『子どもにとって美は存在するか』(誠信書房 1965)

自立・喧嘩のすすめ

遠足の日

 この九月から、あゆみも幼稚園へ通いはじめた。父親としては、幼稚園教育に対する不信もあって、いわゆる一年保育で充分すぎるほどだとおもっていたのだが、斗美の通っている幼稚園では来年度から一年保育を廃止するというのである。この情報をいち早くキャッチした母親は、兄妹を異なる幼稚園へ通わすわけにはいかないという理由で、その日のうちにあゆみの入園手続きをおえてしまった。かくてあゆみは順調にいけば今後の一年七ヵ月を幼稚園児としてすごすことになったのである。
 あゆみが入園してまだ一ヵ月もたたないうちに、秋の遠足があった。年長組の斗美は多摩動物園へ、そして年中組のあゆみは向ヶ丘遊園地だという。兄妹でも年齢が違えば行先きが異なるのだ。父親は実に不合理であるとつぶやいてみたが、改めて抗議するほどのことではない。しかし困るのは付添いである。ひとりに付添って、ひとりに付添わないということもできない。やむなく父親も仕事を休んで子どもの遠足に付添って行くことになった。子ども自身の希望もあって、父親はあゆみとともに向ヶ丘遊園地で初秋の一日をすごすことになったのだ。
 午前九時三十分、近くの団地事務所前に集合し、そこから十一台の観光バスに分乗して向ヶ丘遊園地前まで直行したのだが、このバスのなかで成人男子は運転手とあゆみの父親のふたりだけという心細さである。それでもつつがなくバスは目的地に到着した。
 入園してすぐ、石段のところで記念写真の撮影があり、それから午後二時半まで自由行動というのが当日のスケジュール。自由行動といえば聞えがいいが、なんのことはない、子どものめんどうは親がみろということでしかない。これでも遠足といえるのだろうかという疑問を抱いたのは当然である。疑問といえば途中のバスのなかにおいてもそれはあった。観光バスの案内嬢はやたらと子どもに歌をうたわせる。その歌唱指導はたしかにものなれてはいるが、音楽、とくに子どものための音楽ということから考えれば、まるで見当違いの指導ということになる。バスには幼稚園の教師が乗りあわせているのだから、この場合はやはり教師がマイクを借り受けて、ふだん習い覚えた歌のかずかずを付添いのひとたちにきかせるという立場からの指導をやるのが本筋である。それすらもやらないのでは、遠足とは名ばかりで、その実は教師のためのレクリエーションだといわれても仕方がないのではなかろうか。そしてその翌日を休むというのでは、なんのために高い月謝を支払っているのかさえ判然としないのである。父親ともなると、このあたりのことまで考えるものなのである。
 さて、あゆみは父親の手をひっぱって、あの乗物この乗物と片っぱしから乗ってまわり、あげくの果ては、ガラスで作られている迷路にまで入ってみたいという。これには父親も賛成だった。ティカップの乗物やワイヤーロープで宙吊りされた飛行機などという遊具は何処にでもあるものだし、その動きがあらかじめ予想されてしまうものだけに、遊具としては価値の低いものだとおもうのだが、迷路は単調に見えながら、その実、かなり複雑な感情に子どもたちをひたらせるものである。これは子どもの遊びにも共通する機能なのだ。
「ここへ入りたい」とあゆみがいったとき、切符は一枚しか残っていなかった。買ってくるから待っていろという父親に向かって、あゆみはひとりで大丈夫だという。たったひとりで迷路に入りこむというのである。
 四歳児のあゆみは、元気に迷路のなかへ入って行った。迷路はガラス張りである。当然とおり抜けられるとおもう道がふさがっていたり、だめだろうとおもうところが抜け道だったりする意外さがおもしろいのだ。しかも透明だから、内部の子どもの動きが外部の者にも見えているということがある。そして出口近くにちょっとした空間があり、そこにはマジック・ミラーがある。ようやく広いところへ出たとおもったら、そこに不思議な鏡があって、自分の姿が奇妙な形に写っているものだから、子どもは一瞬ほっとして、次には笑いころげる。見ていても実に楽しい。父親としては、自分の子どももまた、そうなることを期待して出口のところに佇んでいたのである。
 ところがあゆみは迷路の途中で泣きだしてしまったのだ。あっちへ行ってもぶつかり、こっちへ来てもぶつかりしているうちに、どうしていいかわからなくなったのだろう。それでも真剣な表情で動きまわっていたのだが、とうとう動きをやめて、両掌で顔をおおってしまった。そしてしまいには、しゃがみこんでさめざめと泣いているといった状態になってしまった。もはやこれまでと父親は、係員に頼んであゆみを迷路から救出することにしたのである。
 
遠くへ行った子
「ひとりぼっちになっちゃうとおもったの」というのが、あゆみの迷路に対する感想である。どうして独りになることが悲しいのかという疑問は、おとなだけが抱く感情であり、それもほとんど一般的でない感情だといえるだろう。もちろん子どもにも、孤独な存在があり、自ら求めて孤独になっていると見うけられるような子どももいないわけではないが、それが孤独でありたくないとねがう感情の反作用であることぐらい、すぐに見ぬけないようでは子どもについて語る資格はない。あゆみが自ら迷路にひとり踏みこんだのは、そうすることによって自己と父親とのつながりがますます強固になると予想したからに違いない。子どもにとって予想は願望以外ではない。「あゆみは、えらかったよ。ひとりで迷路をとおりぬけてきたんだ」と父親に報告させたいとおもえばこそ、あゆみという四歳児はひとり迷路へ踏みこんで行ったのだった。それが実現されたときの得意満面さ、その満足感、はじめての遠足で得たその喜びを予想したときのあゆみの心のなかをおもうと、ぼくは真剣に、迷路における失敗がおよぼした影響について考えないではいられないのである。
 遠足から数日が経過したある朝、あゆみが幼稚園へ行くのがいやになったといいだしたことがある。理由を訊くと、運動会の練習ばかりするからつまらないというのだ。たしかに、この数日間、幼稚園では運動会の準備ばかりに熱中しているといった傾きがある。斗美も不満を表明していた。「このごろ、絵なんかぜんぜん、かかせてくれないんだ」そうである。
 しかしあゆみが幼稚園をいやがりだしたのには、他の事情があった。あゆみのすぐ前の席にいた子どもが、家の引越しのために転園し、そのあとへケイちゃんという男の子がすわった。この子が肥満体の元気者で動作も大きく、本人はちょっと押したつもりでも、押されたほうは、ずっしりとした圧力を感じるらしいのだ。どちらかといえば、あゆみという子は、口喧しいほうである。ケイちゃんが牛乳をこぼしたといっては、母親の口調をまねて注意を与えたりするところがあるらしい。ケイちゃんとあゆみは完全に対立した。
「もうせんの子は、とてもいいひとだったんだけど、ケイちゃんはすごくいじわるなの」
「きょうも、手を、がんがんぶったのよ」
「こないだなんか、あたしの自由画帳やぶいちゃったんだから」
 そのあげく、教師からは「このごろ、あゆみちゃんは泣き虫になった」といわれる始末なのだから、幼稚園がいやになるのも当然である。ぼくはこれらの話を耳にして、はたしてここには、あの迷路における失敗が関係してはいないだろうかと考えた。もちろん本人は、あれ以来、自分は泣き虫になったのだなどと意識するはずはない。これはあくまでも、憶測である。しかし憶測にはある程度の願望、つまり希望的観測というものが含まれているのが普通である。ぼくの場合も例外ではあり得ない。
 まず遠足がある。この朝、あゆみは母親から、甘えてはいけないという訓辞を与えられている。だからこそ、あゆみは迷路へひとり踏み入りもしたのだ。ところがこれが失敗におわった。この衝撃が癒えないうちに、眼のまえの級友が遠くへ去った。ここでは子どもというものが、横を見るということに対して実に不得手だという肉体的な条件をあわせて考慮する必要があるだろう。道路横断の際、子どもに事故が多いのは、横を見ることが不得手だという肉体的条件があればこそである。従って子どもは、隣席の子どもに対してよりも、前の席の子どもと密接な関係を持つことが多い。とくにあゆみたちの幼稚園のように、グループ別の向きあい形式では尚更のことである。
 あゆみは九月に入園した。いわば遅れてきた子どもである。あゆみは前の席の子の一挙手一投足に注目したに違いない。どんなにか、それは頼りがいのある存在だったろうか。ところがある日、その子は去り、模倣するにしてはあまりにも肉体的条件の異なるケイちゃんが現われた。幻滅。これが迷路に泣いた日の自己に対する幻滅感につながらないわけはない。
 しかし、ここで一つの美意識があゆみの内部に芽生えたことも疑いのないところだろう。それは遠くに去って行った人間を美化して、それをなつかしむという心情である。いうまでもなくそうした心情は現実からの逃避の姿勢から生まれてくるものだが、それだからといって、それを否定することは安易だ。それをまた現実に還元することによって、かえって現実そのものを変革させ得る可能性もあるからである。
「もうせんの子は、とてもいいひとだった……」というあゆみの言葉は、ケイちゃんという名の現実への抗議であり要請であって、去って行った子のことを、ただひたすらになつかしむという事柄だけを述べているのではない。それをただ単なる抒情に流してしまうのは、現実からの逃避に慣れたおとなたちの悪癖でしかない。子どもの美意識と抒情とは無関係であるべきなのだ。

自立と孤独
 たびびとが たびびとが、
 しもだかいどの まんなかを、
 ひとり なきなき とおった。
 
 なんと ないて とおった。
 やまこえて、うみ こえて、
 やっと もどった ふるさとの
 てらの ぎぼしが みえるとて
 
 さんどがさ とり かけよれば
 はたけに はえた ねぎぼうず
 それが かなしと ないて とおった。
 
 西条八十の童謡「ねぎぼうず」である。斗美とあゆみが一番はじめに暗誦したのがこの童謡なのだが、これは読めばすぐわかるように、故郷をひとたびあとにした人間が、ようやくのことに故郷へ舞い戻ってきたときの情景をうたったものだ。童謡にしては珍しく時代劇調というのも子どもに関心をもたせた理由のひとつかも知れない。しかしこの作品を、童謡創作から離れてのちの西条八十の仕事との関連でとらえることは正しくないとおもう。歌謡曲は多くの場合、別離のかなしみをうたう。再会の喜びをうたう場合にも、その背後には別離のかなしみの強調があるといえるだろう。西条八十の歌謡曲にもそれは多い。だが、それらと童謡「ねぎぼおず」とは異質である。
「やっともどったふるさと」で見たものは、歌謡曲的な類型ではなかった。それは寺の擬宝珠であり、ねぎぼおずであった。それらに涙するというのは、あくまでも即物的な美意識のはたらきにほかならない。表面的には歌謡曲調のこの作品のなかに含まれているポエジーは、意外にも子どもの抒情ぬきの美意識に強くはらきかけるものだということを知っておく必要がある。だからこそ子どもにとって、この童謡は「赤い鳥」時代の作品にしては珍しく難解ではない。
 現代の子どもにとって、おそろしく難解なのは、たとえば野口雨情の「赤い靴」のような童謡である。これを子どもたちが感受するためには、作品と自己とのあいだに誘拐事件をおいてみるというような作業が必要なのである。はたしてこの結末や如何に……というような散文的興味なしには、この童謡を子どもたちは感受することができない。それだからこの作品は「ねぎぼおず」に比較して価値が低いものなどという気は毛頭ない。ぼくはここで文学論を展開しているのではないのだ。ぼくがいいたいのは、あくまでも子どもの美意識が非叙情的な、どちらかといえば即物的なものだということなのである。あゆみの幼稚園体験に即していうならば、あゆみが関心を示したのは、ケイちゃんという現実であって、決して遠くへ行った子ではない。現実にこだわるがゆえに、過去を問題にするという子どもの姿勢からこそ、われわれは美について考え直す契機をつかみとるべきだ。せめて子どもたちにだけは、現実忘れの抒情を美として認識させるべきではない。これと同じようなことが、迷路の失敗においても考えられるとおもう。
 あゆみは泣いた迷路のなかで。「ひとりぼっちになっちゃうとおもったの」という子どもの訴えを親たるものはどう受けとるべきかという問題がある。
 しっかりしてるようでも子どもは子ども、やっぱり親の姿が見えなくなると、かなしくなるんだねえ程度の認識では、この問題を解明することは永遠に不可能だろう。あゆみが泣いたのは、親にはぐれたからかなしくなったのではなく、親にはぐれたことに耐えられない自己を意識したから、かなしくなり、泣いたのである。親にはぐれたら、子どもは必ず泣くものとは決まっていない。そうおもうのは親の自己過信であり傲慢である。
 子どもは親につきまとう存在と考えるのも錯覚でしかないのだ。むしろその逆に、子どもは絶えず親から離れようと努力している存在だと認識しなければならない。それを自立心とよぶことも間違いではないだろう。しかしをれを孤独と混同することは絶対に許されない。自立は孤独をねがうこころとはいささかの関係もない。
 だからこそ父親は、迷路のなかから泣きじゃくって出てきたあゆみにいった。
「だめだな。もっとひとりでがんばれば、出てきたとき、うんと喜ぶことができたのに……」それができなかったあゆみは、恥しそうに泣いたのである。自分がひとりぼっちになるとおもったなどという言葉は、おとなを意識しての演技、といい切ってしまうのは酷なようだが、たしかにそれに違いない。

子どもの喧嘩
 あゆみがケイちゃんという名の現実を憎むのは、遠くへ行ってしまった子を追憶してのことでないことは明らかとなった。あゆみの自立を妨げたからこそケイちゃんは憎悪の対象となった。自立とはいうまでもなく創造活動である。創造が模倣からはじまるというのは何ぴとも否定し去ることのできない命題なのだ。その模倣の対象が去り、その代りに肥満体のケイちゃんが来てしまったのだから、これを憎むのは至極当然のことである。それを意識しないようでは、子どもとしてのしての失格を意味してしまう。もちろん、出来得ることならば、そのケイちゃんをさえ模倣の対象とし、自立のために役立ててしまうような強靱な精神の持主になるべきだとおもうのだが、これは願望、現実はかならずしも理想的ではない。あゆみの母親は、この問題をすこぶる現実的に解決しようとした。あゆみと同じ年中組の男の子に、ケイちゃんの評判を訊き、それがいわゆるいじめっ子の範疇に入ることを確認すると、担任の教師に「あゆみが泣き虫になった理由」がケイちゃんに在ることを報告した。この結果はすぐに現われて、ケイちゃんの席はほかに移ったが、教師はあゆみに「これからは、もう泣かないということを約束しようね」といったそうである。これは実に教育的なことだとおもう。幼稚園教育に対して不信を抱くぼくも、この教育的なはからいには感心した。この教師の考えからすれば、ケイちゃんは単なるいじめっ子ではないのだ。だからといって、そのケイちゃんを憎んだあゆみを責めているのでもなく、それを子どもの成長の過程に当然起こり得ること、ぼく流にいえば自立過程の必然とみなして、もう泣かないという約束をとりかわしてしまったのだ。広く考えれば、あゆみとケイちゃんのあいだに起きたことは喧嘩である。
 
  子供の喧嘩はある程度まで放任して為すがままに任すがよい。子どもの喧嘩を絶対に悪いとして厳禁しては却って力のある強い人間となるべき素質を摘殺し、力もなく、熱もなく、勢もない、骨のないような人間にしてしまう恐れがある。徒らに子供の喧嘩を奨励すべしというのではないが、一概に厳禁するにも及ぶまい。子供の喧嘩も子供に取っては誠に緊張した真剣味に富める一種の学問であるといってよい。彼等は喧嘩しながら子供の世界に通用すべき実際的生活道徳、子供の世界の社会学を体験学習しつつある次第である。斯くして子供に於ける社会的訓練を経て社会的調整に即するのである。
  
 右の引用文は西山哲治著「子供の喧嘩」のなかの一部分だが、この本の発行は昭和十一年のことだから、すでに三十年近くの昔でさえ、子どもの喧嘩に対して積極的な教育評価を与えていたひとがいたということが判然とするわけである。それから考えれば、現在の幼稚園教師のなかに喧嘩の効用を認識している教師のひとりやふたりが存在することに何の不思議もないのだが、現在でも多くの場合、子どもの喧嘩に対して、おとなはそれを厳禁したがっているといわなければならない。せいぜいのところが、右の引用文の末尾の論理、「それが<社会的訓練>となって、<社会的調整に即する>こともあり得る」に同調する程度ではないだろうか。幼稚園教師があゆみに向かって、もう泣くなといったのではなく、これからはみんなと仲良くするのよなどといったのであったら、ぼくはたちまち、その教師を侮蔑し、幼稚園教育に対する不信の念をますます深めたに違いない。
 一九三四年のことだがジョンスホプキンス大学の心理学教授バッホード・ジョンソン博士を中心とする研究者たちは、幼児の喧嘩活動を詳細に調査分析して「学齢前期幼児二百の喧嘩の分析」なる研究論文を発表した。それによると、喧嘩の原因は次の四つに大別されるという。
 所有権を犯されしとき。
 身体的危害を受けたるとき。
 身体活動を妨害されたるとき。
 社会的調整に反したるとき。
 そして全体の五八%までが、「所有権を犯されしとき」ということになっている。「子供の喧嘩」の著者の意に反して、「社会的調整に反したるとき」というのは、最低率の一〇パーセントにしかすぎない。従って、社会的調整に役立つなどというのは、教育偏重からくるこじつけの論理だということが明白になり、そこではあくまでも、子供の自立心あるいは自立権というものを介在させて問題を考察する必要があるということが理解されるはずである。
 
子どもについての錯覚
 子どもの喧嘩の原因の半数以上を占める「所有権を犯されしとき」というのを具体的にすると、それは「例えば他の人形をほしがるとか、或はブランコを譲って呉れない等の原因」(前記「子供の喧嘩」)ということになる。これは一見、子どもの自立権などには全く関係がないようにもおもえる。しかし実質的にはどうだろうか。はたして子どもに、所有権などというものがあり得るものかどうか、それをまず考えてみる必要がありそうだ。ぼくは子どもにとって、所有権などというものは、あり得ないと考えるのである。
 子どもが人形を持っている。確かに持ってはいる。例えばあゆみが持っている人形の数は六つほどあり、そのそれぞれに適当な名前をつけてあゆみはそれらを「わたしの人形」という。だがそれらの所有権は実際的にはあゆみにはないと判断される。それを買い求めたのは親であり、親は子どもにその扱い方についての注意を与えた上、これを貸与してやっているというのが本当ではなかろうか。その人間に経済的自立がない限り、所有権は存在しないというのは一般的な常識であるが、子どもの場合にもこれはあてはまる。だから子どもが犯されるのは所有権などではなくて、それを貸与される権利、いうなれば子どもの資格そのものなのである。
 前記バッホード・ジョンソン博士ほかの研究についての解説では、子どもの喧嘩の第四の原因「社会的調整に反したるとき」について、それを「名誉心を害するもので、君とは遊ばない、僕の家に来たって遊んでやらない、此処は男ばかりの遊ぶところだ、或は悪口、陰口などが原因」と書いている。つまりここでいう「名誉心」と子どもの資格はほとんど無関係なのだ。子どもの資格は直接的に自立権に結びつくが、名誉心が社会的調整の方向に進むときには、多くの場合、そこには自立権の放棄という事態が現出するからである。もちろん、自立をめざす子どもの間に成立する社会的連帯といったような事柄もあり得るはずではあるが、それと社会的調整とは必ずしも同一ではないだろう。いや、むしろそうした場合には、社会的調整に対する反作用としての連帯が成立することが多い。親と子どもの間に成立する関係も、本来的には自立者と自立者の間に確立する連帯ともいうべきものであることがのぞましいとほくはおもうのだが、親と子どもの間には、前記の如き所有権をめぐっての錯覚もあったりするために、ともすれば互いが自立権を放棄しての歩みより、いうなれば社会的調整の段階で平和を保つことになりがちである。
 子どもは絶えず自立を目指しているものだということは、何度も繰返し書き記したような気がする。たとえ言いまわしは違っても、そのような事柄を書き続けてきたという気持がぼくにはある。ぼくばかりではない。いままでに多くのひとびとが、子どもの自立について関心を寄せてきた。そしてそこには錯覚もあった。坪田譲治の短編「かあちゃん」もまた、子どもの自立希求を鮮やかに描き出した作品のひとつだが、そこにもまた、おとなの側の錯覚があったという気がしてならない。
「いく日もいく日もふっていた雨がやっとあがった」日のことである「正太のおかあさんはおせんたくでたいへん」だった。「今日は新しいお靴をはかせてもらったので、とてもうれしい」正太は、母親を離れて歩いて行く。しかしすぐに馳け戻り、「その手の中に飛びこんで、おかあさんのむねに顔をうずめて、ほっと、安心」するのである。そしてまた、正太は歩き出す。もっと遠いところまで。そしてそのあげく、「だんだんと正太はおかあさんからはなれてもおかあさんがいなくなることはないとわかりました」ということになる。しかも母親は「正ちゃんをおいてどこへいくもんですか」という約束までしてくれる。「それを聞いて、正太はすっかり安心して、おちついてそこいらで遊びはじめました。しかし、すこしたつと、おかあさんのそばへ来て、目をつぶりました。目をつぶっているあいだに、おかあさんがいなくなるかどうかをためすつもりなのです。ながくながくつぶっていようと思いましたが、でも、しんぱいになって、そうっとほそめにあけました。いた、いた、正太は口のうちでいって、またしっかり、目をつぶりました。正太は、これでいよいよおかあさんがいなくなりはしないのをしって、おひるごろまでひとりでかけまわって遊びました」と坪田譲治は書き記した。これはあくまでも、おとなの側からの描写である。坪田譲治は児童文学者にしては珍しく、おとなの眼で子どもの行動および思考を描写することの出来た作家なのだ。従ってここにある錯覚は決して愚かなものではなく、おとなとしては当然の錯覚であった。

自立希求
「おかあさん」の結びは次のとおりである。
  それから後も、正太はおかあさんの、そばでよく目をつぶっては、ためしてみました。そしてそれが正太が学校へいくころまでのいつものくせになりました。
  
 右の文章の内包する意味は複雑だ。ぼくは正太の行動を全て自立希求によるものと判断するわけだが、作者はそれを母と子をめぐる情愛として把えようとしている。しかしそれだけではない。やがては母のもとを離れていかねばならない子どもという存在にまで考えをおよぼしてもいるのである。ここに作者のおとなの眼がある。だがぼくらは、これをもう一度、子どもの側から把えなおす必要があるのだ。そしてそこに、ぼくは子どもの自立希求を発見するわけだが、それがやがて学校教育によって打壊されてしまう。眼を閉じて母の姿をイメージする正太のくせが「学校へいくころまで」しか持続し得なかったと作者は書き記しているのではないか。このあたりから、子どもが社会的調整へと向かわざるを得ない現実があるのだということを、作者はおとなの眼で適確に把握していたのである。ここでわれわれは改めて幼児教育の必要性を痛感することも出来る。学校教育の非をならすことも可能なわけだが、より重要なことは、子どもの自立希求の方法の一つに、「目をつぶってはためしてみました」というような、内面的な事柄が含まれていたのを忘れるべきではないということではなかろうか。子どもの自立希求の方法のうちには、イメージするという行為、すなわち想像力のはたらきまでは含まれているのだ。
 あゆみは父親を離れて迷路へと踏みこんで行った。そこでは当然のこと、自己および父親についてのイメージ化がおこなわれたに違いない。親を離れて独り存在することの可能な自己、その輝かしき姿。それを誉め称えてくれるだろう父親のことなどは、必ずやイメージされたに違いないのだ。しかし、その逆に、その栄光を担い得ない自己もまた意識されたはずである。極端ないいかたをしてしまうと、子どもにとっての不安は、このあたりにしか発現されないともいえるのだ。
テキスト化清水真保