“問題関心”の周辺マップ <その1>
原 のぶ子




 問題関心をはっきりさせることは、やり始めてみると、想像以上にむずかしいことがわかってくる。自分は何がわからないのか、何を知ろうとしているのか、それを明らかにすることは、自分自身を知っていくことを意味するからだ。
 だから、やり方が、むずかしい。例えば、空はなぜ青いのか、リンゴはなぜ落ちるのか、という疑問が、自分の中に湧いてきた場合、そこから出発して世界を解明していくことは可能だろう。しかし、対象が漠として流動している場合、それを好きかってに切り取ること自体が、ある方向性を持つことになってしまうだろうし、自分ではそのつもりがないのに、案外わかりきった結論にたどりつくしかない道を歩いているのかもしれないのだ。
 そんなことを危惧しながら、グズグズと周辺を散策してみようと思っている。

A 森忠明の“存在”について

 森花行は、小学6年生の、父子家庭の少年だ。両親が離婚しているので、その実家を含めて家が四つあると思っている。一人ぐらしの母の家を訪ねて、デザインの仕事で生計をたてている母に、「どんなに死にたいと思っても、心臓って止まってくれない」と話されたりする。両方の祖母とも親交を保ち、彼の関心は学校生活よりもそちらの方へ傾いていて、運動会を見に来るおばあちゃんのために、すぐわかるように赤のTシャツで出場したりする。
 彼は、幼稚園の頃、姉が脳シュヨウで死んだとき、悲しかった反面、「死んでくれてよかった。これでぼくだけがかわいがられる」と思ったことを記憶している。東京タワーを見れば、いつかはこのばかでかい鉄塔が、くずれ落ちることを考えて気分が悪くなるし、運動会のような、みんながうかれているようなときには、それが終わった時のつまらなさやさびしさを思って、心の底から楽しめずにいる。こずかいで、おばあちゃんを東京タワーに連れて行くのも、後で後悔しないためだし、結局は自分の気休めのためだとわかってもいる。
 同時に彼は、ウオノメ手術の医者に対して「先生、もうやめてくれっ」という言葉で話し、詩が落選すれば自分の落選詩集を出版することを考え、父親の帰宅が遅ければ、一人でフロをわかして夕飯をすませる、自立した生活感覚の持ち主でもある。
「長生きする予感がないので、小学生のうちから人生をたっぷり楽しませてもらいたい」(p67)と宣言する彼は、「おれたち人間て、なんのために生まれてきたんだと思う?」とたえず自問したりもしている。

 森忠明が、「風はおまえをわすれない」という作品で、この森花行を創り出したのは、1977年だった。この時期、彼の描いた主人公は、総じておじいちゃんやおばあちゃんとの関係性が非常に濃く、全体的に“死”への意識の非常に強い子ども像だったように思える。それは、作者の持っているテーマといっても過言ではないような印象を受けた。
 【1975 きみはサヨナラ族か  1976 あしたのぼくらはだれだろう  1977 風はおまえをわすれない】
 こういう一連の作品で創出された子ども像は当時、大人と子どもの双方の読者から(ごく一部の熱狂的なファンを除いて)、とまどいと、一種の嫌悪をもって迎えられたのではないだろうか。子どもはこんなもんじゃないと、こんなやつはいない、といったふうに。
 次に、そこから出てくる問題を整理してみたい。

(1)……
 “死”を意識するということが、人が変容(成長)する上で、どういう意味を持つのかを考えている。他人の死ではなく、自分の死をきちんと意識することを、それまでの児童文学作品はやっていたかどうか。そのことの意味を重要視する作家がどのくらいいたのか、ということ。
(2)……
 同時に、「人はなんのために生きるのか」という問いは、当然二つの方向性を持つ。なにをしてもどうせ死ぬんだという、ペシミスティックな観念論の方向と、限定された時間の中での、生の積極的な肯定の方向と。後者であるならば、そういう場合の自我のありよう(自我の変容の仕方)は、どうだったのか。作者は、20年にわたって作品を描き進めていくなかで、そのことについての考え方(思想)を、どうおし進めているのか(つまり、90年代作品群との比較)。
 【1992 どてかぼちゃ戦争 1993 あいつのリンドバーグ・ジャケット 1994 ローン・レンジャーの思い出 1997 グリーン・アイズ】
(3)……
 「おねえちゃんが死んでくれてよかった。これからはぼくだけがかわいがられるぞ」
(p11)という思い自体は、そう特別なものではないだろう。しかし、自分の中のそういう本音をさぐりだし、きちんと意識化してしまう方法は、今日では多くのこどもが身につけてきている。20年以上も前に、すでにそういうことを見せてくれた作者の先見性は特筆すべきだが、それ以上に、こういう“自己認識の仕方”に非常に興味があって、それが70年代の問題を考える上で、最も中心になるような気がしてしまう。
(4)……
 先に、「一部の熱狂的なファンを除いて」という言葉を使ったが、これは本来あるべき姿なのではないだろうか。多くの人に読まれるのではない、作者と読者の濃密な関係は、今後の文学の存在の仕方に関わってくるのではないか(森忠明の作品は、読者を限定してしまう。作者になんらかの形でシンクロしたものだけが、彼の世界を共有する、そういうあり方)。
 ここで問題なのは、“わかる”ということなのだろう。スキでもなく、リカイスルでもなければ、“共振”なのかもしれない。
(5)……
 森忠明の作品で、この時期一番完成度が高いように思われるのは、「花をくわえてどこへいく」(1981年)であると思っている。この作品で創り出された、少年が「心のだるさ」を抱え込むというテーマが、その後どう発展させられていくのか、それをAとの関連でさぐりだしたい。


B “ほんとうの自分”について

 “自然体”という言葉をよく耳にしたのは、80年代だったように記憶している(芸能人が、テレビでよく使っていた)。
 若者を中心にしたロック・バンドが“ありのまま”の自分を積極的に肯定した内容の歌で、多くのファンを獲得したのも、主に80年代だったと思う。
1983 尾崎豊「17才の地図」(15の夜)所収
1987 ブルー・ハーツ「ヤング・アンド・プリティ」(ロクデナシ)所収
 ついでに、
1987 吉本ばなな「キッチン」
1988 村上春樹ノルウェイの森
 自然体、ありのまま、自分らしさ、これらの言葉に共通するものは、自己の中にある“本音”に絶対的な価値を置くという認識である(“いやし”という言葉が、心理学の分野を中心にして、爆発的に噴出してくるのは、90年代だろう。自己肯定という言葉が使われだすのも、その頃ではないか。とにかく、自然体が一番古いという印象がある)。
 しかし、この“本音”や“ほんとうの自分”という認識の仕方には、大きく分けて、二つの問題が発生する。一つは、“ほんとう”というものをどうとらえるのかについての、哲学上の問題だ。“真理”の概念という言葉に置きかえてみるとよくわかる。真理を、客観的に存在するものとしてとらえるのか、又は、そんなものは存在していないという一種の相対主義の立場をとるのか、又は、真理は人間相互の「妥当」性の上に成り立つ流動的なものとしてとらえるのか。ここのところは、現代思想の最も先鋭な課題のひとつになっている部分だろう。
 同時に、“ほんとう”の自分という自己認識の仕方は、自我の問題として、人間が“成長”(変容)することと深く関わってしまう。特に児童文学のジャンルでは、そういう自我の形成が、“大人”になっていくという「成長概念」の問題として、表れてくるだろうと考えている。
 80年代からのこの思想的変化を、どう位置づけるのか。それが“自己肯定”という言葉の中味を創りだしていく一つの道だという気がしている。

「児童文学評論UNIT2001」No.1 2000/01