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絵本が、「絵で物語を伝える力を持っている」ということを教えてくれたのが『なつのあさ』なら、「絵本は何を描くのか、どこまで描けるのか」を考えさせてくれた衝撃の絵本が、長谷川集平の『はせがわくんきらいや』でした。「ほく」は、長谷川くんが嫌いだと言います。はじめて会った幼稚園のとき、長谷川くんはまるで赤ちゃんみたいに、乳母車に乗せられてやってきました。鼻は垂らすし、歯はガタガタだし、痩せてひょろひょろしているし、目はどこを見ているのかわからない。かけっこも遅いし、山登りに連れて行くと途中で座り込んで、背負って歩かなければいけなくなるし…。長谷川くんなんて大嫌いなのです。赤ちゃんのときにヒ素の入ったミルクを飲んだために体が不自由な長谷川くん。彼に対する「ぼく」の気持ちをありのままにぶつけたこの絵本は、どこか皮相で曖昧な善意に支えられたやさしさや美しさが描かれる傾向の絵本に、大きな問題提起を行ったと言えます。障害のある様を残酷とも言えるほどの率直さで語り、一緒に遊んでいても楽しくないから障害児の友達を嫌いだと語る内容は、上っ面の理解や偽善的な同情を跳ね飛ばす、すさまじいばかりのリアリティがありました。筆を勢いよく走らせて描かれた墨一色の絵は、やはり乱暴に書きなぐったように見える文字とともに、画面いっぱい怒りや悲しみをそのままにぶつけているようです。情け容赦なく描写された長谷川くんは、焦点を結べない目だけがやけに大きく、鼻を垂らしてひょろひょろと、時に異様な姿をさらけ出し、見る者をドキリとさせます。この絵本は、作者・長谷川集平二十歳の作。大学生であった私にとっては、内容とともに、同学年の絵本作家の登場ということも、大きな衝撃でした。羨望と嫉妬が入り交じって「やられた!」という思いを抱いたのを覚えています。1955年に徳島で生産されたヒ素入りのミルクは、西日本でたくさんの被害者を出しました。作者の長谷川集平自身も、このミルクを飲んだと言います。私も親がそれと知らず、数缶飲ませました。“はせがわくん”の存在は、私たちにとって、決して遠い世界の出来事ではなかったのです。絵本は、「長谷川くんなんかきらい。だいだいだいだあいきらい。」という言葉で終わります。けれど、その画面には、泣いてぐしゃぐしゃになった長谷川くんを負ぶって帰る「ぼく」の姿が描かれています。子どもの持つありのままの残酷さと、表面的ではない真のやさしさを描き出した見事なエンディングです。今、読み返しても、やっぱり「やられた!」と思える絵本です。(竹迫祐子) 徳間書店子どもの本だより2001.09/10 テキストファイル化富田真珠子 |
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