『ページのなかの子どもたち・作家論』(松田司郎:著 五柳書院 1984)

イギリスの作家たち

1ネズビットのリアリズム

 ブライアン・ドイルが著した子どもの本の「作家事典」(注1)をのぞいてみると、ネズビットの項には三ページもの分量を割いている。
 ネズビットは、十五歳のときに詩を書いて原稿料をもらってから、一九二四年に六十五年の生涯を閉じるまでに、およそ百冊もの本を書いたといわれている。そのうち十八冊が子ども向けの本である。
 主として経済的な理由から、半ば強制的に筆をとったといわれているが、ネズビットが子ども向けの本を書くことになったきっかけは興味ぶかい。
 一八九六年にネズビットは『少女自身』(注2)という雑誌に、学校時代の思い出のようなものを連載するよう依頼された。しかし、ネズビットにとって、学校時代を思い出すことには強い抵抗があったらしい。何故なら、父の死や貧困や姉メアリーの病気のため、イギリスをはなれ、転々と住居を変えなければならず、異国での学校生活はいじめられたり、仲間はずれにされたりで、決して楽しいものではなかったそうである。(ネズビットの作品に学校生活の場面がまったく出てこないのはこのためといわれている)
 しかし、生活のために敢えて筆をとらねばならなかったネズビットは、苦痛な行為を通して、それまで気付かなかった新鮮な発見を得ることになった。それは、四十年近く経た現在もネズビットの中に<子ども時代>というものが生き生きと流れつづけていたということだった。
 それは、ネズビットにとっては、自身の中に隠されていた“宝物”であった。そのことを、クラウチはユニークな英国児童文学史(注3)の中で、ネズビットの「埋蔵物」(treasuretrove)と呼んだ。
 この自分の中に*埋蔵*されていた<子ども>との再会をきっかけにして、ネズビットは次々と児童文学作品を書くようになる。もちろん生活のためでもあったが、大人むけの小説や物語詩を書くときとはちがい、今度は半ば<自分の中の子ども>にうながされて筆をとったのである。ネズビットの子ども時代、少女時代は学校生活をのぞけば、楽しい面も多く、とくに南イングランドのケント州にあるハルステッドという村での数年は、静かな自然の中で兄弟たちと思いっ切りかけずり回った幸わせな時期であったらしく、ここは『若草の祈り』(原題「鉄道の子どもたち」)という作品の舞台として登場する。
 ラヴィニア・ラスは、ネズビットの創作のモチーフを次のように指摘した。「おとなのために書いたのでも、子どものために書いたのでもなく、自分自身のために書いた。しかし、それはおとなである自分のためにではなく、いつくしみをもって思い出した自分の中の子どもをたのしませ、よろこばせるために書いた。」(注4)
 ネズビットは、少女時代の楽しい面を再現して、もう一度少女時代を生きなおす行為に熱中していたともいえる。だから、作品にはネズビットの子ども時代、少女時代の体験が下敷きにされ、『砂の妖精』などのファンタジックな作品でも必ずリアルな日常生活が基盤になっているのである。もちろん、ネズビット自身の子どもたちとダブルイメージさせているところもあるが、それはかつてのネズビットの母の姿に自分を置きかえているためであろう。
 
 さて、『少女自身』という雑誌に、自分の学校時代について十二回の連載を終えたネズビットは、子ども時代のエピソードをふくらましたりして、他の雑誌にも寄稿するようになった。それらを一つの物語にまとめたのが、ネズビットの最初の児童文学作品、『宝さがしの子どもたち』である。ネズビット四十歳のときで、一八九九年のことである。
 この作品は、今日読みかえしてみると、いくつかの不満が残るが、当時としては画期的な新しいものであった。それは、主として手法的な問題といえるかもしれない。つまり、表現の問題として、<子ども読者の視点>を貫こうと意図し、ある程度成功したことである。
 
 ようやく、作戦が決まりました。アリスは木の上にとどまって、なにかおきたら「人殺し!」と大声で叫ぶことになりました。そして、ディッキーとわたしがとなりの庭におりて、かわりばんこに中をのぞこうというわけです。
 わたしたちはできるだけしずかに木をおりました。しかし、木はひるまよりずっと大きな音をたてます。なんどとまっては、もうみんなみつかってしまったのではないか、と不安におびえたことでしょう。けれども、なにごともおこりませんでした。
 赤い植木ばちがいくつも窓の下につみかさねてありました。そして、とても大きいのがひとつ、窓のでっぱりにのっていました。それがそんなところにのっていたのは、まるで天の助けのようでした。しかも、はちの中のゼラニュームは枯れていました。それに足をのせていけない理由はまったくありません─オズワルドはそうしました。オズワルドは年上でしたから、先に登ったのです。しかし、ディッキーは、自分が先にようすをさぐることを思いついたのだから、オズワルドに先をこされまいと、引きとめにかかりましたが、なにしろここで声を出すことはできなかったので、ついにオズワルドに先をこされてしまいました。(注5)
 
 ネズビットの文章を読んでいて気付くのは、子どもが読むということをきっちりと押さえていることである。基本文型にのっとり、簡潔で具体的である。子どもの目の高さを考え、同時に子どもの心理に沿って、ストーリーが展開している。子どもの本は子どもに読ませるものという考えを廃し、子どもが興味をもって読めるように工夫されている。
 『宝さがしの子どもたち』が、世紀末の一八九九年に出されたことを思うと、この<子ども読者の視点>の確保は大変大きな意味をもっていると思われる。
 イギリスの児童文学の歴史を眺めてみると、*子ども*の発見と確認、喪失と再会のくり返しといっても過言ではないような気がする。ピーター・カヴニーは「子どもは今、成長と発展のシンボルであるかと思えば、次にはもう、自己回帰への退行と自己憐憫のシンボルとなっている」(注6)となげいている。
 十九世紀後半には、シャーロット・ヤングを中心に、家庭小説の伝統が築かれたと思われるが(注7)、それは中産階級の子どもたちが、乳母や家庭教師つきの《子ども部屋》によって隔離されていった現実と無縁ではないだろう。
 *隔離*は、空想の縮小化という現象と同時に、子どもの生活や子どもの存在そのものに目を向ける「子ども像の発見」につながっていく。
 
 最初に宝さがしのことを考えついたのは、オズワルドでした。オズワルドはしばしば、とても興味あることを考えつきます。(中略)
 「いいかい、ぼくらはぜひとも宝さがしに行くべきなんだ。だれだって、自分の家の財産がなくなったら、宝さがしで財産をとりもどそうとするもんだぜ」
 
 バスバブル・ブックス(注8)の第一冊目として書かれた『宝さがしの子どもたち』は、事業に失敗して一夜で無一文になった父のために、母のないバスタブル家の六人の兄弟姉妹が知恵をだしあって宝さがし(金をつくること)をする物語である。長女でみんなのことに気をくばるドラ、公平で寛大で一見むこうみずな長男オズワルド、きちょうめんな二男ディッキー、感受性が鋭く病気がちで詩人の三男ノエル(ネズビットの少女時代の分身か?)、男まさりで勇気と正義感にあつい二女アリス、無邪気で茶目っ気のある末っ子H・O─この六人が、それぞれの性格にあった<宝さがし案>を提出し、どんな幼稚なアイディアであってもみんなで団結し、協力しあってその試みを実行に移すのである。
 庭に隠された宝を掘ったり、となりに強盗が入ったと勘ちがいして探偵になったり、詩を書いて出版しようとしたり、その他、お姫さまや山賊や編集者をめざしたりするが、うまくいったためしがない。あるとき、インドからおじさんという人がくるが、およそ金に縁のなさそうな貧しい人である。しかし、子どもたちは温かく接する。子どもたちの心に感激したおじさんは、実は大金持ちであることを白状し、一家の窮状を救ってくれるのである。
 
 見よ、貧しいインデアンが遠い国から
 宝さがしの子どもたちのところへやってくる。
 わたしたちは、宝をさがして見つけた。
 こよなき宝、りっぱな、やさしいおじさんを。
 
 これは、最後に詩人のノエルが作った詩である。宝さがしは成功したのである。
 ネズビットが『宝さがしの子どもたち』で示した手法は、子どもの本がその後大きな発展を見せるリアリズムという手法であった。これは、子どもの目の高さと心理にもとづき、ものごとを具体的客観的に表現し、ストーリーの展開も子どもの願望に沿って進めるという、いわばリアリズム本来の表現方法といえる。
 
 わたしたちはおとうさんのために、まず*ぶんちん*─ガラス製の、まるいパンのようなかっこうで、底にルイシャム教会の写真がはっているもの─、それから吸取紙
、砂糖づけのくだものひと箱、ぞうげに似たペン軸─先端の小さい穴から軸の中をのぞくと、グリニッジ公園の景色が見えるもの─を買いました。

 こういった描写方法は、たとえばデフォーの『ロビンソン・クルーソー』ですでに実証された、*もの*に対する観察法であり、それはやがてランサムの「ランサム・サガ」(注9)に受けつがれる手法でもある。
 このような観察眼は、*もの*に対してだけでなく、子どもたちを取りまく大人社会へも向けられる。父さんが破産して貧しくなったことも、「家の中にあるものはほとんど黒か灰色だった」「おとうさんは、近ごろ、わたしたちが新しいものをほしがるといやな顔をします」と子どもの視点で捉えられ、家に入ってきたどろぼうを調べるときも「くつのかかとがすこしへっていて、シャツのそで口がすこしすり切れていて」ポケットの中には何と何があったかなど、子どもの好奇的探求的な目でつらぬかれている。
 また、子どもたちの行動や考えも、具体的かつ明快に示されている。
 子どもたちが考えついたアイディアは、その年代の子どもが考えつくリアリティをもっている。だから、試みが事件に発展し、予想どおり失敗に終わっても、少しも作りごとという気はしない。
 それから、この作品には、もう一つの興味深い試みがなされている。ネズビットは、物語の冒頭で「この物語を書いているのは、この六人のうちのひとりです─が、だれであるかはかくしておきましょう。物語の最後までかくしておくつもりですが、読みながら、あててみてもいいですよ」と読者に一つのなぞを与えている。
 この試みは、話し手が子どもの一人であることを読者に伝えることにより、二つの効果をあげている。一つは、話し手が子どもであることにより、作者が自然に「子どもの視点」に立つことができることである。もう一つは、読み手に仲間意識を与え、物語の中に入ることを容易にしている。
 さて、ネズビットは、この作品で日常性の中にも冒険のおもしろさがあることを示し、子どもの空想、着想にリアリティをもたせ、子ども相互のふれあいにからむおかしさ、楽しさを描き出した。そして、子どもにとって興味深い経済問題を冒険の土台において、子ども読者の関心に呼応し、読みごたえのある世界を描出した。
 ネズビットの魅力は、リアリズム系列の作品はもちろん、『砂の妖精』に代表されるファンタジー系列の作品も、きちんと、子どもの日常生活が描かれていることである。
 しかしながら、これらの魅力を十分認めた上で、今日読みかえしてみると、いくつかのあきらかな不満が残る。
 それは、ストーリーの起伏のとぼしさ、安易な結末、子どもの内面への視点の欠如、中産階級的な閉鎖性、作者が顔を出すことなどである。
 ストーリーへの不満の主な理由は、リアルな子ども像を捉えようとした点で一歩前進したとはいえ、同時代に出た『小公子』(一八八六、バーネット、アメリカ)や『家なき子』(一八七八、マロ、フランス)や『ハイジ』(一八八〇、スピリ、スイス)等のように、物語として子ども読者を強烈に引きつける要素が希薄であったことはいなめない。つまり、子どもの視点追求が子ども*読者*の目にまで徹底されなかったことであり、ことばをかえていえば、子ども像の把握や子どもの視点追求の問題と、子どもの本のストーリーづくりの問題がまだスムーズに結びついていなかったといえる。
 物語は子ども読者にとってほどよいスピードで展開せねばならず、その展開には@新鮮な発見(新しい経験)A舞台(距離)の変化B主人公の変化成長といった要素が必要であろう。子ども読者にとって<物語>はまずおもしろくなければならないという観点に立てば、『若草の祈り』(原題『鉄道の子どもたち』)に比べて、『宝さがしの子どもたち』は、全体、ややストーリーとして単調であるようだ。
 子どもにとっての物語のおもしろさとは一体なんだろう。L・H・スミス女史は<作者の考えの質、かれの築く構成の確実さ、かれのこどばの表現力>の三つをあげている。(注10)いちがいに、子ども像の捉え方、子どもの視点の正確さといっても、それらは先に述べた三つの要素と深く関連性をもってきてはじめて、児童文学作品として成立するのである。
 そして、逆に読者の目から捉えるならば、このような三要素が意識的に留意されて書き上げられ、活字に組まれ、造本された一冊の本は<素材>にすぎない。つまり、子ども読者は提供された本(素材)を自分の体験と個性ある想像力によって、自分なりに一つの<作品=物語>につくりあげるのである。
 作家が原稿に作品を書き上げる作用を、仮に第一次的創造と呼ぶなら、読者のこの「読みながら創る」作用を第二次的創造、あるいは受動的創造(注11)と呼ぶことができるだろう。大人の読者と子どもの読者のちがいは、子ども読者は経験がとぼしい反面、想像力や空想力がしなやかであるが、同時にその想像力、空想力は彼らの日常性に非常に卑近な具体物をよりどころとしなければならないということだろう。
 ネズビットの作品をこの問題に照らし合わせてみると、子どもたちの身近にある*もの*や*事件*によっていかに巧みに物語を展開させていっているかがよく分る。
 『砂の妖精』や『宝さがしの子どもたち』や『よい子連盟』や『若草の祈り』の中にある日常性は、あくまでもリアルであり、*妖精*に願いごとを申しつけたり、宝(お金)をさがす工夫をしあり、とらわれの身の父さんを一日も早く帰れるように考えたり─という目的にむかって、子どもらしい発想と行動が*具体的*に描出されている。妖精のサミアドは、神秘的で超自然的な魔人ではなく、子どもたちの発想の枠を破らず、子どもたちにとっては身近で手の届きそうな存在なのである。
 子どもたちの考えつくことのできる魔力をもった妖精は、換言すれば、子どもの空想につれて、いかようにも広がる*願い*の代弁者というふうに考えられる。日常性にリアルに密着している子どもたちが、ありうること、起こりうることとして思い描くために、この妖精は前述した第二次的創造、あるいは受動的創造をうながす格好の存在であるということができるのではなかろうか。
 子どもの本を評価する場合、本(素材)がどれだけ子ども読者の第二次的創造をうながすものであるかが最も重要な要素であることはまちがいないが、それは素材が子どもの視点で完璧なまでに貫かれていたり、登場人物の子ども像があくまでもリアルであることだけでは決してない。一つはその子どもの視点や子ども像によって描かれた世界、あるいはその構成者が、子ども読者にとって新鮮な発見(体験)を与えるものであること、もう一つはそれらが作品の中でどれだけ*生かされている*か、<物語>になっているかである。
 子どもはストーリー展開の少ない単調な物語をきらう。登場する子どもたちが、自分たちと同じ考え、同じぐらいの行動しかしない物語をきらう。子どもは、常に一歩以上先に進みたいのである。
 この意味でネズビットの作品をみていくと、子どもをとりまく日常性を子どもの視点で描出し、ストーリー展開は必ず子どもらしい考えと行動によっていることが分る。ネズビットの描く子どもたちのいる世界は、常に何かしでかしたくてうずうずする<予感>にあふれている。子ども読者は読者なりに与えられた世界の中で、せいいっぱい動き回りたくなる。
 これは、ネズビットが彼女自身の中にいる生き生きした分身である<子ども>の遊び仲間として、登場する子ども達を捉えているためであり、読者もまた仲間の一人として容易に入っていける世界であるためである。
 だが、ネズビットがこの仲間意識を温かく見守れば見守るほど、ランサムの「休暇物語」(注12)が抱えているように読者の<個>の問題がいつのまにか<集団>の中に埋没してしまい、鮮烈な個人体験を味わう可能性を閉ざしているといえるかもしれない。ネズビットの作品にやや不満が残るとすれば、子どもの<個>がもう一段階上の<集団>(社会)へぶつかっていくことにより生まれる<成長体験>が希薄であることと、物語性が弱い、つまり一編の作品として読み通すとき、スピーディな展開や、クライマックス、大きな流れ、思わぬ結末といった面が少ないことだといえるだろう。
 また、構成上としては、やはり子どもらしい冒険のエピソードを並列したストーリー展開の単調さに加えて、冒険のしめくくり(結び)にいささか不満が残る。子どもたちが失敗をくり返しながらも、*主体的*に努力をつづけてきたその独創的な試みが、愛情深く、しかも大金持ちの大人の出現によってケリをつけられたのは残念だ。酷しい現実の中で子どもたちが<大金>を本当に得ることは、理解ある大人の助けなくして成立しないことは十分うなずけるが、この結末が冒険物語を色あせたものにしているような気がしてならない。
 ありそうもないおとぎばなし的(?)次元での唐突な解決方法を、大人である父さんや、大人に近づきつつある長女ドラや長男オズワルドが、どういうふうに受けとめたか、ついつい問いただしてみたくなるのは、このあたりに起因があるからだろう。
 今一つは、ネズビットの思想とも深く関連するのだが、子どもたちの新鮮な着想が、大人社会の現実の壁にぶつかっていくとき、それをもう一歩深く関わらせることをせず、愛情と理解にあふれた大人を巧みに登場させ、ユーモアたっぷりに押しもどしてしまう傾向が感じられることである。これは、ネズビットの母親としての愛情であると同時に、進歩的で自由主義的な女性といわれても、それが十九世紀後半の革新性であったことなのだろう。
 この問題に少しこだわるなら─バスタブル家の子どもたちは、それぞれの年齢によって、*<社会>*に対する理解と判断の程度はまちまちであるが、年齢の低い子どもたちが発案した冒険の内容に、年齢の高い子どもたちが、適切なアドバイスを精一杯やっているとは思えない。極端にいえば、ドラやオズワルドは、半分さめた目で小さな子どもたちの提案の幼稚さと結末の挫折を予測しながら、その年齢に応じた最大の助力と努力をしていると思えない。つまり、民主的に各個人が選んだ試みに一丸となって子ども*らしく*ふるまうが、その集団からはみでたり、勇気ある(あるいは向こうみずな)反抗をすることによりさらに大きな集団である大人社会の*常識*に子ども論理で体当たりしていく方向性と反抗のエネルギーがうすい。(これはアーサー・ランサムとまったく同じ問題点ではあるが、ランサムの日常性はつくられた冒険の舞台、つまりはじめから意識して社会から隔離したのに比べ、ネズビットの日常性は大人社会と同居している世界である。)これは前述したように、大人であり親であるネズビット女史が、自分自身の内にいる永遠の子ども像から大きくはみだすスリルを意識的に避けたためだと思われる。
 六人の子ども像について、神宮輝夫の「こうしたごたごたの中でのひとりひとりが実に個性的に描写される」(注13)との評もある。しかしなるほどバスタブル家の子どもたちの*性格*わけは出ていても子どもたちの*集団*としての捉え方、ストーリー展開の単調さ、独白記録調の文章の冗漫さと長々しさも手伝って、読者に各キャラクターのちがいのおもしろさはあまり伝わっていない。むしろ、冒険にでかける子ども集団という最大公約数的な考え方や行動として受けとってしまうところがある。
 性格と個性とは深い関連性があるが、本質的には区別しなければならない。性格は表面的な行動に表れることが多いが、個性はうちに秘められた彼自身の思想・考えである。この思想や考えは、万事順調にいっているときは余り表に出ず、自分を捨てても何かにぶつかっていったり、自分を武器にして何かと衝突し、闘争するときなどに見えてくる性質のものである。このような行動が、子どもたちを未知の発見に向かわせ、少しずつ成長させる糧になるのである。
 『宝さがし─』が経済的困窮に対する子どもたちの切実な願いであるにもかかわらず、くり返し行われる試みが、大人社会の一般的論理で安易に挫折し、その悲哀をユーモアや笑いでもって処理しているため、個々の子どもに内在する成長のエネルギーが、それらの矛盾にぶつかっていく機会を周到に削りとってしまったといってもいいかもしれない。主要な部分を占めて登場する大人たちも、大部分は子どもにとって理想的な人間像であるため、社会的諸矛盾に目を開き、自分を成長させていく力を都合よく吸収するクッションになっている。
 
 これらの問題を含めて、『若草の祈り』は、『宝さがし─』よりも優れている。父をとられ、*とりかえす*までの子どもたちの日常生活といってしまえば簡単だが、物語の発端から、いきなり父を失うという精神的事件に、田舎に引越すという距離の移動が巧みにからまり、これらの悲しい状況が主人公たちと同じように子ども読者をも包み込む。そして、長女のボビーを中心に父のこと、父のいない母のこと、その生活のこと等が「父さん、はやく帰ってきて」の願いが深まるにつれて、次々と出来事を生んで、最後の父が釈放されて帰ってくるところまで高められていく。
 児童文学には不可欠な*物語性*はいうまでもなく、子どもたちの個性が物語に溶け込んでいて、それぞれの年齢に応じた考えがリアルな行動力となって現れている。その考えのもとは、突然父を奪い、母を悲しみの底に突きおとした大人社会の論理─貧富や差別や戦争や共同体のエゴや国境などの社会問題─に対する不信感・諸矛盾であり、それが与えられた状況の中で子ども読者にもよく伝わってくる。だから、子どもたちは長女のボビーことロバータ、長男ピーター、二女フィリスになり切って読むことができるのである。とくにボビーには、もの心つき、思春期を迎えた少女の繊細な心の動き、感受性が随所にあらわれている。具体的なことばや行動で外面の世界にぶつかり、同時に大人であり、女性である母親の内面にも鋭くえぐり込んでいくところに、成長する少女の個性がよく描かれている。これは『宝さがし─』の長女ドラには、あまりなかった要素である。
 しかし、子どもたちが名付けたグリーン・ドラゴンという列車にのっている「老紳士」が、父さんの帰宅に一役買うという結末のさせ方は、『宝さがしの子どもたち』のインドのおじさんの役割と同じく、うまく出来すぎていて、なじめない。
 
 『宝さがしの子どもたち』のもう一つの関連した問題は、六人の子どもには、集団としてのエゴイズムがあり、このエゴは外に対して閉鎖的であり、中産階級的プライドのようなものを感じてしまうことである。具体的な例としては、隣家のアルバートに対して積極的な*仲間*意識や*反抗*意識もなく、また逆隣りの姉妹に対しては名前すら知りたがらない関係にあらわれている。つまり自分たちバスタブル家の<子ども部屋>から外に向いていく発想が少ないのだが、これは十九世紀末から二〇世紀初にかけての時代の産物─中産階級の家庭の子どもたちが教育や愛情によって子ども部屋に隔離された─といえるのかもしれないし、イギリスに伝統的に流れている徹底した家庭主義・個人主義のせいかもしれない。
 当時は、ネズビット自身も夫とともに活動した社会福祉運動に、世間の目が向けられ、労働者の生活改善が少しずつ具体的に押しすすめられていったという状況があったようだ。子どもたちは学校制度の改善と教育の向上で、子ども部屋をもち、*その中で*自由な子どもだけの時間を過すことができたのであろう。
 まさに、<子ども時代の共和国>であったのだ。このことは、神宮輝夫が「イギリス児童文学の作家たち」の中で、次のようにまとめている。
 
 バスタブルの六人は、時代の子である。両親のきびしい監督から解放されても、十九世紀末の子どもらしく、大人のきめた社会のルールは守っていた。と同時に、大人たちの世界から無縁でありえた。大人たちがこれを許した。彼らは、イギリスの帝国主義的侵略戦争の悪を考えさせられることなく、兵士たちにばんざいをさけぶことができたし、不景気の影響は一家庭だけの問題であって、それによって人類の未来に不安がさすわけでもなかった。子どもたちは、自分たちの世界の暮らしに没頭できたのである。
 
 この神宮発言は、ランサム文学にもあてはまることであるが、八〇年代後半を迎えつつある現在では「神話の世界」といってもよいぐらいだろう。今は好むと好まざるにかかわらず、子どもたちは”社会”にどっぷりつかって生きている。だが、時代の産物だとして片付ける前に、児童文学作品の魅力の一つに、子どもの<生>が他の<生>とふれあい、葛藤しあって、本来もっている自由でのびのびしとした広がりや楽しさを増していくもの─として捉えるとき、閉ざされた子どもたちの世界は、やはり否定すべきではなかろうか。ただ、子どもの<生>が広がっていくのは、子ども同志や子どもと社会とのふれあいといった*人*と*人*とのぶつかりあいだけではなく、ある事件や体験が新鮮な発見を生む場合も多いことを考えると、くり返すようだが『何が』『どのように』描かれているかという*物語性*の大切さを再確認すべきであろう。
 
注1 Brian Doyle, The WHO'S WHO of Children's Literature, London,Hugh Evelyn Limited,1968
注2 Girl's Own Paper.  当時子どもたちに圧倒的な人気をさらっていた雑誌『少年自身』(Boy's Own Paper)の少女版。
注3 Marcus Crouch, Treasure Seekers and Borrowers, London, The Library Association, 1962
注4 Lavinia Russ, The Girl on the Floor will Help you. (なお、訳は吉田新一訳『宝さがしの子どもたち』福音館書店の<訳者あとがき>から引用した)
注5 吉田新一訳、福音館書店
注6 江河徹訳『子どものイメージ─文学における「無垢」の変遷』紀伊國屋書店。
注7 Anne Thaxter Eaton, The Victorian Family─A Critical History of Children's Literature, New York, Macmillan Publishing Co., Inc. 1969.
注8 バスタブル家の登場する最初の三冊はバスタブル・ブックスといわれている。 The Story of the Treasure Seekers.1899(邦訳名『宝さがしの子どもたち』)
The Would-be Goods, 1901(邦訳名『よい子連盟』)、The New Treasure Seekers. 1904.
注9 『ツバメ号とアマゾン号』(一九三〇)に始まり、『シロクマ号となぞの鳥』(一九四七)で完結する十二冊のシリーズ。
注10 『児童文学論』石井桃子、瀬田貞二、渡辺茂男訳、岩波書店
注11 外山滋比古は『近代読者論』(みすず書房)『読者の世界』(角川書店)『伝達の美学』(三省堂)といった著作の中で、「創造的*受け手*」あるいは「読者の受動的創造」という言葉をはじめて使った。
注12 <ランサム・サガ>とよばれるシリーズが、いずれも学校の休みの間の物語であるため、このようにいわれている。
注13 「ネズビットの子どもたち─日常の物語の先駆」『イギリスの児童文学の作家たち』研究社、収録。
※現在邦訳されているネズビットの作品の主なものは以下である。『宝さがしの子どもたち』(The Story of hte Treasure Seekers, 1899)吉田新一訳、福音館書店。『よい子連盟』(The Would-be-Goods. 1901)酒井邦彦訳、国土社。『砂の妖精』(Five Children and It. 1902)岸田衿子、前田豊司訳、学習研究社、『若草の祈り』(The Railway Children, 1906)岡本浜江訳、角川文庫。
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