生と死・子どもの価値と評価
ガン騒動
斗美は五歳となり、いよいよこの春から幼稚園へ通うことにきまっている。この自覚はそうとうなもので、寒い朝もなんのその、母親から「起きなさい」と声をかけられれば直ちに起きて自分からシャツに首をつっこむ。父親は根っからの幼稚園反対者で、幼稚園教育こそは子どもの独創性を奪い去る最大の、しかも最初の敵だとおもいこんでいるのだが、斗美の幼稚園行きについての自覚だけは一応たいしたものだと認めざるを得ない。またそれだけになおさらのこと、現今の幼稚園教育について疑問を持たざるを得ないわけだ。
はたして幼稚園は、斗美が自覚して期待するほどの場であろうか。
父親は斗美の幼稚園行きについては、条件つきで賛成した。すなわち母親が、斗美と幼稚園との関係の、日誌をつくるという条件である。
したがって斗美の幼稚園行きと同時に、幼稚園教育の一つの記事がはじめられるわけであって、この記事をもとに、父親は幼稚園教育を再検討するこころづもりなのだ。--という予告を明らかにしながら、五歳になった斗美がはじめて身近に感じなけらばならなかった一つの内的現象についての考察をすすめていきたい。
なおついでのことをいうならば、斗美の妹、あゆみもまもなく四歳となる。
東京地方に珍しく積雪のあった日の夕ぐれ時である。母親の弟から電話があり、その母親、つまり斗美とあゆみにとっての祖母が、国立病院でガンの宣告を受けたと通知してきた。
昨年の春ごろから、祖母が胃や腸の変調を訴えていたのは知っていたが、それは一昨年の秋に二度にわたって受けた虫様突起炎の手術のあとがはかばかしくないのだと、本人もおもっていたようだし、周囲のものも考えていたのである。それが突然のガン宣言。母親は子どもたちに、ついうっかりと、「おばあちゃんが死んでしまう」ともらした。それでなくとも、死ぬということがなかなかに理解し難いだけに興味を示していた子どもたちのことだ。母親に矢つぎはやの質問を発した。
「おばあちゃん、死んだら、どうなるの?」
「ミイラになるのよね」
「ちがうさ、焼かれて、骨だけになっちゃうんだよ、きっと。ねえ、そうだろ」
「それじゃ、まるで、ガイコツじゃない」
「そうさ、ガイコクになるのさ」
「おばあちゃんのガイコツって、暗くなったら、光るかしら、ねえ、おかあさん、おばあちゃんのガイコツも光る?」
「光るさ、ガイコツは光って踊るのさ」
これは、母親たるもの、子どもたちにむかってヒステリックな声の一つも投げつけるのは当然だろう。
「なにいってるの、あんたたち。おばあちゃんが死ぬかもしれないっていうのに、かなしくないの」
かなしくないのか、といわれてみると、なんとなく、かなしい気持ちもするのである。しかしまだわからない。どうして祖母は死ぬのだろう。どうして祖母はいなくなってしまうのだろう。死ぬということは、どこか遠くへいってしまうことなのだろうか。そしてもう帰ってこないのだろうか。
「もしも、もしもだけどさ、もしも、おばあちゃんが死んじゃったらどこへいくの?」
これは、あゆみの地位と矢に対しての質問である。涙をためている母親に気を使いながらの質問なのだ。これに対して兄の斗美が答えた。
「天国だよ、きっと」
ここから今度は天国と地獄についての対話がはじまるのだが、これは一時中断された。ふたりの子どもは母親に連れられて、実家までいくことになったからだ。ここで注目しておきたいことは、子どもたちに、天国と地獄という対比の概念はあっても、極楽という概念がまるでなかったということである。しかしこのことについては、またあとでくわしく述べることにしよう。
母親の実家へ連れていかれた子どもたちは、そこでまた一つの新しい体験を得なければならなかった。
もう一度くわしく病状を説明したいから、家族のものを連れてきてくれと医者にいわれて一番上の娘と病院へ同行した祖母が、夜になっても帰ってこないという状況があったからだ。
すでに異常な雰囲気は察している。家を出るとき母親から、「おばあちゃんが死ぬなんてことは、絶対、しゃべっちゃいけないのよ」と繰り返し念をおされている子どもたちは、その祖母や伯母の帰りを待つはじめの二時間ほどは、ひとことも口をきかず、ただひたすらに沈黙を守ったという。だがそのうち、母親のほうが、その沈黙に耐えかねて、「どうしたのかしら、おばあちゃん」と逆に子どもたちの発言を求めることになった。
ところがこのころ、祖母と伯母は池袋のデパートから子どもたちの留守宅へ電話を入れていたのである。いわく「ガンという診断はまちがいでした。しかし胃潰瘍がひどいので入院することになりました。その準備のためにデパートで買物をしています」
家には父親が残っていて、この電話を受けた。もう夕ぐれである。
おばあちゃんの骨
夜がきたというのに、祖母は帰ってこない。縁側に腰かけてその帰りを待っていた母親とふたりの子どもは、次々にともる家々の灯りを見ていた。すると突然、斗美が泣きだしたという。
「おばあちゃんは死んだんだ。おばあちゃんは、もう死んじゃったんだ。だから帰ってこないんだ。早くお家へ帰ろうよ。ここにいたって、もうおばあちゃんは帰ってきやしないよ」
兄が泣けば妹だって泣く。おたがいに泣きたい気持ちを、じっとがまんしていたのだろうから、泣きはじめたら涙はあふれ出るのである。もうこうなると母親は叱るどころか、子どもと慰める役にまわらざるを得ない。
「大丈夫よ、おばあちゃんは、もうすぐ帰ってくるわよ、きっと帰ってくるわよ」
宵闇のなかで、さらに一時間以上、母親とふたりの子どもは祖母の帰りを待っていた。
結果は、やはりガンなのである。だが本人のために胃潰瘍だということにし、それを強調するために、伯母は電話までかけた。しかしそれらはあくまで私事にわたる事情だから、これ以上は触れない。だが以上の諸現象のなかで、子どもがはたした役割の大きさは理解されたものと判断する。はじめて当面した肉親の死という問題、それについてのおそれと悲しみ。ぼくはこれらの事実を手がかりに、子どものエモーションとその価値について考察しようとしている。
正直なところ、ぼくは自分自身の場合をふくめて、死の恐怖というものが理解できないのである。この生命をいとおしいと思ったこともないし、あえて捨てたいと考えたこともない。今度の祖母のガンについても、この感情の延長線上にあるものだから、決して無関心ではないけれど、「そうか、ガンか、ガンではやはり難しいのだろうな」と考える程度であってそれ以上でもそれ以下でもない。従って祖母のガンそのものについてよりも、それによって生じたさまざまの現象、なかでも子どものエモーションの現れかたに対して関心が動いてしまうのをどうすることもできない。あまり適確なたとえではないが、水面に何かが投げこまれ、そこに波紋ができたとする。するとぼくはその波紋のほうが興味深くて、そこに投げこまれたものは何かを考える余裕をなくしてしまったのである。
さてその波紋、つまり子どものエモーションのあらわれかたについてであるが、それはまず、死とは何か、という疑問からはじまったといえるだろう。
斗美の場合、死が無に通ずるという認識はなかった。あゆみもまた同じ。たとえ骨になろうとも、それは「おばあちゃんの骨」でなければならないのだった。そしてそれは無でないかぎり、何らかの形で行動する必要があると考えられた。おばあちゃんはあくまで生物であって、生物は必ず動くはずなのだ。
しかし「おばあちゃんがガイコツになる」という発想は母親によって否定された。死→焼く→骨という順序は変更されなければならない。ここで発想されたのが天国と地獄である。
「あばあちゃんは、死んでもきっと天国へいくよ」
「もちろん、そうよ。おばあちゃんって、やさしいのよ。いい人間は天国へいくのよ」
斗美とあゆみの会話を聴きながら父親は考える。なぜ極楽といわないのだろ。いまの子どもたちには、もう極楽という概念はなくなっているのだろうか。ぼくらとしては、極楽といった場合には仏教的な雰囲気があり、天国といったときにはキリスト教的な感じがするわけだが、子どもたちには、そうした違いはあまりないように見受けられる。
「天国って、どんなところだと思う」と父親は子どもに訊く。母親が買い物にでた留守のことである。
「いいところだよ。わにを見せてくれっていうと、いくらでも見せてくれるんだ」
いかにもわに好きの斗美らしい答えだ。あゆみも負けずにいう。
「お人形だってあるわよ。ちっちゃいの、大きいの、どんなお人形だって貸してくれるのよ」
どうして「貸してくれるの」などと、みみっちいことをいうのか。いっそのこと、呉れてしまうと何故に考えないのかといってみたところではじまらない。おそらく、子どもの考えとしては、呉れるひとよりも、貸してくれるひとのほうが、よい心の持主ということになるのだろう。
これに対して地獄はどうか。
天国と地獄
「鬼がいて、針の山があって、舌をぬくおっかないやつがいて、ドシーンと鉄棒で叩かれて、あやまっても許してくれないんで、おとうさん、おかあさんって呼んでも駄目で、ほんとうにおっかないとこ」というかなり具体的な様相を呈しているのが、五歳児と三歳児の構想する地獄である。天国図の曖昧さに比べて地獄図の鮮明さは何をものがたるか。まさか子どもなりに原罪意識を持っていて、自分がやがては地獄に堕ちると考えたわけではないだろうか。
ここには好悪の感情の働きがある。否定するべきもの、嫌なものを明確にイメージすることによってはじめて成立する反対概念ということを想定しないでは、この天国と地獄の曖昧さと鮮明さを理解することは不可能だろう。
子どもは祖母が死ぬかも知れないという話を聴いて、まず骨を想定したのである。だが祖母が骨になるためには、焼く必要があり、焼くためには葬式がおこなわれなければならないということを、子どもたちは知っていた。それだから、この段階では何度となく母親に訊ねている。
「ねえ、おばあちゃんの葬式はいつなの」
「焼くときは、やっぱり、煙がでるんでしょ」
しかしこれはことごとく撃退された。ここで浮かびあがってきたのが、天国と地獄の対比である。子どもたちは子どもたちなりに祖母を愛しているのだ。その愛する祖母は、ぜひとも、いいところへおくりとどけなければならない。いいところとはどこか。いいところとは悪くないところである。悪いところとはどこか。よくないところだ。よくないところとはどこか。地獄だ。地獄はどうして悪いところなのか。鬼がいる。そして……というわけで地獄図が構成された。
それと同時に、祖母のいるところは、自分たちが母親に連れられて月に一度ぐらいは訪れねばならない場所なのだ。そのためにも、そこは悪いところであってはならない。この否定的感情が、地獄図より鮮明に仕上げていくのだ、とはいえないだろうか。もしも安易な類推が許されるとしたら、この天国と地獄の関係を、平和と戦争におきかえてみる。子どもが平和を想定し、その反対概念である戦争についての鮮明なイメージが成立しなければならないのであるまいか。子どもたちのまえにある戦記物ブームは戦争のイメージを構築させ得ないほどに平和的だから、その価値がないという意見をぼくは持っている。安易なヒューマニズムの設定はますますその価値を低くする。
ともかく子どもたちは、地獄を構想し、天国を想定した。だがこれで問題は解決したわけではない。次に待ち構えていたのは、生命というものが失くなるといえば、在ると考えるのは当然だろう。祖母の胃ガンの手術をめぐる話題を耳にした斗美は、
「いのちって、胃のことなの。お腹のなかにはいってるの。それを取っちゃうから、おばあちゃんは死んじゃうの」と訊く。
「そうじゃないの、胃をとれば、死なないですむかも知れないの」
母親としてのこの場合は、ほかに答えようがないわけだが、これではますます、生命についてはわからなくなってしまう。だから、あゆみなどは、
「なあんだ、いのちって、むずかしいのね、おにいちゃん、もう、考えるのやめちゃいなさいよ」などといいだす。
しかし斗美はあくまでも一つことに固執する性格の子どもである。
「おとうさん、いのちってなんだか教えてくれ。なんかの本に書いてあるだろ、その本、読んでよ」
こんなとき、果たして適切な書物があるだろうか。まさか五歳児に対して「キリスト教神学辞典」でもあるまいと思ったから、山村暮鳥の童話集「地獄の門」のなかの「森の娘」を読んできかせることにした。
山奥の森の小屋に住む年寄り夫婦と小さなひとりの孫娘のはなしであって、その山にある日のこと遊猟家がやってきて、その娘から雉子の居場所を訊きだし、その謝礼として銀糸に包んだチョコレートを与えるのである。そして問題の「いのち」をめぐる物語が展開される。
生命とは・・・・・
娘は知らない小父さんにもらったそのチョコレートを一つ食べてみました。まあその美味しかったこと! こんなお菓子をみるのも、それがはじめてでした。
そこで娘は、ふと考えついて、残っているも一つのそれを銀紙のまま庭頭の畑にふかく埋めて土をかぶせました。
もちろん待てど暮らせど芽は出ない。娘はがまんしきれなくって祖父に打明ける。
「お前、それはまあ・・・」とお爺さんは噴きだしました。けれど娘はいよいよ真摯に「だって、おじいちゃん、どんなものでも種子を播けば芽がでるんじゃないの」
「それはそうだ」
「そんならこのチョコレートはどうして駄目なの。私、神様にもどんなにお祈りしたかしれないのよ。これから芽がでて、大きな木になって、花がさいてそして沢山こんな美味しいお菓子が生ったら、お爺ちゃんもお媼ちゃんも一ぱいたべられるでしょ。そしたら私、遠くの父ちゃんや母ちゃんのもおくってあげようとおもっていたの」
「おう、おう、だってお前・・・・・それには'''いのちがないんだ」
「'''いのちって何」
お爺さんは、はたと咽喉でもつまったように感じました。実際、なんと、それを説明してやろうにもうまい言葉がなかったので。でも、やっと
「いまに大きくなると、ひとりえに解るようになるんだよ」と、にこにこしながら言いました。(傍点は作者。カナ使いは新カナに改めた)
山村暮鳥はキリスト教徒であるから、これでよかった。しかし五歳児の父親としては、これではすまない。いかにして生命というものを子どもに理解させ得るかを、かなり真剣に考えはじめる。父親の真剣な、そして困惑した表情を見て、斗美はしきりに助言を与えようとする。
「いのちって、鉄腕アトムや、鉄人28号の、ロケットみたいなんじゃないの」
これは子どもとしてはかなり巧みな類推だが、この程度のことでは今度は父親が承服できない。生命とは、生命とは・・・・・。
ここで改めて、ぼくは子どものエモーションの現われ、つまり喜怒哀楽の情の表現ということについて考える。さきにぼくは、子どもは生活から生まれる感情とは別に、感情から生まれる生活があり、それこそが子どもにとって最も重要であるということを述べたはずである。いままたそれを繰返すわけだが、そうした子どもの感情生活が、親をふくめたおとなたちにとって、いかなる価値をもつのか、それを考究したいとおもうのだ。
四年ほど前になるが、ぼくはある研究会のためにレポートを作成した。まことに雑なものだが、そのレポートは「子どもの生存権または子どもの労働価値についての考察ノオト・その一」と名づけられている。
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共産主義についての既に言い古されたテーゼ「働かざるものは食うべからず」が、老人や幼児に対して残酷なイメージを与えるのは、資本主義社会特有の現象には違いないのだが、それを誰にもナットクされ得るような理論に変え得ない弱さが、この国の反対制側はもちろんのこと、中国やソ連など一応は社会主義革命を経て、共産主義へと移行しつつある国の理論にもあるようだ。多くの書物を調べたのではないが、「二歳から五歳まで」の著者コルネイ・チュコフスキーに代表されるように「子どもは可愛いもの」「次代を背負うべきもの」としか考えない児童観が、アクチュアリティの喪失をよび起こしているのではないか。
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果たして子どもは可愛いものであるか。確かに可愛い場合もある。しかしその可愛さを、単に、あどけない、ほほえましい、心がなごむといった傍観的立場からのみ論じていたのでは、それは結局、「次代をになうもの」としてのみ、子どもを見ることになってしまう。はたして、子どもは、そういう意味での「蓄積」にしか過ぎないものであろうか。もしも世界が、いま、締切られたとしたら、何ら労働価値を持たない存在として否定されてしまう存在であろうか。もしもそうだとしたら、子どものことを考えるわれわれは、今日のこと、つまりアクチュアリティを問題にしない理想主義者ということになる。理想主義者の美名あるいは汚名に甘んじることを肯じないとすれば、今日、この時点における子どもの存在権、つまり労働価値を論理的に発見してそれを正しく位置づける必要が生じてくる。
第三章以下では「子どもの労働とは何か」を追及して、子どものエモーチヴつまり感情の表現を、おとなにおける労働と同一視してそれに価値をみとめるべきだと主張しているのであるが、この考えかたに多少の伸縮はあっても基本的にはいまも変わりはないのである。
子どもの価値
斗美とあゆみの地獄構想は続いている。そこには赤い鬼がいたら必ず青い鬼もいなければならないし、黄色い鬼もいて、さらには緑色の鬼もいる必要があるらしい。そしていつしか子どもは、天国と地獄を自分たちの感情表現の方法に活用しはじめた。子どもたちのために菓子を買って帰宅した父親は、直ちに天国へはいることを許されたが、玩具を片付けるように口やかましくいった母親は、地獄へいって舌をぬいてもらったからでないと、天国へはいることは許されないのである。天国には叱るひとなどいてはならないからであろう。これを馬鹿気たことと笑いながしてしまうことができないのは、これらの表現のなかには、子どもたちとして精一杯の感情がこめられているからであって、そもそもの出発が、祖母の病気を思い計ってのことであってみれば、母親としてもこれに耳傾けないではいられないのだ。
「ねえ、あんたたち、こんどおばあちゃんのところへいったら、いろんなこと、ねだってもいいわよ」
孫に何かをねだられれば、祖母としては自らの生命をいま一度、ふるいたたせなければならないと考えるだろう。この励ましに、母親は子どもの価値を見出したのである。だがこうしたことは、何も「ガン宣言」というような決定的瞬間にのみ現出することではないはずであっても、ともすると日常化のなかで見失いがちではあるけれど、子どもたちは何かにつけてその感情を表現し、それを価値づけられて然かるべきなどだ。
「一日働いて疲れても、子どもの顔を見れば疲れが消える」という労働者のはなしを耳にしたことがる。このエピソオドから一般的に連想されるのは、温厚な人物、職場で信頼される人、さらには「教え子を戦場にやるな」のスローガンを掲げる教師を支持する父親としての反対制側の人間、選挙ともなれば、自民党には投票しない人間の姿ではないだろうか。ところがこの父親は、「疲れが消える」子どもの顔を、価値としては考えようとはしないのだ。せいぜい考えたとしても、疲れをいやしてくれるこのましい存在と見る位が関の山である。現に子どもたちは、こうして「感情の表現」を搾取されているのである。(前記レポートのZ)
だがいまは、その「搾取」を論議する必要はないだろう。それよりも問題はむしろ、そうした感情表現を可能にするために構想されるイメージ、たとえば地獄のごときものである。それが激しくそして鮮明であればあるほど、その反対概念もまた鮮やかに構築され、感情の表現も具体的になる。もちろんここでいう具体的とはいわゆる現実的ということではない。それはむしろ、ある意味では非現実的であるがゆえに具体的なのである。そして非現実的ということは曖昧さを意味するものではない。子どもにおける地獄図は、鮮明になればなるほど非現実化する。子どもらは、ありとあらゆる色彩を駆使してイメージのカンバスをぬりたくる。そしてそれはますます鮮明となる。これには明らかに美意識のはたらきがあるのであって、この美意識をぬきにしては、いままでに例証したような数々の感情表現も子どもなりの考察もありえなかったのである。もしも感情表現を一つの価値と認めるならば、それを生みだすところの美意識もまた、価値には違いないのだし、それを駆使して構築されるイメージたとえば地獄図は文字どおり価値ある構造物だといえるだろう。
しかし父親としては、子どもを唯心論的に育てあげたいとは考えていないのである。ということは、とりもなおさず、子どもの創造物である地獄図を非現実的であるがゆえに価値ありとするわけで、それがさながら見世物の「地獄極楽」に酷似しているから価値ありと認めているわけではない。
むしろ父親としては、幼児に、浅草本願寺境内あたりで、チンチンチンと不気味な鐘の音をさせながら、「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため」などと歌い、かつ現世での行いを正しくせよと教訓的説明つきの賽の河原に代表される地獄図を見てしまったがために、かえって自分が死を恐れない人間になってしまったのだと考えている。イメージよりさきに陳腐な模型を見てしまったことの不幸である。いうまでもなく、子どものころには、あれは恐ろしくもまた興味ある見世物であった。だがあの模型の前で恐れおののいた自分と、自分の創りだしたイメージによって恐れおののいている子どもと比較すると、やはりその度合いの薄さ浅さに気づいて父は恥かしくさえ感じるのである。
子どものイメージおよびそのイメージを基調とした感情の表現は、父親に一つ変革をもたらす契機となった。子どもにとって父親とは、社会と同質の存在であるから、もしも変革という言葉使いがこの場合、間違いでないとしたら、子ども、とくに幼児が社会にむかって働きかける方法として、感情の表現こそは、もっとも強力な方法かも知れないのである。だかこれは、乳呑児が乳を欲して泣くのと同一ではない。
切支丹宗門史
心理学書のなかには、乳呑児がおもい描いているだろう母の乳房、あるいは哺乳びんの映像までイメージとよんでいるのがあるが、それではイメージについての考察は混乱するばかりだ。ぼくはそれらを映像とよぶのさえ理解しがたいものだから、とうていイメージを定義することに賛意を表すわけにはいかないのである。
だがもしも心理学が、乳呑児のおもい描く母の乳房あるいは哺乳びんの像を、空腹すなわち苦痛に対する反対概念として想定されるものだというならば、何の異もなく承服する。たしかにそうしたことを述べている心理学書もあるにはあった。だが多くの場合、心理学者はそれを思考だと想定する。腹がへったら、ハイおっぱいでは確かに思考であり知識である。はたしてイメージは思考であろうか。
もしもイメージが思考あるいは知識であるならば、地獄図の鮮明さは、無知の度合いに通じてしまう。乳房や哺乳びんは存在するが、地獄は存在しない。乳房や哺乳びんは求めるがゆえに、イメージ化されるのだが、地獄図はむしろ求めないがゆえにイメージ化されるのである。
斗身やあゆみが求めたのは、天国であった。だがこの架空の場を設定するためには、その反対概念をまずイメージする必要があったのである。ここには葛藤があり対立があり、そして照応の繰返しがある。これでもなお、これを思考あるいは知識とよぶのだとしたら、それはむしろ思考あるいは知識に対する侮辱であろう。思考あるいは知識は結論を求めて、その到達点こそが問題になるのであって、その過程が複雑であることを尊しとする心情の働きとはまったく異質のものであるまいか。イメージとは結論や到達点ではなくて、過程そのものなのである。
一月十一日、難教者達に直ちに首を刎ねるとの通告があった。二人は既に、共に聖なる主に倣って、十字架上の死を望んでいた。然し、ヨハネは同僚に向かって、この死は実に光栄であることを語り、更に次の如く言いたした。『我々は、寧ろ酷い目にあって、身は千々に切りさいなまれたいものだ。』『よし、この恩恵に浴させてやろう。』と奉行が言った。奉行達は、民衆の心が湧きたつことを案じ、大急ぎで殺してしまうつもりでいた。然るにその報一度にひろがるや、夥しい人々が集まって来た。(日本切支丹宗門史第十一章一六〇九年)
このあと二人の子どもが処刑されることになるのだが、そこでもまた、「身は千々に切りさいなまれ」と同様に、その死よりも、死にかたが問題になっている。これを子どもの感情表現にあてはめてみることはできないだろうか。父親あるいは母親の心は、奉行たちが想定する「民衆の心」と同一である。子どもの言葉そのものよりも、その言葉が成立する過程を知ったときこそ「心が湧きたつ」のである。
地獄という発想には別におどろきはしない。だがその地獄を発想したとき、天国が想定され、またその逆に天国が想定されるときに地獄が構想されるのをしったとき、その多様な鮮明さにおどろくのだ。もちろん「鬼がいて、針の山があって、舌をぬくおっかないやつがいて、ドシーンと鉄棒で叩かれて・・・」と語る部分は地獄構想の何十分の一かにすぎぬものであるだろう。父親に訊かれたから、子どもはそれを言語におきかえて表現したのであって、その背後には言語におきかえることも不可能な地獄構想がイメージされていたに違いない。そしてそれは表現したことによって、されに豊かに構想されるはずなのだが、その逆に表現の至難さをイメージの展開を弱めてしまうこともある。子どもは自分の価値、つまり感情表現の評価に対してすこぶる敏感なのだ。
論議を飛躍させてみる。子どもが笑い、その笑をみて、おとなが笑い、心がなごみ、疲れが消えることが科学的に分析できる機械があって、その数字の示す価値に従い、報酬を支払わなければならないとしたら、その日からわれわれは、わがこの顔をみることさえ制限せざるを得なくなるであろう。そして遂にわれとわが子を憎悪するようにもなるであろう。(前出レポート[)
子どもたちが懸命に構想した地獄図のなかで、ぼくはさまよい疲れ果てる。それは決して見世物小屋の模型のように限りあるものではないからだ。もしもこれを、子どもたちもようやく地獄について考えたりするようになったのだというふうに考えられたら、それこそ親としては気楽で心もなごむのであるが。
テキスト化青木禎子