児童文学にみる「家族」

箕面市学校図書館司書連絡会発行『Lめーる』より

           
         
         
         
         
         
         
    
児童文学にみる「家族」@             
夕ごはんまでの五分間』 プロハースコヴァー/作 ポコルニー/絵 平野卿子/訳  偕成社 1996年

 本当の家族って一体どんな家族なんだろうか?この本の主人公バベタは両親から愛されていることに自信を持っている女の子だ。父親とは血のつながりがない。彼女はいつも夕ごはんができるまでの間に父親から家族の話を聞くのが大好きである。母親が妊娠中に恋人と別れなければならなかったこと、そのころ父親と母親が出会ったこと、恋に落ちたこと、目の見えないバベタが生まれたこと。父親は彼女にはっきりと事実を話して、彼女が生まれるのを望んだこと、母親や彼女をどんなに大切に思っているかを伝える。
 この本は1992年にドイツで、1996年に日本で出版された。これからの日本でも血縁を越えた様々な形態の家族が増えてくるだろう。子どもたちは、常に自分が愛されていることを確かめたいと思い、その幸せな安定感を求めている。だからこそ、この本では、バベタは愛されているのを確かめたくて何度も父親に家族の歴史を聞き、幸せにひたるのである。児童文学を通して子どもたちの深い内面を感じてもらいたい。(Y)<『Lめーる』VOL.23  `99.5>




児童文学にみる「家族」A
『12歳、ぼくの夏』 江崎雪子/作 いせひでこ/絵  ポプラ社 1994年

 両親の離婚、そして再婚。子どもは、自分の頭の上でおこるこのような状況に、ただ流され、振り回される。どんなに幼くても、その小さな心は傷つく。この物語の主人公、純もそんな少年である。父親に捨てられたという思いを秘めて、今は元気に母親と山里の村に住んでいるのだが、ある日山の上の空き家に越してきた北山という男の人に出会う。彼もまた、子どもを死なせてしまったという重荷をしょっている。純は、理科の教師だったその人に、天文観察や勉強を教わり、胸の奥の痛みも話していく。そして中学生になった純は、幼いときに突然父の元から母の元へとやられた時の事実を確かめに、父親を訪ねる。そんな折、純の母親と北山との再婚話が噂される。「どうして大人は自分を抜きにして事をはこんでいくんだ」信頼していた人に裏切られた怒りでいっぱいの純は、また苦しむことになる。
 この物語は、12歳という思春期の入り口にたった少年の成長を描いたものであるが、表紙のセミの羽化の絵が、まさにそれを象徴している。一人の人間としてまわりをしっかり見つめ、ある日殻を破って自分探しの旅にとびだす。そんな少年の姿を自然と絡めながら綴った作品である。(M)<『Lめーる』VOL.24  `99.7>



児童文学にみる「家族」B
バッテリー』 あさのあつこ/著  教育画劇 1996

 「難しい年頃」と大人たちはよく口にする。彼らは干渉を嫌い、家族はとまどい、家の中は緊張する。彼らが子どもの殻を脱ごうともがいている姿は、しかしよく見るとまっすぐで、みずみずしく、ガラスのような世界を持っている。家族ははらはらしながらも、見守り、支えていける存在なのだろうか。
 この物語の主人公、原田巧は中学入学前の春休み、父の転勤で母方の祖父の住む家に越してきた。小学生の時からピッチャーとして絶対的に自信を持つ巧は、中学でも当然野球をやるつもりだ。そんな巧を待っていたかのように、同じ年の永倉豪という少年に出会う。豪はキャッチャーだった。そして、巧の投げた球は、心地よく、力強く、豪のミットに受けとめられ、お互いに最高のバッテリーになることを確信した。今まで、自分の力だけを信じてきた巧は、投げた直球を受けとめてくれる相手を得たことで、人の信頼関係にも目覚める。
 純真な気持ちでぶつかってくる弟、元高校野球の名監督であった祖父、そして両親といった家族は巧の真の監督であり、サポーターといえるかもしれない。そんな中で、自分の足で思う道を行こうとしはじめた少年たちがまぶしいほどに描かれた作品である。続編の
『バッテリーU』と合わせて、一つの作品といっても良いかもしれない。まとめてお読みいただきたい。(M)<『Lめーる』VOL..25  `99.10>


児童文学にみる「家族」C
パパは専業主夫』 キルステン・ボイエ/著  遠山明子/訳  童話館 1996
 
 この物語は、12才の女の子ネールの目を通して書かれている。家族は、4才の弟、生まれたばかりの弟ヤーコプと両親。そして、ヤーコプの出産をきっかけに父が仕事を休み、母が働きはじめるという新しい試みが始まる。突然の逆転に家族が奮闘していく様子や、ネールの憧れている男の子、また逆に思いを寄せてくる男の子、そしてネールとは対照的な家庭に育っている友人のカーチャとの関係を通して、ネールが自分自身を見つめていく様子がユニークに描かれている。
 話の核心は主婦業を始めた父が、「週に3回テニスをしたい。」と言いだすことから始まる。育児中、良き妻・母を務めるため、自分のやりたいことを抑えていた母にとって、父の態度はがまんならず、男女間の不公平さを感じて言い争いとなり、ついには家を飛び出してしまう。一言で「男女共生」といっても、今までの教育や経験の持つ影響力は大きい。
理屈では分かっていても"女は、男は、こうあるべき"という固定観念が体の奥にしみついている。翌日、母はネールに逆転生活の難しさについて自分の正直な考えを話し始める。
そして、両親は、すぐには慣れないだろうが、これからも話し合いを重ね、今の生活をやり遂げていこうとする。このことは、これから大人になっていくネールたちの価値観の形成にも大きくかかわってくるだろう。
 21世紀がそこまできている今、新しい家族観を考えさせられる1冊である。 (M)<『Lめーる』VOL.26  `99.12>

児童文学にみる「家族」D 
おやすみなさい トムさん』  ミシェル・マゴリアン/著  中村妙子/訳  評論社  1991
 その子はひどい虐待を受けていた。名はウィリアム。9歳。第二次世界大戦下、ロンドンの母親の元から疎開のため、物語の舞台となる田舎にやってきた。彼は弱々しくやせ細った体で、生気が全くなく、体中にひどい傷があった。村人からはへんくつと思われている、一人住まいの老人トムが、彼を預かることになった。トムはウィリアムの全てに怯える様子と体中の傷から、どうやらひどい扱いを受けてきたことを察する。
 この物語では、実際に手をあげて虐待している場面はほとんどない。ウィリアムのトムさんのところでの暮らしを淡々と綴っているのだが、かえって虐待の酷さを激しく訴えてくる。それと共にウィリアムが回復していく様や、昔、妻と子を一度に亡くし、それ以来心を閉ざしていたトムさんの変わりようも、しみじみと伝わってくる。しかし物語はそれでは終わらない。元気を取り戻し始めたウィリアムは、半年たったある日、母親に強引に連れ戻されてしまう。自分の言いなりだったはずの息子の変化に焦り、さらに激しい虐待を加える母親。幸せな生活を一度知ってしまった彼には受け入れがたい現実だった。
 親の理不尽な気持ちのはけ口にされてしまう子ども。20年も前にかかれたこの物語が、不幸にも色あせていない現代。しかし物語では、ウィリアムはトムさんと周りの人の愛情を支えに立ち直っていく。作者は真正面から"虐待"に挑み、見事にそれを克服した。"目をそらさないこと"の大切さを教えられる一冊だ。  (T)<『Lめーる』VOL.27  2000.3>



児童文学にみる「家族」E
『スカイ・メモリーズ 母と見上げた空』 パット・ブリッソン/著  谷口由美子/訳 あかね書房 1999

 愛する人との永遠の別れを経験した後、残された家族はどのように立ち直り、新たな一歩を踏み出すのか。この作品に登場するのは、10歳の少女と母親の二人家族。ある日、母親は医者からガンを宣告される。母の発病によって、二人は残された時間を共に大切に生きようと誓う。そして始まった遊び、「スカイ・メモリー」とは、季節の変化の中で出会ったその瞬間の美しい空の情景を、二人だけの心のカメラに映しとるというものである。
 最初はほんの遊びのつもりで、母と手をつないで空を見上げていた少女だったが、物語の中盤から少しずつ変化していく。投薬によって心身ともにやつれた母から、余命が短いことを打ち明けられ、少女は不安で眠れない夜を過ごす。そんな少女を支えたのが、ヴィッキーおばさんだった。彼女は淡々とした日常生活を一緒に過ごすことで、少女を見守っていく。最後の「スカイ・メモリー」のシーンでは、母と娘が手を取り合い、お互いがかけがえのない存在であること、今二人が目にしている素晴らしい空は永遠であることを伝え合い、しっかりと心に刻みつける。そして間もなく、母親はこの世を去る。
 物語の最後に、少女が母の死を徐々に受け入れ、「心のカメラに残した美しい空の記憶があるから、私はこれからもやっていけそうな気がする」と語る場面が出てくる。母親は、お互いへの愛情を娘と共感し、同時に美しい自然をも共感することで、娘に生きていく道を教えた。人と人とが共感し合うことの大切さが問われている今、ぜひ多くの方にお勧めしたい作品である。美しいイラストと簡潔で美しい文章は、多くの人の心を打つだろう。 (Y) <『Lめーる』VOL.28  2000.7>


児童文学にみる家族F
『めぐりめぐる月』  シャロン・クリーチ/著  もきかずこ/訳  講談社 1996

 この物語の主人公は、アメリカインディアンの血を引く13歳の少女サマランカ。彼女は祖父母に誘われるまま、オハイオ州ユークリッドからアイダホ州ルーイストンまで、約3200キロものアメリカ横断のドライブ旅行に出かける。彼女のひそかな旅の目的は、家を出てルーイストンへ行ったまま帰らない母をたずね、いっしょにつれて帰ること。
 長い旅の途中、サマランカは退屈しのぎに、親友フィービィをめぐる出来事を祖父母に語り聞かせる。そのなかで、実はこの出来事が自分と母をめぐる物語、さらには祖父母をめぐる物語と一つに織り重なっていることに気づく。そして彼女は、後に明かされる母の失踪理由とその経緯を、少しずつ理解し受け入れていく。
 旅が終わったある日、サマランカはふと、今回のルーイストンへの旅行は祖父母から自分への贈り物だったのだということに気づく。つまりふたりは、この旅行で母が目にしたものを見、感じたことを体験するチャンスを、サマランカに与えてくれたのだった。
 織物を綾なす一本の糸と同じように、次々に別の時間を綾なす巧みなストーリー展開。そしてそのなかで、容易には現実を受け入れることの出来なかった少女が、自分自身や周りの人々に対する新しい視点を通して、自己の確立に目覚めていく過程が繊細に描かれている。1994年度ニューベリー賞受賞作品。  (Y)<『Lめーる』VOL.29  2000.10>