『児童文学セミナー』(季節社 1979)

児童文学における冒険の歴史
冒険とは無縁な童心主義
 冒険は、子どもにとって、あるいは子ども的な心情を持ち続けている人びとにとって、すこぶる魅力的な行動形態のひとつである。児童文学は本来、子どものための文学なのだから、古今東西、多くの児童文学者たちが、作品の中に冒険をもりこもうと努めてきたのは、至極当然のことであった。
 ひょっとすると、児童文学のすべてを、冒険という大きなテーマ(主題)のもとに概括してしまうことさえ可能かもしれない。いささかも冒険とは関係がない、というような作品が子ども読者にむかえいれられようはずはないと考えられるからだ。
 冒険を字句の上から解釈すると「危険をおかして行なうこと」(明解国語辞典)である。従って冒険について考察する場合には、いったい何が、どのように危険なのかという尺度、すなわち"危険度"をまず設定する必要があると思う。もちろん一般的にいって生活体験がすくない子どもたちにとっては、危険を意識する事柄や事物は実におびただしいわけだから、おとなの目から見て日常茶飯の事象であっても、それらが冒険の名に値する行動形態たりうるということは充分に考えられるのだ。
 幼少年時代を想起すれば、だれもが冒険の体験をもっている。ある日の午後、日向に干してあった布団がとりこまれ、部屋の隅につみかさねられていたのを発見、それによじのぼり、さらにとびおりるときに、幼い胸いっぱいにふくらんだ決断。公園あるいは校庭の片隅で、鉄棒にぶらさがり、世界を逆転させてしまったときの勇気。おいしいから食べてみろと親にすすめられ、生まれてはじめての食物を口にいれたときのおののきと期待の交錯など、一挙手一投足ことごとくが冒険であったといっても決して過言ではないはずなのである。そしていまも、子どもたちが日日、冒険にあけくれる生活をおくりつつあるわけだろう。
 佐藤義美の幼年童話に「ちゃぶだい山」という短篇がある。幼い弟がちゃぶだいによじのぼろうと努力するさまをを見て、小学生の兄が、
<みきちゃん、しっかり。そうだ、手に ちからをいれて。あたまを ちゃぶだいに のせて。 もっと からだを ななめに して>と心のなかで声援するというだけの、ストーリィとしてはすこぶる単純な作品なのだが、子どもと冒険との関係を追及しようとする場合には避けてとおることのできない問題を内包しているといわなければならない。
「ちゃぶだい山」における幼い弟の行動と、それを支援する兄の意識と、その両者を描きだすことによって、子どもにおける冒険への荷担を決めた作者の意志は、児童文学における冒険の歴史を終始つらぬき支える一本の赤い糸にほかならないからである。次のようにいいかえることも可能だ。幼い弟の行動というのは、どこにでも散財している素材でしかない。けれど、その弟の行動をたわいもないこととして退けずに支援する兄の意識は方法なのだ。ということになれば、作者の荷担はもちろん文体以外ではありえない。兄の意識、つまり方法をぬきにして作者が弟の行動たる素材を表現するならば、それはまちがいなく童心主義となる。そして童心主義は冒険とは無縁だから、子ども読者にむかえいれられることはないのである。
 方法をぬきにして冒険は成立しない。方法とは現実的な手つづきのことだ。手つづきが変われば素材の意味あるいは価値は変化する。ちゃぶだい山にのぼる幼い弟の行動=素材を、兄が支援=方法化したとき、ちゃぶだいにのぼるという行為は幼児のたわいない日常生活の一端から、子どもにとって必要不可欠な成長過程たる冒険へと質的変化をとげていたのであり、それに荷担し表現した作者の行動の軌跡は文体として現象したのである。
 児童文学における冒険を考えようとするとき、直ちに思い浮かんでくるのは、マーク・トウェインの諸作品ではあるまいか。『トム・ソーヤーの冒険』でも『ハックルベリー・フィンの冒険』でもよいのだが、そこに描きだされた少年たちの行動は、いかにも子どもらしいというような、童心主義的評価では処理しきれない歴史的必然性にうらうちされている。これらの作品が書かれた時代の、現実的な手続き=方法を通過することなしには、トムの行動もハックの協力も現象することはなかった。この当然すぎるほど当然の事柄を捨象して、マーク・トウェイン作品中の少年たちを、ほほえましき悪童として評価してきたのが、童心主義者の歴史的役割であった。これら童心主義者の虚弱な視力は、たとえば大江健三郎がつぎのようなかたちで看取した少年たちの<冒険>を完全に見落してしまう。<ハックルベリー・フィンは黒人ジムとの筏の生活において、しだいにかれ自身の、時代と社会への態度をつくりかえてゆき、そして最後に、かれ自身の意志において、絶対的な選択、あるいは決断をおこなって、それを終始、持続することになるのである>(『持続する志』所収「ハックルベリー・フィンとヒーローの問題」文芸春秋社刊)
 マーク・トウェインは百年近くも前の時代の作家であり、トムもハックも、その時代を生きた少年なのだ。その時代において、白人少年が黒人の自由に荷担するということは、"僕は地獄に行こう"という悲痛な決意をぬきにしては成立しなかったのであり、それは当然作中人物とのかかわりにおいて、作者にも波及する問題であった。つまり、いつの時代にあっても、児童文学における冒険は、子どもの用意周到かつ勇気ある決断による現実的手つづきと、それに荷担する作者自身の冒険心をぬきにしては成立するはずがなかったのである。
 マーク・トウェインが自らの少年小説の主人公にトムという名の少年を選び、その冒険への共犯関係に踏みだしはじめるより十四年も早く、海のかなたのイギリスにおいて、ひとりのキリスト教徒作家がその名も同じトム少年と共犯的冒険へと旅立っていった。作家はチャールズ・キングスレイ、そして作品は『水の子』である。
 カンカン虫と蔑称される煙突掃除の少年トムは、親方に虐待される日常を拒否し、水の中を経て遊びと教育の国に至る。この作品をひとつの冒険を描き切った児童文学と確認する理由は、第一部「近代子ども観とその成立過程」でも述べたように、年少労働者である少年トムを、過酷な労働から解放することが、当時のイギリスにあっては、最も現実的な手つづきであり、それゆえに冒険の名に値する事柄だったからである。これはマーク・トウェインにおける黒人の自由への荷担と位相であった。
 子どもの行動のかげに寝そべってはいられない
 マーク・トウェインの冒険からおよそ十五年、キングスレイの冒険から数えて二十九年後の一八九一年(明治24)日本児童文学史上初の創作童話といわれる『こがね丸』が巌谷小波によって書かれ"少年文学"と銘うたれて博文館より上梓された。周知のようにこの作品の内容は、こがね丸という雄犬が親の仇である猛虎の金眸大王に勝ち、それによって主家復帰も叶うというものであって、お伽話の域を出てはいない。お伽話であるからということではなしに、わたしはこの『こがね丸』を冒険というテーマのもとに概括することが不可能な作品だと断定する。断定の理由は、この作品の末尾に書かれた荘官の家の主人(作中ただひとりの人間である)のことばのなかに発見される。その大意は、父の仇討というのは私怨だからほめるには値しないけれど、金眸というのは獣類、人間に害をなしていた存在である。それを討ちとったのは天晴れだ、ということになる。
 つまり巌谷小波は、こがね丸の動機および現実的手つづきとしての親の仇討ちに荷担する気は毛頭なくて、こがね丸の行動の結果としての獣類・人間の利益の上に立って、それを評価したにすぎないのだ。それというのも、当時はすでに法的に仇討ちが認められていなかったのだから、巌谷小波としては、結語として「事私の遺恨」たる仇討を容認するわけにはいかなかったということになる。直截にいうならば、巌谷小波はこがね丸という名の子どもの決断と行動を利用して一篇の物語を成立させておきながら、結果的には一義的な目的と行動は認めず、二義的に派生してきた成果だけを評価したのだ。この作者には、作中の人物たる子どもと共犯の冒険へ踏み出す意志がない。冒険への決断、すなわち"地獄へ行こう"とする"恐ろしい考え"がなかった。従って、"恐ろしい言葉"もない。巌谷小波の作品には作者の行動の軌跡であるはずの文体がない。小波が後年、口演童話へと移行したのは当然のことであった。
 作中の子どもとともに「危険をおかして行なうこと」さえなしえない作家を創作児童文学の先達として持つ日本児童文学の不幸は、とりもなおさず、子どもの行動の現実的な手つづき=方法を欠落させた童心主義の花ざかりとなって具現した。その後の児童文学の歴史のなかで童心主義を克服する試みは多種多様になされたはずなのだが、まだまだ童心主義は健在である。それというのも「ちゃぶだい山」の作者佐藤義美のような人を、異端あるいは傍系としてしか遇しようとしなかった日本児童文学全体の、児童文学者としての冒険心の欠落が原因なのだ。
 あえて、アフォリズム的にこの文章の結論を提示してしまうとしたら、
<児童文学者の児童文学における冒険とは、作中に登場させた子どもの行動への熱烈なる荷担である>ということになる。文学史のなかの著名なアフォリズムに倣っていうなら、
<子どもの行動のかげに寝そべってはいられない>のだ。
テキストファイル化番場美千子