209

       
【児童文学評論】 No.209
 http://www.hico.jp
   1998/01/30創刊

*9月の「ひこ棚か」は、「戦争の顔2」です。
会場は、梅田、丸善&ジュンク堂七階児童書売り場。どうぞお越しください。
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「読書探偵作文コンクール 2015」開催中!
〜外国の物語や絵本を読んで、おもしろさを伝えよう!〜

 募集作品:翻訳書を読んで書いた作文
 対  象:小学生
 しめきり:2015年9月24日(木) 当日消印有効
 枚  数:原稿用紙5枚(2,000字)以内
 選考委員:越前敏弥、ないとうふみこ、宮坂宏美(いずれも翻訳家)
 賞  品:最優秀賞/賞状、図書カード5,000円分
      優 秀 賞/賞状、図書カード1,000円分
      (応募者全員に作文へのコメントと粗品をお送りします)
 主  催:読書探偵作文コンクール事務局
 協  力:翻訳ミステリー大賞シンジケート、やまねこ翻訳クラブ

 詳しくは専用サイトをどうぞ!→http://dokushotantei.seesaa.net/
 たくさんのご応募、お待ちしています!!

*ポプラ社にて、金原瑞人さんとYAブックガイドを制作中です。ここ五年に刊行された(復刊、文庫化含む)本からのチョイスです。
 十一月刊行予定。(ひこ・田中)

以下、三辺律子です。

『WONDER ワンダー』R.J.パラシオ著 中井はるの訳 ほるぷ出版
 「自分がふつうの十歳の子じゃないって、わかってる」
 物語は、十歳のオギーのこんな独白から始まる。アイスクリームを食べたり、自転車に乗ったり、ゲーム機を持っていたりと、自分ではごくふつうの男の子だと思っている。でも、まわりはそう思ってはくれない。生まれ持った顔の障害のせいだ。
公園で会った子どもが悲鳴をあげて逃げていってしまうほど、オギーの顔は「ふつう」とはちがう。手術を何度も受けていたせいで、これまで学校へいったことがなかったが、十歳になって、「現実とどう向き合うか」学ぶために、学校に通うことになる。
一目でほかの子とちがうとわかってしまうオギーにとって、学校へ通うのは大変なことだった。初めていく学校はわからないことだらけだ。「えんがちょ」の的になったり、やっと仲良くなった友だちが自分の悪口を言っているのを聞いてしまったり(つらい場面!)。それでも、みんなとつきあい、みんなのことを知るにつれ、自分と同じでみんなのほうも、見かけとはちがうということがわかってくる。親切そうな子が意地悪なこともあれば、意地悪を言った子が実は心優しいこともある。物語が、オギーだけではなく、オギーの友だちや、姉のヴィアや、その彼氏など、周囲の人物の視点からも語られるため、読者はオギーとともに、ごく自然に周囲への理解を深めていくことができる。
 新しい学校に通うのはだれだって大変だし、どうやって友だちを作ろうか悩んだり、誤解が生じたり、どうしても気の合わない子がいたりというのも、ごく「ふつう」のことだ。そしてオギーは学ぶ。「ぼくにとって、ぼくはただのぼく。ふつうの子ども」。
 もうひとつ、この物語が秀逸なのは、子どもの成長を邪魔するのも、助けるのも大人だと、しっかり描いているところだ。オギーを学校から追い出そうとする父兄がいる一方で、彼らをきっぱりと退ける校長先生がいる。自分の子どもを理解していない親がいる一方で、息子の「ふつう」なところと「ちがう」ところを理解し、肯定しているオギーのお父さんとお母さんがいる。子どもは、周りの大人を選ぶことはできない、ということを大人は忘れてはならない。(三辺律子)

〈一言映画評〉第九回 三辺 律子
 なぜか、9月公開の映画をほとんど観ていなくて(注:おそらく7月に余裕を失っていたためと思われる)、今月はこの一本。これも、「子どもは、まわりの大人を選ぶことはできない」ということを思い出させてくれる作品です。

『ぼくらの家路』
 10歳のジャックは、優しいが夜遊びや男遊びで留守がちの母親の代わりに、6歳の弟の世話から簡単な家事までこなしている。しかし、ある日弟を誤って風呂で火傷させたために、家庭の事情が露見し、ジャックは施設へ預けられてしまう。大人になりきれない母親と、大人にならざるを得なかった子どもの対比が痛々しい。ジャクリーン・ウィルソンの『タトゥーママ』を思いだした。


「ひこ棚か 2015年9月 戦争の顔2」を一般財団法人大阪国際児童文学振興財団の土居安子さんに書いていただきました。

 2014年12月に来日し、東京と大阪で講演をしてくださったドイツの児童文学作家クラウス・コルドンさんは、自分が歴史をフィクションとして子どもたちに書く意味を「若者が自分の国の歴史に関心を持ち始めること」と言われました。それを聞いていた通訳のマライ・メントラインさんは、学校で数字とともに戦争のことについて多くのことを学んだが、それは知識であって、実感ではなかった。それが、コルドンさんの作品によってはじめて、実感することができたとおっしゃいました。
 戦争について書かれている本はいつも、「生きるとは何か」「いかに生きるべきか」を考えさせてくれます。
 最近の本の中から戦争について書かれた本を7月に続き、紹介します。

*フィクション
『ウェストール短編集 遠い日の呼び声』(ロバート・ウェストール作 野沢佳織訳 宮崎駿装画 徳間書店 2014年11月)
亡くなったおじいさんの遺産をもらい、両親の反対を押し切っておじいさんの家で1年間を過ごす少年「じいちゃんの猫、スパルタン」、ドイツのドレスデンを攻撃したイギリスに住むポーランド人の画家がヒトラーと同じアドルフという名前のために殺された「アドルフ」、アッパーミドルクラスの少女とテニスを通じて恋愛をし、別れてしまった少年の体験を描いた「遠い夏、テニスコートで」など、幽霊、恋愛、仕事、戦争に関わるウェストールの短編集。戦争が人々に与えた心理的影響が鋭い視点で描かれています。

『マヤの一生』 (椋鳩十著 小泉澄夫絵 椋鳩十名作選 7 理論社 2014年11月)
 戦争中は、贅沢だとしてペットも殺されなければなりませんでした。
 「わたし」の家に来た子犬のマヤは次男になつき、いっしょに寝るようになりました。だんだん成長して、ネコのペルとにわとりのピピとも友だちになりましたが、戦争がどんどん激しくなってきました。すると、町内で飼っている犬はすべて差し出さなければいけないと言われました。
 「わたし」の家族はマヤを救いたいと心から願い、抵抗も試みますが、最後には悲しい結果になります。
 マヤを愛する気持ちが家族から伝わってきて、「なぜ、殺さなければならなかったのか」という問いを持たずに読めない作品です。

『太陽の草原を駆けぬけて』 (ウーリー・オルレブ作 母袋夏生訳 岩波書店 2014年12月)
 日本で読める子どもの本での戦争体験は海外ならドイツ、イギリスなど限られた地域が多いですが、この本は、ポーランド領だった現ウクライナを舞台にしている類書のない本です。
 コストピリで5歳の誕生日を迎えたエリューシャは、お母さん、双子の姉二人、赤ちゃんの弟とともに、ナチスから逃れるために、カザフスタンのイスラム教徒の村まで大移動をします。
 その村での暮らしは想像を絶するものでした。双子の姉たちは女の子なので、家の中にいなければなりませんでしたが、エリューシャは外へ出て、村の子どもたちと友だちになります。お母さんは村の人たちに占いをしたり、バラライカという楽器を演奏したりしてたくましく子どもたちを育ててくれます。
 お父さんはソ連兵になり、ある日、突然帰ってきますが、その後、処刑されてしまいます。そして、終戦を迎えます。
 エリューシャたちはイスラエルに移民するために、今度は来た道を逆に、フランスまでヨーロッパを大移動します。飢えに苦しみながらも、家族は音楽や知恵を使って生き延び、エリューシャは11歳になっていました。
 肝っ玉母さんが魅力的な作品です。

『象使いティンの戦争』 (シンシア・カドハタ著 代田亜香子訳 作品社 2013年5月)
 ベトナムの南北戦争は同じ民族が他の国の援助を受けて戦うという何重にも理不尽な戦争でした。
 この作品は、ティンというベトナムのデガというジャングルに住んでいる部族が主人公です。ゾウ使いになることを夢見ており、父親は戦争のために滞在しているアメリカ兵のトラッキングを手伝ったりしています。ところが、アメリカ兵が撤退し、北ベトナムが攻めて来ます。ティンは捕えられ、大勢の人が殺されます。ティンは、何とか逃げのび、ジャングルで出会っていたゾウのレディと再会します。
 そして、最後には祖国から離れることを決意します。戦争によって生まれた土地から旅立つしかないという選択を迫られる結末が「戦争」の理不尽さを伝えています。

『戦場のオレンジ』 (エリザベス・レアード作 石谷尚子訳 評論社 2014年4月)
 これまで日本の子ども向けフィクションでレバノンの内戦が舞台になった作品を読んだことがありませんでしたが、この本は、ベイルートが舞台になっています。
 ベイルートに住む10歳のアイーシャは内戦のため、アパートから逃げ出しますが、一歩遅れた母は死んでしまいます。そこで、アイーシャはおばあちゃんと弟とともに廃墟のアパートに引っ越します。同じアパートには他にも家族がいて、耳の聞こえないサーマルと友だちになります。ところが、病気のおばあちゃんの薬がなくなっておばあちゃんは死んでしまいそうになります。
アイーシャは一人で危険地帯を通り抜けてかかりつけのお医者さんのところへ行って薬をもらってきます。その途中で迷って泣いていた時、一人の少年にオレンジをもらいます。
 同じ町に住んでいる人たちが民族や宗教のために憎み合い、殺し合う戦場となっている町の様子が子どもの視点から描かれています。

『カンボジアの大地に生きて』(ミンフォン・ホー作 もりうちすみこ訳 さ・え・ら書房 2014年5月)
この本は、カンボジアの内戦が舞台になっています。
カンボジアに住むダラは、内戦で父を亡くし、村を襲われたため、兄や母たちと国境近くの難民キャンプに避難します。
やはり、家族の一員を亡くしたジャントゥ一家に出会い、一緒に暮し始めます。ジャントゥは空想豊かでダラに人形を作ったり、魔法の泥玉を作ってそれを握ると願いがかなうと言ったりして、たいへんな中でもダラの心は救われます。
ところが、キャンプも兵隊に襲われてしまいます。それどころか、ダラの兄は、軍隊に入るというのです。ダラたち家族は兄を必死で止めます。
暴力が暴力を生む構造と子どもが無力のまま死の危険にさらされる様子、その中でもたくましく生きていく子どもの様子が描かれています。

『月にハミング』(マイケル・モーパーゴ作 杉田七重訳 小学館 2015年8月)
この作品は第二次世界大戦中のイギリスの島が舞台になっています。
ある日、アルフィ少年とお父さんが無人島へ釣りに行くと、泣き声が聞こえてきます。二人が探してみると、そこには12歳の少女が一人でいましたが、餓死寸前で、ルーシーというだけで、何もしゃべりません。
アルフィの家族は少女を引き取り、世話をし、少し元気になると、アルフィと一緒に学校へも生かせますが、ドイツ語の書いた毛布を持っていたことで敵国人だと思われ、アルフィの家族全員が村から村八分に会います。
これは、島の若者が志願兵として戦争に行き、命を落としたり、障がいをもって帰ってきたことがあって、みんなが敵国ドイツを憎んでいたことによります。
ルーシーはなぜ、島に置き去りにされていたのか、両親はどうしたのか、少しずつ謎が明らかにされていき、ドイツ兵とのかかわりもわかってきます。
偏見、正義など、戦争中だからこそ、より深刻な問題が豊かな物語の中で語られています。

『ワンダ*ラ』全9巻(トニー・ディテルリッジ著 飯野眞由美訳 文渓堂 2013年2月〜2015年1月)
SFの世界でも、異民族と異民族の争いが描かれた作品は多くあります。
このシリーズは、12歳のエバ・ナインという女の子が地下シェルターを襲われ、生まれて始めて外の世界を体験するところから始まります。エバ・ナインはこれまでお母さん代わりのロボット、マザーとだけ暮らしていました。
ところが、外の世界には、自分とは全く違う種族がいて、民族同士の争いや、地球征服をたくらむ独裁者に巻き込まれていきます。
そして、いろいろな民族の大切な友人を作っていきます。

*ノンフィクション
『奇跡はつばさに乗って』(源和子著 世の中への扉 平和 講談社 2013年7月)
原爆を体験した多くの人たちはどう語り継いでいくかを課題にし、さまざまな実践をされています。
12歳で原爆のために亡くなり、鶴を折り続けたサダコさんのお兄さんは、原爆とニューヨークで起こった多発同時テロ(9.11)には共通点が多くあると感じ、サダコさんの折った鶴を9.11の追悼施設であるトリビュート・センターに寄贈します。
 この本は、サダコさんのお兄さんとその息子さんがどのような経緯で折り鶴を寄贈したかということと、その経緯の中で、原爆を落とすことに同意したトルーマン大統領の孫の二であったエピソードなどが紹介されています。
 折り鶴を通した平和の願いが伝わってくる作品です。

『「集団自決」なぜ いのちを捨てる教育』 (行田稔彦著 わたしの沖縄戦 1 新日本出版社 2013年11月)
沖縄戦は、本土の空襲とは異なり、アメリカ兵が上陸し、数知れない民間の人たちが巻き込まれまれました。そこには、アメリカ兵の脅威だけではなく、日本の軍隊が民間人に情報を知らせない、差別や偏見を持っていた、集団自決を促したなど、多くの命を失った原因を作っていたことも戦後になって明らかになってきました。
この本では、沖縄戦になったとき、慶良間諸島で、多くの人が「集団自決」(強制集団死)という名のもとに、命を落とした様子を、生き残った人々の証言で構成しています。そして、実際に何が起こったのか、なぜ、多くの人が自らまた、家族の命を奪わなければいけなかったのかについて検証しています。証言によって、その当時の状況が読む人にリアルに迫ってきます。
 このシリーズは全4巻で、2「ガマ(洞窟)であったこと 沖縄戦の実相がここにある」 3「弾雨の中で 沖縄島南端で迫る恐怖」 4「摩文仁の丘に立ち 「生かされた」人びとの告白」となっています。

『ガマ 遺品たちが物語る沖縄戦』 (豊田正義著 講談社 2014年6月)
 沖縄のガマでは、多くの人が亡くなりましたが、今も多くの遺骨や遺品が埋まったままになっています。
 沖縄には、それらの遺骨を掘り続け、遺品を持主に返すボランティアをしている人たちがいます。この本では、ガマの中で見つけた硯を持主に返した国吉さん、ガマの岩の間に体がはさまって亡くなってしまった人の骨を掘った具志堅さん、戦利品として持ち帰ったアルバムを持主の妹に変換した元アメリカ兵のゴードンさんらが紹介され、それらの経過と、当時の戦争で命を落とした人たちの様子を、事実をもとにフィクション化しています。
 戦争はまだ終わっていないということを強く感じる作品です。

『君たちには話そう かくされた戦争の歴史』 (いしいゆみ著 くもん出版 2015年7月)
 戦時中に軍が行ったことの中には、内容があまりにも非人道的であったため、敗戦とともに闇に葬る目的で多くの書類が燃やされると同時に、関係者にも緘口令を敷くということがありました。
 そのような中の一つが今、明るみにでようとしています。それは、太平洋戦争が始まる4年前に川崎市に作られ、長野県の伊那谷に移転したと言われる陸軍の登戸研究所についてのことです。ここには、全部で四つ科があり、第一科は電波兵器や風船爆弾の研究、第二科は毒物やスパイが使う秘密の道具の研究、第三科ではにせ札作り、第四科では、第二科で研究されたものを作っていました。
 その事実について、地元の大人や高校生が当時関わりのあった人や資料を調べて少しずつ明らかにした様子がレポートされています。関係者の中には口を閉ざしていた人が多くありましたが、高校生が聞くことで未来へ託すという思いで心を開き、証言をしてくれる人もありました。
日本が戦時中に何をしてきたのかをきちんと知らない限り、未来へは進めないという思いを強くする本です。

『東京大空襲を忘れない』(瀧井宏臣著 講談社 2015年2月)
 第二次世界大戦中、日本は多くの空襲にみまわれましたが、その中でも東京大空襲は町を焼き尽くす空襲で、多くの人が亡くなりました。生き残った多くの人がその地獄のような様子を記憶しています。
 この本では、東京大空襲を経験した4人の体験談と東京大空襲の情報、その時の第二次世界大戦の様子を紹介しています。
 読みながら、戦争という名のもとで行われる民間人の無差別殺人の恐ろしさを実感しました。

『生きる 劉連仁の物語』 (森越智子作 谷口宏樹絵 童心社 2015年7月)
日本で戦争について語り継ぐべきことは、被害を受けたことばかりでなく、日本が行った加害にもしっかりと目を向けることが必要だと思います。
この本は、中国から日本に強制連行され、北海道の炭鉱で働かされ、12年間極寒の北海道で終戦を知らずに逃亡し続けた劉連仁さんについて書かれています。
連行された時の様子、炭鉱で多くの同胞を亡くした厳しい生活、逃亡の様子、同じように逃亡した仲間と逃げ、仲間だけが見つかって一人になるまでが詳しく語られ、次に12年後に見つけられた様子が語られています。
劉さんは、中国に帰ってから、見つけられた村の人に親切にされたことと、国の対応の矛盾を抱えながら生き続けます。
 国としてどのように戦後を過ごすべきなのかということについても考えさせられます。

「シリーズ 戦争孤児」1〜5巻 (本庄豊、平井美津子編 汐文社 2015年3月)
 太平洋戦争中に戦争のために孤児になった子どもたちの様子を写真と文で紹介したシリーズ。
 1巻「戦災孤児 駅の子たちの戦後史」、2巻「混血孤児 エリザベス・サンダース・ホームへの道」(米軍兵士と日本人女性との間に生まれた子どもたちの状況)、3巻「沖縄の戦場孤児 鉄の雨を生きぬいて」、4巻「引揚孤児と残留孤児 海峡を越えた子・越えられなかった子」、5巻「原爆孤児 ヒロシマの少年、ナガサキの少女」となっています。
 
『六千人の命を救え!外交官・杉原千畝』(白石仁章著 PHP研究所 2014年8月)
戦争中、偏見を超え、自分の命を危険にさらしながら、多くのユダヤ人の命を救った杉原千畝の伝記です。
ロシア語を勉強し、外交官になった杉原千畝は、リトアニア、およびプラハでユダヤ人たちを助けるためにビザを出し続けました。この本は、その状況を当時の世界情勢とともに紹介したノンフィクションになっています。

『火城 燃える町 1938』 (蔡皋文・絵 [アオ]子絵 中由美子訳 日中韓平和絵本 童心社 2014年12月)
これは、1938年11月13日、中国湖南省の古都長沙(チャンシャ)で起きた長沙大火を題材にした絵本です。
長沙に住む少女の視点で、日本が侵略してきたことによって町が変化し、大火で歴史的なものがすべてなくなってしまいます。
大火前の人々が行き来する魅力的な町と、一面焼け野原になってしまった町の様子が画面いっぱいの細かい絵で表現され、戦争がもたらす破壊と喪失を視覚的に表現しています。

『なぜ独裁はなくならないのか 世界の動きと独裁者インタビュー』 (千野境子著 国土社 2013年12月)
世界の人たちは、ヒトラーやスターリンによって独裁者の恐ろしさを知っているにもかかわらず、世界にはまだ多くの独裁者がいます。
何が独裁者に駆り立てたのか。独裁者とは特別な人間なのか。産経新聞のマニラ特派員、ニューヨーク支局長、女性初の外信部長、論説委員長などを歴任した著者は、パナマ共和国ノリエガ、ニカラグアのオルテガ大統領、キューバのカストロ、フィリピンのイメルダ夫人に何とかコンタクトを取り、インタビューに成功します。
この本では、それぞれの独裁者がどのような政治的状況の中で生まれ、何をしてきたのかを解説するとともに、インタビューの様子が紹介されています。握手をしたときの手を握った感触なども書かれており、独裁者も一人の人間であるという著者の実感が伝わってきます。
ベルリンの壁崩壊に見る東ヨーロッパの解体についてもまとめられており、民主主義とは何かについても考えさせられます。

『人権は国境を越えて』(伊藤和子著 岩波ジュニア新書 岩波書店 2013年10月)
国際的な人権擁護の団体としてはアムネスティインターナショナルやユネスコが知られています。著者の伊藤和子さんはそれらの活動に参加しながら、日本発の国際的な人権擁護団体がなく、日本らしい活動が充分にできていないと感じました。
そこで、日本でNGOを立ち上げ、日本だからこそできる活動を始めました。それらの活動には、フィリピンでの政治的殺害、ビルマでの人権弾圧、カンボジアでの内戦後の人権侵害、イラクでの化学兵器による被害調査、3.11後の日本での国連との連携などが挙げられます。
「平和」をモットーに世界の第一線で活躍する著者のいきいきとした様子が語られています。

『ラズィアのねがい アフガニスタンの少女』(エリザベス・サナビー文 スアナ・ヴェレルスト絵 もりうちすみこ訳 汐文社 2013年11月)
 現在も多くの国で内戦が続いていますが、この本はいったん内戦が終結したアフガニスタンが舞台です。
 アフガニスタンの内戦が終わり、女の子専用の学校ができますが、ラズィアの家族の責任者であるアジズ兄さんはラズィアを学校へ行っていいと言ってくれません。女が勉強する必要がないというのです。
 けれども、兄さんが頭痛で苦しんでいるとき、ラズィアが薬のビンを読んで助け、兄さんはラズィアが字が読めることを知ります。ラズィアは文字を弟たちが勉強するのを聞いて学んだのでした。兄さんはそれを聞き、また、学校の周りに壁が立てられて安全性が確認できたことから、ラズィアに学校へ行っていいと言います。そしてラズィアは大人になって先生になります。
 ノーベル平和賞を受賞したマララさん以外の子どもが主人公になったアフガニスタンのストーリーです。
『戦争するってどんなこと?』 (C・ダグラス・ラミス著 平凡社 2014年7月)
著者のスミスさんは、1960年に海兵隊員として沖縄に駐留した後、除隊し、日本で学んで津田塾大学の教授となりました。
実際に兵士を経験した著者ならではの視点で、日本国憲法9条について、戦争とは何か、9条が変わって戦争できる国になったらどんなことになるか、沖縄と軍事基地などについて説明しています。
戦争に行ったら「兵士の仕事は敵を殺すこと」であり、「兵士の訓練では、相手を殺せるように、殺すことに対する抵抗を乗り越えるための訓練を」するという発言がとても心に残りました。

『戦場カメラマン渡部陽一が見た世界』(渡部陽一写真・文 くもん出版 2015年1月)
 戦場カメラマンの著者が、アフガニスタン、パキスタン、イラク、スーダン、インドなど、難民キャンプがあったり、戦場になったりしたところの学校の状況をルポルタージュしています。
 なぜ、戦場を取材するのか、どんな意味があるのかが書かれています。

『わたしが外人だったころ』 (鶴見俊輔文 佐々木マキ絵 たくさんのふしぎ傑作集 福音館書店 2015年5月)
今年7月に亡くなった鶴見俊輔さんは、アメリカで16歳から19歳までを過ごしましたが、戦争が始まりました。
移民局の牢獄へ入れられ、さまざまな民族の人に出会います。そして、そこでハーヴァード大学の卒業論文を書きます。
それから、帰国するかどうかを聞かれますが、「負ける国」にいたいと思って最後の連絡船で家族とともに日本に帰国します。
日本で海軍に志願し、ジャワへ行き、アメリカ等の情報を翻訳する仕事をしていましたが、病気になって病院で敗戦を迎えました。
その過程で、自分がアメリカでも日本でも「外人」であったことに気づきます。そして、最後に日本は外人に取り囲まれて生きていると述べます。
今だからこそ、とても大切なメッセージだと思います。

 以上、土居安子。

以下、ひこです。

『わたしが子どものころ戦争があった 児童文学者が語る現代史』(神沢利子、森山京、あまんきみこ、三木卓、角野栄子、三田村信行、那須正幹、岩瀬成子 理論社)
 野上暁によるインタビュー。
「知らなかった、見なかった、聞かなかった、子どもだったは免罪にはならないでしょう。むしろ、より罪深い場合さえあると思います」「戦後七〇年といわれますが、いまだにそうした意味で心のおりあいがつかず、ときどき薄暗い世界にひとり蹲ってしまいます」(あまん)という言葉があの戦争と今を的確に描き出します。
 また、「戦後」は戦後ではないという意味で、米軍基地のある岩国に住む岩瀬が語っていることも重要です。「子どものころに戦争があったという過去の話ではなく、いまでも日常と地続きのところに戦争があるのです」。

『トンネルの森1945』(角野栄子 角川書店)
 角野が自身の体験を元に描く、一九四五年の出来事。
 イコは母親が亡くなり、新しいお母さん、光子がやってきます。光子と生まれたばかりの弟の三人で疎開することになったイコは、地域になかなかなじめない。脱走兵が自殺したという森があり、いつのまにかイコはその幻も見るようになりますが・・・。
 押さえられた言葉が、戦争の顔を浮かび上がらせていきます。「私の周りには、だれひとりとして、幸せな人はいない」。

『1944〜1945年 少女たちの学級日誌 瀬田国民学校五年智組』(偕成社)
 戦時下の学校生活がよみがえります。それは当時の子どもたちの日常であり、日常であるから「ほのぼの」ではあるのですが、そここかしこに「戦争」は浸食してきています。戦時下を全くの非日常として想像するよりずっと怖い。「いつもいつも、空に来ているB29を一機でも、私たちがたたきつぶしましょう」。「私たちも、忠君大楠公をおもい出して、米英の本土へ、体当たりに行きましょう」。

『新版 流れる星は生きている』(藤原てい 偕成社文庫)
 半世紀ほど前、引き上げ体験を描きベストセラーとなったノンフィクションを読みやすく子ども向けに再構成。
 満州から三人の子どもを連れて日本へと向かった女の、だから、お涙ちょうだいではなく、生き延びる日々の記録です。
 戦後七十年の節目だからという企画のはずが、今日と明日のために必要な出版となりました。

『小中学生にもわかる 日本国憲法』(齋藤孝 ヨシタケシンスケ:絵 岩崎書店)
 齋藤による解説でわかりやすく伝えます。が、なんと言ってもヨシタケシンスケのイラストがいい。そこの展開される憲法を巡るコントというか、素朴な問いかけというか、それが染みていきますよ。

『小学館の学年誌と児童書』(野上暁 論創社)
 「出版人に聞く」シリーズの一冊。
 野上へのインタビューです。
小学館入社の顛末から、学年誌や、文芸部門の立ち上げ、『世界の中心で愛を叫ぶ』出版の顛末や、児童書との出会い、もちろんマンガ(手塚の担当から始まっている)から、ウルトラマンまで、批評家として語るのではなく、仕事としてどう関わり、どう生産していったかに焦点が絞られています。
こういう証言は、聞き出さないことには出てくる物ではないので貴重です。

『そらとぶじゅうたんで せかいいっしゅう』(ステラ・ブラックストーン:文 クリストファー・コー:絵 福本友美子:訳 ほるぷ出版)
 トルコでじゅうたんを一枚買って、それで空を飛んで世界中を回ります。タイでネコを二匹、メキシコでお面を三枚という風に、数え絵本になっていますが、数えられる項目が違うのでもちろん、それらを足し引きできません。というか、そうして違いを際立たせることで、世界の広がりを伝えます。なんて言わないでも、クリストファー・コーの明るい色使いと、手触り感溢れる絵を楽しめます。

『テレビを発明した少年』(キャスリーン・クルル:文 グレッグ・カウチ:絵 渋谷弘子:訳 さ・え・ら書房)
 ベルの電話、エジソンの蓄音機に魅せられたアメリカ西部の貧しい農民の子ファイロウ・ファーンズワースは、音だけではなく映像も送信できないかと考えます。他にも多くの人が、そう考えていたのですが、彼は耕耘機で耕した跡を眺めて思いつきます。画面を細い線に分割し、そこに映像を流せば残像現象で平面画像は出来るのではないか。まさにそれは液晶以前のブラウン管の構造です。
 あまり知られていない、テレビを発明した男の電気絵本。

『わたしのかさは そらのいろ』(あまんきみこ:さく 垂石眞子:え 福音館)
 母親と新しい傘を買いに行って、ピンクを薦められたけど私はこの青い傘が好き。
 雨が降ってきて、動物たちや子どもたちが傘の下に集まってきます。傘はどんどん大きくなって、あれあれ、傘はまるで青空みたい。
 ほっとする幸せが降りてくる、あまんワールド。

『ポプラディア大図鑑 WONDA イヌ・ネコ』(ポプラ社)
 WONDA十六巻完結です。イヌ・ネコ大好き人間にとって、うれしい一冊。っても、ネコは少ないです。それはもう、種類が少ないからしょうがないのですが、ネコ好きには、チトさみしいです。
 図鑑の項目はもっともっと立てることができるでしょうから、二期もぜひ。

『ざしきぼっこ』(武田美穂 あすなろ書房)
 『かっぱぬま』に続く、こわい、可愛いお話し二作目です。
武田の描く子どもは、ちょっと思惑ありげで、すごく可愛いんですけど、本作のざしきぼっこ双子少女は、それがより一層パワーアップしていて、もう、可愛いったら。だいたい、この子ら、座敷におらんし。

『あかずきんちゃん おはなしデコボコえほん』(グザビエ・ドゥヌ:作 小学館)
 例えば赤ずきんは見開きに厚紙で貼り付けられています。デコ。そして反対側は森が描かれ、その奥におばあさんの小屋。この部分がボコ。
 森の木がデコで、赤ずきんが描かれているその背景がボコ。
 単にそれだけですが、ついつい触ってしまうと、物としての絵本が強く意識されて、なかなか面白いです。ちょっとジオラマぽいし。

『こねこのジェーン ダンスだいすき!』(バレリー・ゴルバチョフ:作 あらいあつこ:訳 きじとら出版)
 バレリーナになることを夢見ている子猫のジェーンは、バレエ教室に通うことに。先生に褒められてウキウキ帰宅です。テラスで踊っていると、近所の友達もダンスをし始めるけれど、私の方が上手。
 楽しく自由に踊るみんな。だけど、私はバレエが好きだから・・・。
 でも、みんな楽しそう。
 バレエだけがダンスじゃないよ。踊ろうジェーン。

『木の葉つかいはどこいった?』(ピーナ・イラーチェ:作 マリア・モヤ:絵 小川文:訳 きじとら出版)
 木の葉は木の葉つかいによって落ち葉となっていきます。ところが今年の秋、落ち葉つかいがやってこない。木の葉たちは不安で、いっこうに木から離れようとしません。それでは冬支度ができないと、困る樹木たち。
 そんな中、一枚の葉っぱが自ら旅立つ決意を・・・。
 ところで、木の葉つかいは何をしているのでしょうね。それは読んでのお楽しみ。
 旅立つ喜びの絵本。

『はかせのふしぎなプール』(中村至男 「こどものとも」九月号 福音館書店)
 博士は、いれたのものがなんでも大きくなるプールを発明しました。一杯に満たされた水を抜いていくと、少しだけ形が見えて、さてこれは何だ?
 それが何かをイメージする絵本なんですが後半はアホらしさが満開で、二度おいしい。

『ライフタイム いきものたちの一生と数字』(ローラ・M・シェーファー:ぶん クリストファー・サイラス・ニール:え 福岡伸一:訳 ポプラ社)
 動物の一生を数字で示します。といってももちろんすべてではありません。例えば、アルパカは一生に二十回毛を刈られる。キツツキが木に開ける穴は三十。といった具合。
 じゃあその数字はどこから得られたのか? というところで、平均の出し方を示します。
 デジタルではない生き物を把握するとき、そのとっかかりに数字は案外使えるのです。

『こちょこちょがいっぱい!』(トマス・テイラー:文 ベニー・ダン:絵 三原順:訳 ほるぷ出版)
 もうタイトル通りの絵本です。
 くすぐったくって、みんな笑っています。
 眺めていると、こっちまでくすぐったくなります。
 そこに愛情と信頼がまずあるから、こちょこちょが幸せなんですね。

『影なき者の歌』(ウィリアム・アレグザンダー:作 齋藤倫子:訳 東京創元社)
 『仮面の街』に続く作品で舞台は同じ。今度はパン屋兼居酒屋の娘カイルが主人公です。店でパフォーマンスをしてくれたゴブリンにカイルはパンを渡します。するとそのお礼にもらったのが骨で出来た笛。それを奏でるとカイルとその影が切り離されてしまいます。
影のないカイルは家族からも死人扱いされるカイルは、処分されかねず出ます。
一方街は洪水寸前。楽士たちの音楽がそれを止めるというのですが、果たしてカイルの笛の音はその役目を果たせるか。
ファンタジーの重要な要素は魔法ではなく、その世界をいかに構築したかなのですが、アレグザンダーの作品は、ゴブリン、機械仕掛けの人々、骨の笛など、魅力的な素材を巧く組み合わせて、別世界を構築しており、どこか懐かしく、でも知らない空間ができあがっています。

『まじょがかぜをひいたらね』(高畠じゅん子:さく 高畠純:え 理論社)
 かぜをひいても魔女は病院へは行きません。だって、そこには狼男先生や、雪女先生がいますからね。じゃあどうするの?
 ってところが見どころ、読みどころ。
 じゅんじゅんコンビ、快調です。

『ワニくんとパーティにいったんだ』(ジュディス・カー:作・絵 こだまともこ:訳 徳間書店)
 家族で出かける日に熱を出してしまったマーティ。相当落ち込み、ご機嫌斜めでしたが、想像は彼を楽しいパーティへと連れ出してくれます。
 安定感抜群の展開と、手作り感溢れる絵。さすが。

『生命ふしぎ図鑑 人類の誕生と大移動』(イアン・タタソール他著 篠田謙一・河野礼子訳 西村書店)
 アフリカで誕生した人類がどう拡がっていった二千二百万日を化石や遺伝子情報に基づいて描いていきます。
 そうか、シラミのDNAから、人類がいつ頃衣服を身につけたかがわかるのか。おもしろい。

『みんなからみえないブライアン』(トルーディ・ラドウィュク:作 パトリス・バートン:絵 さくまゆみこ:訳 くもん出版)
 なんか地味で、目立たない子。それがブライアン。
 授業で、昼食で、グランドで、みんな騒いで、話してするんだけど、やっぱり一人目立たないブライアン。きっとみんなは悪気はない。だけど、なぜか目立たないブライアン。
 それがブライアンにはさみしい。
 そんなとき、転校生が入ってきて、ブライアンを見つけてくれます。
 ほんのちょっとのことで、人は自分の存在に自信を持ちます。誰かが声を掛けてさえくれれば。

『美雨13歳のしあわせレシピ』(しめのゆき ポプラ社)
 美雨は中学一年生になったばかり。今クラスで友達作りに微妙な時期。なんとなくグループはできているけど、どうなるかはわからない。
 ある日帰宅すると、父親が料理を作っていて、母親は家出したとのこと。
 母親は料理が上手ではなかったけれど、父親の上手いこと。プロ並みです。
 やがて美雨は、うだつのあがらない父親が元料理人だったことを知ります。そんな彼が母親とどう出会い、そして料理人をあきらめたのかを知っていく美雨。
 学校ではグループの一人が、大人しい子をいじめ始めていて、その子を友達になりたい美雨ですが、止めに入る勇気もなくて・・・。
 家庭と学校という、YA永遠の悩みを描いていますが、安易に結論に飛びつかず、寸止めしている所に好感です。
 よく考えれば結構深刻な素材も、風通しよく描かれていて、この作者の才能を伺わせます。