児童文学この一冊

@おかあさん、大好き
上村令

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 あかちゃんや、まだ小さな子どもにとっては、おかあさんは「いつでもいっしょにいる人」です。おかあさんが(または、おかあさん代りのだれかが)、手のとどくところにいてくれさえしたら、何も心配することなどないのです。
 でも、少し大きくなると、子どもたちはおかあさんのそばを離れて、ひとりで歩きはじめます。すると、これまで知らなかったさまざまなことが見えてきます。たとえば……
 『ノンちゃん雲にのる』(石井桃子作/福音館書店刊)の主人公、ノンちゃんは、八歳の女の子。おかあさんが黙ってでかけてしまったことを知って、わんわん泣いていたノンちゃんは、ふと気づくと雲に乗っています。雲の上、という遠いところから、ノンちゃんは家のことを思い出し、雲の上のおじいさんに話してきかせます。とりわけ、おかあさんのことを熱心にノンちゃんは話します。その中に、こんなエピソードがありました。
 …もっと小さかった頃、ノンちゃんは、おかあさんは、どこに行っても「あたしのおかあさん」でとおると思っていた。でも、おかあさんが「雪子」さんという名の女の人だと知ってから、今までひとつだったノンちゃんとおかあさんの間には、小さなすきまができた。そのすきまのために、ノンちゃんは一層おかあさんを大切に思うようになった…と。
 そして、「雲上旅行」そのものも、ノンちゃんにとって、もうひとつの大きな「すきま」となったのです。
 『ティナのおるすばん』(コルシュノフ作/石川素子訳/福武書店刊)のティナも、八歳。今日は、生まれて初めてのひとりっきりのおるすばん。はりきっていたのに、次々と困ったことがおこります。途方にくれたティナは、おかあさんのことを考えます。
 …おかあさんにだって、どうにもできないこともあるけど、おかあさんが「ティナ、なんとかなるわよ」といって抱いてくれるだけで、どれだけ気持ちがおちつくだろう…と。
 ノンちゃんと同じように、ティナも、「おかあさんがいない」状況をとおして、新しいことをいろいろ知ったのです。大の親友アネッテや、いじわるような管理人さんや、おばあちゃんお本当の姿。そしてもちろん、おかあさんの大切さ…。
 
 おかあさんの胸の中に抱きしめられたままでは、見えなかったさまざまなこと。大きくて、不可解で、時には残酷で、でも涙がでるくらい美しいこの「世界」のこと。ある意味ではおかあさんと離れて初めて、子どもたちは自分自身の「人生」に一歩足をふみ入れるのです。
 そして、「おかあさんと離れる」という大きな体験から、子どもたちは<秘密>を手に入れます。それは、「離れることがあるからこそ、今、大切にするんだ」という気持ち、です。
福武書店 「子どもの本通信」 第2号 1988.6.20
テキストファイル化富田真珠子