児童文学この一冊

16.私が生まれる前に

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 子どもの頃、こんなことわざを耳にしたことがあります――「子どもは、大人がかつて子どもだったときくと、信じようとせず、声をたてて笑う」。そんなの嘘なんじゃない、と思ったことを覚えています。子どもはあまり「過去」の実感がなく、つきつてめて考えたりしないというだけです――何かきっかけがない限り。
 『サティン入江のなぞ』(ピアス作/高杉一郎訳/岩波書店刊)の主人公ケートにとってのきっかけは、おばあちゃんあてに届いた謎の手紙と、墓地から死んだお父さんのお墓が消えうせてしまったことでした。それまで、何となくそういうものだと思っていたこと――お父さんが死んでもういないということ――が、ケートの心にひっかかりはじめます。お父さんが死んだのは私が生まれた日だったというけど、その日、何があったんだろう? 私が生まれる前に、お父さんとお母さんとおばあちゃんのあいだで、何があったんだろう?――お父さんは本当に死んだのかしら? ケートは、謎をとくために一つ一つ手がかりを組み立て、父の住んでいたサティン村へも一人ででかけていきますが……。
 緻密な構成と、ケートの家族一人一人の魅力にひかれて読み進むうちに、十年前のいきさつが明らかになります。兄殺しの濡れ衣を着せられそうになったケートの父は、死んだのではなく、ずっと国外に逃れていたのです。終盤近く、ケートは父と再会し、家族は新しい形にむかって動きだします。でも、その大きな動きを作り出したのは、もともとはケートの父への憧れと、「知りたい」という強い願いだったのです。
 『まぼろしのすむ館』(ダンロップ作/中川千尋訳/福武書店刊)には、陰鬱な館に暮らす老婦人ジェーンと、館に預けられたフィリップとスーザンといういとこ同士の子どもたちが登場します。あとから館にやってきたフィリップは、初めのうち、大伯母にあたるジェーンのことをけむたいと思っていました。でもスーザンと一緒に、館に現れる幻の謎をさぐるうちに、フィリップはジェーンの過去に何があったのかも、知りたいと思うようになります。それは、フィリップがジェーンを好きになったからでした。遠い昔に婚約者に裏切られたというジェーン、気難しい父親の面倒をみ、館を守って年老いてしまったジェーン。昔はどんな女の子だったんだろう……。
 二人は婚約者がジェーンを裏切ったりしなかったということをつきとめます。そして、子どもたちによって心を開かれたジェーンが、笑い、未来に向かって生きるようになった時、ジェーンの心が作り出していた過去の幻は、消えていったのでした。
 子どもには、状況を変えていく大きな力があります。でも、その力が働くのは、子どもが愛情から、自発的に行動を起こした時ではないでしょうか。冒頭のことわざがやはり何か変な感じがするのは、そうした子どもの愛情や意志、悩みながらの試行錯誤を見ずに、「子どもは無邪気でいいなあ」と目を細めている姿勢がうかがわれるせいかもしれません。(上村令
福武書店「子どもの本通信」第18号 1991.4.10
テキストファイル化富田真珠子