『ページのなかの子どもたち・作家論』(松田司郎:著 五柳書院 1984)

初出一覧
佐藤さとるのネバーランド―書きおろし/1984年(一部参考に使ったもの=「日本産の小人たち-コロボックル小論」『日本児童文学』1978年3月号,偕成社,収録。)
いぬいとみこのファンタジー―「《掟》と《シンボル》の意味」『日本児童文学』1974年10月号,すばる書房盛光社,収録。
今江祥智の遊びの世界―以下のものを参考に大幅修正/「竜の子・・太郎から竜の子・・・三太郎―ヒーローのありようと生きざま」『児童文学評論』9号,1974年12月,大阪新児童文学会,収録。「山のむこうには何があったか」『新文学』1974年3月号,収録。「《生》の自立と《存在》」の重み―『ぼんぼん』をめぐって」『日本児童文学』1974年12月号,すばる書房 盛光社,収録。
神沢利子の神話世界―書きおろし/1984年(一部参考に使ったもの=「ちびっこカムのぼうけん」『日本児童文学100選・日本児童文学別冊』1979年1月偕成社,収録。「<神話> はエネルギー(想像力)の源泉」『日本児童文学』1981年2月号,偕成社,収録。」
川村たかしのリアリズム―「もう一人の川村たかし―『新十津川物語』のフキと恭之助に寄せて」『児童文学1981』聖母女学院短期大学児童教育学科,収録。
灰谷健次郎の子どもの世界―書きおろし/1984年。
ネズビットのリアリズム―前半書きおろし/1984年。後半「20世紀の足跡―E・ネズビット」『きっどなっぷ』創刊号(1977年)きっどなっぷの会,収録。
グレアムのファンタジー―「20世紀の足跡―K・グレアム」『きっどなっぷ』創刊号(1977年)きっどなっぷの会,収録。(1部修正)
バリのネバーランド―「20世紀の足跡―ジェイムズ・バリ」『きっどなっぷ』創刊号(1977年)きっどなっぷの会,収録。(1部修正)
ミルンの遊びの世界―「《哀感》と文学性」『日本児童文学』1978年11月号,偕成社,収録。(1部追加修正)
ランサムの子どもの世界―「20世紀の足跡―A・ランサム」『きっどなっぷ』創刊号(1977年)きっどなっぷの会,収録(追加修正)ガーナーの神話世界―次のものを参考に大幅修正/「《現在》を貫く根源的エネルギー―アラン・ガーナ―に関するメモ」『日本児童文学』1975
 年5月号,盛光社,収録。



あとがき

一冊の本が人生を変える ―― 使い古された言葉ではあるが、この言葉は私の歩んできた道筋にぴったりだといえよう。
 私を救い出してくれたのは宮沢賢治である。とりわけ『鹿踊りのはじまり』という作品であった。文中の「太陽はこのとき、ちゃうどはんのきの梢の中ほどにかかって、少し黄いろにかがやいて居りました」という一節にくると、私は今でも痺れるような喜びに襲われる。
 この種の、、喜びは、C・S・ルイスが『喜びのおとずれ』という自伝の中で指摘した「法外な祝福」であり、「決してみたされることのない渇望」である。それは、子ども時代、私の回りにあふれていた"輝き"と同じものであり、遥かな前方に想いを馳せる"憧憬"ともいえるものであった。
 私は、賢治に導かれて児童文学の世界に入り、私がそれまで失ってきた沢山のものを取りもどすことができた。しかし、私が迷わず進むことができたのは、すばらしい先達のおかげであった。
 本書でとりあげた十二人の作家たちは、いろいろな意味で私を、撃、っ、た人々である。他にも論じたかった作家として、上野瞭、山中恒、三木卓、ピアス、トーキン、タウンゼンドらがいるが、力量不足のため次の機会に譲らねばならなかった。
 今江祥智氏は、大学の先輩であるばかりでなく、、迷、え、る、海での羅針盤でもあった。私は氏の口の端から噴流する本の数々を読了することにより、児童文学の本質から遠ざかる危険性を免れた。
 灰谷健次郎氏との出会いは、暗いアパートの一室だった。私は氏が抱え込んでいるものの重さと大きさに圧倒された。生きることがすなわち創作行為であるという酷しさを、私は氏によって教えられた。『ろくべえ、まってろよ』という絵本は、私の二〇年の編集人生にとって忘れがたい本をなった。(灰谷氏は拙論のために絵本の、も、ととなったシナリオ「ろくべえ」を全文提供して下さいました。)
 川村たかし氏は、その温厚な眼差しに似ず、文学はあくまでもきびしい。私は『凍った猟銃』や『毒矢』の文章を原稿用紙に写しながら、生きた言葉の美しさを学んだ。文学もさることながら、氏は人生への豊かな導き手でもあった。
 本書は、書き下ろしもあるが、主として数年前から現在に渡って書いたものを集めたものである。
 私は昭和四三年より、児童文学を読む会を続けてきた。最初は《一〇一ばんめの星》のちに《きっどなっぷ》という同人誌の日常活動の一つとして位置づけられていたが、やがてフライデイ・サークルとして独立した。二週間に一人の作家を読むわけであるから、、、のべにすれば数百人の作家と出会ったことになる。
 フライデイ・サークルでは、昭和五一年より三年間イギリスを読みつづけた。この間、会員たちと協力して、当時未邦訳のONLY CONNECT や A Sense of Story (by Townsend) を訳出したりした。いずれにしても、こうした地道な活動が、今日の私を支えているといっても過言ではない。
 この論集の装幀を長谷川集平氏に引き受けていただいたのは望外の喜びである。氏の絵本『トリゴラス』は、編集者にとって逆転満塁ホームランの痛快さを味あわせてくれた数少ない本の一つである。
 最後になったが、この本を編むにあたって適切な助言を与えて下さった五柳書院の小川康彦氏に、心から
お礼申し上げます。

  昭和五九年九月一日 松田司郎

松田司郎

1942年大阪生まれ。2歳から6歳まで島根の山村で過ごす。大阪府立高津高校を経て、同志社大学文学部英文学科に学ぶ。在学中は外国の文学にとりつかれていたが、宮沢賢治によって児童文学の目を開かれ、創作を志す。卒業後(1965年)出版社に勤務し,児童図書の編集に携わる。1984年秋退社し,児童文学の創作と研究に専念する。現在NHK童話教室,絵本学校等の講師をつとめる。日本児童文学者協会会員,日本児童文学学会会員。同人誌『きっどなっぷ』主宰。創作に「ウネのてんぐ笑い」「おゆん」(以上理論社)「まだらのおにろく」(金の星社)「花あかり」(小学館)「海のぼうや」(学校図書)「そらをとんだくじら」(太平出版)など。評論に「現代児童文学の世界」(毎日新聞社)「子どもが扉をあけるとき=児童文学論集II文学論」(五柳書院)など。翻訳に「ハビランドの昔話=美しいワシリーサ」(学校図書)などがある。現住所・大阪府富田林市不動ヶ丘町11-2


「ページのなかの子どもたち」
昭和五一年一〇月二五日初版発行
著者        松田司郎
発行者       小川康彦
発行所       五柳書院
          東京都千代田区一ツ橋二―六―十三 
          〒一〇一電話〇三(二六四)四四二九
          振替 東京2―87479 
印刷所       誠宏印刷
製本所       越後堂製本
定価        一、八〇〇円 
テキストファイル化須藤清美