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一 入試問題 つい先週、入試出題者委員会というのがあった。じつは、この時期、日本国中のほとんどの大学で来年の入試問題を作り始める。そしてほぼ夏休み前に仕上げて、休みが明けると校正。 入試問題の作成はかなり神経を使う。間違いがあると、なにより受験生に申し訳がない。そう思って、何度も何度も見返し、読み返し、校正を繰り返す……が、それでも間違いはある。ちなみに、ぼくの場合、法政大学に就職してから毎年、英語の出題をしていて、これまで一度もミスがなかった(そしてそれが自慢だった)……のだが、今年の入試問題で、一箇所、ささいな間違いで採点にも支障はないとはいえ、ついにミスを出してしまった。ぼくが出題した問題ではないが、ぼくも何度も見直した問題。まあ、センター入試の問題だって、あれほどの人数であれほどの時間をかけて作るのに、ほとんど毎年ミスがあるから……というのは、なんのなぐさめにもならず、ずいぶん落ちこんでしまった。一週間ほど食欲がなく、5キロほど体重が減ってしまった。 と、ここまで書くと、どんな間違いだったのか知りたくなるのが人情だと思うので、参考のために。 ・IT optimists say technological progress ( ) to spread throughout the economy. (a) is quick (b) is never able to (c) absorbs (d) takes a long time 正解は(d)。 ところで出題の間違いは (b) で、この 'to' が余分。試験終了の20分ほどまえ、受験生から「この 'to' は必要ないんじゃないんでしょうか」という質問が出て、伝令が走ってきた。控え場所にいた出題者四人は一瞬、頭の中がまっ白。数秒後、出題責任者のぼくが、「あ、間違いですね。削除するように全受験者に指示を出してください」と返答。もともと (b) は誤答だから、「そのままでかまいません」という指示でもよかったのだが、それはあまりに格好が悪い、というか潔くない。というわけで、訂正。 十数年、英語の受験問題を作ってきて初めてのポカ。このときのダメージはかなり大きかった。 じゃあ、入試問題の作成はいやか……といわれると、そうでもない。これがけっこう楽しいのだ。そうでなくても、プレッシャーの大きい受験生に解いてもらう問題だ。できれば、楽しい、そして面白い問題を作りたい。 というわけで、次のような問題はどうだろう。 つぎの英文を読み、後の問いに答えよ。 I love to go out on summer nights and watch the ( 1 ) grow. I think they grow better here in the desert, where it is warm and dry, than almost anywhere else. Or perhaps it is only that the young ones are more active here. Young ( 1 ) tend to move about more than their elders consider good for them. Most young ( 1 ) have a secret desire which their parents had before them but have forgotten ages ago. And because this desire involves water, it is never mentioned. The older ( 1 ) hate water and say, "Water is a fly who never stay in one place long enough to learn anything." But the young ( 1 ) try to work themselves into a position, slowly and without their elders noticing it, in which a large stream of water during a summer storm might catch them all unknowing, so to speak, and push them along over a slope or down a valley. In spite of the danger this involves, they want to travel from home. And although family ties are very strong among ( 1 ), many of the braver young ones have succeeded, and they carry scars to prove to their children that they once went on a journey and traveled perhaps fifteen feet, an incredible distance. As they grow older, they cease to boast about such adventures. It is true that old ( 1 ) get to be very conservative. They consider all movement either dangerous or sinful. They remain comfortable where they are and often get fat. Fatness, as a matter of fact, is a mark of beauty. And on summer nights, after the young ( 1 ) are asleep, the elders look at a strange subject -- the ( 2 ) , which is always spoken of in whispers. "See how it glows and moves across the sky, always changing its shape," one says. And another says, "Feel how it pulls at us, urging us to follow." And a third whispers, "It is a stone that has gone mad." 本文の ( 1 ) と ( 2 ) にはつぎのどれが最もふさわしいか。その記号を解答欄にマークせよ。ただし同じものを二度以上使ってはならない。 sun moon star planet earth sand stones sheep carp camels animals 答えは次回。 二 英語教育 四月、大学で授業が始まり、五月に入り、入試問題の作成が始まると、自分が英語の教育を担っているんだなという感じがちょっとだけしてくる。 そしてこの数年、「Columbus」という中学校の英語の教科書の編集にも関わっていて、日本人が最初に出会う英語はどんなものがいいんだろうか、などと、それこそ英語教師のようなことを考えてしまう。 というのも、英語の翻訳を十数年やってきて、中学校のときに習った英語って、なんだったんだろうと、たまに考えたりするからなのだ。 たとえば、先生が鉛筆を手に持って、'This is a pencil.' といい、「これは鉛筆です」という場面は、ぼくなんかとても強烈に頭に残ってるのだが、そのときのことを思い浮かべると、ずいぶん奇妙な感じがする。すでに五十歳くらいの男の先生が「これは鉛筆です」という、その言葉、つまり口調が変だし、そもそも、相手に鉛筆を見せながら、「これは鉛筆です」というのがむちゃくちゃ変。だって、相手が手に持っているのは、どう見ても「鉛筆」なんだから。そんなのいわれなくたって、わかるって。 となると、その状況を考えなくてはならない。すぐに思いつくのは、二歳か三歳の子どもに、物の名前を教えているという状況だろう。となると、「これ、鉛筆っていうんだよ」という意味になりそうだ。 あるいは英語を知らない人に英語を教えている状況でもいい。 ところが、ぼくの頃の英語の授業では、そういう状況を一切考えずに、とにかく「これは鉛筆です」と覚えて、試験の答案にもそう書いた。しかし考えてみれば、「これは鉛筆です」という日本語が話されるような状況が、いったい、あるんだろうか。ごくごく少ないと思う。日本の中学校での英語の授業以外で、「これは鉛筆です」という日本語を耳にすることは、まずないような気がするのだ。 それでいえば、「わたしは少年です」という日本語はもっと変だ。英語の授業以外で、こんな日本語をきいたことのある人はまずいないだろう。だいたい「少年」が自分のことを「わたし」と呼ぶのが変。普通は「ぼく」だろう。しかし「ぼくは少年です」も、やっぱり変だ。そして、男の子がだれかに向かって、「ぼくは少年です」といっているところなんて、どうやったって想像できない。なんなんだ、この 'I'm a boy.' というのは?! そこでまあ、無理やり、それらしい状況を作ってみよう。ある公園で、おじさんがベンチに座っているとしよう。おじさんが、のんびりくつろいで、前の池をながめていると、向こうのほうから、オーバーオールを着たかわいい女の子が走ってきて、目の前で転んでしまった。おじさんはあわてて立ち上がり、そばにいって、「だいじょうぶか?」とたずねる。女の子はけなげにも歯を食いしばって立ち上がり、「うん」と答える。おじさんは「ほう、泣かないんだ。女の子なのに、えらいじゃないか」という。するとその女の子がむっとして、 'I'm a boy.' と答える。 つまり、おじさんは男の子を女の子に間違えてしまったわけだ。 となると、その場合の 'I'm a boy.' というのは、「女の子じゃないやい」となるだろう。英語の場合、こういうときには 'I'm not a girl.' というよりは 'I'm a boy.' ということのほうが多いと思う。 とまあ、長い長い状況説明になってしまったが、そういうふうに考えれば、なんとなく 'I'm a boy.' の意味がわかってくる。 もうひとつ、例をあげてみよう。 ある公園で、おじさんがベンチに座っているとしよう。おじさんが、のんびりくつろいで、前の池をながめていると、向こうのほうから、オーバーオールを着たかわいい男の子が走ってきて、目の前で転んでしまった。おじさんはあわてて立ち上がり、そばにいって、「だいじょうぶか?」とたずねる。男の子はけなげにも歯を食いしばって立ち上がり、「うん」と答える。おじさんは「ほう、泣かないんだ。えらいじゃないか」という。するとその男の子がちょっと偉そうに、 'I'm a boy.' と答える。 この場合は、「男の子だもん」というくらいのニュアンスになるのかもしれない。 もちろん、ほかにもいくつか考えられる。 しかしどんな場合を考えても、「わたしは少年です」という日本語が発せられる状況はまず考えられない。中学校の英語の授業をのぞいては(といっても、最近、この手の不思議な英文は教科書から姿を消しつつある。めでたい。とくに「Columbus」という教科書は、英語が自然なところがいい……と、ちょっと宣伝) ともあれ、最初に教わったことというのは、かなり強烈に鮮烈に強固に頭にこびりついてしまう。だから、「わたしは少年です」という訳を覚えさせられた人は、かなり長いこと、人によっては墓場に行くまで、そのとてもとても奇妙な日本語を疑問に思うこともなく生きていくことになってしまう。初期の間違った刷りこみは、よほどのことがない限り消えることはない。それともうひとつ、思いこみ。これも直らない。 たとえば、初期の間違った刷りこみでいうと、「grew」の発音。うちの大学生のおよそ三分の一以上は、これを〈グリュー〉と発音する。「few」〈ヒュー〉や「dew」〈デュー〉の発音と同じだと思っているらしい。動詞の過去形の「-ew」を〈ュー〉と発音することはない。すべて〈ウー〉である。「grew」は〈グルー〉、「threw」は〈スルー〉、「blew」は〈ブルー〉(「青」と同じ発音)である。これらの発音を大学生が間違えているということは、中学校の英語の時間に間違って覚えているからだと思う。ある意味、中学校の英語の先生はとても責任が重い。なぜなら、この時期に覚えてしまったことは、あとで確かめる機会がほとんどないからだ。高校、大学に入って、「boy」とか「table」を辞書で引こうと思う人はまずないはず。 また、思いこみの例をあげると、「cocoa」。「a cup of cocoa」とあると、「一杯のココア」という意味なので、ここでわざわざ「cocoa」を辞書で引く学生はいない。そして、「ア・カップ・オヴ・ココア」と読んでしまう。しかし、これではまず通じない。というのも、「cocoa」の発音がちがうからだ。これは「コゥコゥ」と発音する。「ア・カップ・オヴ・コゥコゥ」が正しい。話は飛ぶが、チャーリー・パーカーの初期の名曲「Koko」、これと同じ発音。もうひとつ例をあげると、「I saw a coyote in the bush.」。「茂みのなかにコヨーテがいた」という文なのだが、英語では「coyote」を「コヨーテ」と発音しない。「カイオウト」あるいは「カイオウテ」と発音する。「コヨーテ」ではまず向こうの人には通じないので要注意。アメリカのネイティヴ・アメリカンと会って、あれこれ話していて、「あ、そういえば、インディアンの民話にはよくコヨーテが出てくるよね」といったら、相手がしきりに首をかしげていた。無理もない。 とくに英語の場合、発音と表記はなかなか一致しない。ひとつの発音を表記するのに、様々な表記の方法があるのだ。 たとえば、英語で[ou] という二重母音を表記する方法がいくつあるか、ちょっと考えてみてほしい。 正解は10。 「so sew sow oh owe dough doe beau soak soul」 では、アルファベットの「o」の発音が何種類あるかというと、6種類。 「so to on honey horse woman」 とにかく英語は同じ発音の異なる表記が多すぎる。 英語のもうひとつの特徴は、動詞の活用の少ないこと。ドイツ語やフランス語の何分の一かですむ。そんな特徴をつかまえて、イギリスの敵国フランスの人々はよくこんなことをいったらしい。「イギリスなんてのは、しょせん、百姓+海賊の国(つまり、農民が住んでいたところに、ヴァイキングたちがやってきて定住した、ということ)。ばかばっかりだから、活用が多いと覚えられない。だから少なくなった。そしてばかばっかりだから、発音とその表記がむちゃくちゃなんだ」 とまあ、〈入試問題の作成→中学の英語教育→間違えやすい初期の刷りこみ、思いこみ〉というふうに話が進んできたのだが、なぜこんなことになったのかというと、ちょうどいま、〈入試の作成が始まった+中学校の英語の先生を相手の講演をしてきた+アルファベットの歴史をまとめたノンフィクションを訳している〉からなのだ。 というわけで、長い枕でしたが、今回は今まで訳してきたノンフィクションのあとがきをまとめて。 二 ノンフィクション最初の翻訳 これはほるぷ出版から出た、ベティ・マイルズの『活動マニュアル・地球を救おう』。いうまでもなく子どもたちの活動をもとにした環境問題の本。考えてみれば、子どもの本の最初の翻訳は『さよならピンコー』で、これも環境問題がらみだった。 担当の編集者は細江さちよさん。ちょっと変わった感じの女の子で、絵本や詩に関してのセンスが抜群。ロブ・ルイスの『ちいさなひつじフリスカ』なんかの絵本の編集を担当してくれたのも細江さんだった。ぼくひとりでは、あんな感じの訳文はつけられなかったと思う。 さて、この環境問題の本が出たのが、ちょうど十年前。いま読み直しても、古い感じはしない。というより、環境問題への取り組みは、当時からほとんど前へ進んでいないのかもしれない。 訳者あとがき 一九九一年版の『活動マニュアル地球を救おう』、いかがでしたか。 最近、環境間題をわかりやすく解説した本や、地球を救うための方法を紹介した本が次つぎにでていますが、そのきっかけになったのが一九七四年にアメリカで出版されて大きな反響をよんだ『活動マニュアル地球を救おう』です。この本はアメリカだけでなく、ほかの国でも翻訳され、世界のあちこちで評判になりました。日本でも地球の環境はかなりまえから問題になっていましたが、子どもまでを対象にふくめた解説書やマニュアル本が書かれだしたのは、ついこのごろです。それを考えれば、こんなにすばらしい本が今からおよそ二十年まえにアメリカで出版されたというのは、驚くほかありません。 さて、一九九一年版の『活動マニュアル地球を救おう』は、その最新版です。書店にいけば、同じような本が何十冊もならんでいます。しかしこの本の特長は、中高生にもよくわかるように環境問題を解説するだけでなく、もう一歩深くほりさげていることでしょう。 たとえば、熱帯多雨林の木を切らないですむように再生紙を使おうという運動のことはだれでも知っているし、なぜ熱帯多雨林を切るといけないのかということくらいは、だれでも知っているでしょう。そう、動植物がたくさん住んでいるし、植物は二酸化炭素を吸収して酸素をだしてくれているから……なのですが、この本では、さらにそれを生態系という環境問題の根本的なところまでさかのぼって、説明してくれています。それも、わかりやすく。 大人じゃないんだから、そんなところまで知らなくていい、ただこうすれば動物や植物がたすかるんだよ、といった本が多いなかで、なかなかのものです。「なぜ、どうして?」という疑問に、ここまで根気よくつきあってくれているのですから。そのうえ、もっとくわしいことを調ベたい人のために、図書館の利用方法まで紹介してくれています。 もうひとつの特長は、「政治への働きかけの大切さ」が書かれていることでしょう。みんなで努力して少しずつでも地球の環境をよくするいっぽう、市役所や県庁や政府の人たち、また議員の人たちにも働きかけていこうという主張は、環境問題をあつかった本ではおなじみですが、この本ほど徹底してその方法を書いた本もめずらしいはずです。それは、「手紙を書こう」の章を読めば、すぐに納得できるでしょう。ごくごく簡単なことから、ずいぶん大胆なことまで、ずらりとならんでいて、「ううーん、ここまでやるか?」と思わずたずねたくなるほどの徹底ぶりです。それに、この本で紹介されている中学生や高校生の活発な活動は、よい意味で「したたか」で、「さすが!」と叫びたくなります。 とにかくこの本を読んでいると、「ぼくたち、このくらいはできるんだ」という気分はしないはず、「ぼくたち、こんなこともできちゃうんだ!」という気分になってくるはずです。 それから、この本はアメリカで出版されたものなので、日本にあてはまらないところも多少あります。たとえば風呂にしても、アメリカと日本とでは使い方がちがうし、冷暖房の方法も、図書館の使い方も、まるきり同じというわけではありません。そういったところは、できるだけ本文中で言葉をたして、おぎなうようにしました。 しかし、環境問題をもっと真剣に考えよう、地球を住みよくしよう、それも自分たちのためだけでなく、未来の人々のためにも。……という気持ちはみんな同じです。 読んだ人にはもうわかったと思いますが、この本は、人間が地球にどんなひどいことをしてきたか、しているかといったことばかりをならべた暗い本ではありません。過去と現在をしっかりみつめたうえで、未来をみのり豊かなものにするためにはどうすればいいのかを書いたものです。たしかに、いま地球は人間のせいで、ひどく傷ついています。しかしそのことをしっかり頭にいれ、そしてどうすればいいのかを真剣に考えるところから、希望が生まれてくるはずです。 さあ、いっしょに、がんばってみませんか? 三 『自由をわれらに』と『正義をもとめて』 両方ともアメリカのエスニック問題がらみのノンフィクション。 『自由をわれらに』のほうは、スピルバーグの『アミスタッド』を徹底的に黒人の側から書いたところが面白い。この本は最後のところで、アメリカ研究の第一人者である猿谷要氏に「解説」を書いていただいた。じつは、偕成社から出ている『リンカン・アメリカを変えた大統領』(ラッセル・フリードマン著)の解説も猿谷氏にお願いした(この本は解説だけで「訳者あとがき」はなし) そしてまた、いまマイヤーズの短編集『145th Street』を宮坂さんと共訳で訳しているところ。これも強烈な作品集で、乞うご期待です。 『正義をもとめて』のほうは、第二次世界大戦中、強制収容所に追いやられた日系人のひとり、フレッド・コレマツに焦点を当てて書かれている。この作品の特徴は、主人公であるフレッド・コレマツのユニークでドラマティックな半生と、日系人差別問題とをうまくからめて書いているところだろう。また、あとがきにも書いたが、「愛国心」について、とても考えさせられる本だった。 というわけで、二冊のあとがきをまとめてみた。 この小峰書房のノンフィクション、着物マニアの編集者、小島範子さんとのコンビで続いていきます。次はなにが出るか、乞うご期待! 訳者あとがき スティーブン・スピルバーグ監督の映画『アミスタッド』はとても感動的でした。当時の黒人奴隷がどんなにひどいあつかいを受けていたかがリアルに描かれ、またそういった奴隷制度に勇敢に立ち向かった人々の姿も生き生きと描かれています。最後にセンべたちが勝利を勝ち取る場面は、思わず身を乗り出してしまったほどです。 しかしふと疑問に思ったのは、センべをはじめとするアフリカから連れてこられた人々の本当の気持ちはどうだったのだろうということです。 というのも、スピルバーグの『アミスタッド』はとくに後半、奴隷制度に反対する人々がいかに戦ったかというところに焦点があてられていて、最後は「人間の尊厳がまもられた」、「正義が行われた」という結果になるものの、良心的なアメリカ人の勝利という形になっているからです。映画ではセンべの反乱から物語が始まるのですが、進むにつれて次第に奴隷制度廃止論者のほうへ話がずれているような感じがあります。もちろんセンべたちが最高裁の判決を心から喜んだのは当然でしょうが、もともとなんの罪もないのに生まれ故郷から連れてこられて拘置所に入れられていたわけです。釈放されたとはいえ、かなり複雑な気持ちであったにちがいありません。このあたりがどうしても気になってしかたなかったのです。 もうひとつ気になったのは、あの判決のあと釈放されたセンべたちはどうなったのかということです。 この本が、映画の『アミスタッド』やほかの「アミスタッド号事件」をあつかった本とちがうのは、まずなによりセンべたちの立場や気持ちがくわしく描かれていることです。つまり奴隷制度に反対する立場からセンべたちを弁護する人々の戦いが描かれると同時に、まさにその渦のなかにいたセンべたちの悲しみと憤りがたんねんに描かれているのです。そのなかで彼らがときどき、奴隷制度廃止論者に利用されているような気がしてやりきれなくなるところも、とてもよくわかります。 そしてこの本を読んでいただければわかるように、最高裁で無罪釈放の判決がおりるものの、センべたちはすぐにアフリカに帰ることはできませんでした。大統領はかれらをアフリカに送り届ける必要はないということになったのですから。つまり、拘置所から釈放されてからもセンべたちの苦しみは続くのです。 さらに、アフリカに帰ったセンべたちはそのあとどうなったのか。この本ではそこの部分まできちんと調べてあります。 おそらくそれは著者のウォルター・ディーン・マイヤーズが黒人作家で、とくに黒人問題と黒人の歴史に深くかかわった本を書きつづけているからでしょう。もしかしたらマイヤーズは、スピルバーグ監督の『アミスタッド』に対抗するつもりで、黒人の目からみた『アミスタッド』を書こうとしたのかもしれません。 それからひとつ、訳者としてつけ加えておきたいことは、これは猿谷要氏の解説にも書かれていることですが、「アミスタッド号事件」でセンべたちが勝利を得たのは当時としては非常にめずらしいことであって、いつもいつもこのような正義がアメリカ合衆国で行われていたわけではないということです。奴隷制度という非人間的な制度はこのあとも長いこと続き、現在でもその傷跡が残っています。それは最近の黒人たちが歌うラップの歌詞にもよく表れています。 蛇足ですが、アメリカという国を作ってきたのは白人だけではありません。黒人も、アメリカ・インディアンも、メキシコ系の人々も、アジア系の人々も、様々な形でそれに参加してきたのです。どうかそのことを忘れないでください。そして色々な顔を持つアメリカのことを知ってください。 最後になりましたが、お忙しいにもかかわらずていねいな解説を書いてくださった猿谷要氏、この本を紹介してくださった編集の小島範子さん、翻訳のほうで手伝ってくださった冨永星さんに心からの感謝を! 一九九八年九月十六日 金原瑞人 訳者あとがき 一九四一年十二月七日(日本では八日)、日本はハワイにある真珠湾の米軍基地を攻撃し、宣戦を布告した。その結果、アメリカの西海岸に住んでいた日本人移住者と日系の人々は強制収容所に入れられることになった。日本人移住者や日系の人々がスパイ行為や破壊行為をしないようにというのがその理由だ。 ところが同じ敵国であるはずのドイツやイタリアからの移民は、そのようなあつかいを受けなかった。そこにはアジア系の人々にたいする差別と偏見があった。 そもそもアメリカ大陸には、はるか昔からアジア系の人々が住んでいて(のちにアメリカ・インディアンと呼ばれるようになる)、独白の文化を育てていた。そこに一四九二年、コロンブスがやってきてヨーロッパ系白人の侵略と移住が始まり、北アメリカにはアメリカ合衆国という国家ができあがる。さらにこの国には、アフリカから多くの黒人奴隷が連れてこられる。そして一九世紀になると、中国や日本などからも多くの移民がやってくる。このようにアメリカという国は、たくさんの民族がいっしょに作りあげてきた国なのだ。 ところが白人が経済的政治的な実権を握っていたため、二十世紀に入ってからも、他民族にたいする差別や偏見は強く、アメリカ・インディアンや黒人やアジア系の人々はとても苦しい立場に置かれていた。 第二次世界大戦中、ドイツ系やイタリア系の人々はそのままだったのに、日系人だけが強制収容所に入れられたのは、このような背景があったからだ。 この本の主人公、フレッド・コレマツはこういったアメリカ政府の弾圧に疑問を持ち、「それは憲法違反であり、平等の精神に反する」として、弁護士たちの協力を得て立ちあがる。 この本のなかでは、いくつものテーマがからみあっている。人種差別と偏見、アメリカ合衆国憲法でうたわれている「平等」の意味、民主主義……そして、正義をもとめて立ちあがる勇気。 しかしこの本を読んで感じるのは、アメリカって、ほんとにいやなところも多いけど、なかなかいいところもあるなということだ。たとえば、戦時中にフレッド・コレマツの弁護を引き受けようとする人々がちゃんといたということ、それから戦後数十年後になってだが、過去の過ちを認め、被害や損害を受けた人々にしかるべき補償(十分ではないとしても)をしたということだ。また、アメリカではこの日系人強制収容にたいする関心はかなり強く、早くも終戦の年に『強制収容』(フロレンス・クラネル・ミーンズ著、未訳)という児童書が出版され、一九四六年にニューべリー賞銀賞を受賞している。戦時中の日本で弾圧を受けていたアジア系の人々に日本人が目を向けはじめたのはいつごろなのだろう。 アメリカで書かれたこの本を日本人が読むとき、さらにいくつかの問題が重なってくる。そのひとつは、アメリカに宣戦布告をしたとき日本政府は、アメリカに移住していった人々のことを考えたのかということだ。とくにアメリカの西海岸やハワイ(当時はまだアメリカの州になっていない〉には、「覚え書き」にもあるように、多くの人々が移住していた。それも日本政府が移住を奨励したことさえあったのだ。それからもうひとつは、戦時中の日本でも同じような差別や偏見はなかったのか、ということだ。 この本は、ほかにもいくつもの大切なことを問いかけてくる。たとえば、相手が国であ っても、まちがっていることに対しては堂々と立ちあがらなくてはならないということ。そしてそれは、自分やまわりの人々のためであるとともに、国のためなのだということ。 「第一章」の終わりにこんな言葉がある。 フレッド・コレマツをふくめて何千人もの日系アメリカ人が、職や家や財産だけでなく、アメリカという国にいだいていた理想まで失ったのだ。誇りをはぎとられ、自分の国に裏切られる。そんな受難の時代だった。そのころのことをふりかえれば、当時のくやしさや、怒りや、やるせなさがいっさいがっさいよみがえってくる。それでも、いつかだれかが真実を語らなければならない。自分の名誉のためだけではなく、この国のために。 すばらしい言葉だと思う。真の愛国心とはなにか、というテーマもこの本は問いかけて いるのだ。 さらに、この日系二世であるフレッド・コレマツを主人公にした本を書いたのは、中国系のジャーナリスト、スティーヴン・チン。そしてこの本のシリーズの編集長は、『ルーツ』など黒人を主人公にした作品を書き続け、ピュリッツァー賞を受賞した黒人作家のアレックス・へイリー(本書の冒頭にある、「民主主義」についての前書きもすばらしい〉。 ほんとに、現代アメリカのいい部分が結集してできあがったすばらしい本だと思う。 最後になりましたが、編集の小島範子さん、翻訳協力者の橋本知香さん、弁護士の鈴木仁先生に心からの感謝を! 二○〇〇年二月二日 金原瑞人 四 『時の迷い子たち・アルツハイマー病、希望と忘却の物語』と『世界でいちばん愛しい人へ・大統領から妻への最高のラブレター』 この二冊は、これまでの三冊のノンフィクションとは少し違って、社会的な部分よりも、ヒューマニスティックな部分を前面にだした読み物として書かれている。前者は老人専門の精神科医によるアルツハイマー病に関するエッセイで、後者はロナルド・レーガンのラブレターを中心に、奥さんナンシーがまとめたエッセイ集。こちらも最後は、元大統領レーガンのアルツハイマー病でしめくくられる。 しかし両方とも決して暗い本ではない。それどころか、力強いメッセージが秘められている。 たとえば、『時の迷い子たち』の内容は次のような部分に集約されている。 「まあ、ハロルド、すてきだわ。もちろん、オーケーよ。きまってるじゃないの」 老婦人は涙できらきらした目で、医者のわたしを見つめた。老婦人の娘がその手をやさしくなで、わたしにこう説明した。 「母は先生のことを父だと思っているんです。父は三十年も前に亡くなったんですが、母は今、父にプロポーズされて指輪をもらった日のことを思い出しているんです」 わたしの前で、患者の人生が明らかになっていく。患者の思いでが、きらめきながら浮かび上がってくる。この病気には怖ろしい一面もあるが、そこには悲しみもあれば喜びもあるということ、そしてこの病気ではどんなことも起こりうるということを、読者のみなさんにもっと知っていただきたいと思う。 とても美しい本だと思う。 専門的な部分や医学的な情報については、当時、京都大学にいた高木俊介さんにご協力いただいた。高木さんも社会的な問題に積極的にとり組んでいらっしゃって、若い頃は水俣病に、そして最近では「精神分裂症」という名称を改める運動を中心になってやってらっしゃった。 また、『世界でいちばん愛しい人へ』のほうは、あとがきの前に、レーガンが九四年に自分がアルツハイマー病であることを公にしたときのメッセージをそえておいた。率直で力強い、いい文章だと思う。 訳者あとがき 「アルツハイマー病の患者を目のあたりにするとき、わたしたちは心の奥に底知れない恐怖心をかきたてられる。それは、自分で自分が抑えられなくなる恐怖、正気を失うことへの恐怖である。もはや人間とはいいがたい存在となった自分の姿を、周囲の人々がなす術もなく見守る。そんな光景を思い浮かべるときに感じる恐怖は、おそらく、死そのものに対する恐怖よりも強烈だろう。なぜなら、多くの人にとってアルツハイマー病とは人を生ける屍にする病気であり、わたしたちを人間たらしめているものをすべて、奪い去る病気だからだ」(本書二三二ぺージ) しかし現実に、身近にアルツハィマー病患者を持ったとき、患者を取り巻く人々も、医師も、驚くほど人間的な反応を示すことがある。それだけでなく、アルツハイマー病はときとして、人の心のなかの温かい部分、熱い部分を激しく揺さぶることもある。いや、周りの人々に生きる楽しさを、人を愛する喜びを教えてくれることさえあるのだ。それを、この本は教えてくれる。 人生の最も充実した時期に退行して楽しそうな表情をみせる患者、最も愛する人にプロポーズされた時期に退行して幸福に毎日を過ごす患者、また、アルツハイマーの母親を持ったおかげで犬猿の仲だった相手とよりをもどす兄弟、アルツハイマーの患者を周囲でやさしく見守る人たち。そしてまた…… 「アルツハイマー病は窓であり、その人間の置かれている状況をのぞく機会である」(本書二五ページ) 老人専門の精神科の医師である作者は、ひたすら患者の言葉に耳を傾けることによって、患者やその親族とのコミュニケーションを深め、アルツハイマー病の実像に迫ろうとする。その態度は「誠実」という言葉以外、表現のしようがない。伯母をはじめとする親族を、父親を、そして恩師までアルツハイマー病に奪われた作者は、その憎むべき病と向き合い、患者の言葉に耳を傾け、患者の態度や表情をつぶさに観察する。そこから生まれたエッセイが本書である。 これは、アルツハイマー病の実際について、また、アルツハイマー病のもつ明るい側面について知りたい人のための本であり、人間そのものについて知りたい人のための本でもある。そして、やさしさと誠実さに触れたい人のための本でもある。 このような本を訳すという機会にめぐまれた訳者は、いま心から、その幸せをかみしめている。 じつをいうと、この本を訳すにあたって、ひとつだけ不安なことがあった。それは、作者が、読者を意識するあまり、ことさらドラマティックに事実を演出しているのではないかということだ。それに対しては、本書の医学的な部分に目を通していただいた、京都大学医学部精神科の高木俊介さんから、次のようなコメントを頂戴し、ほっとしている。 「精神科医療の現実をしっかりと伝えたとてもよい本でした。アルツハイマー病患者の人間性や家族の思いもきちんと書かれていて、真実がそのままに描かれているといっていいでしょう。こういう本を訳していただいて、ありがたく思います。日本では、最近はやりのサイコドラマなどで、精神科の仕事はずいぶんとゆがめられて伝えられていて、そのうえ、実際にはひどい仕事をしている精神科医の書く物がもてはやされたりしています。ぜひ、こういう本で現実の精神科を知ってほしいものです」 (高木さんのご指摘により、本書に出てくる薬品については、現在日本で使われている一般名を使用したが、日本でほとんど使われていないものなどは原書の表記をそのまま使っている) 最後になりましたが、翻訳を助けていただいた野沢佳織さん、専門用語や医学用語のチェックを細かくしてくださった前述の高木俊介さんに、心からの感謝を! また、最後の最後に、本書が多少なりとも、アルツハイマー病患者を親族に持つ方々の希望の糧となることを 一九九八年一月二二日 アメリカのみなさんへ (一九九四年十一月五日) 先日、わたしはアルツハイマー病を患う、数百万人のアメリカ人のひとりと診断されました。 これをきき、ナンシーとわたしは選択を迫られました。一市民としてこのプライベート な問題を隠すべきか、このしらせを公にすべきか。 過去、ナンシーは乳癌を患い、わたしも癌細胞の摘出手術を受けました。それを公表したことによって、みなさんの関心を高めることができました。その結果、検査を受けるかたがずいぶん増え、わたしたちもうれしく思いました。 多くのかたが早期に治療を受け、普通の健康な生活にもどることができたのです。したがって、今回も事実をみなさんにお知らせするべきではないかとわたしたちは感じています。わたしたちの考えていることを公にすることによって、この病気に対する関心を高めることができれば、と願っているのです。おそらくこの病気を患っているかたやご家族に対する理解にもつながることと思います。 いまは元気です。わたしは神が与えてくださった残りの人生をいままでどおりに生きていくつもりです。これからも愛するナンシーや家族とともに人生の旅を続けていきます。野外の活動を楽しみ、友人や応援してくださるみなさんとも親しくおつきあいしていきたいと思います。 不幸にして、アルツハイマー病が進行すれば、家族に重荷を背負わせることになるでしょう。ナンシーをこの辛い状況から救う方法があればと願うばかりです。ときがくれば、みなさんの助けを得て、ナンシーは信念と勇気をもって事態に対処していくことと信じています。 最後になりましたが、みなさんの大統領をつとめるという大いなる名誉をわたしに許してくださったことに心から感謝を申しあげます。いつの日か神のみもとに召される日がきましたら、この国への大きな愛を胸に抱き、この国の未来がいつまでも希望に満ちたものであることを信じて旅立つことでしょう。 わたしはいま、人生のたそがれに向かう旅を始めようとしています。しかしアメリカの前途には常に明るい暁があることをわたしは信じています。 友よ、ありがとう。神の恵みがあらんことを。 ロナルド・レーガン 訳者あとがき ぼくは、ほば十年以上、ロナルド・レーガンというアメリカの第四十代大統領は、ジョン・ウェインみたいな人で、最右翼の男尊女卑のマッチョマンだろうと思っていた。なんでこんな人が、今、アメリカでブームと言われるほど人気があるのだろうと不思議に思っていたくらいだ。 しかし今回、本書を訳してまたその印象が変わった。男尊女卑などとんでもない話で、まれにみる愛妻家で、なににもましてまず家庭が第一のビッグ・パパなのだ。 そもそも彼はとても穏和な人で、声を荒げたことなどほとんどないというのもすごい。ホワイトハウスでは側近が語ったところによれば、怒っているとわかったのは、眼鏡をはずして机の上に放り投げたときだけで、それもほとんどまれだったらしい。 そして、かなり頭の切れる政治家だった。それは六〇年代、大学紛争が激しかった頃、カリフォルニア州知事を務めていたときの学生との対話でもあきらかだ。 「現代はあんたの育った時代とはちがうんだよ。テレビもあれば、ジェット機もある。宇宙旅行だって……」と言う学生に対して、レーガンはうなずきながら、「確かにわたしたちの若いころには、そういうものはなかった。だから、わたしたちが発明したんだよ」と答えている。 まさに当意即妙の返答だ。こういう切り返しは、凡人にはとうてい無理だろう。また狙撃されたときのコメントも、ほほえましい。 しかしなんといっても、驚かされるのは、そのラブレターだ。レーガンはとことん筆まめな人で、とくに奥さんのナンシーにひっきりなしにラブレターを書いたようだ。 ときにはユーモラスな、ときにはウィットに富んだ、ときには心温まる手紙を送り、ときには妻や子どもに会えない寂しさを訴えた手紙を送った。そしてときには、同じ部屋にいても、短い走り書きをしてナンシーに渡したという。その文章の巧みなこと、そして面白いこと。 たとえば、「世間では二月十四日をヴァレンタイン・デーと呼んで祝っているが、それは普通の運にしか恵まれなかった者たちの話だ。ぼくは『ヴァレンタイン・ライフ』を送っている」といった手紙。あるいは「君はぼくのなかにいて、ぼくの一部となっているのだから」といった手紙。 レーガンに関しては、あと二度、印象が変わったことがある。それは国民に、自分が癌であることを発表したときと、アルツハイマー病であることを発表したときだ。 癌のときは、アメリカ大統領としての自信と自負を感じさせられたが、アルツハイマー病のときはある種の寂しさを感じてしまった。しかしそれでも前向きな姿勢を崩さないところに、レーガンのいい意味でのアメリカらしさ、いい意味での男らしさがあるような気がする。 ともあれ、奥さんのナンシーがまとめたこの本、一時代を築いたアメリカ大統領の伝記としての価値はとても大きいが、それよりも、ひとりの男、ひとりの夫、ひとりの父親が、妻を、子どもを、国民を心から愛した記録としての価値のほうがはるかに大きい。 最後になりましたが、この本を紹介してくださり、原稿を細かくチェックしてくださった姥康宏さんに心からの感謝を。 二〇〇一年 三月十五日 金原瑞人 五 楽しいノンフィクション 最後は楽しくまとめたい。 というわけで、『世界を変えた野菜読本』。 これは最初、偕成社の編集者の別府さんから「ちょっと読んでみて」といって、送られてきたもの。とても面白かったので要約をまとめて送ったところ、別府さんから、「ううん、うちじゃ無理かも」という返事。そこでこの本の版権を扱っているイングリッシュ・エイジェンシーの長谷川さんに相談したら、「晶文社がそういう食材関係の本をたくさん出しているから、持っていってみようか」ということになり、めでたく晶文社から出ることになった。ぼくの訳す本のなかでは珍しく、朝日新聞をはじめ、あちこちで取り上げられた(そういえば、『時の迷い子たち』も週刊文春などでよく取り上げてもらった。ノンフィクションは取り上げられやすいのだろうか)。この本、日本では一般書として出ているが、もとはアメリカで出た中高校生向けの読み物。しかし詰めこまれた情報量の多さはかなりのもの。日本でヤングアダルト向けに出すにはちょっときつい感じだ。 この本を担当してくださった晶文社の編集者が原浩子さん。同じく原さんの担当で、『αβ』というアルファベットについてのノンフィクションを現在訳しているところ。いや、じつは〆切が四月末。もうとっくに上がってなくてはいけないのに、まだ格闘中。ざっと読み飛ばしたときは、そうとも思わなかったのだが、いざ訳す段になってみると、これが難物。けっこう大変。で、もたもたしているうちに、ほかの本の校正やらなにやらが入ってくるし……いや、ただの言い訳です。頑張ります。 しかし去年までは、すぐ後ろから〆切が追いかけてきたけど、今年に入って、〆切に追い越されてしまった。必死に追いかけているけど、いつまでたっても離される……ような。 訳者あとがき ジャガイモ、トマト、トウガラシ(ピーマンも)、トウモロコシ、ピーナツ、インゲンマメ、カカオ……こういった食材がなかったら、世界中のレストランは、いや世界中の食卓は一気に寂しくなってしまうだろう。 トウガラシ抜きのキムチ、トウガラシ抜きのマーボー豆腐、トウガラシ抜きのジャジャ麺、トウガラシ抜きのキンビラゴボウ、トウガラシの辛み抜きのカレー、七味のかかっていない牛井、親子丼、カツ丼、焼き鳥、タバスコのかかっていないピザ……もう考えただけで、おぞましい。あるいはトマト抜きのトマトソース、トマト抜きのトマトサラダ、トマト抜きのスタッフド・トマト、ケチャップを使わないチキンライス、ケチャップのかかっていないオムライス‥・・・・もう世も終わりである。あるいはジャガィモが、ピーマンが、トウモロコシが、ピーナツがなかったら……生きる楽しみが半減する人も少なくないはずだ。 しかし、ここにあげた食材はすべてアメリカ原産で、十六世紀になってようやくその他の地域に伝わったものばかりなのだ。それまではキムチは赤くなかったし、カレーの辛みはコショウで出していたのだ。パスタにかけるトマトソースももちろんなかった。もちろん柿ピーもなかった。 そう、アメリカ原産の食材は世界の料理を大きく変えてしまったのだ。それも楽しい方向へ。 この本は、そういった食材を取りあげ、その歴史や特徴をさまざまなエピソードをまじえて紹介した本で、じつに楽しい。 ・トマトが「禁断の果実」と呼ばれたのはなぜか。 ・ジャガイモやピーナツはヨーロッパに紹介されたときなぜ人気がなかったか。 ・トウガラシがアフリカ料理にすんなり取り入れられたのはなぜか。 ・トウモロコシを常食するようになったヨーロッパ人に特有の病気が発生したのはなぜか。 ・トウモロコシが「トルココムギ」と呼ばれたのはなぜか。 といった話題をうまく使いながら、たんなるクイズブックではなく、歴史的・地理的・植物学的な知識を縦横に駆使した一貫性のある読み物になっているのがうれしい。 本書は、Sylvia A. Johnson, Tomatoes, Potatoes, Corn, and Beans--How the Foods of the Americas Changed Eating around the World (Atheneum Books for Young Readers, Simon & Schuster, N.Y. 1997) の全訳である。それにしても作者のシルヴィアさんはすごい。山ほどの資料を漁って使って、それをこんなにわかりやすくて楽しい本にしたててしまうのだから。はっきりいって脱帽である。 ノンフィクションを訳すことが珍しいぼくも、この本には最初から一気に引きこまれ、最後まで一気に読んでしまった。 おいしい料理を食べるのが好きな方、おいしい料理を作るのが好きな方、ノンフィクションの好きな方、楽しみながら世界史や地理を勉強したい方、そしてなにより面白い本の好きな方には、ぜひ一読をお勧めしたい。 最後になりましたが、翻訳に協力していただき、細かく調べものをしてくださった築地誠子さんに心からの感謝を! 一九九九年七月三一 金原瑞人 |
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