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私たちはただ 夢見るために この世に来た 私たちはただ 眠るために この世に来た 生きるために来たというのは 真実ではない 私たちは どこへ行くのだろう ここへは 生まれるために来ただけ 肉の剥がれた者たちのいる あの場所こそが 私たちの家なのだから 仮にこの世で本当に生きているとしても それは 永遠の話ではない こちらで生きるのはほんの少しの間だけ 工藤律子著『骸骨がいっぱい―死者に親しむ』の中の詩を引用させていただいた。 昨秋、講演会に絵本作家のスズキコージさんをお招きした折、来年メキシコへ行きませんか、とお誘いをいただいた。死者の祭りにあわせて行くんです…。 それ乗った!と好奇心旺盛なわれら子どもの本を勉強する輩十人、早くも心はメキシコへ。にもかかわらず日常の生活に忙殺されて、お世話人のYさんから送られてくるウンポコメヒコツアー通信を横目でかすっただけという情けない状況のまま。四十人に膨れ上がった団体旅行ご一行さまに括られて成田を飛び立ったのが10月28日。 というわけで、私たちはメキシコシティーを出発点とし、二番目の宿泊地オアハカで死者の日を迎えた。 メキシコではハロウィーンの真夜中から11月1日、2日と死者の日を祝う。メキシコは九十パーセントがカソリック。「死者の日」はスペインから来たキリスト教と、メキシコ先住民の宗教がふしぎに融合して生まれた、年に一度あの世からの死者を迎えるお祭り。ちょうど日本のお盆のように故郷を離れていた人々が戻ってくる。 ソカロ(街の中央広場)には、プロもセミプロもなく画家たちが六畳ほどの広さの地面に砂土を盛り上げて、みんな思い思いの骸骨の絵を作り上げ、彩色する。怖いを通り越して実に楽しい見物である。 私たちは初めの夜、一つの寺院と一つの共同墓地で、死者を迎える様子を見学させていただいた。寺院では入口近くで二十名ほどの人々が讃美歌をうたい、奥の方にある整然とならぶ石の墓は長い大きなろうそくの灯りに囲まれ、荘厳な感じを受けた。共同墓地には何百という墓が隣り合っている。土葬である。やはり墓のまわりに長いろうそくを灯し、ほの明るい中でそれぞれの家族は、色とりどりの花を埋け、オレンジのマリゴールドが盛り上がった墓を花ふぶきのように飾っている。そして、敷物をしき、毛布をかむって寒さを凌ぎながら、赤ん坊を乳母車にねかせ、一家総出で、あの世から帰ってくる人々を待っている。ラジオ音楽を聴きながら、ギターをならし唄をうたい、酒を酌み交わしながら。 闖入者である私たちは、墓と墓の間の道なき道を列になって進んだが、時として迎える者のない飾りつけのない土盛りを踏みつけそうになった。非常に無礼なことをしてしまった気分である。 墓のまわりにいる人々の表情は、明かるく、くったくない。今でもメキシコ人にとって”生と死はひとつの生の二つの要素であり、死は恐れるものでなく、人生の結末でもなく面々と続く自らの生の一面に過ぎない“と信じているからか。 次の日、ようようのことで本屋を見つけた。死者の日のためか客はまばらだった。図書館の棚のように本は分類順に整列していた。私たちは児童本のコーナーへ直行。平積みスペースもある。スペイン語が読めない情けなさ。これオリジナルよね、スペインの本じゃないわよね、と互いに同意を求めながら読めもしないのに絵本を数冊購入した。市立図書館を教えてもらって出かけたら、死者の日のために三日間お休み?と貼紙。外から見て、明かるく開けた図書館とは想像に難い。ガイドさんの話では、メキシコシティーでも、子どもたちはあまり図書館には行かないとのこと。生活のなかに図書館はあまり生きていないのだろうか。 ハロウィーン(幼い子ども達が悪魔や魔女、骸骨などに見事に仮装して親に連れられパレードをしている様がとても可愛かった)、死者の日が終ればクリスマス。メキシコのクリスマスは、多少知っている。マリー・ホール・エッツの描いた絵本『クリスマスまであと九日―セシのポサダの日』(冨山房)を通してである(詳細は絵本を読んでください)。次の宿泊地タスコのホテルには、すでにピニャータが吊るしてあった。友人はその作り方を憶えてきて、クリスマスに子どもたちと楽しむのだと張り切っていた。 メキシコ人は文字のない民族だったと聞いた。どこかに語り部がいるのではないか、そんな話は聞くことができなかった。昔と今がつながる悠久の国に心を残してメキシコの旅は終った。 西村敦子(新刊を読む会・図書館の学校事務局) |
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