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自分と他人の間には、何か大きな違いがある。どうしてかわからないけど、まわりの人達とうまくいかない…。そんなふうに感じている子どもは(そして大人も)、案外多いのではないでしょうか。 『ぶきっちょアンナのおくりもの』(リトル作/田崎眞喜子訳/福武書店刊)の主人公、9歳のアンナも、そんな一人でした。五人兄弟の末っ子のアンナは、いつでもみそっかす。ぬいものをしてもそうじをしても、兄姉たちの遊びに加わっても、いつも失敗ばかりです。みんなには、どうしてアンナがいろいろなことを普通にできないのかわかりません。もちろんアンナにも、その理由なんかわかりません―アンナはただ、傷ついているなんて思われないように、ぶきっちょアンナと呼ばれても、仲間はずれにされても、なるべく平気な顔をしているのです。この上、同情されるなんてまっぴらだから…。 そんなアンナのことを、いつもあたたかく見守り“外側に出てきていないけれど、アンナの内側には何か特別なものがある”と信じ続けてくれたのがパパでした。 やがて、重大な事実が明らかになります―アンナは、弱視だったのです。眼鏡をかけ、新しい学校に通いはじめたアンナのまわりで、さまざまなことが変わっていきます…。 子どもは、“何かがおかしい”と思っていても、訴えることができません。それは別に弱いせいとか小さいせいではなく、“おかしくない世界”を知らないからなのです。 『なぞの娘キャロライン』(カニグズバーグ作/小島希里訳/岩波書店刊)の主人公ウィンストンの妹ハイジも、そんな子のひとりでした。裕福な家庭に生まれた兄妹は、運転手やメイドに囲まれて物質的には豊かな暮らしをしていますが、まわりには同じ年頃の友だちはいず、ほとんど二人だけで隔離されています。ウィンストンはいつも、“ハイジはどこか違う”と感じています―実際、ハイジは扱いづらい、やっかいな子なのです。けれども、昔誘拐されたまま戻って来なかった上の娘キャロラインの記憶や、仕事にかまけて、父親はハイジのことを直視しようとしません。母親の方はもっとひどくて、可愛い服で着飾らせておきながら、内心では娘のことを恥じ、一目にふれないように隠しているのです。 ウィンストンだけが、ハイジに責任を感じていました。でも、何をどうしたらハイジの心に届くのか、わからないのです―そんな時に現れたのが、昔行方不明になったままだった姉のキャロラインでした。 キャロラインはウィンストンとハイジを愛し、二人をその隔離された特殊な場所から引っぱり出そうとします。その過程でキャロラインは、ハイジが内側に持っているものを表すことのできない一種の障害を持っていることを知り、そうした人を教育する方法を学ぼうと決意するのです。 このキャロライン(意外な正体がラストで明らかになりますが)や、アンナのパパのような人が傍らにいれば、どんな子どもも、自分の内側にあるものを、少しづつでも外に表し、生きていく場所を築くことができるのではないか―と思わされます。(上村令)
テキストファイル化富田真珠子
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