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犬飼和雄先生というのはずいぶんと変わった人だった。いや、現在もそうらしいが。 もう二十年以上前の話になるが、先生の三鷹の下宿(当時、犬飼先生は甲府と三鷹の両方に住んでいた。もちろん公団)にいったとき、妙に嬉しそうな顔で、開口一発、「金原君、きみはホテルに泊まったことがあるかね?」ときいてきた。 「はあ、まあ」 「じゃあ、バスタブの横にかけてある、ごつい長方形の布はなにか知ってるかね?」 「足拭きじゃないんですか?」 「なんで知ってるんだ?」 「え……」 「だって、普通のホテルには、バスタオルが一枚、ハンドタオルが一枚、それからあの長方形の分厚いのが一枚あるだけだろう。ということは、体を洗うタオルがないじゃないか」 「え、じゃ、先生はあの足拭きに石鹸を塗りつけて体を洗ってたんですか?」 「この四十年、そうしていた。普通の人間はそうしていると思ってたんだがねえ。まあ、たしかに分厚いからなんとなく使いづらくはあったんだが……」 「先生、その四十年来の間違いに、どうして気がついたんです?」 「うん、こないだヘチマを買いにデパートバス用品売り場にいってみたら、なんと、あの長方形の布が並んでいて、『足拭き』と書いてあったんだ」 とにかく妙な人ではあったが、翻訳に関してはとてもいいセンスを持っていた。たとえば、「There is no choice」という文をみて、「ぜいたくはいってられない」とさらりと訳してしまうような人だった。翻訳のセンスというよりは日本語のセンスにすぐれた人といったほうがいいかもしれない。「文学界」の新人賞を受賞したこともあって、そのとき大学の教員をやめて本格的に小説を書こうかと迷ったが、娘さんが大病にかかって断念したらしい。犬飼先生はもともとは英文学の研究をしていて、東大の修士論文はジェイムズ・T・バレルだった(おそらく、英文科の院生以外はだれも知らない作家だと思う)。そして高校の英語教員から大学の教員へ。ふとしたことからホガードの『小さな魚』を翻訳することになり、英語圏の児童文学のすばらしさを実感し、児童書の翻訳を続けることにしたという。そしてぬぷん児童図書出版の石井さんと組んで、次々と読み応えのある作品を翻訳・紹介していた。ピーター・カーター、レオン・ガーフィールド、スコット・オデール、コリン・シールといった作家の児童書がぬぷんから次々に出版されたのが八十年代。訳者は犬飼先生のほかに沢登君恵、安藤紀子、そしてちょっと変わったところで、参議院議員に当選した田嶋陽子(カラーシニコフの『シベリアの馬ジャンパー』を訳している)などなど。その頃、犬飼先生は田嶋先生と同じ法政大学第一教養部に所属していて、仲がよかったらしい。 さて、その児童文学熱がこうじて、犬飼先生は児童文学館を作ろうと思い立った。そして和書五万冊、洋書五万冊の図書館を目指して本を集め始めたのだ。オールドパーやジョニ黒がやっと一万円を切った時代。まだドルが高くて、英米から本を取り寄せるのはかなり勇気を要した時代である(たしか六十年代はパイプ一本が、サラリーマンの一ヶ月の給料だったはず。一ドルが三百六十円を割って三五七・九六円になったのが七一年、そして約二百円になったのが八六年だった) 犬飼先生は原書の収集を始めたのはいいが、元来整理能力は人一倍劣っていたため、大学生のボランティアをつのって、図書の整理(カード作り)をしていた。そこに引っかかってきたのが、赤木幹子だった。幹子はぼくの後輩で、法政の英文科。しかしまるっきり英語が読めない。英語が読めないくせに児童文学には異様に詳しい幹子と、児童文学はまったく知らないけれど英語がまずまず読める金原がケンカしながら朝日新聞に書評を書くようになるのは、もうちょっと先の話。 閑話休題。ともあれ犬飼先生は日本でも類のない児童文学館を目指して、毎月数十冊の原書を取り寄せていて、法政の生協に行くと段ボール箱にぎっしりそれが詰まっていた。 というふうに書くと、まるで石井桃子とか鳥越信とか神宮輝夫のような人かと思われるかもしれないが、まったくちがっていた。 だいたい児童文学館を建てる予定地というのが、岩手県は早池峰山の麓付近にある薬師谷。そこに村の経営する宿泊設備があって、犬飼先生は毎年夏になると、学生を連れてそこで三泊四日くらいの合宿をしていた。早池峰山というのは、遠野市と川井村の両方にかかる、北上山地の最高峰で、岳神楽で有名な所だが、とてもとても不便な場所だ。ちなみにその宿泊設備は当時まだ電気がきてなくて、灯油の自家発電機が備え付けてあったが、夜の十時を過ぎると照明はろうそくになる。薬師谷を少し上にいくと、老夫婦が住んでいる家があった。老主人はすでに八十過ぎ。ふたりで畑を耕し、川で魚を釣って暮らしていた。郵便物は一週間に一度。もちろん電話はあるが電気はなく、ランプの生活。犬飼先生に連れられて、その老夫婦の家に遊びにいっては、いろりの上のほうに吊してあるマムシに女の子はきゃーきゃー騒いでいた。 なぜそんな辺鄙な場所に児童文学館を建てようと思ったかというと、そこが格好の岩魚の釣り場だったからだ。犬飼先生は渓流釣りが大好きで、北海道まで釣りにいっているが(「ぬぷん」というのは北海道の地名で、オショロコマがよく釣れる所らしい)、いちばん気に入ったのが、この薬師谷だった……だから、ここに児童文学館を建てよう……と思ったらしい。 「だけど、そんな遠くに図書館を建てたら、だれも読めないじゃないですか?」(金原) 「だれも読まなければ、本がいたまなくていいじゃないか」(犬飼) こんな調子である。 犬飼先生というのは、自分の好きな本を集めて、自分の好きな場所に展示すればそれで満足……という、非常に自己中心的な人物なのであった。 そしてそれがまた、犬飼先生の大きな魅力のひとつでもあった。 さてあるとき、犬飼先生から一冊の本を渡されて「ちょっと読んでみてくれないか」といわれた。そこでお借りして、その日読み始めたら、これがおもしろくておもしろくて、結局二日ほとんど寝ないで読み終えてしまった。そして先生のところにいって、夢中になってその魅力を語った。それがジュマーク・ハイウォーターの『アンパオ』だった。 じつをいうと、大学のときの卒論はル・グインのSF小説で、大学院の修士論文はエドガー・アラン・ポーで、それ以後は英米のファンタジーで論文を書き、やがてヨーロッパのファンタジーに飽き飽きしてきたところに、ガルシア・マルケスをはじめとするラテン・アメリカのマジック・リアリズムに魅了されていた自分にとって、『アンパオ』は当時最高の刺激だった。そこにはマジック・リアリズムの影響を受けながらも、また異なったふうあいの文学があった。 また犬飼先生も『アンパオ』の面白さをわかってくれたのか、これが一時、先生の翻訳の勉強会のテキストになった。先生としては、金原にまとめさせて、そのうちぬぷん児童図書出版から出させてやろうという心づもりだったらしい。 ところが、ぬぷんが降りてしまった。ニューベリーのオナーになったとはいえ、それまでの児童書とはずいぶんタイプが異なっていたため、リスクが大きいと踏んだらしい。 そこで福武書店に持ちこんだものの、やっぱり編集部は「ちょっと待って」という反応だった。しかし『かかし』『のっぽのサラ』と、とりあえずぼくの訳した本が売れ出したので、じゃ、これも出してやろうか……というわけで、ついに『アンパオ』出版の運びにいたった。 さて、そろそろジュマーク・ハイウォーターの話に移っていくのだが、そのためにはマジック・リアリズムの話をしなくてはいけないし、そのためにはリアリズムの話をしなくてはいけないし、そのためには一八世紀のヨーロッパの話をしなくてはいけないし、そのためにはせめてヨーロッパ近代の話をしなくてはいけない……が、それを詳しく書いていると一冊の分厚い本になってしまうので、ごくごくかいつまんで説明してしまおう。 イギリスで小説が誕生するのは一八世紀であって、それ以前にはそんなものはなかった。そもそも英語の「novel」は「新しい」という意味(フランス語の「ボジョレー・ヌーヴォー」の「ヌーヴォー」、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の「ヌーヴェル」にあたる)。つまり小説というのはその時代にあっては「新参者」だったわけ。なにとくらべて新しいかというと、数千年の歴史を持つ詩や演劇に対して。 イギリスでは近代に入ると、封建主義的・キリスト教的価値観が崩壊していく。つまり政治的・経済的な実権を中産階級が握るようになってしまう。すると中産階級の人々は、自分たちの社会に住む自分たちのような主人公が活躍する作品を求めるようになる。中世の物語は王侯貴族や騎士や僧侶が主人公だったのだが、そんなものは読みたくない、というわけだ。こうして近代を舞台にし、近代人を主人公にした「小説」が誕生する。そしてその背景には科学的・客観的な価値観があった。だからイギリス一八世紀の小説を読むと、情景描写がとても細かいうえに、時間の推移がとてもきっちり描かれている。空間的・時間的な書き込みが異様に詳しい。これは中世の物語とはずいぶん異なっている。たとえばマロリーの『アーサー王の死』におけるキャメロットの城の描写がどのくらいあるか読んでみるといい。城の高さはどれくらいか、広さはどれくらいか、そこに仕えている人々はどれくらいか……そしてまた、キャメロットからほかの城までいくのにどれくらいの日数がかかったのか……そういったことはほとんど触れられていない。 しかし近代小説では、そういったことはきっちり描かれている。つまり、それが小説における「リアル」であり、小説の「リアリティ」なのだ。「いやあ、××の作品にはリアリティがなくてね」などという批評家は多いが、「リアリティ」なんかが必要とされるようになったのは、たかだかこの三百年くらいに過ぎない。 小説の目的はというと、「背景を、情景を、人間を、人生をリアルに描く」ことなのだ。いってしまえば、「合い言葉はリアル!」である。だからE・M・フォースターなどは、悪玉善玉がはっきりしている荒唐無稽な冒険小説を、ただただ読者の好奇心におもねるだけの通俗的な読み物としてこきおろしている。リアルじゃないから、というのがその理由だ。 そしてこの小説におけるリアリズム信仰は現在まで続いている。だから小説の言葉は、作者が描きたい物を的確に描くための道具であって、それ自体が美しくある必要はまったくないし、作品が韻を踏んでいる必要もまったくない。それが詩との違いでもある。詩はその音楽的なおもしろさ、意味と響きがかもしだすハーモニーの美しさ、あるいは意外さ、また言葉の組み合わせが生み出すイメージの楽しさ……といったものが命なのだから。それに対して小説の言葉はあくまでも「リアルに写すための道具」なのだ。言葉がこのような役割を負うようになるのは、もちろん近代以降である。 だからその意味でいえば、一九六0年代の後半から世界的なブームになるファンタジーもリアリズム小説の一種である。描く対象がナルニア国であれ、中つ国であれ、アースシーであれ、そういった作品の言葉は、作者の創造した世界を写すための道具なのだから。 非常に乱暴だが、イギリスの小説の流れはそんなふうにまとめていいと思う。詳しく知りたい人にはイアン・ワットの『小説の勃興』(南雲堂)を勧めておこう。 さて、卒論ではル・グインのSFを、大学院の修士論文ではポーを選んだのだが、大学院の博士課程に進んで、次第にヨーロッパの小説にある種の飽きがきたところに出会ったのがラテン・アメリカの作品だった。とくにガルシア・マルケスとドノソは強烈だった。なにが新鮮だったかというと、その言葉の使われ方だった。彼らの作品は小説なのだが、ヨーロッパや日本の小説とは一線を画していた。 ラテン・アメリカの作家の作品の特徴をマジック・リアリズムという言葉でまとめることが多い。これも簡単に乱暴に解説してしまおう。つまり、マルケスの『百年の孤独』で描かれている世界や描かれている人物、あるいは物語は、どう考えても現実のものとは思えない、ファンタスティックなものなのだが、作者にいわせれば、これこそがわれわれの住んでいる世界なのだということになる。生者と死者がいりまじっていたり、精霊が飛んでいたりするジャングル、あるいは荒野、あるいは砂漠、ヨーロッパ的な合理主義者からみればあり得ないはずのそういった世界に自分たちは住んでいるのであり、それをそのままリアルに描いたら、こんな作品になってしまった……というわけだ。 ラテン・アメリカの作家たちも当然、ヨーロッパ・リアリズムの洗礼を受けているわけで、彼らもまた自分たちの世界をリアルに描こうとした。その意味では、彼らの作品における言葉の役割はヨーロッパの近代小説の言葉の役割と等しい。しかし、彼らの描こうとする世界は、ヨーロッパの合理的・科学的な価値観とはまったく異なっている。その合理的・科学的価値観と真っ向からぶつかる世界を、近代リアリズム小説の手法で描こうとしたとき、単に写す道具にすぎなかった言葉は変質してしまう。リアリズムの道具であった言葉が命を持ち、読者の脳を蹴飛ばすのである。イマジネーション・キッカーとでもいったらいいのかもしれない。ある意味、詩の言葉のような働きをするようになる。マジック・リアリズムの作品のおもしろさは、ここにある。『百年の孤独』と『夜のみだらな鳥』は、その傑作だと思う。 たまに「今まで訳したなかで最も好きな作品は?」ときかれることがある。今のところその答えは、九七年に訳したベン・オクリのブッカー賞受賞作『満たされぬ道』(平凡社)だ。ナイジェリアを舞台にしたマジック・リアリズムの作品なのだが、これほど訳すのが楽しかった作品はない。 さて、そろそろ話をジュマーク・ハイウォーターに移そう。 アメリカではいうまでもなくイギリスの近代小説の流れがそのまま受け継がれ、ほぼ現代に至っているのだが、ごく例外的にマジック・リアリズムの影響を受けた作品が生まれている。その多くはマイノリティの文学である。アメリカ・インディアン、チカノ(メキシコ系アメリカ人)、カリブ系アメリカ人といったマイノリティの作家がこの手法を用いることがある。しかしマルケスやドノソやオクリの作品のようにマジック・リアリズムで全編押し通すものは少なく、小説の所々に効果的に差し挟む形のものがほとんどだ。ぼくが訳した作品でいうと、これからあとがきを紹介するジュマーク・ハイウォーターの作品、それからチカノ作家ルドルフォ・アナヤの『ウルティマ、ぼくに大地の教えを』(草思社)などがそれにあたる。 というわけで、ジュマーク・ハイウォーターの作品のあとがきを四冊分並べてみた。 『アンパオ』 ジュマーク・ハイウォーター著 最後の最後に訳者から これほど不思議で美しく、また恐ろしい世界があったでしょうか。これほどユニークで読むものに激しいめまいを感じさせる物語があったでしょうか。これは神話でもなく、昔話でもありません。ジュマーク・ハイウォーターという現代作家が織りあげた「アメリカインディアンのオデュッセイア」であり、めくるめく物語世界であり、もうひとつのアメリカ史なのです。 『老人』がこの世界を創造し、やがてアンパオが生まれ、ココミケイスという美しい娘と出会い、彼女と結婚する許しをもらいに太陽のところまで旅をするというのが粗筋で、ストーリーだけを紹介すると、よくある話という感じがしますが、なんのなんの、表紙や挿絵をみてもわかるように、思わず息をのむような斬新なイメージが交錯する夢と現実のいりまじった作品で、「別の世界に旅してみたいと思っている読者」にとっては、このうえない贈り物となることでしょう。 アンパオが月に追いかけられる場面など、恐ろしくも魅力的、まさに不思議な悪夢の世界ですし、『老人』が海を創造したときの次のような場面は、うっとりするほど美しいイメージで語られています。 『老人』はひとつひとつのものであり、またすべてのものでもあったので、水の冷たさを感じることができたし、唇でその塩からさを味わうこともできた。そして自分の作った海をうっとりながめていた。そのとき、ふいに『老人』のあらゆる想いがくだけて粉々になり、その小さな破片はからだを通りぬけて海に降りそそいだ。このまばゆく輝く黄色の想いの雨から、海の生き物が生まれた。それは最初になにと呼ぶこともできないくらい小さなものだったが、、、、、 いかがですか。 『アンパオ』という作品は、このような美しくあでやかなイメージや恐ろしく異様なイメージと、思わずひきこまれてしまうストーリーとが、巧みに織りなされたみごとなタペストリーなのです。ほかにもこの作品のおもしろさについていいたいことは山ほどあるのですが、それは「最後に語り手から」という作者自身の言葉にまかせることにしましょう。 さて、まだこの本を読んでいない方は、ここから先に進まないようにしてください。これから、『アンパオ』を読んで首をかしげていらしゃる読者のために、いくつか説明をつけ加えておきます。あちこちで戸惑った方はきっと多いはずです。たとえば「シマ顔のおばあさん」はビーバーなのかアナグマなのか、とか、「風の家」ってどんなものなんだろう、とか、アンパオの病気をなおす男はアンパオのことを「息子」と呼ぶけど、いったい何物なんだろう、とか、「トウモロコシ」にでてくる呪い師って、どんな格好をしているのだろう、とか、、、、、。 と、ここまで書いていて、やっぱり説明するのはやめることにしました。やはり読者の楽しみを奪っては申し訳ありませんし、作者も「説明」しないといっているのですから。 でも最後のひとつだけは、とても面白いので、作者には内緒でお教えしましょう。「トウモロコシ」にでてくる呪い師というのは、修道士のようにぶかぶかの着物と大きなフードで全身を隠していますが、その顔のあるところには鏡のように銀色に輝く光があり、手は銀色で長く、まるでタコの触手のようなのだそうです。 さて、ジュマーク・ハイウォーターの作品が日本で翻訳されるのはこれがはじめてなので、簡単に紹介をしておきましょう。 ハイウォーターは現在アメリカで活躍している小説家、美術評論家、音楽評論家、批評家で、すでに二〇冊近い著書があります。代表的なものをあげると、インディアン美術の紹介解説書として『アメリカ・インディアンの芸術』、『大地の詩――アメリカインディアンの絵画』などがあり、小説としては『アンパオ』のほかに『死にゆく太陽』(スペイン人コルテスの侵略を、滅ぼされるインディアンの側から描いた作品)、などがあり、評論集としては、インディアン独自の視点から現代を捉え批判した『始原の心』があります。こんなふうに並べるとインディアンを題材にした作品ばかり書いているインディアン作家なのだなと思う方もあるでしょうが、なんとハイウォーターのデヴュー作は、ロック界のスーパースター、ミック・ジャガーのティーンの頃からスターダムに登場するまでを描いた『ミック・ジャガー』というノンフィクション・ノベルです。また、最近出版された『舞踏』という評論集は題名の通り、舞踏をまったく新しい視点から捉えた画期的な舞踏論で、ワシントン・ポストやパブリシャーズ・ウィークリーなどで絶賛されました。 そしてハイウォーターの興味はますます広がっているようです。しかし、どの作品にも共通しているのは、インディアン独自の世界観や感性をよりどころにしながらも、つねに現代社会をしっかり把握していて、そこからインディアン的なものと西洋的なものとの理想的な共存、いや融合を考えているということです。 どうも理屈っぽくなりましたが、『アンパオ』は理屈抜きに楽しい、そしてほんとうに不思議な世界だというのは、読んだ方にはもうわかっていただけたはずです。数年前からハイウォーターは『ゴースト・ホース四部作』という作品を書いていて、現在のところ第三部までが出版されています。これは『アンパオ』とはかなり性格が違いますが、すばらしい作品で、きっと翻訳されることと思います。 また表紙と挿絵を描いているのはフリッツ・ショルダーという世界的に有名なインディアン画家で、かれの作品はニューヨークのモダンアート美術館や東京の国立近代美術館などにも収められています。 なお、最後になりましたが、『アンパオ』という傑作の存在を教えてくださった犬飼和雄先生、いつもながらに口うるさかった編集の上村令さん、それからいくつもの質問にていねいに答えてくださったジュマーク・ハイウォーターさんに、心からの感謝を。(一九八八年四月十一日 金原瑞人) <幻の馬>物語1 『伝説の日々』 訳者あとがき このまえあるアメリカ人と話をしていて「たまらなく魅力的な作家がアメリカにいるんだが知っているかい。ジュマーク・ハイウォーターというインディアン作家なんだが」といわれたとき、ぼくはにやっとして「今年(一九八八年)『アンパオ』が翻訳されたし、来年には『<幻の馬>物語』がでる予定だよ」といってやった。そして驚いている相手に「アメリカでハイウォーターの作品はよく読まれているのかい?」とたずねてみた。彼は「ベストセラー作家というわけではないが、熱狂的なファンがいるんだ」と答えた。 それをきいて、なるほどな、と思った。じつは『アンパオ』が去年日本で出版されたときの読者の反応がまさにそうだったのだ。 『アンパオ』は、インディアンの青年アンパオが、太陽に会うべく冒険を重ねながら、自分を発見していく物語をインディアンの民話を再構成するという手法で描いた作品だが、この世界は太陽も月もキツネもオオカミも人間もすべてが同レベルの存在として入り乱れて自由に愛し合い、憎みあい、話しかけるという夢のような世界(ときには悪夢のような世界)であり、それを作者は白人文明から排除されてきたインディアンのリアリティとして読者につきつけている。したがってその世界は、途方もないファンタジーのようにみえるが、妙な、いや異様なリアリティを持っているのだ。 『アンパオ』にたいする日本の読者の反応は二種類にはっきりとわかれてしまった。ひとつは「よくわからない」「ついていけない」という反応である。そしてもうひとつは、「すごい!」「これこそわたしの求めていたものです」「すばらしい旅をしたような気持ちです。これほど幻想的で、これほどリアリティのある世界に会えるとは!」といった熱狂的な反応である。 ハイウォーターの日本の読者にあてたあいさつにもあるように、出版社に「手紙を書きたいので、ぜひ住所を教えてほしい」という問い合わせがあり、またぼく自身何人もの読者にハイウォーターの住所をきかれた。そしてたまにくるハイウォーターからの手紙には「熱烈なファンレターをもらって、とてもうれしい」と書かれていた。おもしろいことに『アンパオ』にたいする反応は両極端で、そのあいだがない。よくもわるくも、これはハイウォーターの作品が強烈な個性を持っているせいなのだ。 もっとも『アンパオ』にぞっこんほれこんでいる訳者にいわせてもらえば、子どもの本、大人の本をとわず、これほどエキサイティングな作品にはそうざらにお目にかかれるものではないと思う。 さて、『伝説の日々』だが、これはハイウォーターが一九八四年から書き続けている大作『<幻の馬>物語』の第一部である。このシリーズは四部作になる予定で、今のところ『伝説の日々』『汚れなき儀式』『暁の星をおびて』の三部まで出版されている。第一部と第二部はアマナというインディアンの女性が主人公になっている。そして第一部ではアマナというインディアンの少女の成長の物語が語られ、第二部では大人になってからのアマナが主人公で、娘の出産から孫の誕生までが語られ、そして第三部ではアマナの孫息子シトコの成長の物語が語られるという構成である。つまり全体を通じてインディアンの三代記になっているのだが、これがまたハイウォーターらしいたくらみに満ちた作品なのだ。 第二部、第三部を読んでいただければわかるはずだが、『<幻の馬>物語』はインディアンの三代記になっていると同時に、インディアンの世界に白人の文化がはいってきて、インディアン的なものが否定され、消えかけてしまい、そして現代になってやっとインディアン的な精神や伝統が復活してきた、その大きな歴史がそのままインディアン女性アマナ、アマナの娘、そしてアマナの孫のシトコの三人に要約されているのである。 とにかくアマナというたくましく魅力的なインディアン女性を中心に展開されるこの壮大な物語は、どんな枠にもはまりそうのないユニークでエキサイティングな作品といっていいだろう。 さて、この本に何度もでてくる「ヴィジョン」について少し説明をしておきたい。これはインディアンを扱った作品によくでてくる言葉で、まだ日本での定訳はなく、普通は「ヴィジョン」と訳されて(?)いる。『アンパオ』にもこの言葉はでてきたが、こちらはその前後の文脈にあわせて、なんとか日本語に訳しておいた。しかし、『<幻の馬>物語』では、その意味するものがあまりに大きくて、日本語への移し替えが不可能だった(ごめんなさい)。 「ヴィジョンとは、めざめているときの夢、霊感を与え、精神的な知識を授けてくれる夢想のことである。瞑想から生まれる夢に似ている。『心のなかの絵……めざめている夢』ともいえる」ハイウォーターは先日の手紙のなかでそうまとめながら、「この説明が少しでも役にたてばいいのだが……。わたしの作品を日本語に訳すのは大変でしょう」と書きそえてくれた。 またこの本にはインディアンの部族のこととか、インディアンの伝説とか、なじみがなくて見当のつかないものも多い。さすがにそのまま翻訳するのも気がひけて、ハイウォーターにあれこれ質問をして、手紙で説明してもらったのだが、最後のところに「アメリカ人もそんなことはほとんど知らないし、わたしとしてはかなり意識的にそういう部分を説明なしで書いているので、日本語でもあまり説明しないでほしい」とあった。そんなわけで、『アンパオ』の場合と同様、原文にない説明はできるだけつけないことにした。いわれてみれば、そのほうがいいのかもしれない。 なお、最後になりましたが、いつもながらによく気がつく編集者の上村令さん、それからいくつもの質問にていねいに答えてくださったジュマーク・ハイウォーターさんに、心からの感謝を。(一九八九年二月十五日 金原瑞人) <幻の馬>物語2 『汚れなき儀式』 訳者あとがき ハイウォーターの代表的な評論集『始原の心』の第一章はこうはじまる。「人間と人間とを隔てる最も大きな距離は、空間的距離ではなく、文化的距離である。わたしは子どもの頃から、まったく異なったふたつの文化に橋をかけようとしてきた」 ハイウォーターは十代になって自動車事故で父親をなくし、白人夫婦の養子となる。つまりそれまでよく知っていた世界からひきはなされて、まったく見知らぬ世界にほうりこまれ、ひとつの文化からまったく別の文化のなかにほうりこまれたわけである。そのときからハイウォーターは、文化の違いをなによりも言葉の違いとして認識するようになる。 ハイウォーターは幼いころに、一羽の鳥をみつけた。それはとてもあいきょうのある鳥で、飛ぶのも泳ぐのももぐるのも得意なすてきな鳥だった。家に帰ってたずねると、それは、meksikatsi’(ピンクの脚)だと教えられる。ハイウォーターもその鳥の脚が印象的だったので、その名前がとても気にいった。そして白人の家にもらわれていったとき、その鳥をさして’meksikatsi’というと、「そんな名前ではない」といわれる。’duck’だというのだ。ハイウォーターは驚く。そしてその言葉には「もぐる」という意味もあることを知ってこう考えた。「かれらはインディアンがみるようにはものをみていないのだ」と。 ハイウォーターは「同じ物が同じようにみえていない」ということに驚き、そこから彼の必死の戦いがはじまるのである。それはインディアンとしての自分、あるいはインディアンとしてのヴィジョンを殺すことなく、白人の文化のなかで暮らしていくための戦いである。ハイウォーターはインディアンとしての自分をしっかりまもりながら、英語の世界のなかで歩きだすのである。 ついでながらハイウォーターにとって英語は三番目の言葉である。一番目は母方の祖母の部族ブラックフィート族の言葉、二番目はフランス語(これは母親がフランス人との混血であったため)、そして十歳を過ぎて白人の家にもらわれて英語を学ぶことになる。一九八九年三月、ハイウォーターは国際観光振興会の招待で来日し、アメリカ大使館主催の講演会で講演と朗読を英語で行ったのだが、そのときのすばらしい朗読をきいて、ほれぼれした人も多かったときいている。それにハイウォーター自身の朗読による『アンパオ』(もちろん英語)のレコードもでている。が、ハイウォーターが毒づいたり、ののしったりするときの言葉は英語ではなくフランス語らしい。 さて、ハイウォーターの意識のなかでは、まず言葉は鏡である。白人のアメリカ人は英語という鏡にものを映してみるのだし、インディアンたちはそれぞれ自分たちの部族の言葉という鏡にものを映している。そしてそれぞれの鏡によって、ものの映りかたが違うのである。それぞれの鏡にはくもっているところもあるし、妙にはっきり映るところもあるし、映すものによっては大きく、あるいは小さくなるし、ひとつのものを映すときでも、ある部分だけが大きく映ったり、小さく映ったりするのである。たとえば英語ではカモという鳥は’duck’と映り、ハイウォーターの育った部族の言葉では’meksikatsi’と映る。またウマは英語では’horse’と映り、あるインディアンの部族の言葉では「不思議なイヌ」と映るのである(『アンパオ』の後書きを参照)。 いうまでもなく言葉という鏡は、具体的な物だけでなく空間も時間も映すわけで、これらもまた、映す鏡によって様々に映る。たとえば『始原の心』のなかでのべられているのだが、インディアンのある部族には過去、未来を現す言葉をまったく持たない部族がある。この部族の言葉という鏡には、世界は時間的奥行のないものとして映るわけである。 このように、幼い頃から鏡としての言葉をふたつ持たなくてはならなくなったハイウォーターは、生きていくために鏡を二枚持つようになる。だが成長していくにつれて、言葉はただの鏡ではなく、表現のための道具にもなっていく。いってみれば絵の具のようなものになっていくのである。(ハイウォーターの場合、表現のための道具というのは、かなり絵の具のイメージと重なっている。それは『アンパオ』の後書きのなかで、自分の手法を現代のインディアンの画家たちの手法にたとえていることからも明かだろう。)『アンパオ』のなかでハイウォーターが試みたのは、インディアンの世界と世界観を英語で表現すること、つまりある文化をまったく別の文化の言葉で表現することだった。 いうまでもなくこれは大きな困難をともなう作業にちがいない。 そしてハイウォーターはその闘いのなかから、いくつかのすばらしい作品を作りあげてきた。こういった作品からうかがえるハイウォーターというのは、ナイーヴでピュアで、それでいて強靱な精神をもちあわせた「イーグル・サン」(一九七九年にカナダのブラックフィート族の大会で、インディアン文化への貢献をたたえて与えられた名前)といっていいだろう。 そういったハイウォーターの魅力の結晶が、この『<幻の馬>物語』である。第一部『伝説の日々』では娘時代のアマナが、この第二部『汚れなき儀式』では母親となり祖母となるアマナが描かれている。そして第三部『暁の星をおびて』では、ついにシトコが主人公として登場する。いうまでもなく、これはハイウォーターの自伝的な要素のかなり濃い作品で、物語はいよいよクライマックスに達する 第三部でクライマックスなら第四部はどうなるのか、と不安になった読者の方もいらっしゃるだろうが、これは残念ながらよくわからない。ハイウォーターが現在執筆中なのだから。 タイトルは『キル・ホール』ということだ。 ハイウォーターの『<幻の馬>物語』は、おそらくもうひとつのアメリカ史として、これからさきずっと読みつがれていく作品といっていいだろう。(一九八九年四月十五日 金原瑞人) <幻の馬>物語3 『暁の星をおびて』 訳者あとがき 『伝説の日々』『汚れなき儀式』と続いてきた『<幻の馬>物語』、ついに第三部『暁の星をおびて』の登場である。 構成の見事さ、語りのうまさ、こめられた気迫の激しさ、どれをとっても、三部のなかで最高だろう。まっしぐらにつっ走るような迫力と爽快感に満ちた一冊である。 『伝説の日々』が、アマナというインディアンの娘の成長の物語、『汚れなき儀式』が、アマナの娘と孫の誕生の物語とすれば、この『暁の星をおびて』は、アマナの孫シトコの成長の物語といえるだろう。そしてこれら三作を通じていえるのは、すべてが「誕生と成長の物語」であるとともに「死と喪失の物語」でもあるということだ。ここでは後者のほうに注目してみよう。 第一部『伝説の日々』は、アマナの喪失の物語である。両親を失い、村の人々を失い、姉を失い、カラス婆さんを失い、イタチ婆さんを失い、そして『遙かな息子』を失ってしまう。そして第二部『汚れなき儀式』では、恋人を失い、娘のジェマイナと孫のリノを白人社会に奪われ、アマリアを失い、ついには子どものときにさずかった偉大なヴィジョンも失ってしまう。さらにこの第三部『暁の星をおびて』は、シトコの成長の物語であるとともに、読んだ方はもうおわかりと思うが、やはりシトコの喪失の物語でもある。とするなら、この三作は「死と喪失の物語」としてくくることができるかもしれない。 作者ジュマーク・ハイウォーター自身もいっているように、『<幻の馬>物語』はかなり自伝的な要素の強い作品であり、第三部のシトコとリノはそのまま作者自身の分身のようなところさえある。たとえば、ハイウォーターは父親が交通事故で死亡したために、白人の家にもらわれることになり、そこでインディアン文明と白人文明との大きなギャップに悩まされることになる。そしてシトコと同じように、青年のころには、西欧の文学や音楽にのめりこんだことも事実だ。それから、シトコがブレイク先生のもとに集まっているグループといっしょになって同人誌を作ったりするところがあり、そこに登場して、シトコを啓発するスーザン・サマーという女の子がいるが、このスーザンのモデルになっているのが、ハイウォーターの高校生のときの友人、スーザン・ソンタグである。(スーザン・ソンタグは今さら説明するまでもない、現代アメリカを代表する批評家で、『反解釈』や『隠喩としての病』をはじめ多くの作品が日本でも翻訳されている。) という具合で、この『<幻の馬>物語』は、ハイウォーターの自伝的な要素の強いものなのだが、これら一連の作品を「喪失の物語」として書かざるをえなかったハイウォーターにとって、アメリカとは、現代とは、いったい何なんだろう。この連作を訳しながら頭から離れなかったのが、この疑問である。そしてはっきりした答はいまだにみつかっていない。「なんとなくわかるような気がする」といった程度だ。 もちろん、「すべてを失っていく、あるいは、すべてを奪われていくインディアンの歴史が背後にあるのだ」といってしまえば、それまでなのだが、果たしてそれだけなのだろうか。すべてを失ってきたのはインディアンだけでなく、われわれすべてなのではないだろうか。そんな気がしてならないのだ。 多少、逆説めくが、現代文明という剣でもって、インディアン的なもの、あるいは、いわゆる野蛮人、未開人といわれている人たちの、始原的な感性や考え方を切り捨ててきたわれわれは、最も大切なものを失い続けてきたのではないだろうか。もしこの『<幻の馬>物語』がわれわれに強く訴えかけてくるとするならば、それは、これがアメリカ・インディアンの喪失の物語としてだけではなく、われわれ現代に生きる者たちすべての喪失の物語としても読めるからなのではないだろうか。 今のところ、なんとなくそんな気がしているのだが……。 『<幻の馬>物語』もひと段落ついた。あとは最後の作品『キル・ホール』の出来上がりをまつだけだ。ハイウォーターに問い合わせたところによると、一九八九年の夏くらいには本格的にとりかかりたいとのことだった。訳者としては大いに期待しつつも、この第三部『暁の星をおびて』があまりにすばらしいため、見劣りするものがでてきたらどうしようかと多少不安でもある。 さて、ここでひとこと訳者からどうしてもいっておきたいことがある。 第一部から第三部までが『児童文学』(この場合ヤングアダルト小説)として出版されたわけだが、「いったい、どこがヤングアダルト小説なのか」といぶかしく思った方も多いことだろう。はっきりいって、この迫力と気力でつっ走った作品は、もう児童文学とかヤングアダルトとかいうジャンルをはるかにつき抜けてしまっているのだ。(表紙の絵だってそうだし、訳者のあとがきだってそうだ。) この作品を原書で読んで最初に思ったのは、アメリカの出版社からはヤングアダルト向けにだされているが、日本では一般書として出版したほうがいいだろう、ということだった。そのほうがはるかに適切な気がした。しかし、「まてよ」という気持ちも同時に働いた。「これを児童文学という形で出すというのは冒険かもしれないが、だからこそ面白いのではないか」と思ったのだ。こういう、枠をはみだした作品を、多少無理を覚悟で、児童文学のなかに押しこんでやる、そうすることによって、児童文学という枠を壊すことができるのではないか、そしてそれはひいては児童文学の活性化につながるのではないか、そんな気がしたのだ。 もちろん、そういう訳者のもくろみが成功するかどうかは、また別の話だが。 しかし、これまで何冊かの本を翻訳紹介してきて、それぞれに思いいれもあり、そのたびに全力をつくしたが、これほど激しい想いをこめて訳した本は、これがはじめてである。一世一代の大仕事を終えたという感じで、今はただ脱力感のみが残っている。 なお、最後になりましたが、『<幻の馬>物語』を「児童文学」として出版することを快諾してくださった編集部、そしてその出版のために全力をあげて協力してくださった編集者の上村令さん、そしていつもながらていねいに質問に答えてくださったハイウォーターさんに、心からの感謝を。(一九八九年六月二十五日 金原瑞人) いま読み返すと、力みすぎのあとがきばかりで、かなり恥ずかしいが、当時はとにかく、これらの作品を紹介できることが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。 じつはこの『<幻の馬>物語』、第四部があるのだが、その話はまた次号で。 |
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