198

       
 今年前半、共同通信で「14歳からの海外文学」という7回の連載を担当した。書評欄ではなくて、教育欄に掲載ということもあって、当の対象である中高生に読んでもらうにはどうしたらいいか、担当の方と相談。わたしとしては思い切って、中学生の「ゆい」との対談形式にした。
 選書も、「古典を入れる」という方針はあったけれど、あとは自由だったので、読みやすくて、楽しくて、今の中/高/大学生にもつながるなにかを持っている本を探してみた。
 どうやったら、実際の読者である若い人たちに届くか、ということに関しては、ここ数年試行錯誤をくりかえしているのだけれど、今回、本を選ぶのも書くのもとても楽しかったので、ここで紹介させてください。イラストレーターのオザワミカさんがつけてくださった軽快なイラストを紹介できないのは、残念だけれど、山陽新聞、埼玉新聞、伊勢新聞、徳島新聞、山梨日日新聞、秋田さきがけ、河北新報などなどに掲載されたので、機会があったらぜひ!

第一回
リアル・ファッション
「女子3人組が大活躍」
勉強はもちろん、友達や親子関係、恋愛など悩み多き10代。そういう時期に、意外に本は頼りになる。翻訳家の三辺律子さんに、お薦めの本を教えてもらおう!
   ×   ×
中2女子ゆい まだ14歳なのに、もう親や先生が「将来について考えろ」     って。最近の日本の中学生は大変!
三辺律子 うん、大人の私でさえ、周りを見ていてそう思う。そんな時、「周り」からちょっと離れてみると、面白いかもよ? 海外の本って、手軽にそれを実現させてくれるからいい。
ゆい 例えば?
律子 ちょうど同じ年の女子三人組が活躍する『リアル・ファッション』(ソフィア・ベネット著、西本かおる訳)はどう? 舞台は、ロンドンのファッション業界。
ゆい ファッションか。興味ある! でも、お金が掛かるんだよね。
律子 主人公のノニーは、スニーカーに修正液で模様を描いたり、ワンピースの袖を切ったり、工夫してるよ。
ゆい リメークだね。友達もしてる!
律子 そんなノニーがアフリカのウガンダから来た少女クロウをデザイナーとして売り出そうとする、というストーリー。
ゆい ノニーがデビューするんじゃなくて?
律子 クロウに才能があるのに気づいたから。でも当然ブランド作ったり、ショー開いたりは大変でしょ。だから、友達と3人で色々計画を練るわけ。難民キャンプに学校を作る活動とショーを結びつけたり、映画授賞式のパーティでクロウのドレスを着て、広告塔になったり。
ゆい ただのシンデレラストーリーじゃないんだ。
律子 ノニーはクロウをうらやむ時期もあったけど、宣伝とか交渉で走り回るうちに、やりがいを感じるようになる。
ゆい 「仕事」についての本でもあるんだね。読んでみる!

追記:今週、アメリカはBanned Books Weekだった。禁書になったり、問題視されたりした本を通して、読む自由について考える期間。2013年の問題になった本トップ10のリスト(Top Ten Challenged Books Lists by Year)をみると、一位パンツマン・シリーズ(デイブ・ビルキー)、二位『青い眼がほしい』(トニー・モリソン)、三位『はみだしインディアンのホントにホントのはなし』(シャーマン・アレクシー)。ほかにも、『ハンガーゲーム』(スーザン・コリンズ)、『ウォールフラワー』(スティーヴン チョボウスキー)、『ウルティマ、ぼくに大地の教えを』(ルドルフォ・アナヤ)などなど、そうそうたるYAたちがリストに並んでいる。
 今回の共同通信の連載では、ここに挙がっているシャーマン・アレクシーの『はみ出しインディアン〜』も取りあげた。そういえば『ウォールフラワー』も書評に書いたことがあるし、『ウルティマ〜』は個人的に大好きな本だし、わたしは禁書好きかも? それにしても、"主婦が堂々と読めるポルノ小説"としてベストセラーになった『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』よりも、『はみ出しインディアン〜』が上位ってどういうことかと思う。ちなみに、『はみ出しインディアン〜』が問題視されたのは、マスターベーションについての言及があるなど、性的な描写があったり、飲酒や喫煙、ドラッグが出てくるから。先進的だと思われがちなアメリカだけれど、子どもの本となるとまだまだ保守的なんだなあと思う。
 日本でも『はだしのゲン』問題が記憶に新しい。価値観が多様化し、大きな物語がなくなったと言われる今だからこそ、いろいろな種類の本を読んでほしいのに、と思う。
 この手のリストに載るのは、名誉の勲章とも言えるかもしれない。来年は、わたしの訳書もトップ10入りを果たすかも?! 
(三辺 律子)


*西村醇子の新・気まぐれ図書室(7)
夏休み番外編:ノーフォーク・ブローズとランサム──

英国の作家アーサー・ランサム(1884-1967)は、『ツバメ号とアマゾン号』をはじめとする<ランサム・サーガ>12冊(1930-1947)で知られている。
その昔、私は岩波少年少女文学全集16巻の『ツバメ号の伝書バト』でランサムと出会った。この巻は(全員そろってセーリングできるまでの時期を活用し)子どもたちが採鉱会社を立ち上げて金探しをおこなうという話だったが、伝書ハトや手旗による通信、金探しに伴う炭焼きや自力で精錬をするための工夫などが興味深く、物語の世界に惹きつけられた。彼らの話をもっと読みたいと思ったが、そのころは入手できなかった。ドロシアという作家志望の少女が言及する「無法者」なる人物が、『オオバンクラブ物語』(旧題「オオバンクラブの無法者」)で描かれていることもわかっていなかった。わかったとしても翻訳本がない以上、どうしようもなかったから、おそらく意識の外に追いやったのだろう。その後、1967年からサーガ全巻が訳されている。ただ、その頃は図書館の本を借りていたので、そのときどきに書架にあった巻を読むのがせいぜいだった。
そもそもランサムといえば、1作目『ツバメ号とアマゾン号』が示すように、ウォーカーきょうだいとブラケットきょうだいが占める比重は大きい。この巻は湖水地方が舞台で、夏休みを過ごしにやってきたウォーカー家の4人の子ども(ジョン、スーザン、ティティ、ロジャ)が地元のブラケットのふたご(ナンシーとペギイ)と出会い、ともにヨットを操って湖を縦横無尽に遊ぶ話だった。カラムきょうだい(ドロシアと弟のディック)については、『ツバメ号の伝書バト』でも登場していたし、また4巻目『長い冬休み』でふたりが仲間入りする過程を興味深く読んでいる。にもかかわらず、ふたりへの関心はほかの子どもの場合と比べて低かった(らしい)。それに気づいたのは、最近になって岩波少年文庫で新訳のシリーズが刊行され、改めてランサム・サーガと向きあうようになってから。たとえば『六人の探偵たち』はあらすじを見て、かろうじて以前に読んだことがあるとわかったし、『オオバンクラブ物語』に至っては、読んだことがあるような、ないような……。
今年の夏、ニューカッスルでのダイアナ・ウィン・ジョーンズ関連のコンファレンスのために英国へ行くにあたり、イングランド東部のノーフォーク地方に寄ろうとノリッジに宿をとったのも、また『オオバンクラブ物語』(岩波少年文庫・上下、2011)を持参したのも、こんな裏事情からだった。
 『オオバンクラブ物語』は、地元の子どもたちの鳥類保護活動に、湖沼地帯でのヨットの帆走が加わったイースター休暇中の物語である。冬休みにウォーカーやブラケットの子どもたちと仲良くなったカラムきょうだいは、つぎに再会するまでにセーリングをならい、彼らを驚かせたいと思っていた。イースター休暇がはじまったとき、母の恩師ミセス・バラブルから、ふたりを招待する手紙が届く。ミセス・バラブルは、子ども時代を過ごした東部の川をヨット(ティーズル号)でセーリングする計画をたてていたが、途中で弟の都合が悪くなったので、替わりに二人を誘うのだという。ディックとドロシアはセーリングを習うチャンスだと喜ぶ。だが、ミセス・バラブルには自分だけでティーズル号を動かす意思がなかった。その後、ひょんなことから、セーリングが上手な地元のトム・ダッジョン少年と関わりができ、一行は湖沼地帯でのセーリングを思う存分体験することになる。
現代英米児童文学評伝叢書5巻の『アーサー・ランサム』(KTC出版、2002)の著者松下宏子氏によると、ランサムは「湖水地方を舞台にした物語では二つの実在の湖を合体させたが、『オオバンクラブ』では、地方の地理をそのまま用いた」。そして、「今でもほぼ物語どおりの風景が残っている」という。
ブローズ地方は英国内でも人気のある観光地のひとつらしく、私が訪れた今年の8月末も、観光客でにぎわっていた。ノリッジで入手したパンフレットには時間貸しの大小のボートのことや、セーリング・インストラクターの情報も示されていたが、外国人観光客の一人としては遊覧観光船でリバー・トリップを楽しむのがせいぜいだった。この遊覧観光船ではスキッパー(船長・艇長)が解説役も兼ねていて、この地方の湖沼地帯は氷河でできたのではなく、川を掘って湖や沼をつなげてあることを始めとして、川沿いの別荘の栄枯盛衰から一帯の鳥類の種類の多さに至るまで、こまごまと説明してくれる。そのたびに船客はいっせいに左を見たり右を見たり…。たった2時間とはいえ、この遊覧観光に参加してみてよかった。『オオバンクラブ』の状況が少しだけ腑に落ちたのである。
そのひとつは、地元の子どもたちの家が描かれている箇所だ。カラムきょうだいは、迎えにきたミセス・バラブルと、ランチでティーズル号の停泊地点まで川を下る(2章)。途中の「岸辺に並ぶ木造りのバンガローとハウスボート」(上40)のなかに、列車で出会ったトム・ダッジョンが住む草ぶき屋根の家と、ヨットを操縦しているのを見かけたファーランドのふたごが住む家もあると、教えられる。ふたつの家は隣り合っているそうだが:

ミスター・ファーランドの家は、川岸からひっこんでいるので、ディックとドロシアには、木々の上に出ている窓しか見えなかった。でも、ボートハウスは見えたし、二軒の家の間の水路も、葦とヤナギ越しにその水面がちらちら光っていた。岸の家はまだ続いていて、新築したばかりの家も何軒かあった。(上41)

今回、ノリッジから北東に位置するロクサムで遊覧観光船に乗った。途中で草ぶきの屋根の家を含め、家々が川に向かって立ち並び、家の周りを芝生が取り囲んでいる場所をも通りすぎた。それぞれの敷地には(平底船やディンギーなどをつなぐ)専用の船着き場が作られている。これは、住宅の敷地の一部が車庫になっているのと同じことだろうが、湖沼地帯(ブローズ)のトムたちの暮らしぶりが現実味をもった。もっとも、英国の河川は流れが穏やかで、各地でよく利用されている。現に、ロンドンのエンジェルやブリストルの郊外、ケンブリッジなどさまざまな地域で家の裏手が川になっていて、そこを船が通るところも何度も見かけていた。ただそうした場合、特定の物語と結びつけてはいなかった。
この巻はオオバンの保護活動をしている地元の子どもたちと、あらゆる面で傍若無人に振る舞う観光客の大型モーター・クルーザー(マーゴレッタ号)との対立が物語を動かしている。トムは、オオバンの巣の上に停泊したマーゴレッタ号のもやいを解き、下流に船を流したせいで、彼らに執拗に追われる。トムの仲間は彼を助けようと動き、ミセス・バラブル及びディックとドロシアも喜んでそれに手を貸す。
9章には、マーゴレッタ号の最新の動向を知った船大工の子どもたち、ジョー、ビル、ピートの三人が、急を知らせにティーズル号とトムのヨットに合流するエピソードが描かれている。追手の目を逃れるために、一同は見通しがきかない「隣の沼地」に移動しようとするが、無風で帆走できず、時間のかかる竿やオールを使ったハラハラする場面が展開している。
ここでよく呑みこめなかったのは、「隣」に関する部分だった。本には「ノーフォーク湖沼地方水郷南部の航行可能水域図」が載っている。でも、水路がつながっているのに、どうして船が隠れられるのだと、思っていた――遊覧観光船で、実際にU字型になった水路を通ってみるまでは。私たちの船は隣の沼をぐるりと見てまわり、元の水路に戻った。そのとき初めて、ほかの船がすぐそばに来ていたとわかったのだ。水路が折れ曲がっていることに加え、葦などの草が丈高く生い茂って、完全に目隠しされていた。ヨットのマストがそびえたっていれば別だが、こういう場所では船同士、たがいに見えないのは、不思議でもなんでもないことだったのだ。
リアルさはひとつではない。想像力を働かせれば、実際に体験していなくても、その物語をリアルに感じることはできる。セーリングをしたことがなくても、彼らの帆走をハラハラしながら、夢中になって読むのは難しくない。あるいはノーフォークに行かなくても、地図をたどりながら、読むことにも不都合はない。ただ…。『オオバンクラブ』は実際の地形を最大限に生かして、ヨットでの逃亡や追跡が描かれている。「湖・沼・川が生み出すさまざまな情景や、鳥、魚、植物」(訳者あとがき、下292)がどれほどリアルなものかは、実際に来てはじめてわかる。こういう類のリアルさは、物語の風味を増す隠し味といえるかもしれない。きょうはここまで。

*以下。ひこです。
【児童書】
『どろぼうのどろぼん』(斉藤倫 福音館書店)
 どろぼんが盗むのは、所有者から忘れられたモノだけ。彼は、そんなモノの声を聞けます。そして、所有者が不在の間にそれを盗み取る。彼のその能力は、彼自身が忘れられた存在のようであることから生じてもいます。彼は決して気配を悟られず、どろぼうに入れるのです。
 そんな彼がどうしてか簡単に刑事に捕まってしまい、尋問され、これまでの盗みを語る。
 この物語はそうした形式で語られていきます。そして何故捕まったかを解き明かします。
 モノとヒトを巡る想像と思考豊かな作品です。子ども向けにこうして物語が出るのはうれしい。

『世界一幸せなゴリラ、イバン』(岡田好恵:訳 くまあやこ:絵 講談社)
 モールの小さな檻に見世物として入れられているシルバーバックのイバン。隣には芸を仕込まれたゾウのステラもいます。
 イバンがここにつれられてきた子どもの頃は大人気でしたが、今では彼が描く絵が売れている程度。
 経営を立て直すためにマックは、廃業したサーカスから子ゾウを買います。名前はルビー。おびえていた彼女は年上のゾウ、ステラに甘えます。ところがそのステラが、ちゃんと獣医に診てもらえなかったばかりに亡くなり、ルビーの行く末を託されたイバンが考えたことは?
 イバンの一人称で語られていく物語は、過酷な日々をユーモアで埋める彼を浮き彫りにします。かといって悲しい物語ではなく、現実に即した希望が展開します。

『お話きかせてクリストフ』(ニキ・コーウェル:作 渋沢弘子:訳 文研出版)
 ルワンダ難民の子ども、クリストフの物語。
 父母と三人でイギリスに逃れてきたクリストフ。イギリスの学校に初めて出かけます。そこでは、物語を本で読んでいました。
そんな!
ルワンダに残してきた祖父は、物語を本に閉じ込めてしまうのはよくないと教えてくれました。そう、それは語るものなのです。
先生は、クリストフに言葉を思えて欲しいので、読み書きを習って欲しいのですが、聞き入れてもらえません。
 物語は語られるのか、書かれるのか?
 ルワンダ内戦の史実を伝えるには?

『片目の青』(陣崎草子 講談社)
 長編小説二作目です。陣崎さんは色々活躍しておられるので、二作目って感じはしませんが。
 だるくも生き延びる必要のある中学生活。一年生の真矢はそこそこの付き合いでやりすごしています。
 子ども時代から飼っている犬のフリ蔵ももう老犬。散歩も正直面倒になっています。母親に言われて、散歩に連れて行くことになったため、真矢は、友だちとチームを組んでやるはずのオンラインゲームから外れてしまいます。と同時に友だちからも外される。
 散歩の途中で真矢は、坂を落ちて動けない怪我を負いますが、人を呼んで助けてくれたのは片目の野犬でした。どうやら野犬とフリ蔵は知り合いのようです。
 元は飼い犬だったけど野犬になってしまった犬たちに興味を持つ真矢。やがて、野犬駆除の話が持ち上がり、真矢は幼なじみたちと共にそれを阻止しようとするのですが・・・。
 飼い犬と野犬の真ん中辺りの気分であろう中学時代。正しいと間違っている、だけでは物事は出来ていないこと。願いは必ず遂げられるわけではないこと。そうした事実が真矢を迎えるのですが、どう受け入れていくかを物語は丁寧に描いています。
 成長小説の一つの形。

『クララ先生、さようなら』(ラヘル・ファン・コーイ:作 石川素子:訳 いちかわなつこ:絵 徳間書店)
 4年生のユリウスたちは、病気で休んでいたクララ先生を迎えます。先生は癌で、もうすぐ亡くなってしまいます。その前にみんなと一緒に過ごしたいというのです。
 子どもたちは緊張しながらも大歓迎。教室を海岸に見立てたり、先生のお話を聞いたり、豊かな毎日。
 でも、ユリウスの母親は反対します。子どもを「死」の身近に起きたくないのです。
 やがて先生は学校に来られなくなり、死が間近に迫っていることもユリウスたちには分かっています。
 先生へのプレゼントに用意していたのは旅行ガイド。でも、今はそんなのは贈れません。先生は、黒くて暗い棺桶にはいるのをいやがっていました。そこで、みんなして考えたのは、みんなの先生への思いが詰まった明るい棺桶を作ること!
 死と向かい合う。死を受け入れる。とても難しいですが、物語は子どもの力を信じて、明るく幸せに描いています。

『ラ・プッツン・エル』(名木田恵子 講談社)
 ラプンツェルをベースに、引きこもりの中学生女子と、強迫神経症ですべてのものが汚いと思えてしまう中学生男子の物語。
 高倉涼は、父親の支配欲に抗して、家庭内暴力になり、体面を気にする父親は彼女一人をマンションに閉じ込めて家族で転居する。涼も自身を生きていく道を探すためにそれを受け入れる。玄関において冷蔵庫に、心理カウンセラーが食料を届けてくれています。窓の小さな隙間から外を眺めている涼は、もう一人の孤独な男子を見つける。同級生や小学生にいじめられている彼の姿に、涼は救いの手をさしのべる。
 二人の関係は何かを変えるのか?

『戦火の馬』(マイケル・モーパーゴ:作 佐藤見果夢:訳 評論社)
 サラブレッドだが、農夫に競り落とされた馬。ホワイトソックスで、額に白い十時の模様がある赤毛のその馬を息子のアルバートはかわいがり、ジョーイと名付ける。ところが、第一次世界大戦が起こり、ジョーイは軍馬として招集されイギリスからヨーロッパへ。
 過酷な戦場を生き延びたジョーイが再びアルバートと巡り会うまでを描きます。
 と書けば情緒たっぷり物語のようですが、さにあらず。モーパーゴは語りをジョーイにして、馬の視線から、出来事を淡々と語ります。そうすることで、戦争全体を、ある距離感を持って描くことが出来、同時に人間の様をも客観的に描けます。
 スピルバーグによって映画化されましたが、こちらは残念ながら情緒的。

【絵本】
『トビのめんどり』(ポリー・アラキジャ:作 さくまゆみこ:訳 さ・え・ら書房)
 友達みんなが色んな動物を飼っていて、トビはめんどりです。
 月曜日、アデのめうしが仔牛を一匹産みました、から始まって数を数えていきます。
ネコやブタも次々子どもを産み、母親の乳を飲んで元気です。でもトビが飼っているのはめんどり。卵をいくつも産みましたが、それがなかなか孵りません。トビだけ卵のまま。落ち込むトビ。
数数え絵本なのですが、そうしたドラマが、雛が孵る喜びへとつながります。
また、ナイジェリアの村の風景も楽しめますよ。

『フランシスさん、森をえがく』(フレデリック・マンソ:作 石津ちひろ:訳 くもん出版)
 森を描くのが好きなフランシスさん。毎日毎日、森に入って、一日中森を描きます。いつでも新しい発見があり、どこから描くかでまた違った顔を見せる森。
マンソの画は、そうした森の活き活きとした命を多彩な色で見せてくれます。
 気球で上空から森を描こうとしていたとき、焼け焦げた臭いや金属音。森は破壊されてしまいます。
落ち込むフランシスさんですが、森の生命力は強く・・・。
いったい何が森を滅ぼそうとしたのかは書かれていません。しかし、それは私たち人間の仕業に違いありません。そして、破壊は簡単にできてもその再生は自然の力に頼るしかありません。それを信じるフランシスさんの心がうれしい。

『ぼくのニセモノをつくるには』(ヨシタケシンスケ ブロンズ新社)
 ぼくは親から色々言われて、ちょっとうんざりなもんだから、ロボットを買ってきた。ぼくのニセモノにしようというわけ。が、完璧なニセモノをつくるためには、ぼくはぼくのことを知らなければならない。
 そこで、ぼくは、ぼくについて考え始める。
 詰めて行き方、探り方など、思考の動きの楽しさを伝えるヨシタケワールドが全開します。
 これはもう、一つのジャンルですね。

『希望の牧場』(森絵都:作 吉田尚令:絵 岩崎書店)
 福島原発事故。「立ち入り禁止区域」に今も残る牧場。その維持管理をしている「牛飼い」の物語。
 これはノンフィクションでもあり、収益の一部は「希望の牧場」のために使われます。
 残ること、牛を飼い続けることへの思考が、絵本の形で辿られていきます。牛飼いだから牛を飼う。牛だから草を食み、くそをする。その営みを、ただただ続けること。そこに命への畏敬があります。生きる続けることへの強い意志があります。

『クレヨンからのおねがい』(ドリュー・デイウォルト:文 オリヴァー・ジェファーズ:絵 木坂涼:訳 ほるぷ出版)
 クレヨンたちが、ケビンにお手紙。赤は、サンタや消防車と、使われすぎてほとほと疲れていまから、ちょっと休ませて。黒は、線を引くためだけに使われるのはもう飽きてしまったよ。ピンクはちっとも使われない。ケビン、ピンクは女の子が使う色と思ってない?
 クレヨンたちの色んな気持ちを知ったケビンがしたことは?
 たくさんの色が幸せになれる絵本ですよ。

『あかくん と あおくん』(ガブリアエウ・ゲ:さく ふしみみさお:やく 岩崎書店)
 信号機の赤くんと青くん。いつもはいいコンビなんですが、ちょっとけんかをしてしまって、青くんが信号機から飛び出してしまいました。青くん、大丈夫?
 ユーモラスな展開に思わずにやり。
 信号機の赤と青は切っても切れない関係ですね。しかし、なんで日本では緑信号を青信号というのだろう。この絵本の原題も赤と緑だけど。

『ひみつのかんかん』(花山かずみ 偕成社)
 ひいおばあちゃんが大切にしている蕎麦ボーロのかんかん。その中には、ひいおなあちゃんの思い出の品が一杯。お父さんにロイドめがね。金平糖の瓶(9月17日まで、神戸市立博物館でやっている「ギヤマン展」で見られますよ)。ないしょで飲んだラムネのビー玉。
 語り手の子どもの側からそれらを観ているので、懐かしさではなくむしろ新しさで、それらは蘇ります。そこがいいですね。
 しかし、私の歳だとやはり、かなり懐かしい。

『こけしのゆめ』(チャンキー松本:さく いぬんこ:え Gakken)
 姉はしけこ、妹はこけみのこけしの姉妹。
 作ってくれた職人さんは、今はあまり仕事も無く、売れ残ったしけことこけみは、店の前を通り過ぎる人々の抱いている夢を見ます。みんな夢を持っている。なのに職人さんは夢を失い・・・。
 最強コンビの作品ですな。

『ピーター』(バーナデト・ワッツ:作 福本友美子:訳 BL出版)
 もうすぐママの誕生日。ピーターは何をプレゼントしていいかで悩んでいます。お姉ちゃん達は絵を描いたり、お菓子を焼いたり大忙し。ピーターが手伝いたいって行っても相手にしてくれません。
 おじいちゃんに相談したら、木をプレゼントしたらどうかと提案してくれました。
 植木鉢に、石を入れ砂を入れ、そして? おじいちゃんが植木鉢に刺したのは、ただの枝一本。
 そんなの木じゃないと落ち込むピーターですが・・・。
 誕生日には間に合わなくても、その思いはゆっくりと育っていきます。

『どうぶつ しんちょうそくてい』(聞かせ屋。けいたろう:文 高畠純:絵 アリス館)
 もう、タイトルまんまの展開です。けいたろうさん、な〜んも考えていません。というか、これをまじめに考えついたけいたろうさんが、すごいです。
でね、でね、私が大好きなのはコウモリを測るところと、コアラを測るところ。
 だよね、だよね。な〜んも考えなければ、当然こうなるよね。
 爆笑間違いなし。

『ぬいぐるもおとまりかい』(風木一人:作 岡田千晶:絵 岩崎書店)
 図書館で、自分の大好きなぬいぐるみを持ってきて、だっこしながら読み聞かせの会。
終わった後、ぬいぐるみだけが図書館にお泊まり会をします。
夜、ぬいぐるみたちも本を読んで欲しくて・・・。

『かげのひこうき』(五味太郎 偕成社)
 飛行機が飛んできます。地面に飛行機の影。みんながその影に乗ると、あれれ、影の飛行機も飛んでいく。
 なんだか不安と不穏を巻き込んで、でも愉快に進展する物語世界をお楽しみください。

『あめのひ えんそく』(まつお りかこ 岩崎書店)
 あんなに楽しみにしていた遠足。なのに雨。落ち込んでいる子熊に、母熊は、楽しい遠足を提案してくれました。
 想像の遠足です。
 こうして世界を好きになりますように。

『おふろで じゃぶ じゃぶ』(フィリス・ゲイシャトー:ぶん ディヴィド・ウォーカー:え 福本友美子:やく 岩崎書店)
 『だいすき ぎゅっ ぎゅっ』、うさぎぼうやの続編です。
 お手伝いからお遊びまで、終わるとうさぎぼうやはお風呂できれいにしてもらって、ぐっすりお休み。

『てをあげろ!』(カタリー・ヴァルクス:作 ふしみみさお:訳 文研出版)
 ハムスターのビリー。父親はギャングで、気のいい息子を鍛えるために、「手を上げろ!」って、みんなを脅かしてこいと送り出すのですが、結局ビリーはみんなを助けることに。
 このノリはわかるなあ。

『ぞうまうぞ・さるのるさ』(石津ちひろ:ことば 高畠純:絵 ポプラ社)
 ぞうとさるを巡る回文ストーリー。
 石津さん、よくこれだけ考えるものだ。すごい。ちょっと無理からの所も結構楽しいのが回文。高畠純さんの絵が踊りまくっておりますよ。

『あげます』(浜田桂子 ポプラ社)
 妹ができたお兄ちゃんの心情絵本です。
 みんなの注目が妹に集まって、やっぱりおもしろくない「ぼく」は、友達を招いて妹をあげることに。ところが、うまれたばかりの赤ちゃんは、みんなにはあまり可愛く見えないらしく、誰ももらってくれません。
 やがてふくふくと育ったあかちゃんを見たみんなは欲しがるのですが・・・。

『カエルとなれよ冷し瓜』(マシュー・ゴブラ:文 カズコ・G・ストーン:絵 脇明子:訳 岩波書店)
 俳句を軸に一茶の生涯を描いたアメリカ発の絵本です。
俳句へのゴブラの解説も脇が訳しています。これによって、一茶の俳句を知らない子ども読者にも、それが身近になりました。
 しかし一茶の句って古びない。

『トマス・ジェファソン 本を愛し、集めた人』(バーブ・ローゼンストック:文 ジョン・オブライエン:絵 渋谷弘子:訳 さ・え・ら書房)
 トマス・ジェファソンの本好きの面を描いた絵本です。まあ、集めること集めること。読むこと、読むこと。もちろんそれは、十八世紀の読める環境にいたこともありますが、それでも、その夢中度はなかなかなもの。
 議会図書館に寄贈して、その基礎を築いてしまいます。

『こどものじかん はる なつ あき ふゆ』(ギョウ・フジカワ:さく 二宮由起子:やく 岩崎書店)
 朝ご飯から始まって、帰って行くまで、子どもたちの様々な遊びが活写されてます。
 知っている遊び、知らない遊び、うらやましい遊び、けんかもあって、みんないっぱい遊びます。まさに「こどものじかん」。 これが「懐かしさ」の範疇にあってはもったいないです。
 こんなこどものじかんを、ぜひ思い出して、子どもにあげてください。

『海へいこうよ』(黒澤絵美:文 かべや ふよう:絵 アスラン書房)
 母親が出かけます。いい子で留守番していてねと言われたら、それはもう、母親がいれば出来ない遊びをするチャンス!
さっそくタミとアキは講堂を開始。
世界一周旅行では、布団を積み上げて山を作り、父親のワイシャツを被った雪男がアミを追いかけ、海を作るのに青い服を拡げ、それだけじゃあつまんないので、畳に海を描くのだ!
奔放に拡がって行く姉妹の遊びが、読者を解放してくれます。
その後は、まあ、ね。

『ぱっぴぷっぺぽん』(もろかおり:え うしろよしあき:ぶん ポプラ社)
 箱から飛び出した様々な色の小さなボールたちが、気持ちよく、勢いのある撥音に乗って、馬になったり、蝶になったり、形を作って行きます。
 言葉のリズムと、奔放に動くボールたち。
心が浮き立ちますよ。

『おかあさん どこいったの?』(レベッカ・コッブ:ぶん・え おーなり由子:やく ポプラ社)
 母親が亡くなった。というより、葬式が終わってから、その不在が「ぼく」を襲ってくる。「ぼく」は、まだそれを巧く受け止められない。
絵は、柔らかい線と温もりのある色彩で、「ぼく」をしだいに前へと動かしていきます。

『あきちゃった!』(アントワネット・ポーティス:作 なかがわちひろ:訳 あすなろ書房)
 鳥ごとに、鳴き声は同じ。であるのに「あきちゃった!」小鳥が、変な鳴き声を上げ始めます。他の鳥たちは、なんだこいつ? と馬鹿にし、チュンと鳴くように諭しますが、気にしない。やがて、まず鳩が、変わった鳴き声を楽しみだし、しだい、しだいに・・・。
 いいよね。楽しいもん。
 なかがわも、楽しそうに日本の音で変わった鳴き声を描いています。

『コウノトリ よみがえる里山』(宮垣均:文 兵庫県豊岡市の人々:写真 小峰書店)
 失われたコウノトリを繁殖し、野に放った豊岡市の取り組み。その歴史を描いた写真絵本です。
自然繁殖が難しくなったとき豊岡市は人工繁殖に切り替えたのですが、水銀中毒などですでに残されたコウノトリには繁殖能力がなかったとのこと。ロシアからわけてもらった新しいコウノトリで繁殖は成功し、今に至っています。
考えてみればコウノトリを自然の中で見たことがありません。
 コウノトリがよみがえることも大きいですが、人の思いが空を舞う、そのイメージが大切だと思います。

『みずくみに』(飯野和好 小峰書店)
 里山に住んでいるちよちゃんが、沢に水をくみに行く。ただそれだけの風景が描かれます。
 でも、その風景の豊かなこと。画面から、鳥の鳴き声も草のにおいもあふれてきます。
 なんでもない日のなんでもない出来事。
 それが大切。

『ロシアのわらべうた ねこくん いちばで ケーキを かった』(ユーリー・ワスネツォフ:絵 たなかともこ:編訳 岩波書店)
 よく知られている、「大きなかぶ」も含めて、愉快なわらべうたが満載です。
 冬や春を舞台にしたのが多いのは寒い国だからでしょう。だからか、それらもなんだか暖かい。
 ユーリー・ワスネツォフの画の素朴さは、わらべうたを身近に感じさせますよ。

【ノンフィクション】
『よみがえる二百年前のピアノ』(佐和みずえ くもん出版)
 倉庫や物置に忘れられていた古楽器を修復する松尾淳の姿を描きます。松尾の生い立ちから、修復師になるまでと、古楽器の歴史と、その修復風景がバランス良く語られていきます。
 修復という物作りの心地よさが伝わります。

『五日市憲法をつくった男 千葉卓三郎』(伊藤始、杉山秀子、望月武人:著 くもん出版)
 明治期、自由民権運動の一環として、それぞれの地域で憲法草案が作られる。この五日市憲法もその一つ。執筆した千葉の生涯と、五日市の村人たちの啓蒙運動が描かれています。この憲法の第一の眼目は、国民主権。基本的人権も記されています。こうした憲法草案は無視され、明治憲法ができるのですが、戦後、新憲法の基礎となります。