絵本、むかしも、いまも…第33回
「生命を描きつづける怒りの人 ―田島征三―」

『ふるやのもり』(田島征三画/福音館書店刊)

           
         
         
         
         
         
         
    


 怒れる人。それが、田島征三という画家のイメージでした。絵本ブームと言われた時代に、絵本を追っかけていた学生にとっては、新しい絵本のために旧態然とした日本の絵本界を怒る闘士。戦争に反対し、後に移り住んだ日の出村ではゴミ処分場建設に立ち向かう。口角泡を飛ばして激論し、怒髪天を衝くすさまじさで闘いつづける戦士でした。(その姿は同じ土佐のいごっそうのせいか、激しさと愛嬌と滑稽さのせいか、私の中ではどこか坂本竜馬にダブります。)
田島征三は、1965年『ふるやのもり』で絵本の世界にデビューしました。二十四歳のことです。けれど、『ふるやのもり』は酷評されます。「色が暗い」「デフォルメが極端すぎる」「グロテスクだ」「きたならしい」「子どもの存在を無視している」等々。「子どもの美しい花園を、芸術家のエゴという泥靴で踏みにじるのはやめてほしい!」とまで言われます。こうした声に、田島はさらなる怒りと闘志を燃やしていました。
『ふるやのもり』は画期的な絵本だったと思います。1960年代の日本では、絵本は、はっきりした線、明るい色彩、愛らしい主人公…といったことが、不文律という時代でした。土色をベースに、力いっぱいに絵の具をグイグイベタベタ塗りたくったように見える田島の『ふるやのもり』は、瀬田貞二によって再話された民話を、独特の土俗性と、現代的なデザイン感覚とスピード感覚で、描き出しています。それは不文律に捉われて絵本とつきあっていた人たちには不評でも、絵本の新しい表現を求める人々には、歓声とともに迎えられました。絵本表現のターニングポイントと言える作品だったのです。
 あんなにいつも本気で怒り続けていたら、いつか憤死してしまうんじゃないかしら…と、内心、心配していたものです。案の定、1998年胃癌が見つかり、胃の三分の二を切除するという大手術。それを契機に、長年住み慣れ闘い続けた日の出から伊豆へ移り、今は伊豆の山と海に囲まれて、制作をしています。森や林で集めた木の実を画面に構成するという新しい画風です。そんな近頃の生活を含め、半生を振り返って、エッセイ集『人生のお汁』(偕成社)が、つい先日出版されました。そこには、大病を乗り越え、さらにパワーアップした田島征三が健在です。大病をしたんだから、丸くなっただろうって? とんでもありません。静かでより激しい怒りが、変わらず燃え滾っています。田島征三の創作の源である怒りは、何より人間が好きで、生き物が好きで、草木が好きで、「生命」そのものが愛しくてたまらない熱い熱い思いそのものなのですから。(竹迫祐子)

徳間書店「子どもの本だより」2002年11-12月号 より
テキストファイル化富田真珠子