『ページのなかの子どもたち・作家論』(松田司郎:著 五柳書院 1984)

1.佐藤さとるのネバーランド

『誰も知らない小さな国』(昭34、1959)が出てから、もう25年になろうとしている。佐藤さとるのこの作品は同じ年に出たいぬいとみこの『木かげの家の小人たち』等とともに、現代日本児童文学の出発点を飾る栄誉をになわされている。どちらもファンタジー系列の作品であることは興味深いが、同時に手法的にもその発想にも、西欧、特にイギリス児童文学の影響が強いことも事実である。手法的には、小川未明以来短編童語という形で培われてきた児童文学の定型を破ったこと、発想としては、大人の内なる観念を捨て、自己の子ども時代を通しての体験を軸に、ひとつの思想(価値観)に具体的な形を与えている。このことは、これらの作品が長編小説の形態をとっていることと無関係ではない。1959年といえば、メアリー・ノートンが『川をくだる小人たち』を出版した年である。ネズビットの『砂の妖精』(1902)で20世紀ファンタジーの扉をあけたイギリス児童文学は、トラヴァース『メアリー・ポピンズ』(1934〜)やヒルダ・ルイス『飛ぶ船』(1939)やノートン『魔法のペッド』(1945)「小人シリーズ」(1952〜)を経て、ボストン「グリーン・ノウ・シリーズ」(1954〜)ピアス『トムは真夜中の庭で』(1958)と受げ継がれていると思われるが、これらエヴリディ・マジックの伝統が、出版社に籍をおいてもっぱらこれらの作品を日本に紹介する立場にあったいぬいとみこに影響を与え、同様に編集者であった佐藤さとるにもいくらか影響を与えたことが推測される。(注1)
ノートンの"Borrowers"(小人シリーズ)は、既に『床下の小人たち』(1952)『野に出た小人たち』(1955)が、また1961年には第四部に当たる『空をとぶ小人たち』が出た。『木かげの家の小人たち』がノートンの「小人シリーズ」から小人を借りてきたことは作者も認めるところである。また『だれも知らない―』の小人たちも、アイヌ伝説のコロボックルを下敷きにし、スクナヒコを祖先とすることにより日本古来の土着を匂わせているが、その敏捷さや人間嫌いや生活方法等からすれほむしろ、非稲作民族的(非日本的)であろう。つまり西欧ファンタジー世界の住人としてのほうがより似つかわしい。では、日本的とはいかなるものか、土着性とは……という問題になると相当慎重な論を展開させねばならないが、本論では佐藤さとるのコロボックル・シリーズが、イギリス児童文学の匂いを強烈に持っていながら、その実、小人と人間の関係においては明らかな相違点を持っていることを中心に論を進めたい。
ファンタジーをごく大ざっぱに分けると、トーキンの『ホビットの冒険』や『指輸物語』に代表される非現実の世界に起こるさまざまな不思議を基盤にした作品(注2)とネズピットの『砂の妖精』やノートンの"Borrowers"シリーズに代表される現実世界に非現実を持ちこむ作品の二通りがある。近代イギリスのファンタジーは後者が主流だと思われるが、そのために魔力の衰退現象とともに、同時にそのことが人間に対する不信や未来に対する暗さを象徴しているようである。(注3)これらは総称してエヴリデイ・マジックといわれるが、同系列に入る『木かげの家――』にも『だれも知らない――』にも、人間不信や悲観的未来像のかけらさえ見つからない。これは『だれも知らない――』においては、小人たちと協力してコロボックル王国建設へと走るセイタカさん(主人公)の心のうちに戦争体験をくぐることによってつかんだ〈自らの価値〉を非擬制民主主義として広く定着させたいという熱っぽい戦後日本状況の一面が存在することと無縁ではないだろう。だが、このことは相違点を支える本質的な問題ではない。
問題は、作者が小人たちといつどこで出会い、どういう具合に作品の中に引き入れたか、というその過程にあるようだ。
『だれも知らない小さな国』は、主人公の小学三年生のぼくが、夏休みのある日、家の近くの林のそばの小山を見つけるところから始まる。ぽくは、小山のふもとの崖や杉林や小川に囲まれた小さな三角形の平地を自分だけの王国にして、ときどきそこで遊ぶうちに、その山にはこぼしさまという小人、が住んでいるという言い伝えを聞く。
次の年の夏休みに、ぼくは小川の中に小さな女の子が落とした靴を見つけるが、よく見るとその中には小人が三人かくれている。
やがて、ぽくは引っ越しをするが、三角平地のある小山のことは片時も忘れない。中学生になり、戦争が起こり、父が船と一緒に南の海へ沈む。学校が焼け、家が焼け、逃げ回っているうちに、終戦がやってくる。
「ぼくと小山の小さな歴史は、ふたたぴ流れはじめた」ところから、物語は小人たちとの関わりへと大きく発展する。ぼくは小山を久しぶりに訪れる。杉林は苅られてしまったが、泉も流れもそのままだった。やがて、ぼくは三角平地に小屋を建てる。姿を現わしたこぼしさまたちと親しくなる。
ぽくは電気工事をする小さな会社に就職する。こぼしさまたちと相談をして、三角平地を「矢じるしの先っぽの、コロボックル小国」と命名する。そして、幼稚園の先生をしているおちびさんが、昔赤い運動靴をなくして泣いていた女の子だったのがわかる。
現代文明は小山にまで押し寄せ、道路計画が立てられる。ぽくは、その計画をおちびさんやこぼしさまたちと協力して、阻止する。自動車の愛称募集に当選して得た懸賞金で小山を買い取り、コロボックル山と命名し、永遠に自分のものとする――というところで、物語はめでたく幕を閉じる。

<「あった、あった。」
水しぶきをあげて、くつにかけより、手をのぱした。そして思わずその手をひっこめた。小さい赤い運動ぐつの中には、虫のようなものが、ぴくぴくと動いているのに気がついたからだ。
しかし、それは虫ではなかった。小指ほどしかない小さな人が、二、三人のっていて、ぽくに向かって、かわいい手をふっているのを見たのだ。>

これは、主人公のぽくが、はじめてこぽしさまたちに出会うところである。あくまでも、小人たちは見つけられるものとして登場する。視点はぼくの側にあり、小人たちは原則として人間たちと関わりを持たない存在である。関わりを持たないというのは、ただ隠れているというのではなく、人間たちの暮らしとは異なる次元で、自分たちだけの国を築いて生きているということである。
ここのところは、ノートンの小人たちと大きく異なる。借り暮らしの小人たちは、ふとしたきっかけから積極的に関わる人間がいても、視点はあくまでも小人たちの側にある。そして、小人たちは大きな人(人間)からさまざまなものを借りて暮らさねぱならないという設定ゆえに、人間たちの暮らしと密接に結びついている。姿を見られたくないという意識が常に働いていても、また「人間に関わりあってよいことがあったためしはない」と思っていても、ノートンの小人たちは人間の《現実》に深く関わっていかねぱならないのである。
これらの違いは、恐らく小人たちに対するノートンと佐藤さとるの対応の仕方にあると思われる。

<わたくしが、借り暮らしの小人のことを、はじめて思いついたのは――あるいは、はじめて感じたのは――わたくしが近視眼だったからだと思います。ほかの人たちが、はるかな丘や、遠くの森や、空かけるキジなどを眺めているとき、子どものころのわたくしは、わきをむいて、近くの土手や、木の根、もつれあった草むらなどに見いっていたのです。(注4)>

これは、ノートンが何故「小人シリーズ」を書くようになったかについて語っている箇所である。ノートンは、最初から小人の側に自分を置き換えて、小人の目でさまざまなものを見ていたといえよう。その証拠に、無力でか弱い小人の身になって、危険から身を守るあらゆる工夫を考えたことが述べられている。
佐藤の場合は、最初から小人を意識したわけではなかったようである。佐藤は『だれも知らない小さな国』の出来上がるまでを述べている文章の中で、はじめは小人とは関係のない物語を構想し、のちに物語の発展の必要性のために小人を借りてきたと手短かに説明している。
最初に想を練られた作品の骨子は次のようであった。

<或る小さな町の町はずれの谷あいへ、背後の山の方から道もない崖をおりて、若者がはいりこんでくる。山の裏側の村から、山越の近道をしてきたのだが、道に迷ってこの谷へ出てしまったのである。谷には小さな家が一軒だけあり、そこから先には町の屋根が連なっている。その向こうに海が見える。/若者は、その家で水を一杯所望するが、応対に現われた娘は、汲み置きの水でなく、わざわざ谷の奥の椿の林の中にある古い井戸まで、若者を案内してくれる。(注5)>

「井戸のある谷間」と題されたこの作品は、その後、測量技士である若者が娘の家の屋根と同じ高さに井戸があることを指摘し、娘も水汲みの苦労から解放されることを喜びながらも別れるが、若者が鉛管を手に入れ訪れようと決心するところで話を終えているという。
この作品を書く動機を、佐藤は戦後しばらくして按針塚を訪れたときの感慨を元にしていると述べている。按針塚というのは、佐藤少年が小さいころよく遊んだ横須賀市のはずれにある三浦按針ゆかりの塚山公園のことで、『だれも知らない小さな国』の小山のモデルである。
この短編に登場する若者と娘を、少年少女時代にまでさかのぼらせ、また小人たちと関わり合わせることによって長編が生まれたのである。小人たちは、最初は西洋の妖精じみた魔物であったが、日本の現代の物語とバタ臭い妖精とはしっくりいかず、魔物たちを幼稚な虫の姿にしてみたがなお不満であったらしい。佐藤は虫の姿を借りた魔物の件を、話中話としていったんキリをつけたが、長編の物語創りの魅力にとりつかれ、「井戸のある谷間」を書いてから三年余り経ったのち、話中話の部分を取り出して、これを中心に据えた作品を書きはじめた。
ここにいたって、全体として小さな魔物を発見するという構成ができ上がったが、実際に魔物を発見しようとする物語では、予定していた背後世界のリアリテイと釣り合う存在が必要になり、あれこれ悩んだり、情報に助けられたりして、<こぼしさま〉という存在が浮かび上がってきたようである。

<アイヌ伝説にある小人のコロボックルは、じつは初めから私の頭にあった。(中略)/それが、『古事記』の少彦名命の記述とコロボックル伝説との共通点を発見したこと、それにポックリさんという小さくてすばしこい魔物の話を聞いたことなどがきっかけとなって、この三つを一つにまとめたような小人を生みだすことにした。ただし、魔力のようなものはいっさい持たせないこともそのときに設定された。これも現実度の釣合いから必然的にそうなったといえる。(注6)>

ポックリさんというのは、日本のある地方の言い伝えで、人の目に見えないほど小さくすぱしこくて、人に取りついて繁殖する不思議な存在のことである。
ともあれ、佐藤は『だれも知らない小さな国』のべースとして、少年が小人を見つけ、そのことによって少女と出会い、やがて若者と娘として心を通わせるというパターンを早くから築き上げていたことは明らかだ。この作品は、小人と出会うまでの部分と、小人と出会い小人が読者の前に姿を現してからの部分とが、質的に変化を見せているが、――これについては後述する――それはおそらく佐藤の初期の関心が少年の内面の風景にあったからだと思われる。そして、小人の捉え方がセイタカさんという主人公の視点の枠内にあるのも、ノートンと違って初めから小人(こぼしさま)を意識していなかったためであろう。しかし、このことは、作品の均衝を保持するのに幾分かの妨げとなっているようだ。
『だれも知らない小さな国』は、一般にファンタジー作品といわれている。ファンタジーとは、L・H・スミスによれば「独創的な想像力から生まれるものであって、その想像力とは、私たちが五官で知りうる外界の事物から導き出す概念を越えた、よりふかい概念を形成する心の働き」(注7)とのことだが、この作品は小人という不思議な存在物が登場することによる価値よりも、小人を見つけるまでの過程の描き方に非常に優れたものがあるように思う。そのあたりを、少し眺めてみよう。
ぼくが小学三年生のときに、とりもちを作ることがはやった。とりもちは、もちの木の皮をはがし、水にさらし、すりつぶしながらあくを洗い流していくとでき上がる。木の枝などにくっつけておくだけで、小鳥を捕えることができるので、子どもたちの格好の遊び道具になった。しかし、近くの家の庭の木をねらうと、見つかって大目玉を食う。みんなして、峠を越えて遠くの山で見つけた木も、ガキ大将がひとり占めして、少ししか分けてくれない。そこで、ぼくは、自分だけのもちの木を探そうと冒険に出かける。

<峠というのは町はずれにあった。うら通りからつづく細い道が、町のうしろの丘にぷつかってゆきどまりのように見える。それでもかまわずに丘のふもとまで行くと、左におれて、きゅうな石段があった。それをのぽりつめると、やっとひとりが通れるくらいのせまい切り通しの道になる。>

このうす暗いトンネルのような切り通しをひとりで抜けるのは、小学三年生には勇気のいることだった。しかし、峠のむこうは、町にはないものが何でもある場所だった。自分だけのもちの木を手に入れるためには、ひとりで峠を越えたければならない。ぽくは茂みに分け入り、顔に跳ね返る笹や小枝をよけて進む。ふいに崖の上に出る。回りこんで杉林に入る。突っきって、やぶを押しわけ、小山を登ると、少年の前に奇妙な三角形の平地が顔を出す。

<ふいに、そこへ出たときの感じは、いまでも、わすれない。まるでほらあなの中に落ち込んだような気持ちだった。思わず空を見あげると、すぎのこずえの向こうに、いせいのいい入道雲があった。>

ぼくは、そこに小さな泉を見つける。泉の水はあふれて、杉林のほうへ流れ出していた。小さな滝の音が、せみの声にまじって聞こえていた。ぼくは、こんな所にこんな澄んだ泉があるなんて誰も気がつかないだろうと思うと、なぜかしら幸福な気持ちになる。
三角平地の尖った木のところで、小川の流れを見つける。灌木につかまりながら、段々岩の下まで下りるうちに、ふと(いつかここへ来たことがあるぞ)という想いにかられる。そう思って、顔を上げると、三角平地の出口に二本の木が並んで立っている。

<「あっ」と、ぼくは声をあげた。その木は二本とも、もちの木だった。/ぽくは、声を出して笑った。こんなところにあった!/「この山はぼくの山だぞ!」ぽくは思わずそういった。>

三角平地を隠している尖った小山は、峠山からちぎれたように、ぽつんと離れている。外側は急な斜面で、入ってくる道は、ほかには一本もない。地図を頭の中にたたきこむと、ぽくは小川の流れにしたがってそこをあとにする。
ぼくは、三角平地を守ろうと決心する。誰にも教えずに、ひとりで遊んだり、空想したりして過ごす。あるとき、フキを採りに来たおぱあさんが、小山の名は鬼門山といい、そこにはこぽしさまという小さな人たちが住んでいると告げる。ぽくは、いっそう三角平地をいとおしく思うようになる。また、ある日、靴を片方なくして泣いている女の子に会う。ぽくは、小川を流れていく女の子の運動靴に、小指ほどしかない小さな人が乗っているのを見る。
こうして、セイタカさんは少年の日に小人たちと出会うのである。
小人たちと出会うまでの部分を何度も読み返して気づくことは、ひとつは表現方法の確かさと新鮮さである。もうひとつはコトバにこめられた意味の重さと深さである。
表現に関しては、描写(文章)と構成(ストーリー)がある。従来の児童文学は、ややもすれぱ観念的な表現、耽美的な文章に陥入り、読者のイメージを妨げる傾向があったようだが、佐藤のコトバはあくまでもリアルであり、文章は精巧で簡潔である。子ども読者がイメージし、理解できるように実証的であり、合理的である。
長崎源之助は、佐藤の文章や構成について、「あたかも腕時計の内部を見るの感がある。計算しつくされた設計のもとに、小さな歯車一つ、ビス一本、ゆるがせにしないからこそ、あのような小さな機械が正確に時を刻むというふしぎさが成り立っている」(注8)と評した。まさに、レンガを一個一個積み上げていって成り立つ《建築学》の美しさといえよう。
だからこそ、読者はセイタカ少年の身になって、三角平地を見つけ、いつくしみ、充実した遊びを展開する。三角平地を見つけるまでの描写がキメ細かで可視的であるゆえに、初めて靴に乗ったこぼしさまを見たときも、読者は自然に無理なく受け入れるのである。
小人を見つけるまでの前半部分にとって、今ひとつの魅力は、作者が主張すべきことが文章を読むうちに次第に明確な形をなして読者に伝わってくることである。
つまり、佐藤は、もちの木の存在を描くことによって、子どもが人生に見い出す《価値》を象徴化した。もちの木のある場所を、峠で区切り、藪や小山や崖や杉林や流れでさえぎることにより、子どもにとっての特別の場所に作り変えた。そして、その特別の場所に少年をたびたび出向かせ、過ごさせることにより、場所が持っている形や姿や雰囲気だけでなく、《意味》を浮き彫りにすることができた。
三角平地を見つけるまでの導入部は、子どもの生活のリアリティによって支えられている。ゆえに、その発見は内面の発見に昇華させられ、三角平地への愛着と守護というその後の展開は、自己確認と存続という人間の成長のテーマに象徴されたのである。
子どもが成長する道筋というものは、決して一定ではない。しかし、多かれ少なかれ、外側の世界に積極的に働きかけることによって、喜びを得ると同時に、亀裂や摩擦をこうむる。傷つき、挫折しながらも、声なき声に突き動かされて、やがてかけがえのない《自己》を発見していく。声なき声は、心の深層から照りつける人間存在の《根源》である。人は心のうちにほのかなあかり(かけがえのない自分自身)を持っている。それが照らす空間は、この世のどこにも存在しない、その人だげのネバーランドであり、「だれも知らない小さな国」である。
佐藤は、セイタカさんがどのようにして小さな国を手に入れたかを、具体的に描写することにより、人間の内在的価値を象徴化した。そして、小さな国が、一人の人間の歴史をくぐって、存続し、発展することを描写することにより、人間が生きていく意味を問いかけることに成功したといえるのではなかろうか。
さて、こういった前半の快い緊張感の伴ったネバーランドの描写の確かさに比べ、後半のコロボックル王国建設へと動き出すあたりから、文章のテンポが速くたり、物語の展開も幾分荒削りで、前半との均衝が崩れているように思えるのは、せっかちな感想だろうか。
敗戦によって痛手を受けたと思われる佐藤は、当時の若者の常で、失ったものを付与の価値である戦後民主主義の中に見つけ出したいという熱っぽさにつかれていたのではなかろうか。
セイタカさんは、見つけ出した小人を守るためという口実で、自分が保護者であるコロボックル王国をうちたてる。そして、小人の主体性を考えるよりも、現実から遮断するために、道路建設に反対し、その反対を実現させるために小人の超能力を利用する。土地の買い上げでは、おちびさんの偶然の思いつきに助けられる。ここでは、小人たちの側に立つ視点は始めから閉ざされ、めまぐるしく変化する現実への認識も、なるべく現実と接触を持ちたくないという回避の考え方と都合のいい諦観の前に不完全なものとなっているようだ。
つまり、従来になかった小説の形態をとって、人間の生き方を具体的に描きながら、自己と現実のせめぎあいにおける問題解決の鍵に、旧来そのままの心情や一方的な美意識を巧みに利用しているのではないかという危惧を完全に拭い去ることはできない。
もちろん、小人が登場し、主人公セイタカさんとさまざまな関わりを持っていく後半部分に楽しさを指摘する読者も多いだろう。その土台には、早口でしゃべり、目に見えない速さで走り、忍者のようにアマガエルの服で変装し、跳び上がったり跳び下りたりできるというコロボックルたちの持つキャラクターの特性があるだろう。また、ちらっとしか見えない不確かな存在であった小人たちが、主人公の生き方の道筋で次第にふくれ上がって行く物語構成の巧みさもあるだろう。
しかし、佐藤が小人たちを登場させた意味を考えていくとき、幾分釈然としないものが残るのは事実である。例えぱ、コロボックルたちは人間をどう捉えているのか、何故セイタカさんやおちびさんに絶大なる信頼をおくことができるのか、何故あんなにも無防備で楽天的なのか、人間の現実に対していかなる感慨を持っているのか……などとひっかかっていけば、選ぱれた栄誉を担うセイタカさんの側の説明だけでは十分納得できないのである。
けれども、観点を変えて、コロボックルの住む小さな国はあくまでもセイタカさんという個人の心のうちにのみ存在する世界であると作者が規定した以上、それが現実世界と関わりを持つことに既に大きな矛盾と破綻をはらんでいると考えていくと、ここに私たちはこの作品が持っている本質的な問題が露呈されていることを知るのではなかろうか。イギリスのエヴリデイ・マジックにおける妖精たちは、決して現実と遮断された作者(主人公)の心のうちにのみ存在する住人ではなかった。自我を持った者として、作者(人間)と対峙する存在であった。
前述したごとく、ノートンは借り暮らしの小人たちの身になって、大戦後の酷しい現実を眺めたのだし、自己をも含めた人間が科学文明に容易によりかかっている状況を打つものとして小人たちを捉えていると思われる。
いわゆる主人公(作者)をとりまく現実に対してコロボックルはどういう関係にあるのか、そこのところは明確には描かれていない。
イギリス産のエヴリデイ・マジックの小人たちと大きく異なる点は、小人と人間の関係である。イギリス産の小人たちが非現実世界を捨てて、現実世界に侵入してきたために、人間と対立する運命にあるのに比べて『木かげの家の小人たち』(いぬいとみこ)の小人も、『だれも知らない――』の小人も、作者の内なる心の世界にシンボライズされて作者と共存しているゆえに成り立つものである。つまり言葉を換えていえば、小人たちは作者(主人公)の内在的価値そのものであり、身をもって守るべき存在として描出されているのである。
そうであるにもかかわらず、小人たちが作者(主人公)を越えた現実世界とも必然的に関わっていかねばならないところに、作品の持つ宿命的な二重構造性があると思われる。
『木かげの家――』は小人たちが酷しい現実と接触するのを主人公が愛情を持って阻む役割を負わされ、それが戦争状況下での内在的価値を守りぬくという健気な熱っぽさの象徴を効果的に強めており、この作品の魅力のひとつとなっている。そうなれぱ、小人たちの唯一の接触者は主人公(たち)になるわけだが、残念ながら心の内なる住人である限り、互いの自己を見つめ合う関係は提示されているとは思えない。『木かげの家――』がバルボー一家という個数単位の捉え方をしたがために、バルボーやファーンやアイリスやロビンといった個性的な自我が、主人公の殉教者のような受動的消極的な自我の中に塗りつぶされて、なんらヴィヴィッドな生き方を与えられていないことに読者が不満と寂しさを覚える原因になっている。だが逆に、主人公像とはうらはらに主体的でユニ一クな生き方を期待させるに十分な小人像を造型したがために、作品の意図とは別にここに新鮮な興味の芽があるのも事実である。(注9)
目本産の小人は、本来作者の心の内なる価値としての風景であるから、作者と異質な自己を持たせて生きるものではない。『砂の妖精』にしても『床下の小人たち』にしても、作者(人間)と対峙し、対立する関係に小人たち(妖精たち)はある。
『だれも知らない――』の場合は、小人を個数単位、個としては捉えていない。小人に独立した人格やユニ一クな主体性は与えていない。それはセイタカさんの心の内なる世界を形成している総体としての小人風景に過ぎないからである。読者である私たちは、セイタカさんの内面世界がどのようなものであるかよりも、セイタカさんがどのようにしてその世界に気づき、どのようにして手に入れ、どのようにして守っていくかということのほうに大きな興味と感動を覚える。これがこの作品の最大の本質的な意味(感動と喜び)である。その世界が、どのような秩序とルールで築かれ、何が住み、どう流転(物語展開)していくかは、全く別のファンタジー作品として求めねぱならないだろう。事実、続編以降ではその色彩が濃くなっている。C・S・ルイスが『ナルニア国物語』で描いてみせた絶対者アスランの支配下の世界と同じものを私たちは、絶対者セイタカさんの国に求めることになる。だがアスランの国は、衣装だんすを通路として主人公たちをこちら側からあちら側に送りこむことによって、完全に現実世界と分離されているが、セイタカさんの国には明確な通路がない。あるとすれぱ、自我を守りぬくという欲求の強さが内なる世界をのぞくエネルギーになるのだろうが、のぞき見た世界と現実世界が地つづきになっているのなら、内なる世界の住人たちはやがて作者を乗り越え、踏み倒していく存在として描かれていくだろう。なぜなら、現実世界では自我と他我は瞬時交わりあっても、窮極離れていく存在であるからである。
つまり乱暴にいえぽ、『だれも知らない――』のコロボックルたちがセイタカさんを越えて主人公が共存する現実世界に侵入して切り込んでいく方向性に、具体的な説得力(テーマ)がうすいことである。それを中途半端に試みようとしたのが、『だれも知らない――』の後半部分である。『豆つぶほどの小さないぬ』『星からおちた小さな人』『ふしぎな目をした男の子』と続くコロボックルシリーズは、作者の内なるファンタジックな世界を流転する物語に造型しようとしており、小人たちにもある程度の主体性がみられ、成功しているともいえるが、依然として、ある種の混乱を生じさせているとはいえないだろうか。くり返すと、作者の内なる自分だけの世界と、外なる現実の世界――この二重構造性である。もともと心の内に象形された(理想化された)小人は、具体的な説得力(作品が持つ主張、テーマ)なしに、二つの世界をゆききすることに無理があると思われる。トーキンはもうひとつの世界を創造し、ルイスは主人公の少年少女たちをあちら側(非現実)の世界に送りこんだ。ネズビットやノートンは、非現実(の住人)を現実の世界の中に持ってきた。だがいずれにしても、読者が住む側は、非現実か現実かのどちらかである。『だれも知らない――』はネズビットやノートンのエヴリデイ・マジックの形態をとりながら、コロボックルたちが作者(主人公)の内在的価値のシンポルとしての役割を背負わされているために、小人という非現実性が現実と衝突していくその方向性が閉ざされている。つまり、内なる世界と外なる世界の境目がなく、読者がどちらに立つべきか迷う点である。
『だれも知らない――』に比べて、あとの三巻は明らかに発想が転換している。つまり、作者の内なる小さな国の住人であったコロボックルたちが〈人格〉を与えられ、現実世界(社会)と対峙していくのである。いや厳密にいえぱ自我も主体性も小人総体としての願いの中に塗りつぶされているといえるかもしれない。それは、コロボックルたちが味方と認定したセイタカさん(或いはセイタカさんと同質の資格者)が依然として君臨しているためであろう。この三作は物語としては起伏に富み、娯楽性のより強い読み物になっている。特に『星からおちた小さな人』は、コロボックル特製のヘリコプターがモズにおそわれ、人間の男の子につかまってしまった友を小人たちが救出する話であるが、小人たちが一体に非個性的で類型的であるにもかかわらず、小人たちの総体としての特性が事件の展開と密着しており、スリルと迫力に富んだ楽しいものになっている。
それはそれとして、絶対者セイタカさんが現実世界に理想郷を築こうとするコロボックルたちを力強く援助するように見えながら、なお規制し、従属させる関係として残っているところに本質的な問題があると思う。つまり、作品のテーマ(コルボックルたちの願い)がセイタカさんの視点、ひいては人間側の心情的な視点で貫かれているのである。(詳述するまでもなく、コロボックルの学校や科学や倫理といったものは、人間社会の規範のおしつけである。)作者の願いそのものであるセイタカさんが存続する世界である以上、コロボックルたちは《人間》と対峙し、対立することはあり得ない。ここにコロボックルシリーズの安心感と不満が混ぜ合わされている。
ルイスのアスランの国は、アスランを犯す反価値を屹立させ、具体的に描くことによって主題を提示している。セイタカさんの国は、その住人たちは、一体「何を」「どう」乗り越えようとしたのであろうか……。
だが以上の矛盾を叫んだとしても、コロボックルシリーズが根強く持っている読者の熱烈な評価をどう受け止めれぱいいのだろうか。単に日本にファンタジーが少ないからとか、コロボックルに依託される人間の夢のせいとか、結局児童文学はハッピーな人間関係を求められているとかいうだけでは、余りに皮相な解釈であろう。この作品の魅力の諸点は既に述べたが、最後につけ加えるならば、現実が非現実を犯しつづけていく近代文明社会の中で、心情的にせよ、非現実が現実(人間)を救う最後の切り札ではないかという想いを読者に熱っぽく抱かせる点ではなかろうか。

ノートンが小人シリーズの第一作『床下の小人たち』を書いたのは1952年のことである。以後10年ほどの間に第四部まで書きつづけ、いったん完結したかに思われていた。しかし、その後21年の長い年月が経過したのち、1982年に続編第五部の『小人たちの新しい家』を書き上げた。第一部から数えて実に31年の長きにわたっている。
佐藤さとるが小人シリーズの第一作『だれも知らない小さな国』を出版したのは1959年である。当初佐藤は続編の構想をもっていなかったが、「ひきずられるように」(注10)第二部『豆つぶほどの小さいいぬ』(1962)第三部『星からおちた小さな人』(1969)第四部『ふしぎな目をした男の子』(1971)と書きつづけてきた。そして、1983年秋に久方ぶりに第五部『小さな国のつづきの語』を上梓した。第一部から数えると実に四半世紀が経過している。
ノートンの場合は、現実と密接に関わりながら絶えず追いつづけてきたテーマの中で、さりげなくではあるが新しい価値の提示を自らに課した結果と思えるが、佐藤の場合はどうであろうか。第一部は鮮やかな手法で現実を写し取ったが、第二部以降はテーマの切り方に質的な変化が見られるようである。
第五部も第二部以降に属する作品と思えるが、第一部とも密接な関連をもっている。つまり、第一部からの24年の時の経過を作品の世界にそっくりもちこんでいる。
セイタカさんは、大きな町の営業所の主任技師になり、小山から引っ越しをする。おちびさんとの間に二人の子どもが生まれ、おチャメとよばれるお姉さんは大学に進む。おチャメは、小さいころからコロボックルと知りあいで、オハナという公認のコロボックルの連絡係までつけられている。弟のムックリくんも小さいころからコロボックルを何となく知っていた。
物語は、おチャメの高校時代の友人杉岡正子が図書館の児童室につとめるようになり、そこでおチャメの弟のムックリくんやコロボックルのツクシンボと出会うところから始まる。

<わたしは児童文学の読者のサイクル、ということをよく考える。少年少女時代に、ある作品と出会った一読者が、やがて人の親となり、自分の子どもに同じ作品をえらぶことができるようになるまでが一サイクルで、およそ四半世紀、二十五年ぐらいはかかるにちがいない、というものだ。(注11)>

佐藤は、第五部を一サイクルのめぐりに合わせての締めくくりとして位置づけているようである。ともあれ、めまぐるしく変動していく戦後日本の状況の中にあって、小人たちは現実とどう関わってきたのだろうか。

<そんな、価値観のひっくり返るような大動乱を間にはさんでいるくせに、当時の按針塚の周辺は昔と変らないたたずまいを見せていて、私に人心地をつけてくれた。時代は移っても、また人は変っても、変らないものを見つけた喜びは大きく、人の心もそうあってほしい部分があるのではないか、という思いがしきりに去来した。(注12)>

これは『だれも知らない――』を書く動機の一つとして、短編「井戸のある谷間」との関連で、佐藤が述べている文章である。時として人が不変なるもの、無垢なるものを心の中に願うのは自然な感情かもしれない。
しかし、いかなるものも、現実との相克・葛藤を経て存続し、その価値を守りつづけているものであろう。現実を超越しているかに見える佐藤の小人たちの世界は、そこにだけスポットライトを当ててみると、もろくも存在の基盤を失う危険性を抱えている。
1980年代も後半を迎え、ますます多くの作家たちは、子どもを描きながらも実は、非常に厳密でかつ重大な意味で、人生を描いているといえる。佐藤さとるも、その精緻で冷静な目で現実を凝視し、人生を虚構の世界の中に表現することのできる作家の一人であると思われる。
しかし、佐藤もふくめ、児童文学にたずさわる作家たちは、ピーター・カヴニーが指摘した次の言葉を、記憶しておく必要があるだろう。

<18世紀後半から、子どものシンボルのまわりには、さまざまな反応がつみ重なっていたが、とりわけ、人生と自己とのかかわり合いを表現するために子どもに向った作家と、ルイス・キャロルの表現をかりれぱ、「人生の破綻」からこのシンボルに向って退行した作家は、つねに識別することができる。(注13)>


注1 いぬい自身の発言として「私の『木かげの家の小人たち』には、あきらかにノートンの『床下の小人たち』の影響があります」とある。「座談会・日本の作家と世界の児童文学とのかかわり」(出席者・佐藤さとる、古田足日ほか)『日本児童文学』1972年9月号、盛光杜。「(座談会)日本の作家と世界の児重文学とのかかわり」(『日本児童文学』1972年9月号)の中で、佐藤さとるは小学生のとき読んだ本として、『ピーター・パン』『不思議の国のアリス』等をあげている。また「イギリスでも、きっとキリスト教と異教との関係があって、そういうふうな陰湿なものもあるにちがいないけれども、それを作家が非常にじょうずにアレンジしていると推察しているんです。だから、日本でも、それはできるんではないか。」という発言がある。

注2 トーキンは『ファンタジーの世界』(猪熊葉子訳・福音館書店)の中で「妖精物語とはフェアリーや工ルフについての物語ではなく、ひとつの国、あるいは状態をあらわす Faerie についての物語だ」と述べている。

注3 ノートンの小人は、身体が極めて小さいということ以外、なんら非現実的要素(魔力)を持たされていない。しかも彼らは人間に依存しなけれぱ生きていけないにもかかわらず、人間に対して痛烈な不信を抱いている。

注4 ノートン、林容吉訳、「訳者のことぱ」『空をとぶ小人たち』(岩波書店)収録

注5, 6, 12 佐藤さとる「私のコロボックル」『ファンタジーの世界』(講談社)収録

注7 スミス、石井桃子、瀬田貞二、渡辺茂男訳、『児童文学論』(岩波書店)

注8 長崎源之助『現代日本児童文学作家案内』(すばる書房盛光社)収録

注9 拙作「《提》と《シンボル》の意味――『木かげの家の小人たち』をめぐって」(「日本児童文学」1974年10月号)をご参照ください。

注10, 11 佐藤さとる「あとがき」『小さな国のつづきの話』(講談社)

注13 江河徹訳『子どものイメージ――文学における「無垢」の変遷』(紀伊国屋書店)

※ 佐藤さとるの小人シリーズ(コロボックル物語全五巻)はすべて講談社より出されている。
テキストファイル化富田真珠子