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親しい友人や、家族のだれかを失う、ということは、大人にとってもたいへんな経験です。のりこえるためには、身近な人たちの目いっぱいの手助けが必要になることも多いはず。では、もし子どもたちがそんな経験をすることになったら…。 『パパのさいごの贈りもの』(リトル作/茅野美ど里訳/偕成社刊)は、そんな状況を描いた一冊。12歳の少年ジェレミーにとって、今年の夏休みはなんだか不安で、つまりません。パパが病気で入院し、ママがつきそっているため、妹と二人、おばさんにあずけられているのです。ようやく退院してきたパパは、弱々しく疲れていて、あまり一緒に遊ぶこともできません。やがてパパとママは、「パパは癌なんだ」とジェレミーに教えます…。 パパの死、という大きなできごとを経験していく中で、ジェレミーはさまざまな新しいものの見方・考え方を(否応なく)身につけていきます。どんなにつらいときでも―つらいからこそ―くだらない冗談で笑うのが助けになること。これまで、「大人」で何の手助けもいらないと思っていたママが、どんなにジェレミーの支えを必要としているか、ということ。そして、それまで「へんなやつ」としか思っていなかった学校友だちのテスが、自分でも同じようなつらい経験をしたために、今のジェレミーの気持ちを一番よくわかってくれる友だちだ、ということ…。 物語は、母子三人がはじめてパパなしでむかえるクリスマスのシーンで終わります。今年は、パパがいない代わりに、テスとおじいさんが一緒にクリスマスを祝います。そしてジェレミーは、今年はママのくつしたにプレゼントをつめてあげる人がいないことに気づいて、自分がパパにもらって大切にしていた思い出の品を、ママにあげようと決心するのです。 だれかを失ってもなお生き続け、前進していくためには、新しい人と知り合い、新しい関係を築いていくことが必要になります。それは、いなくなった人を懐かしむのとは、全く別のことです。 『のっぽのサラ』(マクラクラン作/金原瑞人訳/福武書店刊)はそうした、「残された者の新しい生」の物語。ママが死んでから歌をうたわなくなってしまったパパが、ある日、アンナとケイレブの姉弟に打ち明けます―「新聞広告を出したんだ。助け、求む、ってな」 その広告に応じて、大草原のまん中に住む一家のところにやってきたのが、サラでした。子どもたちもパパも、すぐにサラが好きになり、「ずっとここにいて、ママになってくれないかな」と願うようになります。 それでもアンナは時折、ママのことを思い出します。また、海辺育ちのサラは海を恋しがります。それぞれが、そんなかなわぬ想いを胸にしまって、手をとりあうことができた時、初めて、ママを失った三人と新天地を求めて来たサラとは、新しい家族としてスタートすることができたのです。
福武書店「子どもの本通信」第13号 1990.6.20
テキストファイル化富田真珠子 |
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