P 「起点と到達点」の発想

贋金づくり日記抄・T
『私の児童文学ノート』(上野瞭 理論社 1970)

           
         
         
         
         
         
         
    
*月*日

 歌入り観音経ではないが、わたしは、戦後児童文学の「起点と到達点」という主題を前にしていると、北島三郎のうたった『函館の女』という古臭い歌を思い浮かべてしまう。《はるばるきたぜ、函館へ》というあの歌である。
まさか、《みはてぬ夢と、知りながら、忘れられずに、とんできた、ここは北国、しぶきもこおる》という日本の一都会へ、《ひと目だけでも、あいたかったよ》と、青函連絡船にとびのって、女の尻を追いかける男の執念が、なんとなく庄野英二の『星の牧場』(昭38・理論社)に出てくるイシザワ・モミイチに似ているからではあるまい。
 だいいち、イシザワ・モミイチは、愛馬ツキスミが、フィリピンのマニラ近海で、敵潜水艦の攻撃を受け、溺死したかどうかも定かでない「記憶喪失者」であるのに比べて、この歌の主人公とおぼしき人物は、明確に「オールド・グッド・デイズ」の意識を持った今日はやりの「期待」派の男なのである。
ただ、期待派の男にふさわしく、この男の方は、いささかオーバーで、単身、ヨットか何かで津軽海峡を渡ったわけでもないくせに、《さかまく波を、のりこえて》というのだから、付き合いかねる気もするのだが、しかし、こう言ってしまえば、なぜ、わたしが、『函館の女』などという歌を思い浮かべたのか、その点があいまいになる。
 たぶん、この男は、北海道以外の日本の一定点から、《おもいだすたび、あいたくて》《函館山の、いただきで、七つの星も、よんでいる、そんな気がして、きてみたが》というところだろうが、わたしは、たとえ、それが《七つの星》ではなく、《七つのボタン》は桜にイカリであっても、この男が、期待される人間派であるかぎり当然の帰結だという気がするのである。
とすれば、わたしが、「起点と到達点」ということばから、と言うより、そうした発想法から、『函館の女』を思い浮かべるというのは、そもそも、《さかまく波を、のりこえて》はるばる函館までやってきた男の「起点」があいまいなように、また、「到達点」の函館に、男の求める女の姿が見当らなかったように、戦後児童文学も、《どこにいるのか、この町の、ひと目だけでも、あいたかったよ》という歌詞どおり、その起点と到達点に、あいまいもこたる様相があるからだろうか。
 そう言えば、『金色のライオン』(香山彬子・昭42・講談社)という比較的新しい作品も、一見、今日の大衆社会状況の中に、ビスクという特殊な飲料水を好むライオンを登場させながら、この現状況を突き破り、自由奔放な別世界に読者を到達させるかわりに、「やはりライオンはライオンがいい」という現状肯定的な「教訓」、あるいは「愛情」がすべてという案外に生硬な抽出理念に到達することによって、敗戦直後に輩出した「民主的」児童文学の啓蒙的視座や観念提示性に回帰しているのである。なぜ、日常的次元を踏みこえたライオンを、日常的秩序の中に追いかえさなければならないのだろうか。
 新しい児童文学の書き手は、素朴に、この日常的次元を指して、『天使で大地はいっぱいだ』と信じているのであろうか。
わたしは、後藤竜二の右の本『天使で大地はいっぱいだ』(昭42・講談社)を読みながら、かつて、青木茂が、「おらあ三太だ」という一連の物語で、無葛藤の善意の快さを提示したことを思いだした。この物語もまた、青木茂の『三太物語』以上に巧みで明るいホーム・ドラマを提示することによって、もっとも作家の傷つくことの少ない地点で、結果として、今日の状況を肯定しているように思えてならないのだ。たとえ、作者が、その内部で、現状況を「泰平」ではないという意識を抱いているとしても、である。
 もちろん、わたしは、この二冊の児童文学作品をもって、戦後児童文学の起点と到達点の錯綜をウンヌンしたいわけではない。そもそも、「起点」と「到達点」と言うことばを前にして、わたしが、『函館の女』などという古くさい歌を思い浮かべるのは、この歌の第一行目の《はるばるきたぜ》ということばの、そのことばに露出されている距離感の貧弱さにある。たとえば、《さかまく波を、のりこえて》やっと到達した地点が、同じ日本の中での定点の移動にすぎなかったということ、その地理的な平面感覚にあるわけである。このことは、敗戦という起点から、現状況という到達点まで、二十余年という所用時間が介在するにせよ、その時間を空間におきかえ、その距離を、《あとをおうなと、いいながら、うしろ姿で、泣いてたきみ》などと、北島三郎の哀調にのせられて、追いすがり、この手に秩序整然ととりこむ発想に結びついていないか。いや、そうした年代記こそ、現代の児童文学の批評に一種の停滞をよびおこす発想ではないのか。それだけではなく、児童文学史というものを、平面的叙述性に押しとどめるものではないのか――と、わたしが、考えているからにほかならない。
 いったい、児童文学史家の「普通的記述」が、また「客観的公説」が、現代作家の創作の起爆装置になり得ることがあるのだろうか。
わたしが、これまで、わずかながらも「戦後」探しにやっきになってきたのは、《あかりさざめく、松岡町は、きみのうわさも、きえはてて》など歌われているからであって、決して、《おもいだすたび、あいたくて、とてもがまんが、できなかった》からではない。
 その点で、わたしは、記憶を喪失した『星の牧場』のイシザワ・モミイチとは相入れないような気がする。

*月*日

 わたしは、イシザワ・モミイチを、《おもいだすたび、あいたくて、とてもがまんが、できなかった》ようなウジャジャケタ人物だとは思わない。もし、モミイチが、《おもいだすたび》というような記憶を持っているとすれば、椰子の木が海岸いっぱいにはえている白いサンゴ礁やレモンの木、夜光虫の美しいアンボン島の記憶ぐらいだろうと思う。モミイチの中には、《おもいだすたび》ではなくて、常に、軍馬ツキスミの幻と、ひづめの音がひびいている。《きみのうわさは、きえはてて》はいない。
 この幻影なり幻聴が、この作品を「戦争児童文学」の範疇に引き入れているのだろう。
しかし、その病院生活を含んでの三年にわたるモミイチの「戦争時代」が、ツキスミという愛馬のひづめの音となって、「戦後」ほぼ二十年にわたって、モミイチの内部に尾を引いているから、と言って、これを「戦争児童文学」と呼んでいいものかどうか。たぶん、谷間の草原で、モミイチが、もとの戦友そっくりのジプシーに出会う点で、そんな分類がなされるのだろう。おそらく、それら一切を含めて、モミイチの記憶が、アンボン島や、ツキスミのことにのみ限定されている点で、言いかえれば、モミイチの周囲の人間たちが、一応「戦争」という異常な生活次元から、相対的なものにせよ「平和」という日常的次元に復帰したのに、モミイチ一人だけが、相互理解の不可能なツキスミとの世界に取り残されている点で、人は、『星の牧場』を「戦争児童文学」と呼ぶのに違いあるまい。それは、モミイチを、一種の戦争犠牲者として眺める視点にはならないか。
 わたしは、庄野英二の作品としては、この『星の牧場』より『雲の中のにじ』(昭40・実業之日本社)をより高く評価するのだが、それは、『星の牧場』が「戦争」児童文学であるにせよ「戦争」児童文学でないにせよ、「戦争」そのものを「戦後」の問題として、その作品内で処理していないところからきている。作者に、もし、モミイチを通して「戦争」の傷痕を語る意図があったとすれば、それは成功していないし、また、「戦争」そのものとは、あらぬ方向に筆が滑っているのだ。しかし、作者の意図は、「戦争」の提示ではなく、たまたま「戦争」に傷ついたモミイチを登場させることによって、人間の内在的価値を語りたかったのではないだろうか。モミイチの「戦争時代」は、その長篇の中で、わずかに10頁弱のスペースしか与えられていない。それは、ある主題にむかって、一せいに楽器が鳴りひびくための導入にすぎない。それは、楽譜台をかすかに叩くタクトの音である。
 もちろん、序奏から終楽章まで、ツキスミのひづめの音は、一貫して流れている。ピアニッシモからフォルテへ、さらにフォルテッシモへ、モミイチの幻想の世界が、流星に彩られた華麗な現実に転化し終るまで、わたしたちは、その音を聞き続ける。
 ある主題・・・・・・とわたしは記したが、それは、モミイチが、たまたま踏みこんだ谷間の草原のジプシーたちの世界の提示である。クラリネット、ティンパニー、フルート、ホルン、アンコロン、ヴァイオリンという楽器名で、人びとがその相手を呼びあう世界。経済的には、物々交換と相互扶助に支えられた共同体。それぞれが、その個性を、なんの規制もなく発揮しうる理想郷である。この世界に、あるいは、この世界の住人たちに加わるために、もし、許可証というものが要るとすれば、それは、愛のあかしである。と同時に「戦争」の醜悪さと悲惨さとを、その記憶の中から消し去ることでもある。モミイチは、ツキスミという馬を愛することによって、また、幻想的なアンボン島の記憶以外は一切忘れ去ることによって、この世界への参加が許される。そして、この世界に内在するものは、すべて「予定調和」の静謐な論理である。それぞれの人間が、そのあるべき所に存在し、それぞれの人間が相互に犯しあうことなく、生存し、それぞれの好むところに従って、各自の楽器を吹きならす。それは、時には、ゆるやかな旋律をつくり、時には、重厚なシンフォニイをつくりだす。いったい、このことは何を意味するのだろう。わたしは、このジプシーの世界を指して、作者が、ツキスミという「過去」の「軍馬」に絶対的価値を付与し、それを追い求めるモミイチという戦争犠牲者(いやなことばだが)の、報われることのなかった献身的半生を、ここで救いあげ報われるものにした――と言うべきなのだろうか。あるいは、モミイチの記憶の中から、戦争の記憶をなくし、いつまでも、戦争と、それに付着する悪の様相を言あげする現代人に、その悪の中で死に果てた人間にも、無視することの出来ない価値があったということを、作者が訴えていると言うべきなのだろうか。
 わたしは、谷間の草原で、モミイチが、はじめてジプシーたちに出会った時、そのジプシーたちが、もとモミイチの所属していた部隊の兵士たちに、そっくりだったという箇所を思い出す。よく見れば、それは、どこか違っていたと言うようにも書いてあるが、そこには否定しようのない兵士たちの似姿がある。もし、モミイチの出会ったジプシーたちが、かつてのモミイチの上官や軍医であるとすれば、階級制度の厳しい軍隊のことである。モミイチは、敬礼し、軍靴のかかとを、音高く合わさなければならない。しかし、かれらはもはや、かつての軍人ではなく、快く、モミイチを、仲間のように迎え入れてくれるのである。この、かつての上官そっくりの、しかもどこか違った自由な住人たち。ただ、その欲するところに従って、それぞれの楽器で共鳴し合うジプシーたち。これは、死者の存在である。死は、静謐であり、相互に侵犯し合うことはない。モミイチもまた、常識的な日常生活の次元では「記憶を喪失する」ことによって「生けるしかばね」である。そして、生ける死者モミイチと、死せる生者ジピシーたちとは、その破壊され、抹殺された「過去」を媒介にして、谷間の草原――星の牧場で交流する。その『星の牧場』でこそ、死者は、その権利と価値を復活させることが出来るのであり、生者の獲得しえなかった「人間性」を、ストレートに提示しあえるのである。
 わたしは、ここに、鎮魂曲を聞くことは出来ても、いわゆる「戦争」児童文学と人の言う内容を読みとることは出来ない。なぜなら「戦争」児童文学とは、戦争(いや、戦闘の中での人間関係)だけを描くものではなく、また、戦争犠牲者へのミサでもなく、それは、今日ただ今の状況の中で、わたしたちの中にある「戦争」の意味を問いつめるものだと思うからである。それは死者を語ることではなく、生者を語ることであり、死者を語る場合も、それらは、生者の中に葛藤をまきおこすものでなければならない。完結した死の重みは(いや、未定の死の重みも)安らかに墓地の下に眠ることなく、怨霊となっても、わたしたちをゆすぶり、うめかせる時にのみ、その価値を復権する。(テキストファイル化秋山トモコ)


*月*日

 美しいものになら、ほほ笑むがよい――と言ったのは、立原道造だったか。『星の牧場』は、死者を美しいものとして、現状況から隔絶した地点に安置する。わたしが、『雲の中のにじ』を『星の牧場』より高く評価する……というのは、『雲の中のにじ』には、「戦争」の止揚ということが考えられているからだ。
 ベイルートからダマスカス、ルトバからバクダッドまで、三人の男をのせたジープが疾走する。イネ、日本人。ビルマ戦線に参加。キャタビラ、ドイツ人。もとドイツ軍ロンメル将軍指揮下の戦車隊軍曹。アレキサンドリア付近の戦闘で右腕をなくし、廃虚と化した故郷に復員した時には家族死去。キャメル、フランス人画家。バビロニア発掘調査隊取材のために同行。
 この物語には、旧約聖書が、人間の個別体験を止揚するために重要な役割を果している。しかし、わたしには、三人の国籍の違った男が、砂漠の嵐にまきこまれて、ノアの方舟の話を思いおこす点に感動しても、その神の話を受け入れるだけの内容がない。わたしに解ることは、ここに三人の相互に隔絶した個体験があり、それぞれ、「過去」の長い時間の中で、戦争に加担した、いやされがたい特殊体験を、その国籍と共に付着させているということである。それは統合不可能な極限状況を背おっているということであり、それぞれの人物が、それぞれの所属する国家の志向性を、戦争という行為の中で、具現してきたということである。もし一台のジープが、ベイルートからバクダッドに向かって、一九五二年十月二十二日、レバノンを出国しなかったなら、イネも、キャタビラも、キャメルも、それぞれのナショナリズムの枠の中に停滞し、その戦争体験は個別化したまま、ディスコミュニケートな関係を保っていただろう。
 作者は、この一台のジープを、砂漠の嵐の中に投げこむ。三人の登場人物は、それぞれの国籍、あるいは、特殊な個体験に固執していては、その嵐をのり切れないことを悟る。過去の極限状況は、今、自分たちに襲いかかっている共通の危機に対して、絶対的な意味を持ちえない。日本人であること、ドイツ人であること、あるいは、フランス人であることは、嵐にとって無意味である。そこには、国籍や個体験を超えた共通の極限状況があり、それに対処しうるのは、人間の共同意識である。三人は、国家意識を超えねばならない。それぞれが背おっている「悪」を――個体験として定着していた戦争の傷あとを、「善」に――生き抜くことに、協力して目前の自然の猛威と闘うことに、ふりむけねば
ならない。
 「悪」を「善」に――と、二元論ふうに記したが、これは、嵐という共通体験を前にして、これらの人物が、ノアの方舟の完成したあとの大豪雨と洪水を思い浮かべ、それを、悪を切りすて善を生かす神の努力であり、摂理であると考えるところからきている。
 わたしの中には、たぶんに、こうした神の声は聞こえない。しかし、神の声は聞こえなくても、この物語の中から、作者が戦争にまつわる個体験への固執を止揚して、共通の人類意識にまで到達させようとしている苦闘の声は聞こえる。ナショナルなものを、インターナショナルなものへ……と言うのはやさしい。そして、具体的には、インターナショナルな発想の基底に、ナショナルな心情が抜きがたく付着している現状況を知らないわけではない。 しかし、たとえ『雲の中のにじ』が、やがては、はかなく消えるにじであるとしても、庄野英二が、この作品において、(神神の声を借りたにせよ)「戦争」を「戦後」の問題として提示し、それを個体験への固執からの脱出という方向で描きあげたことは、わたしに、『星の牧場』以上の感動を与える。なぜ、人は、『星の牧場』を「戦争児童文学」と呼び、『雲の中のにじ』を、そうは呼ばないのだろう。
もし、『雲の中のにじ』を宗教的なオプティミズムと考えるのなら、当然、『星の牧場』も、その「戦争児童文学」のカテゴリーからはずさなければならないだろう。
 ただ、わたしは、『雲の中のにじ』に、手放しで感動しているのではない。手放しで感動するには、あまりにも、この物語の人物たちは、その個体験をそれぞれ自己のものだけに限定しすぎている。と言うことは、日本人のイネが、ビルマ戦線に参加したことも、ドイツ人のキャタビラが、北アフリカの戦線に参加したことも、ただ、その戦場に参加したということだけにとどまっているということである。もちろん、キャタビラは、戦争の代償として、右手と家族を失った。それだけで、十分すぎる傷痕と言えば言えるだろうが、どうして、キャタビラは、その右手の無いことから、ナチスを信じて死んでいった同世代の若ものたちのことを考えないのだろう。キャタビラは、ふっと、あるはずのない右手に感覚のよみがえるのを覚える。その手に、妹から、リンゴを受け取る幻想につつまれる。母が、そっと、右手をさすってくれたり、魚つりで指をいためた妹をその右手でいたわったりする夢を見る。このエピソード自体は、わたしの胸を打つが、この感動は、同時にわたしを不安にかりたてる。静かに「戦争」を「個人」の中で処理する美しさ。戦闘や戦場そのものには出会ったが、ついに「戦争」そのものを凝視することのなかった個人。崩壊したナチスを激しく憎み、あるいは、その鍵十字の旗の下で死んでいった家族たちの生の意味をつきつめ得ない個体験。それは、どうしてナショナルなものを象徴しうるか……という疑問である。ナショナルなものを象徴しない以上、それが転化しうる手がかりは閉されているのではないのか……。
 わたしは、作者の意図や試みを高く評価しながらもそれぞれの個体験をつきつめ得ずに、巧みに、ナショナルなものから、インターナショナルなものに主人公たちを転化させていく点にこだわる。それは、『星の牧場』のモミイチが、ジプシーたちのいる死の静けさの中でのみ、「記憶喪失」という「戦争」の送り物を、忘れることが出来たことや、また、戦争にまつわる一切の悲惨さが、モミイチ個人の記憶の底に、「喪失」という形で処理されたことにも通じる疑問である。

*月*日

 モミイチは、失われた時を求めて旅立たない。同様に、イネもキャタビラも、過去を問うことよりも、未来に向かって飛び立つことのみを考える。しかし、過去を問うことは、過去の事蹟を墓碑銘として刻むことだろうか。起点の定かでない航行は、到達点もまた定かでない漂流と同じである。「戦後」ということばが、「現代」ということばに置きかえられない限り、戦争時代という過去は付着する。その過去に遡行することは、水木しげるの怪奇漫画ではないが、墓をあばき、怨霊の存在することを生者に知らしめることである。「もうひとつの夏」が、そこに息づいている。この夏の日の蝉しぐれの、気だるい昼下りの中に、「ぼく」と由起子の砂遊びをするN海岸の中に、崩れおちたもう一つの夏がひそんでいる。
 言うまでもなく、わたしは、那須田稔の作品『もうひとつの夏』(昭42・実業之日本社)のことを言っているのである。作者は言う。「ところで、考えてみると、わたしはさいしょの作品、戦争期の中国大陸を背景にした『ぼくらの出航』いらい、日本へのはるかな旅をおもいめぐらしていたようである。やはり中国大陸でのふしぎな事件をえがいた前作『シラカバと少女』を経て、この物語で、ようやく海をこえ、日本へ上陸したおもいが、いましている。」
このくだりを読んで、わたしは、今さらながら、≪はるばるきたぜ、函館へ≫という歌の実感が≪さかまく波を、のりこえて≫ということばと共に身に迫ってくるのである。それは、作者のことばどおり、物語の舞台が、敗戦前後のハルピン市街から、また、国境の村グアンノンシャンから、やっと、日本のN海岸まで移ってきたというからではない。『ぼくらの出航』(昭37・講談社)においては、敗戦の混乱という「戦争体験」それ自体に、主人公の少年、ヤマザキ・タダシを密着させて提示した作者が、『もうひとつの夏』では、そうした「戦争体験」から、絶縁した現代っ子の中に、「戦争とは何であるか」という問いかけを持ち込んできたという点で、≪はるばるきたぜ≫と思うのである。少くとも『ぼくらの出航』においては、タダシ少年は、作者の分身ともいえる要素を内包し、作者は作者で、自分が身近に体験し見聞したその「個体験」を、形象化した。父は連れ去られ、母は病死し、チャン親方の酒場で働いたり、せむし男とカッパライに出かけるタダシ少年に仮託し、投影した。敗戦当時、中学一年だったという作者が、その「あとがき」で、「ぼくはシャツ一まいで、げたをつっかけたまま、ぎらぎらかがやく八月の大陸の空の下を、おろおろと歩きまわりました。そのとき横あいから、中国や朝鮮の少年少女の一群がとびだして、ぼくを、あっというまに、なかまにひきずりこんでしまったのです。おそろしくいせいのいいかれらは、ぼろぼろの着物をきているのに、まるで王さまのように自信たっぷりで、威風堂々と、混乱した町をのし歩きました。(中略)ぼくは、それらのたくましい友人たちに勇気づけられ、ぼくらのゆくてをはばむ現実の荒ら海とかくとうをはじめました。かくとうすることによって、ぼくらは、ぼくらをとりまいている現実という怪
物が、どんなかっこうをしているものであるかが、すこしずつわかってきました。ぼくらが歩けば、闇の底に沈んでいるほんとうの世界が、あかるくかがやくようでした。ぼくらは、じぶんたちが一本のたいまつのように感じたものでした。」と書いていることによって解る。
 この「個体験」が、物語の中では、開拓団の少年スズキ・ゴロウを救い、沈没船を根城にして、朝鮮人のサイやキム、あるいは、中国人のチンと共同して、かっぱらいや商売をやる話に結実していく。
 もちろん、作者の描きあげたのは、インターナショナルな浮浪児の行動ではない。逆に、戦争によって孤立化し、浮浪化した少年の一団が、かっぱらいや商売を通して、狭いナショナルな枠をつき破り、インターナショナルな共同体へ目ざしていく過程を描いているのだ。そして、戦後十七年目に、この少年少女たちの内包していた未来への可能性を、作者が『ぼくらの出航』として提示した時、たしかに、敗戦直後の混乱の中において内在していたかにみえるインターナショナルなものへの可能性は、たとえば、『思想の科学』天皇制特集号の廃棄事件にみられるように、その時点で、すでに抬頭しはじめたナショナルな枠組みによって否定され始めていたのである。
 作者は、『ぼくらの出航』から『シラカバと少女』(昭40・実業之日本社)まで遡行しなければならない。ただ、出航すべきはずの「戦後児童文学」が、敗戦の時点から、昭和十九年のグアンノンシャンという国境の村まで、遡行することによって「戦争児童文学」を生み出したということは、後退だろうか。輝かしい「戦後」にむかって「ぼくらの出航」を企てた作者が、それを阻止する状況の復活を見た時、そうした状況につながるはずの「戦争」と「戦争時代」に、ふりもどっても、リー・ミンチュウの物語を書かずにいられなかったことは、起点の確認である。作者は、敗戦による変に明るいインターナショナルな共同体を、ナショナリズムの横行する国境の村に移行することによって、その重圧下でも、なお、抗日的少年シンシンと手を握り合うことの出来ることを確認したのである。
 作者は、作者自身の「個体験」を、『ぼくらの出航』のように、直接、主人公の上に投影することから離れようとする。そして『もうひとつの夏』では、主人公の「ぼく」は、ミンチュウやリンリンやシャオマーといっしょに、サラ老人の魔法学校で学んだ「ぼく」とは、全く異質の「ぼく」として提示される。
作者の分身は、『もうひとつの夏』では「ぼく」の影にひそむ。「ぼく」は、『ぼくらの出航』や『シラカバと少女』において果した役割を、……つまり、戦争の凝視者、戦争体験者であることを、はずされる。
 しかし、この「ぼく」が、戦争から隔絶された現代っ子であることによって、「個体験」に密着した戦争を超えようとする。朝鮮の少年を登場させることによって、戦争とは全く無縁の「ぼく」に、作者の「個体験」の中に息づいている「戦争」を継承させようとする。それは、小さな木ぼりのナイフと、海岸に打ちすてられたトーチカを媒介として行なわれる。『雲の中のにじ』では、それぞれの「個体験」が、人類意識といった方向に拡散されていったが、那須田稔の場合は、『ぼくらの出航』にみられるように、インターナショナルな意識から出発して、逆に、「個体験」の意味の問いかけへ、さらに、その「個体験」を、継承すべき日本の共通体験として提示していくのである。
 わたしは、もちろん、那須田稔の場合、旧満州国のハルピンが起点であって、日本のN海岸が到達点である……といったような考え方には組しない。いわんや、動乱の大陸で、かっぱらいをはじめたヤマザキ・タダシが起点で、由起子と塩つくりをする「ぼく」が到達点であるといった考え方で、「児童文学史」が成立するとは思っていない。≪さかまく波を、のりこえて≫ということは、起点の問題を、到達点まで一貫して持ちこしてきたということであり、作者の「個体験」を、戦争未体験世代の中にまで、じりじりと追いつめてきたということでもある。とすれば、到達点とは、常に、起点の問題に立ちかえり、起点の問題を内包している故に「到達点」と呼べるのであって、それは、決して一本の線、あるいは地理的な平面感覚では、すくいあげられるものではないということになる。
 『あほうの星』(昭39・理論社)の第三話『鳩の笛』で、日本帝国軍人になりきろうとしても、なりきることを許されなかった朝鮮人・宮田上等兵を描いた長崎源之助。この作者が、『ヒョコタン山羊』(昭41・理論社)で、金山秀吉こと通称キンサンまで遡行したことも、わたしに、右のことを確認させる。
中国戦線から、清水谷とよばれるトサツ場まで、また、兵士たちの物語から、コウちゃんやカメちゃんやゲンちゃんのあばれまわる少年時代まで、作者が遡行するということは、起点の確認なのである。
 児童文学者の、もっとも新しい作品集が、新しいということによってだけ、到達点などと呼びうるであろうか。もし、そうしたものがあるとすれば、そうした児童文学史を、わたしは、どんな目で眺めればいいのだろう。

*月*日

 雑誌「日本児童文学」8月号を読む。すべて世は、事もなし。山崎正和の『このアメリカ』を読了。胃カメラ、第二回目。夜、テレビで水前寺清子を見る。ツマラナイ……。(テキストファイル化杉本 恵三子)