じどうぶんがくひょうろん

1999/05/25


           
    
メリカの少女たち』(アメリカ児童文学緊急プロジェクト編 白百合女子街学児童文化研究センター・発行)(本の代金¥1000を、現金書留または定額小為替で下記センターに郵送してください。その際、送り先住所を明記し310円切手を貼った返信用封筒(B5版[角4]→1冊希望の場合)を同封のこと。宛先 〒182-8525 東京都調布市緑ヶ丘1-25 白百合女子大学児童文化研究センター「論文集アメリカの少女たち」係)
 と、まあ、長い説明ですが、取次通してない場合、これくらい大変なんですってこと、ご理解ください。
 目次も、書いておきます。

少女小説とロマン主義―『ライラックの花の下』から『赤毛のアン』へ―鈴木宏枝
「ごっこ遊び」のからくリ箱―『赤毛のアン』における遊戯性―横田順子
『小公女』におけるシンデレラパターンの意味―屋根裏部屋の魔法― 林祐子
「リンバロストの森」の母と娘―高鷲志子
ポリアンナの秘密―無垢でエネルギッシュな少女考―横田順子
『親愛なる敵さん』におけるハッピー・エンドの性質―西村醇子
『スパイのハリエット』再読―メッセ―ジで人は救えるか?―高鷲志子

 なかなかおもしろそうな作品を扱っていますね。
 でも、それぞれの論考に、もう少し熱気が欲しい気もします。
 枠内に収まってしまっているとでも言えばいいかな。
 それと、引用では必ず原文が添付されるけれど。紀要じゃなく、ハードカバーで一般も対象に出すなら、これはいらないんじゃないでしょうか?

ももの夏』(ルーマ・ゴッデン 野口絵美訳 徳間書店 1958/1999 1600円)
 『人形の家』でおなじみのルーマ・ゴッデンの、これは自伝的物語。もちろん、フィクションですが。1924年、セシル(13歳)たち子どもの言うこと気かなさ加減に、キレた母親は突如、彼女たちを連れてフランスに出かけると宣言。戦場跡地を見て、みんなのために犠牲になった人々のことを考えれば、ちっとは反省するでしょう、と。が、右も左も解らぬ地で、母親は入院。預けられたホテルで、彼女たち5人の子どもの夏が始まります。 ホテルのオーナーの愛人であるエリオットの謎めいた魅力。セシルの3歳年上の姉ジョスが大人の女に変わっていく様。セシルの13歳の目は、そうした夏の出来事をむさぼるようにとらえて行きます。
 親のいない不安と、自由に、揺れるひと夏。ゴッデンの確かな筆によって、13歳の夏は私の間近に迫ってくる。


月の野球』(ギャリー・ソト 神戸万知訳 理論社 1990/1999 1500円)
 メキシコ系の作家の短編集。
 もてたい一心の少年少女がいっぱい出てきて、そりゃもう、「解る、解る」のうなずきの連続。で、貧乏な家庭が多いので、例えば、ダンパで彼と踊るドレスがない少女のために、母はお古の白いそれを黒く染めて、新品同様にしてくれるのですが、雨に打たれて、染めが落ちてしまって、なんて、結構せつない話もあるけれど、それが、せつないだけじゃなく、希望に向かう辺りの、真っ当さが、買い!
 今の日本の子たちだって、ホントはこんなせつなさ抱えてると思うよ。

『にとそらのつくりかた』(かとうじゅんこ 広瀬弦・絵 理論社 1999)
 デビュー作。七色のリボンを鏡の前で結んでいたら、鏡の中に吸い込まれた女の子。そこには赤い鬼と、はいいろの鬼と、青い鬼がいて、彼らは空に布をなげて、青空や夕焼けや曇り空を作る仕事をしています。ところが、彼らちょっとなまけ者。
 男がやってきて、お酒をさしだし、私が代わりに空を看ていてあげましょう。
 鬼立ちは喜んで、男に頼むのですが・・・。
 ストーリそのものは、過不足無く、楽しめます。それより、青い布を縄で投げて青空を作るとか、もう、お気付きでしょうが、女の子の七色のリボンが虹になるとか、これもさしたるアイデアではありませんが、なんだかとてもホクホクするんですね。広瀬弦の絵も合っているからでしょうが、物語に素直に身を任せれば、マル。
 子どもは好きでしょうね。

モネードを作ろう』(ヴァージニア・ユウワー・ウルフ こだまともこ訳 徳間書店 1993/1999)
 ラヴォーンは14歳。幼い頃父親を亡くして、母親と二人暮らし。大学に行くための資金を貯めようと、ベビーシッターのバイトをするころに。見つけだした仕事先は、17歳でジェレミー、ジリーという二人の子どもを抱えているジュリーの所。学校にも行かず、字もろくに読めず、仕事も続かないジュリーのことが気になるラヴォーン。
 3つ年下だけど、将来を見据えているラヴォーンと、毎日のやりくりから、明日のことすら考えられないジュリー。彼女は「福祉」は大嫌いで、受ければ学校に行きながら子どもを育てることも出来るのに、断り続ける。それが彼女に残されたプライドだったりする。それにイラ立つラヴォーン。けれど、ラヴォーンには解らないジュリーの気持ちもある。
 反発しあいながらも、決して喧嘩別れすることのない(喧嘩はしょっちゅうするけれど)、二人の結びつき。
 タイトルの意味は読んでのお楽しみ。
 アメリカが子どもを持つティーンへのケアをどうしているかも、解ります。
 日本って、まだまだだなー。

『心の国境をこえて』(ガリラ・ロンフェデル・アミット 母袋夏生 さ・え・ら書房 1985/1999)
 時評参照。

『童話物語』(向山貴彦 幻冬社 1999)
 時評参照。

の年』(ヨアンナ・ルドニャンスカ 田村和子訳 未知社 1991/1999)
 冷戦後に書かれたポーランドの児童文学。というようなことを背景に置いて読むとまた、面白いのですが、それを無視しても、どういえばいいのか、ちょっとこれまで知らなかったような物語の感触で、惹かれます。
 祖母と父と母と暮らす女の子。でも父が竜になっていく。隔世遺伝で、彼女は祖母から魔女の力を受け継いでいて、父の中の竜と戦おうとする。
 って、説明してもよく解らないと思いますが、両親の不和に対する不安のシンボルとしての竜ってようなことです。
 で、それが、マジック・リアリズム(日常と非日常が境目無く行き来するような描写の物語。だからファンタジーとはちょっと違います)的に描かれている、というのがいい説明かな。
 この妙な感触を知るだけでも、読んで吉。


防犬ぶん公』 (水口忠作 梶鮎太絵 文渓堂 1999)
「ぶん公は消防犬。消防のおじさんといっしょに、火事場で消火に、救助に大活躍していた。みんなはぶん公が大好きだった。ぶん公もみんなが大好きだった…。消防の整備がすすめられていた頃、小樽の町であった、本当の話」
 という説明がありますが、本当に、それだけの話。
 犬好きなら楽しいかもしれませんが、どうして、こんなにベタな書き方するのでしょう?
 でも、「ええ話」だから、そこそこ売れるんでしょうね。
 新聞の家庭面とかの記事にはなりそう。

のまつり』(大西伝一郎作 狩野ふきこ絵 文渓堂)
「マチコとコズエは4年生の夏、ひとりぼっちで海を守りつづけている漁師の源さんに出会った。ふたりは海の素晴らしさを知ると同時に、海が死にかけているのを目にする。命の源の海をみんなで守るためにできることは…?」
 という説明がありますが、本当に、それだけの話。