はじめに

『私の児童文学ノート』(上野瞭 理論社 1970)

           
         
         
         
         
         
         
    


 「日本わすれ」ということばがある。
子どものブックリストをめぐっての話だが、そこに、ずらりと海外の子どもの本がならぶ。翻訳児童図書がならべられる。いったい、日本の作家による日本の子どもの本はどうなっているのか。おわすれではないのか。そういった一種のナショナルな指摘だが、ぼくは、この一冊のノートを整理しながら、そのことばを思い出さないわけにはいかなかった。このノートもまた、見方によれば、はなはだ「日本わすれ」的おもむきを持っていたからである。取り上げた作品の比重から言えば、だんぜん海の向こうのものが多い。「日本わすれ」のそしりをまぬがれがたい。さしずめ、山下夕美子の描く魅力ある『ごめんねぼっこ』なら、ゴメンネと言ってまわりそうな気がする。本人になりかわり、ナショナルな発想に、頭をさげてまわるところだな、と思う。

 しかし、さきの『戦後児童文学論』において、たぶんに「外国わすれ」のような地点に自分を追いあげたぼくとしては、そうそう『ごめんねぼっこ』の真似をするわけにはいかないのだ。もし、『ごめんねぼっこ』の登場を願うとすれば、それは、ナショナルな発想法にむけてではなく、インターナショナルなそれにむけてでなければなるまい。そう思う。「日本わすれ」の「わすれ方」の不完全さに、いささか、自己批判をさえしているからである。不完全にしか「わすれなかった」こと、ゴメンネである。

 こう言えば、まさしく典型的な「日本わすれ」という、せっかちな声のかかりそうな気もする。だが、いったい、今日の「日本わすれ」を指摘する発想法が、はたして明日も「日本わすれ」を指摘する側に位置するものかどうか。今日の指摘者が、明日の「日本わすれ」にならないとは、だれも言いきることはできないのである。

 ピート・シーガーの『腰まで泥まみれ』を、中川五郎がみずからの訳詞で歌いあげた時、かれの肉声は、ナショナルな発想法を突き抜けると同時に、「日本わすれ」をも問いつめたのではないのか。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』や、アラン・シリトーの『屑屋の娘』が、「日本わすれ」を生むのではない。これらを触媒化し得ない単眼の発想が、近視眼的「日本わすれ」を生みおとすのだ。とすれば、ジョン・ロウ・タウンゼンドの『さよならジャングル街』を、発想のこちら側に持っているか、むこう側に押しやっているかで、日本の子どもの本の場合も変わってくる。

 子どもが三年間おもちゃをこわす時期をすごすからといって、十五歳になると、耐火金庫の破壊者になるわけではない。そう言ったのは、チュコフスキーだ。海のむこうの本を読みすぎるからといって、十五歳になると、「日本わすれ」になるわけでもあるまい。

テキストファイル化小澤直子