UNIT評論98通信  bU/6


 CONTENTS
 ●モティヴェイション三題…原のぶ子
 ●子どもも/子どもは−芝田勝茂論へ向けて…奥山恵
 ●いま、なぜ専業主婦なのか…佐藤重男
 ●再読『赤毛のポチ』の仰天−<現代児童文学>の始点へ…芹沢清実
 
            発行:1999年1月1日 編集発行:UNIT評論98
   連絡先:芹沢 清実 〒360-0026 121-1-603
              E-mail:CXL02651@nifty.ne.jp
          ご意見ご感想などおよせいただければうれしくおもいます。

★一年間の活動期間も終わりに近づきました。★
★「通信」はこれで最終号となり、★
★来年3月には「論集」を発行いたします。★
 一年間お読みくださり、ありがとうございました。
 3月上旬発行のまとめの評論を掲載した<論集>は、電子版はありません。お手数をおかけしてたいへん申し訳ないのですが、お読みになりたい方は80円切手5枚を同封して郵便で芹沢清実(〒360-0026 121-1-603)までお申し込みください。
 また、<論集>についての公開合評会を3月28日(日)午後1時〜4時、東京・高田馬場または神楽坂にて行ないます(詳細は<論集>に記載)。
 いずれも、だいぶ先の話になりますが、多くの方に読んでいただき、また評していただければうれしく思います。どうぞよろしくお願いいたします。


                
●モティヴェイション三題●
原 のぶ子

 アンドレ・アガシの不振が重傷だ。丸っこい体に、若はげの大きな頭で、天才的なテニスプレーヤーとしての称賛を何度も浴びた。絶対とれないようなボールを、きれのあるテクニックでリターンして相手を負かす。特別な身体に恵まれていない分、しっかり頭脳に頼っているという印象を与えた。女優のブルック・シールズとの結婚でも世間を騒がせたが、正直言って、コート上で観戦する彼女の姿には、すでにスターの輝きは見られない。
「ゲームに興奮を覚えず、ボールを打っても楽しくない」と、アガシは言っているという。かといって、テニスをやめる気にもなれず、といったところか。しんどいところにいると思う。
 巨額の金が動くプロのテニスプレーヤーにとって、くる日もくる日ものハードなトレーニングと、時に5時間にもなる連日の試合での集中力を維持させるものは何だろう。
「モティヴェイションが湧かない」と、松岡修造は引退の時に言った。休むことなく走り続ける極限のトレーニングを続けさせていくもの、それをモティヴェイションと呼ぶらしい。一般には、動機という訳がつく。動機付け、刺激、行動を促す要因。興味深い言葉だと思う。
 人が自分の中にモティヴェイションを意識するときは(例えばそれが湧かないといったふうに)、同時に自己の中に無意識の他の自己を認識する時でもある。自己認識の初歩的な方法と言えるかもしれない。おもしろいのは、例えば夢中で走り続けている時はそれを意識しないことだ。だから、モティヴェイションは多くの場合“湧く”ではなく“湧かない”として使われる。
 プロを続けるだけのモティヴェイションが湧かなくなった松岡修造は、引退して、後輩の指導育成の仕事についた。それを続けるだけのモティヴェイションは、湧いてくるのだろうか。
   *            *
 先日、NHKの「さよなら5つのカプチーノ」というドラマをなにげなく見た。雨の日の深夜、たまたま喫茶店のテーブルで一緒になった老若男女5人が、現金強奪を企てる話である。日常につまずき、疲れたごくふつうの人達が、犯罪という一線を越えた非日常へとび出していく興奮は、最近よく描かれるパターンではある。一攫千金というはっきりした目的が、彼らのボルテージをあげ、モティヴェイションをかきたてる。日常は急に違ったものになり、体中に意欲と緊張がみなぎってくる。おもしろかったのは、強奪が成功する寸前のところで、主人公の中年の主婦(宮本信子)が、思いとどまってしまうことだ。
「できると思ったから、やらなかった」といったたぐいのセリフが、確かあったと記憶している。自己の中に再び湧きあがる“ある力”を自覚したとき、これでなくても何か“できる”と思えたのだろう。ミステリーを読むことを趣味としていた主婦が、ミステリー作家になりたいと宣言するラストは、それなりにさわやかだった。
 地区センターに勤めていると、連日いくつものグループ活動や講座が開かれていて、多くの中高年が、忙しくかけもちで参加している姿をしばしば見受ける。彼らは、モティヴェイションのあるなしが、直接身体の健康に影響してくることを身をもって知っている世代だ。生きる意欲の度合いが、迫りくる老いと病に負けない最大の武器であることを知っているから、けんめいにおもしろがろうと努力する。そして多くは、それなりにみつけだして日々をすごす。
   *            *
 モティヴェイションそのものを意識しなくなる時、人はどうなるのか。そんな思いでこの本を読んだ。『段ボールハウスで見る夢−新宿ホームレス物語』中村智志著、草思社、1998年3月10日。
 新宿駅周辺には、平均して五百人前後のホームレスがいるという。(時には八百五十人)平均年齢は52・5歳。ここは、地下に段ボールハウスが作れるだけでなく、衣食に関わるすべてのものが手に入りやすい場所でもある。
 ジローさんという人がいた。50代なかばの、なかなかの色男でゲイである。公衆トイレで洗濯をしたり、理容学校のモデルで散髪をしたり、いつもこざっぱりと身ぎれいにしていた。自分の収集ルートをきちんと歩き、飲食店やレストランの裏口のポリバケツから生ゴミを拾い出し、空き瓶に残った酒を根気よく集めて持ち帰って、生活道具のきちんとそろったハウスで仲間と飲み食いする。サッチというあだ名の30代の男に惚れて同棲し(段ボールハウスの中で)、しつこく迫って逃げられた。その後は、気力も体力もなくなって、ハウスの掃除もせず、外にも出なくなってあっけなく死んだ。
 取材で追いかけていたホームレスは、結構あっけなく死んでいる。もともと病気を持っている場合も多く、ボランティアなどによって入院させられても、多くは退院と同時に元に戻るか、または途中で逃げ出してしまう。病気を治すより、酒を飲んで好きにしていたいのだ。病弱なら、それなりに生活保護を受けて暮らす方法はいくらでもあるのだろうが、それに伴ういっさいの行為がめんどうになる。
「いよいよダメだなあ、て思う。田舎に帰ってきょうだいに挨拶して、あの世に行ければ幸せなんですけどねえ」
 ホームレスを楽しんでやっていられる人は、本当のホームレスではないのだろう。本物のホームレスは、自分をひどく憎み、嫌悪し、自分はダメだという葛藤を頭の芯に絶えず宿らせている場合が多い。そしてそういう自己否定は、いきるためのモティヴェイションにはつながらない。サッチに逃げられて、わずかに恋心として燃え続けていたジローさんのモティヴェイションは、ついえ去ってしまったのだろう。その後には、多くの人がそうであるように、緩慢な自殺が待っていたと思えるのだ。
 日本のホームレスは、例えばフィリピンのスラム街の人々とは違う。衣食住はなんとかなる中での、生きる気力の問題なのだ。その姿は、今の青少年の“心の姿”とどこかで粘り強くクロスしてはいないだろうか。二一世紀への大きな困難を見る思いがする。


                 
どもも/子どもはー芝田勝茂論へ向けてー●
奥山 恵

 ステージに上がる、とはどういうことだろうか。少なくとも、芝田勝茂の作中人物たちにとって、ステージとはどういう場所なのだろうか。デビュー作の『ドーム郡ものがたり』(福音館書店81)から最近作の『雨ニモ マケチャウカモシレナイ』(小峰書店98)まで、芝田勝茂の人物たちは、しばしば何らかのイベントに参加し、その中でステージに上がってきた。ある事件の再現や追求のために、ロールプレイング的場面が作られることもある。だが、芝田がそこで描くステージとは、堅牢に建築され、さまざまな設備が完備され、舞台と客席とが画然と区別された大ホールのような場所ではない。
 たとえば私が印象的に思い出すのは、『ドーム郡ものがたり』の次のような場面である。
 《ジャムジャムが指揮する若者たちが、東の壁を、大きな丸太でつきくずしました。(中略)たちまち、東の壁は大きくとりはらわれ、ドーム郡に、朝の光と風が、さっ と入っていきました。すがすがしい空気でした。/フユギモソウが見えます。でも、 みんなそちらを見ようともせず、道具を運びだしました。みごとなうごきです。広場には、幕がはられ、フユギモソウをさえぎりました。たくさんの長いすがならべられ、舞台がつくられました。屋台があちこちに置かれ、いろんな食べものや、飲みものが運ばれます。》
 人の心を《にくしみ、ねたみ、うらみ、そういった悪いものでいっぱいにする》花、フユギモソウが、ドーム郡の東の谷間に迫っているという危機の中、主人公のクミルはじめ若者や子どもたちは、舞台をつくる。長い探索の旅のすえに、フユギモソウに抗するには人々の心をひとつすることが何よりも大切であることを知ったクミルが、夏まつりの開催を呼びかけたためだ。フユギモソウを遮るべく郡の役人がつくった堅固なれんがの壁を突き崩し、そのかわりに邪悪な花に対峙して舞台がつくられていく。境界というとき、《そこで反転が生じざるをえないような或る「空虚」》としてのそれと《両義的な場所》としてのそれとがあると言ったのは柄谷行人だが(「マクベス再考」『文藝』82・6)、いかに堅固に見えても花粉や根の力によっていったん花の侵入をゆるせばたちまち無用のものに転じてしまう壁が「空虚な境界」とするなら、この朝クミルたちが作り上げた舞台はまさに「両義的な境界」に私には見える。手作り、野外、客席との接近など、芝田的ステージに共通する特徴が、すでにデビュー作のこの場面から見られるが、それらはすべて日常と非日常、はじまりとおわり、勝利と敗北、 見る者と見られる者といった要素を同時に合わせもち得る特徴ともいえる。そこではいかなる企画も偶然性に包みこまれて、何が起こるかあらかじめ予測することは出来ない。フユギモソウとドーム郡との戦いという事件の「境界」にあって、勝つ可能性も負ける可能性もどちらもある。芝田のステージは、そんな両義的な場所なのだ。
     *
 それは確かに不安定な場所ではある。しかし、だからこそ、芝田のステージには、ありとあらゆるものたちが、つぎつぎと、またいっしょくたになって、上がることができる。そこには、選ばれし名優など存在しない。ドーム郡の夏まつりには、木こりや炭焼きの若者たち、農夫たち、学校の生徒たち、小鳥たちまで出しものを演じ、《おとなも年よりも、みんな、友だちどうし、家族、いろんな人どうしで》楽しみ、しまいには観客の一部までが舞台に上がって、《みんなが肩を組み、腕を組んで、心をひとつにしてうたった》りもする。近作の『雨ニモ マケチャウカモシレナイ』になると、アミとゆりが誘われて上がることになる《劇団イーハトーヴ》の不思議な特設ステージには、座長や劇団員らしき者たちはもちろん、《デクノボー》や《山猫博士》なる宮沢賢治の作中人物を思わせるファンタジー的存在、《軍服を着、銃剣を担いで行進してくる》男たちなど歴史上に存在しえた人物たちまで、次々とやってくる。芝田の作品の主人公である子どもたちは、このようなステージに上がることで、人間と動物、現実的存在と虚構的存在、子どもと大人といったあらゆる区別をこえて、他との同質性に 溶け込んでいくことになる。「子どもも」他の存在といっしょになって、ある場合はフユギモソウという同じ敵と戦い、またある場合には「雨ニモマケズ」という有名な詩の言葉を問い直していく。ステージに上がるとは、そうした同質性に立つことなのである。
     *
 しかし、そのうえで見落としてならないのは、芝田の作品ではまた、かならず一度は子どもだけで孤独にステージに立つ場面が用意されているということだ。みんなが心をひとつにして成功させた夏まつりが終わっても、クミルは《ただひとり、まつりの広場に残》る。そして、舞台で演じた劇の延長のように伝説の剣をたずさえて、フユギモソウの親玉に孤独に立ち向かうことになる。ステージ上でのさまざまな出会いによって、「雨ニモマケズ」の詩を読み解き、《デクノボー》の生き方を理解し、軍服の男たちを退散させた後、アミとゆりもまた、まったく二人だけになって、改めて自分たちの本音をぶつけあうことになる。《あたし、デクノボーなんか、きらいだっ!》、《まちがってると思う》けれど、わたしたちは、《雨ニモマケチャウカモシレナイ!》と……。
「子どもは」、他の存在との同質性に溶け込むと同時に、それらと切れたところで単独の位置をもつかむ。ステージに上がるということは、共同性や歴史性から切れた、あるいは、それらを大きく変えていく、子ども独自の立ち方を探ることでもあるのだ。 
     *
 演出家鈴木忠志は、ピーター・ブルックとの対話「演劇の〈方法〉ー同質性と異質性を提出しながら」(『季刊思潮』88・6)のなかで、「わたしが考える演劇のたいへん面白いところは、人間が同じであるということと違うということが同時に見れることです」と語っている。じつを言えば、私が、芝田勝茂的ステージを、より明確に面白く意識するようになったのは、鈴木のこの言葉に触れてからだ。鈴木の言葉を借りれば、「子どもが同じであるということと違うということが同時に見られる」ということ、まさにそれが芝田の描くステージの面白さだと私は思う。そして、私がそうした「子どもも/子どもは」という同質性と独自性を重要に思うのは、それが、子どもをめぐる既成の方向づけを両面から崩壊させるからである。
 《やはりこの共同社会のそれぞれのメンバーが自分をよりよく生かすことができるようになるために、若者は若者自らの課題として、また、大人は大人自らの責任として、子どもから大人への道筋の、しっかりした新しいイメージというものを模索すべきだと考えている》(『大人への条件』筑摩書房97)。小浜逸郎のたとえばこのような言説には、「新しいイメージ」の質はともかく、「子どもから大人へ」、すなわち、子どもは大人の築いたものを受けとめながらある発達課題を経て大人になっていくという方向づけだけは自明のものとして保持されている(そして一定の親和的読者をも得ている)。しかし、芝田のステージ上では、そのような方向づけはありえない。「子どもも」大人や他の存在と同質なものとしてある状況に立ち向かうのであり、同時にまた、「子どもは」他のだれとも違った独自のものとして《ひとりぼっち》で《たいそうなことをやってのけようと》もする(『ドーム郡ものがたり』)。そして、そういう場所では、子どもが、「大人」という二項対立的な範囲を超えて、なにか別のとほうもないものに「なる」可能性を持っていることに改めて気づかされるのである。その意味 では『進化論』(講談社97)も『君に会いたい』(あかね書房95)も『星の砦』(理論社93、改訂版・パロル舎96)も、子どもという存在の立ち上げ方においては、ステージ上の想像力からそう遠くないところにあると私には思われるのだ。
 作中人物たちが手作りでステージを作ったように、既成の方向づけから自由になれる場所は作ろうと思えばどこにでも作れる。それを信じるところから、芝田勝茂のファンタジーははじまる。
                    
                    

●いま、なぜ専業主婦なのか●     
佐藤 重男

 「結婚や出産後、専業主婦を希望する若い独身女性が増えている」(朝日新聞12/5)という。男女雇用機会均等法が施行されて12年、その均等法も改正され、よりいっそう女性の社会進出が進んでいいはずなのに、これはどういうことなのだろうか。記事は「働く母の苦労が影響か」と分析している。どうやら働くことに問題があるのではなく、働くことと母(あるいは妻)との一人二役を担わなければならないところに問題の核心があるようだ。ある調査によると、日本の男性の家事時間は、職業を持っている女性の10分の1だという。「男は仕事、女は家庭」という考え方が減ったといわれながら、実態はこうである。それならいっそ専業主婦のほうが、という考えが増えるのもうなづける。
 そんな男性不信が根底にあってのことなのだろうか、日本の創作児童文学作品に出てくる母親たちも、ほとんどが専業主婦である。最近読んだ13作品(本稿末尾のリスト参照)のうち11作品、8割強が専業主婦だった。ついでに紹介すると、父親の職業は9作品が会社員であり、郊外に住んでいるという設定が8作品あった。大半が一戸建てである。
 会社員+専業主婦+郊外+一戸建……、これはもうはるか昔、高度経済成長期の「憧れの家庭像」そのものではないか。
 実は、この13作品の作者はすべて女性である。どういう世代の女性たちかはわからないが、こういう家族像をいまさら描いてどうしようというのだろうか。作品の中の子どもたちの多くが、小学高学年から中学生なのだから、なおさら首をひねりたくなる。というのも、「末子の年齢別妻の就業状況」によると、この年齢の子を持つ母親の就業率は7割を超えているからである。逆にいうと、専業主婦は3割に満たない。つまり、これらの作品の母親たちは実態とかけ離れすぎているということになるし、「男は仕事、女は家庭」という考え方を後押しするものだという批判を免れない。それでもなお、母親が専業主婦でなければならない理由があるのだろうか。
 この13の作品の大半から、ひとつの共通点が読み取れる。それは、母親たちが時間とともにどんどん変化していく。わが子の理解者へと変わっていく。一方、父親たちは少しも変わらない、ということである。
 例えば、『魔法使いのいた場所』『おとなりは魔女』の母親は、時間とともにどんどん変化していく。子どものよき理解者となっていく。子どものことがわかってあげられる母親へと成長していく。相互の結び付きがより強いものになっていくことを想起させる。そういう意味では、『超・ハーモニー』の母親のヒステリー的な言動も、実は、わが子との一体感の現れと受け取ることができる。子どもへ近づこうとするから、いっそう感情的になるのだ。理解しようと一生懸命であるからこそ、パニックに陥る。どうでもいいと思っているのなら、そうはならない。それは『カラフル』にもいえる。母親が罪の意識を持つのは、子どもに近づこうとするからに他ならない。
 それに比べると、どの作品の父親たちも実に冷やかである。よき理解者でありたい、わかってあげたい、そのためならなんでもする、そういう気配はこれっぽっちもない。『超・ハーモニー』の父親は、感情むきだしの母親のかたわらで「呆然とつっ立った」ままである(それも一度だけではない)。『魔法使いのいた場所』で父親について触れられるのは、「パパはまだ帰っていない。いつものようにふたりだけの夕食だ」たったのこれだけである。そんな中で、『おとなりは魔女』の父親だけは異質に見えるが、はじめ友だち感覚でいる父親も、いつか娘に煙たがられ、理解不能な存在へと格下げになってしまう。だからといってこの父親、傷つく様子はない。『夏の風にのって』の父親は、主人公にとって「友だち」であって、その感覚は、はじめからおしまいまで変わらない。どの作品の父親たちも、子どものことなど(妻のことも)何もわからない、そして、はじめからおわりまで一ミリたりとも変わらない。
 会社員である父親たちは、申し合わせたように、日常的に子どもと接触する時間が少ないという設定になっている。一方、母親たちのほとんどが専業主婦で、゛一日中゛家にいる。つまり、親子が接触する時間の長さと理解度は比例している、という構造になっているのである。
 子どもが必要とする時に身近にいること、子どもが不自由なく生活ができるようにこまめに面倒をみてあげられること、それが子どもを理解し、つながりを強めていくことになる、そう信じている者にとって、それは専業主婦でなければならない。こうして、作家たちは追い立てられるように、母親を専業主婦にしてしまうのである。だがこれはいうまでもなく、夫が必要とする時に身近にいること、夫がなにひとつ不自由なく生活できるようにこまめに面倒をみてあげること、つまり尽くすこと、それが妻の務めであると信じている者にとって妻は専業主婦でなければならないことと同じである。
 もっとも、ここには大きな違いがあることも見ておく必要がある。それは、妻は夫に対して無条件に服従することが求められるだけであり、夫を理解し、わかってあげることなど必要とされない。妻は成長しなくてもいいのである。
 ところが、子どもに対する時、母親は、尽くすだけではだめなのである。子どもの成長を助けるために、理解し、わかってあげることが求められる。そして、母親にはそれができる、いや、できなければ母親たり得ない、と信じられているのである。
 子どもは心身ともに成長するもの、親はその手助けとならなければならないものという強迫観念、それこそが、戦前・戦後の日本の児童文学を支配してきたのではなかったか。二一世紀を目前にしたいま、作品の中の母親の大半が専業主婦というのは、そういう教育的な発想がいまだ払拭されずにあることを端的に物語っているといえるのではないか。
 また、大半の作品から父親が排除されているが、それでいいとは思わないし、男性不信のひとことで片付けずに、それはなぜなのかを明らかにする必要がある。さらには、専業主婦には子どものことがわかってあげられて、仕事を持っている母親にはそれができないということにはならないのではないか、という疑問もある。そもそも、わかってあげるとはどういうことか、という問題もある。
 さらには、崩壊しつつあるのは「持続可能な再生産システム」の一つの形としての「近代家族」という「制度」であって、「持続可能な再生産システム」そのものではないということも検討すべきだろう。
 「いま、なぜ専業主婦なのか」。すべてのナゾが解けたわけではない。

[作品一覧]
・『ポーラをさがして』さなともこ 講談社97
・『超・ハーモニー』魚住直子 講談社97
・『おとなりは魔女』赤羽じゅんこ 文研出版97
・『夏の風にのって』小宮山桂 岩崎書店97
・『ことしの秋』伊沢由美子 講談社97
・『イグアナくんのおじゃまな毎日』佐藤多佳子 偕成社 
・『がんばれっていわないで』藤田千津 国土社97
・『まじょかもしれない』武川みづえ 大日本図書98
・『青空にキックオフ!』菊地澄子 国土社98
・『魔法使いのいた場所』杉本りえ ポプラ社98
・『カラフル』森絵都 理論社98
・『家族の告白』下川香苗 ポプラ社98
・『さいなら天使』中尾三十里 ひくまの出版98 


               
読『赤毛のポチ』の仰天
 −<現代児童文学>の出発点をふりかえるための個人的な起点をめぐって●   
芹沢 清実

 満州事変の年に生まれた山中恒が、子どものころ愛読した<大衆的児童読み物>を読み返した経験を次のように語ったことがある。
 −子どもはその文章の中にある、お説教の部分はさっさと読みとばしてしまうという 技術を心得てもいるようです。(中略)というのは、きわめて些細な描写であっても、 ストーリーの重要な伏線である部分は、たしかに読んだ記憶があり、それがページの どのあたりにあったかまで憶えているのですが、軍国主義思潮の謳歌のあたりになる と「こんなことが、こんなにくどく、大げさに書かれていたのか」と、はじめて驚く ほどの始末なのです。(『子どもの本のねがい』日本放送出版協会、74年。)

 59年から60年あたりに基礎がおかれたとされる<現代児童文学>の隆盛期に子どもだったわたしにもきわめて似通った体験があり、しかもそれは山中の著書『赤毛のポチ』(理論社、60年)をめぐるものである。
 この読書体験をめぐる驚きは、二段階にわたってやってきた。まずは数年前、どの本だったか失念したが戦後児童文学史の叙述のなかで、『赤毛のポチ』について<労働運動のいぶきを描いた>といった位置付けがなされていたのに仰天した。記憶にあったこの本の印象は<貧乏な家の子どものなんだか暗い物語で、かわいがっていた犬を、お父さんたち大人が食べてしまうという悲惨な結末だった>というもので、労働運動の話など読んだ憶えがまったくなかったのだ。
 そしてつい先日、驚きの第二弾がやってきた。図書館の閉架から出してもらった『赤毛のポチ』(73年愛蔵版)を読めば、なんと! ポチは食べられてなどいないではないか!! 金持ちの息子だが障害をもつ同級生(この原爆の悲劇を体現した子どもについても、記憶から抜けていた)に持ち去られたポチも、さまざまな経緯をへて主人公の手に戻り、物語はいちおうハッピーエンドだったのだ。
 とんでもない記憶違い、読み違いがあったものだ。これらには前述の<興味のもてない部分はさっさと読みとばす技術>の寄与もあるが、それだけではないと考えた。
 まず、なぜポチが食べられてしまったと思い違えたかについては、すぐ判明した。物語の中に、子どもにとっては愛情の対象である動物が、大人にとってはたんなる食材となる場面が二箇所出てくる(ウサギと馬)。そのうち馬については、それと知らずに食べてしまった子どもが事態を知ったときの衝撃も、印象的に描写されているのだ。加えて、巻末の「初版へのあとがきより」に、赤毛のポチの後日譚(たぶんモデルがあったということだろう)が、次のように記されていた。
 −実在のポチはあわれでした。痔になやむ父親のために、皮をはがれ、無惨にも、も もひきのうらに、ぬいつけられて、その短い生涯をとじたとのことでした。悲しい運 命は、そればかりか、主人公一家にも待ちうけていました。
 このあとがきと馬のエピソードが重なって、<かわいがっていた犬を父親が食べてしまう>という印象を強く残したのにちがいない。
 動物を愛玩物ととらえる子どもと、その肉や皮に使用価値をみて容易に死においやる大人。ここには大きな亀裂がある。おそらく子ども読者であるわたしは、そこにショックを受けたのだろうと想像する。
 今読みなおしても、ここに描かれた大人と子どもとりわけ親子の関係については、六十年代の子どもの多くに共感できないものだったのではないかと思う。飲んだくれて暴力をふるう父親というのは、すでに当時ギャグでしか描かれないものだった(小学校五年の頃、そういうネタでブラックユーモア系マンガを書く友人がいた)。病で働けなくなった父親にグレた息子という光景が、TVバラエティーの定番ギャグになっていた(「しゃぼん玉ホリデー」)。高度成長のなか、古典的貧困は(実際になくなったかどうかは別にしても)もはや現実のものとはみなされなくなった。ものわかりよく物を買い与える反面、勉強へと駆りたてるというかたちで、子どもに対する大人の支配はよりソフトな形態になった。だからこそ逆に、ちゃぶだいをひっくり返し殴りつけ、体当たりで教育する父親像(「巨人の星」)が、郷愁と憧れをさそったりもしたのだ。
 暴力的で抑圧的な親子関係に違和を覚える読者にとって、尊敬できない大人が何をしようと、その行為に共感をよせることはできない。子ども読者が、労働運動云々を読みおとしたのは当然の帰結だった。今読んでも、主人公の女の子の視点にそって読むかぎり、労働運動のくだりには唐突な感じを受ける。

 古典的な貧困と、封建的な親子関係。が、『赤毛のポチ』の「古さ」は、これだけではない。白樺派と少女小説のテイストまで漂っているのだ(風俗を描きながらも、今読んでもあまり違和感がない『とべたら本こ』とは対照的で、ふしぎな感じさえする)。
 白樺派テイスト、というのは、主人公の担任である若い女性教師を扱った部分に色濃くあらわれる。本箱とオルガンのある部屋に暮らす彼女は、貧しい家庭に育ち「金もちはきらいっ」と言い放つ教え子について、次のように考える。
 「あの子は、わたしのしらない社会の一つをしっている。(中略)あの子の瞳の中の苦しみや怒りにくらべて……わたしの同情なんて、まるっきり少女しゅみだ!……まるで、わたしがあの子の生徒のように…。」
 ここに描かれているのは、戦前の(とは限らないか)左翼運動に特徴的だったナロードニキ的な心情である。しかし、当時の大人読者は、主人公の子どもよりはむしろ、この女教師に共感しながら本書を読んだのではなかろうか、という気もする。
 少女小説テイストは、前述の原爆で障害をおった子どもの家庭の場面にあらわれる。この子には姉がいるが、ふたりの母はすでになくまま母と暮らしているという設定だ。どことなくよそよそしさを感じる関係に、姉がキレて号泣するシーンは、次のようだ。 「…おかあさまは…やっぱり、わたしたちに…なんの愛情も…もっていらしゃらないの…。」(中略)「おかあさま! 文子をしかって…ほんとうにしかって…」/母親は、しっかり、文子をだきしめた。ママ子とママ母は、きつくだきあいながら、声をのんで泣いた。はげしく肩をふるわせて。/ねじのなくなったオルゴールが、しずかに、リフレインをかなでていた。
 こういうスタイルの叙情的なシーンがあるかと思えば、長屋の労働組合結成の会議やストライキのシーンがある。少女小説とプロレタリア文学を接木したような、なんともふしぎな作品があったものだ。ある意味では、50年代後半の時代の空気を敏感に反映した作品だったのかもしれない。

 この『赤毛のポチ』以外に『とべたら本こ』(理論社)と『サムライの子』(講談社)。60年に山中恒は三冊の著書を出している。現在、59年から60年にかけて出版された創作や評論については、<現代児童文学>の始点として論及されることが多い。が、山中の三点のうちでは、なぜか『赤毛のポチ』がもっとも古典として評価され論じられているような気がする。しかし、わたしには『とべたら本こ』の方がずっとおもしろく、意義のある作品であるように思えるのだ。意義がある、というのは、当時の若い批評家たちが展開した伝統批判とシンクロした、創作上の新しい潮流として、という意味である。このあたりのことについては、後日論じることとしたい。
 個人的な読書体験に話をもどすと、小学生のわたしは『とべたら本こ』を読んでいない。『赤毛のポチ』を読んで「この作者は、もういい」と見切りをつけたのだろう。さとうさとる、今江祥智、大石真といった作家や翻訳もの、「少年探偵団」シリーズにSFジュブナイルなど、おもしろい本はほかにもいっぱいあったのだ。



 Be−子どもと本 例会のおしらせ

 <子どもと本>をキイワードに、新刊本を中心に、ジャンルにとらわれず話題の本 
 をとりあげて話し合っています。ぜひご参加ください。           
 ★毎月第3水曜日、午後6時30分より
  会場:日本児童文学者協会事務局
 (地下鉄東西線・神楽坂駅下車。神楽坂方面出口のすぐ右手、中島ビル5階)  
 ★1月例会=1月27日(水)*今回のみ第三水曜ではありません。
  <テキスト>
  アイビーン・ワイマン著『カレジの決断』
  (瓜生千寿子訳、偕成社)
 ★2月例会=2月17日(水)
  <テキスト>
  角田光代著『キッドナップ・ツアー』(理論社)
 ★お問い合わせ・連絡先
  平湯克子まで  п放A・03−5376−3281  


 これまでのご講読、ありがとうございます。また別のかたちでお目にかかれればと
考えていますので、その節はまたよろしく。
              1999.1月発行「UNIT98通信」No.6