本作はとりわけテーマへ焦点がしっかり合っていて、おなじみの脱線やとりとめのなさがありません。それをうまい!ととるか、窮屈ととるかは読者の好みでしょうか。私は、もう私たちにできることは祈ることだけなのかなあ、それを根本に持ちながらも、生きることのアクションがあるのではないかしら、それをもっともっと考えていきたいな、とページを閉じて思ったのでした。

「夜になると」アン・グットマン&ゲオルグ・ハレンスレーベン作 今江祥智訳(2004/2005.12 BL出版)
「リサとガスパール」シリーズで人気の作家が手がけた絵本。パリに住むちょっとおしゃまな女の子が寝付くまでを、夜がふける風景と大人の生活時間の中で描いています。ママとパパは夜、お客さまをお迎えするので、女の子はシッターさんと一緒に幼稚園を出て、公園で遊び、帰ってお風呂に入れてもらいます。ママとパパが帰ってきたけど、一人だけで夕御飯を食べて、先に寝なくちゃいけないの。日本とはちょっと違う夜の過ごし方にとまどうけれど、温かみのある筆のタッチや雰囲気のある画面のゆったり大きい様子が、女の子の暮しを包み込み、ある家族の風景をしっかりと伝えてくれます。

「すてきなおうち」マーガレット・ワイズ・ブラウンさく J・P・ミラー絵 野中 柊やく(1950/2006.1 フレーベル館)
アメリカの子どもたちの愛読書だったゴールデンブックスの古典が新しい印刷で復刊されるようになったのは五、六年前だったかしら。なかでもワイズ・ブラウンとミラーのコンビが放つ、この絵本はとても印象に残っている。ミラーの愛らしくなつかしいようなイラスト。ワイズ・ブラウンらしい唐突でへんてこな急展開。この絵本もまたNOISY BOOKしりーずのように、読者の参加がしやすい、問いかけと返答でページが進んでいく。お得意のNO!  ちがうよ!という返事の部分もあって、最初はふつうの動物のお家さがしかな、と思っていると、不思議に楽しい素敵なお家をパーンと見せてくれる。その見せ方も期待を持たせて、飽きさせない。ワイズ・ブラウンって絵本のリズムというものを本当に体で知っていた人なのだなあと感服する。

「 ふたごのひよちゃんぴよちゃん〜はじめてのようちえん」バレリー・ゴルバチョフ作・絵 なかがわちひろ訳 (2003/2006.1 徳間書)
かわいい小さなふたごのひよちゃんぴよちゃんの第二作。ユーモラスで表情豊かな動物たちを描くのが得意なこの作家が、いかに小さな子の心持ちに敏感であるかがよくわかる。前作の「はじめてのすべりだい」では、怖いなあ、ちょっとがんばるの大変そうだなあというきもちがすうーっと軽くなる様子を細やかに描いていたのだった。今回は初めて幼稚園に登園するという小さな子にはとんでもない出来事に直面するひよちゃんぴよちゃん。新しいお友だちに勇気を持って声をかけても「いまは、だめ」といわれてしまい、しょんぼり。でも、素敵なきっかけがあって……。動物たちの特性もきちんと活かし、そのうえ大人のアドバイスで、おはなしはストンとおさまるべきところにおさまるのです。そこがまた、あたたかく、まっとうで、なるほどなと思わせるのがうまい。なんてこないようなこういうお話こそ、作家の子どもへの目線の確かさが要求されるのです。それを持っている人はそうはいない。

「ホームランを打ったことのない君に」長谷川集平作 (2006.1 理論社)
な〜んか今どきの絵本って、武者小路実篤がいっぱい描いてた「なかよきことはうつくしきかな」とかなんとかいう色紙の絵をきれいでかわいいイラストに変えただけって感じ、と思っているのはわたしだけかしら?それは、メッセージだけでドラマがないってこと。読むべき行間もかかれないってこと。言葉だけなら誰も反論できないようなことを、自分に引き付けることなくすらーっと提示してみせる態度に、今を生きる人と世の中が乖離してるという感じを否応なく見せつけられてしまう。うんぬん……。などと、ひとりごちたくなるのは長谷川集平のこの新作を手にしたから。帯には「30年目のメッセージ」と絵本の中のセリフを抜き出してあるけれど、この本からこのメッセージだけを読み取るとしら、ちょっとなあ、と思う。でも、今、この絵本をアピールするには有効な帯だ。世の中というのはみんな、わかりやすいメッセージをほしがっているようだから。私には野球をする少年と野球をし続けようとすることで自分をこの世につなぎ止めているかのような青年を交差させることで、絵本の中に描かれなくとも流れる時間を読者に示し、そこに希望を見ようとしているのではないか、とおもえた。このドラマの中からたちあらわれるのは語られることのない思いであり、過ごしてきた時間であり、願いである。それは雑多で、読むときどきで色合いが変わり、メッセージのように不変ではない。私の中の時間を開いていく感じ。私の読みも今のこの状況の中の読みなのだけれど。映画のように絵本を作り、人間の時間を見つめてきた作家は、この本でもそのスタイルをいままでよりもわかりやすい形で提示しているように思える。

「どうぶつにふくをきせてはいけません」ジュディ・バレット文 ロン・バレット画 ふしみ みさを訳 (1970/2005.12 朔北社)
ナンセンス絵本の傑作として長く読みつがれてきた絵本がやっと翻訳されてうれしい! バレット夫妻の絵本はシュールな設定でおかしいのだが、人の描き方にちょっとくせがあるので、なかなか日本で定着しないのだ。この絵本はびりびりになった洋服を着ているヤマアラシの絵の表紙を見ただけで、なんだかなあ、もう……と笑ってしまうでしょう? 一気に語られるテキストの的確さにまた笑い、ラストでやンなっちゃうなあと自らを顧みる、かな。

○その他の読み物
「はりねずみとヤマアラシ」「はりねずみのだいぼうけん」おのりえん作 久本直子絵 (2005.10 理論社)
丸まってイジ−、ぐっと背を反らせてイガーと名乗るはりねずみといっしょに暮すクマの物語シリーズの三作、四作目。今回は秋の取り入れと冬の冬眠が舞台になっている。秋のお話はムギの刈り入れと脱穀。脱穀時に旅に生きる吟遊詩人でもあるヤマアラシの一団がやってくるところがクライマックス。詩のできる場所、詩と生きるものの関係をうまく描き出していると思う。冬はクマは冬眠してしまう。冬眠しきれなかったはりねずみが薪が無くなり、寒くてSOSをだしたネコを助けるために奮闘する。小さなものたちの智恵や勇気に読者はわくわくするに違いない。小さな人たちもまた、自分の力を役に立てたくて、うずうずしているのだから。

「こちら いそがし動物病院」垣内磯子作 マツバラリエ絵 (2005.10 フレーベル館)
のんびりとつりを楽しみたいな、と思っている若い動物のお医者さん八木先生と看護婦さんのところにやってくる動物や人たちを描き出す、一話完結の連作の物語。心やさしいが口下手な八木先生。川で溺れる子猫を助けて、家のネコにしてしまったり、羽の折れた鳩や足の折れたリスの手当てをただにしてしまったり……。ドリトル先生のように動物とはなせるわけではないけれど、できるだけ寄り添い、飼い主と動物のあいだをうまく取り持とうとする姿が誠実。最近のペットブームをちくりと刺す視点も忘れずに持っている。