『児童文学セミナー』(季節社 1979)

児童文学における空間の理念


子ども時代の黎明は産業革命とともに
<いまは私は、ここに、ひとりで、まったく安全なところにいる。外は雨が降っている。外では雨のなかを、頭を前に傾け、片手を目の上にかざしながら、それでも自分の前を、自分の前数メートルのところ、濡れたアスファルトの数メートル先を見つめて歩いている。外は寒く、はだかになった黒い枝の間を風が吹きぬけ、それが壁の白い漆喰の上に影をおとしている>
 右の文章は、ロブ=グリエ作「迷路のなかで」(『現代フランス文学13人集』第二巻に所収、新潮社刊)の冒頭部分なのだが、このような描写から受けるわたしたちの印象は、すこぶる映像的だということだと思う。事実、アントニオーニなどの映画作品にはしばしばこのような手法が駆使されているのであって、それは何もロブ=グリエ自身が映画シナリオの創作に手を染めているからというような単純な事柄ではなく、あるいはまた映画的手法というようなものでもなくて、あくまでもそこでは、ひとつの空間を設定しようとする作家の入念な意志の働きを認めることができるであろう。
 なにゆえにロブ=グリエに代表されるところのアンチ・ロマンの小説や、それと傾向を同じくする映画がまず第一に空間を確実に設定しようとつとめるのか。これはおそらく、現代の文学・芸術全般を考察しようとする場合に、最も重要な課題ともなりうる問いかけであるに違いない。しかしわたしはいま、それについて多くを語る余裕がない。いまはごく素朴な形態でそれを判断し、主題に接近する必要があるのだ。
 すなわちわたしは、ここでは一応、ロブ=グリエやアントニオーニたちの芸術的試みを、人間という名の生きつつある存在、つまり<時間>をより明確に描出したいという作家としての当然の欲求の一現象だというふうに考えておく。
 もちろん人間には、好むと好まざるとに関係なく、終始、空間すなわち世界のなかで生きなければならず、それ以外に生きるすべはないのだという自明の前提がある。ということは、空間のない時間がないように、時間のない空間もまたありえないはずなのだが、それをさながら、ありうるかのように描き続けてきたのがファンタジーに象徴されるところの児童文学であった。このような表現はともすると、"否定的"に響くものだが、わたしはあながち否定的にばかりはみていない。とにかくそこでは、まず空間の設定作業が入念になされたということでは、ファンタジーもアンチ・ロマンも多くの共通項を持ちえているのだ。
 一例としてジェームズ・バリ作『ピーター・パン』を想起してみるならば、そこでは確実に空間の設定がおこなわれていたことが判然とするはずである。『ピーター・パン』の第一章は「公園の大漫遊」(本多顕彰訳、新潮文庫)と名づけられ、ピーター・パンの活躍舞台であるところのケンジントン公園についての描写が展開されている。冗漫にすぎるとさえ感じられる第一章を読むことによってわたしたち読者は、道・樹木・池・建物などが一定の秩序を保ちながら存在していることを知らされるのだ。しかし、ファンタジーとアンチ・ロマンの共存はあくまでも冒頭部分に限られるのであって、そのあと直ちにアンチ・ロマンが時間=有限を持ちこみ、空間と時間との関係を追及しはじめるのに対して、ファンタジーは永遠=無限を持ち込んでくる。
<「蛇形池」という池はこの近くから始まります。これは美しい池で、その底には森が沈んでいます。この池の縁へ行って、のぞくと、樹々がすっかり逆に見えますし、夜になると、星もまたその中に沈んで見えるということです。もしそうならピーター・パンは、この池を鶫の巣に乗ってわたる時にそれを見るでしょう> <人間の赤ちゃんになる鳥は男も女もみんなこの島で生れるのです。人間は誰もこの島に上陸することは出来ません。ただピーター・パンだけは別です。そのピーター・パンはただ半分だけ人間なのです>
 この部分が内包する意味は大きい。このようなジェームズ・バリの空間設定と永遠との結合方法は、ファンタジーの典型ともいえるものであり、それは作者が意識した・しないに関係なく、児童文学・文化の黎明期であった産業革命の時代から現代までを生きぬくことになったのである。ジェームズ・バリは一八六〇年に生れ一九三七年に没しているが、生地が産業革命の中心地であるイギリスの、しかも工業都市キリムアだったということは、偶然では片づけられない多くの必然性を含んでいるはずだ。
 ここではまず、児童文学・文化の黎明がなぜ産業革命とともに訪れたのかを考察しておく必要があるだろう。
 周知のように産業革命の前ぶれにはマニュファクチュアの時代があり、それがやがて機械化工業に移行する時期というのは、多くの工場に年少労働者が進出したときであった。それら年少労働者の低賃金労働は成人労働者の価値を低め、資本による労働力の収奪を容易にすることが明白となってきた。しかも子どもたち自身、最も多く搾取されるがゆえに、最も戦闘的=革命的な階級を形成する可能性を持ちはじめてきたのだ。ために、そうした階級の組織化を未然に防ぐ必要が資本=体制側に生じてき、その結果、子どもたちは工場労働から解放=追放されたのである。
 その名分はあくまでも、子どもは国家によって保護されるべきものという大儀によって現象したのだが、それによって子どもたちは、永遠をえた代償に現在という時間を奪われてしまった。以後、子どもの行動の一切は、未来の社会に奉仕するための訓練でしかなくなったのだ。しかし子供たちの多くが工場労働に従事していたという記憶が人びとの脳裡に残っていた時代には、時間と永遠とのすり替えはそれほど容易ではなかった。そこではあくまでも、空間設定が確実にすすめられた上でなければ、いかに半人間の妖精ピーター・パンといえども自由に跳躍することは許されなかったのである。「どうして、子どもが、それほどまで自由になりうるのだ?」それにはまず、「かくのごとき空間があるからである!」という問答が用意され、完了されていないようでは、とうていファンタジーは十九世紀から二十世紀にかけての合理主義の時代を生きぬくことは不可能であった。いまでこそ多くの日本版『ピーター・パン』は、空間設定に終始する冒頭部分を省略させているけれども、それらはもはや思想を喪失したファンタジーなのであって、古典に価するほどのファンタジーはルイス・キャロルの『ふしぎの国のアリス』にしても、A・A・ミルン『クマのプーさん』にしても、さらにはP・L・トラヴァース『メアリー・ポピンズ』三部作にしても、そのいずれもがまずはじめに空間設定をやってのけているといっても決して過言ではないのだ。空間設定のないファンタジーはファンタジーに非ずともいえるであろう。そしてそれらは、多くの子どもたちに、また子どもをめぐる文学・文化の理念におびただしい影響を与え続けてきたのだが、時代の推移はいつしかそれを矮小化した。

自由に対する欲求から生まれた空間の理念
 たしかに子どもは自由を与えられた。たとえばそれはエレン・ケイの<二十世紀は子どもの世紀>というアピールによっても明らかなように最も現代的な要請としても、子どもは自由でなければならないからである。しかし子どもたちに与えられたところの自由はあくまでも限定された自由なのであって、絶対的に無限の自由ではありえない。子どもたちの上に課せられる限定、それを最も鮮明にあらわしているものがファンタジーにおける空間設定である。
 この限定を超越することが可能なのはピーター・パンのような半人間、クマのプーのような玩具、メアリー・ポピンズのような妖精、不思議の国に迷い込んだアリスのような子どもでなければならなかった。もちろんこの超越にも限界があり、子どもの空想の範囲に限られる。とにかく、それらのことによって、子どもたちの空間に対する認識は、二重の構造を持つものとなったのだ。すなわち、自己が生きつつある空間と、空想のなかの空間との二重構造。
 空間認識の二重構造によって、子どもたちが覚えさせられたのは、現実否定あるいは脱出の希求を未然に空想に託してしまうということであった。もちろんそれに満足したのは、自己が生きつつある空間をフィジカルに認識しえた市民階級の子弟であって、自分の学習机ひとつさえ保持できない子どもに対しては、おそらくファンタジーは無力に近い存在だったに違いない。
 海洋学者宇田道隆の著書『世界海洋探検史』のなかに、キャプテン・クックの海洋探検記などがイギリスの子どもに愛読されたという記述があるが、わたしの考えでは早くもこの時期、つまりファンタジーが市民階級の子どもたちのものになるつつあるときに、探検記に代表される通俗読物が下層階級の子どもたちのものとなったといえるのであって、児童文学と通俗読物はこの時代からすでに別れ別れの道を歩みはじめていたのだ。それではそのことによって、下層階級の子どもたちの空間認識は、どのような形成を示したのであろうか。むしろ問題はこの面でこそ追及されねばならないであろう。
そしてそのためには船乗りコロンブスの空間認識がどのようなものであったかを想起するのが便利である。
 コロンブスは船乗りであったから海に流れがあることを熟知していたが、その流れの果てについては何も知ってはいなかった。コロンブスの想像によれば、海の果ては底知れぬ大空間であって、海はその暗黒の大空間に向かってとうとうと流れ落ちているはずであった。
 のちにコロンブス自身、その大航海によって地動説を立証することにもなるのだが、科学的な真偽はともかく、コロンブスの海の果てに対するイマジネーションはファンタジーにおける空間設定とはまるで異質の雄大さを有していたことに注目しないわけにはいかない。そして多くの海洋探検記はコロンブス的海の果て観ともいうべき空間認識を出発点としていればこそ、現実的に自己の空間を持たない下層階級の子どもたちにとって魅惑的だったのである。
 時代の流れによる風化作用=矮小化は通俗読物の分野にも及んでいるので、コロンブスの抱いた海についてのイマジネーションもやがては国策の植民地主義にとってかわられるのだが、その出発的構想においては、ファンタジーと通俗読物の空間認識が有限と無限ほどの隔たりを示していたことは、今日の児童文学・文化の空間に対する認識を考察する上で、等閑視できない事象と思われる。
 ファンタジーと通俗読物という二つの大きな流れは各種各様の文化とともにわが国に輸入され、明治以降の児童文学・文化の理念に根深く影響することとなったのだが、創作児童文学の先駆とみなされている巌谷小波の『こがね丸』には、いかなる空間の設定もどのような時間の概念規定も見当たらない。それは小波の文学的資質の欠如とともに、ファンタジーほどの自由も与えられていなかった明治の子どもの"情況"の具現だったかもしれないのである。もちろんそのような情況のなかでは、子どもの空間認識が育てられようはずもなかった。
 なぜならば、空間に対する認識というのは、人間の自由に対する欲求の端的なあらわれだというのが、わたしの空間の理念についての論旨の前提だからであって、だからこそ、ファンタジーを最も日本的に消化吸収しようとした小川未明はとにもかくにも、まずは反封建的な作家として登場してこなければならなかったのであろう。小川未明の児童文学者としての体験は、そっくりそのままの形態で日本の体制の軌跡とみなすことすら可能である。いつか機会をえて小川未明に関する文章を書くこともあろうかと思われるので、いまはただ、一九〇九年から一九三一年に至るまでの小川未明がネオ・ロマンチシズムと呼称される創作方法を駆使し、イギリス・ファンタジーに共通する空間設定を心掛けたにもかかわらず、以後、リアリズムと称する方法に移行し、空間設定をないがしろにしたという事実のみを指摘しておこう。
 そしてはなはだ残念なことに、小川未明は、児童文学における空間の理念の喪失とは、子どもの自由への希求の喪失にほかならないということに気づかなかったのだ。いや、小川未明ばかりではない。いまもなお、多くの児童文学者がそのことに気づいていない。昔、ギリシャの人びとも宮殿という名の空間を設定し、そこに無限=神を招き入れた。人びとは宮殿の周囲で芸術を創造し文化を高めた。人びとは自由を求めればこそ空間の理念を構築せずにはいられなかったのである。
テキストファイル化橋本京子