「戦争」をはさむということ
―池田宣政の伝記について―

奥山 恵

           
         
         
         
         
         
         
     
 戦前・戦中期、子ども向けの伝記が、戦時にふさわしい英雄をとりあげて読者を好戦的な思考に導いたことは広く知られている。その事実は、つい最近出版された勝尾金弥『伝記児童文学のあゆみ――1891から1945年――』(ミネルヴァ書房、一九九九)でも詳細に論じられている。
 では、戦後はどうなったのだろう。私たちの想像力は、敗戦の後、そのような好戦的な伝記は見直され、民主主義の時代にふさわしい新しい人物、新しい書き方へと変容をとげたであろうと思わせる。もちろん、戦後の伝記にもいろいろな問題はある。「類型性」や
「偽善性」のみならず、大人である作者からの「教訓や一方的励ましに満ちた物語」枠のもつ弱さについては、すでに指摘されてもいる(藤田のぼる『児童文学に今を問う』、教育出版センター、一九九〇)。ただ、ことナショナリズムに関する限りは、戦争を経て、その反省のもとに、伝記もなんらかの進歩をとげたはずだと、私たちの大まかな想像力は考えさせる。
 しかし、こうした大まかな把握は、戦争をはさむということ、戦争を体験するということが、文学にもたらすものをほんとうに知ったことになるのだろうか。いや、そもそも、戦争を体験することが、書くということにおいて、一様に本質的な変化をもたらすのかどうか。伝記という文学が、読者を戦争に駆り立てる道具になり得たことを、改めて恐れるなら、大まかな想像力や数の把握ではなく、もっとひとりひとりの伝記作者に即して、それぞれの固有の仕事を見ていく必要があると思われてならない。なぜなら、今を生きる私自身もまた、固有にナショナリズムを考え、固有に対していく他ない――ほんとうはいろいろな制約や無意識の要素に動かされていると一方で知りつつ――存在だからだ。
 そういう問題意識に立つとき、まず私の頭に浮かんでくる伝記作者といえば、池田宣政である。たとえば、池田は、太平洋戦争に突入する直前の一九四一年八月に『ヒツトラー』(偕成社)という伝記を出版している。その中には、ユダヤ人に対する次のようなくだりがあった。
《彼等の中には偉大な科学者、文学者もある。けれど、彼等のほとんど全部はけだもののやうな欲ばりもので、金銭のためにはどんな不人情なことも平気で行ふのである。(中略)/しかも自己の利益のためには手段をえらばず、各国の間に戦争をおこさせて、そのどさくさまぎれに戦時成金となつたものも多いのである。/前の世界大戦にもそんなことがあつた。その上、彼等は各国が戦争につかれて、ほろびるのを待つて、ユダヤ王国をうち立てようといふ、おそるべき大陰謀をいだいてゐるのである。/彼等は世界平和の敵であり、人類のかたきなのである。》
それゆえ、ヒツトラーは、《実に徹底》してユダヤ人を排斥し、《ドイツ民族のすぐれた性質》を発展させるために、《大ドイツ国の建設に努力をつづけて行つた》というのである。現在の目から見た、こうした記述の適否はいまはおく。それよりも気になるのは、この伝記から十年後の一九五一年、池田が、伝記『マッカーサー元帥』(妙義出版社)の中で、次のように書いていることである。
 《第二次世界大戦は第一次世界大戦におとらない全人類の大悲劇、大ドラマであった。 暴力と正義の血みどろのたたかいであり、悪魔と天使との必死のあらそいであった。/それは当時、世界の二大専制者であったドイツのヒットラーひきいるナチスとイタリヤのムッソリーニをかしらにいただくファシストと日本の軍国主義とが全人類にいどみかけた不正不義のたたかいであった。(中略)/全世界の民主主義者はこの危険にたいして敢然と立った。この大悲劇、大ドラマの中へマッカーサー元帥は登場したのである。》
 戦後に書かれたこの伝記では、ヒットラーの行為についての説明は、百八十度転回している。では、戦争をはさむ十年間で、池田のナショナリズムへの意識は大きく変わったのだろうか。あいかわらず、世界を悪しきものと善きものの対立で捉えようとする構図にのせて、そのときに世間の中で多数の者が支持している戦争理解をそのまま自分の理解にしているだけなのではないか。あまりに両極端な二つの伝記を読むにつけ、そんな思いがわいてくる。
 とはいえ、対照的なこの二つの伝記だけを見て、ただちに判断を下すのは性急だろう。ここで、私の興味は、池田宣政のリンカーン伝へと向かう。池田は、リンカーン伝を戦争をはさんで約三十五年にわたり、何度も書き直しては出版している。その書き変えの過程を辿ることで、この作者の戦争をはさむ思考のありようをより細かく見ることができるのではないかと思うのだ。

 池田がはじめて書いたリンカーン伝は、一九二九(昭和四)年一月から六月、『少年倶楽部』に六回にわたり連載された「リンカーン物語」である。はじめの三回が、荒野を開拓しながら貧しい日々を過ごしたリンカーンの少年時代を描いており、早くに母を亡くし二人目の母を迎えたことや、ワシントンの伝記に感銘を受けたこと、子供たちがいじめているハリネズミを助けたことなど、苦しい生活ながらも知性と思いやりを失わなかった子ども時代が語られている。連載四回目では、青年になったリンカーンが船商人や雑貨店の店員や郵便局長などをしながら、奴隷市の悲惨さを知り、政治に目覚めていく。そして第五回で大統領になり南北戦争勃発、最終回では、南北戦争中のひとりの少年兵をめぐるエピソードが語られてやがて勝利を得、黒人のよろこびもつかのま、リンカーンの暗殺で終わる、という展開になっている。限られた連載回数の中で、子ども時代により比重がおかれていること(この傾向は一九三一年「講談社の絵本」シリーズの一冊として出版された池田宣政文・梁川剛一絵『リンカーン』からも伺える)、また、南北戦争についてもひとりの少年兵のエピソードを中心にすえて語っ ていることが特徴的といえる。ちなみに、少年兵の名はスコット。体の弱い友人の代わりに歩哨に立ち、疲れに耐え切れず眠ってしまって銃殺の刑に処せられたが、妹がリンカーンに直訴したため助けられたというリンカーン伝ではおなじみのエピソードでもある。
 さて、この連載をもとに、池田は翌一九三〇(昭和5)年、大日本雄弁会講談社から『リンカーン物語』を出版する。分量としては、連載全体の約二倍。「少年時代」から「青年時代」にかけては、連載の一回から四回をほぼ生かしており、「壮年時代」すなわち郵便局長ののち、弁護士となって働きながら政治活動を続けた時代について大幅に加筆されている。しかし、より興味深いのは、南北戦争中の兵士のエピソードがさらに増えている点である。まず、グラント将軍の部下として働いたフランク少年兵の話。フランクは、グラント将軍がこっそり故郷の母親に送金してくれたことに感激し、《閣下のためなら私は命を惜しいとは思ひません》と、敵の包囲を突破して、援軍要請の密書を届ける《決死の使者》の危険な役を見事に果たし、《小英雄》となる。次に、グラント将軍とともに力を尽くしたミード将軍の部下ハリス兵士の話。ハリスは、かつては奴隷商人であったが、女奴隷とその子どもを引き離してしまい、女奴隷の哀れな最期にはげしく罪の意識を感じる。そのため《南北戦争の起こつた時、奴隷制度に反対して立つた北軍に身を投じ》、《各所に転戦した武功によつて陸軍少佐にまで昇 進したがゲツチスバーグの戦に名誉の戦死を遂げ》る。さらには、『少年倶楽部』連載でのスコット少年兵のエピソードが、ベニイ少年と名前を変えて、よりくわしく描かれている。《これが国の為、正義の為に戦場で敵の弾丸に打たれるのだつたら》と悔やむベニイの手紙、その手紙を携えて妹ブロツサムがリンカーンのもとを訪ね、リンカーンが涙する……。「大統領時代」の南北戦争の記述は、ほぼこの三人の兵士の話で占められているのだ。池田はこの『リンカーン物語』の「序」で、《美しく立派な日本国》を《もつと美しく立派にして呉れるのは諸君なのだ》と読者に呼びかけ、《鋼鉄のやうに強い心の持主》かつ《大きな愛の持主》になってほしいがゆえに、《この偉きい愛の権化、この尊い人道の戦士の物語》を読んでほしいと言う。この「序」と大幅に加筆された兵士のエピソードを併せて読めば、池田においては、国のため、正義のため、上官のため、部下のため、友人のため、家族のため、といった様々な関係がすべて《愛》という言葉をもとに同心円的に位置付けられ、その《愛》のために、自らの命を顧みずに積極的に行動することが尊いと考えられていたことが伺える。この、身近な 存在との繋がりを、一気に国や正義との繋がりと同質化してしまうところに、私は、池田宣政という伝記作者の――戦前のリンカーン伝における――最も危うい部分を見るのだが、さて、その危うさは戦争をはさむことでどう変化しているだろうか。

 一九四六(昭和二一)年、世界社から『リンカーン物語』出版。これが、敗戦後初めての池田のリンカーン伝である。とはいえ、これは三〇年の大日本雄弁会講談社版のものと、内容的には、全く同じである。フランク、ハリス、ベニイの話ももちろんそのまま。さすがに「序」は、新たに書き変えられているものの、《剛健で堅忍不抜、誠実で実行力にとみ愛情ゆたかであふれるばかりの慈悲の持主、しかも、どこまでも心は明るい滑稽家で冗談好きなリンカーン、そして熱烈な愛国心と気高い人類愛の持主であるエブラハム・リンカーン。/ああこのやうな人こそ、いまの日本にほしい人なのではあるまいか》という言葉を読む限り、身近の者への慈悲と愛国心と人類愛といったものが同レベルで語られるこの作者の傾向には変化はないといえるだろう。
 しかし、なにしろこの『リンカーン物語』は敗戦直後のしかも重版のようなものである。そこで、次なるリンカーン伝を見ると、翌一九四七(昭和二二)年から四八年にかけて、池田は少年タイムス社から『エイブ・リンカン』上下を出版している。このリンカーン伝は、まず分量的に『リンカーン物語』の半分以下の長さである。そのため、全体にかなりのエピソードが削られているが、最初の『少年倶楽部』での連載のように少年、青年時代に比重がおかれているということはない。母との死別やハリネズミを助けたこと、奴隷市を見たときの衝撃など若い頃の特徴的なエピソードはもちろんだが、弁護士時代や議員時代のエピソードも残し、大統領時代へと展開する。ここで、注目されるのは、例の南北戦争における兵士たちのエピソードである。まず、上官のために決死の覚悟で働いたフランク少年兵と、《名誉の戦死》を遂げたハリス兵士の話はともに削られている。そのかわりに、ジャックという少年兵の話が加えられている。ジャックの話とは、働き手をなくして苦しんでいたジャックの祖母がリンカーンに孫を戦場から返してほしいと嘆願するエピソードで、リンカーンはその祖母の願いを聞 き入れるのだが、ジャック自身そのことに感激し、かえって《大統領からあづかつた命をお国にささげるために、少年とは思えないほどのいさましい働き》をする。その結果、一時は命さえ危ぶまれるほどの怪我をするが、最期は無事に農夫にもどるという話である。そこでリンカーンはジャックに言う。《土にしたしんで働く》のも《戦場でたたかうのとおなじ愛国心なのだ》と。この『エイブ・リンカン』では、友人を助け、妹に助けられたベニイの話はそのまま残されているが、その点も含めて全体には、戦士としての積極的な働きぶりよりは、あくまで他人を思い、他人のために働く心情の尊さが強調されている。この版のまえがきにあたる「ほんとうの偉人」という文章で池田が《多くの人人の幸福のため》の《大きな愛のま心》こそ偉人たるゆえんだと強調していることと呼応しているといえるだろう。
 戦場での場面が削られるという傾向は、続く一九四九(昭和二四)年から五〇年にかけてむさし書房から出版された『リンカーン 愛と正義の偉人』上下、そして一九五一(昭和二六)年ポプラ社「偉人伝文庫」の一冊として出版された『リンカーン 愛と自由の父』において、さらに強まる。この二冊は内容的には全く同じものだが、分量としては、これまでのリンカーン伝の中で一番長い。そのため、全体には、借金を抱えながら測量技師や弁護士として働いていた時代のこと、黒人問題や、大統領になる前後の時期のより詳細な説明などが加筆されている。また、「人民の、人民による、人民のための政治」という有名な演説があったゲッティスバーグの戦いについてもくわしく書き加えられている。
 では南北戦争における兵士のエピソードはどうなったか。まず、フランクとハリスの話は前作同様削られ、前作のリンカーン伝から加えられたジャックの話が中心的に生かされている。そして、戦前からずっと採用されていたベニイの話が削られ、そのかわりに、リンカーンの息子で戦地に赴いていたロバートへの手紙が加筆されている。その手紙では、《大統領の息子らし》い戦地での奮闘を期待してはいるが、一方で《この米大陸に明かるい平和の光がみなぎ》る日が確信されており、《おまえが武運つよく、ながくお国のために働けるよう父も母も神さまにいのっているのです》というあたりからは、戦争後の国の再建へと期待がかけられている印象を受ける。ジャックの話も、戦場での戦いの後、《土にしたしんで》《新しい土の戦場》で働くことがより強調されている。この二冊のリンカーン伝のまえがき部分では、はじめて《いま、日本では民主主義の波がすさまじい勢でもりあがっている》と《民主主義》なる言葉が登場し、リンカーンとつなげられている。そのような作者の言葉と併せて読むなら、この時期のリンカーン伝は、南北戦争を描きつつも、戦地での働きだけでなく、戦後の国の再 建における《民主主義》的な働き――リンカーンひとりの力ではなく、ひとりひとりの人民の力――が強調されているのが感じられるだろう。削られたベニイの話――銃殺刑になるところをリンカーンに赦されるエピソード――を思い起こせば、ここには再建に役立つイメージはたしかにあまりない。
むろん、この二冊においても、戦場での働きが農業における働きとアナロジーで語られてしまうところ、また、兵士としての働きも人民としての働きも同一に《愛国心》でくくられていくところには、この作者の戦前からつながる危うさを感じる。しかし、戦地でのいさましい兵士の描写が少しずつだが確実に削られてきたところには、戦争をはさんで池田なりの思考の転換があったようにも思えてくる。
 ところが、池田のリンカーン伝にはまだ続きがある。さらに十五年あまりの時をへだてた一九六六(昭和四一年)、ポプラ社の「世界伝記全集」の一冊として出版された『リンカーン』である。このリンカーン伝は、量的には、前のポプラ社版の半分ほどである。そのため、全体に削られている部分は多い。これまで注目してきた南北戦争の部分では、戦地にいる息子ロバートへの手紙は削られている。ジャックの話は残っているが、リンカーンが祖母の嘆願を受け入れて家へ返してやるところで終わっており、兵士として命をかけて戦ったところや、農夫となって土に親しんで働くところは削られている。ところが、その代わりに、歩哨中に眠ってしまって銃殺されそうになった例のベニイの話が復活しているのである。この書き変えをどう読めばいいのだろう。
 戦後二十年近くたち、もはや「民主主義」なる言葉も色あせてきた頃になると、国の再建といったイメージも時流にそぐわないと作者は感じたのかもしれない。このポプラ社版『リンカーン』の「はじめに」には、もはや「民主主義」という言葉はどこにも出てこない。そのかわり強調されているのは、《じぶんのことよりも、他人のことを先に考え》《他人のために自分を捨てること》《あたたかい、大きな愛の精神》である。この《愛》という抽象的な言葉は、池田が戦前からリンカーン伝において使い続けてきた言葉である。それは、戦前においては容易に《国》や《正義》への愛とつながり、戦争直後においては《人類愛》とつながり、やがて《民主主義》とつながってきたことはすでに見た通りである。そうした何にでもつながる曖昧さを問うこともなく、最後には、《他人のため》ということで一括する。そして、その《他人のため》という観点からなら、なるほどふさわしいベニイのエピソードをそのまま復活させてしまう。このベニイのエピソードは、戦前においては、明らかに少年の「愛国心」を強調していたし、また、リンカーンというひとりの人間が持つ絶大なる権限も――ジャックの 話同様――強く印象づけてきた一面があったにもかかわらず、である。

 勝尾金弥は、戦前の池田の『リンカーン物語』(大日本雄弁会講談社)について、いみじくも《短い小説仕立ての逸話をつなぐ形》の《伝記小説》と指摘している。そして、その《エピソードを次々とつづ》っていく手法に、《被伝者像を生き生きと描》くという点では一定の評価を与えてもいる(前掲書)。だが、同じ作者の戦後へと至るリンカーン伝書き変えの過程を見るにつけ、じつは、このエピソードをつなげていく手法こそ、この作者の大きな弱点だったのではないかと私には思えてくる。
 たしかに、すでに見てきたように、南北戦争の記述は、何人かの兵士のエピソードをつなげたものだった。この手法の場合、注文の分量に合わせる場合はもちろん、時代を経るにしたがってそのときそのときの時節にふさわしくないエピソードは、そっくりそのまま消すことができる。逆に、時節に合ったエピソードがあれば、そっくり入れることも可能となる。つまり、ひとつひとつのエピソード――その人間の行動や評価――について、時代とともにじっくり検証することなく、パズルのように入れ替えることで作品が成立してしまうのだ。
 池田宣政は、この手法で、リンカーン伝を書き続けた。その結果、《愛》という抽象語に、国家、民族、人類、家族、友人、他人などさまざまなレベルの関係を同心円的につなげてしまう思考には、結局なんの疑問も付されないままだったといわざるを得ない。エピソードを出し入れするだけなら、書き手の思考は少しも変質を迫られはしないのだ。ヒットラーがマッカーサーに変わっても、スコットやフランクがジャックやロバートに変わっても、《愛》という言葉のもとで、戦前のナショナリズムは保持されていく。池田宣政の思考と手法は、戦争をはさむということによっては、本質的に変わることがなかった、子ども向け伝記のひとつの事実を語っている。戦前の伝記の体質が、そのまま戦後へと地続きでつながってきたことの一例として、池田宣政の仕事は――自戒をこめつつ――意識にとどめておく必要があるだろう。

 だが、もちろん、戦前から戦後へと伝記を書き継いだ作者は、池田ひとりではない。ここにもうひとり、戦前から戦後へと何度も何度もリンカーン伝を書き足し、書き直した作家がいる。吉野源三郎――この作者にとって、戦争をはさむということはどういうことだったのか。「日本少国民文庫」の一冊『人類の進歩につくした人々』(新潮社、一九三七)のリンカーン伝から、「岩波少年文庫」の『エイブ・リンカーン』(岩波書店、一九五八)、そして「吉野源三郎全集」の『エイブ・リンカーン』(ポプラ社、一九六七)へ……。 その検証への興味と意義を確認しつつ、今回は、ひとまず筆をおく。

【児童文学評論】UNIT2001 4号(VOL2)  2000/07/13日号