『児童文学セミナー』(季節社 1979)

まえがき−<児童文学30選>について

ここに挿入された小さな読書案内は、わたしがいままでに読んできたいくつかの児童文学作品のなかの、とりあえずの30点である。
ものごとには反面教師とよばれるような事柄もすくなくなくて、それは児童文学の場合でも、批判的に読んだり、読後の感想をきちんと理論化できるようならば、それこそ手当たり次第になにを読んでも勉強になるだろう。だが、書物に批判的になったり、疑義を抱いたりするというのは、できるようでいて実際にはなかなかにできにくいものなのだ。とくに児童文学では、ともすると情緒的な姿勢を先行させて読書をしてしまいがちなので、ほんとうの意味で子どものためにならないような影響を無意識のうちにうけてしまっている人も多い。
遊びには無駄が必要であり、無駄をとりのぞいては遊びの存立も危ういが、勉強はより能率的な合理性に裏うちされていることがのぞましい。勉強道具の鉛筆をナイフで削るような懐古趣味にわたしは組みするつもりはないので、とにかく読めば確実に児童文学の勉強に役立つものを最小限選びだしてみた。
このなかに自分のものをふくめていないのは、一応の遠慮のためで、自信がもてないゆえの除外ではない。

アンデルセン「マッチ売りの少女」
(山室静訳『アンデルセン童話集』角川文庫所収ほか)

ハンス・クリスチャン・アンデルセンがその七〇年の生涯において書きのこした童話の数は約一六〇編。そのなかからたった一編をえらぶとなれば、それはもう個人的な好き嫌いしか基準はない。すなわちそれでわたしはこの作品をえらんだ。
アンデルセン童話の多くは教訓的で、これは時代の要請でやむをえなかったことだろうが、この作品には珍しく教訓がふくまれていない。この点がまず一番によろしい。その次には、これは文学の不思議さのひとつなのだろうが、ときたま、作者の人柄とは結びつかないような作品ができてしまうことがあるのであって、さしづめこの作品あたりは、作者の人柄から遠くはなれたものの典型的古典というべきであろう。
あの虚飾に満ちた『自伝』を読めば直ちにわかるように、そして巌谷小波あたりも証言しているように、アンデルセンはまことに嫌味な人物であった。性的にもいろいろと問題があった。そうした人柄の文学者の”童話”には、なにがしか、児童文学としてのゆがみがあるとわたしは思っている。そうしたゆがみを見ぬくこともまた、わたしたち児童文学者の役割であるに違いない。

シャルル・ペロー「赤ずきんちゃん」
(江口清訳『眠れる森の美女』角川文庫所収ほか)

ここではペローの作品をとりあげたが、グリム童話のなかの一編やそのほかの「赤ずきんちゃん」も、機会があればあわせて読んでほしいものだ。そしていろいろとくらべてみると比較民話学ということになるのだろうが、とりあえずはそこまで学的になる必要はない。ペローにおいては、オオカミにむしゃむしゃとたべられてしまっておわる赤ずきんちゃんが、なにゆえにグリム童話では腹の中から救いだされるのか、その違いぐらいを考えてみると、おとなが子どものためにつくり与える文学である児童文学に対する姿勢のあれこれがわかってくるはずなのである。
早い話が、いまどきの児童文学においては、ペローのような方法で作品を書いていくことはむずかしい。書いても子ども向けとしては出版されないだろう。ペローの「赤ずきんちゃん」では残酷すぎると批判されてしまう。だがペローは、より多くの残酷な出来事をなくすために「赤ずきんちゃん」を書いた。昔話というのはおしなべて教訓なのであり、教訓としては、赤ずきんちゃんはたべられて終わらなければならない。救いだされてしまうのなら、あえてオオカミの毒牙にかかるのもスリリングでおもしろい。いまどきの甘ったれ人間の続出は、どちらにつながっているのだろうか。

ドーテー『月曜物語』
(桜田佐訳 岩波文庫ほか)

この短編集を児童文学の作品ということはできないが、なまじっかの児童文学以上に子どもの論理を重視した作品がふくまれているとはいえるだろう。そしておそらくはそれゆえにかなり以前から子どもに向けに紹介されてきたのだった。だがその場合に、もっとも普及してしまったのが冒頭の「最後の授業」なのだが、わたしとしては、いわゆる祖国愛みなぎるこの作品よりは、普遍的な(だれにでもありがちなというほどの意味である)子どもの心情を描いた「少年の裏ぎり」とか、かなしくもユーモラスな少年兵の物語「コミューヌのアルジェリアそ撃兵」そして好奇心旺盛な菓子屋の少年店員と日常性に固執する老人とのどたばた喜劇「小まんじゅう(プリ・パテ)」あたりが好きである。
フランスというのはおもしろい国で、あれほどさまざまな文化・芸術を生みだしてきたのに、はっきりと子ども向けにつくられたもの、つまり児童文学などはないも同然なのだ。たくさんあるもののなかから、子どもたちもそれぞれ自分の好みに従って読みたいものをえらびだせばよろしい、といった態度に思われる。だったら、わたしたちも自分の好みで読んだほうがフランス文学鑑賞にはふさわしいわけだろう。

キングスレイ『水の子』
(阿部知二訳 岩波少年文庫)

作者のチャールズ・キングスレイはプロテスタントの伝道者でユートピア社会主義者でもあった。この人がロバァト・オウエンの影響を受けながら労働組合運動に従事し、さらにこの作品を書くような文筆活動をおこなっていた時代は、イギリス産業革命とそれに続く近代市民社会草創の混乱期で、まさしく近代子ども観の成立過程の時期に当っている。
はっきりいって『水の子』は完成度の高い作品ではない。作品なのか論文なのかわからないような部分も多く、子ども読者には完訳は不向きであろう。しかし、子どもとはなにかとか、労働と教育の関係とかを日ごろから考えているような人にとっては、資料としての意味あいからも、すこぶる興味をそそられるものであるに違いない。
『資本論』の著者マルクスもいっていることだが、すでに煙突掃除の機械が開発されていたにもかかわらず、業者は機械を使うよりもずっと安上がりな子どもの労働に依存していた。公教育制度の発足とひきかえに子どもの工場労働は禁止されたが、多くの子どもはだからといって学校へ行くこともできず、家にいても飢えるだけなので街頭にあふれた。煙突掃除の少年トムこそは、そうした時代のかなしき主人公なのである。

J・ヴェルヌ『十五少年漂流記』
(波多野完治訳 新潮文庫ほか)

原題を『二個年の休暇』というこの冒険小説を『十五少年漂流記』として翻訳したのは明治の翻訳王といわれた森田思軒であった。それまで少年といえば十代の、それも後半の男子を意味していたのを、八歳から十三歳までの子どもが活躍するこの小説で少年といいかえ、以後少年といえばこの年齢層を中心とするようになったのだから、森田思軒の訳業の影響力は絶大というほかはない。
ヴェルヌはまことに多作の人で、約四十年の作家生活中に約六十冊の著作を発表した。しかし直接子どもに向けて書いたのはこの作品だけだといわれている。このあたりにも、フランス文化と子どもとの複雑な関係があらわれているといえよう。
森田思軒以来、多くの訳本が出版され、いまもたいていの文庫に収められている作品ではあるが、新潮文庫の巻末の波多野完治による解説は翻訳児童文学史の上からもまことに貴重な文献である。ただし、<ヴェルヌは一生涯忠実なカトリック信者でした>などという部分はまともに信用しないほうが賢明だろう。ある年譜によれば、五十八歳のときに、甥のガストンに拳銃で狙撃されて歩行障害となったというほどに、実生活もまた波乱に富んでいたのだ。

スティーブンスン『宝島』
(阿部知二訳 岩波少年文庫ほか)

海洋小説はイギリス文学史を鮮やかにいろどる本格的ジャンルのひとつであろう。もちろんそれは大英帝国の海外制覇の反映に違いないが、そうした政治的解釈はひとまずおいといて、この構想雄大な物語をたのしむべきである。
少年主人公ジム・ホーキンズの家「ベンボー提督亭」の設定がまずもって見事だと思う。山本周五郎の短編名作「深川安楽亭」はどうやらベンボー提督亭にひどくにているようだが、このあたりの考察が比較文学でどうなっているかを考えたりするのも一興である。
もちろん人物設定では海賊ジョン・シルバーが際だってすぐれている。この魅力あふれる悪漢にひきいられた海賊どもの活躍をぬきにしては、名作『宝島』の存在は危うい。なのに、近ごろでは、差別的言辞の問題がやかましくなってきたために、子ども向けのリライト版では海賊たちの肉体的特徴を原作に忠実につたえることが困難となってきた。そこにはそれなりの必然性な事由もあるのだろうが、そのために『宝島』のようなすぐれた作品が子どもたちの前から姿を消していくというのは、いかにもさみしいことである。
作品の終章でジョン・シルバーはさすらいの旅に去った。いまは作品そのものがさすらいの旅に出ようとしているのだ。

マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』
(斎藤正二訳 角川文庫ほか)

親や先生のいうことをきくヨイコばかりが子どもではない。世にいう悪童こそが、もっとも人間的な子どもなのだ、とマーク・トウェインは、この作品や続編『ハックルベリー・フィンの冒険』で主張した。そしてそれは、本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズのミシシッピー川流域での幼児体験にもとづいている。悪童トムは、作者自身が悪童サムとして生きた日日の記録ともいえよう。
作家の大江健三郎はマーク・トウェインの少年小説を、地獄へ落ちることを覚悟して書きあげた文学だと激賞したが、それはあの黒人差別の時代に黒人との交流を楽しくも美しい事柄として描きだしたからであった。大江健三郎自体もマーク・トウェインを絶賛していたころは、すぐれて新しい傾向の文学者のひとりにまぎれもなかった。
アメリカ合衆国の草創期、いわば疾風怒濤の時代の西部に生きた少年たちの行動は、いまどきではたちまち非行としての烙印をおされてしまうが、それを想像力のなかの冒険として体験することは現代の子どもたちのとっても決して不可能ではないはずである。しかしそうするためには、現代の児童文学の多くが子どもたちの前で色褪せるのを強く意識しなければなるまい。とくに読書運動のなかの作品群が。

スイス・キャロル『不思議な国のアリス』
(福島正実訳 角川文庫ほか)

この童話は、サン・テグジュペリの『星の王子さま』と同じように、やたらによく知られ、多くの人にもてはやされているわりには、ほんとうに読まれていることに少ない部類の文学に属している。
たとえば読書というものを、知識を豊かにするためだの、人格形成に役立てるためだのと素直に信じ込んでいるような人たちには、この童話は縁もゆかりもないだろう。病跡学の分野ではすでに常識だが、作者のルイス・キャロルは精神分裂病者であり、兎を追ってアリスが迷い込んだ不思議の国こそは、精神分裂病特有の幻想にほかならない。精神病理学では病者のこうした幻想をアリス症候群とよんでいる。こういうわけだから、いわゆる健全な精神状態でこの童話を読もうとしても、幻想の壁にさまたげられて困惑するのがおちなのだ。早い話が、教育的配慮から子どもに読書をすすめようとするような人は、不思議の国には近づかないほうがよろしい。
しかし、この世の中、ましては人間の生きかたは、かならずしも合理的なものばかりではありえないと思うようなら、臆せずに兎の穴へともぐりこんでみるべきだろう。そこに展開される世界の豊かさを、わたしは文学の醍醐味といいたい。

ウェブスター『あしながおじさん』
(松本恵子訳 新潮文庫ほか)

はっきりいって、わたしにはどうしても、この作品のよさがわからない。ここでいう作品のよさとは、肯定的に読みとれるというほどの意味なのだが、わたしにはそれができかねる。つまりはかなり否定的なのである。ところがこの作品に対する世評はすこぶる高い。となると、両者の差異は当然、問題にされなければならないはずだと考えて、あえて30選のひとつとした。
作者のウェブスターは社会事業に関心をもち、施設の子どもたちにも同情を寄せていたようで、そうした作者にとっても理想的な慈善家像があしながおじさんなる人物なのだろうが、わたしにいわせれば、あしながおじさんこそは、一種の”人買”である。将来、美しく有能な女性となりそうな薄幸の少女に目をつけておいて後援者となり、一人前にできあがったところで結婚する。一応はジルーシャ・アボットの自由意志とはなっているが、孤児の身の上の自分を大学にまでやってくれた人を拒むことは難しいのだから、この結婚はあしながおじさんとしては予定の行動であったろう。わたしにはどうしても、少女の熟成を待っておいしくいただくという慈善家の深慮遠謀が許せなかった。

ロフティング『ドリトル先生アフリカゆき』
(井伏鱒二訳 岩波少年文庫ほか)

この作品を第二次世界大戦下にありながら、あえて翻訳出版しようと希求した(下訳担当者の)石井桃子の執念ともいうべき愛着に対して、児童文学者たるわたしは、まず第一に敬意を払っておきたい。そうした石井桃子の児童文学者としての情熱が戦争末期には長編創作『ノンちゃん雲に乗る』へと結実していったのだ。
この作品を魅力豊かにしているのは、なんといっても特異な登場人物・動物たちであろう。なかんずく、わたしは、珍獣オシツオサレツに感動した。
<頭二つに、からだは一つという、珍しい動物。一つの頭でものを考え、一つの頭は、ものをたべるのに使います>というのだが、この命名は意訳としての傑作といえよう。
ロフティングは軍隊生活のさなかに自分の子どもへの”手紙”として書いたとのことだが、この創作態度はいわゆる手作り文化論やアマチュアリズムとは無縁である。なぜならば、ロフティングは完成された社会人つまりおとなであった。そのおとなから子どもへの余裕たっぷりの伝達であればこそ、ほのぼのとしたユーモアもふんだんに盛りこむことが可能だった。その意味からも、この作品と童心主義とは縁がない。そのさわやかさを味わうべきだ。

ワイルド『幸福な王子』
(西村孝次訳 新潮文庫ほか)

三島由紀夫がこの作品を熱愛したことはつとに有名である。もちろん子どもたちはそれに関係なく読んでしまうのだが、わたしたちおとなは、三島由紀夫と『幸福な王子』との関係ぐらいは念頭に置きながら読んだ方がいいと思う。それというのも、三島には『午後の曳航』のような、すこぶる児童文学的な作品もあるからで、もしかすると三島はワイルドの童話から学びとったこどもの理論によって、あの傑作を構想したかもしれないのである。
この短編童話集の場合も、一ばんはじめの「幸福な王子」がもっとも普及しているが、『午後の曳航』の作者としては、子どもの理論を知る上で「星の子」あたりは大いに参考になっただろうと思われる。
貧しい樵に拾われた星の子は、その美貌とすぐれた頭脳のゆえに<高慢な、残酷な、わがままな子供になった>そして横暴の限りをつくす。この行状のしつこいまでの描写は、とうてい児童文学的ではないけれど、逆に子どもの論理の一面をあざやかに描きだしている。これはまぎれもなく三島由紀夫の文学につながるものであり、新しい児童文学を志向する者が避けて通れない道なのだ。

ハンス・バウマン『コロンブスのむすこ』
(生野幸吉訳 岩波少年文庫)

構想雄大とは この作品世界のようなものをさしていうことばに違いない。主人公は、<コロンブスの次男。最初、ラ・ラビダ修道院にあずけられていたが、父をたずねあて第四次航海に同行し、父を助けて活躍する>(人物紹介)
東ドイツの児童文学者ハンス・バウマンの描く歴史小説は、史実の正しさはもとよりのことだが、そこからさらに翼をひろげる想像力の豊かさがすばらしい。成吉思汗の時代の東洋を舞台とした『草原の子ら』も傑作であるが、あのアメリカ大陸の発見者で、スペイン帝国主義の繁栄に貢献したコロンブスが、個人的にはほとんど栄誉も富もうることなしに、さすらいの旅ともいえる第四次航海に出ていかなければならなかった人間的なさみしさを、つくづくと感じさせてくれるこの作品を、わたしは愛読書の上位にランクし続けることだろう。
はじめてこの作品を読んだとき、わたしは映画の『白鯨』を思いだした。メルビルの小説は冗漫だが映画はよかった。それを想起させられるほどに、ハンス・バウマンの表現力は鮮烈なイメージを伝達してなお余りある感動をよびおこすのである。

パンテレーエフ『金時計』
(佐野朝子訳 岩波少年文庫)

この作品を最初に読んだときは、槇本楠郎による抄訳だった。私の槇本楠郎に対する児童文学的評価が比較的に高いせいもあって、槇本訳の『金時計』には素直に感動することができた。
ロシヤ革命のころの浮浪児の体験を持ち、それを文学化することで作家となったパンテレーエフは、わたしにとって、軌範とすべき大先達であった。
まんじゅう泥棒で留置場にぶちこまれ、そこで酔っぱらいから金時計を盗み、それを自分のものとするために施設で苦労を重ねる少年、ペーチカ・ヴァレートは、作者パンテレーエフの分身に違いないが、それはまたまぎれもなく、わたしの分身でもあったのだ。
こういうことを書いても児童文学でありうるのか、と思ったときの一種の安堵感をいまでも忘れることができない。これでいいのなら、おれにはいくらでも書くことがあるじゃないかという気持ちだった。
その後、マカレンコの『教育的叙事詩』などにも接して、革命と教育との関係についてもいろいろと教えられたが、その理解の根底にあるのは、つねに『金時計』を読んだときの実感であった。
スターリンの治制下でこの作家は不遇だったようだが、それは当然だろう。『金時計』の作者は人間の声の表現者なのである。

C・S・ルイス『ナルニア国ものがたり』
(瀬田貞二訳 岩波書店ほか)

日本語では「空想童話」と訳されているファンタジーを、ファンタジックな(空想的または幻想的な)物語として考えてしまうと、途方もなく範囲がひろがっていってしまう。すくなくとも児童文学的には、ファンタジア(空想世界または幻想郷)を描いた物語のことなのである。そしてイギリス・ファンタジーでは、現実世界とファンタジアの境界はまことに明確であって、双方がいりまじるような曖昧さはほとんど見当たらない。しかも、現実世界とファンタジアを往来できるのは人間としては子どもに限られているという設定がなされている。それは子どもに市民としての自覚をうながそうとするイギリス社会の誇り高き伝統にもとづく要請であるに違いない。その意味からいっても、この全七冊の連作『ナルニア国ものがたり』は、すぐれて伝統的なイギリス・ファンタジーといえるだろう。
内容的には一種の聖書物語であり、それも旧約の黙示録のような怪奇幻想を多くふくむところが魅力的である。だから逆に、聖書の知識がないとこの作品を充分に味わうことができないのだ。たとえ児童文学であっても、キリスト教をはじめとする宗教の知識をまったく欠いたままでは、翻訳ものを消化吸収するわけにはいかないだろう。こういうことこそ常識というのである。

ムサトフ『こぐま星座』
(古林尚訳 岩波少年文庫)

ロシア文学は偉大だが、ソヴェト文学はくだらないと、大体においてわたしは思っている。だがものごとには例外もあるわけで、この『こぐま星座』やパンテレーエフの『金時計』はまさにソヴェト児童文学では例外中の例外といえるのではないか。(このほか、発表すらされていない作品もあることだろうが・・・・・・。)
まず第一に評価できる点は、読んでいて、さわやかさが感じられるということである。描かれている世界はコルホーズ(ソ連の協同組合組織による集団農場−『広辞苑』)で、これは、スターリン体制下の農業政策の一環だからいろいろと問題はあるに違いないけれど、とにかく子どもがいきいきと活動しているのがこのましい。文学は思想の問題であるとともに技術を必要とするもので、このふたつを完全に個別にわけてしまう二元論は間違いだが、いっしょくたの一元論もまた誤謬なのだ。技術的にぬすめるものがあるならば、体制の枠にこだわらずにぬすんでしまったほうがよい。
さしあたりこの作品などは、客観描写のための技術習得にはずいぶんと役立つはずで、この背後にソヴェトの社会主義リアリズムをみるか、ロシア文学の伝統を感じとるかは、各人の文学的感覚の差異というほかはない。

エーリッヒ・ケストナー『飛ぶ教室』
(高橋健二訳 岩波書店ほか)

ヒトラーのナチズムによって、焚書の処分まで受けた事由の詩人エーリッヒ・ケストナーの児童文学の大きな特徴は、登場するおとなと子どものそれぞれの役割が、はっきりと区分されていることだと思う。そして当然のこととして、作者自身のおとなとしての自覚が明瞭なのである。
おとながべたべたと子どもへの同化をなしとげて恥じることもないというのが童心主義というもので、日本の児童文学の大半がそうした構造になっているのだけれど、それらとはまったく異質の、まさに自立したおとなの立場から子どもへの呼びかけをおこなっているのが、ケストナーの児童文学の基本構造なのだ。そこに展開されるユーモアのさわやかさ。教訓のやさしさ。人間関係のあかるさ。しかしケストナーは生きることのきびしさをつたえることを忘れない。それは、きびしい時代情況を生き抜いた作家の自負でもあったのだろう。
この作品の舞台は九年生のギムナジウムであり、ここからわたしたちは、少女漫画家萩尾望都の長編『トーマの心臓』へと改めておもいを移すこともできる。思春期を中心とする多感な少年期をギムナジウムで過ごすドイツの子どもの学校生活は、それ自体がいろいろな意味で作品なのかもしれない。


トラヴァース『メアリー・ポピンズ』
(林容吉訳 岩波少年文庫)

『風にのってきた・・・・・・』を最初とする全四冊の妖精物語は、ミュージカル映画化されたりもして世界的に有名な児童文学作品のひとつとなった。
ロンドンの桜町通り十七番地にあるバンクス家の養育係メアリー・ポピンズは、まことに気むずかしい妖精で、それは彼女が妖精であるがゆえに、かえってより人間的にふるまわなければならないところに起因しているのだろう。彼女は子どもたちに対しても実にきびしい。そのきびしさとは、イギリス市民階級としての基本的規範を子どもたちに教えこむための熱意にほかならない。そしてこれは、市民階級の成立とともに生まれ出たイギリス児童文学の伝統的なテーマということになるだろう。
かつては妖精でさえ、市民階級のモラルの確立には協力的だったのである。だからけしからぬというのではなくて、市民階級のモラルには、近代的自我の形成をふくめての進歩的要素が多くもりこまれていたという点を評価する必要があるのだ。もちろん、近代子ども観もまた市民階級のモラルの内側にあるもので、それをメアリー・ポピンズのように積極的に肯定し、子どもたちにつたえていく作業こそが大きな意味でのおとなの役割であって、つまりは児童文学もその一環だとわたしは考えている。

サン=テグジュペリ『星の王子さま』
(内藤濯訳 岩波少年文庫)

『不思議の国のアリス』と同じく、やたらにもてはやされているけれど、実際にはあまり読まれていない作品でもある。もっともこの童話が若い女性のアクセサリーのように普及してしまった原因のほとんどは、作者のサン=テグジュペリにあるわけではなく、また作者の思想についての知識をもつ必要もない多くの読者の側にあるわけでもなくて、原題「小さな王子」を『星の王子さま』に仕立て上げた訳者が負うべきものと思われる。
はっきりいって「訳者あとがき」はひどいものだ。これではまるで、サン=テグジュペリは、過ぎた昔をなつかしがり、おとなとしての自覚を欠落させたままの童心主義者で、この作品がその代表作ででもあるかのようではないか。事実、このように思いこんでこの作品を読んだ人もすくなくはなくて、その結果は読後の感想をまるで語らないという一種の神秘主義が蔓延してしまい、アクセサリー化にますますの拍車をかけたという仕組みだろう。それはそれで出版社や書店にとっては意味があることかもしれないが、児童文学的にはほんとうは困った現象なのである。
やはり作品は、ちゃんと読むことからまっとうな理解へとつながっていくのであって、それ以外の道はない。コルシカ島の空に消えたフランス人飛行士サン=テグジュペリの実存に迫るのもまたこの道である。

リンドグレーン『長くつ下のピッピ』
(大塚勇三訳 岩波書店)

スウェーデンの児童文学者アストリッド・リンドグレーンの作風は、日本の女流児童文学者を見慣れた目には、とてつもなく自由奔放に見える。この「世界一つよい女の子」のピッピ・シリーズにしても、これまた軽快なリズムの少年小説カッレくん・シリーズにしても、いわゆる女流のきめのこまかさだけではなしに、シンの強さともいうべき骨組みの確かさを感じさせられるのである。本来、女性というものは、このように強靱な人間存在なのかもしれないと思わされたりもするのだ。
同じくスウェーデンにはわたしの愛好する推理小説、マルチン・ベック・シリーズの作者マイ・シューヴァル、ペール・ヴァール夫妻がいて、高度に発達した福祉国家における人間性の頽廃をするどく追求している。この問題は、より多くの社会的な制約を受けることを余儀なくされている子どもたちの生き方にも深くかかわる事柄だから、リンドグレーンの作品のなかでどこかに濃い影をおとしているに違いない。そうした政治的な問題だけをぬきだして論じるのは愚劣だが、それに気づかずに、たとえばピッピのおてんばぶりだけを楽しむという読み方は、おとなの読者がやるべきことではないだろう。児童文学をおとなが読むについては、それなりの意識をもつのは当然のことなのだ。

若松賤子「思い出」
(『日本児童文学大系』(1)、三一書房所収ほか)

若松賤子については、多くのところでわたしは高い評価をくりかえしてきた。常識の日本児童文学史では、巌谷小波が元祖と言うことになっているが、わたしの史観では、この若松賤子こそが日本の児童文学の元祖であるべきなのだ。この点については、ほかの文章を参照することによってぜひとも納得されるよう希望しておく。そうすることによって、児童文学史はいまよりもずっと豊かになり、それを学ぶことの楽しさも大きくなるに違いないとわたしは思っている。
ところでここに紹介する「思い出」だが、若松賤子の作品としてはあまりよいものではない。明治の翻訳王森田思軒をして、もっともすぐれた言文一致体の作者といわしめたほどの若松賤子の実際をうかがいしるには、この作品は適当ではなかろう。体系の名で編さんされたものなのに、こうしたものしか採れないというところにも、児童文学史家の常識の限界が感じられるのである。
とはいっても、作者の生きた時代の、それも少女の生きかたの一断面をするどく描きだした手練のほどは並大抵のものではない。文学的資質ということからみても、巌谷小波とは比較にならないほどすぐれていた夭折の閨秀作家であった。この人のことは伊藤整『日本文壇史』にくわしい。

小川未明「金の輪」
(『小川未明童話集』新潮文庫所収ほか)

小川未明の童話は難解で暗いから子どもには不向きだと大真面目に主張する児童文学者がいるから困ってしまう。難解で暗いからこそ小川未明の童話はすばらしいのであって、なかには平易で明るいものもあるが、それらは未明童話としては愚作である。戦時中に書かれた未明童話のほとんどは平易で明るいリアリズム作品であった。それらがいかに愚劣きわまるものであったとしても、児童文学界の大先達としての小川未明の戦争責任は相殺されるべくもないが、そうした創作方法の問題をぬきにして小川未明を論じるのは文学論としては片手落ちであろう。
いまはともかく、リアリズム以前のネオ・ロマンチシズムの時代の童話を読むことにしたい。ここでも多くの作品のなかから、わたしなりの気ままさを発揮して「金の輪」を選びだした。
ありのままに読めば、ここでは子どもの病死の様相が描かれている。しかし素直な心で読める人なら、この子どもの病死を暗い事象としてうけとめることはないだろう。まさに作者はひとりの子どもの病死を描くことによって、もうひとつの世界への脱出という願望を表現したのであった。童話という文学形式はもともと重層化した世界を形象するためにあるのだ。

坪田譲治「正太樹をめぐる」
(『坪田穣治童話集』新潮文庫所収ほか)

ある無責任な編集者のために紛失させられてしまったのだが、わたしは五〇枚ほどの坪田譲治論を書いたことがある。もちろん全集も全部読んで、自分ではかなりのものと思える論文を仕上げた。そのときもっとも感動させられたのは、残念ながら童話ではなくて、短編小説の「キャラメルの祝祭」であった。そこでは大学病院の死体置場の屍と子どもの躍動する生とが鮮やかな対比で描きだされ、子どもの生との連動から生活への意欲をうながされる作者の心の動きが印象的だった。わたしが残念ながらというのは、この坪田譲治という作家がなかなかに老獪で、いわゆるおとな向けの小説では「悪妻もの」とよばれているような一連の私小説を書いたりするくせに、児童文学となると、かなり教訓的な作品を書いたり、そういう作品を書く若い作家をもてはやしたりするからなのだ。
とはいっても、初期の頃は、小説と童話とのけじめが明白ではなかったので、あえて童話として分類されている作品の中にもドキリとさせられるようなものがある。この「正太樹をめぐる」もずいぶんと衝撃的な作品で、こうしたものを童話として提出していたころの坪田譲治は、すばらしくも非情な文学者だったのだろう。あるいは魅力的な曲者というべきか。

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
(岩波文庫ほか)

この世に宮沢賢治の童話がなかったならば、わたしが児童文学者になるようなことはありえなかっただろうに、幸か不幸か、まぎれもなくそれはあったのであり、それを通ることでわたしは児童文学者となり、いまもなおそれにこだわり続けているのだ。
生前に、食うために原稿を書くということのほとんどなかった宮沢賢治は、ほんとうに自分の書きたいものを書いたといえるだろう。いま多くを食うために書いているわたしが、書きたくもないものを書いているかといえばそれは違うが、どこかに妥協というのか、いいわけの余地というのか、とにかくきびしさを欠くところがあるのを否定することはできない。ほんとうに書きたいものを書くことがゆるされたとき、わたしはどれほどのものをつくりだせるのだろうか、と考えると、またまた宮沢賢治が問題となるのである。
書きたいものを書いた宮沢賢治が、とりわけ書かずにはいられなかった作品がこの「銀河鉄道の夜」なのであり、しかもその執念ともいうべき創作意欲が見事に結実しているところにすぐれて文学的な価値があるとわたしは思う。
この作品をめぐっては多くの人が多くのことを書いてきた。それらをあわせ読むことの重要さはもちろんだが、まずは素直にこの作品世界と向きあうことをこそすすめたい。

石井桃子『ノンちゃん雲に乗る』
(角川文庫ほか)

第二次世界大戦中に書かれて、戦後に本になったという経緯をもつ作品である。わたし自身の子ども時代の体験から考えると、あの戦時下では、すべての人が国粋主義一色に染めあげられていたように感じられるから、石井桃子がこういう作品を戦争中に書いていたときいただけでおどろいてしまう。これはもうほんとうにイギリス児童文学を正統的に学んだ人でなければ書けない作品だと、わたしは感じている。
国際的知識人のひとり加藤周一の著作などを読んでいると、英文学者の極端なまでの自負のあれこれが描きだされていて興味深く、そういうものから類推するに、石井桃子もまた誇り高き英文学者なのであろう。それでなければあの戦争のさなかに、こんなにのびやかなファンタジーを書いていられるわけがない。
とはいっても、文学はつねに時代の産物なのである。一見、戦争とは深いかかわりのなさそうなこと作品のなかにただよう死生観はずいぶんと宗教的かつ哲学的なもので、それは時代の極限情況の反映に相違なかった。出版社の宣伝文句だと、この『作品は戦後の児童文学のひとつということになってしまうが、それはちょっと違うのだと思いつつ読む必要があるだろう。

平塚武二『太陽よりも月よりも』
(実業之日本社)

敗戦の翌年、一九四六年に平塚武二はこの長編を書いた。<私がこの作品で試みようとしましたことは、”善意の文学”といわれてきた童話の”善意”を、かなぐり棄てようということでした>と作者はいう。事実この作品は、赤ん坊の売買が日常化している情況を描くことからはじめられている。それはどうやら東洋風のある国の物語なのだが、作者の意図した善意の放棄は、構想を雄大にするのにずいぶんと役立ってもいたようだ。つまり善意とは、みみっちい日常性の別名だからであろう。
平塚武二は横浜生まれの作家で、生家は建設業、学生時代はインター・ハイに出場の経験もあるという豪快なハマッ子だった。若いころには『赤い鳥』の編集部にいて鈴木三重吉のきびしい指導下で文章修業をしたというだけあって、その文章は児童文学者としては抜群の美しさをもっている。従って内容のおもしろさとともに、文章の巧妙さをもあわせて味わってこそ、平塚武二の作品をきちんと読んだということになるだろう。
この作品は一種のピカレスク(悪漢小説)で、その内容にふさわしいきびきびした文体は、ハードボイルとともいえるだろう。豪快な作家の痛快な長編である。

佐藤義美「ちゃぶだい山」
(『日本幼年童話全集』(5)河出書房所収ほか)

佐藤義美の文学的業績は、童謡詩人としてのほうが有名だが、無国籍童話をはじめとする童話作品の数かずも、この国の児童文学界にあっては、ひときわの異彩を放っている。
なにゆえに異彩かというと、この作家には、作品を通じて子どもになにかを教えようという態度が感じられないのだ。文学者でありながら教育者のように、自己肯定的になることとは無縁で、そうした作家の姿勢はよくいえば型破り、わるくいえばひねくれ者としてしか児童文学界では遇されなかったようである。
それではいったいなにを、佐藤義美は子どもたちにつたえようとしたのだろうか。つたえたいものがなければ作品には書けない。佐藤義美にも、もちろんつたえたいことがあった。わたしが思うに、佐藤義美がめざした作品世界は、子どもとの交歓の場であったろう。この人はそうした作品世界の構築の可能性に賭けていた。とはいっても、佐藤義美がめざしたのは、童心主義者が安易に夢想するような、べったりとした共通性ではなくて、おとながおとなであることによって、子どもが子どもであることによって、かえってそこに人間的な交歓の場が成立するはずだとする考えかただったように思えてならない。この作品にもそうしたきびしさがみなぎっている。

筒井敬介『おしくらまんじゅう』
(偕成社文庫)

この作者の才能は多彩である。「コルプス先生シリーズ」のようなメルヘンもあれば『おねえさんといっしょ』に代表されるような、きめこまやかな幼児世界の描出もあり、さらには『かちかち山のすぐそばで』でよく知られるパロディー風。くわえて『ちゃんめら子平次』といった考証も確かな時代物まで、群をぬいた表現力に支えられた絢爛の作品世界が展開されている。わたし自身、児童文学的にはもっとも多くを筒井敬介から学んできた。そうしたわたしにとって、忘れがたい作品の第一に『おしくらまんじゅう』があるのだ。
これは敗戦後まもなくこの国で一種の流行現象となった無国籍童話の書き手のひとりであった筒井敬介の、そして右に述べたさまざまな傾向の作品世界の根底をかたちづくっている作家のしたたかな現実認識、そしてすぐれた子ども観を直截にあらわしているリアリズム児童文学である。
ちょっと見は肩肘張らない日常生活に思えるが、圧倒的にいわゆる地方出身作家が多い児童文学界にあっては、この徹底的に都会(東京)的なセンスで描きだされた作品世界がもちえている意味は予想以上に大きいといえよう。この作品を最初に読んだときのさわやかな衝撃はいまもなお印象的である。

中川李枝子『いやいやえん』
(福音館書店)

いわゆる教職体験を、この人ほど巧く児童文学活動に結びつけていった作家もすくないだろう。教師にしても保母であっても、ともすると目の前に子どもたちがいるために、子どものすべてがわかっているように思いこみがちなのだ。しかし子どもたちは当然のこととして、保母や教師の前だけで生きているわけではない。その点は母親と子どもの関係も同様で、にもかかわらず母親の場合も自分も子どものことはすべてわかっている気になりやすい。
この作品は、中川李枝子の保母としての体験が見事に生かされ、一種のしつけ童話でありながら、すこしも教訓臭のないさわやかさにみちている。たとえばここでは、子どもに手を洗わせるための創意工夫から、よごし屋さんの子どもと、きれい好きのオオカミとのやりとりが描きだされているのだが、こうしたささやかでしかも生活実感に裏打ちされた空想こそは、現場にしっかりと足をすえたところからのみ生まれ出るものであろう。わたしは『いやいやえん』を通して、中川李枝子という教職者の熱意と反省をみた。際限もなく自己肯定的な教職体験作家の多い児童文学界にはいつも鼻白むわたしだが、この作品をおもいだすと心洗われる気がするのである。

山中恒『ぼくがぼくであること』
(角川文庫ほか)

オツにとりすました児童文学の作家であるよりは、気軽に読みとばしてもらえる児童読物の作家でありたいと主張する山中恒には、すでに百冊近い著作がある。精力的かつ生真面目な執筆活動を持続されている人なのである。
おびただしい著作のなかから、どれか一冊をえらんで紹介するという作業にはどうしても気ままな思い入れが必要であって、わたしはむしろそれを積極的におこなうことで、この長編をとりあげるという結果をひきだした。
処女作『赤毛のポチ』以来、わたしはずっと山中恒の著作活動に注目してきており、そのうちのいくつかについては、解説、書評、推せんをうけもってきた。従ってそれぞれに感慨はすくなからずあるが、やはり、これ一冊ということになると、この『ぼくがぼくであること』になってしまう。
この作品はラジカルなのだ。ラジカルの訳語は過激とか根源的とかいうことであるようだが、ならばこの作品にはその両方の要素がたっぷりとふくまれているといえよう。
作品の成立時期は、学園闘争の嵐が全国的に、いや、全世界に吹き荒れていたころであった。子どもを対象とする文学の書き手として、あの情況にかつ敏感に対応した中山恒のモニュメントとしても意義は大きい。

吉田とし『たれに捧げん』
(青春ロマン選集 理論社ほか)

この作品をはじめて読んだときに、とめどもなく流れた涙をわたしはいまも忘れられない。ほんとうに美しいジュニア小説だと思った。
吉田としも、かつての学園闘争の嵐という情況に誠実に対応した極少数の児童文学者のひとりであった。そしてその対応の姿勢にはもっともよい意味での女性的なきめこまやかな感性があったと、わたしは記憶している。
もちろん、作家の実生活と作品世界のあいだには直接的なつながりはない。しかし、直接的なつながりはないのだけれど、自分が描きだした作品世界からの影響を作家が逆にうけて、生活と作品とのつながりは深まるということは大いにありうるはずである。登場人物がひとり歩きをはじめるのではなくて、作者ともども情況のなかをゆくのである。
中学生の古賀奈緒子は高校生の南郷修に恋をした。修は街頭闘争で死んだ。とりのこされた奈緒子とともに、作者の吉田としは情況を凝視し続けた。だからこそ、作者はあとがきに書いたのだ。
<作品の良否は別として、私はこの一作を、四十三歳から四十五歳にかけて生んだことを、いつまでもよろこびとしています。多分私にとって、この作品は、青春、だったのでしょう>
当然のことながら、この作品はすこぶる、良、なのである。

テキスト化角田佳代子