神宮輝夫の視点(1)
バーナード・アシュリーと子どもの文学の政治性

神宮輝夫
児童文学評論53号
2002.05.25

           
         
         
         
         
         
         
    

 アメリカの現代作家Katherine Pattersonの講演1録には、アメリカの若い詩人Carolyn Forcheが、詩を含めてすべての芸術は特定の風土から生まれるという意味では"soft p."とよぶべき「政治的」だが、中にはソヴェト時代のロシアにあったような"hard p."な政治的芸術もあると語っているという紹介がある。
 "soft p.""hard p."という分類は適切だなと思っているうちに、子どもの文学では、このsoftもhardも一つにまとめて「政治的」とする偏見が、現在も根強いのではないか、そして、その実例は、1970年代後半から80年代のイギリスで、子どもの文学、文化からあらゆる差別を撤廃し、特に子どもの基本的権利擁護を強く主張した作家たちが、その活発な活動期から今日に至るまで、「政治的」と言われ続けていることに見られると思う。まず、このグループでもっとも有名な作家Bernard Ashleyを簡単に紹介しておきたい。
 彼は、1935年にロンドンで生まれ、初等、中等教育をロンドンで受け、教育系の大学で教員資格を取得し、その後もだいたいロンドン地区で教育委員会に所属したり小学校で教師をしたりしてた。
 根っからのロンドン子であり、根っからの教師である彼がものを書き始めたのは、教育の一環として読みやすい短編小説や社会科教材のノンフィクションを書いたのが最初だった。その彼が子どもの文学の世界で注目を浴びたのは、イギリスの子どもの文学の中で黒人の子どもが中心的役割を果たすほとんど最初の作品といわれる『ドノバン・クロフト騒動』(The Trouble with Donovan Croft,1974) だった。
 この最初の作品から、舞台はロンドのイーストエンドである。ここに両親といっしょに住むジャマイカ生まれの小学4年生ドノバンは、父危篤の報を受けた母親がとるものもとりあえずジャマイカにもどったことを、自分を捨てたと思い込み、ショックで失語症になる。父親は一日中外で働く労働者なので、ドノバンは同じ学年の少年がいる家庭に里子に出される。彼を引き受けたイギリス人家庭では、彼を本当にだいじにし、一家で彼の失語症を直すべく懸命の努力をするのだが、世間には里子を預かることを金もうけとしか思わない人もいるし、学校でも人種差別主義の教師もいる。ドノバンを心から気づかう人たちは、周囲の偏見を跳ね返しつつ、彼の心を開かせなくてはならない。
 この小説は、ロンドンをはじめ主要な工業都市で、移民の子どもが多数小学校に入学し、授業よりもまず教室内の融和が教師の仕事となった時期に発刊されたこともあって、多くの学校で朝礼の時に紹介されたり、各クラスで融和のための教材に使われたりして、大きな話題となった。文学作品としてよりも別な役割でよく知られるようになったのである。そして、また、この作品は、子どもの権利研究会(Children's Rights Workshop)が、子どもをめぐる差別意識払拭に功績がある作品のために制定した「もう一つの賞」(The Other Award)を受賞した。
 この作品の主要テーマはコミュニケーション不足による誤解だと思われるが、内容的には人種、宗教、性などによる差別問題が必然的に扱われている点や、主張の明確な団体による賞を受けたことなどが、この作品を実質以上に「政治的」と思わせたのだろうと思う。

簡潔明解の意味

 アシュリーが、ほとんど唯一書きつづけてきたのは、ロンドンのイーストエンドの子どもたちであり、創作のモチーフは、彼らの幸福への願いと言ってよいだろう。だから、彼は、イーストエンドの地勢風土や人間を丁寧に描いてみせてくれる。
『塀の上のテリー』(Terry on thw Fence)は暮らし向きのよい家庭の少年テリーが、姉との口争いがもとで家をとび出し、公園で雷雨に遭い、そこをうろついていた外れ者の子ども集団に捕まり、自分が通学している学校へ侵入して盗みをする手引きをしなくてはならなくなるところからはじまっている。

He was soaking wet.His shirt clung coldly to the front of his body like a creased black skin, and his jeans clutched round his legs like wet hands. Another electric white flash lit up the common and the instantaneous crash shook the earth. Terry screwed his eyes shut tight, terrified as the elements demonstrated their huge power over the civilization of south London, and the urgent hissing of the downpower sounded like silence in his ears when the thunder stopped.
Terry opened his eyes in time for the next bright flash, a jagged arrow which left a purple image on his retina. And then he saw them. Five faces, staring, smiling at him from the filled-in section of the bandstand, squirting derisive laughter at him in the huge wave of thundering sound.(Puffin Books,1975,p.27)
(テリーはびしょぬれだった。シャツが胸と腹に冷たくへばりついて、皺の寄った黒い皮膚のように見えた。ジーンズは両の足にぴたりとまつわりついていた。また稲妻が公園をまばゆく照らしだしたとたん、落雷が大地を揺るがした。テリーは、ロンドン南部の街に大自然が振るう猛威におびえて、かたく目を閉じた。雷鳴が止んだとたんにきこえはじめたどしゃ降りの雨音も、まるで聞こえなかった。
テリーが目をあけたちょうどそのとき、次のまばゆい稲妻がひらめき、視界が紫になった。それから、見えたのだ。顔が五つ、野外音楽堂の席のあるところから、彼をにやにやと見て、つぎつぎと雷鳴が響くたびに、あざけって笑った。)

 突然の雷雨にぶつかって濡れた少年の有様と、雷雨の状態と、それから、テリーが出し抜けに少年五人とぶつかった瞬間が丁寧にしかも分かりやすい語と、それらの語を配列した平明な文を通じて語られている。これが、アシュリー作品の特徴の一つである。
この引用部分に続いて、テリーは、レスと呼ばれる少年を頭とする五人に強制されて自分の通う学校に侵入し、携帯用ラジオを盗む手引きをして、警備員に見つかってみんなで逃げるのだが、レスだけはラジオを持ち出すことに成功する。
 そんな筋の部分でも、作者は校舎の有様を、読者がそこを実際に歩いているような感じがするほど精確に描き、警備員についても、従軍した経験、現在の暮らしや考え方まで、話の流れを滞らせない程度に紹介している。
 警備員の目撃を通じてテリーが侵入者の一人だったことが暴露され、しかし彼の正直な告白で疑いはいったんとける。だが、校長はすぐにまた疑いを新たにする。警備員は、少年集団のボスが、逃げるときにテリーのことをテルと呼んだことを覚えていて、校長に報告したため、校長は、テリーがやはり仲間だったのではと考えを変えるのである。こんな細かい筋の展開は、叙述の丁寧さがあってはじめてできることである。
くりかえすが、描写が細かくて、しかも楽に読める―アシュリーのリアリスティックな作品の特徴の一つである。
 細かい描写と平明な読み易さを特徴とした作家は、イギリスの子どもの文学でも決して少なくはない。アーサー・ランサムは新聞記事書きで鍛えられた簡潔な文体で知られていたし、フィリパ・ピアスはごく日常的な語彙を用いて複雑微妙な事柄を実に精確に表現している。そして、彼らの文体には簡潔精確な文体の特質である快いリズムがある。そのリズムはアシュリーの作品にもあって、彼がなによりもまず、すぐれた文章家であることに気づかされる。だが、ランサム、ピアス、リチャード・アダムズたちといった描写の丁寧な作家たちとは、アシュリーの場合は「丁寧」さが、目立たないながら違っている。
 はやく言えば、アシュリーは、読者の想像力に負担をかけずに、彼らに物語世界を体験させることを心がけている。それは読書の本質に反するのではといった意見は、必ず出ると思うが、彼がおそらく主要な読者と想定したのは、ふだんあまり、あるいは、ほとんど読書をしない子どもたちであることを考慮しなくてはならない。アシュリーは、1945年以後のイギリスの子どもの文学が、暮らし向きのよい家庭の子どもたちから、より広範な子どもたちへと向かってきた流れ―ウィリアム・メイン、フイリパ・ピアス、ジョン・ロウ・タウンゼンドと続くリアリズムの進歩の潮流に属し、読者を広げる大きな力になっいると考えられる。

恐怖ということ

 アシュリーは1999年のThe Little Soldier(「小さな兵士」)がカーネギー賞の最終候補になっていることから考えても一定の手堅い評価は受けていると考えられるが、例えば「アシュリーの作品は子ども向きのプロブレム・フィクションの水準を上まわるできばえだと、一般に評価されている」(『オックスフォード児童文学事典』16頁)とか「アシュリーの多くの作品は、どれも構成にすぐれ、子ども向きのテレビとなって好評である」(The Cambridge Guide to Children's Books in English,2001,p.47)などと、評価もどこか間接的な感じがあり、記述スペースも、非常によく読まれる作家としては極端といってよいほどに少ない。もちろん引用は事典のものであり、扱われている彼は現役の作家ということもあろうし、ほかにもいくつかの理由はあるだろう。そして、その一つには前述した文体の質と扱う問題がいつも「今」であることによるのではないだろうか。
 舞台は、ロンドンのイーストエンド、登場人物はそこに住む大人と子ども、そしてときは今である。その「今」にいる子どもたちは、しばしば恐怖を経験しなくてはならない。代表的な作品は、たぶん、Running Scared(Puffin Plus,1986,『恐怖からの逃亡』と一時的に訳しておく)であろう。これはBBCの子ども向きテレビドラマの脚本を小説化したものである。
 イーストエンドの闇の世界を支配するチャールズ・エルキンは、ある宝石店に侵入して宝石類を強奪し、すばやく逃走しようとするが失敗し、盗品を残して逃げ失せる。刑事マクネイルにはエルキンの犯行とわかっているのだが、告訴できる証拠がない。しかし、決定的な証拠があることはわかっているのだ。逃げるときエルキンはよく知っているタクシー運転手の車に乗るのだが、途中で下車して走って逃げる。その際、眼鏡の半分を道端の溝に、残り半分をタクシーの中に残してしまう。警察がタクシーに残された眼鏡の半分を手に入れれば、犯人逮捕はできるのだ。警察もエルキンも、残された眼鏡を手に入れようとする。そして、その半分を持っているのはタクシー運転手とわかっている。
タクシー運転手には孫娘ポーラがいる。強盗犯人がタクシーから逃げた翌日、水泳に行く途中のポーラはエルキンの忠実な部下で愛人のリーラにおどされる。リーラは、川辺でポーラに声をかけて近寄り、彼女をがっちりとつかまえると、

"I know your grandad―well, know of him, and I've got a message I want delivered, that's all.…"Just tell him, the man said to give back what doesn't belong to him.Tell him…"And she twisted Paula's head violently with her free hand, hurt her, forced her to look into her thin eyes."Tell him to stop making waves.Or swimming could get colder. Tell him that."And with a sudden jerk she grabbed Paula's arm and half-lifted her out over the water. Paula screamed, but in the noise of the wind and the sea-gulls the sound was lost over the wide river.(35)
( 「あんたのおじいちゃんを知ってるんだ。まあ、私が知ってるってことだね。言づてを伝えてくれりゃいいんだよ。おじいちゃんにこう言いな。あの人が、あんたのものじゃないものを返せって言ってるってね」)そう言うと、女は、あいている方の手でポーラの首を乱暴にひねって、痛い目にあわせて、無理矢理目と目を合わせた。女の目の色は灰色だった。「おじいちゃんに、波風を立てるなっていうんだ。さもないと水はよけいつめたくなるってね。そう言うんだ」女は、突然ポーラの片腕をつかんで、ぐいっと引き寄せると、ポーラの体を持ち上げ気味に川に突き出した。ポーラは悲鳴をあげたけれど、その声は風の音とカモメの鳴き声にまじって、広い川面にかききえてしまった。)

 ポーラがいきなり暴力的に脅迫されたことを皮切りに、ポーラの一家は祖父、父親、中古自動車販売で繁盛しているポーラの伯父までが脅迫される。一族はイーストエンドで生活できなくなる瀬戸際に立たされる。少女にとって恐ろしい力を持つ見知らぬ女に川へ突き落とされそうになるような経験は、本当に恐ろしいことである。
 肉体的な苦痛を与えることを脅迫手段とするエピソードをアシュリーは『塀の上のテリー』でも、効果的に使っている。すでに引用した文の末尾で、雷雨を避けて野外音楽堂に逃げ込んだテリーは、瞬間閃いた稲妻の光の中で5人の少年たちの顔を見る。これだけでも、中産階級の家庭に育ち、一人で夜間外出などしない少年にとっては、相当に恐ろしいことである。彼は雨中を彼らに追われてにげまわってつかまり、何をされるかわからない恐怖におびえる。作者の描写力にもよるが、この時のテリーの不安と恐怖は大変なものだったろうと推察できる。
 ロンドンのイーストエンドを舞台にしたアシュリーの作品群を読むと、イーストエンドの子どもたちは、大人が作った社会のマイナス部分が生み出す脅威に絶えずさらされて生きているのだと実感させられる。『恐怖からの逃亡』は、テレビ・ドラマの小説化であるから、劇的効果を考えての誇張もあるだろう。しかし、小学校の校長だったアシュリーは、「小学校の教師は、授業をするだけではなく、例えば無責任に子どもを生まないようにと産児制限教育を親に向かってしなくてはならない」と語ったことがある。そんな教師体験を背後に持つ作家が自分が生まれ育ち、そして教師として子どもたちの生活に密着していた地域とそこでの生活をリアリスティックなフィクションとしているのだから、描かれた事柄は事実に基づいたものに違いないと感じさせられるのだ。
 イーストエンドはさまざまな人種が生活している。『恐怖から逃亡』には、ポーラの友達であるシーク教徒一家の少女ナリンダーが登場する。この一家は印刷所を営んでいるが、経営は思わしくない。ところが、そこへエルキンの手下が現れてしょば代を要求し、渋ると印刷用のインクを店の床いっぱいに流したりする。恐喝しての集金にあらわれた若い男が親友ポーラのいとこにあたると知ったナリンダーは、ポーラにも裏切られたと思って絶望的になり、イギリスで暮らさねばならないアジア人の辛さを思い知る。
 アシュリーのフイクションの世界では、人種差別問題は、日々の生活の中にある問題であり、日常の生活の場で、具体的な問題として解決していかなくてはならないことである。イデオロキギーに基づく主張でもないし、政策論争の問題でもない。そうした問題の悪影響を受けている子どもは、その渦中でに苦しみ、悩み、途方に暮れたり、絶望感にとらわれたりしている。
 人種、宗教、習慣、性などによる偏見や差別などの問題を含むアシュリーの作品は政治的とよべるかもしれない。しかし、彼とRobert Leeson, Jan Needle,Gene Kempたちの作品は、以後の子どもの文学を大きく変えた。例えば、1960年代まで、いや70年代までは、どこかにひそんでいた男性中心意識など、80年代のイギリスの子どもの文学には、とにかく表面的にはまったく感じられなくなっている。「政治的」と言われた作品群が、子どものために大きな変化をもたらしたのである。
 創作という行為は、社会の中で生きている人間の営みである限り、政治的な行為である。当然、子どもの文学の創作も政治的行為である。どのように政治的であることが望ましいか―アシュリーの作品は豊かな示唆に富んでいると思う。
 1981年に彼と話しあったとき、彼は体験にもたれかからない想像力豊かなリアリズム作品の可能性を語ってくれたが、(1)彼は、読書の習慣がない子どもたちにも、楽に読めて表現力に富む文体を創出した。(2)体験記録かと思うほどに現在性のあるリアリスティックなフィクションを生み出した。(3)筋とその組み立ての工夫を通じて面白く読める作品を次々に発表している。これは現在の「面白く、楽に読める」作品の流れのいわば先駆的な役割を果たした特徴である。
 外国の作家の、ほかの国での知名度など、たぶんに偶然に支配される。日本でも、アーサー・ランサムは比較的によく読まれたが、彼とほぼ同時代で、イギリスの子どもの文学に多大な貢献をしたジェフリ・トリーズは、さまで評判にならなかった。サトクリフの歴史小説はよく知られているが、同時代のシンシア・ハーネットは、カーネギー賞受賞者だが、訳書もなければ、あまり研究論文にもお目にかからない。
 トリーズもハーネットも、日本の子どもには馴染みのない時代や事柄を扱った歴史小説を創作したためだろうか。ひょっとしたら、できるだけ事実に近づくことに成功したリアリズム作品は、地域限定、時間限定という光栄ある宿命を背負っているのかもしれない。
 アシュリーは、戦争を扱った作品を二冊発表している。これについては「彼らの語った戦争」として稿を改めたい。
註1The Zena Sutherland Lectures 1983-1992,edited by
Betsy Hearne,Clarion books,1993