『ページのなかの子どもたち・作家論』(松田司郎:著 五柳書院 1984)
2 グレアムのファンタジー
「四つから七つまでの記憶のほか、あとは、とくにおぼえていることは、何もない。」(注1)
これは、大人になってからグレアムが語った有名なことばだが、グレアムの作品や彼自身の哲学を知る上で貴重な<鍵>になっている。
ケネス・グレアムは、一八五九年にスコットランドのエジンバラで生まれた。
グレアムが、四つから七つまでをどのように暮らしたかは、ピーター・グリーンの書いた『グレアム伝』やエリザベス・ネズビッドの書いた"A Landmark in Fantasy"(注2)を読むと、およそ次のようである。
グレアムの父は弁護士だったが、優柔不断で生活力が弱かったため、自分たちの家をもつことができず、母はグレアムと兄姉の三人の子供をつれて、恥をしのんで親戚を泊まり歩いた。そういう生活が四歳ごろまでつづいたが、幼い心にスコットランドの湖沼地方の風物は印象深く、一時住んでいたアドリスハーグは、美しい入江に臨んだ静かな町で『たのしい川辺』の舞台によく似ている。だが、この作品の本当の舞台は、母が病死したため五歳のときひきとられた母方の祖母の家があるバークシャー州のクックハム・ディーンという田舎町であった。農家づくりの祖母の家は古くて大きくて、太いカシの木のはりがわたしてある暗い天井をのぞくだけでも、グレアムの想像力は深まった。だが、そんな家よりももっとグレアムにとって魅力的だったのは、近くを流れるテムズ川とその回りの自然や小さな動物たちがつくるファンタジックな世界だった。グレアムは、ほとんど一日中ひとりっ切りでこの川辺ですごした。
グレアムがひとりっ切りだったのには、いくつかの原因が考えられる。
一つは、母が弟を出産してまもなく、ショウコウ熱にかかりなくなってしまったこと。一つは、父が家を出ていったきり帰ってこなくなったこと。一つは、兄や姉とは年がちがいすぎて、いつも放っておかれたこと----これらのことが重なり、グレアム少年をとりまく現実は、暗く冷たくきびしかったといえるだろう。
だから、いきおいひとりっ切りにならざるをえなくなり、心の傷をなぐさめるために川畔にすわり、自然の中にもぐりこんだのだろう。
私事になるが、冒険のことばを聞くたびに、私もグレアムにならって、「二つから六つまでの記憶のほか、あとは、とくにおぼえていることは、何もない」と、いってみたくなる。
私は、二つのとき戦火をのがれて島根県の山村に移りすんだ。家の裏がすぐ川で、兄や姉たちが学校にいっている間、川辺のアシの茂みのそばで過すことが多かった。そのときの記憶は、断片的ではあるが、今も鮮明にのこっている。
小さな川の流れに自分の小さな影を落として一日中座っていると、私の目の回りで新しい世界が動き出す。枯れアシのあいだから川ネズミが顔をのぞかせ、カワヤナギが影を落とす川面をヒキガエルがすいすい泳いでいく。春には土手に咲く小さな花の美しさ、空気がこすれあい、大陽がこぼれ落とすぬくもり、夏にはかげろうがおどり、入道雲を浮かべる川面をトンボがかすめ、秋には岸辺をすぎる風の涼しさ、小さな赤い実をたわわにつける草、だんだん灰色にうすれていく野原、そして冬には雪におおわれ、静かに眠る小さな世界----。
『たのしい川辺』の舞台は、このように私にとってなじみ深い懐かしい世界である。だから、物語のはじまりの部分で「春は、地上の空気中にも、またモグラのまわりの土のなかにも動きだしていました」というところを読むと、川辺の春の甘い水のにおいを思って、じっとしていることができなくなる。
一九〇八年に出版された『たのしい川辺』は、グレアムの息子に語り聞かせた話が下敷きにされてれいるという。四度目の誕生日に、何かの理由で泣きやまない息子をなだめるために、お話をすることを申し出たところ、息子はモグラとキリンとネズミの出てくるお話をしてくれと注文を出した。グレアムは、キリンのかわりにアナグマとヒキガエルを登場させ、この父と子のベッド・タイム・ストーリーは三年間つづけられたという。
物語は、春の気配を感じてうれしさのあまり家を出たモグラが、光りながら流れる川をみつけるところからはじまる。
モグラは川ネズミに会い、ネズミの家を訪問する。二ひきはボートで近所にすむヒキガエルをたずねる。ヒキガエルはお人よしだが、ほらふきでめずらしがりや。自動車に夢中になり、事故をおこして、病院にかつぎこまれる。
あるとき、モグラは森に住んでいるアナグマを訪ねる途中、雪がはげしくふってきて迷子になるが、ようやく家をみつけ、泊めてもらう。
物語の後半は、ヒキガエルが人間の自動車を盗み、無免許運転で監獄に入れられるが、看守の娘が逃がしてくれ、再び川辺の屋敷にもどってくる。
モグラ、ネズミ、アナグマ、ヒキガエルと、この四ひきにそって物語は展開していく。テンやイタチに占拠された屋敷を四ひきが力を合わせて奪いかえすところでめでたく幕を閉じている。
大ざっぱにみると、この作品は、前半のモグラとネズミを中心とした自然の美しさの中での静かな暮らしぶり、後半のヒキガエルを中心とした展開のはやい筋立てとアクションいっぱいの動きのある事件の部分----の二つに分れている。ただ、この静の部分と動の部分は、構成上たくみに計算されたとは思えず、どちらかといえば静の前半部分を好むものにとっては、動の後半部分はなかなかしっくり溶けこんでこないようである。その逆もまた同じようにあると思う。
結論からいって、私は異なったテーマをもつこの二つの要素を一つの作品世界にまとめるについては少々無理があったと思えてならない。とくにこの二つの要素(前半と後半)をつなぐポイントとなる、モグラやネズミやアナグマがヒキガエルに関与していく、その関与そのものと関与のしかた、関与がヒキガエルに及ぼす力の効果----などについて、どうしても強い疑問をもってしまう。
静と動の部分に、それぞれ異なったテーマがあるといったが、まず前半のモグラとネズミを中心とした川辺の生活の部分についてみてみよう。
モグラが家の大そうじをほっぽりだして、日の光のなかにすぽん!と飛びだしていくところから、物語がはじまる。「日光は、モグラの毛にあたたかくあたって、そよ風が汗ばんだひたいをなでていきます」というふうに、グレアムは野原や川辺の自然をキメ細かくていねいに描写していき、やがてネズミとの出会いになり、ふたりの友情が育っていくさまを、急がず川の静かな流れのようにゆったりと追っていく。
ここに流れているものは、《自然》として存在する一本の木、一個の石、吹きすぎる風、川面に照り返す夕陽の金の矢、せせらぎの澄んだ音……などに対する作者のいとおしさ、愛情であり、それはネズミやモグラという小さな動物たちが自分に与えられたささやかな<生>をありのままに生きる----草や木や風と同じように、そのようにある(生きる)ことに対する作者のいとおしさ、愛情深さということができる。これは裏をかえせば、肩を怒らせたり、無理に背のびをしたりせず、自分の小さな<生>を大切にし、あるがままに素朴に暮らすことが何にもまして喜びであり、楽しみであり、その生きる行動や姿を《美》として捉えようとする視点である。
この発想は、期待される人間像としてトータルな理想像を位置づけ、それを定点としてそこから人間の姿を見る、あるいは見おろすという《選良》の視点を穏やかに否定している。複数共同体の価値基準が、能力の差やリーダーシップといったものに固定されやすいとき、一個の存在、個人のあるがままの《生》を大切なもの、守るべきものとして描出したのは、グレアムの人生における苦い体験にもとづいているとはいえ、その考え方が自然の美しさとして作品のすみずみに効果的に溶けこまされている点を高く評価すべきである。
この作品を読んでいると、二つのことで驚かされる。一つはモグラやネズミやアナグマたちの楽しいわが《家》に対する何ものにもかえがたい愛着であり、もう一つはそのマイホーム思考は<家族>という複数共同体の思考ではなく、一人暮らし、つまり《心》の休み所としての家であるということだ。
つまりグレアムが描出した美意識は、あくまでも個としてのありようであり、個と個の接続する部分、つまり人生において避けられない人と人、男と女、親と子、家族、利害関係など人間くさいところは乗り越え、昇華させてしまっている。モグラもネズミもアナグマもヒキガエルも、主要人物はみな単独生活者であり、中性的あるいは男性型人間像ということができる。ネズミやアナグマは、自然界の法則にのっとれば複数生活者であるはずだが、単一として、つまり個人であり、個の《生》を静かに見守っていく方向で描き出さねばならなかったのは、グレアムの人生体験であり、もう少し詳しく触れるなら、とくに幼年時代に母に死なれ、父に逃げだされて《家族》が崩壊していくさまを目のあたりに見たグレアムの家に対する考え方ではなかろうか、
第五章の「なつかしのわが家」では、モグラが自分の家を思い出し、
「なつかしのわが家!だきしめてくれるような、このうったえ。空をただよってくる、このやわらかい感じ。なにか目にみえない、いくつもの小さい手が、みんな一つの方向にモグラをひきよせ、ひっぱっているのです!」というように感じるところがあるし、
第九章の「旅びとたち」のところでは、ネズミが《家》を捨てて、未知の遠い国への旅立ちを決意すると、
「それはもう----モグラの友だちの目ではなく、なにか、ほかの動物の目でした。モグラは、ネズミをぎゅっとつかまえると、むりやりに、うちへ引きずりこみ、投げたおし、おさえつけました。」
というように、モグラがネズミをおしとどめる。
そのほかにも、ネズミやモグラがどれだけ《家》をきちんとかたづけ、住みよくするために努力をおしまないか、その努力がどんなに楽しいかが描かれ、アナグマがゆりいすに座って朝のあいだゆっくり新聞を読むのがどんなに気持ちがいいか……など、随所に《家》のここちよさがあふれている。これは、人が住む環境としての、いわゆる物理的な建物の意味あいだけではなく、生きることの楽しさを根底にすえた自己のあるがままの《生》を素朴にみつめていくという美意識と深い関連をもっている。これは決して「分相応に」という保守的な発想ではなく、自己を<自然>に添わせて生きていくことの体の底から静かに湧き上る楽しさそのものである。未知への冒険心を、背のびや高のぞみといった考えで戒めるということでは決してなく、自分の中にある素朴な喜びを見失うことの淋しさを、グレアムの一つの体験からにじみ出させていると思われる。だから、モグラやネズミやアナグマの《家》は、グレアムの哲学、思想とからみあった象徴的な意味をもっているのである。
第七章の「あかつきのパン笛」は、グレアムが本にするにあたり特にあとで追加した部分だといわれ、ストーリー構成としては浮き上っていると思われるが、グレアムの人生哲学、彼の思想を知る上で貴重なてがかりとなっている。
「すべるように進みながら見わたすと、両岸の草ぐさは、けさはことに、たとえようもなくすがすがしく、緑こく思えました。このようにあざやかなバラや、このようにおどりまわるヤナギソウや、このようにかおりたかく咲きほこるシモツケソウを、ふたりは、いままで一度も見たことがありません」
ここには、自然を造形する《神》の偉大さ、慈悲深さ、愛の尊さがモグラとネズミの側から描かれている。ただ、前半の他の章が《神》の存在を出さずとも、またこれほど詠嘆調の文章の流れでなくとも、十分自然のしっとりした美しさを伝達していたことを思うと、ストレートにパンの神を出しすぎたきらいがないでもない。だが、《神》に対するモグラとネズミの畏敬や畏怖の念にポイントがおかれているとしたら、宗教くさい教訓に落ちこむ危険性もあるが、ここはたとえば、宮沢賢治の思想・自然観を知る上で重要なことばである、「宇宙には実に多くの意識の段階がありその最終のものはあらゆる迷誤をはなれてあらゆる生物を究竟の幸福にいたらしめようとしているという」(注3)と同じように、この思想は自然摂理に対する素朴な驚きを土台にしており、その驚きはあくまでも具体的な自然の風物を透かして出てきたものである。だから、宗教くさいプロパガンダのような押しつけは感じられない。
川辺の小動物を借りて人間の《生》の問題を描出した『たのしい川辺』は、自然の法則とファンタジックな部分が融合しあっているという、つまり科学と空想の二重構造の点で従来のイギリス児童文学にはなかった作品ではなかろうか。さらにこの二重性は、環境としての外面性では徹底して自然の法則を、生き方、暮らし方という生活性や人生哲学という内面性では逆に人間くささ(擬人化)をというふうに、くっきりわけたことが作品全体として新鮮な感じを与えたと思われる。だが、後半のヒキガエルの冒険を中心にした「動」の部分では、自然環境が川辺から村へ、村から町へ、そして社会生活の背景である警察や刑務所の存在と発展していくにつれて、外面性の自然の法則が人間をも客観的に捉えようとしたために、しばしばヒキガエルの擬人化(ファンタジー性)との矛盾を露呈させてしまっている。
モグラとネズミを中心にした前半部分は、創造主(パンの神)に見守られた《生》をつつましく守りぬくそのささやかな行動を「美」として捉えるところにテーマがあったが、後半部分は一九二九年に『クマのプ−さん』で著名なA.A.ミルンが、『ヒキガエル屋敷のヒキガエル』と題して主に喜劇に焦点を合わせて劇化したように、ヒキガエルのたくましい行動が川辺の社会、ひいてはもっと大きな社会(複数共同体)と必然的に衝突するところに”笑い”を生んでいるといえる。そしてこの喜劇、笑いは前半部分のグレアムのテーマ(思想)と深い関連をもち、その底に明確な諷刺を抱いている。時代的には産業革命の物質的機械的繁栄が、実利主義、理性万能主義とあいまって、人間性を犯していくことに対するグレアムの警告であり、文明に対する人間の過信と自負の念への嘆きであったと思われる。
避けられないその容貌の上に、車(機械文明)へのあこがれや金さえあればという身勝手な思考を背負わされているヒキガエルを、いぬいとみこが「私は主人公の一人、ヒキガエルは好きになれませんでした」(注4)といったように、この作品の愛読者の多数から必要以上に嫌われてしまうのは、前述したキャラクターのせいだろうか。グレアムは、ヒキガエルを決して劣悪人間として決めつけていず、お人よしで正直で根はやさしいというように、本質的に善の評価を与えていると思う。これは、グレアムが物質文明に犯されていく側としてヒキガエル(人間)を捉えているためであるが、欲をいえば、うぬぼれや移り気や冒険心やエゴイズムや単純さといったものを、人間に与えられた素朴な要素の一つとして、それを誇張して”笑い”のうちに糾弾する方向ではなく、最後までもっと暖かく見守っていく方向で強く捉えられなかったのだろうか。
さて、息子のアラステアをモデルにしたといわれるヒキガエルは、多分に幼児的な性格をもっている。このことはすでにのべたが、幼児にとって最も特徴的なのは、内に閉じこもるのではなく、もろもろの幼児的要素が、《行動》となって表にあらわれることであろう。ヒキガエルは、モグラやネズミやアナグマやその他の川辺の小動物たちの誰よりも行動的である。行動は事件を生み、物語はスピーディに展開していく。
ヒキガエルが起こす事件----自動車を盗み、つかまり、裁判にかけられ、牢屋にぶちこまれ、看守の娘を抱き込んで逃げだし、最後になつかしの村にたどりつく。後半の冒険物語は前半部分の静の世界とまったくちがい、息もつかせぬ展開、短くてリズミカルな文章、行動、アクションを具体的に描写する文体、事件の衝突部分を笑いで流すうまさ……などが溶けあい、前半に比べて子ども読者にとって楽しい《お話》になっている。これらの思わぬハプニングがもたらす笑いは、主としてヒキガエルの性格からきているのであるが、そこのところを原昌は『児童文学の笑い』(牧書店)の中で「彼の性格的欠陥が、予測しえない常識はずれの発言と言動とを導き、その度に笑いが生れる」として、@平凡型A欠陥型B非凡型の中で、Aに位置づけている。
原昌は「欠陥」というコトバを単にマイナスとして表現していないが、私はヒキガエルの性格を<欠陥>と明確に断定することには同意しかねる。しかし、共同体社会の中でしばしば他人に迷惑を与える性格的要素をもっていることは明らかである。
自慢屋、うぬぼれ屋、夢想家、あき性、ひとりよがり、移り気、熱しやすくさめやすい、金銭への執着と過信、ルール無視、おしゃべり、欺瞞性、嫉妬、ねたみ、エゴイズム、無知、どん欲……と並べればきりがないが、そのほかにお人よし、正直、やさしい気持ち、楽天性、友情を重んじる、自分の非を認める、素直である等比較的プラス評価の面もある。
ところで、ヒキガエルが起こした冒険のあとしまつは、モグラ、ネズミ、アナグマの助けで行なわれる。つまり、ヒキガエル屋敷をとりもどしてやり、ヒキガエルの一見改心風の態度でハッピーエンドを迎えるわけだが、この作品は終わりの部分に重大な意味を含んでいると思われる。
もっとも、モグラやネズミやアナグマのヒキガエルに対する友情としての関わり方は、第六章の「ヒキガエル」に具体的な行動として現われ、のちのヒキガエルの事件を読者に予測させ、その関わり方が決して誤りでなかったことを正当化しようとしている。
ここでは、私が投げかける問題点----何故モグラたちはヒキガエルにつよく関与していくか?----を明らかにするために、目的と手段にわけて考えてみよう。
目的は、本文中のモグラのことば「ぼくたちで、わけのわかったヒキガエルに教育してやるんだ!」に代表されるように、自分の”本分”を忘れて無鉄砲なことをすると取り返しのつかなくなることを教えることである。言葉をかえていえば、モグラやネズミやアナグマが自己に与えられたささやかだがありのままの《生》を生きることにより得られる素朴な喜びを、ヒキガエルにも分らせ、同質に味わってもらうことである。具体的には、そのことを象徴するヒキガエルだけの<家>の大切さを悟らせ、守らせることである。だが、ここで重要なことは、前述したようなヒキガエルの性格を欠陥と決めつけてしまうなら、もう一つの問題、他人に迷惑をかけることだけがクローズアップされてくる。危険な誤解は、川辺を一つの社会環境として受けとめるなら、共同生活者相互のつながりの中で、共同体への順応性が独自の価値をもち、個性的な性格はその中で縮小され、ローラーにかけられ、平均化に向かわされるのではなかろうかという考え方である。これは、大げさにいえば、川辺の社会を背景とした期待される住人像が大手をふってまかり通りはしないかという危惧である。もし、そういう誤解をこの作品がもっているとしたら、モグラやネズミの生き方そのものまで、既に制限された枠内の約束ごとになり下ってしまい、自分の《生》をエンジョイするという主体性が埋没してしまう。くり返すことになるが、この作品に流れている美しさは、自然の風物の美しさであり、それは自然のままにあるがままに生きることが何にもまして《楽しい》ものであるという生物たちの主体的な美しさである。
私が冒頭で、前半のモグラやネズミの生活の「静」の部分と、後半の事件の連続によるヒキガエルの冒険の「動」の部分とはどちらもおもしろいが、この二つをつなぐポイントになるモグラやネズミやアナグマのヒキガエルへの関与に疑問があるといったのは、ここのところである。
この誤解をすっきりぬぐいさるには、物語の最後の部分でとったヒキガエルの言動が、改心や変心ではなく、ヒキガエル独自の個性的性格を残したまま、自分の<家>すなわち《生》の大切さ、美しさ、楽しさを認識したことに強く結びついていかなければならない。そのことを読者に明らかに読みとらせなければならない。そうでなければ、手におえないいたずら好きな子どもをお説教しておとなしくさせただけに終わってしまうだろう。
子どもが起こす行動は、ときとしてヴァイオレンス(暴力)に満ち、破壊的でさえある。しかし、それは荒々しく驚異に満ちあふれた宇宙に呼応して生み出されたエネルギーである。醇風美俗や高徳道義といったモラルで縛りつけることによって、大人たちは安穏で平和な日々に満足することができるかもしれないが、疲弊した文化を変革する大切な力を失ってしまうことに謙虚に気付かねばならない。
『たのしい川辺』のあと、ほとんど作品を書いていないグレアムの理由は、『クマのプ−さん』『プ−横丁にたった町』の「プ−クマ物語」を書いたA.A.ミルンが二度と児童文学は書かないといった理由とはまったく異なっている。グレアムもミルンも世界的に名前が知られるほどすばらしい一冊の本を残したわけだが、ミルンはモデルに実名で使った息子のクリストファー・ロビンが「世間的にもてはやされる」ことをきらって、児童文学の筆をとらなかったとも、表現方法の問題から子ども向けの本をやめたともいわれている。(注5)だが、グレアムの場合は、もっとグレアム自身の生き方に密接につながった理由からだった。
ここのところは、『たのしい川辺』の<訳者のことば>で石井桃子がグレアムのことばを引用している。(一九六三年版のあとがき)
「自分は、ポンプではなく、泉でありたいのだから、あとからあとからとは書けないのだ。有名になって追いまわされるのも、いやだし、お天気のいい日には、外はあまりに美しく、机にすわっていられない。」
グレアムにとっては「書くこと」よりも、人生を楽しむことのほうが大切であったようだ。人生といっても、はなばなしい社会の波を乗り切るのではなく、自分自身のささやかな<生>を回りの小さな自然の中でみつめ、自分以外の生きものの<生>を尊重するといったごく平凡な暮らしのことなのだ。
『たのしい川辺』には、このようなグレアムの人生哲学がさりげなく盛り込まれている。だから、タウンゼンドが指摘したように、「あらゆる年齢の読者によろこばれ」るし、「この作品を十回も十二回もくりかえして読んだ大人でさえも、なおこの微妙で複雑な作品の奥の奥まではきわめることができない」ことを思い知らされるのである。(注6)
注1 Chalmers,Patrick. Kenneth Grahame; Life, Letters, and Unpublished Work, London, Methuen, 1933.
注2 Peter Green, Kenneth Grahame; A Biography, John Murray Ltd, 1959/Elizabeth Nesbit, A Critical History of Children's Literature, New York, Macmillan Publishing Co, Inc. 1969.
注3 「書簡集」『宮沢賢治全集11』筑摩書房に、年月日、宛先不詳として、六百字詰原稿用紙に鉛筆で下書きされたものが収録されている。
注4 「一冊の本・たのしい川べ」『児童文学 一九七二』聖母女学院短期大学児童教育科、収録。
注5 一九六二年版の『クマのプ−さん/プ−横丁にたった家』の「訳者のことば」で、石井桃子は「ミルンは、かれの子どもが、世間的にもてはやされるのをきらい、むすこが大きくなってからは、ふたたび子どもの本を書きませんでした」と述べている。また、ミルン自身の言葉として、『ぼくたちは幸福だった--ミルン自伝』原昌・梅沢時子訳、研究社に、「私に関するかぎり、形式が流行おくれであったことに気づいて、子どもの本を書くことをやめたのです」とある。
注6 J.R.タウンゼンド、高杉一郎訳「もの言う動物たち」『子どもの本の歴史----英語圏の児童文学』(上)岩波書店、収録。
※『たのしい川べ----ヒキガエルの冒険』石井桃子訳、岩波書店、一九六三年。
Kenneth Grahame: The Wind in the Willows, 1908.
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