『ページのなかの子どもたち・作家論』(松田司郎:著 五柳書院 1984)

4 ミルンの遊びの世界

 竹村美智子氏の「『クマのプーさん』の世界」(注1)は、『クマのプーさん』が日本において、読者に喜びを与える空想物語という一般的な評価を越えていないとして、イメージの最高の遊びの形態であるナンセンス(本道)からミルンに追ろうとした興味深い評論である。
 竹村は、ナンセンスはゲームの一形態であり、ことばの純粋な遊びであるという。そして、ミルンの駆使した語呂あわせ、もじり、まちがい言葉などを、ルイス・キャロルやエドワード・リアという先達と比ベながら、ナンセンスのゲームとしての機能を巧みに説いている。また、松山雅子氏の「遊びの場の可能性」(注2)も、ことば遊びのテクニックからミルンに迫ろうとしたものである。
 Winnie-the-Pooh(1926)が日本に初めて紹介されたのは、昭和15年の石井桃子訳であるが(注3)、半世紀近く経ってようやくミルンの作品の本質解明へ一歩近づいたといえるのではなかろうか。足がかりが遅れた最大の原困は、言語の違いであろうが、他に一部の熱狂的な「プー」ファンをのぞいて一般的な人気が高まらなかったこと、ファンの中に遊びの世界そのものよりも《哀感》を強く感じてしまう体質が存在したことなどを挙げるのは、いささか乱暴であろうか。これらのことは、『不思議の国のアリス』(キャロル)が『北風のうしろの国』(マクドナルド)に比ベ、『ホビットの冒険』(トーキン)が「ナルニア国物語」(ルイス)に比べたとき出てくる問題―純粋な遊びの世界よりアレゴリーや求道精神をといった日本の読者の体質と関連性があるだろう。だがこの論は、『クマのプーさん』に内在する遊びの世界(ナンセンス・ファンタジー)に評価を与え、それを分析することを目的とするものではない。『クマのプーさん』をこよなく愛しつづけている人たちの《心象》を通して、児童文学を考えようとする小論である。ぼくが《心象》に近づくことができるのは、一つはぼくが関わっている「20世紀イギリス児童文学を読む会」(注4)を一例とする読者のナマの声であり、今一つは活字になった各種のレポートである。

『プー横丁にたった家』のよみあわせをしていたとき、最後に近くクリストファー・ロビンの幼年時代が終わりかけて、愛されつづけてきたプーや、コブタやカンガたちが、秘かにそれをさとって、悲哀を感じているくだりにくると、思わず涙で声がつまってしまい、とてもとても恥ずかしかったことを覚えています。/20年前のわたしには、クリストファー・ロビンの側の悲哀と、プーたちの側の悲哀が、なんともいえず徴妙にからみあって、こここそ子どもの文学の世界の一つの極致だ……と、痛感しました。/それは、『たのしい川ベ』で、パンの神が、モグラたちに姿をあらわすときのふるえるようなふしぎな感動に共通するような気がしました。/いまではそのときよりは、少し大人になって、そのシーンにロビンとプーと父親の側の悲哀をつよく感じますし、また、むしろクマのプーのやさしいおろかしさに、なんともいえない親近感を感じるのです(注5)
 長々と引用したのは、この文章にプー愛好家の代表的な感慨をみることができると思うからである。そして、彼らに共通しているのは、『クマのプーさん』を好む者は『たのしい川ベ』(グレアム)の中のモグラやネズミがくり広げる前半部分を好むということである。これはぼくの体験(読書会)と一致する。この二作品には共通項があるのだろう。これがキーポイントの一つである。つまり、両作品から受ける「ふるえるような不思議な感動」「思わず涙で声がつまってしまう」感情は、一体何に起因しているかという問題である。
『クマのプーさん』に対するこの問題への一般的な切り込みは次のようである。

人格化されたクマのプーさんにそこはかとなく漂う哀感は、愚かさとして受けとめる以外どうすることもできない人間の哀しみに通じるといったら、読みすぎであろうか。(『児童文学辞典』東京堂出版、傍点筆者)
「ピーター・パン」と同様「プー」は子ども時代に対する大人の郷愁を満足させる要素をもっていたから、またたくまに20年代のべスト・セラーとなり、以後イギリスの諸家庭に深く根をおろした。(猪熊葉子『英米児童文学史』研究社、傍点筆者)

哀感とか人間の哀しみとか郷愁とかいうものは、コトバ自体あまりにも観念的すぎてストレートに理解できにくい。

 哀(あわれ)―嘆賞、親愛、同情、悲哀などのしみじみとした感動をあらわす/尊い/りっぱである/なつかしい/情趣ある/悲しい、はかない。
 郷愁―他郷にある人が故郷をなつかしみ思うこと。ノスタルジア。
(いずれも『広辞苑』より)

 哀感は「ふるえるような不思議な感動」と同一に解釈してもいいだろう。郷愁の「故郷」は幼いとき過した場所と同時に、幼年時代という時間の概念や精神風土として受けとることができるだろう。さて、『クマのプーさん』のどの部分が「哀感」や「郷愁」を感受させるのだろうか。これは、人格を与えられたプーやコブタやルーやトラーなどぬいぐるみの登場人物たち(とりわけプー)がもっている幼児っぽい行動とナンセンシカルな愚かしい思考に起因しているのはほぼまちがいないだろう。言葉をかえていえば、これらは幼児がもっている精神、幼児らしさのエッセンスであり、それがヒューマニズム(善意)に裏打ちされることにより、人間らしさの《精神》とも呼べるものである。
 だが、幼児っぽい行動や思考は、それ自体では、ほほえましいとか愛らしいとか美しいとかいう充足感をともなったあたたかい感情を喚起するだけではなかろうか。それが哀感につながるとしたら、『クマのプーさん』に即していえばおそらく二つの要素があると思う。一つは幼児らしさの《精神》が人間の意志とは無関係に非常にうつろいやすい気紛れなものであること、今一つはその変質・喪失が人間の成長と深くかかわりあっていることであろう。だがこれらのことを理解し、人間の不条理の深淵を味わうのに《喪失》をくぐりぬけたある一定の年齢が必要だとすれば、哀愁や郷愁は大人にだけ可能な感動ということになるのではなかろうか。本論の主旨ではないが、あえて一言でぼくの考える『クマのプーさん』の本質的魅力をあげれば、幼児の遊びの世界に具体的な形を与えたこと、その遊びの土台になっている精神がライト・ヴァース(パロディや洒落、誤字造語、もじりやくり返しを駆使した詩)を下敷きにしたナンセンシカルなユーモアであることと思われる。要するに純枠な遊びの世界、ナンセンス・ファンタジーそのものである。
 冒頭に述べたように、この方面へのアプローチはこれからの問題として、プークマ熱にかかっている大人たちのほとんどが、哀感や郷愁のまじりあった「ふるえるような感動」を魅力の大きな要素としてあげているのは、本当に前述したような幼児精神の喪失に対する哀しさだろうか。さらに、今一つ大きな問題は、作者A・A・ミルン自身が作品の中で幼年時代や幼児性をどうとらえているかということである。

 そのとき、ほおづえをついて、じっと下の世界をながめていたクリストファー・ロビンが、またきゅうに、「プー!」と、大きな声でいいました。
「え?」と、プーがいいました。
「ぼく―あのね、ぼく―プー!」
「クリストファー・ロビン、なに?」
「ぼく、もうなにもしないでなんか、いられなくなっちやったんだ。」「もうちっとも?」
「うん、少しはできるけど。もうそんなことしてちゃいけないんだって。」
 プーは、つぎのことばをまっていましたが、またクリストファー・ロビンがだまってしまったので、
「クリストファー・ロビン、なに?」と、力づけるようにいいました。
「プー、ぼくが―あのねえ―ぼくが、なにもしないでなんかいなくなっても、ときどき、きみ、ここへきてくれる?」「ぼくだけ?」
「ああ」
「あなたも、ここへきますか?」
「ああ、くるよ。ほんとに。プー、ぼく、くるって約束するよ。
「そんならいい。」と、プーはいいました。
「プー、ぼくのことわすれないって、約束しておくれよ。ぼくが100になっても。」
 プーは、しばらくかんがえました。
「そうすると、ぼく、いくつだろ?」
「99。」
 プーはうなずきました。
「ぼく、約束します。」と、プーはいいました。
まだ、目は世界のほうを見ながら、クリストファー・ロビンは手をのばして、プーの前足をさぐりました。「プー」と、クリストファー・ロビンは、いっしょうけんめい、いいました。
「もしぼくが―あの、もしぼくがちっとも―」ここでことばが切れて、クリストファー・ロビンは、またいいなおしました。「たとえ、どんなことがあっても、プー、きみはわかってくれるね?」
「わかるって、なにを?」
「ああ、なんでもないんだ。」
 そういうと、クリストファー・ロビンは、笑って、はね起きました。
「さア、いこう。」
「どこへ?」
「どこでもいいよ。」と、クリストファー・ロビンはいいました。
 そこで、ふたりは出かけました。ふたりのいったさきがどこであろうと、またその途中にどんなことがおころうと、あの森の魔法の場所には、ひとりの少年とその子のクマが、いつもあそんでいることでしょう。(注6)

 少し長くなったが、これは『プー横丁にたった家』の終章のさいごの文章である。ここで前作『クマのプーさん』と続くいわゆる「プー物語」が幕を閉じるのである。ふたりとは、クリストファー・ロビンとクマのプーのことである。物語の中でクリストファー・ロビンは成長する人間の男の子であり、プーに代表されるコブタやイーヨーやカンガといったぬいぐるみのおもちゃたちは、「いつも遊んでいられる」存在として捉えられている。つまり、この終章でイーヨーが代表して作ったお別れの「きつぎ文」をロビンに贈らねばならなくなったのは、一人の子どもが成長していき、いつも何もしないでおもちゃたちと遊んでばかりいられなくなったことを意味している。
 先に引用したいぬい氏の文章には、幼年時代が終わりかけて魔法の森を去ろうとしているクリストファー・ロビンのことを思って、プーやコブタやイーヨーたちが精一杯の知恵を働かせながら、その悲哀を自分なりに理解しようとしている姿に心を打たれたとある。プーの側を幼年時代とするなら、クリストファー・ロビンは明らかに幼年時代との別れを迎えたわけである。別れを前にしたとき相互の立場に悲哀を感じるのは、それまでの相互の交わりの世界が生きていた証しだろうし、その交わり(幼年性と人間性)がいつまでも続いて欲しいと思う願いが内在するからだろうが、もう一つの要因として、清水真砂子氏は幼年時代を去っていくクリストファーにこれから歩んでいく先の世界がどう準備されているか、つまり大人の世界の展望があるかという問題を指摘している。

 私達がここで、さびしさととまどいを感じるのは、ここに深い断絶があるからであろう。クリストファー・ロビンは、プーとどこかへ行ってしまい、私達読者はそこにぽつんと、とり残される。もう、コブタもいない。ウサギもいない。私達も、もう、いつまでもここにいるわけにはいかなくなったのだ。子ども時代は終った。出発しなければいけない。だが、どこへ?作者は「どこでもいいよ。」と、クリストファー・ロビンにいわせているだけだ。私達はとまどう。どこへいったらいいのかわからない。ここには、大人の世界の展望が全く開けていないのだ。(注7)

 ミルンは確かに人間の成熟した世界については言及していない。別れを前にしてクリストファー・ロビンがプーにこれから歩んでゆく世界のこと(王とか女王とか呼ばれる人々のこと、分子と呼ばれるもののこと、ヨーロッパという場所のことなど)を説明しているが、このことをミルンは大人の世界を無意味だとか有意義だとか区分けしている材料にはしていない。
『クマのプーさん』がたとえば『ピーター・パン』(ジェイムズ・バリ)や『星の王子さま』(サン・テグジュペリ)と根本的に異なるのは、幼年時代だけが人生の中で一番幸福な時代だという規定をしていないことであろう。
 ミルンは『自伝』(注8)の中で「子ども時代が人生のもっとも幸福な時期であるとは必ずしもいえません。でも子どもにだけ可能で純粋な幸福があるものです」と述べている。
『ピーター・パン』はいつまでも大人にならない少年として既に大人(成長)との断絶を宿命づけられているが、バリが提示した大人像は株や配当のことしか知らず、ネクタイもひとりで結べないダーリング氏や、おとなになってだめになってしまったニブズやカーリーというネバーランドの子どもたちの行く末であり、サン・テグシュペリが提示した大人像は、ネクタイや政治のことを話していさえすればにこにこし、ウワバミがゾウをのみこんだ絵をみて「帽子だ」と決めつける大人たちである。
 ここには幼年時代から少年・青年時代を経て大人(人間的成熟)へとつながる線はない。ここでは幼児っぽい《精神》は成長という受難をくぐることにより歪められ損なわれ、運よく残っていたとしても嘲笑の材料にすぎなくなっている。
 では、『ピーター・パン』と同様に子ども時代に対する大人の郷愁を満足させたという『クマのプーさん』の場合はどうだろうか。終章の最後にある種の《感動》があるとしたら、それは幼年時代を特別扱いすることによって、成長の問題にかげりを与えたためではなく、ミルンが見事に描出したような純粋に遊びだけの世界であった幼年時代に一区切りをつけた、その区切り方にあるのではなかろうか。区切り方というのは、先に引用した文章である。

 そこで、ふたりは出かけました。ふたりのいったさきがどこであろうと、またその途中にどんなことがおころうと、あの森の魔法の場所には、ひとりの少年とその子のクマが、いつもあそんでいることでしょう。

 別れを確認しあった(プーの側からすればナイトをアフタヌーンとききちがえるような混乱はあるが)のちに、別れるはずのふたりが手をとりあってかけていくというのは何を意味するのだろうか。同時に、森の魔法の場所でふたりが「いつも遊んでいる」というコトバは何を暗示しているのだろうか。ぼくはここにミルンの幼年性に対する考えが明確に示されていると思う。
 この最後の文章は、人間の内面の世界の風景というふうに解釈できるだろう。そして思い出の底にある秘密の小箱(内面)に《成長》という鍵をかけてしっかりしまいこんでしまったと考えるなら、《幼児精神》は振りかえる存在でしかありえず、結局幼年時代とともに葬りさってしまったその喪失性に人生の不条理としての哀感や郷愁を強く感じて涙ぐむ読者がいるかもしれない。しかし、「プー」ファンが感じる哀愁というのはそれとは違うと思われる。おそらく遊びの精神(幼年性)を現実の人生の中に生かしきれないもどかしさと、自己がもっているその精神へのいとおしさをプークマに託したときに出てくる感動ではなかろうか。
 ミルンは幼年時代とおさらばしたが、幼年性とおさらばしたのではない。魔法の森(心の中)に行けば、少年とその子のクマがいつも遊んでいる光景(幼児精神)がみられるといっているのだ。
 このことを考えるために、『クマのプーさんと魔法の森』(岩波書店、石井桃子訳)という本を少し覗いてみたい。この本はクリストファー・ロビンという世界的にポピュラーな厄介な名前を背負わされた平凡な男(ミルンの息子)が、少年時代から名前の重荷と闘いながら不運な人生航路をくぐりぬけて、やがて静かな田舎町でひっそりと本屋を開くまでの人生をつづった自伝風エッセイである。
 ここで興味深いのはクリストファーと父ミルンの関係である。クリストファーは幼年時代を卒業する(9歳)までは、父と一緒に遊んだことがないといっている。母とは母性愛を通じ、ナースにはすべてを信頼しあう友人として交流したが、父とは一般的な父子関係ではなく、常に距離をおいて眺めて楽しんでいる関係だったという。
 つまり、ミルンは、クリストファーの幼児っぽい精神、幼児らしさのエッセンスをジャンピング・ボードにして、自身がもっている想像力に翼をつけ、より高く飛ばせ、そうすることによって自分を豊かにし、喜びをふくらませて楽しんでいたといえるだろう。幼児っぽさを肉親や保護者や友人として温かく見下ろし、包みこむのではなく、自分が生きていくよりどころとして眺めていたといえるのではなかろうか。クリストファーは次のようにいう。

「私たちが幼ないとき、天国は私たちのまわりにある。このことばはワーズワース(注9)の詩『永遠の生命を感受する』の中にある。ひと目見たところでは、この行は父の詩(注10)の意味とうまく合っているように思われた。しかし、なおいっそうこまかく見ると事情は大ちがいである。この行は新しい、まったくちがった意味を与えられている。ワーズワースは、天国は、子どもにとって、彼ら自身のまわりにあるように思われるといっているのである。それにひきかえ、父は傍観者には天国が子どものそばにあるように見えるといっている。そこで、私はこの詩を全部読んでみた。すると、それはもちろんワーズワースの見るところの『子ども』についての真実であって、父の意見とは正反対であった。」

 ここにはかなり重要な問題が提示されている。クリストファーは、自分が幼児であったときにもどって、つまり幼児として父の詩を見ている。だが明らかにミルンは、幼児性を内包した大人としてクリストファーを見ている。
 ミルンの中にあるのは幼児精神とひきあうものであり、幼児そのものではないから、幼児であるクリストファーからみると、傍観者の視点になるのであろう。ぼくの中ではワーズワースが傍観者でないという答えには結びつかないが、ぼくは大人が幼児そのものになるのは不可能だと思うので、ワーズワースにしろ、ミルンにしろ、幼児性を自分の中にとりこみ、魔法の森をふくらませて楽しんでいたと思われる。
 ところが「タべの祈り」というミルンの詩を読む大人たちの中には、3歳の幼児が小さな手を合わせてお祈りのマネゴトをしている光景を目にして、自分の中にその幼児性をとりこんで楽しむのではなく、幼児のそのしぐさ、姿そのものに愛らしさやほほえましさ(つまり神々しさ)を感じる人たちが多いようだ。もちろん、そういった感情は人間一般に共通なものにちがいない。しかし、そのことのみに意味を見出していくとすれば、私たちの内面にある幼児性と共存する魔法の森は消滅していく、つまり幼年時代と完全に断絶していくことになるのではなかろうか。
 ミルンは『クマのプーさん』を書くまえに『ぼくたちがとっても小さかったとき』という童謡集(「タべの祈り」もここに入っている)を出しているが、その詩を書かせたのは、クリストファー・ロビンでも自分でもなく、「月曜日には4つにみえるかと思えば、火曜日には8つになり、土曜日にはほんとのところ20になるというあの奇妙な子どもたちのひとり」(注11)なのだといい、その子どもをHooという造語で表わしている。
「HooこそC・S・ルイスの言葉を借りるなら、子どもであるクリストファー・ロビンと大人のミルンとが複合されてできた第三の個性なのである」と指摘したのは猪熊葉子(注12)であるが、仮に児童文学に無意識のうちに秘められた目的があるとしたら、子どもにしろ大人にしろ純枠な遊びの世界(幼児、子ども性)を存分に経験することにより、やがてより広く豊かに第三の個性(人間的成熟)をもつように致ることではなかろうか。
 ミルンは終章の最後の三行で、人間の内面には魔法の場所があって、ひとりの少年とその子のクマがいつも遊んでいる、つまり幼児性(純粋な遊びの世界)が生きているといっているように思われる。近代の児童文学は、子どもの独自の価値(感受性、想像力、楽天性、無心さといった遊びの精神)を土合にして出発したといわれている。そしてこの価値は子ども時代が終わることによって損なわれたり、喪失したりするのではなく、成長する人間の内面に形を変えて存在しつづけ、それが《人間的成熟》にとってすばらしい養分になることを立証する歩みだったといっても過言ではないだろう。
 さて、『クマのプーさん』をこよなく愛する大人の読者たちの心象を通して、哀感や郷愁の起因する要素を検討しようとしてきたわけだが、整理するなら「プー」ファンは大きくニつに分けられることが分っていただけたと思う。一つのグルーブは、幼年時代(遊びの世界)との別れを悲しみ、別れを前にして幼年時代により一層強い愛着を感じる人たち、もう一つのグループは、自分の中に存在しつづける魔法の森がどんなにすばらしいかを味わい、これからの人生にとってその《森》がどんなに意味深いものかをかみしめさせられた人たちである。前者は幼年時代をふりかえろうとし、後者は幼年時代を足場にして前方をみつめようとしている。
 いつまでも大人にならないピーター・パンならいざ知らず、人を愛したり、助けあったりして生きていくことは人間(大人)にとってそれほどやさしいことではない。人生が不条理(苦渋)に満ちているからといって、それと同じくらい、いやそれ以上に喜びが存在することに背を向けてはならないだろう。魔法の森を胸奥にもちつづけるということは、とりもなおさず自分の《生》を大切にし、それを豊かに楽しみ多いものとすることを願うことに他ならない。
『クマのプーさん』から受ける感動は、ふりかえる視点としての哀感や郷愁ではなく、明日を生きるために今(魔法の森)を大切にする《遊びの燃焼》のすばらしさであろう。そして『あかつきのパンの笛』から受ける畏敬に似たふしぎな感動は、神(創造主)の前にひれふす者が神に棒げる愛情ではなく、神によって創られたあらゆる生物をいつくしみ、ひいては自己のすばらしさをみつめ自己の《生》を大切にしていこうとする静かなエネルギーに起因していると思われる。いずれにしろ、感動深い児童文学作品というものは、今をふみしめ、自己をみつめ、明日を望む確かな精神にあふれているものにちがいない。
 その確かな精神というものは、しばしば行間に隠された作者の人生哲学から来ているものである。そして、それと同じくらいの重要さで、すぐれた表現の〈アート〉から生まれるものでもある。
 タウンゼンドは、「昔なつかしさの感情は別として、プーの物語にもどってゆく大人の読者は、文句のつけようがないほどすぐれた技巧をいやでも認めないわけにはいかなくなる。ミルンは、完壁な職業作家であった」(注12)と述べた。
 子どもと大人の別なく、〈プークマ〉に対する読者の満足は、哀感や郷愁とは無関係に、プーやコブタのくりひろげるナンセンス・ファンタジーの世界で、「遊べたか?」「遊べなかったか?」の二つしかないであろう。
注1『児童文学1973』聖母女学院短大児童教育科1973年6月10日発行
注2「遊びの場の可能性―作品世界を支える饒舌と空白」『児童文学世界』6号、1984年6月、中教出版、収録。
注3『英米児童文学史』(研究社)所載の「英米児童文学を日本はどうとりいれたか」(瀬田貞二)によると、日本児童文学界に真の新風革命を樹立したのは『熊のプーさん』(岩波書店)の紹介であったらしい。同じ招和15年にはグレアムの『たのしい川辺』が、16年にはロフティングの『ドリトル先生アフリカ行き』が刊行され、ファンタジーという未知の喜ばしい世界へ入る感動を日本の読者に与えたという。
注4 フライデイ・サークルという〈児童文学を読む会〉が、昭和51年より3年開催した会。例会は隔週の金曜日で、会員は約25名。
注5 いぬいとみこ「わたしとプー」『月刊絵本―クマのプーさん特集号』1977年すばる書房、収録。
注6 石井桃子訳、岩波書店より。
注7 「『くまのプーさん』の孤独について」『日本児童文学』1968年8月号、盛光社、収録。
注8 原昌、梅沢時子訳『ぼくたちは幸福だった―ミルン自伝』研究社。
注9 18世紀後半の「こどもの価値」発見に貢献したロマン派の詩人たちの一人で、幼児には神に似た創造性や宇宙を包括する能力があり、その能力は成長するにつれて失われやすいが、なお死ぬまで人間には残されていると、説いた。
注10 WHEN WE WERE VERY YOUNG の一番最後におさめられた'Vespers'(夕べの祈り)という詩。
注11 序文(Just before we begin)に次の文章がある。
I don't know if you have ever met Hoo, but he is one of those curiouschildren who look four on Monday,and eight on Tuesday,and are reallytwenty-eight on Saturday.注12 「『クマのプーさん』―永遠の童心の世界を探ったミルン」『イギリス児童文学の作家たち』研究社、収録。
※テキスト『クマのプーさん・プー横丁にたった家』石井桃子訳、岩波書店、1962年版。『クリストファー・ロビンのうた』小田島雄志・小田島若子共訳、晶文社、1978年版。
Where We Were Very young(1924)
Now We Are Six(1927)
Winnie-the-Pooh(1926)
The House at Pooh Corner(1928)
テキストファイル化藤井みさ