『ページのなかの子どもたち・作家論』(松田司郎:著 五柳書院 1984)

川村たかしのリアリズム


 「生きているっていうことは大変なことだろう。冬がきてよ、あの雪ん中で人も馬もスズメもうっかりするとこごえ死ぬかもしんねえよな。ここじゃ冬をこすだけがたいへんさ。ところが、その人間があれほどの原生林をほとんど畑にかえちまった。まよいこんできた人間たちがどかっと根をおろして住みついたろ。死んだり生まれたり、出会ったりわかれたりしながら、昼でもくらかった森をとっぱらってしまった。魔法つかいじゃないのかえ人間ってのは」(第三巻)

「新十津川物語」第三巻で、夜の川辺に立って前田恭之助があやに語るコトバである。あやは十一歳。津田フキと中崎豊太郎の間に生まれた娘である。
 前田恭之助は、第一巻で、月杉村の樺戸監獄の赤服を着せられた囚人として登場する。九歳のフキが兄照吉とともの開拓地に割当てられた空知太(滝川)の西に広がる原生林をめざす途中初めで出会う。フキは囚人に教えられたとおり、熱のあるゆきのかわりに梅ぼしと熱い茶をすする。二度目は、石狩川を渡っていよいよ目的地を前にして樹海の湿地帯を難渋して歩いているとき、フキを助けておぶってやる。模範囚として刑期を終えて出所した恭之助は、剣の達人としての腕を見込まれて、古着屋の番頭や遊郭の用心棒となる。そして、兄に逃げられたフキが菊次一家の家を出され、滝川で薬屋をやっている冷酷な叔父の家に預けられてからも、フキを励まし、助ける。フキが屯田兵の杉村少尉の申し出に迷っているとき、ほのかに恋心を抱く幼な馴染みの豊太郎との仲をとりもち、嫁がせる。石狩川が決壊し、家が流されたときいち早く駆けつけ、放心したフキのために生まれて間もないあやにかゆを食べさせる。その後も、夫豊太郎の出征中や、戦争で痛めつけられた体がもとで永眠したのちなど、フキの困っているときに現われ、土に生きるフキを励まし、助け、原生林を拓く。
 フキには、あやを頭に、庄作、辰太郎と子供が生まれる。恭之助は日増しに大きくなるあやに、かつてのフキの面影(それは同時に理由(わけ)あって自ら刃を向けた恭之助の娘フジにもつながる)を見る。あやに向けられた冒頭に引用したコトバは、いわばフキに呼びかけるコトバでもある。恭之助が何故フキに魅かれているかということを独白している部分であり、「新十津川物語」を貫く人間の生きる意味を問うコトバでもある。
 つづけて恭之助はいう。

「たまげるよなあ。こいつはしんぼうするってことなんだ。種をまいてじいっと取り入れをまっているうちに、お天道さんはちゃんとほしいものをくれる。そのしんぼうするってことを、おれは九つだったフウちゃんにおそわったもんだ。(略)」「おれはきょうだけをあてにして生きてきたんだなあ。フウちゃんに出会うまではさ。ところがフウちゃんはあしたをあてに生きているっていうだろうが、おどろいたぜ。」(略)「それほどこの子はふしあわせで、つらい毎日だったのかと思うと、おれなんざぜいたくだと思った。(略)」「しんぼうってのは運命とむきあうことなのさ。にげるんじゃないやね。じいっとにらみかえすことなんだぞ。」(第三巻)

 恭之助はフキの中に魔法つかいとしての「人間」を見ている。
「新十津川物語」は現在(昭和五六年十月)第一巻『北へ行く旅人たち』、第二巻『広野の旅人たち』、第三巻『石狩に立つ虹』、第四巻『北風にゆれる村』まで刊行されている。(注1)完成すれば十巻をゆうに超えるというこのドラマは、奈良県十津川村で大水害にあって故郷を離れ、北海道開拓の先駆者となった人々ととの子孫を描こうとするものである。物語は九歳の津田フキを中心に始められ、やがてその娘あや、そしてあやの娘、その娘の娘というふうに発展し、明治、大正を経て、昭和の現在までつながっていく構想だと聞く。
 第四巻まで読み通してみて、そのスケールの大きさ、波乱に富んだ筋運び、細部にまで目配りした働く人々の迫真性、資料に裏付けされた確かな手ごたえ、刈り込まれた文体の快いひびき……と、思わず知らず引き込まれていく力強さを持っているのに気付く。しかし、なんといってもこの大河小説をささえているのはフキという魅力的な人物を描出しえたことであり、フキと対峙させる恭之助というユニークな人物を設定したことではなかろうか。
 フキとは一体どういう人物なのだろうか。



 第一巻では、九歳で父母を失い。姉たつのと別れて、兄と唯二人移民団に加わって北海道へ旅立つフキの子供時代が描かれている。フキは、二つ上の遠い縁つづきの豊太郎と兄と妹のようにして育った。フキは村の子供たちに「あの二人はええ仲や」とからかわれ、「すきか」と面白半分に問われても、豊太郎のようにうつむかず、「すきや」とひるむことなく答える。自分の気持ちに正直なことは少しも臆することがない。
 若い嫁がつわりになったとき、急に元気のなくなったその夫の平作を大人たちが「相つわりじゃ」とひやかすと、フキも一緒になってはやす。うれしいことはわが身のように感じるのだ。人殺しや火つけをした極悪人だといわれている赤服の囚人を目の前にしても、自分の目と心を通して接する。直間のようなもので一度相手を信じれば、少しも恐いとは思わない。囚人にぬかるみをおぶわれて運ばれるときにも、男の服に自分の着物のすその泥がつくことに気を配る。
 唯一人の兄に捨てられ、養ってもらった菊次一家から追われても、一度悲しみをのみこんでしまうと、(そのうちきっとええことがある)と自分に言いきかせ、すぐに気持ちを切りかえる。冷酷なおじの家に女中として勤めに出発する日でも、菊次の家の屋根にスズメがきたといってはしゃぐ。
 無邪気で自分に素直で、信じればゆずらない強さをもち、少しのことにでも喜びを見つけ、真心をあらわす人間に対して思いやりを示す……こうかけば、人間の、とりわけ子供に顕著だとされる〈善い部分〉を代表している。しかし、ふきがこういった一般像の土台にあるものをさりげなく表出するのは、むしろ第二巻後半以降からだといえる。
 第二巻では、唯一人切りで自立していくフキの様子が描かれていく。十七歳で結婚し、子供を生み、土に生きる女の生きざまが描かれていく。
 三楽堂というおじの営む薬屋で、おじやおばや嫁にこき使われ、辛くあたられる。「なんやね、そんな顔して。ははん、いまに見とれ、兄ちゃが金持ってむかえにくるわとでも思うてんのか」と一番触れて欲しくない兄を引きあいに出されていじめられても、悲しみに一区切りつけてしまうと、「兄ちゃん、死んでしもうた。ほんじゃすかむかえにきてくれへんね。」とくったくのない顔でいいかえすゆとりがある。はずむような目でみつめ返されると、嫁は逆におびえてしまう。フキには、兄という身寄りがともかく生きていることが、そしてとりわけ自分が生きて在ることが、何よりも幸わせに思えてくるのだろう。
 三楽堂を追い出されるときも、留守の嫁が帰ってきたとき台所の様子が分かればいいがと気をもむ。悲しみに追い立てられてきただけに、人の悲しみがよく分かるのだ。菊次の妻おしなが急死して墓参りにいくとき、地吹雪に閉じ込められる。しびれて眠くなる意識の底で、フキは風にともなく雪にともなく腹を立てる。なんや、なにすんの。おれをだれやと思とんの、十津川郷士の娘やで。フキは負けずに雪の中をこいでいき、のちに結婚を申し込まれる杉村少尉に助けられる。恐ろしいほどの生に対する執着心である。
 少尉の郷里山形のことばを「ションニョカスってなんやしらんと、わかりませんでした」と笑い、若い少尉を吹き出させる。フキのからだの底には生命の炎が燃えているのであろう。少尉に結婚を申し込まれたとき、フキは「すきや」と思いながら、「戦争があったら一番に死ぬやろ。死ぬ人はもう、いやというほど見てきたさけ」いやだと断る。
 豊太郎のもとに嫁いできて、田畑の仕事に精を出し、菊水号という馬を働かせようとして首をふられたとき、フキは馬に向かってたんかを切る。おれはかんしゃくもちで気がみじかいんやから、嫁さんや思うてあほうにしたら、ひどいよ。「てちますわよ(ビンタをみまうわよ)」にはさすがの菊水号もびっくりした。そして、しぶしぶ歩き出した。フキには、突き上げてくる温かいユーモアと、馬でも人でも従わせる誠実さがあるのであろう。
 第一巻、第二巻を通してみていくと、そこには津田フキという人物像がくっきりと浮かび上がってくる。自分に素直な故に意地をはり、些細なことにも感動し、楽しみと笑いにかえてしまう。自分と同質の悲しみを味わっている人に対して思いやりを示し、窮地に入れば入るほど腰をすえて開きなおり、従順と思えるほど与えられた運命を甘受する。
 しかし、このような陰影は、一般的に誰しもが多かれ少なかれ持っている要素にすぎないと思える。津田フキは、いわば人間の肯定的な部分に光を当てられているともいえよう。児童文学は、その描写方法は異なるとしても、どちらかといえばこういった《造形》を主人公に託してきたように思われる。一面的に描けばうすっぺらな優等生になるし、作者の思いを性急に背負わせれば、質の低い文学になり下がる。
 川村たかしが描出した津田フキは、平板でもなく、操り人形のような使命感もない。それは、何故フキがそのように生きているかという、人間の拠って立つ基盤が作品の中に伏流させられているからであろう。そしてフキという人間がその魅力をズシンと読み手に伝えるのは、第二巻後半から、つまり自分の足で酷しい大地に立ち、土とかかわり、戦うあたりからである。フキがフキであり、なおかつフキをこえて普遍的な人間にまで高められていると感じるのは、自然と人間との対峙のさせ方にあるのでなかろうか。
 

 
 フキはだだっこのようにねころんで空を見あげていた。ふしぎな光景だった。そびえ立つタモの巨木がはるかに高くのびている。雪をのせた木はしんとして、その上を雲が流れていた。木はまるで空のふかさをはかるものさしのように見えた。/雪の原っぱに、何十年何百年と立ちつづけてきた巨木に、彼女はふいに感動していた。吹雪の冬は葉をおとしてただじっとたえている。そのかわり夏にはもえつきようとでもするかのように、くろぐろと葉をしげらせる。がまんすることの力づよさが、すっくとのびたはだかの大木に満ちていた。ふしぎに美しい光景だった。それにくらべればじぶんはなんと小さいのだろう。(第二巻)

 屯田兵村で世話になった正直の馬ソリにゆられて、豊太郎のもとへ嫁ぐ日、ソリごと雪の中に投げ出されたフキが思わず空を仰いで巨木に見とれる場面である。フキは、空を截る巨木を単に風景として眺めているのではない。生きているもの、内に生命の炎を燃やしつづけている存在として見ている。自然の絶えまないめぐり、その秘めた忍耐づよさ、風雪に洗われて大きく育つたくましさ――その中に生きとしいける人間の限りない前進を見ている。それは、次から次へと押しよせる過酷な運命にもまれ、逃げ出そうと思いながらも、胸の内から湧き上ってくる生命の炎のままに受け入れ、歩み出す人間として初めて味わうことのできる自然に対する畏敬の念であろう。
 フキは働く。土を切り、くずし、混ぜ、耕す。種をまき、草を取り、こやしを入れ、水を引き、ひたすら自然の造形に手を貸す。開拓民の暮らしは自然と格闘の毎日だ。季節のめぐりは人間を待ってはくれない。春から夏にかけては、とくに田畑の仕事は戦争のような忙しさだ。うかうかしているとまきつけの時期を失う。遅れまいとして「フキもまた馬になった」。しかし、馬は休ませても人間は休めなかった。追いつくためには休む時間をけずるしかなかった。家に帰れば、食べること、着ることから、馬や馬屋のそうじとつづき、やっと座りこんでも手仕事は山ほどある。女にとって座ってする仕事がいわば休息だった。
 フキの記録したまきつけの日のノートを本文から抜粋すると、
 4/29〜5/10――エンドウ、ゴボウ、ネギ、タマネギ、大根、カンラン、ナス苗立て
 5/1〜5/13――麦、アワ、ヒエ、キビ、亜麻
 5/7〜5/15――キューリ、カボチャ、スイカ
 5/13〜6/7――小豆、大豆、トウモロコシ、ササゲ、馬鈴薯
 このほかに、5月下旬までに稲のもみおろしがある。米作りは、豊太郎が元気なときに、「こんなところで作れるわけはない」といわれながら、苦闘のすえにものにしたものだ。平均気温が低く、土地もやせ、水利も不便なところで、フキもまた苦闘を強いられているのである。
 五月がふかまるにつれて、人も馬もつかれはてた。なにしろ五町歩(約五ヘクタール)の土地をたがやし、うねをつくり、まきつけていかねばならない。ほお骨はとがり目が大きくなり、気が立っていた。ちょっとしたことでも声が高くなった。(第三巻)
 
 まだ馬の顔も見えない夜明けまえ、恭之助とフキのふたりは畑へ出る。それから長い一日がはじまる。くわにもたれて腰をのばすときだけが休みだった。土びんの水は立ったまま飲んだ。女でも小用は馬のかげにしゃがんだ。家へかえるのは飯をかきこむときだけだ。かぎられた時間の中でまきつけをおわらなければならなかった。日がくれて家へかえる。いちどへたりこむと、しばらくはうごけないほどふしぶしがいたかった。(第四巻)
 
 フキの働き手の頼りは年老いた恭之助だ。子供たちだって戦力になる。フキは、あやと庄作をどなりつけて田畑へ追いやる。子供が憎いのではない。自然との闘いに打ち負かされたくないから出ある。フキと同じように子供たちにもまた逃げ出してほしくないからである。フキは決して投げ出さない。いや投げ出すことができないのである。
 移民団の中からも、屯田兵になったり、漁師やリンゴづくりや商いに望みをかけて、離村していくものが後を立たない。フキは彼らを止めようとする。それは、土地に対する執着ではない。開拓地は先祖伝来の土地ではないし、フキが生まれて育った所でもない。フキをひきとめているのは、一言でいえば自然に対するいつくしみのようなものではなかろうか。
 自然は、時には余りにも冷酷である。そのことは、第一巻の冒頭の故郷十津川村での「千本のほそびき」という大洪水に象徴されている。そのために、父母や兄弟、息子や娘が縁者を失い、村を追われて人々ははるばる北海道の原生林にまで移住してきたのだ。
 しかし、自然はなお容赦しない。フキが土とともに自立をめざしてからも、石狩川の氾らんで家や田畑を流され、山火事に追われ、冷夏に苦しみ、大霜に作物をふみたおされ、激しい寒さに閉じ込められ、夜盗虫やウンカやドロット虫の異常発生で作物を全滅させられる。自然は気粉れに荒れるようだが、しかしやがてその傷をいやし、季節のめぐりが山野をみどりに芽吹かせ、そして黄金いろの実を育ませる。フキが自然の中に見出したものは、じっと耐え抜いて土と交わればきっといつかは恵みを与えてくれるという、自然のもっている摂理にちがいない。自然に対していとおしさや美しさを感受するようになったのは、自然の偉大な意志にふれたからにちがいない。
 
「宇宙意志といふやうなものがあってあらゆる生物をほんたうの幸福にもたらしたいと考へてゐるものかそれとも世界が偶然盲目的なものかといふ所謂信仰と科学とのいづれによって行くべきかといふ場合私はどうしても前者だといふのです」(注2)と手紙の断片に記したのは宮沢賢治であるが、このコトバは賢治が土とともに生きる決意を支えている重要な部分でもある。
 フキは、自然と対峙する中で、徐々に自然の偉大な意志を理解していく。
 
 青くすんだ秋の空を、雪のこながキラキラとながれおちる日があった。空の高いところにある桜の花びらがちるように、雪はときには赤く、ときには金や銀にかがやいて風の中にとけた。人々は風の花とよんだ。自然はときおり美しいいたずらをする。むごたらしいほどの寒さがくるまえに、風の花は天がおくってくるささやかな贈りものだ。(第二巻)
 
「新十津川物語」は第四巻以降(四巻にその兆しは見られるが)フキの娘あやにスポットが当てられ、人間たちの果てしない人生の旅路を展開させていくだろう。しかし、四巻までの主役はなんといってもフキであり、フキが少しずつ着実に大地に根をおろして自立をはかる物語といえる。自然の中にいとおしさや美しさ、偉大さを感受したフキは、おのれの中に何か強いものが腰をすえてくるのに気付いたにちがいない。
 夜盗虫のために作物が全滅したとき、豊太郎は、「おれはもうあかんわ」と弱音を吐く。しかしフキは、すぎたことはしかたないと割り切る。「お父さん、来年があるやんか。こんどこそはやいうちにひねりつぶしたらええがの」とけろりという。洪水で家を流されても、「この土の上で生きていくしかしやないもんな。うらぎられてもうらぎられても、土を信じるしかないやんか。にげていくところみたいなないやんか」と耐えぬく。
 フキを苦しめるのは自然だけではない。兄照吉の堕落、豊太郎の出征、無事帰宅後は病魔に犯され、その看病に追われる。ようやくフキと一緒に田畑に出られるようになると、知人のすすめでさっさと町の役所へ勤めに出る。貴重な働き手をとられても、フキは「おれはもう百姓や、百姓はくよくよせんの。ひとりでいくら気ばっても、まわりにある空も土も大きすぎるさけの」とどっしりと構えている。困ったときにふらりとやってきて、フキを助ける恭之助に向かって、「おじさん、山や川はとっけもなくこわいけど、すがりついてさえいたら人間を生かしてくれる。ふしぎやの」という。恭之助は、不幸がふりかかるたびに大地に根をはってぐんぐんとふとくなっていくフキを見て、「フウ公、おまえさんにはかなわねえや」とつぶやく。まさに「魔法つかいじゃないのかえ、人間ってのは」という驚きである。
 すでに述べてきたわけであるが、フキは無邪気で涙もろく、少々意地っぱりで、機知とユーモアに富み、うれしいことには手放しで喜び、窮地に追いこまれると開きなおり、自分と同質の悲しみを人の中に見ると誠実な思いやりを示す――そういう性格をもった人物として、巧みに造形されている。そのたたずまい、表情、声音、口調、くせ、動作などが具体的に効果的に描かれている。
 このようなフキのフキらしさがなお深く読み手の胸にひびくのは、フキの底にある図太い《楽天性》のためではなかろうか。逃げずにじっとがまんしていれば、きっと「ええこと」があるという自然という明日へのいつくしみと信仰心ではなかろうか。それは希望的観測では決してなく、自然と交わり、闘い、一体化し、そのいとおしさと畏敬の中から生み出された確かなてごたえではなかろうか。
 

 
 フキの楽天性は、土によって生きるものの誠実なたくましさである。農耕民族としての日本人の中に脈々と流れつづけてきたであろう《生》への野太い執着である。
 
 なんだかあたりが明るくなったような気がして、ふと顔をあげたフキは思わずあっといった。/「おじさん、あれを見て」空に巨大な虹がかかっていた。/虹は砂川の下流からりゅうりゅうと立ちあがり、北のほうにある滝川のあたりまでまたいでいる。虹の周辺にはまばゆい七色の粉でもあふれるように、それはあざやかだった。「ほほう。」/恭之助もあんぐりと口をあけた。/「こいつは豪儀だ。こんなのはじめてだなあ。」(第三巻)
 
 第三巻でフキと恭之助が田に立って空に浮かぶ虹を見上げる場面である。虹はどこから見上げようとも、人間をロマンチックな気分にひたらせてくれるが、通り雨と同じように一時の感傷としか映らないとしたら、それはその人の生き方と深く関連しているのではなかろうか。
 
 孝二はとうもろこしのうね間からのぞいた。/東の方、葛城川の堤向こう、ちょうど畝傍山から耳成山にかけて、虹は悠然弧をえがく。/「ほんまに、ふしぎなもんやな。」ぬいは溜息をついた。/自然の壮麗さは、人間のどんなほめ言葉も受けつけないのだ。
 
 住井すゑの『橋のない川』(注3)第一部よりの引用である。自然と闘い、自然を受け入れ、自然にもまれつづけてのちに抱く自然への畏敬に似た思慕の念である。
『橋のない川』のぬいとふでを引きあいに出したのは、この作品ほど見事に働く農民の意味と姿を描出したものはないと思うからである。差別という人間の避けられない問題を、土によって立つ生活を基盤にして浮き彫りにした意義は大きい。苦しみや悲しみは消えることなくあとを追ってやってくる。雪、風、雨、日照り、冷害、害虫鳥獣、といった天災から、人間が人間を恥ずかしめ、犯しつづける猜疑心、同時に自己の内に巣づく不条理――しかし、生きつづけることに何らかの意味があるとすれば、それは「逃げないこと」に確信と希望を持つことではなかろうか。
 夫進吉を日露戦争で失い、誠太郎と孝二という息子たちをかばい、叱り、育て、養うふで。ふでを助けて泥にまみれて働く姑のぬい――物語は淡々とした筆運びでふでとぬいの日々の暮らしを追っていく。
 暗いうちから起き出し、土を起こし、砕き、まぜ合わせる。麦が終わると刈りあとに水をはり、馬耙かきで馬も人もどろだらけになる。稲つくりの仕事は、片時も目がはなせない。草取り、水ひき、虫祈祷、畑にも肥料を入れ、うねよせ、まきつけ、植えつけと追われる。稲つくりが一段落すれば、取入れ、脱穀、よりわけ、俵入れ。やっと一区切りついても、農閑期にはわらを打ち、しんをぬき、麻裏ぞうりの表を編んだり、もっこをこしらえたりする。これだけではない。衣食住すべてに目配りを怠ることはできない。
『橋のない川』が暗い重いテーマであるにもかかわらず、生きていくしたたかな生命を感受し、さわやかな読後感を抱かせるのは、土に生きる人間の暮らしを丹念にかき込むことにより、そこに人間の生きる意味を浮き彫りにしたからではないだろうか。
『新十津川物語』は明治二十二年から現在までをその構想に含み込んでいる大河小説である。そのために、ぬいやふでを追っていくほど細かさはないが、大地に立つものを描く視点としては同質のものを感じさせる。児童文学とは何かという命題は一言で解決できないが、大ざっぱにいってその本質の一つに、一方が人間そのものにわけ入ることを主とし、他方が人間の行動やドラマの展開にそっての生の意味(感動)を浮きぼりにすることを主にするという違いがあるのではなかろうか。
『新十津川物語』は小説といってもよいと思うが、自己(フキ)と人生との関わりの中に作者の温かいまなざしが入りこんでいる。このことは、この作品を文学として酷しく追求していくとき、いささかの欠点になっていることは否めないと思える。その拠って立つところは、前田恭之助という男のフキへの関連のさせ方ではなかろうか。
 

 
 恭之助という人物は、十分魅力的に描かれている。男のもつ淋しさ、大きさ、あったかさ、悲しさ、誠実さ、強さがつくりものでない重さをもって読み手にひびいてくる。
 第三巻後半で種明かしされるその生いたち――昔、彰義隊にいて逃げたときかくまってくれた娘と結婚して子供もできたが、官軍の一人に妻を乱暴されたため、衝動的に男と妻をきり殺す。その刃は力あまって娘の胸までめりこむ。江戸の桃井道場で腕をみがいたセキレイ剣の達人の刀だからむりもなかった。暗い過去をもつ恭之助は、傷つき悲しさをズシンと胸に秘めたものとして、主人公フキの存在と本質的に対峙することができる。
 第一巻で恭之助がはるばる十津川から移住する途中のフキに魅かれたのは、自分の娘フジに面影が似ていたからだという。きっかけはともかく、恭之助は荒波にもまれながらも着実に自立していくフキの歩みに目を奪われ、やがてフキを通して生きていく意味を理解しようとする。
 しかし、恭之助はフキに寄りそうことがあっても、フキになろうとはしない。恭之助とフキは、互いに異質な部分をもち、そのことを認めあっている。フキが大地に根づこうとするのに対して、恭之助は一つところにじっと構えようとはしない。監獄を出てからの恭之助は、古着屋の番頭、遊郭の用心棒、フキの兄照吉との砂金堀り……と転々とねぐらをかえる。
 フキが万物をはぐくむ大地(太母)という防御的生産的な女性の象徴であるのに対して、恭之助や豊太郎や照吉らは、狩りに出かけていくという攻撃的非生産的な男性の象徴として描かれている。フキの夫豊太郎は出征し、帰宅後病気が回復すると役所へ出かけていく。フキの兄照吉は、家を捨て、村を捨て、逃亡者として流浪する。男たちは、いつも旅をしている。
 恭之助がフキを理解し、寄りそっていくのは、フキの中に自分にはない女性(母性)の魅力を感じるからであろう。しかし、この作品では恭之助にもう一つの役割りが与えられている。それは、フキを見守り、力になることであり、そのことによってドラマを展開させていくことである。つまり、フキへの関わり方である。
 第二巻以降のフキが大地に立ち、自立をはかっていくあたりから、恭之助は男性としての象徴を離れて、父性としてのやさしさを押し出していく。フキをより深く理解し、フキに寄りそい、次々と押しよせる不幸から立ち直る力を与えている。その力はもともとフキの中に存在するものであり、恭之助の行動の一つ一つにはそれなりの説得力があり、割り当てられた役割からはみ出すことのないよう配慮されている。あくまでも「出面」的な手助けであり、フキが立ち直れることを確信すれば、いつのまにか姿を消す。
 しかしながら、そのことが物語の展開のキーポイントになっている以上、フキの存在の身を寄せる読み手は恭之助から目を離したくなくなる。つまり、恭之助のあたたかさ、力強さに心の内から感嘆し、フキのために役立つようにと手を合わせて願いたくなる。
 事実、第二巻後半から第四巻にかけては、打ち倒され、もがき苦しむフキに涙する読み手が、声をそろえて呼びたいと思うときに恭之助は現れてくる。その現れ方に不自然さはひとつも感じられないし、むしろ不自然でもいいから駆けつけて欲しいと読み手に思わせるところに、この作品の小説でありながら同時に児童文学でもあるという特異な魅力があると思える。
 しかしながら、小説であれ児童文学であれ文学として欲深く眺めるならば、児童を読み手とする作品の本質的な要素の一つである〈物語の起伏〉は、あくまでも自然と人間の関わりあいの中に見出した方が、より一層テーマが深められるのではなかろうか。
 フキは着実に生きている。深まりと広さをもった人間として大地に立っている。不幸が押し寄せれば押し寄せるほど、たくましく大きく美しくなっていく。もし、恭之助とフキをつなぐことに文学としての意味を見出すのなら、守護神としてではなく、女性(自然=大地)と対峙する男性(自然=神)として互いに欠けているものを時には補い、また求めあい、同時に憎しみあうという、人間の問題にまで高める必要があるのではなかろうか。恭之助はもっとフキを突き放してもいいのではなかろうか。突き放すことによって、フキが自らの手と頭でさらにひと回り大きな人間になることを考えてもいいのではなかろうか。
 誤解を避けるために付加すれば、フキと同じく、いやそれ以上に恭之助という人物は生きている。読み手がそのイメージを自己のうちに強烈に描くことができる。しかし、フキと恭之助のつながりは、一方が他方の論理の中で力を与える形で提示されている。人間の中には自己と対をなす「影」という存在や、異性としてのアニマやアニムスといった対極をなすものを内包している、といったのは心理学者のユング(注4)であるが、人間の全体性という問題として捉えるならば、フキと恭之助は互いに所有し得ないものによって触れ合うべきであろう。アニマとアニムスという対極をなす要素として補いあい、そのことにより自己の中にある混沌としたものを調和させ、人間性を増大させること。それが一個の人間にとって生きる窮極の意味ではなかろうか。
 フキと同じ立場に立ち、ともに同じ方法(自然との調和)で押しよせる苦難に立ちむかい、フキを助け、そのことによりプロットを展開するのではなく、ヒロインのフキに今ある自己を乗りこえ、さらに大きく自然と人間との意味を捉えさせるために立ちはだかる「巨木」として象徴すべきではなかろうか。「気はやさしくて力持ち」の造形の中に、もう一つ「荒々しく破壊的な」男性(自然=神)の象徴を今以上になお強く加えるべきではなかろうか。開拓民として暮らしを一つにする夫の豊太郎には、その役割を十分に背負わせることは不可能と思えるが、天涯孤独の恭之助には可能ではなかろうか。恭之助に、豊太郎にかわる夫の役割や、亡くなった荘一郎にかわる父の役割を演じさせるのは、その特異な魅力からいって余りにも惜しい気がしてならない。
 

 しかし、フキの中にある人間性を徹底して追及するならば、その表現方法としては児童文学からはるかに遠のいていくのは自然であろう。フキの中にある人間としての女である部分と、恭之助の中にある男である部分との葛藤、癒着は、子供の視点だけでは捉えられるものではない。
 フキと恭之助の関わり方は、この作品の文学としての深化をいく分弱める原因になっていると思う。フキを通して、人間の普遍的な問題をなお深く貫こうとするときには、それが障害の一つになっていると言えよう。もちろん、見方を変えて、物語の起伏として眺めれば、相当に効果的な計算がなされている。つまり、フキというヒロインの生きていく姿、そのドラマを十二分に楽しむことができる。
 それはそうだとしても、もし苦境に陥ったヒロインを助けたいという読み手の一つの願望に答えていく方向で展開するならば、児童文学としてもその文学性は薄められるのではなかろうか。起伏ある事件のつみ重ねの楽しさは、それが結果として主人公の人間性をそれだけ深め広げたかが具体的に伝わって初めて言えるのではなかろうか。プロットとテーマは深く結びついているのである。
 冒頭に掲げた恭之助があやに語る引用部分も、その示唆する意味の深さは理解できるが、文学としてはストレートなコトバにしてほしくない部である。『橋のない川』でふでやぬいを徹底してその微細な、愚鈍とも思える行動を通して描出していった視点の意味するところを今一度考え直してみる必要があるのではなかろうか。ぬいやふでを土に執着する女(自然=大地)としてめんめんとつづることにより、大地をいつくしみ、同時に大地を犯す人間(自然=神)の不条理性を浮き彫りにした意味を捉え直す必要があるのではなかろうか。
 フキと恭之助が余りにも魅力的であり、かつ存在感をズシンと抱かせる人物であるが故に、一層このあたりのことが気がかりでならない。しかし、勝手な憶測が許されるとしての話だが、恭之助がフキを突き放せなかったのは、それは前田恭之助がもう一人の川村たかし(フキを見守る作者の目)であったからであろうか。作者(大人)が自らの分身ともいえる主人公(子供たち)に温かい目配りをしたくなるのは自然な情である。しかし、案外このあたりに、窮極ハッピーな人間関係を願う《児童文学》が落ち入りやすい魅力的なわながあるのではなかろうか。さしたる重要な役割を演じないままに姿を消すフキの兄照吉に、フキや恭之助以上のいとおしさを感じるのは、内に秘めた"悪"や"弱さ"や"影"のにおいのせいだろうか。人間の真実の一面を他の誰よりも垣間見せているためだろうか。
 ともあれ、「新十津川物語」四巻を通して読み直してみて、前回以上にずしんとした読みごたえを感じさせられたのは事実である。戦後すでに四〇年近くを経過したが、戦後児童文学の歩みの中で大きな足跡の一つになるのはまちがいないと思われる。未完の長編であるだけに、第五巻以降にどのような人物が登場してくるか、待ち遠しいものである。

注1 「新十津川物語」(偕成社)はその後第五巻『夜明けのピンネシリ』(一九八三)が出されている。
注2 「書簡」『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)収録
注3 住井すゑ、『橋のない川』(全四巻)新潮社
注4 小川捷之訳、『分析心理学』みすず書房
テキストファイル化高橋明美