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うちに家族が増えました
鈴木宏枝


 うちに赤ちゃんが産まれることになり、Tさんは昨年の夏ごろから、私と一緒にせっせと産院での定期健診に通っていた。妊娠7ヶ月までは月に1回、8ヶ月〜9ヶ月は隔週、臨月は毎週である。徒歩と電車で1時間近くかかる道のりは、イベント的なお出かけですらあった。
 新生児との添い寝もOK、和室分娩もあり、立会いは産婦さえよければanybody welcome的なフレンドリーな産院だったので、子連れで通院する妊婦さんも多く、狭いながらもプレイルームがあって、入院中のママのお見舞いに来た子がパパとビデオを見ていたり、もちろんママと一緒に外来に来た子たちがなんとなく一緒に遊んでいたりする。
 Tさんは、私と一緒に「あかちゃんのびょういん」に行くことで、胎児の心音を聞いたり血圧計のスイッチを押させてもらったりするだけでなく、このプレイルームでビデオや絵本を見たり、帰りにデニッシュを奢ってもらったりするのも、とても楽しみにしていた。
 プレイルームでずいぶんはまっていたのは「パオちゃんシリーズ」である。2歳前後のときに、地元の図書館で『パオちゃんのすべりだい』(仲川道子、PHP研究所、1986.6)を読んだことをきっかけに好きになった絵本だ。児童室では、背の小さい子どもたち用に足元におかれた開架の本棚で、最初は特にひかれてではなく、手当たりしだい取った中にあったと記憶している。
 主役であるゾウのパオちゃんにはワニちゃん、ペンギンちゃんなどの仲間がいて、一緒に公園で遊んだり、クリスマスパーティをしたり、お買い物に行ったりする。
 わりに単純な動物の絵や、特にひねりのない日常の話に、正直、はじめて見たときに、私はそれほどいいと思えなかった。
 だが、当時、図書室でTさんはすぐにパオちゃんに食いつき、行けばしばしば手に取った。実際、図書室に来て「パオちゃんだ〜」と喜ぶ女の子を見たこともあるし、トーマスやノンタンと一緒に並んでいるのだから、やはり幼児読者に圧倒的な人気のシリーズなのだろう。ちなみに、『パオちゃんのすべりだい』では、みんなで公園に来て順番にすべりだいで遊ぶうち、パオちゃんの大きなおしりがひっかかってしまう。みんなで押したり引いたり助けるのだが、ペンギンちゃんがひっぱったはずみでパオちゃんのズボンが脱げてしまい、さらにふっとんで池にはまってしまう。みんなでズボンを乾かすためにわっせわっせと土手に行ったら、そこは大きなすべりだいのようで、パオちゃんもおしりを気にせず、みんなでとても楽しく草の上をすべりました、という、普通で楽しいお話である。
 産院には『パオちゃんのクリスマス』(1984.11)『パオちゃんのみんなでおつかい』(1985.12)『パオちゃんのかぜひいちゃった』(1988.10)『パオちゃんのたのしいキャンプ』(1993.7)などシリーズの他作品がたくさんあったのだが、Tさんは、最初、パオちゃんというキャラクターではなく、『パオちゃんのすべりだい』を見つけて、本じたいに「おんなじ!」と喜び、別の話にも手を伸ばしていくことになった。お気に入りはやはり、みんな大好きクリスマスの話で、パオちゃんたちが外で雪だるまを作る場面では「ごろごろ ごろごろ ゆきだるまん」とリトミックで教わった歌を歌い(「ゆきだるま」ではなく「ゆきだるマン」。ついでながら、冬の間、天気予報に出る雪マークは、「ゆきのまーくん」だった)、ケーキを作る場面で「おいしそうねえ、ケーキね、おかあさんとつくるのね」と見開きのページに見入っていた。
 このシリーズは、実は、その産院で出産された編集者の方がご寄贈されたもので、その方の手書きのメッセージが絵本の裏見返しにつづられていた。お子さんがいて、こういう絵本を作るお仕事ができるのは幸せなことだなあと、丁寧な筆致を見て私もなんだかあたたかい気持ちになる。Tさんも含め、妊婦ママと一緒に来た子どもたちが競うようにパオちゃんを読んで、読んだ本を順番に積み重ねているのを見たときには、児童文学関連分野そのものが評価されているようなうれしささえ感じた。
 たぶん、次にどこかの待合室やお友達の家に行ったときにこの絵本があれば、私はきっとTさんに「ほら、パオちゃんあるよ」と手渡すだろう。お気に入りというのは、最初のとっかかりの後は、親の側の、子を喜ばせたい気持ちと相乗して生まれていくのかもしれない。そして、ますます何度もパオちゃんに触れるTさんは、次の場でも、たくさんの本の中からパオちゃんに反応する。それを見て「やっぱりパオちゃんが好きなのね」と私は納得する。いろんな家庭で、いろんな絵本を素材に、その循環がある。タイミングを見て、次の新しい絵本を示すことも大事。そして、絵本の中にお気に入りのお友達が確かにいてくれるTさんの幸せもまた、大切にしたいと思う。

 さて、無事に月が満ちれば赤ちゃんが産まれる。児童文学評論の1月号での『うちにあかちゃんがうまれるの』(いとうえみこ・文、伊藤泰寛・写真、ポプラ社、2004.12)』のひこさんによる紹介を見て、私もTさんと読んでみようと思った。
 写真絵本というつくりにも、ちょっと惹かれる。いろいろなチャレンジが可能な絵本というメディアでは、絵が美しい絵本もさることながら、写真が力強いそれにも感動することが多い。あまりにマニアックになってしまうと、その芸術性がわからなくて結局本棚のこやしになってしまうのだが、この本なら、もうすぐ出産する私にもリアルに迫ってきそうだと予感した。
 ただ、だいたい幼児の時間感覚ではそれほど先のことを考えられないから、いざ図書館から借りてきたのは、臨月も半ばを過ぎてからだった(大きなお腹で出かけるのが大変だった、というのもある)。
 写真家のお父さんと、自然育児友の会の事務長をされているお母さんの間に、4番目の赤ちゃんが生まれることになる。お兄ちゃん2人は中学1年生と小学4年生で、語りの視点は、3番目で小学1年生の女の子、まなかちゃんにある。お母さんのお腹がだんだん大きくなっていくのを見るにつけ、まなかちゃんは赤ちゃんが来るのが楽しみで仕方ない。 やがて、その日がやってきて、お母さんは自宅のお風呂で出産し、助産師さんが介助する。力強い心音、見つめる目。家族みんなで赤ちゃんの誕生を見守り、迎え入れる。生まれたての赤ちゃんの写真は、大きく見えるけれども、本当はもっとちいさくてほにゃほにゃで、そして軽くて重たいのだ。安心しきった顔をした「そらと」くんの寝顔や百面相に、まるごと受け入れられているという本能的な信頼感と、生まれたときからいっちょまえに自然に家族の一員になっている感じが伝わってくる。そして、出産を見つめ、赤ちゃんを細くて筋肉質の腕で抱く少年がしみじみいいなあと、長兄のちひろくんを見て思った。
 お産が身近でないと、ちょっと引いてしまう部分もある絵本かもしれないが、読者の状況とテクストのリアルさの一致という点で、その時期にこの絵本をTさんと読めたのは嬉しかった。といっても、Tさんはそのときは赤ちゃんよりもむしろ「大きなお腹」や「助産師さん」に反応していたし、お風呂も、出産の場というよりは、普通に普段入っているお風呂と認識しているように見受けられたけれど(当たり前か、出産じたいの認識があいまい。それにしても、Tさんは妊娠と出産と赤ちゃんの存在じたいとをどう把握していたのだろう)。

 何度か読むと、本当に気に入った絵本は自分で読むようになる。『うちにあかちゃんがうまれるの』では、こんな感じだった。多分に直前に読んでいた別の動物絵本とまじりあっているけれど、一応全部ページを繰って、赤ちゃんが産まれる話をつないでいったのだから、かなり興味のある絵本だったのだろう(と思う)。

  うちにあかちゃんがうまれるの
  まなか 6さい
  うちにあかちゃんがうまれてくることになり 
  かみやさん おかあさん
  あかちゃんのしんぞう ききました とくとく 
  げんきげんきって いってるよ

  おかあさんが おなかのあかちゃん うまれるのかな
  もうすぐうまれます
  おねえちゃん だいすきだいすきって いってるね
  くだものみたいね

  おなかのあかちゃん みてみました
  まだです
  がおー ライオンがきました
  うわーい うわーい やぎがやってきました
  あ、あかちゃんが うまれる
  かちゃくんの あかちゃんが うまれました
  あかちゃん ます
  へっへっへ
  あんしんした おとうさんが やってきました
  おとうさんと Tと おふろにはいりました
  おかあさん じょさんしさんが あかちゃんみせるの
  ゆずがはいってるね
  あかちゃん おとうとは ……してました

  あかちゃんは うまれたばかりです
  おとうさんとそうっとおててをもつの
  げんきです げんきです
  わーい
  したから うわー ふわー ふわー
  りすさんがやってきました
  ぐーぐーぐー
  きりんがやってきました
  うわーい うわーいと
  やぎがやってきました
  うるうるうる
  ライオンがやってきました
  うわーい うわーい
  とらが きました
  なんかトイレしたいきもちになってきました
  うー うー

  せんせいがやってきました
  おかあさんが やってきて
  くるっ くるっ くるっ
  くんくんくん たぬきもやってきました
  うっうっうっ
  このひとがやってきました
  ふーふー ぶんぶん
  おつきさまがやってきました
  ふーふ ふーふ こんこんこんこん(手で本をたたく)
  いたーい

  おはなしのりすさんが
  ちゅー ちゅー
  あかちゃんがやってきました
  それじゃ バイバイ おしまい

  かぞくのひとがやってきました
  で バイバイです
  おしまいって いっちゃったの

 「おねえちゃん だいすき だいすき」というくだりは、私が胎動を感じるたびに、Tさんに「赤ちゃんがTちゃんだいすき、おねえちゃんだいすきっていってるよ」と言っていたゆえの言葉だろう。
 ところで、実は、この絵本を読んでいた頃、Tさんが一番気に入ったのは、後書き「かぞくでむかえるあかちゃんのたんじょう」の中にある子ども4人の足の裏を写した写真だった。お兄ちゃん2人の足は「おおきいあし」赤ちゃんの足は「ちいさいあし」、そして、まなかちゃんの足を「ちゅうくらいのあし」と教えたら、一瞬でその言い回しが気に入ったようで、「おおきい、ちいさい、ちゅうくらい」と言ってはけらけら笑うようになった。
 テーマに添った絵本読みを中心に考えてしまいがちだけど、Tさんにとってこの絵本の一番の魅力が「ちゅうくらいの足」なら、それはそれで楽しいな、と思う。

 さて、我が家の方の赤ちゃんは、予定日を9日遅れて2月16日に生まれた。スピード出産だったこともあって、立会いはパートナーだけだったが、分娩室から抱っこして出てきたら、Tさんも私の親と一緒に待っていてくれて、わりと生まれてすぐに「こんにちは」できた。以来、「あかちゃん、かわいいねえ」「Tくん、かわいいねえ」を連発している。 Tさんにとって、私の妊娠はたぶんある種のストレスだったと思うが、それは父親である私のパートナーにぶつけられ、むしろ、私はいたわってもらえた。パートナーには玄関から車庫まですら抱っこをねだるけれど、私と一緒のときはもくもくと駅まで歩き、電車に乗って出かける。「あかちゃん生まれたら抱っこね」と何度も確認されたが、たしかに、この間、久しぶりに、ほとんど眠りかけながら歩いていたTさんを抱っこしたら、急に目がパッチリ開いて「あかちゃん、うまれたの?」とうれしくしがみついてきたっけ。
 ありがたいことに、弟に嫉妬したり意地悪したりすることはなく、ずいぶんかいがいしい姉貴をしてくれている。だが、パートナーへの甘えんぼは継続中で、私とのトイレトレーニングは後退した。いろいろバランスがあるのだろう。

 このコラムでは、Tさんの弟は、Tくんとしたい。特別な胎教もしなければ、生まれてからもあまりに自然に日常に戻ってしまい、Tさんのときのような非日常的な育児中心生活ではないのだが、その実、Tさんのとき以上に、Tくんは絵本読みや歌の数々に触れていると思う。彼は、これからどんな風にTさんの影響を受け、あるいは自分独自の好みで、いろいろな「楽しい」を見つけていくのだろう。

(鈴木宏枝 
 http://homepage2.nifty.com/home_sweet_home/ Tさん2才9ヵ月 Tくん1ヶ月)
 「絵本の読みのつれづれ」back number
http://homepage2.nifty.com/home_sweet_home/ehon.htm )