「逃亡」の発想−ビアトリクス・ポター

『われらの時代のピーター・パン』(上野瞭 晶文社 1978/12/20)

           
         
         
         
         
         
         
    


 ポターの小型本は、たて・横、およそ一五センチ弱と一一センチ弱である。その中で、彼女の描く絵のサイズは、さらに小さくなる。たとえば、『ひげのサムエル』の場合の、子ネコのトムが、ネズミの夫婦に練り粉でまぶされ、麺棒でぐるぐる引きのばされる絵は、六.五センチと七.五センチの小さな画面に描かれている。他の場面、他の絵本の場合、多少の大小はある。しかし、小型本の頁いっぱい、その絵が描かれたものはない。すべて、小さな判型の中に、さらに小さく、余白を残して描かれる。当然、ポターの時代の絵本が連想される。ポターの時代に接するイギリスの絵本といえば、否応なくケイト・グリナウェイ(一八四六-一九〇一)と、ランドルフ・コールディカット(一八四六-一八八六)の絵本が浮んでくる。このふたりは、ポターのように、小さな判型に固執しなかった。絵は小さく描いたかもしれないが、大判の判型をいっぱいに活用しようとしている。たとえば、グリナウェイの『アップル・パイ』(一八八六年)を見れば、画面の余白を、彼女の描く世界のひろがりをだすものとして置いている。確かに『窓のした』(一八七八年)では、大判の頁の中に、さらに線によって枠をつくって限界を示していた。絵も小さなものをいれる場合があった。しかし、一見して明らかなように、ケイト・グリナウェイは、そうした手法で、「抒情的ひろがり」を目ざしている。どこまでも枠のむこうへ読者の空想を引きずりだそうとしている。ポターはそうはしなかった。大判絵本の存在を前にして小型絵本という判型を選び、さらにその中で、小さい画面の中へ、葛藤も安息も「閉じこめよう」とした。危機も脱出も、平和も欺瞞も、小さく「可愛く」描くことによって、ポターは現実に生起するそれらを、じぶんから引きはなした。つまり「小型」であることこそ、彼女の「逃亡」のしるしだったのではないか。そういいたいのである。
『日記』が「暗号書き」であることと、ポターの絵本が小型本であることとは結びついている。彼女は、すべてを、「閉じこめる」ことによって、じぶんだけの「宝島」をつくった。そうした島に、ひとり行きつもどりつすることによって、じぶんの生きるしるしを感じた。『子ブタのロビンソン』が、ボートで「幸せ」な島にいきつくように……。
 しかし、こうした生き甲斐の発見は、何もポターひとりのものではない。ポターは確かな表現力と創造性を持っていたから、じぶんの世界を絵本につくりあげた。しかし、そうした能力に背をむけたもの、背をむけざるをえないものはどうするのか。いうまでもなく、ポターの小型絵本を手に取って、それをじぶんの安息の島とする。彼女の絵本が、特定の読者のとって、そうした役割を果していることは否定できないだろう。これは、ポターの関わり知らぬ話である。
 それにしても、ポターの絵本は子どもの本である。子どもにとって、生存の確執に満ちた人生は始まっていない。とすれば、ポターが絵本の中に確かに「閉じこめた」この人生の葛藤や理念が、じつは、子どもにとって、今まで知らなかった「ひろい世界」への入口になる。ポターが「逃亡」した世界から、「逃亡」出はなく、幼いものたちの、人生への「出発」と「参加」がはじまる。危機から逃げ続ける話は、新しい世代にとって、じつは人生を追い求める話となる。子ブタは、島にたどりつくことで「終り」を迎えたが、読者の方はそこが出発点なのである。
(わたしはポターを「批判」したのだろうか。もし、そんなふうに見えるとすれば残念に思うしかない。わたしもまた、絵本こそつくらないが、「逃げる」ひとりだからである)。

テキストファイル化古賀ひろ子