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ごろごろ にゃーん ごろごろ にゃーんと、 ひこうきはとんでいきます が、ただただ繰り返される絵本、長新太の『ごろごろにゃーん』が出版されたのは一九七六年、私が二十歳のときでした。「これは、ただものではない…」と思いながら、当時の私は、どう「ただものでない」のか上手く整理ができず、ひとり静かにこの絵本を楽しんでいたものです。 世の中では、賛否両論。「ナンセンス絵本の代表作」という絶賛の声もあれば、「なんだ、コレ?」「子どもの描いた絵?」「わけがわからん!」といった抗議まで。 どう「ただものでない」のかが、本当にわかったのは、それからずっと後、子どもたちに絵本を読んでいたときのことです。中に一歳半くらいの赤ちゃんがいて、それまでてんで絵本なんか興味ないよ…という感じだった彼が、この『ごろごろにゃーん』を読みはじめた途端に、「ムヒャヒャ、ムヒャヒャヒャヒャ…」。そう、まるで体の内側からくすぐられているような、くすぐったくて、くすぐったくてとけてしまいそうな、嬉しくてどうにもならないような…姿を見せたのです。読んでいる私も、読みながら、同じように「ムヒャヒャヒャヒャヒャー」。 いい絵本は、理屈でなく体の内側から心をくすぐるものなんだと実感した一瞬。ナンセンス絵本は、その究極の存在だと。 漫画家としてスタートした長新太は、アンドレ・フランソワやジェームズ・サーバーといった画家の一こま漫画に大きく影響を受けたといいます。堀内誠一との出会いがきっかけで生まれたデビュー作の『がんばれさるのさらんくん』(福音館書店)は、そうした影響も色濃く、線の魅力が光るモダニズムの絵本。その後、『ぼくのくれよん』や『おしゃべりなたまごやき』といった、まさに「子どもが描いたような」絵本を発表し、続くこの『ごろごろ にゃーん』では、カラーインクでシャカシャカ、グリグリ。まるで小学生が授業中に先生の話を聞かず、夢中になってノートにしシャカシャカ、グリグリしつづけていたみたいな絵を展開しています。 「生理的に心地よいのがベスト」と語るこの画家は、理屈ではなく、その時々の自分の心に添いながらふにゃふにゃした線や形、鮮やかに気持ちのいい色を描き出します。その実、コップにもキュウリにも「世の中にあるすべてのものに生命がある」という理念のもとに、人間が生きていくということの在りようを、真撃なまでに描きつづけているように私には思えます。この二年、思わぬ大病を経て、今、一層研ぎ澄まされたというその感覚。よけいなものを削ぎ落として、さらなる絵本のアヴァンギャルドを見せてくれること間違いなしと確信しています。 徳間書店「子どもの本だより」2003年3-4月号 より テキストファイル化富田真珠子 |
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