『子どもにとって美は存在するか』(誠信書房 1965)


銀河鉄道・対極をめざして

ある赤色恐怖症

 十三歳の少女がいる。これを仮りにA子と名付けることにしよう。A子は非行少女たちの保護厚生施設として名高いK学園にいまもなお収容されている。A子がK学園に送致されてきた夜のこと、まず最初にその兆候が現われた。
 A子は風呂場で失神したのである。A子はなぜ失神したりしたのだろうか。ようやく気をとりもどしたA子に向かって問いかけた園長に、A子は次のような告白をした。
 A子はある暴力団が管理する売春組織にひきこまれていた。その売春組織にはA子と同年齢の家出少女たちが数人、暴力的監視のもとに売春を続けさせられていた。ある日のこと、見張りの眼をかすめて二人の少女が逃亡した。だが二人はたちまち組織的な暴力団員の手によって捕えられてしまったのだ。二人の少女は見せしめのためということで、A子たちの眼のまえで短刀を腹部に刺しとおされ、絶命した。A子自身の言葉を借りると、それは文字どおり「あっというまもない」出来事だったという。
 殺されただけではない。さらに二人の少女の死体は風呂場に運ばれた上、水を流しつづける浴槽のなかで関節をはずされ、解体された。このとき血液は浴槽から溢れる水とともに完全に流れ去ったのである。A子も強制的にこの作業を手伝わされたわけだが、あくる日になると、小さく切り刻まれた二人の少女の死体はすでに人間の若い女であるかどうかもさだかではない肉片に変っていたという。そしてそれは付近の山に運ばれて野良犬の餌となった。
 二人の少女は完全にこの地上から消されてしまったのだ。明治や大正の話ではなく、外国の話でもない。昭和もつい最近のことである。
 十三歳の少女A子が、K学園の風呂場で失神したのは、浴槽から溢れだす湯水を見て、死体解体の恐怖を想起したからにほかならない。「お湯がまっかな血に見えた」とA子はその時の印象を語っている。
 十三歳。いかに最近の子どもの発育が早いといっても十三歳といえばまだ中学生の年齢であって、その体つきや容貌には幼さが残存しているはずである。そうした少女が売春婦としての体験を重ね、さらに殺人から死体解体、そして消滅にいたるまでの恐怖を経験しなければならなかったということは、まことにおそるべき現実であるといわなければならないだろう。だがいまは、この現実に直接的にかかわりあうことをあえて避ける。そしてぼくが、A子の体験をひとつの手がかりとしながら考察しようとするのは、色彩の子どもに及ぼす影響についてなのである。もちろん色彩は視覚のはたらきなしには、いかなる判断も感興もひき起こさないわけだから、当然のこと、考察は視覚の問題にも関連するはずである。
 A子が失神するほどの反応をしめしたのは赤という色彩である。これをはたして赤色恐怖症というような呼びかたで分類したりすることが正しいかどうかについては、かなりの疑問がある。あそらくそのほうの専門家にいわせればもっとほかの判定をくだし、他の命名をすることだろう。それに第一、赤色恐怖症などという言葉は、ある種の政治的傾向をあらわしているようで、A子について考える場合にはやはり適切ではない。とすると、もっとほかの言葉を考える必要があるわけだが、それは専門家にまかせてしまおう。ぼくは赤という色彩がA子という十三歳の少女にとって、当分の間、もっとも強烈な反応を与える色彩であることを忘れさえしなければよいのである。もちろんそれは、赤という色彩の状況にこそ深いかかわりがあるわけで、その状況をぬきにして赤という色彩についてのみ考えることは誤りである。
 色彩の戦後体験というようないいかたがすでに存在するかどうかは知らないが、とにかくぼくらの色彩感覚には、おびただしい戦後体験の投影があるはずである。廃墟の街に米軍が持ち込んできた黄色と赤をぬきにして、僕は色彩を考えることが不可能なほどだ。黄色は東京に進駐した騎兵第一師団の馬の首をあらわしたワッペンの色であり、赤はラッキーストライクの赤丸であった。
 これらの強烈な印象をぼくは色彩の原体験とでもいいたいわけだが、もちろんこの「原体験」に固執するつもりはない。むしろ僕がのぞんでいるのは、プラスチックスの世紀とまでいわれる現代が生み出したさまざまな色彩の氾濫のなかで、ぼくらの貧しい色彩の原体験が見事に否定されることなのだ。それもA子の場合のような、異常な状況のなかで生みだされた色彩感覚によって否定されるのではなくて、プラスチックスが生みだした中間色というような日常的な色彩のなかで育つ子どもの感覚によって、ぼくらの色彩の原体験が否定されることをのぞむのである。

黄色への反感

 子ども服についての調査を依頼されてある小学校を訪れたときのことだ。ぼくは子どもの色彩感覚のなかに、かなり明確な反社会性が存在することを知った。それはある程度まで予想されたことではあったけれど、ぼくの接した子どもの全員が黄色への反感を抱き、それを露骨に表明したのには、こころのいっぽうで喝采を叫びながらも、はたして色彩感覚がこのように日常的であっていいのだろうかとも考えたのである。
 子どもたちが黄色に対して反感を抱く理由は、黄色が「交通安全の色」であり「着なさい着なさいって、無理やり着せられちゃう」コートの色であったりするからにほかならない。それは直ちに親や教師や警察の強制力、つまり権力を想起させる色彩なのだ。しかし、ただそれだけで、その色彩に反感を抱くというのはどうだろう。それはぼくらが戦後の一時期、あのカーキ色を忌み嫌った感覚と共通するのではないか。そしてそれを忌み嫌う感覚を保持することで、反戦意識を保持し続けているような錯覚に陥ち入ったりしたことがあったりしたら、それはますます共通しあう感覚だとおもうのである。
 黄色への反感を表明することで、反権力の意思をしめしたとおもいこんでいるような子どもたちでは、政治的にはいささかの可能性もありはしない。反権力の意思などというものはそれほど単純なものではないはずである。権力そのものが決して単純ではないように。しかし黄色を好きではないということが、個性の問題として出てくるのならば、それは感覚の価値として低いものではないといえるだろう。子どもたちはどんなときにも言葉足らずだ。強制される色彩とはすなわち「みんなが着ている洋服の色」のことだったのである。洋服ばかりではない。帽子にもカバンにも交通標識にもタクシーにも黄色は多い。黄色こそは巷に氾濫する色彩なのだ。ところが子どもたちもまた知っている。色彩感覚というものが本来は個性的なものであるべきだということを。子どもたちの黄色への反感、これはとりもなおさず個性の主張の第一段階にほかならない。アボット、ピレン、チェスキンに代表されるアメリカ色彩学では「洗煉された個人の感覚、あるいは芸術家の個性的な意見は」商品、包装、広告など「大衆にもっとも好かれる色」を選ぶ場合、妨げにこそなっても何の役にも立たないと強調されているそうだが、黄色への反感というカタチであらわれた子どもの個性的主張ははたしてどのような扱いを受けるのだろうか。個性的主張だって、百例も集められれば客観的な資料と見なされ得る。だが客観的な資料になり得たからといって、それが非個性的だということにはならないだろう。しかしそれを個性的とはいわない。
 子どもたちの黄色への反感、これをぼくは個性主張の第一段階だといった。第二、第三の段階ではどのように個性が主張されるものかを考察しなければならないわけだが、ここでいう段階とはあくまでも言葉のアヤであって、下から上へとのぼりつめていくということではない。現代アメリカの色彩学が三文の値打ちも認めないという「厳密さへの変質、文学的哲学的虚飾」に感覚を徹底していくことこそが、第一段階から以後の課題となる。おそらくこれらの作業は、「物理理論ではない色彩論」といわれて科学者たちに嘲笑されたゲーテの「色彩論」あたりからヒントを得れば比較的容易なのだろうが、いまはぼくなりにやるより仕方がない。ヒントを得るよりヒントを与えよというのが、この文章を書きつづける場合のぼくの信条なのである。
 さて、子どもたちは、黄色への反感を表明したあとで、ぼくの提示する「切りぬき」に対して次々に論評を加えていった。その切りぬきが外国のスタイルブックまたはカタログからのものであったために、どうしても「これをどう思うか」という問いかけになり、それに対する論評になってしまうのであった。しかしそれでも、子どもたちが揃いも揃って好きな色が黒であるということはわかった。ここでもまた、揃いも揃ってというところで客観性を見てしまうことは自由だが、ぼくはこれを、もっと本質的なことと考えた。ゲーテは色彩論のなかで「古代人は光と闇、白と黒を対極においた。かれらは、色彩がこの両者間に発生することを十分よく認めた」と書きしるしたそうだが、この論法でいくと、子どもが黒を選んだことは、色彩を選んだのではなく、色彩の基調となるべき闇を選んだというべきかも知れない。しかも光を選ばずに闇を選んだのは、「黄は適度の光から」生まれると考えた古代人あるいはゲーテの感覚と共通するわけだから、黄色への反感を表明した子どもたちとしては至極当然の帰結であろう、ということも不可能ではない。しかしそれではあまりにも、文学的哲学的虚飾にすぎるとおもう。


カッコイイとは何か

 子どもたちが好きな色彩として黒を選んだことの意味は、複雑であり単純である。複雑と単純、この相反するかにおもえる二つの性質が一本化したところにこそ黒色選択の本質があったとは考えられないだろうか。いうまでもなく現代の子どもたちは古代人のように色彩の乏しい世界には生きていない。子どもたちの周囲には、人間が作りだしたさまざまな色彩がある。自然の色彩には昔も今も変ってはいないといった面があるにはあるが、色彩はその色ただ一つだけで人間の感覚を刺激するものではない。色彩と色彩との組み合わせ、つまり配色によって、色彩のもつ意味はさまざまに変化し得るのだ。古代人が見た夕焼けと、現代人が見る夕焼けは黄色とオレンジ色の相違だけではなく、もっと深い意味での変化を遂げているはずだと考える。
 古代人が黒を選んだとき、それは闇そのものに違いなかった。闇とは夜と同意であり、それは恐怖、あるいは悪に通じていた。古代人は光を求めてやまなかった。光は白。白は平和であり善であった。しかし現代の子どもたちが黒を選ぶとき、そこには古代人に共通する意味はないと断言できる。だが子どもたちが、あくまでも一つの色彩としての黒を選んだかとなると、それははなはだ疑問である。おそらく子どもたちは、豊富な色彩の氾濫のなかで、迷いに迷った末に、黒を選んだのではあるまいか。もしもぼくがここで、子どもたちが黒を選んだとき、おもいなしかその表情には安堵の色があったなどといえばもっともらしいのだろうが、そんなことはなかった。子どもたちは「やっぱり黒ね」程度のことしかいわなかったのである。
「どうして黒がいいのか」
「いくら黒が好きだといっても、みんな黒を着てしまったら、黄色と同じように、みんなが着ている色になってしまうのではないか」
「クレオンや絵の具のなかから好きな色を選べといわれても、黒を選ぶか」
 右の三つの問いかけに対して子どもたちは次のように答えている。いうまもなく子どもたちの答えは個々に違うし、その語り口も一様ではない。ぼくが記録するのは、それらのなかの最大公約数的発言である。
「どうして黒がいいのか」に対しては「カッコイイから」という答え。第二の問いに対しては、「黄色のようには黒は目立たない」という。第三の問いに対してはまったく個々ばらばらであって、それだけに黒が色彩として子どもたちの色彩感覚の全体を支配するものであることは判然とした。右の三問に対する答えとして、あとの二つはほぼ態をなしているといえるのだろうが、第一問の答えである「カッコイイから」は明確さにおいて欠けるところがあるとおもう。
 カッコイイとは何か、子どもたちのなかにはカッコイイをさらに圧縮してカクイなどと表現するものがいるが、この場合にもその不明確さは同断である。
 カッコイイという言葉は、子どもたちの全生活領域に及んでいる。ゼロ戦も鉄人28号も忍者も野球選手の活躍も、手製の玩具の出来ばえも、母親が丹精こめて作った料理も、それこそ欲しいとおもう黒い服も、すべてカッコイイという言葉一つで片付けてしまうのが、子どもたちの特徴なのだ。しかし、おとなたちは子どもたちの言語表現に寛大でありすぎるために、子どもたちに「カッコイイ」を乱発させすぎているとはいえないだろうか。日本語の乱れなどと道学者じみたことをいうつもりはいささかもないが、もはや子どもたちに「カッコイイ」を乱発させないという心づもりぐらいは必要である。
「カッコイイなあ」
 テレビのアニメーション「鉄人28号」を視聴しながら五歳児の斗美がいった。父親はその場で聞いた。
「どうしてカッコイイとおもうんだい」
「空をぐんぐん飛んでいくんだもん」
 この場合のカッコイイは言葉の使い方として間違ってはいないだろう。しかし、子どもが「カッコイイ」と表現したとき、それを何故かと問わぬままに放置しておくと、子どもたちは嗅覚や味覚について表現するときにも「カッコイイ」という言いかたをするようになる。これはまた色彩についても同じことがいえるわけであって、「カッコイイ」黒い服という言いかたはあり得ても、「カッコイイ」黒い色などというのはあり得ない。それでいながら、子どもは色彩についてまで「カッコイイ」という言いかたでその好き嫌いを表現しようとする。これがムリだということは、子どもたち自身も充分に承知しているのである。ここには色彩についての、さらには感覚そのものについてのいちじるしい混乱がある。
 もちろん、色彩感覚もまた美意識である。色彩感覚の混乱は、美意識の混乱でもあるだろう。そしてその集約的なあらわれが、子どもたちの黒色選択であった。

銀河鉄道の夜

「ではみなさん、そういうふうに川だといわれたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものが何かご承知ですか」
 先生は、黒板に示した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問いかけました。

 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の冒頭である。既にこの書き出しからさえ予想されるように、この宮沢賢治の童話作品では黒と白とが対比的に取り扱われていく。主人公の少年ジョバンニが夢を見る場所、つまり銀河鉄道に乗車する動機を得るのは「黒い平らな頂上」や「まっ黒な、松や楡の林」のある丘の上でなければならなかったのだ。黒すなわち闇において夢を見、銀河鉄道に乗っていく。これはジョバンニが光を求めていくことにほかならなかったのである。この光と闇、白と黒のあいだに賢治はさまざまな色彩を生みだしていった。近代日本の児童文学において賢治の存在はあくまでも異質であり偉大であるが、その存在理由のなかにあって特に目立つのは、豊富な色彩感覚だとぼくは考える。そしてその色彩感覚つまり美意識の底には、光と闇を大局におくという古代人の意識と共通するものがあった。それを賢治は仏教信徒としての信仰心のなせるわざだとしんじこんでいただろう。光を求めていくのは神仏の別なくすべての信仰心に共通する意識であって、賢治もまた例外ではなかった。もちろん賢治は、闇を求めようとはしなかった。黒は賢治にとってもっとも嫌いな色彩であったかも知れない。しかし光について語るために、その大局にある闇を無視することはできないということを、賢治が知らないはずはなかった。白について語ることは、即、黒について語ることでもあった。いや、むしろ黒について語れば語るほど白は鮮明にイメージされたのである。この往復運動のあいだに色彩が生まれ、それは賢治によって、ぴかぴかの青びかりとよばれたり億万の蛍烏賊の火のようだと名付けられたりした。賢治にとって色彩はあくまでも光にいたるまでの過程あるいは媒体であった。こうした賢治の色彩感覚と、子どもたちの黒色選択とがまさしく逆の運動を示していることは改めて指摘するまでもなく明らかなことだろう。賢治は単純から複雑へ、一色から多色へと進行し、それをまた逆にたどって往復運動をくりかえす。これに対して子どもたちは複雑から単純へ、つまり多色から一色へと移り進んできたのである。
 問題は多少わき道にそれるが、ここで宮沢賢治の童話が現代の子どもたちに受け入れられるかどうかを考えてみることも、決して無駄なことではない。「銀河鉄道の夜」をはじめとして賢治の多くの童話作品には、子どもたちがもっとも好きだといった黒い服を着た人物が実に数多く登場する。もしも登場人物への共感といったことが文学干渉の初歩的第一条件だという文学教育理論を信じるならば、まさに賢治の童話はその条件を満たした作品群だということが可能なのだ。しかし子どもたちの黒色選択にはしろあるいは対極が意識されていない。そこでは色彩としての黒以外の意味は持ち得ていないのである。
 浜田広介の童話作品のなかには、「黒いきこりと白いきこり」という短編がある。黒いきこりは悪であり、白いきこりは善という設定だが、ここには中間の色彩がない。宮沢賢治にぞんざいする闇から光への往復運動が、広介には存在しないのだ。賢治の進行が苦悩だとするならば広介のそれは観念である。子どもたちの黒色選択もまた観念では絶対にあり得なかった。苦悩という言葉は適切でないが、迷ったあげくの選択ではあったのだ。
 迷ったあげくが白つまり光におもむかず、黒すなわち闇におもむくのは、信仰心のなさ、唯物論の影響だなどというのは考えすぎというものだろう。
 五歳児の斗美と四歳児のあゆみが絵を描くために絵具を溶かしていた。そのうち絵具は混ざりあってしまった。するとあゆみがつぶやいたのである。
「色ってまぜると黒くなっちゃうのね」
 それは性格には黒ではなく濃い灰色とでもいうものだったが、とにかく黒に近いものであることは確かだった。これに大して兄の斗美がうなずきながらいった。
「青い空に夕焼けがまじると夜になっちゃうのと同じだね」
 子どもたちにとって、黒は無ではなく、有であり存在なのだ。そしてそれは直感的な色彩ではなく、考える色彩とでもいうべきものではなかろうか。

対極としての赤と黒

 十三歳の少女A子が、異常な体験によって赤という色彩への強烈な反応をしめしたという話を耳にしたとき、ぼくがとっさに想起したのが、子どもたちの黒への関心であったことはいまさら述べるまでもないだろう。おそらく十三歳の少女A子にとっても、平安な日々の中にあっては、赤への関心を強めるなどということはなかっただろうと考える。色彩の世紀とさえいわれる現代の色彩の氾濫のなかでは、置くの人間が色彩への関心を喪失している。ひとびとの個性、つまり美意識とは何のかかわりもなしに生みだされる色彩、流行色への関心は、色彩への関心とは似て非なるものなのだ。個性的な画家は、流行色を使ってタブローを染めたりはしない。
 A子の赤の対極には、子どもたちの選択した黒がある。そしてその中間にさまざまな色彩があるのだ。子どもたちは自分たちの選択した黒から赤に向かって運動を逆転させなければならない。もちろん子どもたちひとりひとりが赤い対極を持つとは限らないだろうし、またそれは必ずしも赤い対極である必要はない。しかし、子どもたちが黒を選んだというその行為は、積極性と消極性とが共存しているとおもうのである。黒の対極を意識させること、ここにこそ美意識の発展がある。僕は仮りに、黄色への反感を、個性主張の第一段階だといった。そうするとその第二段階には黒の選択があり、そして第三段階には、黒の対極を意識するという積極性がくみこまれなければならないということになる。ここからこそ、ほんとうの意味の豊かな色彩感覚が生まれる可能性があるのであって、その前段階での子どもの発言を、変ったとか新しいとかいう言葉で評価したりするのは、まことに軽薄なことといわなければならないだろう。
 それにもう一つ、現代の子どもたちが黒への関心を強めている原因として、テレビ映像の役割が大きいことを忘れてはならない。それは何故か。テレビ映像には黒が存在していないからである、といったら、何を愚かなという叱声がきこえてくるような気がする。だが真実テレビ映像に黒は存在しないのである。黒と見えるのは暗であり、白と見えるのは明であって、カラーテレビでない限り、そこに見えるのは黒白ではなく明暗なのだ。これと同じ意味のことは映画についてもいえるのかも知れないが、映画には同じ明暗とはいいながら、全くの明暗がある。映画では暗を写せば黒となる。しかしテレビではブラウン管の青白い光があるだけで闇はない。従って映画技法にあるフェード・イン、フェード・アウトといった暗転の技法もテレビの場合には通用しない。このテレビ映像の特性を無視して現状の映像を論じることは愚かしい。映画における闇つまり黒は新しい意味を出発させる無意味として重要な役割を果たすが、テレビの場合には、そうした役割を果たすものはほかの何らかに求められなければならないのだ。しかしテレビがブラウン管によって映像化される限り、闇すなわち黒はあわられそうもない。そこに黒と見られるものがあらわれるとしても、それは必ず何らかの意味を持っているはずである。そしてそれが何らかの意味を持っている場合には、暗転の技法は成立しない。このことと子どもたちの色彩感覚とは密接な関係があるといわなければならない。
 映画における黒と宮沢賢治における闇とは、新しい意味を出発させるものとしての共通性があり、さらに、それらと子どもたちの選択した黒とに同じような共通性が存在し得ることは、既にくりかえし述べたとおりである。しかし賢治の場合と子どもたちの場合とは、逆の運動形態をしめしていた。
 子どもたちは黒を渇望している。しかも何の意味も持たない黒を子どもたちは求めているのだ。それは映画映像で育ったおとなたちと同じような無意味をテレビ映像に求めざるを得ない子どもたちのやむにやまれぬ欲求ではなかろうか。子どもたちに向かって送りだされてくるテレビの映像のなかには、当然のこと、映画的映像の技法をもっているものが多い。そのときおとなたちは実際には目を閉じなくとも眼を閉じたと同じ状況に自己をおきかえて新しい意味への出発を可能にするのだが、子どもはここに、こだわりを持つ。おとなと子どものテレビを巡る落差は、活字文化と映像文化の質的な違いが原因だと思われているが、それは感覚の問題ではなく論理の範疇に属するものであって、実際的には、暗黒つまり無意味の黒をめぐっての混乱に原因することが多いというのがぼくの予測である。

幼稚園の制服

 テレビ映像をまえにした子どもたちは、暗黒のなかに坐するということがない。このことは、自己と映像との間に、往復運動が置き得ないということをものがたっている。子どもたちがテレビ映像に対してすこぶる客観的であり得ているという多くの親たち教師たちの報告はこのことの証明に役立つ。テレビの視聴時間をめぐっての論議は数多くあっても、テレビ映像そのものについて、その影響を論じるひとはすくなく、しかもそれを大まじめに論じているのは時代遅れの道学者でしかないという事実もまた一つの証拠である。十年前、テレビで「月光仮面」、ラジオで「赤銅鈴ノ助」に圧倒的な人気が集中し、子どもたちの英雄従望が話題になったのを想起するならば、十年という歳月が子どもという存在を媒体としてまったく異質の文化をつくりだしていることに気づくだろう。子どもたちはテレビ映像に自己をかかわらせようとはしない。そこに英雄は求められていない。テレビ映像そのものが客観的視聴態度を強制しているからなのだが、映画映像から脱却し切れないおとなたちはその強制に気づかぬことが多い。
 子どもたちの客観的視聴態度は、テレビ以外の映像、たとえばマンガの鑑賞にも変化をおよぼさずにはいない。その結果は、「圧倒的に人気のあるマンガはない。それが現在の自動マンガの特徴といえば特徴であるといわれる」ような停滞現象を招来しつつある。このほかにもテレビ映像が子どもたちの感覚におよぼした多くの例証があるわけだが、それらがはたして子どもにとって、あるいは美にとってよいことであるのか、悪いことであるのかは軽々しくいえることではもちろんあろうはずがないのだ。ぼくらにはそこにある事実を誤りなく見る責任があるだけである。
「こんな色の洋服はいやだな」
「へえ、こんなネクタイするなんて、バーの男みたいだね」
「ぼくは、おかあさんのつくる洋服が一ばんいいとおもうんだけどな」
 五歳の斗美が幼稚園の制服をまえにして次々につぶやいた言葉である。こんな色とは紺であるが、それは四歳児のあゆみにいわせると「バスの車掌さんみたい」な紺ということになる。バーの男みたいなネクタイとは、海老茶色の蝶ネクタイのことだ。おそらくこれはテレビでみたある場面からおもいついた譬喩であろう。最後の言葉は、自分の美意識への確信である。母親は子どもの意見を無視するようなことはあり得ないからだ。
 父親は斗美が幼稚園の制服を着て通園する朝を想像し背筋を寒くする。畑の向こうにある幼稚園へ小さな紳士が通っていくというのである。こんな制服を選んだ幼稚園に、美意識を育てはぐくむ教育方針などあろうはずがないではないか。ここで父親が考え得る唯一の方法は、幼稚園が提示してくるすべての色彩をよくない色、悪い色ときめつけてしまうということであろう。そしてそれらのよくない色の大局に、よい色が存在するという感覚を育てあげるわけだ。この場合、オレンジ色の好きな子どもには天才型が多いとか、黄色ごのみは分裂質だという如き色彩による性格判断などは、それこそ色褪せたものとなるに違いない。しかしこの場合にも、賢治童話によってしめされたし記載の対極、そしてその対極間における往復運動という考えかたは充分に役立つ。もちろんそうした考えかたは、色彩感覚だけに適用されるものではなく、あらゆる対象に自己をかかわらせるときの主体的姿勢として考慮されなければならないのである。
「銀河鉄道の夜」は詩作品「無声慟哭」「永訣の朝」と同じように、最愛の妹の死に遭遇した賢治が妹の死をモチーフとしてうたいあげた作品だといわれている。賢治にとって、妹は一つの対極であった。「ジョバンニは、そのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないというような気がしてしかたなかったのです」と書いたとき、賢治はジョバンニでありカムパネルラは妹であり、どうしてもジョバンニは銀河のはずれ目指して銀河鉄道の夜を経験しなければならなかったのだ。
 ジョバンニにおける銀河鉄道に相当するのは、A子における売買組織であったわけだが、子どもたちにおける対極間往復運動がA子のようであって欲しいとねがうわけにはいかないことはもちろんである。それでは銀河鉄道か、これもまた子どもたちに推薦するだけの迫力に欠けるところがあるとしたら、あとに残るのは何か。せめて幼稚園の制服からでも、対極を見出し、それを求め続けていくようにしなければ仕方がないではないか。ここにのぞみがなくもないことは、既に述べてきた所持例によって明らかなはずだとおもうのだが、これもまた現実をはるかに離れた対極の論旨であろうか。
 わたくしが青ぐらい修羅をあるいているとき
 おまえはじぶんにさだめられたみちを
 ひとりさびしく往こうとするか(無声慟哭)

(テキストファイル化鷹見勇