『ページのなかの子どもたち・作家論』(松田司郎:著 五柳書院 1984)

3 今江祥智の遊びの世界

 ヒーローへのアンチテーゼ

「龍の子太郎[#「太郎」に傍点]」と「龍の子三太郎[#「三太郎」に傍点]」――なんとも奇妙なとり合わせではないか。
 松谷みよ子の『龍の子太郎』が出版されたのは一九五九年である。これは信州の小泉小太郎の伝説を太い柱にして、いろいろな民話の素材を組み入れ、作者の主張をふくらませて創作した民話風の作品である。
 今江祥智の「龍」が雑誌『高一コース』にのったのは一九六五年である。ここには龍大王の子として気の弱い龍の子三太郎が登場する。これもやはり湖にまつわる龍伝説を下敷きにしているが、そのような湖・龍・農耕・百姓といった民話風世界をおおらかに諷刺したパロディーととれないこともない。この作品を「龍の子太郎」に突き合わせて考えてみると、むしろ「龍の子太郎」的世界(太郎のありようと生きざま)への痛烈なアンチテーゼとも受けとれると思う。
「龍の子太郎」は日本の稲作時代の夜明けを背景にした雄大な物語で、今日までの四半世紀の間広く子どもたちに読みつがれ、もはや古典的な位置を占めている。それは物語が起承転結のはっきりした民話的展開であること、リアリティーが細部にいたるまで確立されていること、母さがしという冒険の旅行の太い流れに、あやの笛の音や山の動物、山や田畑の美しさがたくみに織りこまれていること、文章が簡潔で民話独得の擬声語、擬態語がふんだんに使われリズミカルな語り口になっていること、良質で健康なモラルに支えられていること――などなど分析することができる。
 さて、龍の子太郎[#「太郎」に傍点]はどんな子どもだったか――。
 龍の子太郎はたいへんなのんきぼうずのなまけんぼうで、毎日ばあさんの作ってくれただんごをもって山に登って、歌ばかりうたっている。初めて会ったあや[#「あや」に傍点]の前ではさかだちのままだんごを三十食うといったり、でんぐりがえしを一〇〇ぺんもやる。山のけものが大好きで、どんなけものにもだんごをくれてやる――というふうにごくありふれたのんきなゆかいな男の子で、たいそう心のやさしいこと(これは重要である)がヒーロー(主人公)の設定条件として出される。
 一方、今江祥智が描くところの龍の子三[#「三」に傍点]太郎はどうだろうか――。
 龍大王の子どもの龍の子三[#「三」に傍点]太郎は、山をふたまきするぐらいの大きな龍であるが、気がよわくてからきし意気地がない。人間さまに見られるのが恥ずかしくって、いつも沼の底でじいっととぐろをまいて息をころしているだけ――という小心ものである。
 こうして見ていくと、太郎と三太郎には、一方がのんきで一方が気が弱いというぐらいで、そこらへんにいる《ふつうの子ども像》となんら変わりはない。問題は、その後のストーリーの展開の中で、児童像のありようとして、どう変化(変身)していくかということである。
 龍の子太郎はばあさまから龍になった母のことを聞き、その母が「もし龍の子太郎が強いかしこい子になって、わたしをたずねてきてくれたら……」と最後にいいのこしたことを聞き、長い旅に出る決心をする。同時に友だちのあやが鬼にさらわれたことを知り、急いで旅の支度をして山に登る。ここでのんきで歌ばかりうたっていた太郎が、母とあやのことを思う一途な気持ちから、正義感の強い勇気のある気持ちのしっかりした少年に変質していく。のんきさは小さなことにくよくよしない勇気に、やさしさは正義感の強さへといったぐあいにである。龍の子太郎は長い旅の間に、山ぐにの百姓たちの苦しい生活を自分も土にまみれて働く体験の中から感じとり、もしも土地が豊かであったら、ばあさまがけわしい畑でころぶことも、かあさんがイワナを食べて龍になることもないし、そしてたくさんの貧しい百姓たちが苦しまなくてもすむことを考える。山の動物や大蛇やあやの助けでとうとう目の見えない母の龍に会った龍の子太郎は、自分の考えを母に話す。

「おら、おもった。おら、いままで、くっちゃね、くっちゃねするばかりだったども、やっといま、じぶんがなんのために生きているのかわかった、ってな。
 おかあさん、おねがいだ。このみずうみをおらにくろ。」(中略)
 おかあさんのりゅうは、じっとそのことばをきいていました。このひろびろしたみずうみは、おかあさんのりゅうが生きていくうえに、なくてはならないみずうみでした。(中略)
 しかし、たとえわたしはそのためにどうなっても……。
 わたしはそれでいい、この子のねがいに力をかしてやろう。じぶんのことしかかんがえることができなくてりゅうとなったわたしの、それは、たった一つのつぐないなのだ……。
「龍の子太郎、おまえのきもちはよくわかったよ。おかあさんはきょうはじめて、りゅうとなったことをうれしいとおもった。なぜなら、おかあさんのからだは、どんな鉄よりもかたいのだよ。(中略)」
「じゃあ、おかあさんが、じぶんのからだを山へぶつけて、山をきりくずしてくれるんか……。おら、そこまでかんがえなかった。おら、たったひとりででも、山をきりひらこうとおもっていた。やるとも、おかあさん、やるとも!」

 ここで注意しなければならないのは、龍の子太郎の自己を含めた母やあややばあさまに対する愛情が具体的にきっちりと描かれているために、苛酷な状況に苦しむ百姓たち全部の〈生〉を引っぱりこみ、同じ基盤に立っているということである。もしも、龍の子太郎(ヒーロー)が百姓たちとの絆をもたないまま自分の想いのみでストレートに自己犠牲に走ったとしたら、非常に安っぽいナニワブシ的な美しさ[#「美しさ」に傍点]しか出てこないだろう。その偽の美しさに涙し、酔うことにより自らをなぐさめる人はいるかもしれないが、その昂《たか》ぶりは線香花火のようにすぐに消えてしまうものである。
 この物語は、龍の子太郎と母なる龍が身をなげうって、高い山をこわし、広い豊かな土地ができて、百姓たちを救うことになると同時に、母なる龍ももとの人間の姿にもどり、みんな村にかえって、龍の子太郎とあやは婚礼の式をあげ、万事めでたしめでたしで終わる。

 さて、「龍の子三[#「三」に傍点]太郎」の場合はどうだろうか。
 気の弱い三太郎が、真夜中の人のいないころを見はからって、そっと鼻先だけをつきだし、ひげをふるわせて深呼吸した。ちょうどそのとき、村の釣りてんぐの楢やんが、三太郎のひげをでっかいウナギとまちがえて、船をそろりと近づけた。三太郎は、ひんやりしたつめたい空気が胸の中を快く満たしてくれたためか、気が大きくなってちょいと顔をつきだしてみた。楢やんの目と三太郎の巨大な目がぶつかった。楢やんは腰をぬかしたが、三太郎の方はもっとおどろいて、きゃっとわめいて、とび上った。とび上ったといっても、なにせどでかい龍のことだから、沼の水はあわだちさかまき立ちのぼった。
 さて、それから楢やんの話を聞いた村の連中が、どっとおしよせた。夜も見張りがたち、めずらしい龍のいる沼だといううわさを聞いて、沼見物の人間の数はふえるばかり。沼のまわりには見物衆相手の店さえ建った。三太郎は恥ずかしさのあまり、沼の底でじっと息をころしていたが、苦しくてたまらない。だが、あるときから人間たちがぷっつりと顔を見せなくなった。
 それは日照りがつづいて、沼見物どころではなかったのである。三太郎はずいぶん長いこと様子をうかがったのち、ものすごいいきおいで沼の底からとびだした。沼のまん中から龍巻がおこり、雲をよんで駆ける三太郎の下にひろがる田畑いちめんに大雨をふらせた。百姓たちはおどりあがって喜んだ。それからすぐに、沼のまわりにはシメナワがはりめぐらされ、立札が立てられた。三太郎はまたどっとふえた沼見物の人間たちのために、うっかりためいき一つ、くしゃみ一つすることができなくなり、以前より小さくなっていなければならなかった。
 最後のところは、次のようにしめくくられている。

 しかし、けがの功名とはいえ、龍神さまとたてまつられるのは、まんざらわるい気もちでもない。これなら、十年もして、とっつぁんの龍大王が見まわりにきたとき、ちょっとは申しわけもたとうというものだ。三太郎はそう思うと、ほおを赤らめ、気のよわそうな苦笑いをうかべて、あーんと一つ、小さなあくびをして考えた。(神さまちゅうもんは、たいくつなもんじゃ……)
 三太郎のあくびは、きれいな緑色のあぶくになって、ゆっくりと沼の中をのぼっていった。

 龍の子太郎も龍の子三太郎も、結果的には百姓(万人)を救った。だが、太郎が母なるめくらの龍とともに身を捨てて山にぶつかり、血をふきだしながら、(つまり、自己の生を傷つけ、放棄しながら)百姓たちの幸福に寄与したことにくらべれば、三太郎の方はなんともまのぬけた行動ではないか。「まのぬけた」というのは、もちろん「行動には目的がつきものである」という勤勉マジメ型発想の上に立って考えてのことであるが。
 しかしである。三太郎が百姓を救ったことを〈けがの功名〉とあっさり言い切るところに、私は自己の生よりも自己を越えた万人の生に価値を与える発想に対する痛快なアンチテーゼを感じる。
 三太郎は徹底して自己の『生』に忠実に生きた。自己のささやかな『生』に静かに執着することが三太郎の生きざまであった。自己の行動の一つが百姓(万人)を救ったなどとは知ることも、考えることもない。ここで大切なことは、そうして自己の『生』を静かに見守ることが、結果として万人の幸福につながったということである。これはいってみれば、自己の生に執着すれば自己のことしか考えないわがままものになってしまう――という他者への愛礼讃者への二重の意味のアンチテーゼである。
 三太郎が龍神さまとたてまつられたとき、ほおを赤らめ、気の弱そうな苦笑いをした、その恥じらいとほほえみは、他者(万人)の愛に身を献げるものの勇気と苦悩と同じくらい大切にされなければならない。
 さて、ここで私は慎重に断わっておかなければならないが、この論はなにも「龍の子太郎」と「龍」の作品の比較研究ではない。長編の冒険物語とわずか八枚足らずの掌編小説を比べて、作品研究するのは不自然であろう。ここでは二つの作品の底に流れる作者の発想というものを引き出してみたにすぎない。
 発想の決定的ちがいはヒーロー(主人公)の〈ありよう〉と〈生きざま〉に端的に現われている。龍の子太郎のありようは、のんき(楽天的明るさ)で正義感が強くやさしい。生きざまは百姓たちという万人への愛のために(母やあやを含めた)自己を犠牲にする。一方、龍の子三太郎のありようは気が弱くて恥ずかしがり、つまり自己の生をみせつけ、主張することさえ気がひけるといった性質であり、生きざまは自己のささやかな生を静かに見守り、そうしていく中に自己の安らぎを見出している。

 一九七四年夏、大人向けの短篇小説集として今江祥智の『ぱるちざん』が出された。集録された二十七篇の作品を一読して気付くことは、今江祥智の作品世界の背景に一つの主張が明確な位置をもって迫っているということである。民話風、あるいはまげものといわれる作品は、これまでに童話集『わらいねこ』(一九六四)、童話『きえたとのさま』(一九六二)『ごまめのうた』(一九七一)『ひげのあるおやじたち』(一九六七年より『母の友』に連載)や他の童話集に収められた作品や絵本などなど――といったぐあいに数多くあるが、『ぱるちざん』の作品群は〈子どもの本〉という出版形態をはずして、作家が書きまとめたものである。厳密にいえば、一九六四年から六八年にかけて『ハイカー』『話の特集』『高一コース』『母の友』『きりん』という主として子どもを対象としない雑誌に書きつづけてきたものの総集成である。だが考えてみれば、「阿羅漢長五郎」「鬼」「フクロウ」「石の祭」といった作品が『さよなら子どもの時間』『絵本=鬼』『ちょうちょむすび』『ひげのあるおやじたち』といった子どもの本の分野に組みこまれていっていることを思うと、ぱるちざん的世界と童話世界とは決して異質のものではない。大人と子どもを同一基盤上の同一延長線上で考えるたちの今江祥智にとっては、《人間のありようと生きざま》をおおらかな楽しさというオブラートでくるんで提示するには、むしろぱるちざん的世界の方がのびのびと描けるような気がしないでもない。
 さて、龍の子三太郎のありように類似している者としては「こんにゃく閻魔」の尾花利助という男がいる。六尺を越える体に、ひげ濃く、ぎょろ目、あから顔とたいそう強そうに見えるが、その実気が弱くて優柔不断ときている。とはいえ、この男は龍の子三太郎のように沼の底にもぐることができないから、やむをえず他人の「生」との接触を余儀なくされる。そして、もち前の強そうな容姿と民話風の幸運とが重なり、好きな女と一緒になり、立身出世して筆頭家老にまでなる。だが、この作品が民話の化物退治の出世物語とちがうのは、

 それでもやっぱり、心の決まらんことは昔と同じで、どんにときにも、ああでもあれへん、こうやないやろうかのこんにゃく問答。それでもはた[#「はた」に傍点]から見れば渋い顔で熟慮しておる御家老さま。まあこのこんにゃく閻魔の良いところは、その結果、一度もいくさをおこしたことがなかったことで、それはもういうまでもなく、女とあのこと以外は即決できず、するうち相手がしびれ切らしてやめてしまうからで、いや昔も今も、喧嘩は一人ではできぬもの。

という結末の、「龍の子太郎」的献身美学へのアンチテーゼをやんわり出しているところである。つまり、「いくさをおこさなかった」という万人の幸福に尾花利助という男はなんら主体的につながっていないのである。もってうまれたありようの「気が弱くて優柔不断」というおのれに素直に執着した生きざまが、たまたま万人の幸福に寄与した結果を生んだだけである。
 この自己に与えられた《生》に素直に執着するという生きざまは、今江作品の中に随所に見られる。
『ぱるちざん』の中では、「ああ、褌」の井田天太はごくありふれた目立たない男だが、足がおそろしく速く、手も速く、居合抜きの達人であったから、その二つを生かして合戦で数々の殊勲をあげ、ついでに敵方の将とまちがって殿さまの首まではねてしまったが、井田天太には出世など毛頭なく、おのれの手と足の速さをかみしめるように、ひょうひょうと城を去る。
「掏《す》る男」の加助は七歳の折、目の前のふところから覗いていた財布をくわえてから、すり[#「すり」に傍点]にこりはじめ、二度と同じ手口を使わないというほど工夫をこらしたのはよかったが、好きな女に特技をたずねられて、ついと手を上げたところ、回りにするものもなく、ままよと自分の舌をおさえたら、なんと舌ごとみごとくるんとおのれ自身を袋を返すように裏返してしまった――という男。
「兄弟」の兄貴は頭が石より強いことを母から教えられ、それを利用して強いヤクザになり、「雪女」の雪娘は好きになった若い衆との静かな生活を守ろうとし、「神鳴」のやぶ医者は天からふってきた神鳴に手練のはりをうちこめば、余りの痛さに逃げかえるところをはったとにらめば、神鳴の涙が大雨をふらせ、これで雨乞い師となってかせぐ。「石の祭」の祭金次郎は『ひげのあるおやじたち』のおまつり金次と同一人物だが、ねっからの祭ずきにおのれの《生》をかけ、「浦島の太郎」はえものを一人占めにするために浦島伝説で漁師たちをだます。
――と、まあ、こうみていけば、《生》に対する執着のしかたもいろいろあるが、いずれにしろ、それが全てに優れた英雄でないごくありふれたものたちに与えられた唯一つの権利なのかもしれない。

 主人公のありようの問題は、(1)主人公の位置、(2)主人公の内質(性格づけ・人間性)の二つにしぼることができる。
 私がこの問題をとくに取り上げるのは、(1)にしろ(2)にしろ日本の児童文学は今までの作品において一方に極端に偏していなかったか、という疑問をぬぐいさることができないからである。これは、民話風あるいは歴史小説風作品のことを考えると、大ざっぱにいって(1)〈主人公の位置〉の問題では、支配・被支配の図式にのっかり、支配される側を百姓という総体概念でしめくくり、主人公を百姓の総体かつ分身という位置づけで支配者に対峙させることにより主人公の自己のありようと《生》を束縛してきはしなかったか――(2)〈主人公の内質〉の問題では、常に明確な目的(いかに生きるか)を設定し、それに向かってひたむきな努力を惜しまない主人公を登場させるか、ごくありふれた一般的内質をもった主人公でありながら、目的にそった変質を、たくみに潜在させることにより、主人公のありようと《生》を束縛してきはしなかったか。――という疑問をもたざるをえない。
「龍の子太郎」にそって考えてみると、黒おに支配者や日照りや土地のせまさといった、百姓全体の幸福を縛るものから対立するものの位置に龍の子太郎がおかれているが、龍の子太郎は百姓全体の中でどういう位置関係にあるのかが比較的明快に描かれている。龍の子太郎の内質は、のんきでなまけんぼうで、ばあさんの手伝いもせず、毎日山へいって歌ばかりうたっている、というふうに読者(子ども)と同じ位置に設定されており、あやや山の動物たちに対するやさしさが、やがて「なんのために生きるか」という正義感をつかむプロセスもきちんと描かれている。
 私は人間の内質の変化(あるいは「龍の子太郎」では向上)を否定しようと思わない。変身願望は子どもにとって、最大の魅力であり、夢である。だが、誤解してはならないのは、子どもが共体験して、最大限に魅力を感じることができるのは、変身して日常性の中で不可能なことを実行できると同時に、その変身はいつでも日常性のもとへもどり、子ども(読者)そのものの位置にかえってくることが可能でなければならない。龍の子太郎は勇気と正義感をもち、てんぐから百人力をさずけられ、恐ろしい黒鬼をやっつけ、一日に百里も走る馬を従わせたのであるが、さて、そうして母をみつけ、母なる龍とともに山をくずしていく龍の子太郎には、ばあさんの待っている村で毎日なまけて、ばあさん一人に働かせ、だんごを作らせ、それで山の動物たちをてなずけて楽しく遊んでいた龍の子太郎へもどる可能性が内在している。だからこそ魅力的なのである。
 主人公の一方に優等生的内質(やさしさ・強さ・頭のよさ・勇敢・勤勉・従順などなど)をおいてみると、今江祥智の描く主人公たちはこれらと奇妙に対峙していることに気付く。
「龍」の龍の子三太郎や「こんにゃく閻魔」の尾花利助はいうまでもなく、「兄弟」の、頭は石みたいにかたくてケンカのときは役に立つが、おつむの回りがちょっとにぶい兄貴や、ままごとが好きで女の子に日本舞踊をおしえてもらったりするのんびりもんの弟、「いろはかるた」の大メシ食らいで、食うことだけが生きがいの兄の軍平と弟の平治、「一目千両」ののんびりもんで働きもんの慶次、「鬼」の藤四郎や村人にまんまとだまされるまのぬけた鬼、「神鳴」のやぶ医者兼にせ雨乞い師、「フクロウ」の気が弱いうえにおくびょうもんのりょうし――とこうみていくといるわいるわ……である。
『ぱるちざん』以外でも、たとえば童話集『わらいねこ』の主人公たちも――「とおくへいきたい」のちょうちょばかり追っかけていくわかさま、「小さな花」の、おふろが大好きで、おひめさま用のたいそうな着物よりアサガオの模様のユカタにほれてしまった小さなおひめさま、「さびたナイフ」のなまけんぼうでへまばかりやっているヤクザの三五郎、「星はなんでもしっている」の毎日あきもせずに花を作って回っている五郎太と、毎日馬を走らせ、ぼうっきれをふり回しているおてんばの娘のしの、「黒い花びら」のまるで女の子みたいにほっそりとやさしいのだが、とんぼ[#「とんぼ」に傍点]をきらせれば右に出るものがないという変わった男の子の清十郎――といったぐあいにここでもカタにはまらない主人公をさがすのに苦労はない。
 つまり、今江祥智の描出する主人公たちは、(1)の主人公の位置についていえば、体制側の殿さまや侍や役人や鬼から、反体制側の町人や商人や医者や百姓や坊主や流浪人や役者やヤクザ、といったぐあいに――いいかえれば、支配・被支配のタテ糸の図式だけではとらえられない人間たち、また体制・反体制の大ワクからずり落ち、それぞれのヒエラルキー(階層)の中における人間関係を把握する視点から、同時に殿さまも百姓もヤクザも人間に変わりはないという同質の基盤上に立つ発想から、あらゆる種類の人間の内側に作者が入りこんでいる。だから、『ぱるちざん』にしろ『わらいねこ』にしろ『ひげのある親父たち』にしろ、深沢七郎の『庶民烈伝』になぞらえていうならば、まさに今江祥智の『庶民烈伝』である。

 一九六〇年代は、その意味で、日本の児童文学の枠組みが、大きく変化した時期だといえる。さきに「献身の系譜」と名づけた流れに対して、この時期、「楽しさの系譜」といったものが、はっきり姿をあらわしてくるのである。(注1)

 こう述べたのは上野瞭であり、上野は「楽しさの系譜」に属するものとして、今江祥智の『ちょうちょむすび』(一九六〇)をあげている、この作品を「人間の可能性を『楽しさ』に形を与えるというやり方でひろげている」と評している。
 今江作品がもっている《楽しさ》というものを分析してみると、今江が子どもの本に関わる意味が浮きぼりにされるのではないかと思える。今江作品における《楽しさ・おもしろさ》といったものは、技術的にはリズム感のあるテンポのはやい文体、感覚的(視覚聴覚的)表現のユニークさ、くっきりした簡潔な描写、起承転結の(とくに結の部分の意外な独自性)すっきりしたストーリー展開などがあげられる。そして本質的には《通念》、つまり大人の身勝手な固定観念に対する挑戦があり、その挑戦が大人の気どった仮面をユニークな発想ではいでいくという、快感をともなったさわやかなおもしろさを生みだす。また、その挑戦をとおして、人間の原形としての子どものおおらかな《生》、楽しい遊びの世界を浮きぼりにし、その中で読み手(子ども・大人をふくめて)をぞんぶんに遊ばせることができるのである。大人が仮面をはいで子どもに近づいているのは、たとえば『山のむこうは青い海だった』の井山先生、『海の日曜日』のチョウチョきちがいのおじさん、『わらいねこ』の息子のためにチョウチョをおっかけるとのさま、『おじさんによろしく』の植物学者、『きえたとのさま』のたぬきを追っかける小さなとのさま、『水と光とそしてわたし』の関口博士、『ぼんぼん』の佐脇さん――や他の多くの動物童話の主人公たちに多数描かれている。
 かつて私は、「山中文学の折返点」(児童文学評論7)の中で、「(山中作品は)既存の価値観(通念)に対する反抗であり、徹底した挑戦である。反抗し、挑戦すべき媒体は、山中恒においては、自己を含みこむ多数の他、それによってしくまれた絶対のルールである」と書いたが、今江祥智においては、身勝手な固定観念・価値観をもった大人そのものである。挑戦は、いいかえれば、《人間の原形》としての子どもを放棄した大人を、もう一度子どもと同じ位置にひきもどそうという願いである。今江にとっての理想的人間像(大人像)は、サン・テグジュペリが『星の王子さま』の中で描いた「ゾウをこなしているウワバミの絵を見て、即座に、〈ぼうしがなんでこわいものか〉なんていわない」たち[#「たち」に傍点]の、子どもの心を失っていない大人たちである。今江が子どもの本に関わる意味(願い)がここに凝縮されているように思える。

 この世界で、大人が子どもにかかわるということは、逆に大人が子どもと「遊べる世界」を創造することだ、とわたしは考えます。(中略)ベラ・バラージュが一人の大人として子どもの世界にかかわったのが、一冊のすぐれた少年小説「ほんとうの空色」によっててであったことは、この大人が、自己の裡にまだ柔軟で自由な子どもの世界を保持し続け、それと対話することによって、子どもの遊び場に自分からも参加できた証しのように、わたしには思われます。そうした大人と子どもの間の往復運動が一人の人間の裡で可能であってはじめて、大人と子どもが同時に参加できる遊びの世界が創造できるのではないでしょうか。(注2)

 ここには、今江祥智の子どもの本にかかわる姿勢が浮き彫りにされている。これらの主張がより分りやすい形態をとった作品には、少年文学『ぼんぼん』や『水と光とそしてわたし』があり、おおらかな笑いの中に下敷きにされている作品には童話『きえたとのさま』『きみとぼく』『ごまめのうた』や童話集『わらいねこ』『ぽけっとにいっぱい』『かくれんぼ物語』などなど多数がある。大人の《願い》が、子どもを大人の考える理想像にはめこもうという《強制》にたくみにすりかえられる作品の多い中で、今江は子どもと大人を本来同質なものと考え、大人を糾弾することにより、子ども(人間の原形)に近づこうとしている。いってみれば、今おのれが立っている大人という基盤をおおらかに笑いながら投げ捨てようとしている。今江には子どもの世界に下りていく(教育的発想)とか、上っていく(童心的発想)とかいう考えはない。大人の世界と子どもの世界の接点をとりのぞき、両者の世界を共有することにより、その〈人間の原形としての〉世界を自由な楽しいものとして豊かに広げていこうとしている。
 今江作品の魅力は、こういう大らかな笑いであり、「遊び」の世界である。だからこそ、読み終えたあとに、快い充足感と良質のノスタルジアに似た懐しさを覚えるのである。

 山のむこうには何があったか

『ぼんぼん』は、自ら短距離ランナーと自称し、「わらいねこ」や「ちょうちょむすび」という好短編を生み出してきた今江祥智のはじめての大長編である。昭和十六年春から二二年夏までの間の作者の大阪での戦争体験を自伝風に綴った少年小説でもある。
 ……こうして話しているうちにも、今日、昭和十六年五月二十九日の太陽は、大阪の西の空に沈んでしまいました。やがて気の早い星が姿を……というふうに、物語はプラネタリウムの解説者の声ではじまる。
 主人公は小学四年生の洋で、小さいときからいつも三つ上の兄洋次郎と一緒だった。プラネタリウムに星を見にきて、絶対に動かず変わらぬものと思っていた北極星や北斗七星も何万年もすれば変わると教えられる。物語は“ゼッタイ変わらぬはずのもの”が一つずつくずれていく状況を克明に追っていく。
 二人の父が急死し、心細く思っていた母と兄との三人の暮らしに、昔父に世話になったというヤクザ上りの佐脇さんという老人が同居人になってくれる。何でもよく知っており、よく気のつく佐脇老人は、洋たちをぼんぼんと呼んで、親身になってめんどうを見てくれる。
 やがて戦争がはじまり、日本軍は破竹のいきおいで勝ち進み、洋次郎の部屋のかべにかけられた世界地図の戦果の日の丸の小旗も増えていく。しかし、しだいに敗色がこくなり、アメリカ軍が本土を空襲しはじめる。物語は洋と洋をとりまくなぎさちゃんや、恵津ちゃんという少女たちとの小さな心の触れあいが、酷しい現実の渦の中でもろくも挫折していく姿をたんたんと描いていく、そして、佐脇老人が憲兵につれていかれ、洋たちは苦境に立たされる。大阪大空襲の日、母と兄と洋の三人は炎の中をにげ、焼夷弾がはげしく降ってくる火の海の町で、思いがけず、佐脇老人に再会する。
 次の朝、洋はえらいもん[#「えらいもん」に傍点]を見てしまう。それは米軍機のパイロットの屍体を踏んづけている人々の群れだった。洋は佐脇老人に地獄[#「地獄」に傍点]から救い出され、川崎の伯父の家に一家でやっかいになる。そして、戦争が終わり、母の実家のある橋本へ移り、野菜づくりに精を出すところで物語は幕を閉じる。(注3)
 この作品の魅力といえば、プラネタリュウムでゼッタイに変わらぬ北斗七星でも変わると教えられたことから始まり、さまざまな事件の起伏を経て、最後に戦災に焼け出され、その変わらぬものが変わることを身をもって悟り、それでもなぎさちゃんにもらったガラス玉をとおして星を見る洋の《生》の可能性を描いてしめくくるというふうに、計算されたストーリー構成の卓抜なうまさと、そのタテ糸を縫うように異性への愛の灯をたくみに交差させていくヨコ糸(子どもの存在)のうまさ、さらにタテ糸ヨコ糸にぴったりからまっていく文章表現の適切さ、発見比喩の新鮮さ、思わずふきだすおかしさ、つまりはコトバとしての芸術の妙技――といった要素ではあったが、それとは別に『ぼんぼん』にはこのシニカルなユーモアを通してひょうひょうと生きる上方民衆の哲学が静かに底流しつづけているのである。それは搾取され、弾圧され、飢饉やはやり病いにおそわれても、それでもなおクワをもって土に立つ、かつての百姓たちの愚鈍なまでの「明るさ」と「たくましさ」に通じるものだと思われる。
 しかし、この作品は、子どもの本の分野で一つの新しい道を切り拓いたと同時に、一つの古くて新しい問題を抱えこんでしまった、ともいえるだろう。この作品が日本の児童文学の流れの中でもちえた児童像(子どもの存在)の重み[#「重み」に傍点]と、それにもかかわらずその《存在=生》に接続し、呼応していく面(生[#「生」に傍点]の群れ――大人と子ども――そのぶつかりあい)での、反比例的な不充足感――この両者の関係について簡単に言及してみたい。
 主人公、洋の《存在》の重みは、一つには書き手側の主観(価値観・主張・願い)を完璧なまでに断ち切ったことと、さらに、なぎさちゃんや恵津ちゃんという異性への自然な愛を太い柱として、洋の内側から洋の対処した日常生活の諸現象を丹念に積み重ねていったことによると思う。かつての戦争児童文学の多くは、大人も子どももひっくるめて無辜《むこ》の被害者の立場から「戦争反対!」と熱っぽく叫び続けてきた。そこでは戦後民主主義の温かい[#「温かい」に傍点]ヒューマニズムを通して、戦争の実体が(善良な市民と対峙させることにより)一面的に見事に暴かれ、その痛快さに読み手の私たちはこぞって拍手を送ったものである。だが、その中で描かれた児童像は、いかに行動的で反抗的で懐疑的であっても、それは贖《しょく》罪を背負わされた書き手(大人)の分身でしかなく、おのれの犯し、犯された過ちを償い、もう一度生きなおす[#「生きなおす」に傍点]ための書き手の免罪符にしかすぎなかった。そこには人間のありうべき《生き方》の問題はあっても、子どもの自由な《存在=生》はありえなかったといえる。つまり、子どもを大人の分身、人間の原型として捉えることにより、ありうべき姿、いかに生きるかの問題へストレートに直結し、それが自己[#「自己」に傍点]の自由な《生》への密接な執着をよしとしない日本の求道的献身的な児童文学の流れととけあい、ますます子ども離れの状況を生み出してきたといえる。
『ぼんぼん』には壮烈さも豪快さもない。あるのは、幼ない少年少女たちの胸の中をくぐってきた体温にも似た愛の灯のぬくもりである。小さな愛の余りにも幼稚なもどかしさ故に、(読みながら私は何度も洋! もっと男らしく抱きしめてやらんか! と舌打ちしたほどだが)それを目に見えない所で粉砕していく戦争というものへの、決して一時的な激しさではない、静かで持続していく憎しみが浮き彫りにされてくるのである。
『ぼんぼん』には生き方の提示はないが、紛れもなくその日そのときの子どもが存在している。自己の未成熟な《生》の中を流れつづける体温にも似た愛のぬくもりを、なぎさちゃんや恵津ちゃんという異性とのふれあいの中で育くみ、大切にし、それを洋の関知できないところで少しずつ奪い去ろうとする戦争状況に対して、徹底して自己の《存在=生》を見つめ、執着していく視点から描いている。
 つまり、戦争状況に自己の《生》を前向きにぶっつけ、燃焼させていくのではなく、子どもにとっては戦争と同時に異性や友情や兄弟や親子や食べることや遊ぶことやけんかやふざけあいやささいな悲しみ――といった日常性を所有していること、まさにその特質において戦争にも[#「にも」に傍点]かかわっているということができるだろう。
 全編を通して兄の洋二郎にくらべ弟の洋がさめた目で見ているのは興味ぶかい。山本元帥の死のときには大相撲のことを考え、「姿三四郎」の映画では冷たい池に湯気が上っていたといい、子ネコが迷いこんできたときは已さん[#「已さん」に傍点](蛇)の身がわりかと考える。そしてトージョーハンという名前をつけたそのネコが群れのリーダーとなりながら、まっ黒けに焼かれて全滅したときには、「トージョーはんがまちがわんかったら、助かったかもしれんなあ。」と戦争の罪悪をシニカルなユーモアで追求するぐらい洋はさめているのである。
 しかし、あの十五年戦争が侵略戦争であったという実体を見せられてしまった大人にとっては、こうした児童像の克明な描写の積み重ねと、主人公の戦争への落ちついた対応ぶりには、歯ぎしりといらだちを覚えるのも事実だろう。そして、それがさらに万事において一見スーパーマン的な佐脇老人に現実(戦争状況)との衝突をやんわり受けとめさせていることに対する強い不満となってくると思える。
 けれども、佐脇老人はこの作品になくてはならない存在である。彼は決して現実離れした超人ではなく、ある時期の子どもが強い願望をもって憧憬する魅力をもった大人として、描かれている。ストーリー展開の核となり、物語を起伏にとんだ面白いものにしている。このような人物の存在は、洋とともに、かつての日本の児童文学の流れの中では珍らしかったものである。
 ただし、佐脇老人が洋と洋をとりまく現実(戦争状況)との衝突の緩衝地帯に位置づけられている傾向があるのは否めない。このことと合わせて、私が読後のいく分かの不充足感として感じたのは、洋の《存在=生》に接続し、呼応していく面での弱さであり、それはひいては佐脇老人と洋の関係から、本質的には書き手(今江)の“大人像・子ども像”のとらえ方に起因していると思える。
 今江作品の底に流れるものは、大人と子どもを同位置に立たせようとする姿勢であり、それは優しさや誠実さを伴った大人の使命感[#「使命感」に傍点]のように感じられる。今江は、「大人と子どもの間の往復運動が一人の人間の裡で可能であってはじめて、大人と子どもが同時に参加できる遊びの世界が創造できる」(注4)と述べているが、ここには、身勝手な固定観念や価値観で武装することにより《人間の原形》としての子どもを放棄した大人を、武装解除させてもう一度子どもと同じ位置に引きもどそうという願いがある。だが、この願いは本当に子どもにとって誠実さや優しさになりうるのだろうか。私は、一個の人間の内的世界でももちろん、また現実にも子どもと大人が同質の世界を共有する部分をもっていることを否定しないが、同時に互いに対立すべき異質なはるかに広い世界をもっていると思う。これは優しさや願いではどうにもならない部分である。佐脇老人が文句なくおもしろいユニークな存在性をもっていても、同時に洋が子どもである特質をもってズシンと存在していても、この両者(洋と佐脇老人に代表される大人や子どもの生[#「生」に傍点])がどちらも書き手の分身(=人間の原形)であり、同質で同位置な世界を共有している以上、互いの《生》と《生》との対立、ぶつかりあいは閉ざされていはしないだろうか。
 さて、前述した古くて新しい問題とは、いいかえれば「大人にとって子どもとはどういう存在か」という命題でもあるといえる。
 子どもが成長する過程で、母なる存在や父なる存在をのりこえていくのは、いつの時代にもくり返される歴史である。子どもは大人をのりこえて成長するが、自らが大人として意識しはじめたとき、新しい子どもの出現によって、自らの存在を問われるというのはきびしい事実である。大人の優しさは、子どもをふところに抱きかかえるのではなく、自らを踏み台の一つとして子どもの可能性に席をゆずるということではなかろうか。
 もちろんこういった関係は、一個の人間の内面においても、常にくり返されるものであろう。人間は、内なる子どもによって、常に古く疲れ切った自らの生を変革させられる可能性(希望)を所有しているといってもよい。
 欲をいえば、『ぼんぼん』には、こういった子ども対大人の酷しい対決の一端をのぞけるものがほしかった。しかしながら、今江祥智が『ぼんぼん』で描出した子どもの《生》の自立、《存在》のリアリティ(重み)が、その一つの出発点になることはまちがいない。
『ぼんぼん』は、今江祥智のかつての作品群(少年文学・童話・絵本等)とは明らかに異なっている。『ぼんぼん』の前身としては『山のむこうは青い海だった』(昭35)、『あのこ』(昭41)、『あいつとぼくら』(昭44)等をあげることができる。
『山のむこうは――』は笑顔を見せてはいけない非常時(戦争時代)へのアンチテーゼとして描かれた「笑いと生きる喜びがいっぱい」あふれた少年文学であり、『あのこ』は終戦直後の疎開地での少年と少女との瞬時の愛の通過を詩のように美しく唄い上げた作品であり、「あいつとぼくら」は戦争体験をファンタジー風に幼児に伝えようとして描かれた童話である。だが『ぼんぼん』がこれらの作品と異なる点は、一つには語りかける対象が明確になったということである。いわば作家のギリギリの使命感といえよう。それは今江氏の愛娘(執筆当時小学四年生)の冬子ちゃんへであり、冬子ちゃんにつながる年齢不詳の少年少女たちへである。

 だとすれば、いまはまだ読みこなせない冬子だとしてもかまうことはない。とうさんが男の子だったころの生きざまの一節は、まずはこんなぐあいだった……と、いずれは分かってもらうためにも、黙ってこの一冊を渡しておけばよい、と思い直したことでもありました。
 ――『ぼんぼん』あとがき

『あのこ』があくまでも己れの問題であったとすれば、『ぼんぼん』はもはや己れだけの問題ではなかった。
 異なる点の二つめは敢えて“山のむこう”を見せた[#「見せた」に傍点]ということである。この二つの点を結びつけるとき、私には書き手の誠実さが強烈に浮かび上ってくる。その誠実さは、作品の最後まで〈静かな気魄〉を底流させ続けた原動力にもつながっている。
『山のむこうは青い海だった』の最後は次のコトバで終わっている。

――山のむこうには、きっと青い大きな海があるんだ。海は希望みたいにひろい。海を見て深呼吸するとどんな疲れもきえちまう。海へ行くには、山をのぼり、山をこえてどんどん行くんだ。ほら、あの山のむこうにも海があるんだ。

 今江作品における青[#「青」に傍点]と海[#「海」に傍点]は夢・希望・幸福・平和等を表わす代名詞である。さて、『山のむこう――』では、「山のむこうには青い海がある」といい、例えば《ちょうちょむすび》所収の「きりの村」では、「たしかにそこは青あおとした、はてしない海がずうっとむこうまでひろがっていた」と書いてきた今江祥智が、『ぼんぼん』では次のように書かねばならなかったのは何故か。

――とうさんって、うそつき。
恵津ちゃんがおかしそうに言った。
――山のむこうは青い海や、なんて言うてはったけど――ほら、見わたすかぎり、草っ原とはたけや。波のしぶきのかわりに、ほら、白いチョウチョがとんではるだけや……。

 新聞記者である恵津ちゃんのおとうさんが兵隊にとられ、クリスチャンゆえに二度と帰れない南の○○島へもっていかれてまもなく、おかあさんのもとへ戦死通報が舞い込んだ。「体の中がスカンポのようにすきすきに軽くなった」かあさんが、「お山へのぼってみいひんか」と恵津ちゃんを誘う。かあさんは、ずっと以前とうさんの腕の中に抱かれて京の街を見下ろしていたあのときのことを思い出していたのだ。恵津ちゃんは、とうさんに山のむこうは広い青い海やといわれ、うそ[#「うそ」に傍点]だと分っていたが、半ば信じることによって、自分の幼い灯をともしていた。だが、うそ[#「うそ」に傍点]は真実として今幼い恵津ちゃんの前にあらわれた。一家の守りであった大好きなとうさんが、この世の人でなくなったという事実が知らされた直後であるだけに、恵津ちゃんには二重の意味のショックであった。敢えて酷しい現実を恵津ちゃん(=幼い子どもたち)に直面させたのは何故なのか。それは「――とうさんって、うそつき。恵津ちゃんがおかしそう[#「おかしそう」に傍点]に言った」というコトバに凝縮されているように思える。
 現実はどうあがこうと避けては通れない。だが現実という怪物と真正面からがっぷり四つに組んでも、潰《つぶ》される方は目に見えている。

 わたしとその仲間は、大阪では空爆の下を逃げまわるだけ、紀州では銃撃の下をころげ走った――という具合で、ひたすら受身でサンザンな目にあいました。その際、ふりまわせるものといえば、せいぜい火叩きくらいしかなかったわたしたちは、空を仰いできっ[#「きっ」に傍点]となっても〈アホカイナ〉というわけでした。 (注5)

「おかしそうに言った」には作者の(子どもへの)願いがこめられている。どんなに苛酷な現実が相手でも、〈アホカイナ〉と肩スカシをくわせて笑っていられる無限のバイタリティーを提示しているのだ。この人生処方|箋《せん》でもある腰の座った静かなバイタリティーはシニカルなユーモアへとつながる。このユーモアは作品を静かな気魄でしめくくり、今江流のうじうじしない明るい笑いがかえって執拗な生[#「生」に傍点]への執着を感じさせて成功している。
 洋二郎や洋、なぎさちゃんや恵津ちゃん。これら少年少女たちを温かく見守り、神出鬼没、怪人二十面相ばりに活躍する佐脇老人――こういった人物の存在とシニカルなユーモアタッチが巧みに混合され、文句なくおもしろい読物になっている。「児童読物における第一の条件は〈おもしろい〉ことである」(注6)と言い切ったのは、山中恒だが、この佐脇さん以外にも、『山のむこうは――』の井山先生、『海の日曜日』のチョウチョきちがいのおじさん、『おじいさんによろしく』の植物学者……とどこかオカシクテ、それでいてアッタカイ脇役が登場し、見事に成功している。『ぼんぼん』の佐脇さんなどは、じいさんというより、幼くして父を失くした作者のおとうさん像ではないかとかんぐってみたりしたくもなる。
 とにかく、いつのまにか魔法にでもかけられたように笑わされっぱなしのまま読み終えさせられた。シニカルなユーモアはそれなりに作品と同化し、日本の児童文学に余り見られないユニークな読物となっている。『ぼんぼん』はもとより、一九六〇年に出版された『山のむこうは青い海だった』が、今なおもっている底ぬけの明るさとおもしろさを改めて再評価しなければならないと痛切に思える今日この頃だ。

注1 上野瞭「第二次世界大戦後の日本児童文学の思潮」講座=日本児童文学第5巻、『現代日本児童文学史』(明治書院)収録。
注2、4、5 今江祥智『子どもの国からの挨拶』(晶文社)
注3 続編として『兄貴』(一九七六)『おれたちのおふくろ』(一九八一)が同じく理論社より出版されている。一九八三年六月に(1)大阪大空襲を生き抜いた少年の日の愛の物語(2)空襲をくぐりぬけ疎開した兄弟の「ひと夏の経験」(3)人生の愛を裏切り、生の光と死の暗闇を見すえた母への挽歌の三部作として、大長編シリーズ(子供版)とは別に新しく「文芸版」で出版された。
注6 『子どもの本のねがい』(毎日新聞社)
※ 今江祥智の全作品は『今江祥智全集全二十二巻』(理論社)に収録されている。なお『ひげのあるおやじたち』(福音館書店)は一九七一年絶版になっている。
テキストファイル化小林繁雄