189

       

以下、三辺律子です。

読売NAVI&navi テーマ「働」

何のために働くのか? 現代の難問の一つだ。衣食住を満たすため? 社会貢献? 自己実現の手段? 人の役に立ちたいから? 
 『真夜中のパン屋さん』(大沼紀子・著、ポプラ文庫)の希実は、「将来の夢は公認会計士か税理士(中略)結婚せずともひとりで安定した人生を送りたいから」という現実志向の女子高生だ。小さい頃から母親の都合で色々な預け先を転々とした希実にとって、働くのは安定した生活のために他ならない。ところが、希実の新しい預け先であるパン屋のオーナー暮林は、パン屋を始めた理由をきかれて「おいしいもんを食べると、人はうっかり笑ってまうやろ?」と答える。そんな甘い考えに反発する希実だが、パン屋を取り巻く個性的な面々と接していくうちに、暮林の決まり文句「パンは世界を救う」の意味を悟っていく。
 『負けないパティシエガール』(ジョーン・バウアー・著、灰島かり・訳、小学館)の主人公フォスターも「メープルバターは、世界を幸福にしてくれる」と言い切る。もちろん将来の夢はパティシエだ。でも、夢への道は障害だらけ。識字障害があるためレシピ本は読めないし、母親の恋人の暴力から逃れ、知らない町で暮らさなければならなくなる。しかし、彼女は得意のカップケーキを売ることで、収入を得て、町に居場所を作り、周囲の人々の心を開いていくのだ。
 パンやケーキに世界が救えるわけがない!と思う人は、ぜひこの二冊を。次々出てくるおいしそうな描写を読めば、パンやケーキが、そして働き手の志が、周りの人や働き手自身を幸福にする瞬間があると、信じられるはず!(読売新聞 2013年11月9日掲載)

追記:
 今回のテーマは、「働く」。
わたしは今の仕事をする前、都市銀行に勤めていた。銀行という、真面目なきちんとした職場で、国際社会を舞台に活躍する仕事をしたい―――と、新卒のわたしは胸を膨らませていた。
 確かに銀行は「真面目できちんと」していた。よく言われることだが、本当に1円合わないだけで、帰れない。なぜ1円合わないのか、当日の書類を調べ、なければ数日前まで遡って調べ、それでもなければ数週間分保管してあるゴミの中までぜんぶ調べて、原因を追究する。それで本当に原因がわかるからすごい(例えば、5円合わないときは、下二桁が45円の取引を探していくと、お釣りの渡しそこないなどが判明する)。ついでに、誰がまちがえたのかもわかる。書類に、ハンコがちゃんと残っているからだ。自分がまちがえたとわかったときの、あのつらさ。自分のせいで、みんなが2時間残業するはめになったのだから・・・・・・。
 そのハンコもすごい。なぜなら、銀行に勤めている人はたいてい「真面目できちんと」しているので、ハンコをちゃんと枠内に、まっすぐ押すのだ。一日100回以上押してるのに! 急いでるのに! 書類は社内用でお客さんは見ないのに! よく「三辺はどうしてハンコを逆さに押すんだ?」と言われていた・・・・・・。
 ハンコの数もすごい。一枚の取引書類に、最低でも三個、ハンコを押す四角が並んでいる。どんなに少額の取引でも、最低三人はチェックするということだ。銀行には札束を数える機械もあったけれど、機械だけでなく、必ず手でも数えなければならない。それも、別の人の手で二回以上(それで、ハンコ)。実際、一年に0.5〜1回くらい機械はまちがえた。そう、まちがえた。でも、もちろん、普段は手で数えるときのほうが、圧倒的にまちがえは多い(し、大変だ)。だから、「一年に一回が、わたしの取引にあたることなんてないよね」と思ってしまう性格のわたしには、手で数え直すのがつらくてしょうがなかった。
 輸出入の書類などそこまで急を要さない(ように、思えてしまう)取引も、申し込みの電話が指定時間より30秒遅れれば受け付けない。「30秒遅れたからだめです」と断るより、やってあげたほうがよほど楽だと思ってしまうわたしには、これもつらかった。そんな真面目できちんとした会社だから、とうぜん遅刻する人なんていなかった。みんな30分以上前に出社する。寝坊して定刻5分前【注:5分後ではない】に出社した同期は、ひどく怒られた。その横で、「遅刻じゃないじゃん!」と思うわたし。つらかった。
 でも、取引先は真面目できちんとしているわけでもなかった。某中東系大使館は、取引書類を取りに行くたびに「明日」という。翌日いくと、また「明日」。「えー、昨日『明日』って言ったじゃん。その『明日』は今日だろっ!」なんて哲学めいた(?)説得を試みたところで、まるで無駄だった。というか、そもそも通じてなかった。
 イタリアに送金ミスの原因を調べてくれと連絡したときも、ぜんぜん返事がこなかった。焦る日本側。数回督促の連絡をしたら、「しつこいな、今はワールドカップ中なんだから、そんなことはあとにしてくれ」という怒りの返事がきた。もちろん、仕事ではなく観戦で忙しいという意味だった・・・・・・。
 でも、そんなとき、呆れたり怒ったりするのではなく、「外国はいいよね、緩やかでさ」と思う自分がいた。なんと、わたしは真面目でも、きちんとしても、いなかったのだ。24歳にして初めてそれに気づいたわたしは、つらかった銀行に終止符を打った【注:ちなみに人間関係は恵まれていた。今でも仲がいい】。
 今からふりかえると、自分は「真面目できちんと」しているとか、「国際社会で活躍したい」とか思っていたなんて、自分の図々しさや無知さ加減が信じられない。「己(恥)を知れ!」と、当時の自分に説教したい。でも一方で、就職が厳しくなる中、大学どころか高校や『14歳から〜』のように中学のころから、将来つきたい仕事について具体的に考えろと言われる今の子どもが気の毒になるときもある。時代もちがうし、無責任なことは言えないのはわかっているけれど、それでも、「己(恥)」なんて知らないのが若さの特権だし、「無駄」とか「回り道」も悪くないよとささやいてみたくなる。(翻訳家 三辺 律子)

***
以下、ひこ・田中です。
【児童書】
『なんちゃってヒーロー』(みうらかれん 講談社)
 現代の子どもや若者が、自分でボケて自分でツッコミをいれる、つまり自分自身からも距離を保ちつつ自己完結しがちなのは、世界も大人も見えてしまっている時代を生きているからですが、それを覇気がない、チャレンジがないと嘆いても、それは前世紀的価値観からのため息(わたしは前世紀的価値観で生きていますが)でしかなく、意味はないでしょう。彼等には世界がそう見えているだけなのですから。
 そんな世界、そんな自己完結であるがゆえ、繋がりを求めつつも、それを熱くは求めないのもまた納得のいくところです。
 この物語はそうした時代を生きる子どもを描いたエンターテイメントです。タイトルはベタですが、その「なんちゃって」が、「自分自身からも距離を保ちつつ自己完結」であるわけです。
 主人公の語りで進みますが、一人ボケ、周りからのツッコミが入らず一人でツッコミしている時間がずっと流れています。なにしろ、彼は六年生にもなってヒーローに本気で入れ込み、その特撮映画を作ってしまおうと言う引かれること間違いのない情熱を抱いているのです。が、色んな事情で仲間が集まってきて、とってもちゃちい特撮映画を作ります。そして彼等はもちろんそれがちゃちいこともわかっています。
 実にありがちな設定とありがちな展開を見せる本作なのですが、おそらくそんなこと、作者ははなから承知で、そうした設定と展開を使って、「自分自身からも距離を保ちつつ自己完結」しているわたしたちはどんな繋がり方ができるのか? を試みています。
 言葉の間の取り方がとても上手い本作は、そうくるのはわかっていても一人でツッコんでいるシーンなどで何度も吹き出してしまいます。それは、作者自身が「自分自身からも距離を保ちつつ自己完結」している姿を描けるほどに距離を保てているからに違いありません。作者だから当たり前ちゃあ当たり前のことですが、これがなかなか難しい。
 物語を何かの価値観に落とし込みたい欲望に耐えながら進む展開はなかなか見事で、それでもコテコテのエンターテイメントであることも、いい感じ。
 次作が楽しみな作家です。

『日記は囁く』(イザベル・アベディ:作 酒寄進一:訳 東京創元社)
 ノアは有名女優の母親の気まぐれで、ある村にある五〇〇年の歴史を持つ屋敷を借り、そこでバカンスを過ごすことになる。屋敷は荒れ放題で、そのままでは住めるような物ではなく、村から若者デーヴィトを改築の手伝いに雇う。
 閉鎖的な村。それを気にもとめない母親カートは、さっそく有名女優の力を使って村人を虜にする。そんな母親にうんざりのノア。
 大家が決して開けたがらない屋根裏。そこに詰め込まれていたのは以前住んでいた人々の家具。なぜ?
 ノアはやがて三十年前この屋敷に住んでいたエリーツァという少女の存在を知ります。そして彼女が殺されたらしいことを。エリーツァのことに口をつぐむ村人たち。
 ノアとデーヴィトは真相を探ります。
 YAミステリー。一世代前の事件を扱うこともあって、大人である村人たちの青春がノアとデーヴィトのそれと重なって、家族愛、性愛、信頼、YA要素が世代をクロスして描かれていきます。

『ハヤブサが守る家』(ランサム・リグズ:作 山田順子:訳 東京創元社)
 おじいちゃんは結構すごい冒険や不思議の話をし、なんだか偽造写真のようなものを本物のように語る。父母はそれを、おじいちゃんが年をとったからだとか、昔から変だったとかいうけれど、幼かった頃の僕はそれを信じていた。やがておじいちゃんが何者かにおそわれて死を遂げる。ぼくはそのショックで精神的ダメージを負ったと、医者に診断されて父親と、ウェールズの小さな島に療養にくる。そこはおじいちゃんが子供の頃に暮らした施設がある場所で、医者はその現実を見ることでぼくが治るといったのだ。
母の資産で食べている父は、ずっと自分探しを続けている人なので、母ではなく彼が同行している。
島人たちも近づかないその施設跡。ドイツ軍の空襲で今は廃墟と化しているその場所だが、ぼくはそこで異空間に入り込む。そこはおじいちゃんが子供の頃に守られていた場所であり、若い頃に出て行った、時間が1940年でループしている場所だった。
そこでぼくは、おじいちゃんが話してくれたことや、見せてくれた偽造としか思えない写真が全部真実だったことを知る。そして、なぜそこが守られているかを。
挿絵代わりに、著者が集めた本物の古写真が使われている。どこの誰がとったかもわからない写真。明らかに細工を施された写真(たとえば、コナン・ドイルが信じた、妖精の写真のようなもの)。なんのつながりもないそれらの写真を組み合わせることで、一つの物語が構築されていく様は見事。そして、それらの写真もまた、何かの意味を帯びてくる。
 物語というものがどう編まれていくものかと、謎解きの両方をお楽しみあれ。

『だから、科学っておもしろい!』(くもん出版)
 「読書が楽しくなるニッポンの文学」シリーズはもう15巻が刊行されました。様々なネタ(文学)をどう揃えて調理するかで、いろいろな世界が広がっていきます。この巻は「科学」。南方熊楠や寺田寅彦、石原純、小酒井不木。こういう風に科学を考える、こういう風に科学を通して人間や世界を考える。うん、科学っておもしろいです。ここから、様々な科学書や、科学エッセイなどに入って行ってくれたらうれしいです。

『あいしてくれて、ありがとう』(越水利江子:作 よしざわけいこ:絵 岩崎書店)
 大好きなおじいちゃんとのささやかな時間を描いた中編です。ものすごくかっこいい人でも、物わかりがいい人でもなく、スーパー物知りでもなく、どこにでもいそうなおじいちゃんなのがまず良い。
 エンターテイメントで活躍する越水の根っこにあたる部分に位置する作品でしょう。

『少年口伝隊一九四五』(井上ひさし 講談社)
 ずっと非戦・反戦のための作品を書き続けた井上による、ヒロシマと子どもの物語。
 被災後、中国新聞は発行できないために、人々によって情報を伝えました。それが口伝隊です。
 口伝隊となった少年もまた被爆しており亡くなっていきます。
 そしてヒロシマのもう一つの災害に見舞われます。戦後三大台風の一つ、枕崎台風です。
 井上の視線は、原爆だけではなく台風にまで届いています。それは、原爆ヒロシマという断片だけではなく、ヒロシマ、いや広島の人々を描かないことには、戦争を捉えることはできないと信じていたからです。
 とても押さえられた言葉。質素ともいっていい言葉たちが私たちの前にあります。

『ジャングル村は ちぎれたてがみで大さわぎ!』(赤羽じゅんこ くもん出版)
 村の通便配達人オウムのジジはおしゃべりなもので、今日も配達を後にしておしゃべり。それを見ていた双子のリスザルは葉っぱの手紙を代わりに届けることに。でもちょっといたずらをします。葉っぱを半分にちぎってしまう。文面は上の段と下の段に分かれてしまいますが、なぜかどちらも意味が通る。そうして村は混乱していきます。
 幼年童話でありながら、複雑な展開をしていて、それが無理なく進んでいくので、子ども読者は推理する喜びに浸れますね。

『SWITCH クモにスイッチ!』(アリ・スパークス:作 神戸万知:訳 フレーベル館)
 スケボーが得意なダニーと、昆虫に詳しいジョシュは双子の兄弟。お隣のポッツおばさんは、かなり変人。
 あるとき、飼い犬がお隣に消えたので、探しに出かけた二人はある液体を浴びてクモになってしまう。バスタブの排水溝から逃れた二人はネズミに助けられ、ポッツの家に向かいます。果たして真相は?
 とても荒唐無稽な設定を、気にせず堂々と展開しているので、気持ちいいです。毎回、いろんな昆虫に変身しますよ。

【絵本】
『ゆかいなもりで おおさわぎ 3びきのくまと おんなのこ』(アラン・アルバーグ:ぶん ジェシカ・アルバーグ:え 福本友美子:訳 岩崎書店)
 悪さをする女の子きんまきちゃんと、様々な昔話の登場人物(とそれ以外)が繰り広げる、まあ、はちゃめちゃ大騒動が、ポップアップ満載で描かれています。何しろ小さな本一冊まで仕掛けで入っていますから。で、その小さな本まで仕掛け絵本ですから。
 圧倒されます。
 これを作った二人は偉い。日本でこれを出す気になった岩崎書店も偉い。訳者は大変だったでしょうか、偉い。
 
『UFOのつくりかた』(中垣ゆたか 偕成社)
 『よーい、ドン!』(ほるぷ出版)に続けて出ました。
 墜落したUFO。宇宙人に頼まれてUFOを作ろうと村の、いろんな役に立つ人、役に立つかわからない人たちが集います。ジョーイ・ラモーンは何をしているんだ? なにしろもう、あちこちで、いろんなことをしていますし、起こっていますから目が離せません。
 これだけたくさんのアイデアをぶち込める才能はうらやましいなあ。
 ぜひ各国版でだしてくださいね。

『モラッチャホンがきた!』(ヘレン・ドカティ:文 トーマス・ドカティ:絵 福本友美子:訳 光村教育図書)
 森の中、木のうろでも地面の下でも、動物の家族は読書を楽しんでいます。読み聞かせもね。ところが本が次々と盗まれていく!
 ウサギのエリザは一計を案じて、泥棒を捕まえようとします。
 相手は小さな生き物、モラッチャホン。孤独なので一人で本を読んでいたのでした。それを知ったみんなは・・・・・・。
 読書を巡る本が増えているのは、それだけ読書の価値が再評価され始めているからでしょう。

『わたしたちのてんごくバス』(ボブ・グレアム:作 こだまともこ:訳 さ・え・ら書房)
 ステラの家の前に捨てられた古いバス。その行き先掲示には紙に手書きで「てんごく」と書いてありました。
 ステラたちはそのバスを居心地のいいところにしようと、きれいにし、いろんな物を持ち込みます。それは共同体の暖かな営みです。
 でも、バスはレッカー車で持ち去られ解体される運命に。
 もちろん、そんなことはさせない!
 親しみやすいボブ・グレアムの絵が温い。

『うさぎとかめ』(ジェリー・ピンクニー:作 さくまゆみこ:訳 光村教育図書)
 ジェリー・ピンクニーによるイソップ物語シリーズ二作目。おなじみの話ですが、まるでオリジナルであるかのような、そのリアルな画。圧倒的な迫力。うさぎもかめもその性格までがくっきりと伝わってきます。

『ゆきのうえ ゆきのした』(ケイト・メスナー:文 クリストファー・サイラス・ニール:絵 小梨直:訳 福音館書店)
 今年、私たちはすでに、『12種類の氷』(エレン・ブライアン・オベット:文 バーバラ・マクリントック:絵 福本友美子:訳 ほるぷ出版)という冬の本を手に入れましたが、これもまたすばらしい冬の本です。
 降り積もり踏みしめられて堅くなった雪と地面の間には隙間ができて、そこは雪による断熱効果で暖かく、落ち葉で柔らかい。ここで生きる動物たちと、雪の上で食べ物を探す動物たちを同時に描いていきます。地面のなかを獲物を狙う赤狐。雪の下で隠れて行動するトガリネズミ。森全体の生命の躍動が、静かな冬を舞台に立体的に展開していきます。
考えてみれば、この設定の絵は難しいはずですが、クリストファーは様々なアングルを駆使して活き活きと描き出しています。

『「ニャオ」とウシがなきました』(エマドッド:作 青山南:訳 光村教育図書)
魔法を使える猫が、動物みんなの鳴き声を入れ替えてしまいます。
いったい誰が誰だかわからなくなり、農場はもう大混乱。
最初は困っていただけの動物たちも、ついに猫に怒り・・・。
「わたし」の混乱によるおかしさと切実さが、ユーモアあふれる画面で展開します。
 それにしても困った猫だ(笑)。

『どうなってるの? きしゃとでんしゃのなか』(エミリー・ボーン:文 コリン・キング:絵 福本友美子:訳 ひさかたチャイルド)
 大好きな仕掛け絵本シリーズ第三弾です。大好きなのは、仕掛けがシンプルで、べろりとめくれば部分部分の内部がわかる。ややこしいこと考えずにベロリ(どうもこの擬音はおかしい気がするが)とめくれば何かがわかる。次から次へと覗きたくなる。
そうか、覗きたくなる欲望を喚起するのだ。

『泣いてもいい?』(グレン・リングトゥヴィズ:作 シャロッテ・パーディ:絵 田辺欧:訳 今人舎)
 祖母に近づく死。心配する四人の子どもたちのそばにいる黒い人。死神ですが、彼も悲しんでいます。そして、死もまた生の一つであることを話してくれます。
 死を悲しむこと。泣くこと。そして生きること。

『淀川ものがたり お船がきた日』(小林豊 岩波書店)
 淀川から上ってくる朝鮮通信史と、それを迎える日本の人々の姿を描きます。
 大阪城から枚方、淀、喜び迎える町の人々。歓迎に応える朝鮮の人々。
 小林の豊かな表現が、国を超えて人と人の心がつながる温かさと、それは決して夢想ではないことを伝えます。

『ぞうは どこへもいかない』(五味太郎 偕成社)
 『そうはどこへいった?』に続く二作目。
 ぞうさん、ヘリの網でつかまった。あら大変。どこへ連れて行かれるの?
 飛行機からパラシュートで落とされたから、ここかしら?
 動物園。
 でもね、そうさんは戻ります。どんな方法で?
 うん。これでいい。

『こひつじ まある』(山内ふじ江 岩波書店)
 子どもにとってのぬいぐるみの存在感は、プーを持ち出すまでもなく、多くの子どもが知っていることです。
 この絵本はそんな子どもの心を描きます。
 小さな家に住む女の子と、ネコと、こひつじのぬいぐるみまある。
 地面の下ではモグラのおかあさんが小さなあかちゃんを育てていますが、地面に顔を出してしまったあかちゃんは、ネコのおもちゃにさせられそうになり、まあるがおくるみで大事に見守ります。もぐらのあかちゃんをお母さんの元に返そうと決心したまあるは・・・・・・。
 ぬいぐるみも女の子もネコも、地面の下のもぐらもみんな一緒に生きている風景の、リアルな幻想。

『いしのおもちゃ』(イチンノロブ・ガンバートル:文 津田紀子:訳 バーサンスレン。ボロルマー:絵 「こどものとも」一二月 福音館書店)
 いろんな動物や道具に似ている石を探して遊びます。なにもないかのような草原暮らしのなかで、遊びを見つける姿は遊びが仕事である子どもの良き風景です。勉強だけが仕事にされてしまっている国の子どももいますけれど。

『まよいみちこさん』(もとしたいずみ:作 田中大六:絵 小峰書店)
 みちこさん、書いてもらった地図を片手に友だちの家に遊びに出かけます。なんだか変なところへついつい行ってしまうみちこさん。怪しいところだぞ。
果たして無事にたどり着けるのか?
 怖いよりくすりと愉快な迷い道。

『こくばん くまさん つきへいく』(アーサー・アレクサンダー:さく 風木一人:訳 ほるぷ出版)
 宇宙船に乗って月へいきたくてしょうがないアンソニーが、部屋でぐっすり眠っていると、黒板に描かれた熊が出てきて、黒板に宇宙船の部品を描いて、それを組む立てていきます。目が覚めてそれを見たアンソニーは喜んでつくへ行くための食料や水を用意して、熊と一緒に宇宙船に乗り込もうとしますが・・・・・・。
 夢の中で望みが叶うのではなく、夢には夢としての現実もあることもさりげなく示しているのが楽しい。こくばんのくまは、その象徴です。

『としょかんのよる』(ローレンツ・パウリ:文 カトリーン・シェーラー:絵 若松宣子:訳 ほるぷ出版)
 ねずみがきつねにおいかけられて図書館に逃げ込みました。きつねさん、ここにあるのはみんなのものだから、ひとりじめはできないよ。ぼくのこともね。
こうしてきつねさんは、図書館と本の魅力に目覚めていきます。文字が読めないのでにわとりに読み聞かせをしてもらって、やがて自分でよみたいと思うようになり。
図書館物絵本は、必然的にメタ絵本になりますから誰でも描きたいものですが、どの穴から潜り込めばいいかがなかなかわかりません。
シェーラーのきつねはもう、一級品ですねえ。

『おむかえワニさん』(陣崎草子 ぶんけい)
 ちよちゃんはおばあさんの家まで一人で行くことになりました。おばあちゃんはワニさんをお迎えによこしてくれました。って、めちゃくちゃ怖いやん。
 ということで、初めての一人旅だけでもどきどきなのに、それ以上に怖い同行者ができたのでした。
 でも、ワニくんを怖いのはちよちゃんだけじゃないからね。
 それにワニくんは案外優しかったりするしね。
 ストーリーはもちろん、陣崎の画力も味わってください。
 赤ずきんのパロディとしても楽しめますよ。

『さんびきのこねずみとガラスのほし』(たかおゆうこ:作・絵 徳間書店)
 冬の日、三匹の子ネズミは外のガラクタ置き場に行きたくてしょうがありません。でも危ないからと、まだ禁止。そこに窪地にはいろんな物が集まっています。なんだろ?
視点が変わって、それぞれのガラクタたちのこれまでの日々が語られます。何かの役に立っていた頃の思い出です。でも、たった一つ、そんな思い出がないのがガラスのかけら。だって、それは容器を作る途中で溶けたガラスからこぼれ落ちたかけらだったからです。
子ネズミたちは、窪地に入ってそれぞれのお気に入りのものを拾ってきます。ガラスのかけらも一匹が拾いました。さて、その運命は?
クリスマスにふさわしい、暖かな贈り物絵本です。

『トリックアート クリスマス』(北岡明佳:監修 あかね書房)
 「トリックアート」シリーズのクリスマスの贈り物。従って、これまでのほど複雑ではなく、これまでのパターンをクリスマスのシーンで展開しています。
 小さな子どもたちは、クリスマスのこの絵本を入門編にして、これまで出版された絵本に入っていくのがいいかな。

『どんぐりころちゃん』(みなみじゅんこ アリス館)
 幼保で人気というわらべうたに想を得て描かれた絵本。シンプルな歌詞ですから、うたのリズムをどう描くかがポイント。みなみは読み聞かせと言うよりも、もう一歩踏み込んで、読者参加型絵本になるように作っていきます。どんぐりに一個一個が一人一人であるように。
 色使いも派手に目にとまらせるのではなく、穏やかにすることで、読者が参加しやすくなるように配慮されているわけです。

『サンドイッチ いただきます』(岡村志満子 ポプラ社)
 サンドイッチを作る仕掛け絵本。シンプルですが、これが案外楽しいの。
 見開きにパンがあってバターを塗る。ページを繰るとそれがサンドイッチの一層目。つぎにレタスが描かれ一枚にして、ページを繰るとそれが前のパンに重なるように見える。そうしてハム、チーズ、トマトと続いていく。ページの左端にはどんどん素材が重なってサンドイッチができていく。
 ただそれだけなのに、だたそれだけが楽しい絵本。
 これって、大事。

『ごあいさつなあに』(はたこうしろう ポプラ社)
 子どもたちがあさのあいさつをして、みんなで遊んで、クマさんの家に行って、みんなでごちそうになって、ありがとうと言って帰って行きます。おとうさんが帰宅すると、あれれ、食べ物がない。そこへ、友だちとそのおとうさんが食べ物を持ってお礼の挨拶にやってきます。
 「絆」がはぐくまれるには、まずは「ごあいさつ」じゃないかな? 
 そうですね。

『くまくまパン』(西村敏雄 あかね書房)
 くまさんは、甘い菓子パンが得意。しろくまさんはカレーパンが得意。どっちも人気で大繁盛。でも、どっちがおいしい? で大げんか。人気店なのに閉店。
 こまったのはお客さん。
 さて、どうしましょう?
 二人が協力してパンを作りましょうよ!

『こりすのかくれんぼ』(西村豊 あかね書房)
 やんちゃな時期のこりす。親の目を盗んでの冒険。
 もう、かわいくて、西村さん、困りますよ。

『ぐるぐるせんたく』(矢野アケミ アリス館)
 子どもが汚れた衣服を脱いで、洗濯機に入れて、ぐるぐる回ってという、『ぐるぐるカレー』に続く第二弾。
 ぐるぐる回るめまいのような気持ちよさに、きれいになった衣服のさっぱり感があわさった仕上がりです。
 ただ、洗濯機は一方向にぐるぐる回るだけではないので、そこで変化をつけても良かったかな。

『ぐるぐるちゃんとふわふわちゃん』(長江青:文・絵 福音館書店)
 こりすのぐるぐるちゃんと、こうさぎのふわふわちゃんが雪遊び。
 走って転んで転がって。
 絵と言葉が一緒にはねていて、心地よいです。

『ニャントさん』(高部晴市 イーストプレス)
 高部にしか描けない世界。
 ネコのニャントさんはなんでもやさん。ある村にやってくると、残っているのは三人の少年だけ。実はみんな妖怪に食べられてしまったのだ。
 妖怪退治を依頼されたニャントさんは、なにやら怪しげな薬を作って三人に飲ませます。
 と、おならがやたらと出始め、やってきた妖怪をそれでやっつけるのだ。
 このしょうもなさを高部の絵双紙風の画と落ち着いた風合いで展開するから、もうおもしろい。

『でんしゃごっこ』(山口マオ:作 「こどものとも0.1.2」十二月号)
 ネコさんが始めたでんしゃごっこ。犬さん、クマさんと次々加わっていきます。
 ただそれだけの繰り返しが読むリズムとなっていきます。
 満員になってからやってきた小鳥はどうしましょう?
 小さなオチで、ほっと安心。

『いちばんでんしゃの うんてんし』(たけむらせんじ:ぶん おおともやすお:え 福音館書店)
 誠実に仕事をこなす運転士の姿を、これまた誠実に丁寧に描いた絵本。
 とはいえ、そのまじめさがつまらなさになっているかといえばとんでもない。
 子どもたちの好奇心を満たすであろう、細かなところまで描かれた電車を運転するまでの操作場でのことから始まって、一番電車を無事に終点まで運転する姿を描いていくそれはまるで、自分が運転士になったかのような気分を味会わせてくれます。

『おふろのくまちゃん』(S.パレントー:ぶん D.ウォーカーズ:え 福本友美子:訳 岩崎書店)
 「くまちゃん」シリーズ三作目。今回はおふろ。当然のごとく、お風呂はきらい物です。
 お遊びで汚れてしまったこぐまたちをちゃいくまはお風呂できれいにしてあげようとしますが、なかなか入らない。
 ここからの展開がうまいですね。
 すっかり汚れが移ってしまったちゃいくまがお風呂に入ると、みんながよってきますよ。
 派手な絵付けも、極端なカワイイ表情もなくウォーカーズの絵は確かです。

『あめのひの くまちゃん』(高橋和枝 アリス館)
 雨です。こぐまちゃんは、いつも遊んでいる野原が気になり、傘を差して出かけます。
 ここがいいですねえ。野原が気になるっていうのが。
 かえるは元気に飛び回っています。お池は雨が当たって水面にたくさんのわっか。
 そうして野原を確かめて戻ったこぐまちゃんは、お風呂に入ります。
 雨の匂いと、家の温かさと。両方が楽しめますよ。

『はやくちまちしょうてんがい はやくちはやあるきたいかい』(林木林:作 内田かずひろ:絵 偕成社)
 早口で早歩きする動物たちの大会であります。公園、魚屋、果物屋、それぞれで早口。もう、大変。進むの大変。がんばって進んでいけば、最後はうれしい!

『みな また、よみがえる』(尾崎たまき:写真・文 新日本出版社)
 不知火海の恋路島が語る水俣です。
 奇病、伝染病と言われていた時代から、ようやく仕切り網が撤去された姿まで。
 尾崎の写真は、自然の力強さと、生き物の美しさ、八代海(不知火海)の豊かさを伝えてくれます。

『おにより つよい およめさん』(井上よう子:作 吉田尚令:絵 岩崎書店)
 創作民話。
 鬼が村人を脅してお嫁さんをもらおうとします。名乗りを上げたのはとら。鬼はとらを連れて帰り、おさんどんをさせようとしますが、とらに投げられてしまいます。なんてじょうぶで強いお嫁さんでしょう。もうこんな嫁はいらぬと、鬼は村へ連れて帰ろうとしますが、そこに大きなクマが現れて・・・・・・。
 ほんわか愉快な展開が楽しい一品です。描いた絵を切り絵にして、舞台風に作り上げた吉田の画が、いい雰囲気を醸し出しています。

『おばけのゆきだるま』(ジャック・デュケノワ:さく おおさわあきら:やく ほるぷ出版)
 かわいいおばけシリーズもはや十五巻目。こんかいは雪だるまを作ってあそびます。
 おや、ゆきだるま、なんだかおばけたちと似ているぞ。
 一緒にスキー遊び。山の上から滑ってくるけれど、ゆきだるまくんは木にぶつかって・・・・・・。
 危機が一気に喜びに変わる瞬間。

『ぼくのへやの りすくん』(とりごえ まり:作 アリス館)
 ともくんの子ども部屋の壁に描かれた木と、そこにいるりす。
 りすが絵からでてきて、おなかがすいた。だって絵の木には実がなっていませんから。
 お母さんと一緒に絵を付け加えます。実だけじゃなくて、りすがもっと楽しくなるように、ブランコとか色々描きます。
 子どもの心が浮き立つ展開です。

『ぱっくんおおかみ と くいしんぼん』(木村泰子 ポプラ社)
 ぱっくんおおかみシリーズ新作。
 道があるのでみんなで、その先まで出かけることに。車を作ってドライブだ。山あり谷あり、湖あり。で、その先には?
 わ、大変だ。どうしましょう。
 旅、危機、解決。外さない物語。
 木村の絵はいつも、見ているだけで楽しくなりますね。

『こりゃなんだうた』(谷川晃一 福音館書店)
 りょうりをしないでフライパンでテニスする。こりゃなんだ。大工さんが作った家が逆さまだ。こりゃなんだ。
 と、リズミカルに愉快な展開。
 谷川のしっかり崩した絵が笑わせます。

『スズメのくらし』(平野伸明:文・写真 「たくさんのふしぎ」十二月 福音館書店)
 スズメって、多いときで年四回子育てをするのか。雛は2週間で飛べるようになるのか。しらなんだ、しらなんだ。「たくさんのふしぎ」はやっぱり勉強になるな。
 しかし、日本のスズメはあんまり人に近寄って来ないなあ。

『フルーツがきる!』(林木林:作 柴田ゆう:絵 岩崎書店)
 さすがに、林さん。巧いです。
 主人公の名前がりんごのしん(りんご)。悪代官が、だいだいかん(橙)。悪商人が、いちごや(いちご)。
 話の展開は正しい時代劇で、安心安心。
 絵も、キャラクターデザインのようにくっきりと描いてあるので、迷いなし。

『ナースになりたいクレメンタイン』(サイモン・ジェームズ:作 福本友美子:訳 岩崎書店)
 お誕生日にナースセットをもらったクレメンタインは、看護師ごっこがしたくてたまらない。ドアでつま先を打ったお父さんから始まったおかあさん、弟と、とにかく看病、看病。弟はいやがるけれど、看護、看護。

『いじめっこ』(ローラ・ヴァッカロ・シーガー:作 なかがわちひろ:訳 あすなろ書房)
 小さいおうしは、大きなおうしに「あっちに行け」と脅されます。そして、小さなおうしは、自分もまた尊大に、他の生き物を脅し、馬鹿にし、あざ笑うようになります。ウサギ、ニワトリ、カメ。それがいじめであることを知らないのです。
 でも、それを指摘してくれる友だちがいて良かったね。
 力のある筆遣いです。

『どこにいるかな?』(松浦利光 アリス館)
 自然の中、田んぼの中、隠れている生き物探しです。イラストから見つけるのではなく本物の写真から本物の生き物をです。小鳥、昆虫、両生類。
 徐々に難しくなっていきますよ。

『ぽんこちゃん ポン!』(乾栄里子:作 西村敏雄:絵 偕成社)
 はんこ大好きぽんこちゃん。スタンプラリーに、パン屋さんのサービススタンプに、動物園の動物スタンプにと、もう大忙しだぞ。動物たちは、自分ではんこを押したがり始めます。おしりではんこ。つのではんこ。最後はぽんこちゃんのはんこだよ。

【そのほか】
『演じてみよう つくってみよう 紙芝居』(長野ヒデ子:編 右手和子 やべみつのり 石風社)
 絵本作家であると同時に紙芝居という表現のおもしろさに魅せられて作り続けている長野による、実践的紙芝居のすすめ。
 冒頭で、紙芝居は絵本より下の見られるが、そうではなく別の表現なのだとしっかりと書いてあります。うん、全く同感です、長野さん!
 紙芝居の名演者であった右手の実践や、作者で実践者でもあるやべの具体的な演じるということの解説も含め、こんなにしっかりとした紙芝居への誘い本はなかなかありません。
観客が参加できる紙芝居を模索する長野の姿勢も、とても好き。
世界に向けで発信だ。

『子どもの本の海で泳いで』(今江智 BL出版)
 今江を、本人へのインタビューから、多くの人々へのエッセイ、資料など、様々な角度と様々なレベルから立体的に浮かび上がらせる一冊。
 作家であるのはもちろん、センスのいい編集者であり、エッセイストでもある全体像を捉えていますから、どこからどう読んでもおもしろい。

『図書館のトリセツ』(福本友美子 江口絵里:著 スギヤマカナヨ:絵 講談社)
 図書館の使いこなし方、いじくり倒し方を書いた本です。取扱説明書ってスタンスがいいですね。「エンピツの作り方」を調べたいとき、エンピツで探して見つからなければ作り方で探そうといった敷居の低いところから語りはじめています。
 図書館を道具として、うまく使いこなせるマスターになろう!
 登場する男の子と女の子の名前は、図書館から採って、トショくんとカンコちゃん。うん、カンコちゃんなのだ。なんか、すごい。

『キタキツネの十二か月』(竹田津実 福音館書店)
 竹田津のキタキツネ観察・研究の集大成です。卒論とのこと。コンラット・ローレンツの『ソロモンの指輪』をまねると、前書きに書いてあってほほえましいです。
竹田津は、観察しているキタキツネ家族の命の有り様を愛おしく受け止めながら、好奇心いっぱいに見続けたのであり、そこがすてきです。
『キタキツネのおかあさん』と『キタキツネのおとうさん』も「たくさんのふしぎ傑作集」として出ました。

Copyright(C), 1998