6.もう一つの転換期−60年代・その2

『われらの時代のピーター・パン』(上野瞭 晶文社 1978/12/20)

           
         
         
         
         
         
         
    


 アフリカのみどりの森に、ヒゲのはえないヒョウがいる。名前はペポネという。いたってのんびりものである。ペポネの両親は、心配で心配でたまらない。わが子にヒゲのはえることを願ってひたすらって、ヒゲの長いナマズを食べさせる。しかし、その努力もむなしく、いっこうにヒゲのはえる気配はない。両親は、そのことを気にして、森から夜にげをする。ペポネは、別に、そんなことを苦にもしていないのに……。それからずいぶんたって、ある日のこと、ウサギが、人知れぬ草原で一匹のヒョウを発見する。そのヒョウのヒゲは、ナマズのようにひょろりと長い。ウサギが、こっそり様子をうかがっていると、そこへ、おかあさんらしいヒョウがあらわれる。そして、そのヒョウの、長くたれたヒゲを、ひょいと、ちょうちょむすびにしてやった、というのだ。
 これは、今江祥智の「ちょうちょむすび」のあらすじである。「ちょうちょむすび」は、はじめ、短編集『ちょうちょむすび』(昭和四〇年)におさめられていた。のちに、『ぽけっとにいっぱい』(昭和四三年)に収録される。
 この物語をはじめに持ちだしたのは、六〇年代の「もう一つの流れ」を考えるためである。
 六〇年代は、「献身」の発想に対して「反献身」の発想の児童文学が生まれた……といった。しかし、「献身」「反献身」にかかわらず、この両者の発想は「一つの流れ」を形づくっている。それを「延長線上の……」ということばで規定した。子ども・おとなを含めて、常に、その生き方・在り方を探る「流れ」といってもいい。いいかえれば、わたしたちの置かれている状況に照応して、人間を描きだそうとする発想といえばいいか。戦争・貧困、その他の現実問題が常に視座にある世界である。単純化していえば、この児童文学の流れは、主人公を通して、正義に形を与えるか、反対に、正義のあり方を探るために、不正や悪に形を与えるか、いずれかをその中心にすえていた。
 この流れに即応する文学史や批判の発想も、また、そうした主題中心主義の傾向があり、書き手の意図や信条や理念とするところを抽出する方向をとってきた。こうした抽出作業は、もちろん、「戦後」の作品に限ったものではない。一九四五年以前に、すでに固定した評価を受けている小川未明の作品や、浜田広介の作品にも適用されていた方法である。すなわち、未明の『赤い蝋燭と人魚』や、広介の『泣いた赤鬼』の中に、社会的意味や人生観を探りあてるあり方である。未明や広介の場合は、そうした主題抽出にふさわしく、書き手としても、じぶんの信条に形を与えようという方向で作品をつくりだしてきた。形を与えてきたものは、もちろん、ことばである。しかし、ことばで形を与える……ということの中には、その基底に、想像力の働きがある。想像力の働きなしに、どうのような信条にも形を与えることはできない。さらにいえば、じぶんの信条を納得させるためには、想像力の働きを一定の筋道にのせねばならない。かりに、それを構想力と呼ぶならば、未明や広介童話のあり方は、その構想力を駆使して信条に形を与えてきたものといえる。そこで主題抽出の文学史は、構想力の展開の仕方を評価する場合、それが個人の信条を、どれほど適切に際だたせかたで価値判断を下したきた。書き手もまた、構想力が、どれほど信条とするところに形を与えるかに心をくばってきた。いうならば、構想力は、それ自体の価値で評価されることなく、常に、書き手の思想証明の有効な手段としてのみ評価されてきたということである。
 しかし、構想力というものは、そうした信条の付属的役割にのみ収支するものなのかどうか。個人の信条に形を与える働きをするならば、それは、空想することそれ自体にも、また形を与えることができるのではなかろうか。従来の児童文学作品は、それが抽象的な観念にせよ、具体的な人間の生き方にせよ、子どもに「人生を教示する」という方向を目指していたために、空想することそれ自体に形を与える構想力の働きを、無視するか、軽視するか、してきた。人間の空想は、たあいない絵空事で、明確な価値観に比べれば、それ自体の価値など問題に値しないという考え方である。この考え方には、現実社会で「役に立つ」ものとしての「理念」、人間の生きる上での「ためになる」ものとしての「一定の価値観」……というものが、いちばん大きくみすえられている。それこそが子どもを幸せにするだろうし、それこそが児童文学の本筋だという発想である。しかし、読者である子どもは、そうした作品世界から、人生の価値について「教えられること」は多くあったとしても、それによって、じぶんを解放したり、人間であることのよそこびを、強く感じたかどうか。本来、文学の効用は、児童文学も含めて、じぶんが人間であることとは何か……ということを納得し、人間であることはそう悪いものではないと、改めて確認する(あるいは、確認させる)、そんな働きを含んでいたと思うのだ。もう少し極端ないい方をすれば、じぶんの所属するこの現実へ、より密着するために本を読むのではなく、この現実の拘束を離れて、じぶんの中にひそむ無数の可能性を確認するために、人は本を手にした。「理念」や「価値観」は、たしかに「役に立つ」し、また、「ためになる」ものだったかもしれない。しかし、それによってもたらされるものは、いうならば、この現実世界でのあり方、現実世界へのコンタクト方法だったといってもいい。「理念」や「価値観」に集約される「役に立つ」児童文学、あるいは「ためになる」作品には,あくまで現実に固執して、その中に人間を確かめるという一つの枠組みがあった。その枠組みをこえる発想はない。これは、もちろんん、現実世界を肯定するという意味ではない。肯定するにせよ、否定するにせよ、常に、現実世界をみつめ、それと相関関係で「人生」を探ろうという立場だった、ということである。
 それに対し、「もう一つの流れ」と呼ぶものは、その枠組みをこえようとする。枠組みを取りはずした次元で、人間(あるいは人生)を確かめようとする立場である。児童文学は、現実に密着するものではなく、現実の人間のあり方をみかえす場をつくうるものである。そのために、構想力を駆使して、奔放な空想に一つの形を与える。その架空の世界に、一つの価値を認める立場である。「理念」にも、特定の「価値観」にも奉仕しない構想力の働き。そこに子どもの文学の本来のあり方を探りあて、逆に、それが、現実と向きあう人間(子ども)の生きがいをつくるのだろう、という考え方である。こうした発想の根拠となっているものは何だろう。その点を考え直してみると、つぎのようなことになる。
 子ども・おとなを問わず、人間は空想する力を持っている。空想それ自体は、まとまりのない一時的な幻影かもしれない。しかし、人間は、その幻影の中で、無意識のうちに、現に今あるじぶん自身そこえているのではなかろうか。まったくたあいのない子どもの空想にしても、それは、子どもが、規制された状況の中から抜けだす道を示しているのではないか。人は、空想の中において、じぶん以上の存在になれるし、じぶん以外の人間の立場に立てる。考えてみると、空想の中で、人間の探りだそうとしているものは、現実に規制される以前の自己、選択の自由を保障された自己である。人間は、空想という形で、じぶんの内なる自由に気づき、じぶんの内なるさまざまな可能性を追求できるのではないか。ほんの一瞬の、それこそ幻影であるにせよ、人間が解放され、人生の多様性を選択できるのは、そのイメージの世界においてしかない。それに、一定の形をことばで与え、消え去るものを、現実のものとして定着するのは、文学ではないのか。構想力は空想それ自体にも、形を与えることができる。形を与えられた空想の世界は、現実世界のあり方を、もう一つの目でみかえすそんな働きをする。読み手は、そこに、じぶんの空想の、ひろがりと深まりを再発見するし、さらにいえば、改めて、人間の自由や可能性についての楽しい確認をする。人は、こんなにも異質の世界をつくりだせるし、こんなにも人間をとらえることができるというよろこびを知る。そうした人間認識、あるいは、世界の再発見が、現実の諸矛盾を気づかせ、現実の諸規制に対して、じぶんの生きがいを確保する。それは、抽出された観念や特定の価値観ではなく、構想力のつくりだした「もう一つの世界」である。それは、「楽しさ」の形を与えた世界とでもいえるし、また、人間の自由を形にしてみせたせ界とも呼べる。いずれにしても、人は、形を与えられた空想の中で、はじめて、じぶんの自由と可能性にめざめる。それがひるがえって、現実を生き抜く一つの道をつくりだす、という考え方である。
「ちょうちょむすぶ」にもどって考えてみよう。
 この作品は、そうした空想の楽しさに形を与えたものである。ここから、ヒゲのはえないのは不幸で、ナマズヒゲにしろヒゲがはえたから幸せだ……という「幸福論」は抜きだせない。また、ペポネは、今でもジャングルのどこかで平和に暮らしているという、その結論だけを抜きだして、作品を理解したとはいえないだろう。一定の幸福論に集約するには、あまりにも異質の作品なのである。わたしたち読者は(おとな子どもを問わず)この作品のペポネの、まずヒゲのはえないことを楽しんでいるのだ。また、ヒョウの両親が、ナマズをつぎつぎペポネに食べさせる、この「ありえない」空想のおもしろさを楽しんでいるのだ。ジャングルの奥で、ウサギが、ペポネらしいヒョウをみる。そこへ、おかあさんらしいヒョウがあらわれて、ひょいと、長いヒゲを、ちょうちょむすびにしてやる。このふわりと笑いたくなるような出来事に、目をこらしているのである。
 もちろん、主題抽出主義的発想よりすれば、ここに、親子の愛情が描かれているだの、また、人間の幸せのあり方への形象化があるだの、観念や価値観の抽出はできるだろう。しかし、作品から取りだしたその一片のことばは、この作品の楽しさを集約しているだろうか。それは白々しく、ペポネのあのとぼけたのん気さとは、あまりにも遠くかけ離れてしまうのである。
 また、擬似合理主義によれば、ヒゲのないヒョウなどは存在しない、というだろう。いわんや、ナマズをくって、ナマズヒゲがはえて、それを、ちょうちょむずびにするヒョウなど、ありえないということになる。しかし、「ありえない」それらの事柄が、なんの不自然さもなく、「ありうるように」描きだされているそのことの中に、人間の構想力の独自の価値があるのではないだろうか。わたしたちは、そうした楽しいヒョウを想定しうるし、そのヒョウの生活を、楽しいものとして受け入れることによって、じつは、わたしたち自身の世界のひろがりを確認しているといえるのだ。
「ちょうちょむすび」は、人間の可能性を、「楽しさ」に形を与えるというやり方でひろげている。もちろん、これは、書き手である今江祥智の「形の与え方」である。その意味で、『ぽけっといっぱい』は、今江祥智における「楽しさ」の形象化集といえる。しかし、問題は、今江祥智の発想ではなく、この六〇年代に、たとえば「ちょうちょむすび」に集約できるような「楽しさ」がクローズアップされてきた、ということである。正直にいえば、一九五九年の、佐藤暁の『だれも知らない小さい国』と、いぬいとみこの『木かげの家の小人たち』を、その貴店にすえる必要があるだろう。しかし、タテマエ時代につづく長い不毛の時期を経過して、児童文学が、やっと「理念」そのものの形象化から抜けだしたことや、この二人の仕事については、すでに『戦後児童文学論』や『現代の児童文学』で触れたとおりである。そこで、六〇年代初頭、一方の流れを形成していくものに、古田足日の『現代児童文学論』(昭和三四年)や、山中恒の『とべたら本こ』(昭和三三年)や『赤毛のポチ』(昭和三五年)があるのに対して、もう一つの流れとしては、佐藤暁・いぬいとみこについで、今江祥智の『山の向こうは青い海だった』(昭和三五年)があることをあげておけばいいだろう。
 『山の向こうは青い海だった』は、ピンクちゃんと呼ばれる中学生の物語である。すぐに赤面するじぶんをきたえなおそうと、夏休みに冒険旅行にでる。和歌山の昭代という少女の家に落ち着いて、チンピラやくざを相手に活躍する。ケストナーの『エーミールと探偵たち』なみに、最後は少年少女の大活躍となる。ここには、すぐに、「いや、まあ、待て!」と、早合点を制止する先生がでてくるが、この先生を含めて、作品の中から読者に向かって、「説教をたれる」人物はだれもでてこない。作品全体が、何かの「理念」を証明すべく展開することもない。強いていえば、ピンクちゃんこと山根次郎と、昭代ちゃんとその仲間の活躍を通して、少年少女の楽しみに、さわやかな形を与えた、ということである。六〇年という年は、けっしてさわやかな年ではなかった。安保条約改定阻止運動に集約されるように、「戦後民主主義」の危機が繰りかえし指揮され、国民行動としての連帯が叫ばれ、その行動が結果として実を結ばなかった年である。そうした現実の様相を反映して、児童文学の領域でも、『山のむこうは青い海だった』よりも、これとは対極の「現実的主題」を持つ児童文学がヒョウかされた。

 でも、残念だなあ!
 これだけおおらかな笑いのシャボン玉が、十二年も前に生まれているのにだんだんしぼんでいくみたいで。現代児童文学は、あのシャボン玉の輝きをもっと本腰入れて追わなければならないでしょう。もちろん、児童文学に、思想や主張や人生観や主題などいらないなんてヤボはいいません。でも、あまり「ためになる」ばかりにとらわれていると、てのひらの水のように、「おもしろさ」が滴り落ちてしまうような気がするのです。(中略)一九七二年の今もやはり、善はいそげ、です。ユーモアはやはり、不得意科目です。だからぼくは、つぶやくのです。「おもしろい」だけではだめなのかなあ。児童文学の中で奔放に遊ぶことはダラクなのかなあ。笑いは、からだのためにも、たいへんいいんだけどなあ……。

−と、山下明生が書いている。一九七〇年代から、六〇年の『山のむこうは青い海だった』をふりかえっての発想である。当時も「楽しさ」に形を与える発想は軽視されたが、今もなお、という指揮である。今もなお、という点については、斎藤隆介の「献身」の発想……ということでさきに触れておいた。子どもに向かって、「人生のいかに生きるべきか」というkたちで物語をつくりだす発想は重視されやすいが、子どもに「人生の楽しさをいかに伝えるか」という発想は(子どもの楽しさに形を与える発想は)、なかなか重視されにくい、といことである。今もなお、そうした風潮があるのだから、六〇年代初頭は、なおさらである。

 夏の強い太陽が枝ごしに明るい光の矢を投げており、あたりの草のにおいがツーンと鼻にしみこんだ。これが冒険のにおいだ、と次郎は思った。夏の樹々の青さが清潔な少年のからだみたいに青空の中で蚊がいていた。これが冒険の色、と次郎は思った。

 このすがすがしい冒険へのあこがれは、貧困や、基地問題や、状況の暗さを語る作品のかげに押しやられてしまう。そうした状況との関わりで子どもを描くことが冒険しされ、こちらの冒険は、「遊び」のように軽視されてしまう。しかし、もともと「遊び」とは、子どもにとっても、その文学にとっても、必要なファクターである。その必要性を、状況論中心的風潮の中で形にしようということこそ、「冒険的」な試みではないのか。そこのところの評価が、すっぽり抜け落ちている。もちろん、『山のむこうは青い海だった』に、いわゆる「現実」の認識がないわけではない。
 
 ……まったくあのデブの殺し屋ムッソリーニにひきいられた黒シャツ党と、ちょびひげの戦争屋ヒトラーにひきいられたカギ十字のナチ党が握手したころのヨーロッパは、ひどいものだった。少しでも彼らや戦争に反対すれば生命はなかった。ガス部屋で二〇〇〇〇〇〇〇人も殺されたのだ!
 
 そんな形で、さりげなく挿入されている。しかし、である。(いや、だからこそ、というべきかもしれない。)『山のむこうは青い海だった』では、つぎのような考え方を重視する。
 このかわいい女の子の胸は心配や不安をいれておくには小さすぎた。わるい想像が胸の中でふくれあがってタメイキになって外へとびだした。ああ、こんな女の子がタメイキをつくなんて!そんなものは大人や年寄りの専売品なのに……。

 女の子、というのは、次郎の友達の昭代のことである。昭代が心配してタメイキをつく個所だが、この昭代のかわりに「子ども」と言う言葉を入れかえてみるとよくわかる。なぜ、おとなの苦しみをそんまま子どもに押しつけようとするのか。暗い状況の中で、タメイキをつかせることが、子どもにとって必要な文学なのかどうか……そういう作者の声が聞こえてくるはずである。
 「楽しさ」に形を与えることが、『山のむこうは青い海だった』や『ぽけっとにいっぱい』で試みられた。そういった、そして、こうした発想は、「献身」「反献身」の流れに対して、一つの流れをつくる。つくっていく。それが六〇年代の一つの動向だ、といえる。それでは、『山のむこうは青い海だった』とは違ったどんなさ九品が、この「系譜」の中に生まれてくるのか。「楽しさ」に形を与えるという時、書き手の空想をいっぱいにふくらませ、それに筋道を与えるものばかりとは限らない。それも一つの方向なら、子ども自身の生活を、楽しくふくらませる方向もあるのではなかろうか。それは、どのような世界なのか、ということが、つぎの問題である。

テキストファイル化田丸京子