金原瑞人のあとがき大全(2)

かかし (ロバート・ウエストール ベネッセ・コーポレーション 1981 1987)
のっぽのサラ(パトリシア・マクラクラン:作 福武書店)

           
         
         
         
         
         
         
    

 あとがきはちょっとあとにおいておいて、まず固有名詞について。
「翻訳の世界」という雑誌(いまは「eとらんす」というわけのわからない雑誌になってしまった)で、「欠陥翻訳時評」という名エッセイを連載していらっしゃった別宮先生がどこかで、「意外と思われるかもしれないが、翻訳でなにがやっかいといって、固有名詞ほどやっかいなものはない」という内容のことを書いていらっしゃった。これは発音を間違えて訳してしまうという単純な例にとどまらない。たとえば、現在、日本語に訳される本の場合、ほとんどの固有名詞は現地の発音にしたがうようになっている。英語圏では「チャールズ・ボイヤー」と呼ばれる、かつてのフランスの名映画俳優は、日本語ではもちろんフランス語の発音に準じてシャルル・ボワイエと表記される。また英語で「ベニス」と発音されるイタリアの観光名所は「ベネチア」と表記される……が、それじゃあ悪徳高利貸しシャイロックの登場するシェイクスピアの芝居は『ベネチアの商人』かというと、なぜか『ベニスの商人』である。このあたり、なかなか一筋縄ではいかない。
 しかしそれ以前の問題として、あきらかなまちがいもある。アメリカ大統領の「リーガン」がすぐに「レーガン」に訂正されたのは例外といっていい。誤った発音が定着することのほうが多いのだから。たとえば「ルーズベルト」は「ローズベルト」(あるいは「ローザベルト」)だし、「アーカンサス州」は「アーカンソー州」が正しい。もっとも、これらふたつの固有名詞、最近やっと正しく表記されるようになった。めでたい……と思っていたら、つい数年前に出た『第二次世界大戦事典』の最初のページの最初の項目が「アーカンサス号」だった。
 また発音の表記の間違いではないが、面白い間違いに「聖林」というのがある。これは外国の地名や人名を漢字で表記していた時代に生まれたものだが、「ハリウッド」と読む。こう表記した人は「Holywood」と読み誤って、こう書いたのだろうが、よくみると、ハリウッドは「Hollywood」であって、「柊林」が正しい。
 こういう外国の固有名詞の漢字表記はかつて頻繁に行われていたのだが、これらのなかには中国語表記と日本語表記の両方がある。そして共通のものとそうでないものとがある。たとえばボンベイやギリシアやローマは日中共通で、それぞれ「孟買」「希臘」「羅馬」と表記する。またロンドンも同じで、「倫敦」と書く。しかし微妙に違う表記もあって、イングランドは「英格蘭」(中)と「英蘭」(日)、フランスは「法蘭西」(中)と「仏蘭西」(日)、ニューヨークは「紐約」(中)と「紐育」(日)といった具合。ほかにも日本での「喜望峰」は中国では「好望角」。あと、日本ならではの表記に「剣橋」というイギリスの地名もある。いったいだれが考えたんだろう。
 この頃、明治時代に書かれた本を読むことが多いのだが、ヨーロッパの人名の漢字表記もなかなか楽しい。「亜歴山」(アレキサンダー)、「査理」(チャールズ)、「依利薩伯」(エリザベス)、「魯濱孫」(ロビンソン)などなど。
 まあ、こういったマニアックな話はこのへんにしておこう。もともと翻訳に誤訳はつきものだが(なにしろ、英語には「翻訳者は裏切り者」ということわざもあるくらいだ)、翻訳で固有名詞の発音をすべて間違えずに表記することはかなりむつかしい。
 たとえば、『アンパオ』や〈幻の馬〉シリーズを書いた 'Jamake Highwater' 、彼の名前は普通に読めば「ジャメイク・ハイウォーター」である。しかし作者からの手紙に「ジュマーク・ハイウォーター」としっかり書かれていた。間違える人が多いからにちがいない。
『イルカの歌』(白水社)でもひやっとした。じつはこの本、あとは印刷を待つばかりという状態になったとき、理論社から『ビリー・ジョーの大地』という同じ作者の本の宣伝をみたのだが、なんと、作者名「カレン・ヘッセ」とある。こちらは「カレン・ヘス」という表記。あわててエイジェントに電話して、向こうの編集者に確かめてもらったところ、「ヘス」とのこと。すぐに理論社に電話をして訂正してもらった。
 あとびっくりしたのが、ついこないだ出た『ゼブラ』(青山出版社)の作者。この短編集のなかの一編が、光村図書出版の中学生用教科書にダイジェストで載ることになっているのだが、作者のスペリングは 'Chaim Potok' 。なにも考えず「チャイム・ポトク」と書いたら、光村の編集者から連絡があって、「ハイム」ではないかとのこと。すぐにアメリカの出版社に問い合わせてもらったところ、「ハイム」だった。おいおい、こんなのありかよ……という感じ。
 とにかく、固有名詞ではいつもひやひやしている。
 なんで、こんなことを長々と書いたかというと、前回取り上げた『さよならピンコー』、作者を「コリン・シール」と書いたし、実際に訳本の表記もこうなっているのだが、のちに「コリン・ティーレ」だということが判明した。というか、なにも知らない英語圏の人々はおそらく「コリン・シール」と発音しているにもかかわらず、ドイツ系オーストラリア人である本人は「コリン・ティーレ」と読んで欲しいと主張しているらしいのだ。なら、そうすべきだろう。この件に関して、詳しいことを知りたいかたは「海外児童文学通信」(ごくまれに図書館に置いてあったりする同人誌。これについてはいずれまた)の一六号に掲載されている沢登君恵さんの「コリン・ティーレ論:孤島のカササギ」を読んでほしい。
 あと翻訳で困るのは、細かい場所の名前である。詳しい地図をみれば、それがどこにあるかはわかるのだが、いったいどう呼ばれているのかがわからない。かといって、その国の人にきけばわかるというわけでもない。「蒜山」なんて、岡山県人以外で知っている人はあまりいないだろう。現地の人にいちいちたずねて確かめるしかないのだ。しかしいつもいつも、それができるとは限らない。そのうえ、呼び名もその時代時代で変わる。たとえば現在、「あきはばら」と呼ばれている「秋葉原」は、かつては「あきばっぱら」と呼ばれていたという。最近の若者はまたこれを「あきば」と呼ぶ……が、この呼称はまだ定着していない。
 アルファベットで書かれたものを日本語に訳すとき、固有名詞はとても扱いが難しい。その点、アルファベットを使っている国はとても楽だと思う。


 さて、今回は「あとがき」をふたつ。というのも、今月出た訳書は『スクランブル・マインド』(あかね書房)と『レイチェルと滅びの呪文』(理論社)の二冊だったから……というわけでもないのだが、なんとなく……
 取り上げるのは『かかし』と『のっぽのサラ』のあとがき。
 ぬぷん児童図書出版からは『さよならピンコー』を一冊出しただけで、それっきり縁が切れてしまい、しばらく福武書店(現在のベネッセコーポレーションの前身)でリーディングをしていたのだが、そのとき引っかかってきたのが一連のヤングアダルト向けの作品だった。作者でいうとロバート・ウェストール、ジュマーク・ハイウォーター、スーザン・プライス……そしてヤングアダルト向けの作家じゃないけど、パトリシア・マクラクラン。ついでにいってしまうと、リチャード・ケネディの『ふしぎをのせたアル号』もリーディングを頼まれ、「絶対に面白い!」と太鼓判を押した一冊。できれば自分で訳したかったが、いろいろあって翻訳は中川千尋さんへ。当時はまだ一介のリーディング要員だったので、そう要求が通る立場ではなかった……というより、ほかの本を訳すので精一杯だった。しかし福武時代にリーディングした本のなかで、太鼓判を押したけれどほかの人が訳すことになって口惜しい思いをした本が二冊ある。それはこの『アリエル号』と、ウェストールの『猫の帰還』。
 じつは『猫の帰還』、ウェストールの作品のなかではとても出来がよくて、ぜひ訳したかったのだが、当時の編集から「ネイティヴのリーダーの反応があまりよくない」といわれ、ペンディングのまま。しかたないので、『猫の帰還』のなかのエピソードをひとつ、斎藤倫子さんと訳して「アルマジロ」という雑誌に載せてもらった。それくらい思い入れは大きかった。やがて福武はベネッセと名前を変え、やがて児童書の出版を中止してしまい、この本は徳間から出ることになった。ネイティヴのばか。もし自分が訳していたら、タイトルは原題通り『ブリッツ・キャット』だったと思う。この「ブリッツ」という言葉に、ウェストールの気迫が感じられる。
 さてまた話は『アリエル号』にもどる。訳者の中川さんとは妙な縁があるらしい。というのも中川さんが訳した『シェフィールドを発つ日』も、ぼくが読んで要約をまとめた本。しかしこれは、あまり性に合わなくて、辛い点をつけた覚えがある。だから、こっちのほうは少しも口惜しくない。中川さんと新宿でいっしょに飲んだとき、「なーんだ、三冊とも(じつはもう一冊ある)金原さんがリーディングした本だったの? 変な縁ねえ」とびっくりされた。たしかに。
 当時は、いまでは自分でも信じられないくらいの本を読んでいたらしい。そしてそのなかでまず目にとまったのが『かかし』だった
 あとできくところによると、神宮輝夫、岡本浜江といったベテランの翻訳者がいくつかの出版社に持ちこんでいたらしい。が、どこも出そうとしなかった。なんでこんなに面白い作品が……カーネギー賞も取っているのに……と首をかしげたくなるが、考えてみれば、当時の日本では英語圏のヤングアダルト向けの本がそれほどそれほど出ていなかったわけで、いわゆる児童書の出版社が二の足を踏んだのも無理はない。それに恐怖小説だし。だから『かかし』が出版されたときには、図書館や文庫でちょっと評判になった。やっぱり児童書のなかでは珍しかったんだと思う。この十数年で、日本の児童書の世界もずいぶん変わった。


   『かかし』の訳者あとがき

 ときどき――というか、ほんのたまに、「ううーんすごい」とうなってしまうような本に出会うことがある。そういう本に出会うと、再びそのような体験を期待して、次から次へと本を読みたくなる。これは訳者だけの奇妙な癖なのかもしれない。しかしすごい本に出会ったときの感動は、万人に共通の、得難い体験にはちがいないだろう。
 ロバート・ウェストールの『かかし』を読んだときの体験が、まさにこれだった。それは、ううーん、やってくれるな、という一種の驚きでもあった。
 この物語を分類するなら、いちおう恐怖小説ということになるだろうが、不気味はゾンビが人間を襲ったり、めったやたらに血しぶきが飛んだりといった恐怖映画とはまったく異なっている。簡単にいえば、幼い頃に父親をなくしたサイモン少年の、母親と母親の新しい夫ジョーに対する憎悪を中心として、いくつかの事件が起こっていくのだが、そのサイモンの憎悪に引きよせられるかのように三つのかかしが広大なカブ畑を近づいてくるという、ただこれだけの話である。扱いかたによっては、まったくのコメディーにもなりかねないこんな物語を、ウェストールは、圧倒的な迫力を持つ第一級の恐怖小説に仕立てあげた。こんな話がどうしてこわいのか。それは読んだかたはもうおわかりだろうが、主人公のサイモン少年の追いつめられていく心理が細かく描写されているからである。
 作者ウェストールはこれまで、『機関銃要塞の少年たち』をはじめ、多くのすぐれた作品を書いているが、これほど主人公の心理を鮮やかに描ききった作品は、あまりない。家族のなかで次第に孤立していくサイモンの孤独感は、痛いほど読者に伝わってくるにちがいない。いや、孤独感だけではない。戦争で死んだ前の父を冷酷な人殺しと考える母親との衝突や、ジョーにちやほやされて喜ぶ妹にたいする怒りが丹念に描かれる一方、心の底ではジョーの良さに気づきながらも、死んだ父親に対する思慕と、次から次に起こる不本意な事件のために、いっそう屈折していくサイモンの気持ちがこまやかに描写されていく。ときどき、近づいてくるかかしが怖いのか、それともサイモンの気持ちが恐ろしいのかわからなくなるくらいだ。いってみれば、これは全編緊迫感にみちた心理小説でもあり、心理恐怖小説とでもいえばいちばんぴったりなのかもしれない。
 傷つきやすく、ナイーブで、死んだ父親から精神的に離れることのできない少年の、孤独と憎悪。そしてそれに呼ばれるかのように近づいてくるかかし。作者はこれらの要素を実にうまく料理している。
 とにかく最近めったにお目にかかれない、ずっしりとてごたえのある一冊といってよいだろう。

 なお、最後になりましたが、口うるさい編集の上村令さんと、たくさんの質問に丁寧に答えてくださった作者のロバート・ウェストールさんに、心からの感謝を。
                   一九八七年一月二十二日     金原瑞人


 そして次に訳すことになったのが、パトリシア・マクラクランの『のっぽのサラ』。これを訳すことになったいきさつについては、「あとがき」に詳しいので省略。それよりも、なんでこんな長いあとがきになったのか……それについてちょっと。
 といっても、そうたいした理由があるわけではない。ただ単に、束が出ないから。「束」というのは製本用語で、「厚さ」のこと。できるだけ大きめの活字を使って、できるだけ挿絵をたくさん入れて……それでも、まだ薄い……というので、編集の角田さんから「できるだけ長い長いあとがきを」という依頼がきた。そしてできるだけ長い長いあとがきを書いた……ただそれだけである。おそらくこれ以上長いあとがきを書くことは二度とないと思う。
 それからもうひとつ。じつはこの本、最初は「……だった」という文体で訳した。ところがこれを読んだ角田さんに、「『です・ます体』じゃ、だめですか?」といわれてしまった。
「いや、原文がとても歯切れのいいリズミカルな文体だから、『です・ます体』じゃないほうがいいと思うんだけど」と答えたものの、それほど自信があるわけではなく、結局もうひとつ、「です・ます体」の翻訳も作ってしまった。そしてふたつ提出して、どちらでいくかは編集部で決めてもらった。
 このへんのことは、講談社インターナショナルから出ている『のっぽのサラ』の英文+注釈の本にも書いておいたので、興味のある方は読んでみてください。


   『のっぽのサラ』の訳者あとがき

 だれかに本を贈るというのは、とてもむつかしいことです。とくに、自分の好きな人に贈るとなったら、まず頭をかかえて考えこむのがふつうでしょう。ひたすら相手に読ませたいというだけの本なら、話はいたって簡単なのですが、自分も好きで相手も喜んでくれるようないい本をと考えると、これはなかなか難問です。それも、きれいな風景や花の写真集とかなら無難でしょうが、小説となると、自分も相手も気にいってくれそうなものをみつけるのは、なみたいていの苦労ではありません。
 ぼくが『のっぽのサラ』の原書を読んだのは、去年、ある喫茶店でのことです。ぺらぺらとめくりはじめて読み終えるまで、たぶん二時間もかからなかったでしょう。あれほど集中して本を読んだのは、ほんとうにひさしぶりでした。本をとじて、ほっとため息をつき、「いい本をよんだなあ」としみじみ感じました。
 その夜すぐに本の要約をまとめて、翌朝、出版社にもっていきました。「ぜひ出してください」とひとことそえて。
 出版社の編集会議で、その日のうちに出版がきまりました。
 そしてこの本ができ、ぼくの、好きな人に贈りたい本のリストに新しい一冊が加わりました。
 単純といえば単純な物語です。
 アンナとケイレブとおとうさんが住んでいる大草原のまんなかの小さな家に、サラという女の人がやってきます。そう、のっぽでぶさいくなサラが。サラは、おとうさんが新聞にだした広告をみて、もしいっしょに暮らせそうなら、おとうさんと結婚しようとやってきたのです。四人での楽しい暮らしがはじまります。アンナとケイレブはうれしくてしょうがありません。でも、心のなかでは、心配で心配でたまりませんでした。サラは、ずっとここにいてくれるのだろうか……。
 この単純な物語が、一九八五年にアメリカで出版されると、多くの雑誌や新聞の書評に取りあげられ、大評判になり、ついに第六六回目のジョン・ニューベリー賞を受賞することになりました。
 ニューベリー賞というのは、一年に一度、アメリカ国内で出版された児童書に与えられる賞で、児童書を対象とした賞としてはもっとも歴史があり、過去には『ドリトル先生航海記』、『クローディアの秘密』、『タラン・新しき王者』、『偉大なるMC』といった読みごたえのある作品が受賞しています。これはイギリスのカーネギー賞と並んで、とても権威のあるものです。ニューベリー賞を取った本は、一年以内に最低十万部が売れ、そのあともまず絶版になることはないといわれています。
 『のっぽのサラ』がニューベリー賞を受賞したとき、児童文学にくわしい人たちはちょっと驚いたようです。というのは、これまでニューベリー賞をもらった作品はほとんどが、『のっぽのサラ』の三倍から四倍くらいの長いものばかりだったからです。こんなに短い本がニューベリー賞をもらうというのは、例外中の例外といっていいでしょう。
 『のっぽのサラ』のような単純で短い作品が、どうして、ふつうは長い作品に与えられるニューベリー賞を取ったのでしょう。
 この本を読んだ人なら、この質問に答えるのは簡単だと思います。
 話が単純で、作品が短いということは、本の良さとはまったく無関係だということを、この本は教えてくれています。
 主人公のアンナ、弟のケイレブ、おとうさん、そしてサラ、どの人物も魅力的で、生き生きと描かれています。
 どこまでも広がる大草原、池の水を飲んでいる牛、ケイレブといっしょにとびはねる羊、サラのあとをばたばたと追いかけるニワトリ、すさまじいあらし。どれもが、目のまえにみえるようではありませんか。
 そして、サラがいつもなつかしんでいる故郷の海、アンナやケイレブがみたことのない海、サラの言葉のはしばしから、その「青と緑と灰色の海」がくっきりと浮かんでくるではありませんか。
 これほど短い作品で、これらすべてを見事に描いたマクラクランは、すばらしい才能の持ち主だと思います。
 その上、作品の構成がとてもしっかりしています。
 「海、もってきてくれた?」というケイレブの言葉、「青と緑と灰色の海」という言葉。ときどきさしはさまれる、これら、なにげない言葉が作品を最後までうまく支えて、思いがけない効果を発揮しています。
 大人の本、子どもの本をとわず、これほど構成がしっかりしていて、登場人物や情景が生き生きと描かれた作品には、なかなかめぐりあうことができません。中編小説の見本のような作品です。
 『のっぽのサラ』は、ニューベリー賞以外に、もう一つ賞をもらっています。それは第三回目のスコット・オデール賞です。
 スコット・オデールというのは、子どもむけの歴史小説をたくさん書いている作家で、日本でも『ナバホの歌』や『黄金の七つの都市』といった作品が翻訳されています。このスコット・オデールが創始したのが、スコット・オデール賞で、これは、子どもむけに書かれたすぐれた歴史小説に与えられる賞です。
 オデールは『のっぽのサラ』についてこんなことをいっています。
「こんなに短い本なのだが、サラがアンナの家にいてくれるのかどうか、気になって気になって、途中で最後のページをめくってしまったよ」
オデールと同じ気持ちにかられた人も、きっと多いことでしょう。
 この本をひとことでまとめれば、「愛と希望と家族についての本」ということになるでしょうか。
 とにかく、心を洗われるような一冊です。
 (アンナの家にやってくる、のっぽでぶさいくな“Sarah”は、英語ではセアラ、またはセイラと発音するのですが、庶民的で日本人に親しみのあるサラという名前にしました。また、「ヨメボウシ」という植物がでてきますが、これは英語の“bride's bonnet”を、前後の関係でそのまま訳しておきました。小さな白い花をつけるそうです。)

 最後になりましたが、言葉にうるさい編集の角田大志さんと、とってもしゃれた表紙と挿絵を描いてくださった中村悦子さんと、図解つきでていねいに質問に答えてくださった作者のパトリシア・マクラクランさんに、心からの感謝を。
一九八七年九月九日 金原瑞人


 そうそう、『のっぽのサラ』でご一緒した、表紙と挿絵の中村さんと、「またぜひ一度、いっしょに仕事をしたいね」といっていたのだが、去年の九月、やっと念願がかなった。同じくマクラクラン作の『海の魔法使い』。とてもとてもかわいい話で、そのうえ物語そのものがよくできている。そのうえ、これがイラストいっぱいの素敵な本で読めるのは日本だけ。もともとはジェイン・ヨーレンが編集した短編集のなかの一編で、この短編集はもう絶版になっている。マクラクランも、この短編を一冊の薄い本にして出すという話をとても喜んでくれたらしい。
 『逃れの森の魔女』(青山出版社)を一緒に訳している久慈美貴さんが、やはりこの本をとても気に入ってくれて、「『青い馬の少年』と『海の魔法使い』はとても好き。こないだふと思ったんだけど、二冊とも『名づけ』の本なのよね」といっていた。ぼくも気がつかなかったけど、たしかにそうだ。
(金原瑞人)