UNIT評論98通信 NO.1
1998年2月18日発行
連絡先:芹沢清実
郵便/360−0026 121−1−603
Eメール
●ごあいさつとお願い●
始動する“UNIT評論98”への参加と応援をお願いいたします
このたび“UNIT(ユニット)評論98”が活動を開始いたします。児童文学の評論を書く会です。
「Be−子どもと本」は、新刊を主体として児童文学の創作に限らず子どもにかかわるさまざまなジャンルの本を読んで話し合う会です。そこで評論などを読むなかで、参加メンバーがかたらって、「Be」の付属研究会としてスタートすることになりました。
といっても、きっちりした会則などがあるわけではなく、とりあえず集まったもので始動し、あとは「この指とまれ」でやっていこうという、何ともゆるやかな方針です。
これから多くの方にかかわっていただければ、と考えていますので、なにとぞよろしくお願いいたします。
児童文学の停滞、危機、はたまた廃墟化などが言われています。「児童文学はいま、どこにいるのか」について、もっと多くの人が評論のことばで語ってもいいのではないでしょうか。かつては多くの同人誌に、創作とともに評論が掲載されていたとも聞きます。専門家の書いたものを読むだけでなく、手探りでも「自前のことば」で評論を書いてみる集団があってもいいのではないかと思います。
活動スタイルの基本として、以下のことを考えています。
<「同人」ではなく“UNIT”>
こういう会はふつう、「同人」と呼ぶことになるのでしょう。が、「同人」という名称には、こころざしを同じくし、継続的に活動する、というイメージがあります。もう少しルーズな、「とりあえず集まってやってみる活動単位」という感じがほしかったのです。
<活動期間は1年間>
作業目標を明確にして、期間限定で活動します。参加者各人が、この1年間に最低一本の論文をしあげることが目標です。1年の終わりには簡素な論集の発行と(できれば)公開合評を行い、それをうけて以降の活動も決められれば、と考えています。
<会合と通信発行を隔月で>
会合は奇数月(3月、5月、7月、9月、11月、1月)に各1回、参加者の年間テーマにそった中間レポートを主な内容とします。
この通信は偶数月(2月、4月、6月、8月、10月、12月)に年間6回発行します。
お願いのかずかず
このUNITへの参加、および通信の定期購読などのかたちでの応援を、次のようなかたちで、みなさまからいただきたく思っております。
[UNITに参加してください]
この通信に掲載されたUNIT参加者それぞれの課題意識、問題関心のいずれに対してでも、「自分の問題とかみあう」と感じ、さらに「自分のテーマで、この1年間に評論を書きたい」とお思いの方は、ぜひご参加ください。
そのさい「私の問題関心(あるいは課題意識)」の原稿を、この通信にお寄せいただくこととします。その原稿をもって、参加申し込みとさせていただきます。
会合は奇数月に一回ですが、まだ日程などは決めていません。調整しあってやりくりしていきたいと考えています。
[通信の読者になってください]
この通信は「Be−子どもと本」の例会出席者にお渡ししたり、読んでいただきたい方に勝手に送りつけたり(!)するほか、毎号確実にお読みになりたい方への郵送もいたします。
郵送ご希望の方は「定期購読希望」と芹沢までお申し出ください。実費として80円切手12枚(現金千円のカンパも歓迎)をいただければ、1年間に発行する6号全部と年度末に作成する論集をお届けします。
[通信に「時評」をご投稿ください]
この通信では「時評」をなるべく多く展開したいと考えています。
年間に一本まとまった評論を書く以外に、「児童文学のいま」にも、つねに目配りをしていきたいというのが、UNITの目的のひとつでもあります。しかし、個人の目が届く範囲は狭く限定されています。それぞれ異なった、複数の視点から見た「いま」を交流しあえれば、心強く思います。
児童文学関係の雑誌は、つぎつぎに休刊、あるいは隔月刊化(これは大幅な減ページを意味します)し、同時代の児童文学にかんして論じる場は、以前に比べとても少なくなっています。きわめてささやかながら、そういう場をつくりたいというのが、この通信を発行する動機です。
国内外の創作に限らず、ノンフィクションなども含めた子どもの本、まんがやアニメなど子どもをとりまく文化、子ども論など、広いジャンルにわたって、新刊時評などの投稿を大歓迎いたします。
以上、よろしくお願いいたします。(文責=芹沢)
●Be−子どもと本・例会のお知らせ●
・毎月第3水曜日、午後6時30分より
・会場:日本児童文学者協会事務局(地下鉄東西線・神楽坂方面出口のすぐ右手、中島 ビル5階)
・テキストをもとに、レポートと話し合い。新刊本の紹介も。
・3月例会=3月18日(水)<テキスト>ビンヤミン・ヴィルコミルスキー著『断片ー幼少期の記憶から 1939 −1948』(小西悟訳、大月書店)、サブテキスト:夏目房之介『マンガと「戦争」』(講談社現代新書)
・最近の例会テキスト/2月:正道かほる『チカちゃん』童心社/1月:坂東眞砂子『満月の夜 古池で』偕成社/97年12月:M・マーヒー『ヒーローのふたつの世界』清水眞砂子訳、岩波書店など
・お問い合わせ・連絡先 平湯克子まで п放A・03−5376−3281
●私の問題関心●
強烈なる自己認識の始まり
原 のぶ子
1.“理想主義”分析
53年、早大童話会の少年文学の旗の下にが提示した創作上の方法(「変革の論理」にかかわる理念、運動論的側面は、とりあえず置いておく)を、もっとも正統に受け継ごうとしていたのは、後藤竜二だろう(注A)。それは、同時に「理想主義」と呼ばれる潮流を形づくることでもあったわけだが、それをまず肯定するのか否定するのかで、依拠するところは大きく異なる(否定的な論調が、実は意外に多いのに驚く)。
“理想主義”を「限定性」として、相対的にとらえる(宮川論文、注B)のではなく、それが何をめざしていたのかを論理としてとらえる時、何を獲得し、何がとらえられなかったのか、それはなぜかを明らかにしていくことは、今非常に重要なことだと思う。
2.台頭してきた価値観の検証
80年代、「児童文学の変質」と宮川は言ったが(注C)、“変質”というとらえ方自体に問題はないか。あるものが質を変えたという状況認識よりも、何が停滞し、何が台頭してきたかをさぐり出すことの方が、意味のあることのように思う(時代は絶えず、“新たなるもの”をうみだしている)。
80年代末から(注D)、文化状況全般にわたって、新たなる価値観が、強烈な自己認識の方法をともなって、社会に噴出してきた観がある(自分を見つめ直す−自己肯定という認識方法−ホンネの時代)。それに「児童文学」は、どう影響され、またはどう関わっていったのか。
3.ふたたび“理想主義”へ
「自己肯定」という認識方法は、依然として自己にとどまっていて、他者肯定という方向に行くきざしは、まだ見えない。
80年代、子どもを「同伴者」とした藤田論文(注E)は、同時にはっきりと「同伴者」としての自分自身(大人)を意識させた。書き手が大人であるという自覚は、欧米に比べて、一般的に遅れていると思われる(それ自体の問題は別にして)。自分(書き手)が大人であるという認識抜きに、児童文学というジャンルは成立しない。でなければ、単に子どもも読める小説一般と同義語になってしまうだろう。児童文学は、そういう意味でその発生(成立)の時点から絶えず、大人の側のビジョンを背負っているのであり、ジャンルそのものを否定しない限り、そのビジョンの内容と方法は問われ続けられていく。
以上、1、2、3は、時間的経緯も、論理の展開上も、ひとつのまとまった流れを持っている。共通するキイワードは、多分“成長”概念だろう。そこのところが、いつもひっかかり、からまり、もつれていると言っても過言ではないと思う。
特別、評論の勉強がしたいわけでもなく、特別、評論が書きたいわけでもないが、ただ自分のまわりがどうなっているのか、自分はどこにいて、どこに行こうとしているのかを強烈に知りたい。
(注A):後藤竜二<ヒューマニズムへの道>「日本児童文学」76年10月号
(注B):宮川健郎『現代児童文学が語るもの』NHKブックス、p・119
(注C):同前、p・111
(注D):年間ベストセラーbP:88年村上春樹『ノルウェーの森』、89年吉本ばなな『TUGUMI』
(注E):藤田のぼる『児童文学に今を問う』教育出版センター
●私の課題意識●
『火星への通信−あるいは児童文学との新しい距離」佐々木 江利子
「児童文学の研究」のために仙台から東京に出て、一年になろうとしている。
宮城教育大学の図書館で働きながら授業も聴講するという、学生とも何ともつかない第二の浪人時代を過ごしている間、私にとって児童文学とは、はるか彼方の東京で生産された<モノ>であり、出版社とはどこかはるか彼方の別世界で、そこではたくさんの輪転機がばたりばたりと回っているような、漠然としたイメージしかない場所だった。いや、二十歳になるまで東京に行ったことのなかった私には、東京という場所でさえ、テレビのブラウン管か雑誌のグラビア上のような、メディアの中にしか存在しない仮想空間も同様でありその土地の風土のような実在感はどこか希薄に感じられた。
児童文学の情報源といえば専ら、宮川健郎氏の講義の枕で聞く話や雑誌に限られ、年に二・三度参加する学会の例会や、『日本児童文学』で知った研究会や読書会に参加する時も、「地方読者としての自分」というスタンスは常に崩れることはなかった。
仙台には、長年活動している児童文学を読む主婦を中心にした読書会サークルがあった。月に一度、火曜日の午前中という時間にもかかわらず時間があった私は、駅前の路地にある小さなビルの一室で行われているその会に、何回か出席したことがある。しかし、そこでは、作家の生涯と作品をあまりに強く結びつけた読みの展開や、「この本は子どもが読んだら云々」の視点、地域の行政の図書館に対する政策への批判が話題の中心となっており仕事が入ったのを理由に行くのをやめてしまった。
あの時、その<場>で反論したり議論しようという態度に出られなかったのは、熱く自分の主張を語る女性たちの背後に、地方の40代前後の女性の抱える問題が見えてしまったからだ。
首都圏から夫の仕事の都合で地方に転勤したものの、仙台では自分のキャリアを生かし切れない女性、子育てが一段落し、何か自分が情熱を傾けられる、活躍できる場所を求めている女性、自分の内面に抱えている問題への癒しを子どもの本に求めている女性ーー。そうした女性たちの自分たちを取り囲む社会の構図に対するルサンチマンは、児童文学を寄り座しにして言語化され、社会の軋轢は厳しいものの、互いの個性をその場では認め合う馴染めば居心地の良い連帯感で結ばれるそんな共同体がそこでは形成されていた。
その状況は、このサークルだけのものではない。近年設立する図書館・ギャラリー・マルチメディアの複合施設「せんだいメディアテーク(仮)」の運営に先駆けて、市内のボランティアサークルの相互交流とマルチメディアの最新技術に関するプレゼンテーションを図ったイベントを仙台市の生涯教育課が主催したことがある。そこには仙台市内の文庫の連合団体も参加したが、自分たちの発表の部屋から出て他のサークルと交流しようとはせず、専ら、読み聞かせの実演やお手玉などの手遊びを続けていた。
入り口を開けると、大人ものの靴がぎっちりと並んでおり、狭い和室に40代以上の主に女性がぎっしりとならんで座り、互いに絵本を読み聞かせあったりしている光景と、その子ども不在の濃密な空気は、一瞬、入るのをためらわせるものがあった。
イベントの会場に子どもがいなかったわけではない。彼らの関心は専らコンピューターにあるようだった。面白かったのは、一見地味な折り紙サークルがことのほかエネルギッシュで、通りすがりの子どもたちも巻き込んで、折り紙を折らせていた。私もほとんど強引に折らされたが、仙台弁で教えてくれるおばちゃん、おばあちゃんたちとのからっとした暖かさが楽しかった。子どもの本の発表の部屋は、まさにその折り紙サークルの隣の部屋だったのだ。子どもと本の結びつきに対するア・プリオリな前提を放棄し
て、幼い個人という他者に対する積極的な働きかけがあれば、何かが違っていたのかもしれない。
仙台市内における子どもの本をめぐるサークルの姿は紛れもなく、仙台という地方都市に生きる女性の、ある閉塞状況を表わしている。そして、同時にそこには将来の私自身の姿が透かして見ることができた。就職して、結婚後は家庭に入り、子育ての後に子どもの本に関する活動をする。私がそこで感じた違和感や息苦しさは、「このままではそうなるであろう、この先の自分の姿」に対する拒否反応でもあった。
「このままではいけない」という焦りと危機感と、自分の問題を子どもの本にそのまま託す、大人側のスタンスのとり方に対する疑問は、地方から東京へ出てみること、ざらざらとした「他者」との関係に入って行くことの必要性へと、私の中でつながっていった。
しかし、白百合女子大学の研究生になることが決まり東京での生活を始めてから、私の中で児童文学との距離のとり方について、設定を変更する必要があることに気がついたのは、夏を過ぎてからだった。
大学では児童文学が独立した専攻課程を持ち、他の研究領域から「子どもの本なんて研究して何になるんだ」などと言われずに、誰はばかることなく「児童文学」の話題を朝からすることができた。下宿先は高田馬場から自転車で七分の場所にあり、これまで学会や研究会の度に、新幹線で二時間かかった境遇から「地元の人」へと立場が大きく変わった。そして、一地方読者ではなく、児童文学に対して、研究か、批評かどういったスタンスで関わりたいのかを常に問われることになった。
夏から、小さな出版社で働くようになってからは、さらに距離のとり方が複雑になった。読者の立場ではなく、作り・売る側の立場で本を見る癖がついた。絵本の企画会議では、「大人の女性が手にとれるギフトブック」という絵本の対象のボーダレス化そのものの志向、「特殊な印刷による装丁の美しさ」重視の本作りに荷担する側になってしまった。さらに、上司からは新しく出す新刊本の原稿を任され、さらには、「明日までに物語を一本書いてこい」と、創作への道への可能性も開いてもらった。それこそ自分
が望んでいたことだったのではないか。しかし、何もかもが急すぎた。
結局、自分にとって97年度という一年を振り返って見ると、様々な人との出会いや情報を吸収する一方で、何かを形にして残すことができなかったことに気がつく。昼夜なく、読んだり書いたりした一年のようだったが、気がついてみれば、それらは全て外から与えられた課題であり、自分の中の問題意識を自発的にきちんと展開するには至らなかった。 地方から首都への移動、いわば、<周縁>から<中心>への空間的な移動。そして、読者という<受信者>から、<発信者>へというコードの変換、研究と批評、あるいは編集と創作とのはざま。いつのまにか、手袋が裏返されるようにずるりと自分から剥離してしまった児童文学との距離感を、新たにどう再構築させてゆくか。そんなことを漠然と考えているときに、今回、この会のお話しをいただいた。
おそらく、現代日本児童文学の女性作家のものへと、私の関心や問題意識は向かって行くのだと思う。作品と作家、あるいは語り手や登場人物との作品との距離感について個々の作品における語られ方の様式を、実際に検証しながら考えて行くことになるのかも知れない。
どういった形になるのか分からないが、作品という他者から発せられたメッセージに対して、返信を返して行きながら、さらに「火星への通信」として、次の他者に開かれた新しいことばをここで獲得できたらと思う。私の声は、誰かに届くのだろうか。
●私の問題関心●
児童文学にとっての「敗戦後」を語りうることばの獲得めざして
芹沢 清実
いわゆる「子ども好き」なわけではなく、また自分に子どもがいるわけでもないのに児童文学にかかわっているのは、このジャンルが多分に自己形成史にかかわっているせいではないか、つまり世代的な問題ではないかと思う。
五十年代に成立したといわれる「戦後児童文学」をリアルタイムで享受し、マンガやアニメなどのサブカルチャー隆盛期を子ども〜青年期にすごし、高校進学が普遍化し大学進学率も大幅に上昇した時期に教育をうけた。この世代にとっての児童文学は、子ども文化や学歴社会をめぐる大きな変化との関連で、自己形成上大きな意味をもつように思う。
そのさなかで大人になった八十年代以降の社会変化も、また大きい。子どものころからその進展と足並みをあわせてきた消費社会の爛熟、社会主義の崩壊などといった変化によって、子ども時代から青年期までにつちかわれ依拠してきた世界観が、変更を余儀なくされる。こうした自分自身をめぐる問題群が、児童文学の現状がかかえる問題群とどこかだぶって見えてしまうのだ。
<子どもという存在が人間にとってどういう意味合いをもつのか>が、この五十年間ほどの間に急激に変化し、それに認識が追いついていないのではないか、という気がする。この“漠然とした感じ”を、もう少しすっきりしたことばでつかみとりたい。
とりあえず手がかりとして、<戦争児童文学>をめぐる問題群を考えてみたい。
加藤典洋『敗戦後論』(講談社)が指摘した、戦後日本人・護憲派がかかえこんだ「ねじれ」(戦勝国の軍事的威嚇のもとに平和憲法制定があったことを直視せず、悼むのは被害者としての「無辜の死者」であり加害者たる「汚れた死者」の位置を見いだせないことなど)の問題には、はっとさせられた。
…「敗けた」という声を発すべきところ、「喧嘩はよくない」というところから始められたわたし達の戦後(同書p.88)
「戦争は悪い」と断じ「二度と戦争を起こしてはならない」と説く民主主義的言辞に対して、正論とは思いつつ、護憲の立場にたつ以上あまりに反対の余地のないことに、どこかすっきりしないものがあった。この長年感じていた居心地の悪さのもとは、このあたりにあったかと思う。しかし、まだ自分のことばで問題の所在を述べるにはいたらない。
とりあえず<戦争児童文学>について、次のようなことを漠然と考えている。
子ども観の問題
これまでに書かれた<戦争児童文学>の多くが、体験伝達にかたむきがちであり、それは作品の伝達機能への信頼(=作者の意図する意味や価値が、ことばを通じてどの読み手にも同じように伝わると理解されること)があったからだ、ということはすでに指摘されている(佐藤宗子『<現代児童文学>をふりかえる』久山社)。このことには、作者(大人)が読み手(子ども)との関係をどのように想定しているか、つまり作者の子ども観が含まれている。
それがどのようなものかを一概にいうことはできないが、もっとも安易な場合、体験のある方(年長者)がない方(年少者)よりも優位にたっており、ない方はその体験を聞いて学ぶべきである、といった旧い共同体的なものになる。共同体的な社会では、その構成員は生涯をつうじて同じような体験をするので、年長者から年少者への体験伝達は重要な意義をもつからである(子どものころ田舎の親戚に行くと、自分の若いころの苦労話などを聞かされて閉口したことを思い出す。近代以降、社会の生産力発展がめざましいので、こうした苦労話の末尾には「それに比べると今の若い者は楽なものだ」というフレーズが必須となる)。
ここまで素朴なものではなく、より進歩的な、<無垢な子ども>という近代的子ども観にたつ場合も、それが加害責任に言及しない逃げ道をひらくことにつながりうることが、すでに指摘されている(藤田のぼる「戦後児童文学史」岩波書店:『岩波講座日本文学史・第14巻』所収)。
いずれの子ども観にたつ場合も、体験のもつ意味は吟味されないことが多い。それは伝達者にとってはすでにわかっていること(イデオロギー)であり、それを吟味・批判するよりはむしろ、自明なことがらを子どもに伝えること、それ自体に意義があると考えられるからである。
文学と教育の関係
繰り返し語られるのは次のテーゼである。「戦争は悪い(とりわけ、悲惨な被害をこうむるもの)。だから、二度としてはいけない(今の平和を大切に)」。
小学校の「道徳」の授業では、「人の生命を大切に」「規則は守りましょう」などのテーゼを<お話>のかたちにしたものを読まされ、「何が書いてありましたか?」と問われた(当然、正解はひとつ)。そうやって子どもは、この社会では、何が「正しいこと」とされているのかを刷り込まれていく。
児童文学は、あるテーゼを伝えるための教材なのか?
この問いは(大人の)文学では、「政治と文学」をめぐって論争されてきた領域に、かなり近い。児童文学では、こうした論争はないのだろうか? 単なる不勉強が導いた疑問かもしれない。ご存じの方はぜひ教えてくださるよう、お願いする。
また、ここでは仮に<平和教材としての文学>の意義を認めたとしても、以下の疑問が生じる。
学校教育のなかでは、ほぼ政策的に現代史の隠匿が行なわれてきた。これは社会科教科書の記述内容だけでなく、むしろ受験のため近現代史の授業は大幅にカットされることが一般的であったことによるものが、大きいように思う(学生時代、必ずしも「低学力」ではないが、原爆投下がアメリカによるものであること、日本がアメリカに占領されていた時期があることを知らない新入生がいた)。
戦争についての事実認識や、どうやって戦争を回避するかについての考察は、さまざまなかたちで教育現場で追求されるべきものと思う。世界各国の教科書を紹介した別枝篤彦『戦争の教え方』(朝日文庫)には、人類学による人間と暴力についての考察から武器のテクノロジーからみた戦争史まで、平和教育への多彩なアプローチがみられる。
むろん日本にも、これらに比肩するような、すぐれた教育実践はあることだろう。しかし、制度的に(およびその運用上)は、こうした教育内容が欠如している。
こうした事態を“補完する”ものとしての(手っ取りばやく結論=平和の尊さ=だけを教え込むための)文学教材、という面は、はたしてないと断言できるのだろうか。
エンタテインメントとの距離
第二次世界大戦にしろ、現在世界のどこかで行なわれている戦争にしろ、子どもたちにとっては時間的・空間的距離がある。それをなんらかの方法で埋めることなしに、戦争を語ることばはかれらに届かないだろう。
そうした時間的な隔たり(伝達にとっての障害)の存在は、今の子どもに限らない。
地理的な格差こそあれ、すでに六十年代あたりからあったと思う。この時代子どもたちに戦争を身近に感じさせたのは、児童文学よりもむしろ戦記まんがやアニメだった。
68年3月、日本児童文学者協会は「あかつき戦闘隊大懸賞」(小学館「少年サンデー」)が軍国主義を鼓吹するものとして、声明文を発表している。このことをいま、どう評価するか。
夏目房之介『マンガと「戦争」』(講談社現代新書)が、マンガに描かれた「戦争」イメージを追いながら、そこに投影された戦後日本人の自己イメージを分析している。
これに似た作業ができれば、おもしろいと考えているところだ。
●時評/翻訳児童文学●
国産児童文学が排除していることがらが、翻訳作品からみえてくる
芹沢 清実
先日、坂東眞砂子『満月の夜 古池で』をテキストとしたある研究会で、日本の児童文学で理不尽な死や流血がタブーとなっていることをめぐる話題となった。反面、“作家性のない”娯楽読み物などでは大量の血が飛び散り、「こうやってバランスがとれていくのかと思う」という発言があり、なるほどと思わされた。
97年は、新刊児童書のうち翻訳については比較的たくさん目をとおした年だったが、そこで扱われる素材やテーマについても、似たようなことを感じたからである。とりわけ高学年向きとヤングアダルトを読むことが多かったからかもしれないが、国産ものではほぼ扱われることがないだろう素材を扱った作品が目立った。
『ぼくの心の闇の声』(原田勝訳、徳間書店)と『真夜中の電話』(金原瑞人訳、扶桑社ミステリー)の二冊が出たロバート・コーミアは、一般向け文庫で出された後者が巻末に馳星周らの座談会を載せたことからもわかるように、もはや児童文学としてよりも一般向け人気作家として読まれていくのかもしれない。「心の闇」(工夫のない表現だが、ほかに思いつかず)を描くことは、今後も国産児童文学では行なわれないのだろうか。
ほかの子どもメディアのなかにはあふれている暴力や犯罪も、国産児童文学ではタブーである。文学には文学なりの扱いようがあるはずだと思えるし、そのよいお手本(?)が翻訳作品には多くみられる。
マーガレット・マーヒーの『ヒーローのふたつの世界』(清水真砂子訳、岩波書店)や、ペーテル・ポール『ヤンネ、ぼくの友だち』(ただのただお訳、徳間書店)は、児童虐待という素材を扱っている。もちろんそれがテーマとして前面に出ているわけではないし、残虐描写があるわけではなく(ただし『ヒーロー…』については、「ここまでやらせないでほしい」という感想をもった人も)、水準の高い物語のなかに埋め込まれているので、残虐性に対する興味本位に読まれることなどないだろう(たとえそう読む人がいたとしても満足しないだろう)。犯罪をおかし刑務所に服役する少女が主人公のI・バイヤー『いつかこの闇をぬけて』(天沼春樹訳、ほるぷ出版)にしても、重いテーマをたくみな展開で一気に読ませてしまう。
性をめぐる問題で目をひいたのは、エイダン・チェインバーズ『おれの墓で踊れ』(浅羽莢子訳、徳間書店)のオビだ。<初めての「心の友」を失い、傷つき混乱する16歳の少年の心理を、深く描いた話題作>とあり(このカギカッコがミソ)、内容はまったくそのとおりである。訳者の名でぴんとくる読者もいようが、これは同性愛の物語である。が、オビやカバーでは一言もそのことに触れていない。「児童書」としての売り方ということだろうか。性描写はないし、エリナー・ファージョン賞を受賞した著者の作品中「最も熱心に読まれている」(著者あとがき)ものとあるのだから、同性愛を扱おうと何のやましいところもないと思うのだが。
日本では「ボーイズラブ」系少女小説という娯楽ジャンルで、疑似同性愛を扱っており、そこには過激な性描写もあふれている。そうしたものを愛読している少女たちに読ませたら、『おれの墓…』は本物のすがすがしい恋愛小説と受けとめられるだろう。
翻訳、国産を問わず「児童文学」という囲いが狭まれば狭まるほど、そこからはみだすもののエネルギーは強烈になるような気がする。
編集後記/「文句いうより自分で書く」と立ち上げたUNIT。スポーツも「見るよりやる」と、冬期五輪のさなか五日間、福島県のスキー場ふたつをハシゴ。おかげで作業が遅れた。とほほ。(S)
電子版編集後記/フロッピーを送るのがすっかり遅くなってしまい、すでにサクラも散ってしまいました。…ああ。ご意見、ご感想など、Eメールでいただければうれし く思います。よろしくお願いいたします。(S)