これからの日本児童文学へ

佐々木江利子

           
         
         
         
         
         
         
     
 日本の児童文学について、夫に日頃言われ続けていることがある。「児童文
学」と日頃接点のない第三者的立場の四十代男性の意見として大事かもしれな
いので、今回寄稿してもらったら、右のようなものが出てきた。

 ランサムクラブというイギリス児童文学作家のファングループがあり、私は
月一度そこに顔を出しています。主に三十代から四十代の男女十数人が御茶の
水の喫茶店に集まって、どうしたこうしたと情報を交換します。毎月そこに行
っているので、話に標準的流れがあることが分かってきました。おおむね以下
のようなものです。
 まずは自分が子どもだったころ好きだった作品を持ちだします。世代的な面
から六十年代、七十年代に出た作品がメインとなり、はじめは当然ランサムの
作品「ツバメ号シリーズ」についてあれこれ言います。他の作品では、リンド
グレーン、ルイスのナルニア国、トールキンなど出てくることが多い。ヤンソ
ンのムーミンなどが語られることもあります。その先はたいていマンガに移り
ます。そして本から離れ、帆船やキャンプ、ランサムの物語の舞台であるイギ
リス湖水地方について情報を交換し、話題は元へと戻っていきます。
 このことから実感するのは、私の世代の元本を読む子ども達が大事に思っ
ているのは、岩波・福音館系の海外児童文学作品や日本のマンガ本だというこ
とです。これは自分自身を振り返っても確かにそうで、小学校高学年のころ読
んだ少年マガジン(編集長・内田勝)やヤンソン、ランサムは今日でもど
ちらも同じくらい、まことに大事」です。しかしそれ以外、いろいろ読んだは
ずの日本の児童文学作品については再読せず、みなとうに忘れてしまいました。
金、銀色の大きな丸シールが貼ってあって、装丁をじゃましているなと子ども
ながら感じたことなどを覚えてるばかりです。課題とか必読とか記されていた
アレです。課題必読という語の押しつけがましさには思い返すだに辟易し
ます。(小林 新)

 欧米の作品や、マンガの方が面白いとか、課題図書や必読図書と評される作
品と子ども読者の欲求のズレなどは、誰しもどこかでが耳にしたことがある話
だろう。〈元「本を読む子ども」達〉に声を大にして薦められる作品も、現在
の私にはこれというものがない。
 ではなぜ、こうして児童文学の批評を志しているのかといえば、日本の児童
文学がもっと面白くなってほしいからだ。そのために、手ぐすね引いて待つの
を止めたいのだ。
 二〇〇〇年代初めの年にあたり、(夫がなんといおうが)日本の児童文学の
応援席側に立つことを、決意表明しておきたい。
【児童文学評論UNIT2001 3号】