113号 2007.05.25

       
児童文学書評 2007.5
○スウェーデンから来たゆかいなふたり組
『セーラーとペッカ、町へいく』(1993/2007.4 偕成社)
『いったいどうした? セーラーとペッカ』(1994/2007.4 偕成社)
『セーラーとペッカの日曜日』(1995/2007.5 偕成社)
ヨックム・ノードストリューム作 菱木晃子訳
 セーラーは陸にあがった船乗り、ペッカは一緒にすんでいる犬(?)。このふたりの暮らしぶりをたんたんと絵本にしたシリーズ。にぶく光る海、立体感あふれる風景の中に、ぺらんと平面的に描かれる人びとや動物。画面には押し花や写真などがコラージュされ、上等なペープサートを見ているような独特なかわいらしさがある。奇妙な音楽が流れてきそうな雰囲気のある画面が、とってもすきだった。
 作者は現代美術家としても知られる人。いわゆるファインアート畑の人が作る絵本には、ひとりよがりなものが多いのだが、この絵本たちは親しみやすく、奇を衒っていない。本作は自分のお子さんたちが小さな時に、いろいろ意見を聞きながら(?)作った三作だという。続いて刊行される『セーラーとペッカの運だめし』「セーラーとペッカは似た者どうし』は前の三作と制作時期が離れていて、お子さんたちも大きくなり、どういうスタンスでこの絵本を作っていくか、ちょっと考えてしまったと来日時の講演会で話していた。(スウェーデン大使館にて、2007.5.11)どういう風に、その違いが絵本に出ているのか、これから見るのが楽しみ。
 第1作はセーラーが町にセーターを買いに行く話で、お話の展開はなんだか小学1年生の描く日記みたいな感じだなとおもった。〜をしました。そして〜をしました……と文章がつながっていく感じ。そんなふうに、ふたりのであった人、ふたりのしたことがつづられていく。それが、アニメーションや映画のカット割りのように、ひとコマひとコマ、微妙に大きさの違うフレームで、人物が切り取られ、つながっていく。画面の中で切り取られるフレームの大きさは、そのまま、そのコマを写し出す時間を示すように、場所が変わり、全体を見せたい時は見開きの大きな画面、人が話をしている時は、その人をアップにした小さなコマ、というふうに、とても映画的な配置になっているように思われた。それを紙の中に定着させると、いろんな大きさのコマが、画面にリズムを作り、おもしろさを作っている。作家はそれを「小さな子どもが一人で見て、ちゃんとわかるようにしたかった」と話していたが、絵と文を一対一に対応することで、絵を見れば、すぐ、その説明ができるという造りがこのコマ割りという手法だったんだなと再認識した。ふきだしのないマンガのような感じといったらわかるかしら。絵本は今まで、絵と文章の関係をずらし、その間をいかに読ませるかということをテーマに進化(?)してきたのだけれど、この作家はそういうことには頓着せず、絵と文が一緒になったもともとのところで絵本を作っているなあと思った。それが、よりおもしろく見えるのは2作目、3作目だろう。お話が少し複雑になり、事件もおきて、画面の使い方も自在になっている。
 この絵本の魅力はなんといっても、イメージが直さいであるところ。ペッカは犬だから、手にも靴をはいていて、ふだんは2本足で歩いているのに、急ぐと4本足で走ってしまう。うさぎや犬の顔をした人たちが、洋服を着て歩いている。作家が「まさに、この人、うさぎって感じの人、いるでしょ」といっていたのを、その言葉通りに取れば、子どもがこの人、クマみたいに大きいなあと思ったら、クマを描いてみせるような、そんなそのまんまかげんが、妙にキュートに見えるのだ。それは絵本を作る上でとても大事なところ。ものごとを受け取る時に、素手でぽんとうけとめてまるめてしまう、そういう勢いや皮膚感覚、対峙の仕方というものに自覚的である人が絵本を作ることができる人だとわたしは思っているから。ああ、それは表現者であるための必須な要素でもありますね。そこに、子どもに(第3者に)どう伝えるのか、という手法になじんだのが、この絵本だったのではないかなと思いました。(ほそえ)

○その他の絵本
「ようちえんっていうところ」ジェシカ・ハーバーぶん G・ブライアン・カラス いしづちひろ訳
(2660/2007.2 BL出版)
いつも朝一番にやってくるトミ−が今日はきません。うまにアップル、ひつじにビスケット、鶏にコーン、牛にダンディライオンをいつもくれるのに……。どうしたんだろうと心配する動物たち。トミーは朝、車にのって出かけたよ、と犬が教えてくれたのですが。絵本で幼稚園というと、はじめて出かけた日の不安や、どんなことをするのか教えてくれるという内容が多いのだが、本作では、出かけたトミ−が、帰ってきて、動物たちにどんなところだったか教えてくれるという構成が、目新しい。最後に幼稚園で歌ったうたを動物たちに教えてくれるのだが、A,B,C,Dというアルファベットがアップル、ビスケット、コーン、ダンディライオン(たんぽぽ)の頭文字というようにつながるのがみそ。アメリカの幼稚園は、半分小学校みたいな感じで、お勉強の時間もあるから、トミーみたいに文字をならってくるわけ。幼稚園を舞台にした絵本だとそういうところが日本と違っていて、なかなか翻訳できない絵本もあるのだけれど、本作は上手くできていると思う。(ほそえ)

『メグとモグ』『メグとふしぎなたまご』、『メグむじんとうにいく』『メグつきにいく』ヘレン・ニコル作 ヤン・ピエンコフスキー絵 ふしみみさを(1972,1973/2007.2 偕成社)
小さな魔女メグと黒猫モグの活躍する絵本。イギリスでは長くロングセラーになっているものという。ビエンコフスキーがこんなにポップな絵本を作っていたのかとびっくり。テレビ番組でも放映されていたそうで、展開もはっきりしていて、シンプル。(ほそえ)

『あかりちゃん』あまんきみこ作 本庄ひさ子絵(2007.2 文研出版)
ちいさなあかりちゃんがみつけたももいろのちいさないす。「もーもー」としか呼べなかった頃からのずーっと一緒でした。2話目はちいさないすにすわれなくなって、なかよしのくまのぬいぐるみの指定席になる展開。それはよくよく見るものだけれど、3話目に引っ越しの時にいすがトラックから落ちてしまい、野原のネズミのおうちになるというのが、めずらしい。ちいさなこの心象をやわらかな言葉で見せてくれるのがあまん作品の特徴。「そうかもしれないね」が「そうだといいね」というふうにストンと胸に落ちる、その瞬間を描くのがやはりうまい。(ほそえ)

『さあ、おきて、おきて!』クリスティン・モートン=ショー/グレッグ・ショー文 ジョン・バトラー絵
おがわひとみ訳 (2006/2007.3 評論社)
春のもあもあとけぶったような空気を柔らかくあたたかく描いたイラストが印象的。深い森の中で、お祝いのために、一頭のクマの子や2匹のりす、3羽のうさぎ、4羽の小鳥、5匹のねずみがかけつけたのは、ちいさなこじかの誕生をみるためでした。それぞれの動物達の描き方のかわいらしいこと、短く語りかける詩のような言葉のあたたかいこと。(ほそえ)

『はる・なつ・あき・ふゆ いろいろのいえ』ロジャー・デュボアザン作 やましたはるお訳 (1956/2007.4 BL出版)
古い家を買った家族が、どんな壁の色にしたら家がステキに見えるだろうかと想像します。女の子は「赤い色に塗ろうよ、春になると木の芽が映えてきれいよ」といいます。お兄さんは「きいろがいいよ。緑いっぱいの夏になると目立つよ」といい、お母さんは「秋になると黄色い葉っぱの舞い散る中、茶色の壁もきれい」、父さんは「冬なら、緑の壁にオレンジの鎧戸なんかいいね」といいます。みんなで話し合って、決めたのは……あらゆる色でできている白に。物語の中に色彩学の基本をさり気なく組み込んで、なるほど、と納得のオチに持っていく、さすがデザイン感覚あふれた絵本作家の絵本です。(ほそえ)

『けんかのなかよしさん』あまんきみこ作 長野ヒデ子絵 (2007.2 あかね書房)
ようちえんでいっつもけんかしてしまうゴンくんとテッちゃん。けんかがはじまると、クラスの子ども達が「やめてえ」とさけんだり「がんばれえ」と騒いだり……。でも、きょうのけんかでは、みんなの声が聞こえません。かわりに、広い草原が広がっていて、ゾウの群れが近づいてきたのです。日常からひょこっと不思議の世界に入り込むその時を描くのが、得意な作家の物語らしく、実際が不思議の中に溶け込んで、すんなりと子ども心を取り込みます。タイトルがそのまま、実際の子どもの暮らしをあらわします。(ほそえ)

『はなのがっこう』仁科幸子作 (2007.4 偕成社)
植物の成長ほど、子どもの目を見はらせるものはありません。ちいさな種が芽生え、背をのばし、葉を広げ、花開き、実をつける。その変化を支えるのが花の学校で勉強したこどもたちです。ねっこぐみ、はっぱぐみ、はなぐみのこどもが協力して、一つの植物を担当するのです。学校での勉強の様子や、実際の働きを楽しくかわいらしく見せてくれます。見えないところを見えるように描くのが絵本の得意技の一つですが、そうかもしれないなと思わせます。巡る季節をテーマにした絵本はいろいろあります。たとえばオルファースの『ねっこぼっこ』とか。オルファースのような詩的なふくらみには欠けますが、親しみやすく、想像しやすい花の精になっています。(ほそえ)

『のりののりこさん』かとうまふみ作(2007.3 BL出版)
『えんぴつのおすもう』(偕成社)で活躍していた文房具達がそろって、今度はお絵書き合戦。色鉛筆達が描いた色とりどりの絵がいいか、はさみとマジックが作った切り絵の方がいいか、のりののりこさんにみんなが尋ねます。「わたしは、どっちもすきなの〜」と絵と切り絵をくっつけちゃった!みんなで一緒に作った絵ののびのびと楽しそうなこと。お絵書き系の絵本『くれよんのくろくん』や『ゆかいなクレヨンぐみ』に続く1冊。(ほそえ)

『ぐるりん ぱっ』まつおようこ写真 なかのひろみ文(2007.4 アリス館)
春の野山を歩くと必ず見つける、シダのくるりんとまるまった芽。わらびかな、コゴミかな、とおいしい味を探すのもうれしいけれど、たべられなくてもその愛嬌のある姿を見つけては、指差し、家族でにっこりしていました。そんな愛らしい姿をたくさん集めた写真絵本。それだけで構成したものは珍しく、いろんなぐるりんの違いが発見できておもしろかった。きっと、こんなのもある、わっ、おもしろ〜いと心弾ませながらシャッターを切ったのでしょう。小さな人の低い視線にぴったりなもの。シダについてのまめ知識のページあり。(ほそえ)

『はるにあえたよ』原京子文 はた こうしろう絵 (2007.3 ポプラ社)
マークとマ−タはふたごのこぐま。はじめての冬眠から目をさましたばかり。もうすぐ「はる」がやってくると教えてもらい、「はる」ってどんなものかしら、と想像します。おとうさんは、「はる」はみどりやあかやきいろで、いいにおいがするんだ、というのです。ふたりは外へ「はる」を探しにいきました……。鉛筆で塗り込められた洞穴の黒のあたたかさ、しろと黒で描かれる森の絵のやわらかさ。『はなをくんくん』のマーク・サイモントや『もりのなか』のエッツのような絵にデザイン感覚あふれる構図。「はる」に出会ってからの華やぎとの対比がそのまま、こぐまたちの驚きと喜びになり、一緒に読んでいる子どもにもそれがしっかりと伝わります。(ほそえ)

『パンダのシズカくん』ジョンJ.ミュース作、絵 三木卓訳 (2005/2007,3 フレーベル館)
『しあわせの石のスープ』で中国のお話を見事に絵本化したミュースの3作目。本作は禅の心を子ども達にも伝えたいと描かれたものという。実際、禅は英米ではとても人気のある考え方で、禅のお話を絵本化し、子ども達に教える教師向けの本まで刊行されている。この絵本でもシズカ君が出会った子ども達3人それぞれにお話をしてくれる。それはその時の子ども達の心境にあったもので、なるほどと思わせる選択。禅なんて子どもに向かって語るなんてむずかしいとつい思ってしまうが、この心の動くもともとに敏感な子どもだからこそ、ふっとひっかかり、納得できることがあるのかもしれない。一緒に読んでいる子どもの横顔を見ながら思った。(ほそえ)

『ねこくん、わが家をめざす』 K・バンクス作 G・ハレンスレーベン絵 今江祥智訳 (2004/2007,3 BL出版)
ねこは家にいつくという。このねこくんを飼っていたおばあさんが亡くなり、荷物とともに別のところへつれられてしまったねこくん。自分の感覚だけを頼りに、居場所を探して歩く様がそのまま、フランスの中を旅行することとなるロード・ムーヴィ−的な絵本。ページをめくるごとに、ぱっと場面が変わり、土地の様子が描かれる。ネコは家にいつくというが、最後はもとの家に戻って安住するという安心。(ほそえ)

『パパたいすき』『ママだいすき』セバスチャン・ブラウン作 (2004.2005/2007.2.3徳間書店)
いろんな動物の父子、母子。それぞれの一日のなかでふれあいのシーンを大らかなタッチの温かなイラストで描いた絵本。それぞれの親を大好きという絵本は定番のテーマ。いろんなタイプの絵本が出ているが、これほどてらいなくシンプルな絵本は最近、めずらしいような。(ほそえ)

『あいうえおおかみ』くどうのなおこ作 ほてはまたかし絵(2007.3 小峰書店)
あいうえおをあたまにおいた詩が11。あいうえおに、がぎぐげごの濁音に、ぱぴぷぺぽの  音の詩もあるところが、とっても珍しいと思う。おおかみ君がいろんなところに出かけていって、いろんなものに出会うという。それが全部イラストの木版画に入っていて、詩のまわりの絵を見て、お話を探し出す楽しみもある。(ほそえ)

『ブタベイカリー』角野栄子作 100%オレンジ絵 (2007.3 文溪堂)
パン屋さんの話は小さな子は大好き。街角に車を停めて売るブタベイカリーのブタさん。町中では帽子パンやタコパンなどお店屋さんにちなんだものがたくさん売れて、グラウンドの近くではボールパンやバットパンなど。いつもはいかない町外れにも売りに来てください、しっぽパンをたくさん作って……といわれて、出かけてみたら、森の動物たちがパンを買いにやってきました。いろんなパンがあり、それをどんな人が買っていったかをいちいち見ていくのがおもしろい。(ほそえ)

『人食いとらのおんがえし』松谷みよ子文 長野ヒデ子絵(2007.4 佼成出版社)
『七人のふしぎなじいさま』水谷章三文 遠山繁年絵(2007.4 佼成出版社)
『山をはこんだ九ひきの竜』松谷みよ子文 司 修絵(2007.4 佼成出版社)
朝鮮の民話を日本の作家がかたり直し、日本の画家が絵をつけた「朝鮮の民話絵本シリーズ」。
口の中に簪がささっていた人食いとらをたすけた男に、いのちを捨てるまで忠誠を尽くすさまをえがいた『人食いとらのおんがえし』。高句麗が隋に攻められた時に、7人のじいさまが岸辺に現れ、隋の大軍を川にしずめてしまったという伝説がもとになった民話。清川江のそばにある七仏寺の縁起となった『七人のふしぎなじいさま』。山をちょん切って運んでは、島を作ったり、山をこしらえたりしていたずらをする『山をはこんだ九ひきの竜』。今、韓国の絵本がたくさん翻訳刊行されている時期に、あえて、「朝鮮の民話」を絵本化しているのがおもしろい。韓国でもなかなか絵本になっているないお話だし、文章がシンプルで力強い。こういうところはさすが、と思う。絵は、韓国の画家の描くものに比べると、あっさりしすぎか。それぞれの特徴は出ていると思う。(ほそえ)

『4にんのこえが きこえたら〜おかしきさんちのものがたり』おのりえん文 はたこうしろう絵 (2007.4 フレーベル館)
4人の男の子兄弟のいるおかしきさんちは毎日、もう大変!いっつも大声出したり、とりあったり、けんかしたり……。とうとう、おかあさんに「けんかするなら、そとでして!」とおいだされ、それぞれ4人は自分のしたいことをしに出かけていった。おかにのぼって、あたりを眺めたり、流れる雲にのってみたり、森で虫取り、砂場で山作り。それぞれが一人を存分に楽しんだあとは、またみんなで、おしゃべり。でも、けんかの前と違うのは、話し続けるけれど、ちゃんと相手の話も聞いている。一人の時間に感じたことや見つけたことを報告しあっている。それが、ちゃんとかけているのがいいな。巧みな画面構成で、がちゃがちゃの4人暮しととのびのびの一人時間を生き生きと描いている絵が読ませる。(ほそえ)

『パッチン☆どめ子ちゃん』山西ゲンイチ作(2007.4 佼成出版社)
かわいいパッチンどめをしてる女の子がはちみつを買いに出かけると、ヘビやライオンが出てきて、そのパッチンどめをちょうだいっていうのです。女の子は嫌々あげるのですけれど……。昔話を思わせるような繰り返しの物語り。もらった時にはかならず、お返しするという、礼儀正しいヘビやライオン、くまさんたちのおかげで、女の子は無事お家に帰ることができましたって。(ほそえ)

『さんぽみちははなばたけ』広野多珂子作、絵(2007.3 佼成出版社)
『やさいばたけははなばたけ』に続く、おばあちゃんと女の子の植物しらべ絵本。いつものお散歩コースには、小さな花が咲いていると、おばあちゃんはその名前を教えてくれます。どんな小さな草にも花が咲き、どんな草にも名前があるということの頼もしさ。それを知ったあとと知る前とはやっぱり、花の見え方が違ってくることでしょう。ボタニカルアートとは、またちがった誠実さとあたたかさで描かれる草たちは、「これがそうだったのね」と納得の笑顔をつれてくることでしょう。(ほそえ)

『ぼく うまれるよ』たしろちさと作 (2007.5 アリス館)
カバの出産のシーンをTV見た作家が絵本に、と調べはじめ、スケッチしできた絵本という。まだ生まれていない小さなカバの赤ちゃんの声、お母さんの心臓の音、お母さんの声、生まれおちた赤ちゃんの声……それらが同じ地平にから聞こえてきます。それを読みながら、この声が読んでいる人間のわたしの声と読んでもらっている子どもの声に重なってくるのが、しあわせに思います。巻末の増井光子氏のすっきりとわかりやすい解説文を読めば、よりいっそうカバの独特な暮らしぶりがわかり、愛らしさがつのります。(ほそえ)

『がんばれ! パトカー』竹下文子作 鈴木まもる絵(2007.4 偕成社)
車好きな子どもにはたまらない絵本。町のなかでのお仕事の様子は、絵をよく見ていると、つぎの展開がわかるようになっています。こまごまと描かれる町の人たちの様子を見ていくなかで、暮らしと仕事の結びつきというようなものも感じ取ることができるようになることでしょう。パトカーの運転席の仕組みも公開!(ほそえ)

『か・げ』武田美穂作(2007.3 理論社)
男の子と子犬が家の中から外へ、影を見つけて歩いていく。ただただ、これは○○の影と羅列していくだけなのだけれど、そこにはふだん何気なく見ているものへの発見がある。絵本が気づかせてくれるのだ。ともだちとそのお母さんが手をつないでいく影は「なかよしのかげ」。大きなたてものの影を見つけ屋上に登ると、そこで雲の影に出会うのがすてき。きちんと構成され、絵本からまた日常へと行き来できる絵本。このさりげない子ども目線で、毎日のちょっと先を子どもに指ししめすところがこの作家のとても大切な資質。この感覚を大事に、読み取りたい。(ほそえ)

『おまかせツアー』高畠那生 (2007.4 理論社)
動物園にすむ動物たちが風まかせ行き当たりばったりの旅行に出かけます。シロクマは浜辺で日焼けし、茶色グマに、ワニは温泉でつるつるお肌に、ゴリラはビルの上に立って、まるでキングコングみたい。おおかみは毛糸ぐるぐるまきの羊みたいになっちゃうし、太極拳をならうヘビやら、座禅するペンギンやら、みんなそれぞれ、お休みを堪能して、また動物園で一仕事。
旅行前と旅行後を比べると、あららとびっくりするのだけれど……。どうやってみんな同じ船に乗って帰ってくるんだろう、なんてところはストンと飛ばして、ひゅんひゅんとページをめくって、動物たちの様子が映し出される、そのとんでもない状況を笑うやらびっくりするやらするのが、こういう絵本の楽しみ方。(ほそえ)

『あおいかさ』いしいつとむ(2007.4 教育画劇)
買ってもらったばかりの青い傘がうれしくて、晴れた日にもさしてみる女の子。雨の中、うれしくて歩いていると、どんどん風が強くなって飛ばれてしまう……。だれかに拾われてしまったらどうしよう、どこかでだれかと雨宿りしていたらいいなあなどと想像したり。素直な展開で、ラストもにっこりの絵本。滲んだような線と色が、雨の日のぼわぼわとした風景にあっています。ただ、テキストに、雨や風の擬音に、もう少し独自のものがあったらなあ。

『ぼくのだいすきなケニアの村』ケリー・クネイン文 アナ・ファン絵 小島希里訳(2006/2007.4 BL出版)
ケニアにすむ男の子が過ごした1日が絵本になっている。おじいさんの牛をつれていって、草を食べている間に、ちょっと村へ遊びにいってしまう男の子。「だれかいる? ホジ?」「おはいり! カリブ!」と声かけて村の人やともだちと楽しく過ごす。時々、おじいさんの牛はどうしたかなあなんて思いながら……。アナ・ファンのイラストは独特な表情やシルエット、色使いがおもしろい。スワヒリ語が台詞としていくつも出てくるのが珍しく、村の暮らしぶりも絵からしのばれる。(ほそえ)

『あいててて! グリム童話』ナタリ−・バビット再話 フレッド・マルチェリーノ絵 せなあいこ訳(1998/2007.4 評論社)
よく知られる「悪魔の金の3本の髪の毛」を再話して絵本化したもの。タイトルを『あいててて!』とするところが、ナタリ−・バビットらしい。マルチェリーノのイラストもこのテイストで、端整な中にもユーモラスで茶目っ気のある表情がいい。とくに地獄にすむ悪魔のおばあさんが愉快にマルコの要望をかなえてやるところなど。

『犬のジミーはバレエ・スター』リンダ・メイバーダック文 ジリアン・ジョンソン絵 小澤征良訳 (2004/2007.3 講談社)
バレエ団に在籍していた実在の犬をモデルに、ダンサーだった人が書いた絵本。みんなの気持ちを落ち着かせるお守り犬だったし、一緒にレッスンもしていたという。絵本のジミーはみなに可愛がられるのだが、ぼくもどうしても舞台にあがってスポットライトを浴びてみたいと思っていた。とうとう、猟犬の出てくる演目が上演されると知り、ぼくが……と意気込んだのだが、別の大きな立派な犬が連れてこられて、しょぼん。でも、本番では、ジミ−がきちんと代役をつとめたのです!(ほそえ)

『こぎつねはたびだつ』ケイト・バンクス文 ゲオルク・ハレンスレーベン絵 今江祥智訳 (2007/2007.4 ブロンズ新社)
こぎつねが生まれ、お母さんやお父さんに守られ、教えられ、成長する様を、たっぷりとした絵で見せてくれる。なんてことない展開なのだけれど、きちんと吟味された場面をおさえてあり、それを伝える言葉も詩的でうつくしい。ハレンスレーベンの絵本はたくさんあるけれど、やはり、ケイト・バンクスと組んだもののほうが絵本としてきちんと成立していると思う。(ほそえ)

『よしおくんがぎゅうにゅうをこぼしてしまったおはなし』及川賢治作、絵 竹内繭子絵 (2007.4 岩崎書店)
よしおくんがぎゅうにゅうびんをたおしてしまうと、どんどんどんどん牛乳がびんから流れてきて、ぼくをおしながしてしまい、それでもどんどんどんどん牛乳が流れていく……というてん末。ちょうど明け方見る夢のような、明るい悪夢のようなお話。よしおくんが牛乳の海でクロールすると、ミルクフィッシュが水面を踊り、やってくる船に乗ると、船員のおじさんがミルクの海でつりをする。そうして、ぎゅうにゅうびんをつりあげ、「これからぎゅうにゅうやになろうとおもう」といって去っていくおじさん。ラスト「ぼくがぎゅうにゅうをこぼしてしまったおはなしはこれでおしまいです。」とぷつんと終る。ミルクフラワーもミルクフィッシュも、わたしもなんだかおいてきぼりにされてしまい、ふーんという感じ。過剰さはおもしろいんだけどねえ。(ほそえ)

『あおだ すすめすすめ』ベネディクト・ブラスウェイト作 青山南訳 (2002/2007.5 BL出版)
『でっかいしごとだ いくぞいくぞ』(2003/2007.5 BL出版)
まっかなちっちゃいきかんしゃのシリーズ2作。ミニチュアの町を俯瞰してみているかのような画面を機関車が走ります。1作目は、信号が青になると、どんどん進んで、海のトンネルを抜け、フランス、スペインをすぎ、最後はフェリーでかえってきました。なんとも大回り。イギリスから見たら、フランス、スペインは近いのね。2作目のほうがお話としては親しみやすいかも。道が分断されてしまい、荷物はこびの仕事が機関車に集中します。港で荷物を積み込み、石切り場で石を積み、山で材木を積み、はこんでくる機関車。小さいながらすごいパワーで仕事をやりぬく姿に、小さな子はパチパチパチでしょう。(ほそえ)

『犬と妖精のお話』カレル・チャペック&ヨゼフ・チャペック (2007 ゴマブックス)
『郵便屋さんのお話』カレル・チャペック&ヨゼフ・チャペック (2007 ゴマブックス)
「チャペックのフィルム絵本シリーズ」の2作。1959〜1973年の間に制作されたアニメーション映画をもとに絵本化したもの。兄ヨゼフはイラスト原画としての参加であり、アニメートしてるのは、クラートキー・フィルム・プラハ。昨年、チェコのアニメーション展でみたものだけれど、DVDのまえに絵本になりましたか……。まるっこい顔の木彫りの人形みたいなプロポーションが愛らしく、シックな彩色が今でもモダンにみえました。アニメーションが動きと音がいのちなので、静止画の組み合わせの絵本ではなかなか魅力が伝わらないのだけれど、お話がしっかりしているから、この2作は読んでも楽しめます。(ほそえ)

『てんとうむしさんちのただいま』スギヤマカナヨ作(2007.4 教育画劇)
てんとうむしのおとうさんがバスにのってお家へ帰ります。最初はかたつむりバス。つぎはダンゴムシバス、さらにミミズバスに。身近な虫や生き物の登場する絵本は小さな子にとって、お散歩でみたあのミミズ、あのてんとうむし……というふうに、親しみ深く、なじみやすいもの。絵本と毎日がつながる1冊になりそう。小さな子に合った造本、お話の造り。(ほそえ)

『ぽいぽいぷーちゃん』たるいしまこ作 (2007.5 ポプラ社)
あかちゃんのあそぶしぐさや様子をよくよく知った作家が作った絵本。ぽいっと箱に投げ入れるのはだいすき。箱につみきをぽいっとかたづけ、そばにいたねずみさん、ねこさん、いぬさんもいっしょにぽいっ。自分まで箱にぽいっとするところから、ぐ〜らぐ〜らがっしゃーんとなるのが盛り上がるところ。この絵本を読んだあと、「やって やって〜」とせがまれることでしょう。絵本が遊ばれるようになればしめたもの。(ほそえ)

『めちゃくちゃ はずかしかったこと』リュドヴィック・フラマン文 エマニュエル・エカウト絵 ふしみみさを訳(2007/2007.5 あすなろ書房) 
めちゃくちゃはずかしかったのは、大事なことを話しているさいちゅうに鼻ちょうちんが出ちゃったこと……となんていうのが見開き2コマにちんまりかわいいイラストとともに10も描かれている。あー、それは恥ずかしいなんてものじゃないでしょ、というのも中にはあるけれど、フランスらしい軽くてニュアンスのあるイラストで描かれるとキュートでおもしろい。(ほそえ)

『パセリともみの木』ルドヴィッヒ・ベーメルマンス作 ふしみみさを訳 (1953,1955/2007.4 あすなろ書房)
マドレーヌちゃんの作家ベーメルマンスの未邦訳だった絵本。やっとやっとの翻訳です。わたしの持っている原本は30センチをこえる大きな1955年版だったので、小さくなったこの絵本を見て、あれっとおもいました。画集のように大きく、ベーメルマンスの大らかな筆跡がのびのびと、森の緑が深いけれども、瑞々しく光っていて、大画面だからこそのおまぬけで楽しいページもあり、大好きだったのですが、この大きさだとなかなか刊行できないんだよねえと諦めておりました。訳本は小ぶりで紙もベージュがかったもので、上品な感じ。森の木のいのちがどのような形になっていくか、鹿のパセリと曲がりくねったもみの木のあたたかな交友をしっかりと語っています。(ほそえ)

『いっしょにあそぼう〜アフリカの子どものあそび』イフェオマ・オニェフル作、写真 さくまゆみこ訳 (1999/2007.4 偕成社)
『たのしいおまつり〜ナイジェリアのクリスマス』(2005/2007.3 偕成社)
アフリカの暮らしを切り取るオニェフルの写真絵本4册目、5冊目。『あそぼう』はぼうまわし、こま、まねっこあそび……など、実際に子どもたちが遊んでいる写真とともに簡単な遊び方を解説している。日本の遊びに似たものもあり、へえとびっくりしてしまった。手や体全体を使う遊び、小石やびんのふたを使う遊びなどおもしろい。『クリスマス』はサングラスをかけ、おしゃれをした子どもたちがうつっている。作家もまたこの絵本の主人公の男の子のようにクリスマスを過ごしたという。モーという祖先の霊をあらわした精のお祭りの踊りを見るのを楽しみにしていた。主人公の男の子は自分なりのモーを作り、踊りたいと工夫するところがかわいらしい。(ほそえ)

『ハンダのめんどりさがし』アイリーン・ブラウン作 福本友美子訳(2002/2007.4 光村教育図書)
『ハンダのびっくりプレゼント』でいろんな動物と果物を紹介してくれたハンダが、今度はカウンティングブックで。めんどりがいなくなったので、ともだちのアケヨとさがしにいくハンダ。でも、ひらひらチョウチョが2匹いるだけだったり、しましまネズミが3匹いるだけだったり……と動物の数が増えていって、最後はちゃんとめんどりが見つかるのです。うれしいお知らせ
といっしょにね。シンプルな展開だが、村の暮らしぶりもよくわかる。(ほそえ)

『たまごのはなし かしこくておしゃれでふしぎな、ちいさないのち』ダイアナ・アストン文 シルビア・ロング絵 千葉茂樹訳(2006/2007.4 ほるぷ出版)
いろんな色、いろんな形、大きさ、手触りを見開きで描く。イラストで描くことでより特徴をしっかり目に焼きつけることができる。卵はおとなしい……それがいきなり、にぎやかに!という展開もいい。とびらのまえに59もの卵の絵が。それがラストの見開きでは全部孵って育っている。これをいちいち見ていくだけでもおもしろい。(ほそえ)

『わたしのおばあちゃん』ヴェロニク・ヴァン・デン・アベール文 クロード・K・デュボア絵 野坂悦子訳 (2006/2007.3 くもん出版) 
わたしの大好きなおばあちゃんが、かわってしまった。わたしの名前もわからないし、靴を冷蔵庫に入れたり、ナプキンを食べようとしたりする……。アルツハイマーという病名を絵本に出さないまでも、人の
老いる姿をこの3、4年絵本は端的に描き出してきている。それを支える孫、子のすがたとともに。それだけ、アルツハイマーが知られてきたとともに、幼い子どもにとって、おばあちゃんが自分のことがわからなくなるというのは、とんでもなく不安なことなのだ。それをなんとか解消したいという意識が強いのではないかしら。本作はデュボアのあたたかなイラストが女の子の心情をしっかりとえがいているのがいい。(ほそえ)

『おつきさまにぼうしを』シュールト・コイバー作 ヤン・ユッテ絵 野坂悦子訳(2003/2007.3 文溪堂)
寒そうに見えるお月さまに、ぼうしをかぶせてあげたいな、と思い立つ、さるとめんどりとわに。家から出て、夜空に向けて、肩車するのですが、届くわけありません。ふうっ、ふうっといきをはいて、雲をふき寄せる3匹がなんともかわいらしい。なんてことないお話ですが、ユッテの表情あるイラストがちょっと楽しい。

『ハクトウワシ〜空の王者』ゴードン・モリソン作 越智典子訳 (1998/2007.3 ほるぷ出版)
『カシの木』『池』『まち』と身近な自然を描いてきたナチュラリストが昔から畏敬を持って眺められてきたハクトウワシの子育ての様子を絵本にした。ひなが孵り、幼鳥から一人立ちするまで、どのような世話をされ、ハクトウワシはどのように暮らしているのかを押さえながら、狩りの仕方、からだの構造、飛び方などの知識をモノクロの鉛筆が細かなテキストでわかりやすく教えてくれる。ラストでは、またひなが孵り、くり返される子育ての営み、暮らしのひとめぐりをしめしている。(ほそえ)

『つばさをもらったライオン』クリス・コノヴァー作 遠藤育枝訳 (2000/2007.4 ほるぷ出版)
文字を知らない南の国のレオ王と棚に宝をたくさん並べた北の国のオットー王はいがみあっていたという。レオ王のもとに生まれた王子には翼があり、たまたま風に舞い上がって、北の国まで飛びつづけて、オットー王に助けられた。北の国にある宝とは、本のことだった。王子はいためた羽の手当てを受けて、お腹いっぱいスープを飲んだ後、お話を読んでもらったのだ……。はじめてお話や文字に接した王子がどんどん魅了され、新たな知識を得ていく様は生き生きとしている。この寓話はお話や本で人はつながることもできるのだと教えてくれる。見返しのアルファベットはお話のタイトル文字とそれに出てくるものたちのイラストで飾られている。動物たちのふわふわの毛並みといい、端正なイラストが格調高い。(ほそえ)

『ぜったいぜったい ねるもんか!』マラ・バーグマン文 ニック・マランド絵 おおさわあきら訳(2007/2007.5 ほるぷ出版)
欧米では子どもはお部屋で一人で寝なくちゃいけないから、おやすみなさいの絵本にも力が入るというものです。この絵本のオリバーも、8時にお部屋の電気をけされ、おやすみなさいのキスをされるのだけれど、ぜんぜんねむくないし、お絵書きしたり、車を走らせたり、ロケットのって、火星までいっちゃったり、おおさわぎ。でもね、9時前にはもうおねむになっちゃうの。一人の時間をぞんぶんに楽しんだオリバーはきっといい夢見られるね。子どもが一人でいる時間の豊かさに、こちらまでのびのびしてしまう。いいな。(ほそえ)

『トコトコさんぽ』長野ヒデ子作 スズキコージ絵 (2007.4 すずき出版)
くまさんがトコトコさんぽするうちに、風船、スカーフ、眼鏡……とどんどんひろって、しっかり身につけ、トコトコ行く様がおもしろい。つぎに拾うものがちゃんと顔を出している親切。最後一輪車まで乗っちゃってどうするのかしらと思ったら、落とし物した子どもたちがやってきて、持っていっては、いっしょにトコトコさんぽしたんだって。自在なイラストとの楽しさとリズミカルな言葉に浸って。積み上げうたみたいにしても過剰さが強調されておもしろかったかな。(ほそえ)

『ぼくたちのあさ』たにむらまゆみ (2007.5 偕成社)
新人作家のデビュー作。ぼくたちのあさってなんだろう、と読みすすめると、いのししの男の子のうちに赤ちゃんが生まれる朝ってことでした。くっきりとした親しみやすいイラスト、素直なお兄ちゃんの思いと、シンプルな展開。安心して読める絵本ではあるが、いのししの子の男の子らしい、独自な感じ、ああ、こんなことしたらいいね、というのがもう少しハッとした形でほしかったかも。せっかくのデビュー作だから。きれいにまとまっていて安定感はあるのだけれど。(ほそえ)

『すうちゃんのカッパ』とづかかよこ (2007.6 偕成社)
新人作家のデビュー作。水彩にいろんな布や彩色した紙や段ボールをコラージュして描かれ、微妙な立体感が手芸っぽいあたたかさを出している。お父さんに買ってもらったカッパを着て、外に出かけるすうちゃん。雨がふらないかなと待ちわびています。とうとう、雨がふってきて、ともだちといっしょに、すうちゃんの大きなカッパをテントみたいにして、中に入り込みます。すると、雨つぶの音がお祭りみたいに楽しく、愉快に響きました……。雨を楽しむ絵本はいろいろあるけれど、こんなににぎやかな画面はめずらしい。絵柄や表情がどうしても、雑貨っぽくなってしまうのが、残念だなと思いました。あと、テキストももっとすっきりできるはず。(ほそえ)

『たいようオルガン』荒井良二 (2007.7 アートン)
荒井ワールド全開の絵本。小さな白いゾウバスが道をどんどん走っていって、いろんなところを通っていクロードムーヴィ−みたいな絵本。ただただ1日走っていく様を大きな画面で描いていく。ただこの大きな画面に浸ればいい。この絵本では太陽がオルガンを弾いている。太陽の光がオルガンの音のように感じたという1点だけで、これはわたしの中で絵本として成立している。(ほそえ)

『プンプン ぷんかちゃん』薫 くみこ作 山西ゲンイチ絵 (2007.5 ポプラ社)
ふみかちゃんなんだけど、すぐふくれっつらになっちゃうからぷんかちゃんってよばれてる女の子。1年生になって、学校にいっても、だれともともだちにならないで一人で遊んでいます。そういうこどもの心のしこりをかくのがこの作家は上手い。かたまったところを少しづつほぐしていって、こういうのも良いなあなんて思わせる、その手順が読ませる。ラストはもちろんにっこりで、よかったねえと読んでもらった1年生もほっとするだろう。元気なかわいいイラストで、重く、固くなる気持ちを暗くならずに描き、親しみやすい。(ほそえ)

『スプーンさんとフォークちゃん』西巻かな (2007.3 講談社)
デイジーちゃんはごきげんななめ。スプーンとフォークをがちゃん、がちゃんとなげつけました。スプーンさんとフォークちゃんがにげだしてしまうと、お昼御飯が食べられません。どうする? 小さな子の食事の風景はぐしゃぐしゃ、いったん機嫌が悪くなると、なんでもぽいっぽいっと落としたり、投げたり。デイジーちゃんは そんな赤ちゃんではないようだけど、いやいやの2才児くらいかな。すっきりシンプルだけど、ちょっとあっさりしすぎかなあというお話とイラストを明るく仕上げているのが、大きなオレンジ色のフォントです。このオレンジが入ることで良い画面になりました。デザインの力です。(ほそえ)

『みんなのせて』あべ弘士(2007.4 講談社)
JR北海道に「旭山動物園号」っていうのがあって、この作家のイラストが車両の全面に描かれているんだって。すごい迫力でしょうねえ。ということで、動物がいろんなところから列車に乗って、動物園にやってくる絵本を作りました。動物園にいる動物たちももともとはいろんな国や場所から列車や車や飛行機に乗ってきているのだろうな、なんてお話しながら読めば楽しい。(ほそえ)

『ぶす 狂言えほん』もとしたいづみ文 ささめやゆき絵 (2007.4 講談社)
落語のつぎは狂言ですか……といいたくなるほど、今、古典芸能を絵本に、というブームがあるように思う。大々的に狂言ですとはうたっていなかったが、昨年出た井上洋介の絵が印象に残る『鬼の首引き』(福音館書店)も狂言だったし、NHKのにほんごであそぼで人気のややこしや〜をやっている野村萬斎が推薦するこの絵本もそうだ。
子ども向けに狂言を紹介するとなると一番に挙がる「ぶす」。とんち話になっていて聞いたことがあるような話だし、食べてしまうという解決策が子ども心をくすぐる。時代を感じさせるものがお話の展開には直接関係なく、主人と家来という関係性でのみ読める話だから、ちょうど手ごろなのだろう。お話として時代を超えて練られてきているものだから、そのままでおもしろい。つぎは「くさびら」「しどうほうかく」とシリーズ化して続くという。楽しみ。狂言にはボウフラの出てくるお話もあったような。そういうこりゃ何じゃいというお話は、昔話、古典などからうまく子どもに出会わせられたら、おもしろいなあ。以前みた、劇団円の「たいこどんどん」みたいに、そのエッセンスを上手く伝えられたら良いと思う。講談社は子どもに古典をかたり下ろしたシリーズを10年前くらいに出していた。その中に上手く絵本に生かせる蓄積があると思う。(ほそえ)

【絵本】
『つばさをもらったライオン』(クリス・コノヴァー:作 遠藤育枝:訳 ホルプ出版 2000/2007.04 1500円)
 南の国を治めているライオンは字が読めません。ガオゥと吠えれば、国は治まります。クマが治めている北の国には宝物があるそうなのですが、それが何かは分かりません。
 ライオンの王子が生まれました。彼には翼が生えています。飛ぶ練習をしている内に、迷ってしまい、北の国へ。そこで王子は字を習います。そう北の国の宝物とは本だったのです。
 帯の「本を読む大切さを伝えるおはなし」は余分ですが、本への素朴な信頼が堂々と語られていることは、今の時代においてはとても新鮮ですね。(ひこ)

『たまごのはなし』(ダイアナ・アストン:文 シルビア・ロング:絵 千葉茂樹:訳 ほるぷ出版 2006/2007.04 1500円)
 鳥、昆虫、さまざまなたまごが丁寧に描かれ、語られています。
 さまざまな色、さまざまな手触り、さまざまな大きさ。まるで宝石のようです。
 たまごはたまごなんですが、生命が誕生する前からこんなにドキドキさせてくれるのですよね。それは見せ方の巧さなんでしょう。
 もちろん、最後は、生まれてきますよ。画面いっぱいに小さな命たち!(ひこ)

『よしおくんが ぎゅうにゅうをこぼしてしまった おはなし』(及川賢治&竹内繭子:作・絵 岩崎書店 2007.05 1300円)
 牛乳瓶を倒してしまったよしおくん。すると、牛乳がどんどんあふれ出し、海になってしまいます。泳いで、船に助けられてと、話はどんどん広がっていきます。
 考えてみればジュースだってこぼしたはずなのに、牛乳をこぼした経験は記憶にあるのは何故でしょうね。あの臭さかな。それとも白さかな。
 いまはなかなか見かけない牛乳瓶でよしおくんは飲んでいるのが、ちょい気になりました。どこぞの上等の牛乳かしらん。
 ちょっとアリス的なお話です。(ひこ)

『ゲルティのあおいながぐつ』(オリビア・ダンリー:作 ゆづきかやこ:訳 小峰書店 2002/2007.02 七六〇円)
 幼児絵本では、大きな冒険より、ごく日常をどのようにワクワクと描くかが大事です。日常にこそ彼らの冒険が満ちていますからね。
 がちょうのひなのゴシーとゲルティ。あかいながぐつとあおいながぐつが好き。仲良しの二人の一日がいいリズムで描かれていきます。でも、ゲルティが一人で遊びだしてしまい、ギシーはちょっとおかんむり。シンプルですが、なかなか計算された作品です。(ひこ)

『かさどろぼう』(シビル・ウェッタシンハ:作・絵 いのくまようこ:訳 徳間書店 1986/2007.05 一四〇〇円)
 第三回野間国際絵本原画コンクール入賞作の復刊です。復刊ドットコムでもリクエストが多かったので、良かった良かった。スリランカの作品。
 村にはかさがありません。ミリに出かけたキリ・ママおじさんは、初めてかさというものを見て、これは便利だと一本買ってきます。ところがなくなってしまい、また買うのですがまたなくなって・・・。なくなったら必死で捜すのではなくまた買いに行く辺りのおおらかさがまず良いです。で、誰が盗んでいったかはお楽しみですが、かさはある種「文明」のメタみたいなもんですが、それが誰に盗まれたかってところに、作者のメッセージにまでは踏み込まない視線があります。
 絵は、本当に豊かですばらしい。(ひこ)

『おまかせツアー』(高畠那生 理論社 2007.04 1200円)
 動物園の生き物たちが旅行に出かけます。シロクマはビーチに。日に焼けて黒クマにたいになっちゃった。ワニは温泉旅行で、お肌がツルツル。孤島でイヌとサルは仲良しになるしね。
 そんな楽しい展開をみせてくれます。
 日頃、檻に入っている動物たちだけにこの解放感はたまりませんね。
 これって、子どもの気持ちでもあるでしょう。(ひこ)

『ペネロペ かたちをおぼえる』(アン・グットマン:文 ゲオルグ・ハレンスレーベン:絵  ひがし かずこ:訳 2006/2007.04 岩崎書店 一〇〇〇円)
 ペネロペももう十巻目です。今作は、タイトル通り、形を覚えます。概念絵本ですね。部屋の中のどれがまるかさんかくかしかくかを当てていきます。外しまくるんですけどね。でも、物の見方が、これでワンランクあがりました、ペネロペ。
 最後は、素敵な物で形の確認です。巧いなあ。(ひこ)

『めだかのぼうけん』(渡辺 昌和:写真 伊地知 英信:文 ポプラ社 2007.04 1200円)
 これも写真絵本の力を見せてくれる一冊です。飼ったことのある人は別でしょうが、私たちはめだかを知っているようで知りません。この絵本は、そんなめだかのたんばでの一年を追ってくれます。
 めだかって、地域ごとに色合いが違うんですね。全然知らなかった。
 めだかは、めだかってことだけでもう知ってると思ってしまう誤解をもみほぐしてくれます。(ひこ)

『ハナちゃんとバンビさん カーニバルへいく』(石津ちひろ:作 荒井良二:絵 理論社 2007.03 1000円)
 シリーズ2作目。
 今回は、逆さ言葉です。
 雪の中を歩いている。何かをくわえているハトを見て追いかけますが、大きな穴からワープしてたどり着いたのは砂漠の中のカーニバル。誘ってくれたピエロは逆さ言葉を連発です。長ったらしいのはありません。短い短い言葉です。「食べた、食べた。」「よぶと、ハトは飛ぶよ。」。石津が楽しんで作っているのが判ります。荒井の絵もそれの応えるように、ウキウキイキイキしています。(ひこ)

『4にんのこえがきこえたら』(おのりえん:ぶん はたこうしろう:え フレーベル館 2007.04 1200円)
 おかしきさんチの4人の男の子、ふぃー、まー、いー、うー。仲が良いけど、けんかもたくさん。
 まあそのにぎやかなこと。
 読んでいるだけで疲れます(悪い意味じゃなくね)。
 それぞれの個性がはじけて、良い感じ。
 シリーズ化されるそうです。どんな世界になるか、楽しみです。(ひこ)

『しろくまひこうき』(たしろたく ポプラ社 2006.11 750円)
 しろくまひこうきってなんなんだ、と思っていたら、本当に飛んでいて、でもなんなんだとページを繰っていったら、最後に判ります。
 非常にシンプルな画と、謎を秘めたでもシンプルな物語。幼児絵本としての出来はいいですね。(ひこ)

『まじょのマント』(さとうめぐみ ハッピーオウル社 2007.04 1280円)
 さとうの「まじょ」シリーズももう3作目。ぐっと安定度が増してきました。
 今回、まじょさんはマントを木の枝に引っかけて穴を開けてしまう。ちぎれたマントの切れ端を見つけたネズミたち。それを使ってコウモリごっこをして遊びます。
 夕食にコウモリを捜していたまじょさん、ちょうど捕まえたのは・・・。
 ちょっと理屈になっているのが惜しいですが、それでも、なんとも言えないユーモアがあり楽しい作品に仕上がってます。(ひこ)

『ポルカちゃんとまほうのほうき』(たむらしげる あかね書房 2007.05 1200円)
 『まじょのケーキ』の続編です。
 おそいじをしようとしたポルカちゃんですが、まじょのほうきは素直に従ってくれるはずもなく、ポルカちゃんは大空へ。
 このおおぞらへ行くまでに、ほうきが折れたりのエピソードがあるのですが、ころをなくして、おおぞらだけに絞ったほうがより広がりのある物語になったでしょう。でも、これシリーズですから、ポルカちゃんの日常生活の一こまってことで、必要かもしれませんね。判断の難しいところです。(ひこ)

『ぐるりん ぱっ』(まつおようこ:写真 なかのひろみ:文 アリス館 2007.04 1400円)
 シダの特化した写真絵本です。
 いやあ、結構色々あります。いえばまあ、それだけなんですが、どう見せるか?
 そのなんだか不思議な形が開いていく様を、ぐるりんぱっという言葉で現していて、とたんに画面が活き活きとしてきます。
 こういう見せ方もあるのですね。(ひこ)

『ぽいぽい ぷーちゃん』(たるいしまこ:さく ポプラ社 2007.04 800円)
 はこにおもちゃをお片づけ。ねずみもねこもいぬもみーんなはこにお片づけ。ついでにぷーちゃん自身もお片づけ。はこが電車に変身だ。
 流れがスムーズな赤ちゃん絵本です。右側に固定されたおもちゃ箱が、位置をずらして動き出すのも良いです。ですから、最後のページのおもちゃ箱は、奥付との関係でこうなってしまうのでしょうけど、残念。(ひこ)

『ヘビくんどうなったとおもう?』(みやにしたつや ポプラ社 2007.04 780円)
 ティラノサウルスシリーズのみやにし作。ヘビくん2冊目。ヘビくん、木に登りたい。でも風が吹いて・・・、でも雪が降って・・・となかなか登れません。その繰り返しが絵本にリズムを与えています。
 達成物です。でから達成されますが、どうやるかが読みどころ。(ひこ)

『ぼくうまれるよ』(たしろちさと アリス館 2007.05 1300円)
 お腹の中にいるカバの赤ちゃんが生まれて、お乳を吸うまでが描かれています。
 生まれるまでのところが良いです。ああ、こうして生まれてくるんだってことが割と伝わってきます。
 生まれてからは、ちょっと平板。生まれてくる子の母体ではなくママになると、そこからは決まった描かれ方になってしまいます。これはこの絵本がってことではなく、母子絵本全体の陥穽かもしれません。
 生まれた、生まれた、生まれた! とそれだけでいいと思うのですが。(ひこ)

『まじょの森のピクシー』(ひらいたかこ ポプラ社 2007.04 1300円)
 ドジまじょのピクシーは100年に一回の魔女の祭りの日に、置いて行かれてしまいます。
 村人たちがやってきてさあ大変。
 ピクシー、思いがけず大活躍で魔女たちを救います。
 村人と魔女の交流というか、関係を描いている前半はおもしろいのですが、事件になってからがあっさりとしすぎです。ここを盛り上げてもらわないと!
 シリーズということなので、次回を期待します。(ひこ)

【創作】
『S力人情商店街』(令丈ヒロ子 岩崎書店 2007.05 900円)
 岩崎書店が始めた「YAフォロンティア」第一回配本です。
 しょぼくれた、もう落ち目まっしぐらの塩力商店街に住むチャコたち中学生三人組。ある日、塩力様に力を授けられて超能力者に。っても、商店街を救うためにしか使えない力なんですが・・・・。
 商店街を愛する令丈による、商店街のためのエンタメです。
 今回は、店を継ぎたくない少年が起こした事件に挑みます。
 能力には縛りがあるわけですから、今後コテコテに商店街世界で冒険が展開されるでしょう。
 その辺りどう見せていくのか、楽しみなところです。(ひこ)

『ボブとリリーといたずらエルフ』(エミリー・ロッダ:作 深沢英介:訳 草炎社 1998/2007.05 1100円)
 大工のボブは快適な一人暮らし。ま、それなりに部屋は散らかったり汚れたりしているのですが、それが落ち着くんですね。分かります。
 ところが、エルフが住み着いたから、もう大変。部屋は綺麗になるし、作業靴はピカピカだし、毎日妖精パンを作ってくれるし。
 そんなだから仲間からは笑われてしまう。
 なんとかエルフを追い出したいボブ。
 綺麗にされて困ってしまうというのは、なんともよく分かりますから、笑いを誘います。
 エルフには悪気はないし、まあありがたいことでもあるのですが。
 小さな物語を、楽しくまとめている、エミリー・ロッダはさすがです。(ひこ)

『ぼくはビースト ポークストリートのなかまたち』(パトリシア・ライリー・ギフ:作 もりうちすみこ:訳 矢島眞澄:絵 さ・え・ら書房 1300円)
 小学校低学年向けのシリーズ。5巻でました。
 一年落第したリチャード・ベストは、前のクラスでビーストなんて呼ばれていた。で、今度の新しいクラスでは自分からそう名乗る。
 落第にコンプレックスを持っているけれど、新しいクラスに段々なじんでいくリチャード。学校生活は楽しくなるでしょうか?
 低学年向けって、なかなか良いのがないのですが(それだけ難しいってことです)、このシリーズは、巧く子どもに寄り添っていて、楽しめますよ。絵もわざとらしくなく良いです。(ひこ)

『もりでうまれた おんなのこ』(磯みゆき:作 宇野亜喜良:絵 ポプラ社 2007.04 1300円)
 みんながみんな、いいこだというから私はいいこでいよう。鏡だっていいこだと言うし。でも・・・・。
 ある日、鏡は、いいこだと言ってくれるが、だから嫌いだと告げる。
 どうすればいいのか?
 彷徨う「私」はくまに出会い、一緒に暮らし始めます。
 果たして「私」は心落ち着くようになるのでしょうか?
 「いいこ」にアイデンティファイする子どもや人が増えていますが、そこに問いかけを発しています。いいタイミング。
 宇野の絵とのコラボが見事な作品です。(ひこ)

『大きなウサギを送るには』(ブルハルト・シュピネン:作 はたさわゆうこ:訳 徳間書店)
 コンラートは、小学校の五年生。ココアをよくこぼしてしまう弟、嫌いな食材を料理に隠し入れるのが得意なママ、寝る前にお話を作って聞かせてくれるパパの四人家族です。出来たばかりの住宅地に引っ越したので、男友達を作りたいと思っています。なのに、知り合ったのは、フリッツって女の子。
 彼女のパパは今、家を出てクリスティーネという女の人と暮らしています。そんなことになったら、子どもはどんな気持ちになるのか、両親の仲がいいコンラートにはよくわかりません。だから、「パパに、家に帰ってきてって、いえばいいじゃないか」とのんきなことを言ってしまいます。しかし、フリッツは知っています。「ふたりがもう愛しあっていないなら、別れるしかないの。別れないと、ますますひどいことになって、みんながふしあわせになるだけなんだから」。
 でも、分かってはいても、やっぱりフリッツは、クリスティーネを許せません。ウサギの毛にアレルギーがあるクリスティーネに、パパが飼っていたベルギー・ジャイアントというとても大きなウサギを送ることにします。それはちょっとやりすぎじゃないかと思うコンラート。だけど、フリッツの怒りに押されて反対が出来ないどころか、その計画を手伝うはめ!
 両親の離婚に遭遇して、悩み、怒る子どもの姿がとてもリアルに描かれています。そして、子どもにはそれを止めることはできないことも。ですが、決して暗くはありません。ちょととぼけたコンラートと気の強いフリッツの掛け合いはとてもユーモラス。どんなに悲しくても、やがてはそれを克服していく力が子どもにはあることが伝わってきます。(ひこ 産経新聞)

『ラブ&ランキング!』(花形みつる ポプラ社)
 学校でなんのトラブルもなく過ごしていくのはかなり大変です。月子は、周りの空気も読めて、面倒な人間関係も、賢くこなすと自負している小学生。趣味は人を観察して分析しランキングをつけること。
 月子が今気になっているのは、ドジで鈍くて、しかもツキもない、イケテナイ子のヒナコ。だから暗いのかといえば、いつも明るい。何を考えているんだろう、この子は?
 ヒナコが恋をした相手が、コウキ。顔良し、頭良し、スポーツ万能と、完璧な男の子みたいだけど、根性が悪い。自分を天才だと平気で言うし、人のことなどおかまいなし。オレサマ男で、みんなからの人望はゼロ。
 ヒナコとコウキ。全く正反対に見える二人だけど、実は周りの空気を読んで行動するなんてことはせずマイペースなところは案外そっくりです。二人にかかわっているうちに月子は、「面倒な人間関係も、かしこくこなす」自分に疑問を抱くようになっていきます。恋の行方? それは読んでのお楽しみね。(ひこ 読売新聞 2007.05.21)

『チューリップ・タッチ』(アン・ファイン作 灰島かり訳 評論社 1500円)
 引っ越し先でナタリーは中学生の新しい友達を見つけます。名前はチューリップ。友達ができることはとてもうれしいこと。でも、チューリップは、とても嘘つきです。誰にでもわかるウソも平気でつきます。だから、学校でも友達はいません。
 彼女の家に行ったとき、ナタリーは「チューリップ自身が、まるで別人のようだった。まるで本人はどこかに抜け出してしまって、代わりに、びくびくした奇妙な抜け殻のようなものがいるみたい」だと思います。それは、チューリップが父親から精神的にも肉体的にも暴力を受けていたからです。「おまえの毛をひっつかんで、丸ハゲになるまで、ぶんまわしてやるからな」。そんなことを言いながらチューリップを追いつめるのが、父親のやり方。チューリップがよく嘘をつくのは、こうした現実から逃れるためなのでしょう。嘘を信じこむことで、現実の方を嘘にしてしまいたいかのように。
 そればかりではなく、チューリップは残酷なことも、人を傷つけるようなことも平気でします。そういう方法でのコミュニケーションしか父親から学んでこなかったからです。相手を支配したり、うろたえる顔を見たりすることでやっと、自分の存在を確かめられるのでしょう。
 チューリップが置かれているこうした状況を大人たちは知っています。たとえばナタリーの父親は、「きみはチューリップの家には行ってはいけない」と言います。しかし、だからといって、チューリップを排除したり、彼女のために何かをしようとはしません。排除するのは良心がとがめるし、かといって彼女をその環境から救い出すのはとても大変だからです。
 ナタリーがチューリップと友達になるのは、彼女がチューリップにとって御しやすい相手だということもありますが、ナタリーの側がチューリップを必要としていたとも言えます。ナタリーは、母親の関心が弟にばかりあるのを知っています。自分は良い子でさえあればいいのです。どんな風に思っているか、感じているかではなく、良い子であることを求められる子ども。ナタリーもある意味で、チューリップと同じく捨てられた存在なのです。それに反発することもできないナタリーにとって、チューリップは自身の陰のような存在です。つまり、お互いがお互いを必要としていたと言えるでしょう。
 もちろんそれは生産的な関係ではありません。ナタリーはなんとかそこから抜け出そうとします。「あたしが思い出したこと、それは、あたし自身の力であり、自分で自分のことを決めるという感覚だった」。とはいえ、その泥沼のような関係の中から、チューリップも一緒に助け出すことはできません。ナタリーは自身を救うことで精一杯なのです。
 ナタリーはチューリップを忘れないでしょう。物語を読み終わったあなたも忘れないで! アン・ファインはそう言っているようです。
 忘れませんとも。(ひこ 徳間書店)

『みんなのノート 中学生の巻』(金子由美子・橋本早苗:著 大月書店 2007.05 1200円)
 言葉にならない思い。それはどんな世代にもあるけれど、やっぱり言葉にすることで心が整理される。
 中学生の様々な心のもやもやを言葉にしたノートです。どこからでも開いて読めば、そうそうこの思い、こう言いたかったんだというのが見つかるでしょう。(ひこ)